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聖書の物原 (1)

 ある親しい陶芸家から、傷物や不出来な作品の捨て場所を、陶芸の世界では物原と呼んでいると教えてもらった。実際の物原を見たことはないが、その呼び名には味があるなと思った。ドライに言えば、それは割れた破片が重なる器物の墓場に過ぎないだろうが、その言葉には作品として一度は存在してくれた物へのかすかな愛情と、幾ばくかの敬意が感じられるからだ。
 しばらく前から、私は聖書にも陶芸の物原のような片付け場所があるといいなと思うに至っていた。特に旧約聖書には、傷物や不出来で価値の低い陶芸作品のように、聖書の物原へ出す方がよいと思われる教えや出来事が少なからず散在するからだ。しかし、そのことを取り上げるときりがなくなってしまうので、ここではむしろ新約聖書でも物原に出した方がよい場合があることの一例を挙げるだけにしようと思う。まさに今日それに出合ったばかりだからだ。

 私は「聖書と典礼」に従って1年半前から、毎日の聖書を毎日原典で黙読しているが、典礼A年の今日、12月13日(火)の福音はマタイ21.28-32であった。ギリシャ語原典には何ら問題がなかったが、その日本語訳に問題が見つかったのだ。新共同訳やフランシスコ会訳などには問題はないが、日本聖書協会やギデオン協会の訳にはこの章節の訳に歪曲があり、それは些少な問題ではないとわかったからだ。
 どんな歪曲かと言うと、原典と幾つかの訳を読めばわかるが、原典はこう書いている。「(イエスは話された。)あなた方はどう思うか。ある人に二人の息子がいた。父は最初の息子に今日ブドウ園へ行ってくれと言った。ところが、その息子は『嫌です』と拒否した。しかし、後で思い直し、働きに行った。父は他の息子にも同じように言った。すると、彼は『はい、父よ』と答えた。しかし、働きには行かなかった。その二人のうち父の望みに応えたのはどちらか?彼ら(祭司や長老達など)は答えた。『最初の息子です。』」
 どの邦訳も「最初の息子」を「兄」とか「長男」と訳している。それは原典ではπρωτοςと書かれており、ヴルガタ訳、仏訳、英訳などもそれぞれprimus, le premier, the firstと訳している。直訳すれば「最初の息子」だ。父がブドウ園へ行って働いてくれと、二人の兄弟のうちの一人に最初に言ったから「最初の息子」なのだ。だから、必ずしも兄とは限らない。しかし、長幼の序からすれば、兄弟の最初または一番目は兄だから、兄とか長男とか訳すのは間違いではない。日本語ではむしろ妥当であろう。
 他方、「他の息子」は原典ではετεροςだが、ヴルガタ訳、仏訳、英訳などはこれをそれぞれalterus, le second, the secondと訳している。本来は「他の息子」の意味だが、前者を兄としたならば、後者を弟とするのは筋が通る。間違いではない。従って、問題はその後にある。日本聖書協会訳は兄について、「彼は『お父さん参ります』と答えたが、行かなかった」と訳している。ここに歪曲があるのだ。原典はそれとまったく逆で、「彼は『嫌です』と拒否した。しかし、後で思い直し、働きに行った」と書いてあるからだ。
 では、弟の方はどうかとみると、日本聖書協会訳は、「彼は『嫌です』と答えたが、後から心を変えて、出かけた」と訳している。しかし、原典もほとんどの翻訳聖書も「その息子は『はい』と答えた。しかし、働きには行かなかった」としている。ここも原典とまったく逆の訳だ。あるいは原典の文章を勝手に位置替えしたとも言える。そのどちらかでなければ、このような訳は成り立たない。
 そして、そのような訳にしたから、結論も致命的な誤訳になった。「その二人のうち父の望みに応えたのはどちらか?」と言われたイエス様の問いに、「あとの者です」と答えさせざるを得なくなったのだ。しかし、原典では、人々は“O πρωτος”(= Primus, le premier, the first、兄または最初の息子)と答えている。従って、あとの者(または弟)と答えさせた同協会訳はまったくの歪曲と言わざるを得ない。ギデオン協会訳も同じで、これは英語と日本語の対訳だから、見くらべれば間違いは一目瞭然であるのに、なぜ間違いがまかり通っているのだろうか?恥だ。
 このような瑕疵がある以上、この訳は物原に出さざるを得まい。マタイのこの章節が傷物だとか不出来なのではない。むしろそれは見事な譬えの一つだ。ラテン語訳、英仏語訳なども正確であり、邦訳も新共同訳やカトリック教会の諸訳には間違いがない。たとえ間違いがあっても少々なら許容できる。しかし、上述のような歪曲は許容できるものではない。だから、訳者のご苦労には敬意を払うが、私は聖書協会やギデオン協会のこの章節の訳を聖書の物原に出すことにした。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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