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復活節飛び飛び感懐 (2)

 復活節とびとび感想(1)は、ヨハネ20.8の「見て、信じた」をどう解釈するか、その問題の入り口前で終わった。つまり、それを「使徒ヨハネが主の復活を信じた意味だ」と解釈すると、腑に落ちない点がいくつか出るから、その解釈はおかしい。従って、その腑に落ちない点を明らかにすれば、その解釈には無理があり、私の見解の方が理に適っていることがはっきりするはずだ、という所で終わったいた。今日はその腑に落ちない点を挙げてみる。
 
証明(1):
 もし使徒ヨハネがその時「見て、信じた」のが主の復活だったのなら、なぜ彼はそれを使徒ペトロに「主は復活したんだ」と囁かなかったのだろうか。最後の食事の夜、彼はペトロに頼まれると、裏切る者が誰かを主に尋ね(ヨハネ13.24)て教えた。復活後チベリアデの湖上で漁をした時も、最初に気付いて「主だ」と教えている。ならば、この時も-いや、こんな大事な時だったからこそ、-主の復活に気づいたのならば、間違いなくそれをペトロに言っただろう。きっと興奮して。ところが実際は何も言わなかった。そして、共に無言で帰った。それは何を意味するか。復活を信じたのではなかった証拠ではないか。
 ある人は言うかも知れない。「いや、口には出さなかったが、彼は心中では主の復活を信じたに違いない」と。しかし、もし仮に彼が心の中ではそう信じたのだったとしても、それを口に出して言わず、動作でも示さなかったら、その時彼が主の復活を信じたことを誰が知ることができただろうか。何も言わなかったのなら、信じなかったのと同じだ。いや、主の復活を信じたのではなかったから、彼は何も言わなかったし、言うこともなかったのだ。

証明(2):
 もし彼が墓ですでに主の復活を信じたのであれば、仮に道々ペトロには話さなかったとしても、弟子たちの所に戻ってから、主が復活したと伝えた婦人たちを「たわごとだ」と相手にしなかった弟子たちに対し、なぜ「婦人たちの言うことが正しい。主は復活された」と婦人たちを弁護しなかったのか?彼はかつて歓迎しなかったサマリアの村に対し、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言って戒められたことがある。不当なことには我慢できない熱血漢だったのだ。主の裁判の時は大祭司の邸宅に入り込む勇気もあった。
 そんな彼が不当にあしらわれていた婦人たちの傍で知らぬふりをしただろうか?もし彼が復活を信じていたのに黙っていて、彼女たちに加勢しなかったのなら卑怯者のそしりは免れず、「最初に復活を信じた」者どころではないだろう。ところが、彼が「主は復活された」(ルカ9.54)と言って加勢した記録は何一つ残されていない。それは何を意味するだろうか?その時の彼が信じたのは主の復活ではなく、加勢する理由がなかったからだろう。
 
証明(3):
 復活の朝、マグダラのマリアは「わたしは主を見ました!」と墓から息せき切って戻ってきて、復活の主に園で出会ったことの一部始終を興奮して知らせた。これで主の復活はもうまぎれもない事実と思えた。もしヨハネが墓を見てすでに主の復活を信じていたのならば、その状況ではマグダラのマリアに同調して、「私はまだ主に会ってはいないが、主の復活を信じる」と信仰を表明したはずだろう。また、「思い出してみると、墓で見た布は復活した主が丸めて置いたのだと考えると説明がつく」とも証言できただろう。
 ところが、そんな表明の記録は残されていない。もし彼がそのような表明をしていたら、それは重要な証言だから初代教会で言い伝えられ、福音史家の誰かが取り上げていたに違いない。少なくともヨハネ自身は覚えていて書けただろう。しかし、そういうものが何も残っていないということは、表明がなかったから残っていないのだと言わざるをえない。それはマグダラのマリアから主の復活が知らされても、なお彼が黙っていたことを意味する。なぜそうだったのか。彼もまだ復活を信じ切れずにいたからであろう。だから、彼が「見て、信じた」のは主の復活ではなく、主の遺体がないと急報された言葉だったと結論できる。

証明(4):
 ルカの福音書は婦人たちの動向や主から託された伝言、墓に走った仲間、エマオへ行った二人の証言などを書き残している。しかし、使徒ヨハネについては何も書いていない。奇妙ではないだろうか。もし彼が墓で主の復活に気付き、婦人たち共にそれを証言していたのなら、そんな大事な彼の発言や行動をなぜあのルカが一言も書き残さなかったのだろうか。答えは簡単。ヨハネには記録に値するそういう行動も発言もなかったからだろう。
 そこで結論となる。ペトロと共に墓に行った彼の行動力と勇気は、確かに他の使徒たちよりは抜きんでてはいた。しかし、信仰では他の9使徒と大差なかった。だから、彼だけが墓で主の復活を信じたと思うのは過大評価になる。ある人は彼が主に可愛がられた使徒だったからと特別視し、ある人は彼が晩年と同じく若い時から高い霊性の人だったみたいに買いかぶる。だから、そんな彼なればこそ墓で主の復活に気付けたと推察するのだろう。
 しかし、それは間違いだ。私は使徒ヨハネを非常に尊敬している。ただ若者の時はまだ普通だった。特別視すべきではないと言っているだけだ。彼は主の御受難近くになった時でさえ、地上的栄光の座を主に願ったゼベダイの息子の一人(マルコ10.35-41)で、他の使徒たちを憤慨させたのはその一例だ。人は急には変わらない。彼も他の使徒たちと同じ普通の人間だった。だから、主のご出現があるまでは皆と同様、主の復活を信じられずにいただろう。ゆえに、彼が墓で「見て、信じたのは」主の復活ではなく、マグダラのマリアが急報した言葉が本当だったと信じただけだ。私はこの解釈が妥当であると確信している。  

 ところで、「見て、信じた」の解釈問題で大いに横道に逸れてしまったが、元々の話題はマグダラのマリアが婦人たちの一人として一緒に帰り、弟子たちに墓でのことを一緒に知らせたのか、それとも彼女だけ単独で、他の婦人たちとは別々に知らせたのかという問題だった。そこが曖昧だと、それに続く事柄の解釈もちぐはぐになりかねないから、それを検証しておこうという考察だったのだ。そこで、ここからはその話題に戻ろう。

 ヨハネの福音書は週の初めの日の早朝、マグダラのマリアが一人で墓に行ったように書いているが、実際はそうではなく、他の婦人たち数人と行ったのだった。そこはすでにはっきりしている。行きは確かに皆一緒に出掛けた。しかし帰りも一緒だったのか、それとも帰りは別々だったのかというと、その点で福音書は一致していないのだ。では、本当はどうだったのだろうか?それがここでの問いだ。
 知らせを聞いた弟子たちの反応や行動を見ると、私の推理では、帰りは一緒ではなかったように思われる。つまり、マグダラのマリア一人は別行動を取り、他の婦人たちは一緒に帰ったと見ると筋が通ると思うのだ。この日の朝から夕方までの経緯を、4福音書の記述を突き合わせながら時系列的に考えてみると、婦人たちの行動と彼女たちの知らせを受けた弟子たちの反応は次のように展開したのではあるまいか。 

 その朝、墓に着いた婦人たちは入口の石が転がっているのを見た。マタイはそれを地震のなせる業にしている。洞窟式の墓は崖下に掘ってあったが、おかげで彼女たちは中に入れた。ところが、主のご遺体が無くなっていたのだ。彼女たちは愕然とした。ルカはそれを「(婦人たちが)途方に暮れていると」と表現している。特に愛情が人一倍濃かったマグダラのマリアはショックの余り強く反応し、弟子たちに事の次第を急報しようと一人で走り戻った。 
 天使の出現前に墓を去ったから、彼女は天使の言葉は聞いていなかった。だから弟子たちに「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのかわかりません」とだけ知らせたのだ。すると、それを聞くや否やペトロは飛び出した。ヨハネも続いたが、走るのは若い彼の方が早かったので先に墓に着いた。マグダラのマリアもその後を追い、墓に戻った。しかし、他の使徒たちはユダヤ人を恐れて、隠れ家から出ないでいた。 
 他方、婦人たちはマグダラのマリアが一人走り帰ってしまった後、途方にくれて墓にいた。すると2位の天使が出現し、「なぜ生きている方を死者の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ」という驚くべき事実を教えた。婦人たちは半信半疑、恐れと喜びの混じった思いで、急いで弟子たちに「主が弟子たちより先にガリラヤに行って待っておられる」という天使の伝言を知らせるため、ペトロとヨハネが着く前に墓を去った。
 おそらく婦人たちが来た時とは違う道で帰ったためだろう、2使徒は彼女たちと出会わず、行違ったのだと思われる。墓に着いた2人がそこで目撃したものはマグダラのマリアが知らせた通りの事実だった。だから二人は彼女の言葉が本当だったと信じた。そして、悄然と隠れ家に戻った。使徒を追って再び墓に戻ったマグダラのマリアも、途中で婦人たちとは出会わなかった。そして二人も帰ってしまった後、一人だけ墓地に残って泣いていた。
 婦人たちの方はというと、隠れ家に戻るとすぐ弟子たちに、自分たちが見たことと天使から聞いた主の復活の一部始終を知らせた。しかしその時点では、ペトロとヨハネはまだ墓から戻ってはいなかっただろうから、彼女たちの知らせを聞いたのは残りの弟子たちだった。だからであろうか、彼らは婦人たちの知らせに驚きはしたが、結局たわごとだと言って信じなかった。もしその場にペトロとヨハネがいたら、受け止め方は少し違っていたことだろう。
 
 二人の使徒は婦人たちの話を聞いて墓に走ったのではないと思われる。ルカの叙述ではそのように取れるが、ルカはここをざっと書いたので正確な時系列で書いたと見る必要はないだろう。二人はマグダラのマリアの知らせを聞くとすぐ走って出た。だから、婦人たちが隠れ家に戻ったとき、2使徒はその場にいなかった。墓から戻ってきて初めて彼女たちの報告を知ったのだと推測される。
 ちなみに、ルカ24.12は使徒ペトロが一人で墓に走ったと書いているが、同24.24では「仲間の者が何人か」と複数にしている。だから、墓に行った使徒はペトロとヨハネだったことはこれで確認できる。しかし、二人はご遺体がなくなっていたのを確認できただけだったから、気落ちして戻ってきたに違いない。
 
 ところが、戻ってきた使徒二人は、隠れ家がざわついた雰囲気になっているのに気づいただろう。そして、婦人たちの話を聞いてその理由がわかり、二人も驚いたに違いない。仲間たちの意見は割れていたのではなかろうか。もしマタイ28.9-10が伝えるように、婦人たちが墓から帰る途中で復活の主に出会ったのなら、なおさらだっただろう。マタイによれば、主は彼女たちの帰り道で出現された。彼女たちは主の足を抱いてひれ伏したが、主は彼女たちに、「弟子たちにガリラヤに行くように言いなさい」と伝言を託されたのだった。
 ルカはルカ24.12でも同22-24でもこのご出現には言及していない。しかし、ルカはその福音書のビジョンに不都合だったからか、復活後に主と弟子たちがガリラヤに行った出来事は省略している。ならばここでも何らかの理由で婦人たちへのご出現を省略した可能性も否定できない。ルカでは婦人たちに現れたのは天使だけだ。
 ところが、それだけでもインパクトはあるのに、もし主ご自身の出現が事実だったとしたら、話はぐんと違ってくる。婦人たちからそんな知らせを受けたら、弟子たちの反応はかなり違ったものになったはずだからだ。しかし、マタイが根拠もなく主のご出現を書いたはずがない。だから「もしも」ではなく、それは正典のれっきとした記述だ。そこで、ルカの記述に従った婦人たちの知らせは、それはそれとして、それをマタイの記述を組み込んで上書きすると、次のような解釈のリニューアルができると思う。

 マタイの記述に従えば、婦人たちは天使ばかりか、復活した主にも出会ってから隠れ家に帰ったことになる。だから、もう恐れも憂いも消え、満面喜びに溢れて急いで戻ると、墓と道であったことの一部始終を弟子たちに伝えただろう。ところが弟子たちの反応は期待外れだった。そんなことがあるわけがないと、彼女たちの知らせをたわごとあつかいにして信じなかったのだ。
 つつましい彼女たちもさすがに憤慨し、「私たちは確かに主に会ったのです。それなのにあなたがたは信じないのですか?男なのにユダヤ人怖さに隠れ家にビクビク閉じこもっていて、主のお言葉も信じないとは情けない?」と詰ったかも知れない。ペトロとヨハネが戻ったのはそんな言い合いの最中だったのではなかろうか。そして、エマオへの2人はそんな雰囲気の隠れ家を後にしたのだろう。 彼らが途中で出会った旅人姿のイエス様にした話しには、そんな婦人たちと弟子たちとの言い合いや、弟子たちの間に起こった「婦人たちの知らせを信じない多数派」と「ひょっとしたら本当かもと思った少数派」の口論などが感じとれるからだ。 墓から戻ったペトロとヨハネは後者だったはずだ。墓で感じた体験から、彼らは婦人たちの言葉はひょっとしたら本当かも…と思い始めていたと思う。そして、こう振り返ったのではなかろうか。「考えてみれば遺体の布は巻いて置いてあったが、死者は自分では布を外せないし、誰かが遺体を取り去ったのなら布を巻いたまま持ち去ったはずだ。なのに、あのようにちゃんと巻いてあったのは不思議だった。しかし、それが復活した主のなさったことだとしたら説明がつく。だとすれば、婦人たちの言うことは真実かも知れない」と。
 マグダラのマリアはそんな所に戻った。彼女は墓で泣いていたとき、一人の人に声をかけられた。はじめはその人を園丁かと思ったが、それは復活した主イエス様だったのだ。主だとわかると、彼女は感極まってすがりつこうとした。しかし、主は彼女を落ち着かせ、弟子たちに告げるべき伝言を彼女に託したのだった。そこで彼女は走り帰ると、弟子たちに「わたしは主を見ました!」と喜びに溢れて知らせ、主からの言葉を伝えた。その知らせのインパクトは甚大だったに違いない。それを聞いて弟子たちは非常に驚き、隠れ家の雰囲気は一変したと思われる。先に帰った婦人たちの知らせはそれによって信頼度がぐんと強まり、弟子たちの多くは「主の復活はひょっとしたら本当かも派」に傾いただろう。
 私が思うに、ペトロは彼女の知らせを聞いた後、もう一度墓に行ったのではないだろうか。私がそう思う根拠はルカ24.34にある。エマオへ行った2弟子も旅人が主だとわかると、エルサレムへすぐ引き返してくるが、彼らが到着すると、隠れ家では仲間たちが興奮して、「本当に主は復活して、シモンにも現れた」と言っていたからだ。しかし、主が彼に現れたのは隠れ家ではなく、外だったようだから、おそらく墓地だったのではないかと推理するのだ。マグダラのマリアが墓地で主に会ったと知ったから、彼もそこに行ったのだろう、と。
 以上が復活の日の最も納得のいく経緯だと思う。

 4月3日、復活節第2主日の福音はヨハネ20.19-31であった。それは週の最初の日の夕方、隠れ家の戸が閉まっていたのに主イエス様が弟子たちの真ん中に現れたことを伝える。週の最初の日とはユダヤ人たちの安息日である今の土曜日の翌日だから、今の日曜日に当たる。その日に主が復活されたので、キリスト者はその日、すなわち今の日曜日を「主の日」(Dies dominica)として聖別し、祝うようになった。これが新約の安息日だ。
 主が現れたのはその日の夕方だったから、日没前だったことがわかる。なぜならユダヤの習慣では一日は日没から翌日の日没までだったので、日没を過ぎたらもう週の最初の日ではなく、週の二日目になってしまうからだ。きっと主はご復活の日のうちに復活の証人となる人たちに会っておきたかったのだと思う。使徒たちより先に婦人たちに出現されたのは、男たちがびくびくして隠れていたのにくらべ、女性たちが朝早く墓に出向いた勇気と主への深い愛情に対するご褒美だったのだろうか。しかし、弟子たちにも会っておく必要があった。
 主は出現なさるとすぐ「あなたがたに平和があるように」(שלום לכם. .Shalom lakem)とあいさつなさった。そして、彼らの恐れをなくし、御自分であることを証明するために手とわき腹をお見せになった。主を見ると弟子たちは大喜びした。ところが、トマスだけはその場にいなかった。思うに、主がペトロにも出現されたことを知って、彼は自分も会いたいと思い、会えるかも知れないと思い当たる場所に出かけていたのではあるまいか。

 ところが彼は帰りが遅くなり過ぎた。だから、彼が戻ったときはもう主はおられなかったのだ。そこで、仲間の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言うと、彼は答えた。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と。人はよくこのことばを疑り深いトマスの不信仰の見本のように解釈するが、私はそうではないと思う。
 思うに、彼が不在だったのはどこかで主に会えないかと思って出かけたからだろうが、その願いとは裏腹に、むしろ会おうと出かけたばかりに主に会うチャンスを逃してしまったのだ。だから彼は悔しくて自分自身にも腹が立ち、憎まれ口を思いっきり言わないではいられなかったのだと思う。それは不信仰だったからではなく、むしろ復活の主に会いたい、主の復活を信じたいという思いの裏返しに他ならなかったのではないかと私は解釈する。
 そして、その願いの機会はそれから八日目の夕方、すなわち次の日曜日にやってきた。主は前回と同じように現れ、この日はトマスもいたので彼に言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と。そして、トマスが信仰告白をすると、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」と言われた。
 ヨハネの福音書本編は事実上ここで終わるのだが、この「見ないのに信じる人は幸いである」と言われたお言葉は、まさに信仰の正道を教えるものだと思う。だから、このお言葉の呼び水になったトマスの一見不信仰の標本みたいな憎まれ口に感謝しなくてはなるまい。
 復活徹夜祭の10番目の朗読聖書だった使徒言行録10.34-43は、神が人々を救いの福音に与らせるために、「見ないで信じること」を信仰の原則とされたことを明らかにしている。それは使徒ペトロがカイザリアで、百人隊長コルネリウス家の洗礼の時にした説教の中に出てくる。こういう言葉だ。
 「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。」
 神の救いが全人類向けであるならば、誰もがそれにアクセス出来るものでなければ不公平になる。しかるに、もしも救いに必要不可欠な真理、とりわけ主イエス・キリスト様の死と復活のような福音の真理を「見て信じなければならない」のなら、それは非常に少数の人たちだけに限られてしまう。たとえ同時代の同地域にいても、見ることができない人は圧倒的に多い。ましてや、後世の全世界の人々何百億人においておや、だ。そんな不公平は神のご意志ではない。
 ゆえに神は「前もって神に選ばれた証人」を通して信じる信仰によって、全ての人が主イエス・キリストによる救い与れるようになさったのだ。見て信じる証人は少数で足りる。しかし、その証人を通して見ないで信じ、信じて救われる人は無際限である。
 
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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