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闇の中に光が輝いた

 玉川学園の創立者故小原國芳先生は、毎年のクリスマス礼拝の式辞で、「人類には二人の偉大な恩人がいる。一人はお釈迦さま、もう一人はイエス・キリスト様です」と話し出すのが常であった。名言だと思う。イエス・キリスト様を神の子と認めない人も、人間として主イエス様がいかに偉大であったかは、そのご生涯を知る人なら誰もが認めるだろう。
 しかし、私はこの方を神である天の父が遣わしてくださった救い主、神の独り子であると信じている。だから、今日はそのご降誕を祝った。ミサには11時の降誕祭日中のミサに行ったが、この日の聖書は夜半のミサ、早朝のミサの聖書も全部原典のヘブライ語とギリシャ語で読んだ。夜半のミサの第一朗読はイザヤ書9章1節で、やはり格調が高い。それを墨書してみた。

img003.jpg

 これを今年のご降誕祭の見出しとする。

 福音はルカによる福音書2章1-20節までで、イエス・キリスト様がユダヤのベトレヘムでお生まれになり、天の使いが現れてその聖誕を羊飼いたちに知らせ、彼らが礼拝に行って、神を賛美しながら帰ったことを伝えている。そこにはイルミネーションも電灯もなく、地上の闇と動物小屋の暗がりがあった。御馳走もケーキもなく、パンと水だけがあった。暖かい夜具はなく、藁の寝床があった。貧しさの極限だったと言えよう。そんな中で神の御子は生まれた。
 しかし、日中のミサの福音はヨハネによる福音書1章1-18で、その赤子がどこから来られたか、その起源を語る。ルカが語った極貧状態の生まれとは何たるコントラストであろうか! 初めに言があった。言は神であった。万物はその言によって成った。「初めに神、天と地を創りたまえり。…神は言われた。『光あれ。』そして、光があった」とあるように、成ったもので、この言によらずに成ったものは何一つなかった。その言の内には命があり、その命は人間を照らす光であった。イザヤ預言者はその光が闇に輝くことを民に告げたのだった。その言は人となって私たちの間に住まわれた。それが降誕だったのだ。母マリアと養父ヨゼフにすべてをゆだねていた赤子は、天地を創造した言だった。
 日中のミサの第2朗読ヘブライ人への手紙1章1-6節も別の言葉でそれを教える。「神はかつて預言者たちによって、多くの形、多くの仕方で先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によって私たちに語られました。神は…御子によって世界を創造されました。御子は神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられます」と。
 これを受け入れるのがキリストの信仰者だが、これを受け入れなくても、人としてのその偉大さを認める人は、人類の2大恩人の一人に深甚の敬意を抱いてクリスマスを祝うことだろう。
   降誕祭、おめでとうございます
   天には神に栄光、
地には善意の人々に平和あれ。



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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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