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わたしたちの本籍は天にある

 昨日、手を貸す運動Ⅱニュース12号発送作業をし、本日投函した。2年前の再始動時に比べれば6倍の数量だ。短期間にずいぶん回復できたと思う。しかし、支援者は全体的に老齢化してきている。今回のニュースでも一人レクイエムの知らせをした。よきアドバイザーであり中核的な貢献者だったC.M.さんの帰天は大きな痛手だったが、今はただ天におられる彼女のとりなしと保護を祈るばかりだ。サーボランのMさんのご主人も三日前に逝去し、義兄のHも同じ日に他界した。こんなに死者が多いと、自分の番も遠くあるまいという思いがよぎる。
 ところで、今日のミサ第二朗読は使徒パウロのフィリピの教会への手紙3.17-4.1であったが、そこには私が過日板材に墨書した、私達の帰天とかかわる一節、「わたしたちの本国は天にあります」(3.17)という言葉があった。フランシスコ会訳は「本国」を「本籍」と訳していて、私はこちらを採用して墨書したが、原文のギリシャ語はποριτευμαである。パウロは続けて書いた。「そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」と。
 この一節が私の記憶に強く残ったのは、フルトン・ウスラー著Modern Parablesにある実話を読んだからだった。その話の要約はかつて「日本語いっぽいっぽ」の最終章に教材として使ったが、それはこんなストーリだった。
 時代は18世紀。英国のある刑務所に一人の老女囚がいた。アルコール中毒で、酒のせいで犯罪を重ね、刑務所を出ればすぐ再犯で捕まり、その時は50回目の刑期だった。彼女は世を呪い、壁を叩き、看守に唾を吐きかけ、もう更生は絶対無理と思われていた囚人だった。ところがある時から彼女の行状が変った。その変化を起こしたのは二つの出来事だった。一つは差し入れられた聖書、もう一つは赤子連れの若い女囚が同房となったことだった。真偽のほどは知らないが、18世紀の英国ではまだそんな収監があったようなのだ。 
 何もない獄中だから、彼女は差し入れの聖書を何となく開いた。そして、読んでいくうちに、神が魂を照らして天の故郷に導くという教えが、なぜか彼女の心をとらえた。他方、同房の女囚母子といっしょにいるうちに、老女囚の心にはいつしか優しさが芽生え、二人を哀れに思って面倒を見たり、赤子が熱を出したときなどは夜通し眠らずに看病してやったりした。そして、母親が立ち直り、赤子がまともに育つことを願うようになったのだった。
 さて、時が過ぎ、死も遠くないとわかるほど彼女が衰弱してしまったとき、若い女囚は言った。「私に何か形見になるものをくださいませんか。それを大事に持って、ここを出たらまともに生きて行きたいからです」と。老女囚はそれを約束した。そして、翌朝から看守も母子もまだ寝ている間に、彼女は持ち合わせのスカーフに文字の刺繍を始めた。刺繍材料がない刑務所だったから、針の代わりはヘアピン、刺繍糸の代わりは髪の毛だった。己が髪の毛を一本一本抜いてはつないで刺繍したというその発想に、驚きかつ感動したのを思い出す。
 彼女は出来上がった刺繍を若い女囚に上げると、間もなく死んだ。しかし、形見の刺繍は残った。それは聖書の言葉で、まさに今日読まれたフィリピの教会への手紙の一節だったのだ。ただ彼女は“Our”を“Thy”と変え、古い英語で“Thy home is in Heaven”と刺繍していたが、この実話を読んで以来、「わたしたちの本籍は天にある」の一節は私の脳裏に刻み込まれて、忘れられないものとなった。
 この数日間に私の周囲では3人もの人が次々逝去した。「人は誰もが世を去るんだ」と、覚悟をあらたにする。しかし、「天の本籍」という言葉には何か嬉しい響きが感じられる。望ましい故郷があるという希望を与えてくれるからだろうか。そんなものはないと否定する者もいよう。いや、現代ではむしろそれが多数派だろう。しかし、死んだら何もないと思うより、天に本籍があると信じる方が、残された者にとってどれほど励みになることだろうか。人がどう思おうと、私は聖パウロと共にそれを信じる方に賭ける。

わたしたちの本籍



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No title

謹んでお悔やみを申し上げます。

「灰の水曜日」に告解し、その後のミサ中、
司祭の一言一句が身に沁みたことを思い出します。

「私たちの本籍は天にある。」
母の帰天後、死んだら何もない・・・と、いう強い誘惑に遭っていましたが、
今日のブログを拝読して、何か救われたような気持ちになりました。
女囚人の回心の話も、我が身と照らし合わせて沁みました。

「灰の水曜日」の一節、
「あなたがたはすでに報いを受けてしまっている・・・」
我が身を振り返る四旬節です。

最後まで残るのは愛。
帰天なさった方々の、ご冥福を心より祈ります。

No title

最近、世を去った方が身近に何人もいますが、残された人たちを見ると、「私たちの本籍は天にある」と信じている人と、そうでない人は違いますね。友人の死に、素晴らしい人生を生ききっておめでとう、と祝った人の言葉は印象に残りました。また、出棺を拍手で送った葬儀では、復活の希望をもっているからだ、と感銘を受けたのを思い出しました。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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