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自分の記憶とボケの検証

 今日、少しショッキングな経験をした。よく知っていたはずの言葉と人名が思い出せなかったのだ。一つは朝刊で「補給経路」という一語に出会ったとき、英語のlogisticが思い出そうとしても思い出せなかった。そこで和英辞書の「兵站」を引きやっと思い出せた。もう一つは教会で藤が丘教会時代の友人MさんとYさん夫妻に会ったのだが、顔は覚えているのに名前が出てこなかった。帰宅後、名簿でやっと思い出せたのだった。
 この想起不全とも言える思い出すことの難渋は、完全に忘れてしまっているのではなく、知っていたこと自体は自覚しているが、知っていたはずの言葉や名前が思い出せない現象だ。単なる物忘れとも度忘れとも違う。老人性痴呆、いわゆる耄碌の一症状だろうが、毎日聖書をギリシャ語やヘブライ語で読んでいても、やはりボケ防止にはならないのかと思うとショックではある。しかし、思い出せないことと記憶できないこととは違う。私の記憶力はまだ日常生活では大丈夫なのか?私の想起力はどれくらい劣化しているのか?
 そこで、私はそれを確かめるため、今日のミサで聞いた司祭の説教をなるべく司祭が話した言葉のままで再現してみることにした。そうすれば記憶力と想起力の度合いがわかるだろうと思ったからだ。この試みの中で<…>内の文章は、私が思い出せる範囲内で再現してみる司祭の説教である。それに対し、<…>以外の文は私の考えや感想だ。
 ちなみに今日、8月13日、年間第19主日のミサで読まれた福音は、マタイによる福音14.22-33だった。弟子たちの舟がガリラヤ湖上で向かい風と波に行き悩んでいたいたとき、主イエス様が湖上を歩いて来られた時の話だ。その時ペトロは主だとわかると、主のところまで行く許しを貰ってしばし水上歩いた。だが、強風に気付くと怖くなり溺れかけた。主に救いを求めて助けられたが、「信仰の薄い者よ」と叱られた。説教の話題はその出来事だった。私が今想起できる限りでは、その説教は次のようであった。

  <皆さんは水に溺れた経験がありますか?私はあります。幼稚園児の頃ですが、父と一緒にプールに行きました。しかい子どものプールより大人のプールに入ってみたくなりました。父はタバコを吸うか何かしていたらしく、私に気づきませんでした。大人のプールは広いことがわかりました。しかし、深いことはわかっていませんでした。だから、そこに入って溺れかかったのです。私たちは溺れると言う言葉を他にも使います。酒におぼれる、知恵に溺れるなどです。>

 ところが、その話は私に39年前のことを思い出させ、「そういえば私の次男も7歳の時カナダのホテルのプールで溺れかかったなぁ。助けたが危なかった」と気を散らさせた。だから、幼児だった時の司祭がどう助けられたかの部分は聞き洩らした。また、溺れることの用例では、「策士策に溺れる、愛に溺れる、などもあるな」などと、そのことでも私は気を散らし、何かに溺れることの是非を司祭がどう評価したかについても聞き洩らしてしまった。私は話の続きを次のように聞いた。

 <さて、今日の福音ですが、ペトロさんは水の上をイエス様のところへ歩いて行こうとして、大きな波に怖くなり溺れかかりました。イエス様が手を伸ばして助けられましたが、この話はどんなことを私たちに教えているのでしょうか?
 この話はマタイ、マルコ、ヨハネの3福音書に乗っていますが、弟子たちはそのとき舟に乗っていました。ところが福音書を読むと、『イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ』と書いてあります。言い換えれば、これはイエス様が弟子たちを無理やり舟に乗せたということです。なぜそんなことをされたのかと言うと、その前にあったことを考えれば答えがわかってくるのではないかと思います。
 彼らが舟に乗らされる前にあった出来事は、パンの奇跡でした。人々は男だけでも5千人ほどだったとありますから、女子供を入れたら2万人はいたでしょう。イエス様は5つのパンと7匹の魚でその大群衆が満ち足りるまで食べさせられました。しかし、パンを配ったのはイエス様ではなく弟子たちでした。どういうふうにパンが増えて行ったのかはわかりませんが、弟子たちは群集の間にパンを配って回りました。
 それは群集の目にどう見えたでしょうか?そもそもそんな大群衆では端の方の人たちには余りに遠くて、イエス様がパンを弟子たちにお渡しになる前、何を言い、何をなさったかもわからなかったでしょう。彼らがわかったのは弟子たちがパンを持って来たことでした。そうなれば人情ですから、人々は弟子たちに、『ありがとうございます。パンが頂けるのはあなた様のおかげです』などと、イエス様にではなく彼らにお礼を言ったでしょう。
 そう言われれば悪い気はしなかったでしょう。自分の力のお陰ではないとわかっていても、弟子たちは自分たちが配るとパンが増えるので、自分たちが何者かであるかのような思い上がりを持ち始めたのではないでしょうか。それをお察しになったから、イエス様はその後すぐ弟子たちを強いて舟に乗せたのだと思います。
 しかし、イエス様は一人残って山で祈り、夜になってから湖の上を歩いて行かれました。イエス様は泳げなかったから歩かれたという冗談話もありますが(笑い)、すぐ弟子たちの舟に追いつかれました。>


 このジョークは皆には受けたが、私にはまたもや気を散らさせるきっかけになった。同じ話題の別の冗談を思い出させたからだ。こんなジョークだ。
 ある神父さんが聖地を訪問し、ガリラヤ湖に行った。すると船頭が「神父さんなら料金はただでいいですよ」と言った。神父さんは喜んで、「では向こう岸まで乗せてください」と頼んで、舟で対岸に着くと辺りを感慨深く眺めた。さて、帰ろうとすると船頭が言った。「20ドル頂戴します。」「おや、あなたは只だと言ったのではありませんか?」「はい。でも、あれは来るときの話です。」「では、帰りには誰からも20ドル取るのですか?」「はい、それ以上いただくこともあります。」すると神父さんは悟ったような顔をして叫んだ。「ああ、それでわかった!だから、わが主は湖の上を歩いて渡られたんだ!」と。
 そのジョークのせいで気を散らしたため、私はそこらから後の司祭の説教をすっぽり聞き洩らした。しかし、説教は次のようにまとめられたのではないかと推察する。
 
<弟子たちは溺れかかったペトロさんが助けられたのを見ました。そして、そのとき風と波はぱたりと止みました。彼らはこの出来事を体験して、自分たちの無力を思い知りました。そして同時に、イエス様がどんなにすごい方かを実感しました。だから、ひれ伏して「本当にあなたは神の子です」と、イエス様を拝んだのです。
 私たちも思い上がると溺れます。私たちに何かできるとしても、それは神様のおかげです。思い上がりに気を付けましょう。そして、溺れそうになったら主に助けを求めましょう。>

 やはり、私は全部記憶してはいなかった。司祭の説教を聞いてはいたが、気を散らしては自分の考えに耽り、途切れ途切れだったことがわかる。しかし、かなりの部分は覚えていたことも確かだし、気を散らして思い出していた事柄は別の意味で記憶したことの想起だった。従って、記憶力も想起力もまだ重度には劣化していないと診断してよさそうだ。物忘れや想起難渋はひどくなっているが、それは老人には普通なのだから気落ちせずにやれることをやればよいのだと思う。これがこの試みの一つの結論になる。

 それにしても、私がかなり良く記憶できたのは良い説教だったからだと思う。つまり、内容が興味深く、話し方が明瞭で、耳の遠い私にも90%は聞き取れたからだ。説教にも起承転結がある。仏語では①Attention、②Probleme、③Developpement、④Solutionと言う。①のAttentionは話題に聴衆の注意を引き付けることだが、ペトロが溺れかかったことにつなげるため、自分が溺れた経験を話し、溺れることの一般論に言及したのは見事だった。
 この記憶力と想起力試しは一つの副産物も残してくれた。私は司祭の説教復元を試みたが、それでわかったことがあった。福音書が同じ出来事を伝えていても、まったく同じではなく、イエス様のお言葉にも相違が生じているのはなぜか、そのわけが一つわかったことだ。私は司祭の話を聞いたその日に復元しようと試みた。それなのに、内容も話の表現も話された通りにはやはり復元できなかった。ましてや、30年40年経った時点で、イエス様の事績と話を話されたままに記録することがいかに難しかったかは想像に難くない。 
 それなのに福音書の叙述にあれほどの共通点があるのはむしろ驚嘆に値する。なぜそれが可能だったのだろうか?一つの理由は、イエス様のなさった事跡や話が当事者や目撃者によって語られ、それを聞いた語り部を通じて絶え間なく何度も何度も教会の中で語り伝えられたからであろう。それは信仰集団の忘れがたい記憶となっていたのだ。記憶と想起はどれだけ深く記憶に刻み込まれ、どれほど繰り返されるかにもよるのだと思われる。

畑に隠されている宝のたとえ補足

 4日前、畑に隠されている宝のたとえについて書いたが、あとで気付いたことがあった。たとえだから、それを現実的にあれこれ詮索するのは見当違いだが、それにしてもこのたとえには詮索して見たくなる点があるのだ。少なくとも2点ある。一つは、畑に隠されている宝を見つけた人はどのようにして宝をみつけたのだろうか、という点だ。もう一つは、誰がその宝を畑などに隠したのか、という疑問だ。
 宝を見つけた人は持ち物全部を売り払って金を作り、それで宝が隠されている畑を買うのだから、畑の持ち主ではなかったことは確かだ。そして、宝を隠したのは畑の持ち主でなかったことも確かだ。もし畑の持ち主が隠したのなら、畑を買う必要などないからだ。しかし、彼は自分の畑に宝が隠されていることを知らない。だから畑を売ってしまった。
 ということは彼が宝を見つけるに至る行動を何もしていなかったことを意味する。彼は畑を持っていただけだった。それに対し、宝が隠されていることを知った人は、どうしてそれを発見したのだろうか?考えてみると、畑と言うのは宝を隠すには向いていない場所だ。大木の下とか大岩の割れ目とかと違って、畑は目印をすればすぐわかってしまうだろうし、耕作の邪魔にもなる。だからと言って、見つからないようにと目印をしなければ、隠した人自身でさえどこに隠したか後で見つけ難くなってしまう。
 目印がなくて普通の畑のようだったから見つからずにいたのだろうが、では見つけた人はどうして見つけることができたのか?畑に行かない所有者に見つけられるはずがない。畑の傍を通り過ぎるだけの通行人にも見つけられるわけがない。だとすれば、見つけるチャンスがあったのは、畑に入って土を掘り起こすことができた人だろう。それには畑を耕すとか、植樹のために穴を掘る人とかが考えられる。しかし、無関係な他人は勝手に人の畑には入れないから、所有者の関係者に絞られるだろう。
 しかし、畑の所有者の下僕ではなかただろう。なぜなら、下僕が畑を買いたいと言ったら、主人である所有者は何か変だと疑って売らなかったと思われるからだ。従って、おそらく宝を見つけたのは、所有者から頼まれて耕作や植樹の仕事をした隣人か臨時雇いの人だっただろう。その人は畑を耕すとか掘るとか、そういう仕事をしていたとき、偶然何かに硬い物ぶつかった。おやっと思って掘り下げてみたら、それは何と壺に入った宝だった。宝がそんなふうに見つかったのだとすれば、なるほどとうなずける。
 では、誰が畑などに宝をかくしたのだろうか?これは実に奇妙だ。家に宝を置くことがよほど不安な人でなければ、外になど隠さない。ましてや後で見つけにくくて困るかも知れない畑などには隠さないものだ。畑の所有者ではないことはすでに言った。ましてや自分の畑でもないのに他人がそこに大事な宝を隠すわけがない。宝がひとりでに畑にやってきて隠れたなどと言えば、頭がおかしいと言われるだろう。ずーと昔誰かが隠して、忘れ去られていたと言っても、誰が隠したかと言う疑問は解消しない。
 さて、これは「天の国は畑に隠されている宝に似ている」という、天の国のたとえだ。ならば、一番人が宝をかくしそうもない畑に、奇妙にも宝を隠した誰かがいるとすれば、それは神だと言うのが正解かもしれない。神は天の国という宝を、この世という畑に隠された。子ども達に宝探しをさせるボーイスカウトのリーダーたちのように。
 しかし、人を働かせ、自分は家で楽をしている所有者が宝を見つけることはない。畑の傍の道を素通りするだけの、ただの通行人も畑の宝をみつけることはない。畑に隠されている宝を見つけられるのは、畑で耕したり穴を掘ったりして働く人だけだ。このたとえは働いてこそ宝を見つけられることも示唆している。何?見つけたら、だまって持ち去る?聖書のたとえは「汝盗むなかれ」を前提にしている。盗んだ宝は腐る。宝を見つけた人は全財産を売り払って、その宝を買ってこそ晴れてそれを手に入れることができるのだ。

今週の聖書ところどころ

 今週、年間第17主日の聖書は列王記上3.5-12、使徒パウロのローマの教会への手紙8.28-30、マタイによる福音13.44-52であった。
 列王記上3.5-12は、神がソロモン王の夢に現れ、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われたので、王が「聞き分ける心をください」と願ったところ、神はその願いを殊勝だと喜ばれ、彼に「賢明な心」をお与えになった。そして、「あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない」と言われたと言う箇所だった。
 私がここを読む度に、ここに書かれた神の言葉は、ダビデ王系の歴史著者がソロモン王を賢明さで比類稀な王として描くために創作したもので、本物の神の言葉ではないと推理する。そもそも私はソロモンと言う男が好きではない。彼の母は元ウリヤの妻ベトシェバで、ダビデ王との不倫から生まれた子供だ。彼女にはどこか策謀を隠している狡さが見え隠れする。彼もその血を引いていたのではないだろうか。彼を称賛する聖書の叙述を読むと私は不愉快になる。
 若かった時のソロモンは純粋だったかも知れない。しかし、番節は堕落だった。エルサレムの神殿を建てた功績はあったが、そんなものが何になろう。父ダビデ王からの遺産で建てただけではないか。権力が固まると彼は次第に富と奢侈に溺れ、三千人もの側室を囲って異教の神々をイスラエルに持ち込ませた。後に預言者たちはイスラエルの民の神からの離反と堕落を非難したが、彼らをそうするに至らしめた源流はソロモンにあった。
 彼は神の恩恵を汚泥で穢した。それは始めが良くても終わりが堕落という典型だった。だから、私は彼を褒める気になどなれない。軽蔑する。そして、未来をも知りたもう神がやがてそのように堕落していく彼だったのに、「あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない」などと言われたはずがないと思うのだ。これは神の言葉に擬して、ソロモン王の知恵にお墨付きを与え、王権の正当性を残そうとした、支配者に都合のいい記述をしたのだと思われる。

 ところで、列王記上3.7の原典にはלא אדע צאת ובאという表現がある。直訳すれば「出るのも来るのも知らない」となるが、それは日本語ではどういう意味かピンとこない。似た表現に「右も左もわからない」というのがあるが、これなら意味はわかる。しかし、「出るのも来るのも知らない」は意味がすぐには通じない。各国語はこれをどう訳しているのだろうか、それに興味を覚えた。重箱の隅をつつくような問題だが、頭の体操のため調べてみた。

 まずギリシャ語の七十人訳だが、ουκ οιδα την εξοδον μου καιτην εισοδον μου とある。直訳に近く、「外に出るのも内に入るのも知らない」という訳だ。
ラテン語のブルガタ訳は、ignorans egressum et ingressum meumとある。ギリシャ語と全く同じ訳だ。これを見ると、日本人にははっきりわからなくても、古代のヨーロッパ、中東、北アフリカの人々に、この表現で何を言おうとしていたのかは誰にもわかったいたのだ、ということがわかる。
 ところで、フランシスコ会訳聖書はここを(わたしはほんの未熟者で)「どう振る舞うべきかを知りません」と訳している。これなら意味ははっきりしていて、よくわかる。他の邦訳を並べてみると、
 新共同訳は「どのようにふるまうべきかを知りません。」
 バルバロ訳は「どのようにふるまえばよいかわかりません。」 
 聖書協会訳は「出入りすることを知りません。」
と訳されていた。三つはほぼ同じように、「出入りを知らない」という原典を、「どう振る舞えばよいか知らない」と言い換えている。これは読者の理解を考え、言葉の意図を知って訳したよい訳だと言えよう。一つだけは原典の直訳をしていることがわかった。日本人には、これでは何を意味しているのかわかりにくい。少なくとも誤解を招くおそれはあると思う。

 では、近代欧米語はどうか?私の知っている3か国語に限るが、調べてみた。
 英語のThe Bible RSV版は、I do not know how to go out or come in.
 仏語のLa Bible de Jerusalemは、Je ne sais pas agir en chef.
 スペイン語 Biblia de Jerusalenは、… que no sabe salir ni entrar.
 これを見ると、仏語だけが「長として行動することを知りません」と意訳をしているが、他の訳は原典の流れを汲んで、「出ることも入ることも知りません」とほぼ直訳している。欧米ではおそらく現代でもそういう表現で十分意味が通じるからではなかろうか。いずれにせよ、重箱の隅のゴミがとれた感じで、私の小さな疑問は解消した。

 福音のマタイによる福音13.44-52は3つの「神の国のたとえ」だが、教会のミサでは44-46まで、つまり最初の2つのたとえしか読まれなかった。それは内容がほぼ同じ2つのヴァージョンだと言える。見つけたものが宝か真珠か、見つけた人が普通の人か商人かが違うだけで、見つけた物の価値を知ると持ち物を全部売ってそれを手に入れる点では同じで、天の国がそのように全てを売り払ってでも手に入れるに価する素晴らしいものだというたとえだ。それは天の国の価値を教えるたとえだ。それに対し、3つ目のたとえは天の国を浜辺で人が網の魚を選別するたとえで、これは天の国で行われる裁きの側面を教える。
 典礼はこの箇所を8月2日(水曜日)の福音としてもう一度私たちに読ませた。ということは、このたとえは今週一番ご縁があった聖書だと言える。一度目に読んだとき、知らない語彙は辞書で調べてノートに記録しておいたから、お陰で水曜日に読んだときはほとんど辞書のお世話になることことなく原典で読めた。

 ところで、最初のたとえ「畑に隠されていた宝」は私にとっては自分の人生の選択を物語るたとえでもある。だから、私は自分のプロフィールにこう書いている。「敗戦で復員した後は5年間登記所に勤務し、かたわら藤嶺学園夜間部で学び、中学・高校を卒業した。その間で最も忘れがたい記憶は1948年、カトリックに改宗して洗礼を受けたこと。マタイによる福音書13章には、「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」とある。私もそうした」と。
 
 人は時々このたとえを学ぶとき、人生において一番の宝とは何か、みたいな間違ったアプローチをしがちだ。しかし、このたとえのキーワードは宝ではない。キーワードは天の国なのだ。宝は天の国がいかに価値のあるものかをイラストする比喩対象にすぎない。だから、それがどんな宝かなどと詮索することは意味がない脱線になる。それがどんな宝かは問題ではない。その素晴らしさに驚嘆して、持ち物全部を売り払ってお金を作り、それで畑ごと買い取るほど価値のある宝だと言うことさえわかれば十分なのだ。
 ではその宝とは何かと言えば、イエス様がはっきり教えて下さっている。「天の国は畑に隠されている宝のようである」と。天の国はそれほど価値のあるものだ。ところが、その天の国の存在を人々は知らない。だから、その畑の傍を通っても素通りしている。では、その人はどうして畑に隠されている宝のような天の国を知ったのか?「神の国は近づいた」と言われた主の福音を聞いたからだ。福音とは天の国に気付かせる良い知らせに他ならない。
 ある人は言うかも知れない。畑に宝が隠されているのを知った人は、それを隠して畑を買った。本当は宝のことを言って、その値段も入れて買うべきだっただろう。その人はアンフェアで狡い。そんな人が主人公では倫理的に良いたとえとは言えない、と。
 またある人はこう言うかもしれない。宝が隠されていることを知って、それには黙って畑を買った人は、欲張りだ。宝欲しさに、それをsらない畑の所有者から畑だけの値段で買って、大儲けをしようとした。欲の張った人間の好例ではないか。そんなたとえが手本になるだろうか、と。
 しかし、そうした批判は見当外れだ。このたとえは倫理的な模範行動として語られたのではないからだ。人間とは狡いし欲張りな者だ。チャンスがあれば金持ちになろうとし、宝を手に入れようと一生懸命になる。イエス様はこのたとえでそういう人間の現実を利用して、天の国がどれほど価値があるかを教えられた。人間は欲張りで狡いからこそ、畑に宝が隠されていることを知った人の行動がよくわかる。自分もその立場なら同じようにしただろうと思うからだ。そして、それが実感できるからこそこのたとえは効果があるのだ。それをご存知だったから、イエス様はそれを話された。天の国の価値をわからせるためだった。
 
 ところで、私も畑に隠されている宝を見つけた人の一人だった。その宝とはイエス・キリスト様の福音に従った人生だった。だから、私はそれまで持っていた生き方と考え方を捨てて、主の福音を選んだ。「持っている物をすべて売って、畑を買った」というのはたとえの表現であって、実際に古い思想や生き方を去り、主の福音につくのは売り買いではない。
 それまで持っていた生き方や考え方は売っても金にならない。しかし、金の代わりに「悔い改め」が得られる。主の福音は金で買えない。しかし、悔い改めて、古い人を捨てた心は主の福音を得ることができる。これが天の国を買うことに当たる。私は19歳の時心を変え、これがメタノイア(回心)だが、それまで持っていた考え方や生き方を捨てて、主の福音を選び取った。そして、福音に従った新しい考え方を持ち、新しい生き方を始めた。それが私の「持ちも全てを売り払って、宝が隠されている畑を買った」出来事だった。
 それから私は大学に入り哲学を専攻した。それは私の選択は正しかったか、私が選択した福音的生き方はどうあるべきか、それを確かめたかtったからだ。その後紆余曲折があり、山あり谷ありの人生を歩んで、今日まで87年、主の福音を選び取ってからは68年生きてきた。思うにそれはずっと私の選択は正しかったかを確かめ、よりよく福音を生きるにはどうあるべきかを探求する年月だった。私の人生は「畑に隠されている宝を買った人」の行動で要約できる。

泣いたのはどちらか?

 過去一ヶ月間にはいろいろなことがあった。中でも一番記憶に残るのは東京都議選の自民党大敗北だろうか。それによって安倍政権がダメージを受けたのは喜ばしいことであった。安倍氏は選挙戦最終日の応援演説中「帰れ、辞めろ」コールに反論し、そう叫んだ人たちに向かって、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言った。だが私は彼に言いたい。「そんなあなたに日本の舵取りを任せておくわけにはいかない」と。
 とは言え、社会の激動とは違って、私の生活はこの間も波風もなく、手を貸す運動Ⅱの仕事と聖書原典黙読が淡々と続くルーチンの日々だった。しかし、そんな聖書原典黙読にも小さな起伏はある。時々わからないことに遭遇して立往生したり、疑問が湧いてその解消のために横道に逸れたりするからだ。6月5日(水)もそんな1日だった。読んだ旧約聖書に、「ちょっと待てよ」と疑問を覚える一節があったからだ。今回はそれを取り上げてみる。

 私は3年前から「聖書と典礼」を利用して毎日の聖書を原典で黙読しているが、その日の聖書は創世記21.5,8-20とマタイによる福音書8.28-34だった。ところで、疑問が湧いたのは創世記21.16の主語についてだった。原典はもちろんヘブライ語だから、その一節は  ותשא את-קלה ותבך と書かれている。新共同訳はそれを「彼女は声をあげて泣いた」と訳している。しかし、泣いたのははたして彼女(母親)だったのかという疑問が湧いたのだった。

 そんな疑問が湧いたわけを言う前に、その一節がどんな文脈の中で書かれたかを簡単に説明しておこう。これは創世記にあるイサク物語の中の一場面で、そこに至るまでのいきさつはこうだ。アブラハムと妻サラには子がなかったので、サラは夫に子孫を残させるため、召使のエジプト人ハガルを夫アブラハムに与えて一子イシュマエルを生ませた。
 ところが、年老いた妻サラは神の恵みで自分にも一子イサクが生まれた。しかしある日、成長した息子が召使の子イシュマエルにからかわれるのを見た。そこで、サラは夫アブラハムに召使の親子を追い出すよう要求した。アブラハムは苦悩したが、結局パンと水袋を持たせて召使の親子を追放せざるを得なかった。砂漠をさまよい、水もなくなると、召使ハガルは子どもを灌木の下に置き、「子どもが死ぬのを見るのは忍びない」と、矢が届く距離に離れて座った。そして「声をあげて泣いた」のだ。

 ではなぜそれに疑問が湧いたのかというと、理由はこうだ。私はヘブライ語で旧約聖書を読むとき、自分が正しく理解したかどうかを確かめるため、フランス語訳のLa Bible de Jerusalemか英語訳のThe Bible Revised Standard Versionも見るのを常としている。この日は英語訳を参考にしていたが、何とそれには“…, the child lifted up his voice and wept.”と訳してあったのだ。
 上掲のヘブライ語では主語は明記されていないが、「声をあげて泣いた」は「上げる」と「泣く」という動詞が女性形で書かれているから、彼女つまり母親を指していることは間違いない。英語訳はそれと違う。なぜ同訳は主語を子供にしたのか?それは註に、ヘブライ語では“彼女は声をあげ”と書かれていることを承知の上で、ギリシャ語訳に従って「子供は」と訳した旨を記していた。
 ならば、英訳の元になったギリシャ語訳はそこをどう書いており、なぜ英訳はその方がヘブライ語原典より筋が通ると考えてそれに従ったのだろうか?私はそう思って調べてみた。ギリシャ語訳はそこをどう書いているかというと、創世記21 子どもは声を上げ創世記21 子どもは泣いた 「子どもは声を上げて泣いた」と明記している。ヘブライ語原典では声を上げて泣いたのは「彼女」なのに、ギリシャ語訳は「子ども」としている。英語訳は後者を選択したのだ。では、いったいどちらが正しいのか?泣いたのは母親だったのか、それとも子どもだったのか?これが疑の核心だった。

 ある人は「原典が正しいにきまっている」と思うかもしれない。だが簡単にそうとも言い切れないわけがある。そもそも現在のヘブライ語聖書がラビたちによって正式に決められたのは西暦90年のヤブネの会議だが、ギリシャ語の七十人訳はそれより約250年も前にできた訳だ。従って、その元になったもっと古いヘブライ語聖書には「子どもは声を上げて泣いた」と書いてあった可能性もあり、ギリシャ語訳はその忠実な訳であったかも知れないからだ。
 それに、そう訳したもっと強力な根拠はその一節に続く17節だ。そこでは神の御使いが、「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げやりなさい」と言っている。ヘブライ語原典自身が「あそこにいる子供泣き声を聞かれた」と、彼女が泣いたという記述とは違う事実を明記しているのだ。これを見ると、どうやら泣いたのは子どもであり、どうやら泣いたのは子どもであり、筋が通っているのはギリシャ語訳の方ではないかと思えてくる。ヘブライ語原典は写本段階で誤記が起こったのだろうか?

 では、諸国語訳はそれにどう対応して訳したのだろうか?私が知る外国語は限られているから、可能な範囲内で検証してみた。
 まずラテン語のブルガタ訳を見ると、“Et … levavit vocem suam et flevit.”とある。ラテン語は必要がない限り主語を省くから、ここでも主語は書かれていない。従って、声を上げて泣いたのは母親と子どものどちらともとれる。
 英語は上述した通りなので文章は省略するが、泣いたのは「子ども」になっている。
 フランス語訳は“Et il se mit à crier et à pleurer.” 明らかに泣いたのを「子ども」としている。
 スペイン語(Biblia de Jerusalén)訳は“(Sentadas,…)se puso a llorar a gritos.” 泣いたのを「彼女」としている。
 ドイツ語訳(ヘルダー社版)は、“und er begann laut zu weinen.” 「彼は」だから、泣いたのは子どもとしている。
 では、日本語の諸訳はどう対応しているだろうか?
 新共同訳は、「(彼女は)声をあげて泣いた。」泣いたのは彼女とされている。
 フランシスコ会訳は、「(彼女は)声をあげて泣いた。」新共同訳と同じく泣いたのは「彼女」だ。
 バルバロ訳は、「子どもが大きな声で泣き出した。」と訳している。この訳でも、泣いたのは子どもになっている。
 聖書協会訳は、「子どもは声を上げて泣いた」としている。泣いたのは子どもだ。

 諸国語における訳の対応を見ると、ほとんどが「母親系」か「子供系」のどちらかに2分されていることがわかる。ただし、どちらともいえない「両立系」もあるにはある。それを仕分けしてみると、次のようになるだろう。
 「母親系」は、ヘブライ語原典、スペイン語訳、新共同訳、フランシスコ会訳等である
 「子供系」は、ギリシャ語訳、英語訳、フランス語訳、ドイツ語訳、バルバロ訳、聖書協会訳等である。
 「両立系」はラテン語訳のみ。
 もちろこれは私が持ち合わせている聖書だけの仕分けだが、他の言語ではどう対応されているか興味のあるところだ。

 私は両方にそういう対応をとったそれ相応の根拠と考え方があることを認める。しかし、筋が通っている点から言えば、「子供系」の方にやや分があるかなと思う。ギリシャ語訳は訳と言っても他の諸訳とは権威が断然違う。七十人訳の訳者たちはおそらく文脈をよく考察し、「子供が泣いた」と訳したのだと推測する。その判断は重い。
 そもそもハガル親子は砂漠をさまよい、水もなくなって死を待つばかりだった。子が死ぬのを見るのは忍びないと、親が離れた所に座ってしまったのを見れば、普通に考えると泣き出すのは子どもの方だろうと想像できる。飢えと渇きによる衰弱もさることながら、木蔭に置きざりにされた子どもにとって一番の不安は母親から見放されることだっただろう。幼くてまだ死などはわからなかっただろうが、歩く力もなくなっていた子供は本能的に泣いて母を呼び求めた。だから精一杯声を上げたのだろう、と。
 しかし、母が声を上げて泣いたこともまた十分あり得た。いや、母親もきっと泣いたに違いない。愛する子が飢えと渇きで衰弱し、砂漠で死んでゆくというのに、助けてやれない無力と絶望の中に置かれていたからだ。子供の死を見るのは忍びないから矢の届く距離に離れたが、それでも子供の方に向いて地べたに座った母親の行動はその心の状態をよく表している。もしかしたら嘆きと絶望の余り彼女は胸も張り裂けんばかりに泣き叫んだのかも知れない。
 そんな状況を想像すれば、彼女が声を上げて泣いたと記したヘブライ語原典の記述にも十分うなずける。そして、それを尊重して忠実に訳した「母親系」の訳は、原典に深い敬意を払っているからこそ、それに従って訳す方を選んだのであろうから、それは翻訳者の姿勢としてこれも十分尊敬に値する。

 では、この疑問に対する私の結論はどうか。私はこう思う。実際は「泣いたのは子かそれとも母か」ではなく、「子供も母も声をあげて泣いた」のであろう、と。私にはそう考えるのが一番妥当だと思える。ただし、泣いた理由と相手は違っただろう。子どもは母親が傍にいないのが不安でたまらず、母に向かって泣いたのだろうが、母親は子どもの死を目前にして助けられない絶望のあまり、運命を呪ってか、あるいは神に救いを求めてかはわからないが、何かに向かって泣き叫んだのだろうと推察する。

 さて、こんな些細なことはどうでもいいではないか。それがわかったところで何になる?と言う人がいるかも知れない。確かにこれは些事であって、物語全体にもその解釈にも影響を与えない。そして、答えを得ても大して役に立つわけでもない。しかしながら、私はこんな考察にも何らかの意味と有用性はあると思っている。
 そもそも聖書原典は誰でも簡単に読めるわけではないが、読めればこういう疑問も持てる。これは小さな疑問だったが、大きな問題も発見できるチャンスやメリットがある。単に一つの翻訳を読むだけでは、(それではだめだとは言わないけれども)、その訳が本当に正しいかどうかは検証できない。しかし、原典や他の諸訳を読んで比較考察すれば、何が本当かを確認できる。
 同時に原典がいつも正しいとは必ずしも言えないことも分かる。ヘブライ語原典にも誤記やミスプリがある。原典といえども人が書いたものであり、今あるのは写本に写本を重ねた末の原典だからだ。写本書写者が書き間違えたり書き換えたりした可能性も排除できない。ハガルとイシュマエルの物語のこの疑問もその1例であるかも知れないのだ。聖書に書かれていることを全部間違いないと信じるのは単純過ぎる。
 最後にこういう些細な話題の考察でも、それは知的な刺激と満足をもたらす。私にとってはそれが一番のメリットだ。ある人が老人の集まりで、「老人にはキョウヨウが必要だ」と言ったそうだ。皆が「えっ?今さら教養ですか?」と怪訝な顔をすると、その人は、「いいえ、《今日用》ですよ。今日何かする用事があることが老化を防ぐからね」と答えたとか。毎日の聖書で疑問と取り組むことは《今日用》の最たるものの一つではなかろうか。

教育勅語にわたしも一言

 しばらく前、森友学園では幼稚園児が教育勅語を唱えていると報道で知り、愕然としたことがあった。ネット時代だからすぐ忘れ去られるかと思ったいたら、そうでもなく、今日6月10日の朝日新聞声欄には「教育勅語 切り売りは無意味」という声が掲載されていた。実は私も森友学園での教育勅語というニュースを聞いて以来、意見を書こうかと思った。見過ごせなかったからだ。
 しかし、そのままにしてしまったので、もう賞味期限が過ぎた話題だろう思っていた。ところが、今日の投書を読んで、、わが意を得たりと嬉しくおもった。ただ、ひとつ言い足さなくてはならないことがあると思い、私も一言ここに書くことにした。
 そのためにはまずその投書を紹介しなくてはならないが、それを全部書き写すのはたいへんだ。そこで、その手間を省くために要点をコピーさせてもらった。コピーは少し不鮮明だが、次のような文面である。
教育勅語批判略
 この投書の論旨はしっかりしており、その指摘はまことに正鵠を射ている。

 私は教育勅語を唾棄するが、少年時代の私は教育勅語を信じて海軍少年兵にまでなり、まさに「一旦緩急あれば義勇公に報じ、もって天壌無窮の皇運を扶翼すべし」を実行した軍国少年だった。子どもだったから仕方なかったとは言え、天皇主権国家思想の催眠術にかかって、あわや一命を失うところであった。今思えば、無知であり、愚かであり、浅はかであった。教育勅語はにとっては恨み骨髄に徹するほどの反面教師に他ならない。
 あの森友ニュース以来、多くの人が教育勅語の危険を指摘し、主権在民の現憲法と相容れないことを論じて来た。まさにその通りだ。上掲の投稿もその一つで、非常に説得力がある。しかし、思うにまだ誰も指摘していない論点が一つ残っている。それは教育勅語がよって立つ思想的論拠の誤謬だ。教育勅語は嘘とすり替えに立脚しているからだ。それを知れば、教育勅語がいわばガラクタに等しいものであることがわかろう。それを安倍晋三氏や稲田朋美氏らの政治家はすばらしいと思っているらしいから呆れる。

 教育勅語は冒頭から天皇家の祖先を称揚して、「わが皇祖皇宗国をはじむること高遠に、徳をたつること深厚なり」と宣言し、「わが臣民よく忠によく孝に億兆心を一にして世々その美をなせる」とし、「これわが国体の精華にして教育の淵源また実にここに存す」と述べている。要するに「天皇家は遠く先祖より徳が深く厚かった。臣民もそれにならって忠孝に努めて来たが、これこそが日本と言う国の神髄で、教育の根拠はそこにある」と言っているのだ。私などは少年時代に暗記させられたから、忌まわしいことに今でもそれをすらすら言える。
 ところが、では天皇家の先祖は本当に徳がそんなに深く厚かったのか?そう問えば、どんな歴史家も否と答えるであろう。個別の例は列挙しないが、過去の天皇たちを知れば、徳が深く厚かったどころか、血みどろの醜悪な権力争いを演じた例は枚挙にいとまがない。そして、臣民も天皇家にならって忠孝に励んで来たか?と問えば、それも否である。天皇を追放したり悪用したりしたりした例もまた事欠かない。そんな虚偽の歴史観を前提にして、教育の淵源(根源)がそこにあるなどと言うのは悪い冗談でしかない。

 そもそも「汝臣民父母に孝に兄弟に友に、夫婦相和し、安倹おのれを持し、博愛衆に及ぼし…」など、中ほどに書かれている徳目は儒教の教えだ。ところで、儒教の始祖孔子が理想としたモデルは周であった。ところが、教育勅語は皇祖皇宗を周とすり替えている。徳のモデル入れ替え操作をしたのだ。多くの人はそこに気付いていない。しかし、入れ替えたモデルの皇祖皇宗が実は高徳でも何でもなく、むしろ権力争いが多かったとわかれば、教育の淵源は無残に崩壊する。もし淵源にすれば害毒の淵源になる。
 それに、教育勅語は「御名御璽」と、明治天皇自らが書いたようになっているが、実際は明治政府に任された元田永孚と井上毅が文案を作ったのだ。それを天皇がさもさも自分が考え勅を発したかのごとく宣言していること自体が欺まんであろう。このように史実を無視し、嘘とごまかしを論拠とし、癒しがたい傷を国民に負わせた前科のある教育勅語は、現在と未来の日本から抹消されるべきものである。

 ただ、誤解のないよう付け加えておきたい。教育勅語を拒否するからと言って、私は天皇制否定論者ではない。昭和天皇には批判的だったが、現天皇と美智子皇后の両陛下には深い尊敬の念をもっている。誇らしいくらいだ。今後の天皇皇后も現天皇ご夫妻のようであってくれればいいと願っている。そして、できれば天皇ご夫妻にはご退位後はもっと自由にあって欲しいと思っている。実際、私は天皇には国民と同じ人権があるのだろうかと時々感じるからだ。教育勅語は現天皇ご夫妻と今後の天皇家をも幸福にはせず、むしろ不幸にしかねない過去の亡霊だと思う。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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