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“霊的な残飯”のその後

 新3年計画の「聖書と典礼」による聖書原典黙読は、始めてから一か月余り経った。先週は愛犬のミニョンが死に、手を貸す運動Ⅱでも悩み事がないわけではないので、鬱々とした梅雨の日々だが、そんな中でも新3年計画はしっかり続けている。他の人には興味のないことだろうが、今の私にとっては日々の過ごし方の基軸だからだ。そして、当初懸念した“霊的な残飯”はその後ずっと出ていない。つまり、新3年計画は順調に進んでいる。
 振り返ってみると、“霊的な残飯”が出た理由の一つは、新3年計画を始めた当初の3週間、毎日の朗読聖書原典が詩編を除けば全部ギリシャ語だったことにあった。聖書と典礼による毎日の聖書朗読は、第一朗読、詩編、福音で成り立つ。福音書の原典はギリシャ語だが、第一朗読は主として旧約聖書のどこかの箇所だから、多くの場合原典はヘブライ語だ。ところが、旧約聖書も続編と言われる書があり、それはヘブライ語では書かれていない。そして、この計画を始めた直後の2週間はまさにそれに当たる箇所だったのだ。
 第一週の第一朗読はシラ書、第二週はトビト記だったが、両書ともユダヤ人の使うマソら本には所収されておらず、七十人訳にある続編からで、原典はギリシャ語だ。その上、第三週の第一朗読は例外的だったがコリントの教会への第二の手紙だった。もちろん福音書原典はギリシャ語だから、当然毎日の聖書黙読がギリシャ語尽くしになったのだった。ところが、私のギリシャ語力はやまだ弱い。だからその日の分を消化しきれず、翌日へ翌々日へと読み残しが出た。私流にいえば、いわゆる“霊的な残飯”が出たのだった。
 しかし、霊的な残飯でも、残飯は捨てる。そう決めたら楽になったが、実は捨てて行かざるを得なかったのは3回しかなかった。たったの1ヶ月だが、やっていればギリシャ語でも要領がつかめるもので、読むスピードが少しは上がってきた。それに、4週目からは第一朗読が創世記になったので、もう残飯を出すことはなくなった。創世記はヘブライ語だし、もう一度は全部読んでいるので、あまり苦労せずに読み進めることができるからだ。
 自分でも驚いているが、2年9か月かけて旧約聖書を原典で完読したことで、私のヘブライ語力は上達していた。3年前と今との何よりの違いは、読む時に親しみの感じで読めることだ。辞書を引く回数もずいぶん減った。当然それに反比例して読むスピードは増した。ということは、知らず知らずのうちにかなり進歩してきたという証しなのだと思う。
 新3ヵ年計画は始めたばかりだから、ギリシャ語の進歩はまだまだだ。だが続けていけば旧約聖書原典通読の時と同じように、進歩が期待できると思う。認知症は気の持ちようや努力で防いだり治したりはできないと思うが、そうではない人なら、気の持ちようと努力次第で老け込みを防ぎ、ある種の進歩すら望めるのではなかろうか。私のような老人でも聖書を原典で読んでいるという事実によって、私はそれを証明したいと思っている。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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