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聖金曜日の福音から三つの拾い物

 昨日は聖木曜日の祭式から帰宅して、「聖木曜日の過去と今」を夜遅くまで書いた。始めはちょっとのつもりだったが、いつしか長い考察になってしまった。だから大変疲れたので、今日も聖金曜日の祭式には行ってきたが、今日は長くは書きたくない。しかし、ヨハネによる福音書18,19章の長いご受難の箇所は今年も原典で全部読んだ。そこで、気付いた三つの事柄があったから、それだけ取り上げてみる。それらは見落としていた事柄だから、小さな拾い物とした。
 
 一つ目の拾い物は「手下の名はマルコスであった」(ヨハネ18.10)という一句だ。ペトロが「大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした」という記述に付いたコメントだが、それが私の注意を引いた。私は自問した。ヨハネ福音書記者はなぜその名を知り得たのだろうか?と。そして、自答した。おそらくその手下が後年主イエス・キリスト様を信じる一人になったからではなかろうか、と。同福音書は使徒ヨハネが大祭司の知り合いだったと書いている。ならば、その手下が信仰者になったとき、会って名前を聞いたことは察するに難くないからだ。
 ところで、この手下が片方の耳を切られたことは4福音書全部が言及している。しかし、その名がマルコスであったことはヨハネの福音書しか書いていない。こういうのを当事者しか知らない事実と言う。ヨハネ19.35には「それ(主の御受難)を目撃した者が証ししており、その証は真実である」とあるが、その通りだと言えると思う。ヨハネが当事者しか知らない事実を知っていたことは、彼の福音書が他の福音書よりずっと遅く出来たにもかかわらず、信ぴょう性が非常に高いことを示している証左だろう。
 また、マルコスと言う大祭司の手下が、後年キリスト者になったであろうことは十分推察できる。なぜなら、ルカの福音書は彼が右の耳を切り落とされた時、イエス様が「その人の耳に触れて癒された」(ルカ22.51)と伝えているからだ。小さな奇跡だったとは言え、逮捕される寸前の状況下におられたのに、そのような癒しを行われたとは驚くべきことだだった。切られて動顛していたとき、そんな奇跡で癒された者がどうして無関心でいられただろうか。きっと尊崇の念と恩義とを感じないではいられなかっただろう。奇跡の癒しをしてもらい、裁判の経過を見て、彼も内心では「この人は神の子だ」と思ったに違いない。だから、彼が初代のキリスト者になり、ヨハネの知人になったであろうことは十分推察できることだ。

 二つ目は、ピラトにイエス様を「十字架に付けろ、十字架に付けろ」と叫んだのが、ヨハネの福音書では「祭司長や下役たち」(ヨハネ19.6)だったと書いてあることだ。私は今までそれを見落としていた。ところで、他の3福音書は「人々」またや「群集」と書いているが、ヨハネだけはその群集が実は祭司長の手下だったと書いている。「いばらの冠り」という聖歌の2番は「きのうにかわる主を取り巻き、罵り叫ぶ憎む群れを」という歌詞だが、実は「ホサナ」と賛美した群集が「十字架につけろ」と叫ぶ群集に豹変したのではないのだ。ヨハネのこの一語を読むと、二つは違う人々の群れだったことがはっきりする。「十字架につけろ」と叫んだ群集はイエス様を敵視していた祭司長の手の者たちに他ならなかったのだ。

 三つめの拾い物は、ヨハネ19.13と同19.17に出てくるガバタとゴルゴタという語の本当の発音だ。今まで気にも留めず、そういうものかとしか思っていなかったが、今年も聖金曜日にギリシャ語原典で読んでみて、そこに説明してあるヘブライ語が本当にそういう発音なのか、またしてもギリシャ語風のヘブライ語発音ではないのか、と初めて疑問に思ったのだ。そこで、ヘブライ語訳新約聖書を開いて調べてみた。すると案の定、正確ではないことが分かった。
 ガバタはギリシャ語ではGabbata.jpgと書くが、ヘブライ語ではGabbata en hebreuと書き、発音はカタカナ表記すると「グフィフタ」だ。ガバタとはかなり違う。
 ゴルゴタの方は、ギリシャ語ではGolgota.jpgと書くが、ヘブライ語ではGolgota en hebreuと書き、発音は「ガグルタ」である。これも発音はかなり違うと言えよう。
 では、このことから何がわかることがあるのだろうか?ある。ヨハネ福音書は体験した者でなければ書けない事実を書いているが、それは使徒ヨハネの証言が基礎になっているからだ。しかし、福音書を実際に書いたのは弟子たちだと言われている。そして、ギリシャ語原典にあるヘブライ語の発音の不正確さはそれを裏付けているように思える。なぜなら、もしヨハネ自身が書いたのなら、たとえギリシャ語であったとしても、生粋のイスラエル人だった彼が母国語のヘブライ語の発音を間違って書くはずはなかっただろうからだ。また、弟子に口述して書かせたとしても、違い過ぎる発音に気付けば訂正したに違いないと思われるからだ。
 聖書学者たちによれば、今日ではヨハネの福音書は5段階を経て今の形に完成したと考えられているが、世に出たのは西暦90~110年の間だと推定されている。だとすれば、主の御受難の当時、仮に使徒ヨハネが20歳だったとしたら、彼の福音書完成版ができたとき、彼は最も若くても80歳にはなっていただろう。もう自分で書ける年齢ではなかった。実際に書いたのは弟子たちだったろう。しかし、19章が今の構成で書かれた時、彼が存命であったかどうかは疑わしい。なぜなら、ヘブライ語の不正確なギリシャ語表記は直されていないからだ。
 さてさて、今日の考察には霊性的要素が希薄だ。聖金曜日にふさわしくない自問自答ではある。

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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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