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遥かに素晴らしい道

 昨日、1月31日、教会年間第4主日ミサの聖書は、第一朗読がエレミヤ書1.4-5, 17-19、第二朗読が使徒パウロのコリントの教会への第一の手紙12.31-13.13、福音がルカ4.21-30だった。普段はやはり福音をメインに考えるのだが、この日は第二朗読が私の中ではウエイトを占めていた。ところが、説教はそれには全く触れなかったし、朗読者は前半の12章31節~13章3節を省いて、13章4節からだけしか読まなかった。これには納得できなかったから、私見を少々書いておこうと思う。

 朗読者が第二朗読の前半を省略したのは、司祭の指示があったのかも知れないが、「聖書と典礼」ではそこが≪≫で囲まれ、省略可となっていたからだろう。しかし、そこを省略したら、その朗読は時間を短縮できる利点はあっても、聖パウロがその後半で称揚した愛の教えを聴衆に十分わからせないまま終わるマイナス面があった。だから本来省いてはならない章節だったのだ。それなのに省かれてしまっては、聖パウロのメッセージが果たして十分伝わるのだろうかと疑問に思えた。私はむしろ12章27節まで遡って、その章節を視野に入れながら解釈するのが一番理想的だと思っている。

 その理由はこうだ。聖パウロは12章31節で「あなた方は、より優れた特別な恵みを得ようと努めなさい」(フランシスコ会訳)と勧めた。ところで、「より優れた特別な恵み」と言うからには、それより劣る恵みがあるはずだ。では、それは何かというと前の12章で彼が縷々語った霊的賜物に他ならない。他方には、それらに優る賜物がある。それが「より優れた特別な恵み」で、13章1~13章で語った愛がそれに当たる。だから、彼は「そこで、わたしは遥かに素晴らしい道を教えましょう」と書いたのだ。愛こそがより優れた特別な恵み、すなわち遥かに素晴らしい道だと。このより劣る恵みとより優れた特別な恵みの比較とコントラストがあってこそ、この朗読箇所は十全に理解できるものだと思う。
 
 では、より劣る恵みとはどんなものかと言えば、12章27~30節がそれを要約している。曰く。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行なう者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。…」と。
 これらはどれも素晴らしい賜物だ。だが、誰もがいただくものではないし、いただくのは一人一人が違う。そして、それより大事なことは、どんなに優れた恵みであるとしても、それらが最高ではでないことだ。それに対して彼が得ようと努めなさいと励ました「より優れた特別な恵み」は、誰もが普遍的にいただけるだけでなく、最高に優れた恵みなのだ。そして、愛こそがそれだ、と彼は教えた。ギリシャ語ではフィリアと呼ばれる愛とエロスと呼ばれる愛もあるが、使徒パウロがここで語るのはアガペという愛だ。

 13章初めの1-3節は、「もし愛がなければ」という仮定の表現で、6つの恵みまたは賜物を無意味だと否定している。その6つの恵みとは、異言、預言、教師、信仰、援助、殉教だ。これらは彼が12章で縷々語った霊的な各種の賜物に他ならない。ところが、そういう恵みをいくらいただいていても、もし愛がなかったら無に等しく、何の益もない、と彼は断言したのだ。すなわち霊的賜物のおかげで行う善行も、すべては愛がともなってこそ価値あるものとなると言い切ったのだ。
 ここで、私たち支援活動をしている者として、「全財産を人のために使い尽くそうとも、愛がなければ何の益もない」という警告に耳を傾けなくてはならない。全財産を人助けに費やすことは立派な善だ。だが、愛が伴わなければ、それも神様の前には空しいのだと心に刻んでおく必要がある。もう一つ、山を移すほどの信仰があっても、愛がなければ無に等しいと言われた例だ。プロテスタントは「聖書のみ、信仰のみ」を基本にしているが、信仰だけでは無に等しいと聖パウロ自身が言っていることに気付くべきだろう。

 愛がなければ、他の物事はすべて無価値だと言い切った後、彼は愛がどんなものかを描写した。それが13章4-7節だ。これはアガペと言う愛の本質的定義ではなく、愛をいろいろな角度や現象から見て述べた描写的定義だと言えよう。ただし7節は「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」と、私が嫌いな聖パウロの「すべて癖」が出ているので、「ちょっと…」と横に置く。しかし、4-6節は私たちの信仰生活や社会生活で大いに役立つ、実に優れた例だと思う。そこで半紙に墨書してみた。

愛は情け深い

 13章8節はアガペと言う愛の不朽不滅性を指摘している。9-12節はここでは飛ばしていいだろう。しかし、最終節の13節はこの上なく重要だ。福音的生き方の神髄が凝縮されているからだ。聖パウロは書いた。
信望愛
である、と。これこそ彼が「より優れた特別な恵み」と教えた「遥かに素晴らしい道であり、改心後の彼自身が生涯かけて生き抜いた道であった。そして、その道とは「神と人への愛に生きること」にある。

 してみると、アガペというこの愛を言葉で本質的に定義することは至難だ。できたとしてもあまり意味がないだろう。それよりもむしろ使徒ヨハネが第一の手紙4章7-13に書いたことを、「愛のある所に神在す」の二言で表現した方が適切だと思う。愛は神ではないが、神は愛であり、アガペの愛はそこから出る最も素晴らしい恵みだからだ。だから、その二言をカンナ屑の紙に墨書してみた。これをもって考察の結びとする。

愛のある所に




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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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