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愛犬たちの思い出あれこれ   

 愛犬ミニョンが死んでから約1ヶ月半が経った。思い出すと今もいとしく、生きていてくれたらどんなに嬉しいことだろうと、いまだに悲しみを覚える。しかし、最近はいないことにも慣れてきた自分にふと気づくことがある。忘れはしないが、不在感が薄まってきたのだ。時が心の傷口を少しずつ癒してくれることを実感する。そして、これでよいのだと思う。思い出は大切だが、忘却もまた欠かせないからだ。忘却は薄情ではない。人が生きていく上での断捨離の一つだと思う。それは心の負担を軽くする。

 ミニョンを思い出すと、つい他の愛犬たちのことも連想してしまう。ミニョンは室内で飼って毎日触れ合い、わが子のように慈しんだが、他の2頭は外犬で、触れ合うことがずっと少なかった。今思うと、これも悔いてしむことの一つだ。最初の愛犬ピトゥはコリーと日本犬の血が入った雄の中型雑種犬だった。隣家の律ちゃんが小学生の時に拾って来たが、親から飼育を禁じられたため、わが家が引き取ってやったのだった。
 ピトゥは非常に賢く温厚だった。その温厚さは、小型犬に攻撃されても反撃せず、弱虫に見られることすらあったほどだ。ミニョンもそうだったが人が好きで、噛みついたことは一度もなかった。私がそばを通ると、前足で抱き着いてくることがあった。私は邪険に振り払ってしまうことが多かったが、今思うと、いつも外にいて独りぼっちだったから、寂しくて甘えたかったのだと思う。もっとかまってやればよかった。可哀そうなことをした。スキンシップが足りなかったと、今になって悔やむ。 
 ピトゥの賢さは物覚えのよさでわかった。例えば、公園に遊具として立ち並んでいた自動車のタイヤの前で、「上!」と言うと、その上に飛び乗り、義経八艘飛びよろしくトントントンと渡ったものだ。乗せてやって教えると、すぐ覚えたのだった。また「ジャンプ!」と言うと、ブランコを飛び越え、また飛び越えて戻ってきた。その初めは公園の柵だった。入口が遠かったので、柵を跨いで入ろうとしたが、柵の下をくぐられるとリードを持ちかえなくてはならなかった。リードを持ったまま入るにはジャンプさせる必要があった。そこで、抱いて柵を越えながら「ジャンプ!」と言い、2度ほど繰り返したら、できるようになったのだった。以後、自転車すらも、「ジャンプ!」で軽々と飛び越えた。それを見た子供たちは「すごい!名犬ラッシーみたい」と驚くのだった。それは私の自慢だった。
 散歩の時は、自転車かバイクの左横をちゃんとサッサ、サッサと走った。これも始めからできたわけではなく、幼犬だった時、私が自転車に乗ってゆっくり走り、左側を伴走する訓練をさせたからだ。初めは前に出て前輪でひかれ、2度ほどキャンキャンと悲鳴をあげた。その経験から、横を走らないと痛い目に合うということを学習したのだ。家では鎖につないでいたが、散歩で成瀬山公園に行ったときは、林の中で放した。すると、土の道を全力で往復疾走した。本当に嬉しかったのだろう。毛を靡かせて走る姿は実に格好良かった。
 先日、アルバムを整理していたら、ピトゥの写真が2枚出てきた。ミニョンと違って、思えばほとんど撮ってなかったのだ。ところで、その1枚は犬小屋の上に寝ている姿だった。顔は見えない。その小屋は門扉前の石段の角に合わせ、私が作ってやった三角型の住まいだった。それを見て、今更ながら可哀そうなことをしてしまったと悔いた。鎖につないでいたから木陰にも行けず、夏場はどんなに暑かっただろうか。どんなに蚊に悩まされただろうかと思ったからだ。悔やんでも悔やみきれないほどの悪事を人にした覚えはないが、ピトゥには悔やみきれないほどの飼い方をしてしまったと、今になって後悔している。
 ピトゥも心から可愛がったつもりだったが、あんな小屋に住まわせていたから、フィラリアにかかり、たった8年という短い命を終えてしまったのではないかと悔いるのだ。私の罪は深いと思う。初めてのことで、飼い方をよく知らなかったからとは言え、今思えばピトゥに何ンと辛い生き方を強いてしまったことかと胸が痛む。済まなかった。ごめんな、と今あらためて謝りたい。

 愛犬のことを思い出すと、楽しかったこと、幸せだったことよりも、何だか済まなかったと思うことの方が多い。2番目に縁があったハッピーに対してもそうだ。この子はピトゥの死後3年目に来た雑種の雌だったが、やはり外で飼った。当時はそれが一般的だったし、あるフランス人が拾った末に困っていたのを引き取ったいきさつもあって、室内犬にはしなかった。「不要だけど飼ってやるんだぞ」みないな、恩着せがましい気持ちが私にあったのかも知れない。 
 しかし、ピトゥを鎖に繋いでいたことに後悔があったから、ハッピーには正反対の飼い方をした。居場所は屋外だが、フェンス以内なら庭のどこでも好きな所にいていいという放し飼いにし、自由にさせたのだ。だから、野生犬みたいに時には庭木の下に穴を掘り、時には軒下に寝たりしていた。臆病だったが、それほど人が好きではなく、来る人にはよく吠え、フェンス越しに人を追いかけるようなことをしたから、郵便配達さんなどには嫌われていた。
 白い毛並の小さい中型犬だったから実に平凡で、物覚えもピトゥほどよくなく、ほとんど芸は会得しなかった。自転車やバイクと伴走して走ることも覚えず、遠くに散歩することも好まなかった。せいぜい成瀬山公園に歩いてゆくぐらいだった。それにも拘わらず、わが家は息子たちも含めてハッピーにも愛情を注いだ。ピトゥで悔いたから、私はなるべくスキンシップもはかり、かなりよく遊んでやった。賢くはなかったが、愛らしい目をしていた。
 ただ、時には家に入れてやればよかったという悔いが残っている。ミニョンは水だけでなく雪も好きではなかったが、ハッピーは水は嫌いでも雪は大好きだった。外で自由だったから、雪が降ると庭中を走り回っていた。しかし、雨は別だった。庭木の下は濡れるので、よく軒下に避難していた。ところが、どんなに濡れてもピトゥの使った小屋には絶対に入ろうとしなかったのだ。他の犬の匂いが嫌だったのだろうか。だから、大雨の時は惨めな姿になることもあった。しかし、私は「小屋があるのになぜ入らないんだ」と思って外に居させた。今思うと、小屋にこだわらず、なぜ雨の時は玄関に入れてやらなかったのか、と悔やまれてならない。
 ハッピーは3頭の中では一番長生きで、13歳まで生きた。1986年から199年までだった。ある日、喉が腫れたので獣医に見せ、手術をしてもらうことになった。ところが、預けたその翌日死んでしまったという知らせを受けたのだった。飼い主もいない所で息を引き取ったとは、どんなに悲しかったことだろうと思う。お骨はお気に入りの場所だった庭の陽だまりの土中に壺ごと埋めて墓とした。
 ピトゥもハッピーも私たち家族に幸せと和みをもたらしてくれた。しかし、私の接し方は不十分だった。もう二度と犬の飼い親になることはないが、もっとこうしてやればよかった、ああしてやればよかったと悔やむことの方が多く思い出される。その悔いあったからこそ、ミニョンにはその分までふんだんに愛情を注ぎ、毎日を家族の一員として共に過ごし、話しかけ、遊んでやり、介護をしてやった。それがピトゥとハッピーにしてやらなかったことへの償いでもあった。
 虹の橋のたもとで、3匹は知り合っただろうか。仲良くなれただろうか。もう一度あの3匹に会えたらどんなにいいだろう。会いたい。もしも会えるとしたら、今度こそしてやれなかったことを存分してあげたい。

 さて、今日は8月6日、広島に原爆が落とされてから70年の日だ。本来なら、愛犬のことなどを語っている日ではない。だから、少々思ったことを書き加える。
 今日の朝日新聞朝刊には、ロシアの国会議長が米国の原爆投下を戦争犯罪として糾弾すべきだと発言したという記事があった。勿論それはその通りだ。2発もの原爆投下を命じた米国大統領故トルーマン氏とそれを実行した人々は断罪されてしかるべきだ。私はもうずっと前からそう告発し続けている。たとえ米国に友人知人がいても、米国がロシアよりずっと友好的な国であるとしても、悪事は悪事として指弾しなければならない。彼らは人道に反する大罪を犯した。
 愚かな戦争を始めたがゆえに310万人もの日本人を死なせ、中国、インドネシア、旧仏印、ビルマ、フィリピン、米国、英国人等、合計約2千万人近い人をも戦争で死なせた日本の当時の指導者、特に軍部の責任は重大だった。しかし、戦争だからと言って、民間人が圧倒的に多い大都市に、皆殺しが確実な原爆を落としたことも、無差別爆撃よりも非道な人道上許しがたい罪悪だった。それなのに、トルーマン氏らはそれを実行した。彼らの手も血に染まっていた。それなのに、正義の顔をして日本の戦犯を裁いた。彼らは偽善者であった。彼らも裁かれるべきだったのだ。しかし、まだ裁かれずにいる。
 しかし、ロシアの指導者が米国の原爆投下を非難する資格があるだろうか?彼らはもっと卑怯残酷なことをしたのに、その自覚がないのだろうか。ソ連は日本の敗戦直前に旧満州で参戦し、北方4島を占領した。ソ連は当時日本と不可侵条約を結んでいた。それを一方的に破って参戦したのは信義違反であり、すでに倒された相手を蹴るのに加わったような卑怯な行為ではないか。そして、戦後数十万人の日本兵をシベリアに連行し、数年間過酷な強制重労働に使った。その結果、数万人を極寒と飢えで死なせた。米国はそんなことはしなかった。ロシアのあのシベリア抑留も、人道に反する大罪で裁かれるべきだろう。だが、それには口をつぐんで他者の罪を非難している。恥ずべき偽善者ぶりだ。
 彼らは預言者ナタンが家臣ウリヤを死なせたダビデ王に、「それはお前だ!」(サムエル記下12.7)と指摘した言葉を知るべきだ。あるいは主イエス様が、「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。…偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすればはっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」と言われたお言葉を思い出すべきだろう。旧日本の指導者たちも、米国とロシアの指導者たちも、皆同罪なのだ。人のことを言える立場か。偽善者に他者を裁く資格はない。正しく裁けるのは神のみである。
 それにしても広島と長崎で落とされた原爆は一瞬にして23万人の命を奪った。投下後5年間では被爆死者は34万人に達した。しかし、不条理にもその時原爆で命を奪われたのは人ばかりではない。誰も言及していないようだが、広島と長崎でどれだけの犬たちが死ぬ羽目になったことだろうか。わが家の3匹の仲間のためにそれを指摘しておきたい。また、猫も鳥も虫も無数に死んだことだろう。原爆は人だけでなく、神が創造された地球上の素晴らしい命を根こそぎ奪う悪魔の武器だ。根絶しなければならない。根絶やしにするときは絶対にテロリストに手に渡らないようにしなくてはならない。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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