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聖木曜日の過去と今

 枝の主日だった日曜日に、教会の玄関でプロテスタントから改宗した知人と会ったので、尋ねてみた。その日は信者がソテツの枝を一本ずつ持って教会の玄関前に集まり、イエス・キリスト様が民衆にホサナ、ホサナと迎えられてエルサレムに入られた事績を追体験する儀式があっが、それが聖週間の始まりになるからだった。

 「ちょっと聞いてもいいですか?」
 「ええ。何でしょう?」
 「プロテスタントの教会でも聖週間はあるんですか?」
 「いやありません。」
 「では、復活祭の前に特別なことは何もしないんですか?」
 「金曜日にちょっとした式はあるけど、他はなにもしないですね。」
 「ほう、そうなんですかぁ・・・」
 「カトリックはお祝いがたくさんあって、楽しいですね。」
 「ま、そうですね。」

 それだけの単純な会話だったが、おかげで私はプロテスタントの教会のことをまたもう少し知ることができた。もっともプロテスタントには教派がいくつもあるので、すべてのプロテスタント教会が必ずしも知人が言った通りかどうかはわからない。いずれにせよ、カトリック教会の聖週間典礼は実に奥が深く、霊的富の宝庫だから、それを共有できていなことはさみしいことに思えた。

 ところで、聖週間中の重要な一日の一つである聖木曜日のミサは、イエス・キリスト様の最後の晩餐を記念する祭式だから、行われる時刻は必ず宵のうちだ。その聖書と祭儀の形を見れば、最後の晩餐がミサ聖祭の原型であり原点であることがよくわかる。そして、最後の晩餐が旧約聖書の原点である過越にルーツを持ち、それが新約で驚きの変容を遂げて、実に豊かな価値を付加し乍ら今に至っていることもわかる。
 聖木曜日の聖書は第一朗読が出エジプト記12.1-14、第二朗読が聖パウロのコリントの教会への第一の手紙11.23-26、福音がヨハネ13.1-15だ。どれをとっても長い考察になりそうだが、ここでは要点に注目するだけにしよう。

 出エジプト記12.1-14は約3400年前、奴隷状態だったイスラエルの民がまさにエジプトから脱出する前夜のことを描く。その夜、神はモーシェを通してイスラエルの全家族に、焼いた小羊と無酵母のパンを食べ、羊の血は家の戸口に塗るよう命じた。そして、神はその夜天使を遣わして、エジプトにいる初子は人も家畜も全部殺戮させたが、戸口に羊の血のついたイスラエル人の家は通り過ぎた。だからこれを過越と言ったが、神はこの救いを子々孫々に伝えるよう命じ、彼らはそれを守って来た。今も守っている。イスラエル人の過越は一週間続くが、その初日の夜はセデールと言う。そして、その祝い方はハガダーと言う。過越祭初日晩餐の典礼書だ。
 イエス・キリスト様がなさった最後の晩餐は過越の食事だったから、大筋は当時のハガダーに従って行なわれたに違いない。しかし、イエス様はその途中で本質的な変更を加えられた。これによって形はユダヤ教過越の骨組みを残したが、中身と価値はまったく変わった過越になった。それがミサ聖祭なのだ。だからそれは新約の過越と言われる。では、ユダヤ教の過越とミサ聖祭では何が変わらず、何が変わったのか?
 脱出前の、つまり救いが成就する前夜の食事を世々にわたって伝え、記念する事では両者は変わらない。罪を悔い、無酵母のパンを食べ、感謝をささげて葡萄酒の杯を飲み、詩編を歌い、神を讃えて感謝することも同じだ。しかし、新約の過越しでは、救いはエジプトの奴隷状態からではなく、罪の奴隷状態からだ。他にも変った点は多々あるが、些細な物は省いて、最も大きな変化を挙げると、ミサでは食するのが焼いた羊の肉ではなく、イエス・キリスト様の聖体であり、飲むのはただの葡萄酒ではなく葡萄酒の形色をした主の御血であることだ。
 聖パウロのコリントの教会への第一の手紙11.23-26はまさにそれへの注意を喚起している。「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によってたてられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念として、このように行いなさい』と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主がこられるときまで、主の死を告げ知らせるのです」と。だからこそ、この箇所は聖木曜日に読まれる。
  
 ところで、ユダヤ教の過越祭が旧約の出エジプトの事績を神の大いなる救いとして伝える記念なら、新約の過越しであるミサ聖祭は、神の御子イエス・キリスト様が人間を罪と死から救うのために成し遂げた受難と復活の大いなる事績を伝える記念だ。この「記念としておこないなさい」と言う一語は福音書でも聖パウロのコリントの教会への第一の手紙11.章でもギリシャ語では「テン・エメン・アナムネシン」と書かれている。アナムネシスとは想起のことだが、この想起はただ昔あったことを思い起こすだけではなく、それを今この場にもう一度再現することでもあるのだ。それが最も端的に現れるのは、司祭が無酵母のホスチアを手に取り、「これはわたしの体である」と言うときだ。教会用語ではそれを聖変化と言うが、おそらくそれを信じるか信じないかが、聖木曜日を盛大に祝うかどうかの違いになるのだろう。
 ところで、イエス様はユダヤ人だったから、「これはわたしの体である」のお言葉も、「わたしの記念として、このように行いなさい」もギリシャ語ではなく、ヘブライ語で言われたはずだ。普段はアラマイ語をお使いになっておられたようだが、この時はユダヤ人の大事な過越だった。したがって、ハガダーを尊重して、正式のヘブライ語を使われたに違いないと思う。
 ならば、ヘブライ語でそれをどんな風に言われたのだろうか? それに興味を持って調べたところ、、こう書かれている。「これはわたしの体である」は、カタカナで表記すると「ゼフー グフィ」だ。たいへん短い。「わたしの記念として、このように行いなさい」は、「カク アスー レ・ジクロニ」だ。ああ、本当はイエス様はこういう風に言われたんだ、と知っておくのもいいのではなかろうか。

 さて、「これはわたしの体である」というお言葉からは、もう一つの疑問がわく。そして、そこから一つの大事なことがわかる。一つの疑問とはユダヤ教の過越では、そのお言葉に対応する何らかの言葉か動作があるのかという疑問だ。答えは「ある」だ。ハガダーを読むと、式がかなり進行した頃合いに、「過越しの三つのシンボル」という箇所が来る。三つのシンボルとは、過越しの羊の肉、無酵母のパン(マッツアと言う)、苦菜の三つの食物だ。現在のユダヤ教過越祭の晩餐では卵や魚や他の食物もあって、かなり豪華らしいが、この三つの食物はEssential、と言われる。つまり必要不可欠の食物なのだ。
 だから、それは2千年前イエス様の最後の晩餐でも食卓にあっただろう。過越祭の晩餐では家長がその三つの食物を一つずつ指さして、それがなぜそこにあるかのわけを語る。羊の肉がある理由は、まさに第一朗読で読んだ出エジプト記12.1-14が伝える内容だ。種無しパンは「また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる」と命じられている。「酵母を入れないパンの練粉を鉢ごと外套に包んだ」(出エ12.34)のは、それほど急いでエジプトを脱出しなければならなかったからだ。
 イスラエル人たちはそれ以後、それを子々孫々に伝えて神に感謝し、自分たちがそれほど神に愛された民であることを誇りにしてきた。ところで、最後の晩餐では家長の立場はイエス様だった。では、イエス様もこの三つのシンボルのくだりに来た時、一般の家長がするのと同じ動作をし、同じ言葉を口にされたのだろうか?いや、されなかったのではないかと私には思えてならない。あるいは、その三つの説明は慣習通りに言われたかも知れない。しかし、そうされたとすれば軽く済まされたのではないかと思う。なぜならその後に、三つのシンボルと関係して、「これはわたしの体である」という重大な機会が来るからだ。
 その機会は三つのシンボルを指示した後、詩編113の賛美と2回目の葡萄酒の祝杯が済んだ直後に来る。ハガダーでは、その時点で家長が無酵母パンの祝福と一枚を裂き与えるのだ。そして、その時こそ旧約のハガダーの言葉ではなく、主イエス様が新約の小羊とパンを制定する瞬間になったのだと、私は推理する。そこで旧約との決定的違いが生まれ、そこから新約の過越の本質(Essential)が始まったのだ、と。

ペサハ エンボッス 円形

 では、主イエス様はその時どういう動作をし、何と言われたのだろうか?形の上ではイエス様はハガダーにある通り、慣習にのっとり、無酵母のパンを取って裂き、弟子たちに与えられたと推察できる。しかし、言われた言葉はまるで違った。「これはわたしの体である」(ゼフー グフィ)と言われたのだった。それは弟子たちがそれまで過越のどの晩餐でも聞いたこともない言葉だった。
 主はもはや羊の肉を見ておられなかったと思う。なぜなら、新約の神の小羊であるご自分がそこにいたからだ。それまでは焼いた羊の肉は象徴的代用品として必要だったが、真の小羊が出現した以上それはもはやそこになくてもよいものだった。主の最後の晩餐では、真の犠牲の小羊は翌日十字架に付けられるはずのイエス様ご自身だったのだ。
 焼いた小羊の肉がもはや不要となった代り、イエス様は無酵母のパンの方を取りあげられた。そして、旧約の過越では急いで脱出するから酵母が無いのだという理由しかなかった酵母無しのパンに、新約の過越では無限の比類ない価値を付与された。そのパンを御自分の体とされたからだ。ここに新約の過越しの神秘が始まったのだった。神の小羊の肉はパンと同化した。それが御聖体である。だから、新約の過越に他ならないミサでは、パンは神の小羊でもあるから、パンがあれば、焼いた小羊の肉はもう要らないのだ。

 しかし、その時の弟子たちはおそらくその意味がよく-いや、まったくと言っていいほど、わかっていなかったのではなかろうか。たぶん「えっ?主はどうなさったんだろう。慣わし通りの過越しとは違うことを言っておられる」と、怪訝な顔をしたと想像する。だが彼らはその後その限りなく深く豊かな意味を理解した。そして、私たちもわかっている。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである」(ヨハネ6.54)ことを。
 聖木曜日はミサの原点を想起させるだけでなく、翌日記念する主の御受難の聖金曜日と密接に繋がっている。なぜなら、聖木曜日に祝う最後の晩餐の中心は神の小羊の肉だが、それはパンの形色の御聖体であり、それが真に神の小羊として屠られるのは翌日の十字架の上だということも知っているからだ。十字架の受難は神の小羊を焼く行為に当たり、新約の犠牲が成就してこそ、その肉と血は神の小羊の犠牲としての価値を持つに至る。従って、聖木曜日の御聖体は聖金曜日の十字架の犠牲を前提にした、その前倒しのanticipationなのだということもわかる。

 聖木曜日の福音ヨハネ13.1-15は、御聖体についても過越の晩餐についても何一つ語っていない。だが最後の晩餐であったことは確かで、どんな心がけでその席に着くべきかを教えている。イエス様は席を立って、上着を脱ぎ、手ぬぐいを腰につけ、たらいに水を汲んで弟子たちの足を洗われた。なぜ、そんなことをされたかと言うと、その理由は「主であり師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗わなければならない」というお言葉で明白だ。模範を示されたのだ。
 些細なことだが、ここで注目したい言葉がある。「食事の席から立ちあがって」(ヨハ13..4)という一句だ。「食事の席から」だから、食前ではなく、もう食事が始まっていた証拠だ。ならば、もしそれが過越の晩餐だったのなら、どの頃合いだったのだろうか?私はそんな好奇心を抱いた。ヨハネの福音書では、イエス様は洗足の後食卓に戻られている。そして、弟子たちの間で裏切り者は誰だという議論が起こる。すると主は、「わたしが浸したパンを渡す者がそれだ」と、それとなくヨハネに裏切り者を教えられた。
 これらのことから推測してみると、洗足は三つのシンボルの説明や二回目の祝杯が行なわれた直後だったように思われる。その根拠はユダヤ教過越の晩餐では、その時点で「ラハッツ」(Washing hands:洗手)という行為をすることになっているからだ。この洗手の儀式を、イエス様は洗足に変えられたのだと見ると、なるほどと納得がいく。パンを食べる前の手を洗う段取りとして、洗手では水も洗う道具も全部用意されているのだから、洗う対象を弟子たちの足に変更さえすればすぐできたことだったからだ。
 そして、ユダヤ教の過越の晩餐では洗手の次にはマッツァの祝福(Blessing of the unlevend bread)が来る。それは家長の役目で、家長はパンを祝福すると裂いて食卓の人たちに配る。それはまさにイエス様がなさったことと合致する。すでに述べたように、イエス様はそのとき3枚のうちの1枚のマッツァ(無酵母パン)を取って祝福し、「これはわたしの体である」とご聖体になさったのだ。
 しかし、主がユダに渡したパン切れは、ご聖体として祝別しなかった他の無酵母パンの1枚をちぎったのではなかろうか。そして、浸したのは水にではなく、直前の祝杯で満たした葡萄酒の中だったと思われる。このように前後関係の順序がわかると、洗足の行為とご聖体の制定も意味をもってつながる。洗足はもともとパンを祝福して裂く前の洗手のはずだった。それをイエス様がとっさに手を足に変えられたのだ。誰が一番偉いかの議論が耳に入ったからではなかろうか。ルカ22.24-27はそれに言及している。

 イスカリオテのユダはその後すぐ出て行った。その時、「夜であった」と、ヨハネは印象的な一語を残している。それはあってもなくてもよい一語に思えるが、実は意味深い。ユダが出て行った時、外は当然夜だったが、それはユダの心の闇をも象徴的に思わせるからだ。そればかりではない。なぜヨハネはユダが出た時、「夜であった」と書いたのか?出て行ったとき、ドアが開けられたからだ。晩餐の四回目の祝杯後、最期の祝福が終ると、「戸開き」(Open the door)があるから、それと符合する。ユダが戸を開けたというより、彼は戸開きのタイミングを利用して出たのだろう。その結果、戸外の暗い夜が見えたのだ。
 戸開きは預言者エリアの待望と、飢えた人や助けの必要な人を受け入れる象徴として行われる。だから、ユダが出て行った時、弟子たちが「貧しい人に何か施すように、とイエスが(ユダに)言われたのだと思っていた」(ヨハ13.29)と思ったのももっともだと合点がいく。

 ところで、「あなたがたも互いに足を洗わなければならない」とはどういう意味なのだろうか?日本でも昔は宿屋で草鞋を脱ぐと旅人の足を洗った。同じように昔のイスラエルでも、道を歩いた人の足は埃で汚れたから、客人の足を洗うのはもてなしの一つだった。ただし、それは召使の仕事だったが、主はそれをなさった。しかし、ここで「互いに足を洗うように」と言われたのは、身体の足のことではなかろう。大事なのは「足を洗い合う」真の意味だ。
 神の恵みで洗礼を受け、原罪も自罪も許された人は、主の弟子たちと同じく、ある部分を除いては清められた心の人だと言ってよかろう。しかし、体を清めても、素足で歩けば足がまた汚れるように、人の心も日常生活を送っていると、大きくはなくても小さな罪の汚れや垢がつかざるを得ない。だから、教会には赦しの秘跡がある。しかし、信者同志が互いの罪、欠点、過ちを非難し合っていたら、愛の共同体は成り立たない。だから、互いに赦し赦されなくてはならない。イエス様はそれを言われたのだ。
 それが現実生活でどれほど必要かは、私たちは痛いほどよくわかっている。が、なかなかできない。失敗の繰り返しだ。しかし、主は言われた。「あなたがたに新しい掟を与える。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。この掟が新しいのは、愛の基準が「自分がしてもらいたいように」という「自分」ではなく、「わたしが愛したように」とあるように主イエス様だからだ。実際、主は私たちをいかばかり赦し、いかばかり忍耐し、何度足の汚れを洗ってくださったことか。互いの足を洗い合うとは過ちや欠点を許し合うことだが、それは新しい掟の一実践なのだ。聖木曜日の過去と今をこう思い巡らしてみた。


 


 
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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