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何が何だか… で、信じられたのか?

 教会典礼B年の年間第12主日福音は、マルコによる福音書4.35-41だった。主イエス様が湖の上で嵐を静められたエピソードのくだりである。神父様の説教は暗い宵闇の水の上での出来事だったから、天地創造の時に闇の下にあった水、出エジプト記の葦の海での渡り、生ける命の水など、水を中心に話された。今日は乳児の洗礼式があったので、それはそれでタイミングとしてはよいとは思ったが、水がテーマでは何かメインのメッセージからは外れているような気がしてならなかった。
 話を聞きながら、私はそれとは別の状況を思い浮かべていた。事前にその箇所を原典のギリシャ語とヘブライ語訳で読んでいたからだが、それはそのくだりに「ほかの舟も一緒であった」という一句があるのに着目し、そこを切り口にしてこの嵐の時の出来事を想像し、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と問われた主のお言葉を考え、それに答える私なりの答えを見つけることだった。

 「ほかの舟も一緒であった」という一句については、以前にも書いたことがあったが、私自身が長い間そうだったように、多くの人はこの記述を見過ごしているのではあるまいか。このエピソードはマタイにもルカにもあるが、この一句はマルコにしかない。だから貴重だ。なぜならこの記述から、私たちはこの時の弟子たちが皆イエス様と同じ舟に乗っていたのではなかったことを知り、そこから一つの有益な結論を引き出せるからだ。
 ところで、「ほかの舟も一緒であった」というと、その舟は一艘だけだったようにとれるが、実はそうではない。そのことにまず触れておこう。ヘブライ語訳を読んだとき、舟が複数であることに気づいた。おやっ?と思って、原典のギリシャ語を見直してみたら、舟はπλοιονでなく、πλοιαと複数になっていた。つまり、舟はイエス様の乗った舟以外に2艘以上あったのだ。ただ他の舟が2艘以上だったなら、ギリシャ語のbe動詞に当たるειμιの不完了過去3人称複数はησανでなければならないのに、3人称単数のηνだ。これだと1艘だったことになる。
 他の舟は2艘だったのか、それとも1艘だったのか?主語が正しいのか述語が正しいのか?そこで、それを確かめるため、ラテン語のヴルガタ訳、仏訳、英訳、独訳を調べてみた。すると、全部が主語も述語も複数であった。日本語訳はほとんどが「ほかの舟」と訳していて複数か単数かはあいまいなままだが、ただ一つ、ラゲ訳だけが「他の船等も」と訳して、複数であることを示していた。では、原典の述語3人称単数はどう理解するか?私はかつて聖書を学んだ時、マルコ福音書のギリシャ語は未熟だと聞いた。だとすれば動詞を複数の代わりに単数で書いてしまった可能性が強い。私はそう解釈し、この時「ほかの舟」は2艘以上あったと理解するのが妥当だと結論した。
 その結論に従えば、弟子たちは少なくとも全部で3艘の舟に乗り込んだことになる。仮に弟子たちが12使徒たちだけで、舟が3艘だったとすれば、1艘だけには5人乗り、他の2艘には4人ずつ乗ったと推測できる。もっとも、弟子たちが12使徒だけだったとは限らないから、その場合は1艘に6,7人ずつ乗ったことも考えられる。しかし、可能性の問題を論議しても始まらないから、ここでは乗ったのは12使徒だけで、舟は3艘だったと仮定して考察を続けようと思う。

 さて、ここからは想像力の出番になる。水に慣れた漁師が多かった12弟子たちとは言え、夜間の船出はけっして安全なものではなかっただろう。私たちはそういう状況を想像する必要がる。私はかつて3回、西アフリカのシエラレオネに行ったことがあるが、夜空の星はもの凄くよく輝いて見えても、地上は真っ暗だった。電気のない国では夜は町も暗闇一色になる。ましてや森や野原や湖沼は漆黒の闇だ。また、昔カナダのポワソンブラン湖で夜の湖上祭をしたことも連想する。舟にのって夜の湖巡りをしたのだが、その時もカナダの大自然の中の湖岸には灯りが何一つなく、もし遠くに目印のかがり火がなかったら、方向さえ皆目わからなくなるような真っ暗闇だったことを思い出す。

ポワソンブラン湖の夜の湖上祭
   ポワソンブラン湖、夜の湖上祭(1959年7月26日)

 その夜、舟出直後のガリラヤ湖は波静かで、漕ぐにも帆走にも問題はなかったかも知れない。しかし、明かりが灯心だった2千年前は計器も懐中電灯もない時代だった。家があっても湖岸から洩れる光はまったくなく、目指す対岸も真っ暗で何も見えなかったと思う。夜空の星と漁師の勘をたよりに進路をとるしかなかったはずだ。それに漁師だった弟子たちは、この湖では時々突風が起こって舟を転覆させ、昼間ですら溺れる死ぬ危険があることを熟知していただろう。だとすれば、そんなことが起きなければよいがと、きっと一抹の不安はあっただろう。
 ところが、何とその不安が現実となり、突如凄い烈風が襲って来たのだった。恐怖が彼らの顔を引きつらせたに違いない。それなのに主イエス様は艫でぐっすり眠っておられた。彼らは恐怖に耐えて我慢した。だが、波がいよいよ高く逆巻き、水が舟に流れ込み始めた。小舟だった。沈没するか転覆するか、もう持ちこたえられそうにない。恐怖の限界に達した彼らはついに主を起こした。そして、叫んだ。「先生、わたしたちが溺れ死んでもかまわないのですか!」と。
その後のことは福音書が語るとおりだ。主イエス様は起き上がると、風を叱り、湖に「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、湖上は大凪になった。その後で主イエス様は弟子たちに言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と。

 さて、ここで「待てよ」と立ち止まって考えなければならないことがある。イエス様はそう言われたが、いったい主が乗っていた舟にいたのはどの弟子たちだったのだろうか?という問題だ。なぜそんな問いをするかというと、イエス様のそのお言葉を聞いたのはその舟にいた弟子たちだけで、かなりの間隔をとって航行していた他の2艘の弟子たちにはそれが聞こえなかったか、聞こえても何を言われたのかよくはわからなかったに違いないと推察できるからだ。
 そうなると、主と同じ舟にいた使徒は誰だったのか?という問いは重要になる。主のお言葉となさったことを目撃したのは彼らだけだからだ。これは推測の域を出ないのだが、主と同じ舟にいたのはペトロ、ヤコブ、ヨハネではなかっただろうかと私は思う。あるいはペトロの兄弟アンドレはいたかも知れないが、私が3使徒ではないかと推察する理由は、イエス様が山上のご変容の時とかヤイロの娘の復活とか、大事な場面に伴われたのはいつも3使徒だったからだ。 
 もちろんそうでなくても構わない。大事なのは、主から直接そのお言葉を聞いたのが同じ舟にいた弟子たちだけだという事実だ。風が止み、波が静まった後でのお言葉なら、ひょっとしたら他の舟にいた弟子たちにも少しは聞こえたかも知れない。しかし風が唸り、波が逆巻いていた真最中に、イエス様が風と湖に命じられたお言葉が他の2艘にまで聞こえたとは思えない。それに、他の2艘にいた弟子たちはそれどころではなく、何とか助かろうと、イエス様のいた舟の弟子たち以上に必死だったはずだ。
 私たちは他の2艘の舟にいた弟子たちについて想像力が足りないのではないかと思う。湖上で嵐が起こったとき、彼らも主がおられた舟の弟子たちと同じ状況下にあったのだ。しかし、恐怖は主がおられた舟の弟子たちよりもずっと大きかっただろうと思う。主と共にいた弟子たちには「助けてください!」とより頼める主イエス様がいた。彼らはそれまで主が悪霊を追い出し、病人を奇跡的に癒すのを見てきたから、主なら何とかしてくれるかも知れないと思えた。だから実際、主をゆり起して助けを求めた。ところが、ほかの2艘の弟子たちにはそのように頼れる主はいなかったのだ。だからいかに心細く、恐怖はいかばかりだっただろうかと思う。

 以上の考察からは次のことがわかってくる。まず、その夜、舟の上でイエス様が言われたお言葉を聞くことができたのは、同じ舟にいた限られた弟子たちだけだったことだ。次に、ほかの2艘にいた弟子たちは目指していた対岸に上陸後、主と同じ舟にいた弟子たちからその舟で何があったかを聞いたのだと推察できることだ。考えてみると、それは山上のご変容の出来事と共通点がある。その出来事は「私が復活するまでは話すな」と口止めされていたから、3人の側近の弟子だけが知っていて、他の使徒たちは主のご復活後に3人から話してもらって初めて知った事実だったはずだ。 
 この湖上の嵐の中で言われたお言葉もそうで、そばで聞きかつ目撃した弟子たちが伝えたからこそ、他の弟子たちもそれを知ることができた。その点では、彼らは2千年後の私たちと同じ条件下にあったのだ。それは使徒たちですら、主イエス様が行われかつ話されたことのすべての目撃者、証人ではなかったことを教える。主はトマスに言われた「見ないで信じる人は幸いである」と。主は見ないで信じることを普遍の信じ方となさったが、この嵐の夜の奇跡も見ないで信じることを実践させる一つの試金石となさったのだ、と私は思う。
 ただ2艘の舟にいた弟子たちと私たちでは大きな違いもある。彼らはそのお言葉を聞けなかっただろうが、同じ湖上で嵐の猛威を体験していたからだ。イエス様と同じ舟にいた弟子たちは恐怖に耐えられず主に助けを求めたが、2艘の彼らには助けてくれる主がいなかった。おそらくもうだめだと絶望しながらも、同じ舟の者同士が協力して、舟内にどっと流れ込む水を必死に汲み出したことだろう。そんな時、荒れ狂っていた波風が突然やんだのだ。
 主イエス様が何をなさったかを知らなかった彼らは、突然起こったその変化に、「ええっ!!」と呆気にとられたのではなかろうか。どうしてこんなに急に暴風が止み、波が静かな大凪に変わったのか?彼らはいったい何が何だかわけがわからなかったに違いない。でも助かったことを神に感謝して対岸に着き、そこで初めて主と同じ舟にいた弟子たちから一部始終を聞いて、「そうか、そうだったのか!」と合点がいったのだろう。彼らは聞いて信じたのだ。

 しかし、主イエス様と同じ舟にいた弟子たちは主の奇跡を信じるまでもなかった。その奇跡をすぐそばで目撃し、お言葉を直接聞いていたからだ。それなのに、彼らはまだ主を十分信じてはいなかったようだ。だから主は、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と咎められたのだ。それは彼らが「主よ、ありがとう!」と感謝して喜ぶよりも、むしろ「非常に恐れて」、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」とひそひそ言い合ったことでわかる。イエス様がとてつもない能力を持った方だとは信じたが、何か得体の知れない人だとも感じ、畏怖を覚えたのだろう。それは主が彼らに求めておられた信仰とは違っていた。
 彼らのひそひそ話は、ほかの2艘の仲間たちに事の次第を話したとき、さらに増幅されたのではなかろうか。彼らは仲間の証言により、それがたったの一言で波風が静まった奇跡だったことは信じたが、主が神の独り子だからこそそうできたということには、まだ半信半疑だったように思われる。つまり、「まだ信じないのか」という問いへの十分な答えにはてはなっていなかった。弟子たちのそういうもどかしい信仰は聖霊降臨まで続いたに違いない。
 主が復活なさったのに信じなかったトマスはその一例だった。ガリラヤのある山の上で復活した主に会った時もそうだった。使徒たちはひれ伏したけれども、「疑う者もいた」(マタイ28.17)と書いてあるが、これもそういう信仰状態だったことを示す一例だと言えよう。この時、疑った者は複数として書かれている。しかし、その時の主はそれを咎めず、ただ彼らに全世界に行って福音を述べ伝えなさいと命じられた。間もなく聖霊が降臨すれば、「まだ信じないのか」という問いに、彼らが「信じます!」と十分答えるようになることをご存じだったからだろう。
 嵐を静められたこの奇跡は、私たちの信仰をも問うエピソードだ。主は私たち一人ひとりに、「まだ信じないのか」と問われる。それにどう答えられるか。この日の福音は私たちにそれを気づかせ、信を表明させるためなのだということがわかる。そして、この箇所は「ほかの舟」を視野に入れて考察するとき、より新鮮かつ興味深く理解できることをもわからせてくれる。

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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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