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御所見富士

 1月6日、車にスケッチブックと絵具を入れ、生まれ故郷の旧御所見村用田(現藤沢市用田)へ一人だけで行った。新年早々の富士山を描こうと思い立ったのだ。日本一の山なのに今まで描くことを避けてきた山だ。崇高な気高さを平凡な絵で貶めたくはなかったからだ。しかし、私の中にはいつも富士山を描くならあそこだという場所があった。少年の頃、学校へ行く時いつも見た富士山だ。特に雪に輝く冬は気品があった。頂上しか見えない富士など富士じゃない。近過ぎて山全体が見える富士もこれ見よがしではしたない。富士はやはり丹沢山系の背後に悠然と立つわが故郷の富士が一番いい。それが御所見富士だ。
 しかし、実際に行って見ると思っていたのとは少し勝手が違った。その日、富士山そのものはよく見えたが、スケッチにいい場所だと想定していた所にはがっかりするほど家が増えていたり、脳裏にあった眺めのいい道路わきは車の往来が激しすぎて停車していられなかったりで、ああ75年もいないと故郷もこんなにも変わってしまうものかと、嘆息させられたのだ。それでも、「あそこなら…」と期待した場所があった。榎木塚のある高台だった。神社の脇を上り、塚の傍に出ると、果たせるからな、そこにはこの絵の風景があった。 

御所見富士
    (.著作権佐藤余生風。コピー不可)

 幸いにも塚の下には駐車スペースがあった。そして、富士山が一望できる畑の方には近くに人家も電柱もなかった。そして「おお!」と、感嘆できる富士山が彼方に見えた。畦道には残念ながらフェンスがあり、眼下の少し遠くには家々がかなりあった。だが、それらは絵には描かなかった。人が作った物だから、人が抹消しても差し支えないと思ったからだ。もう一つ残念だったのは、この日の富士山には左側に雲がかかっていたことだ。伊豆天城山の方から湧いてきていた雲だ。しかし、これはそのまま描いた。自然は敬い、人がそれを恣意的に変えてはいけないからだ。
 御所見富士を遠望していたら、この塚の上で遊んだこともあったな、近くの畑で麦踏をしたこともあったな、などと遠い少年の日のことが脳裏に甦った。啄木もおそらく沢山のことを思い出したから詠んだのだろう。「ふるさとの山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」と。それは私の実感でもあった。
 2017年は早々といいものを見て始めることができた。新たなる年ぞ今年もよきこと多かれ。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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