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戦後70年の証言に立って

 長崎への原爆投下70周年だった昨日8月9日、カトリック町田教会では平和旬間の試みの一つとして、10時半のミサ後、聖堂で戦中戦後を生きた人の証言を聞く会が催された。戦時中、海軍時別年少兵だった私は1年3か月の軍隊生活をしたので、その証言者の一人として語るよう頼まれ、マイクの前に座った。
 ところが、それは講演スタイルではなく、司会者が二人の証言者にかわるがわる質問して、体験を聞き出す方式だった。司会者は要点を心得た問いを出した。だが、打ち合わせ文書がミサ直前に渡されたこともあって、私は話す長さをうまく調整できず、まだ肝心なことを話し終わってもいないうちに時間が来て、マイクをもう一人の話者に渡さなければならなかった。話す時間がなさ過ぎた。
 だから消化不良で、実際は話そうと思ったことの10分の1も話せなかった。特に、話しておかなければならなかった大事な点を話せずに終わったのが心残りで、催しが終わった後、そんな不甲斐なかった自分に腹が立って仕方なかった。おそらく聞いていた方々も期待を裏切られた思いだっただろう。いい年をしていながら、何とも情けなかった。

 しかし、戦前・戦中・戦後の体験から学んだまとめとして最後に言った「二つのダメ」と「二つのよさ」は、言えてよかったと思う。何人かからも「あれを言っていただけてよかった」と言われた。「二つのダメ」とは、(1)正しい情報を遮断されてはダメ、(2)戦争は絶対ダメの意味で、「二つのよさ」とは、(1)現日本国憲法は戦後得た最高の宝、(2)戦後70年の記憶は新約聖書の信ぴょう性の確認になるという意味だった。
(1)ダメの第一は真実を知らされない恐ろしさだ。戦前・戦中の体験から私はそれを痛切に学んだ。権力者は国民を己が意図に従わせたいとき、しばしば情報を操作して国民を騙し、極端な場合は情報を遮断して国民を真実から目隠しする。戦前の日本の軍政がそうだった。安倍政権も今仮想敵国中国の脅威を煽り、日本を集団的自衛権で戦える国にしようとしている。しかし、中国が自分にも破滅を招く戦争を仕掛けてくるなどということは杞憂だ。現実にはあり得ない。真の情報がないと人は容易に騙され、踊らされる。
(2)二つ目のダメは戦争だ。戦争は二度としてはならない。今の戦争では勝者も敗者も甚大な痛手を蒙る。犠牲者数はもとより、戦費の負担は膨大だ。米国は第二次大戦後何回も大きな戦争をして国力を消耗した。戦争は自分達が害を受けるから嫌だというだけでは理由が弱い。本来なら殺す必要もない相手を殺し、加害者にならざるを得ないから悪だと考えるべきだろう。「殺すな。」ここにキリスト者が戦争を悪とする最終理由がある。
 昨日の会に話者として出たもう一人のK婦人は、この点で私と考えが違った。彼女は明言こそしなかったものの、安倍政権の動向に賛同らしく、「平和、平和と言うだけでは国際状況の悪化には対応できない。軍事的圧力をかけてきている国がある。もし戦争になって負けたらどうなるか。現実的に考えなければならない」と発言した。中国を想定しての言辞であろうが、それは浅慮だし、キリスト者的ではないき思考だとも思った。
 彼女は「もし負けたらどうなるか」と言ったが、それは戦争を前提にした仮定だ。しかし、戦争しなければ勝つことも負けることもない。戦争を放棄した憲法を持つ日本だというのに、「負けたらどうなるか」と想定すること自体、もう前提が間違っている。そんな発想だから、負けないために集団的自衛権を認め、軍備を増やそうという論理になる。「現実的に考える」というが、現実的な思考が物事を根本的に解決したためしがあるだろうか。根本問題はいつも理想があって解決できた。現実的な思考は現実の枠に留まる。理想的な発想こそが現実の枠から飛び出して、根本的解決をもたらせる。彼女は「悪人に手向かうな。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ」と言われた主のお言葉を知らないのだろうか?
 (3)戦後私たちが得た最良の宝は現日本国憲法だ。これによって、国民主権、民主的な国の在り方、戦争の放棄、平和な生活、人権の尊重が保障された。明治憲法も法治ではそれ以前よりはましだったが、現憲法は天皇主権を否定し、軍政も否定した。私たちはよく「憲法を守る」と言う。しかし、実際は憲法が今まで国民を守ってきたのだ。明治憲法は59年続いたが、その間に外国と5回もの戦争があり、遂に日本を滅びの淵に立たせた。それに比べ、現憲法は68年も続いたのに、その間一度も戦争がなかった。戦争を禁じた9条があったからだ。おかげで一人も戦争で死なず、殺しもしなかった。
 しかし、今その宝物が毀損されようとしている。憲法を遵守する義務があるのは天皇、大臣、裁判官、公務員で、国民は彼らにそれを守らせる立場だが、安倍政権は憲法を守ろうとしていない。安全保障法案によって集団的自衛権を手に入れ、憲法9条の縛りを有名無実にしようとしている。憲法によって戦後70年間守ってもらえた平和と自由を失わないためには、今は私たちが憲法を改悪から守る番だと思う。だから、私はあえて声をあげている。
 (4)そして、二つ目のよい収穫は、戦後70年の振り返りが新約聖書の信ぴょう性を再確認させてくれることだ。それはこういうことだ。イエス様のご昇天が西暦30年頃だったとすれば、その70年後は西暦100年、ヨハネによる福音書が書かれた頃だということになる。ところで、私は70年前の海軍での生活や終戦時のこと、74年前の太平洋戦争開戦当時のことや貧しかった農家の生活、学校教育や子ども遊びなど、沢山のことを鮮明に思い出せる。だから、この事実と福音書を比較して思うのだ。
 私たちが70年前を鮮明に覚えているように、使徒たちや初代教会の人たちも、主と共に生きた日々の出来事と主のお言葉を、60年経っても70年経っても鮮明に覚えていたに違いない。だから、それを語り伝えた。ましてや聖霊降臨後35年から50年ぐらいしか経っていない期間に書かれたマタイ、マルコ、ルカの3福音書は尚更だ。モーセ五書とは違って、それらの証言は断然高い信ぴょう性がある。70年前の自分の記憶を思う時、そういう結論になるのだ。
 しかし、戦後70年の今後は、戦前、戦中、戦後の体験者がだんだん少なくなり、語り部になれる人は更に限られてくる。おそらく初代教会でもそうだったのだろう。だからこそ口伝だった福音を次第に文字にして、福音書ができていったのだろう。おかげで私たちは主の教えと事跡を知ることができるのだが、そこに一つのヒントがある。戦中、戦後の記憶も今後は次第に語り部に頼れなくなる。だが、記録された記憶があれば、それが語り部に代わって記憶を伝えられる。ところで、幸い現代は新約聖書時代の比ではなく、そういう記憶が文書、映像、音楽等に夥しく記録されている。だから、その戦争の記憶が消滅することはないと思う。

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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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