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新生日本の69年

 今日はあの愚かで悲惨な戦争が終わって69年目の記念日だ。あの時15歳だった私は今や84歳。何と長く生きて来たことかと思う。あの頃のことはもう遠い昔のような気がするのに、記憶は今も鮮明に蘇る。私の年代の日本人は戦争の悲惨さ、連合軍占領下の貧窮と食糧難、闇市、異常なインフレ、復興し始めた年代、驕り高ぶった高度経済成長期、バブル破綻、その後の経済的低迷、昨今の戦前回帰ムードなど、数えきれないほど時代の起伏を体験してきた。
 明治維新は江戸幕府体制を否定した日本の新しい出発だったが、終戦は新生日本の再出発だったと思う。明治元年から終戦までを数えてみると合計78年だ。終戦から今日までが69年だから、明治から終戦までの年数ともうそれほど差がない長い期間になった。ところが戦前の78年間は日本が外国と5回も戦争をした時代だった。日清、日露、第一次世界大戦、対中国15年戦争、対米英蘭太平洋戦争だ。それに比べ、1945年以後の69年は一度も戦争をしていない。これは何と素晴らしいことだろうか。世界に誇れる歴史だ。しかし、日本が戦争で犯してきた罪悪は忘れてはなるまい。
 今の若い人たちは戦争を体験していないから、その恐ろしさも悪も知らないという人がいる。そうかも知れないが、私は自分の体験を振り替えると、それは無理もないことだと思う。私が生まれたのは明治維新から63年目だった。少年の頃、父から日露戦争のことや関東大震災の話をよく聞いた。その時はずいぶん昔の出来事を話すものだと感じたことを覚えている。ところが、関東大震災は私の生まれるたった7年前だったのだ。日露戦争すら25年前だった。太平洋戦争の戦後25年と言えば1970年だった。それを経験した私にはまるで昨日のような感じだったが、経験していない人には昔々の話に思えただろう。わかる気がする。私にとって「25年前」の日露戦争が遠い昔に思えたのと同じだ。ましてや明治維新など、私にはまさに遙かに遠い昔のことと思えた。
 ところが、終戦語の69年は明治維新から私の誕生までの年月よりも長いのだ。戦後生まれどころか、高度経済成長もオウム真理教の地下鉄サリン事件も経験していない若者たちにとって、69年前の終戦など、はるかな遠い昔の事に思えて当たり前だと納得できる。では、終戦のことも、戦争で犯した悪や蒙った悲惨さも風化させていいのかというと、それは違う。やはり語り継がなければならない。生き証人がだんだんいなくなったら語り継げないかと言うと、そんなこともない。私も語り継ぐが、生き証人がいなくなったらいなくなったで、それなりの語り継ぎ方があるはずだからだ。
 その一例が福音書だ。主の福音は、最初のうちは生き証人たちによって語り継がれ、伝播されていた。しかし、それは数十年後には書かれたものとなった。新約聖書の福音書である。そして、主のことばと事蹟は、今では福音書が使徒たちや生き証人たちに代わって主の福音を伝えている。これは戦争をした日本の過ちと戦後平和を守って来た偉業を語り継ぐことにおいても参考になると思う。語り部がいなくなっても、真実を書いた記録や文学や映像や芸術でそれを伝え続けることができる。

 その日、私がラジオで終戦の詔勅を聞いたのは、第二相模野航空隊の兵舎の中だった。現厚木基地の綾瀬市側にあった練習生の基地だ。私たちは集められて聞いたが、昭和天皇の言葉はアクセントが常人離れしていた。その上ラジオを遠くから聞いたせいか、「しのびがたきを忍び、耐えがたきを耐え」とか「戦局我に利あらず」とか部分的にはわかったが、ほとんどは何を言っているのかよくわからなかった。しかし、将校や下士官たちが悲痛な顔をし、中には泣いている者もいたので、これはただ事ではないとは感じた。そして、後で説明を聞いて、やっと日本が無条件降伏をしたのだと知った。
 では、それを知って私が落胆したかというと、まったく違った。かなり前から軍隊の暴力性に嫌悪が募っていた私は、むしろ「よかった!これで家に帰れる」と心で思った。もっとも口には出せなかったが…だが、15歳の少年兵だった私は、今思うと恥ずかしいくらい無知であった。情報を十分与えられていなかったからだ。おそらく現在の北朝鮮の人々はあの頃の私たち少年兵と同じなのではなかろうか。その頃の私はなぜ日本が戦争に負けたかはわかっていたが、戦争の本質、その愚かさ、その狂気、その悲惨さはわかっていなかった。特に戦争に負けた意味については何もわかっていなかった。
 それからの長年月、たくさんのことを経験し、たくさんのことを学んできたからこそ、今は戦争が悪であり、二度としてはならないこと、戦争で解決できることはほとんどないこと。平和に優る戦争はなく、平和憲法は断固として維持しなくてはならないこと等を確信をもって言える。しかし、その時は単純で無知だった。
 ところで、敗戦によって国民が得た至宝の一つは平和憲法だと言えよう。それは戦争に負けたからこそもたらされた幸いだった。憲法学者たちによれば、憲法とは国民が為政者に守らせるルールだ。従って、国民が為政者の言うままに憲法の改変に同意するなら、それは家の鍵を泥棒が望むように替えるのと変わらない。自分を無防備にすることになる。ところが、阿部政権は言葉巧みにそれを実現しようともくろんでいる。集団的自衛権の閣議決定もその一歩だった。憲法の縛りを有名無実にしようとしている。だから、終戦記念日にはただ平和を叫ぶだけではだめだ。どうしたら平和を守れるかを考えないといけない。
 今日の朝日新聞には東條内閣の閣僚たちの写真が掲載されていた。私はすぐ気付いた。その中に岸信介がいたのを。彼が平和憲法を嫌って、自主憲法を作りたがったのはその写真でもわかる。彼は戦争犯罪人にはされなかったが、戦争を遂行した中心人物の一人だったのだ。だから、戦後も戦前の遺伝子を持ち続けたのだろう。敗戦を経験しても彼は本質的には変わらなかったのだと思う。そして、その孫安倍晋三氏は祖父の意志を継いでいる。だから、平和憲法を改変したいのだろう。
 私は終戦を明治維新に匹敵する新生日本の出発点だと思っている。今日はその69年目の記念日なのだが、その再出発を表現したものこそ国民主権、平和主義、民主主義、人権の保証をうたった新憲法なのだ。明治以後の日本との断絶がそこにある。戦後の日本は明治以後とは違った日本に生まれ変わった。その意味で、私は戦争に負けてよかったと思っている。負けたのは禍とも言えるが、災い転じて福となったのが実情だからだ。日本は平和憲法のおかげでここまで平和に存続してきた。ところが、それを壊そうとする勢力が今の日本の政治家には増えてきている。嘆かわしい限りだ。
 安倍晋三氏は靖国神社に参詣して、米国までも失望させたが、それは彼に後ろ向きの思想があるからだ。彼は戦後レジームからの脱却などというが、それは新しい思想ではない。そもそも靖国神社は戦争遂行のシンボルだった。従って、敗戦後は存続させるべきではない施設だった。戦後の日本は軍隊を廃止し、戦争をしない平和な国になった。それなのに一つだけ生き残らせてしまった「戦前」の菌がある。聖書の「古いパンだね」に相当する「戦争菌」というところだが、、それが靖国神社だ。それが今も日本社会に影響を及ぼしているのだ。
 靖国に参詣するとは、戦前思想の肯定を意味する。この終戦記念日にそれをつくづく残念に思う。靖国は戦没軍人の英霊を祀っているという。そして、そこに参詣する政治家たちは言う。英霊は国のために死んでいった。彼らのおかげで今の日本がある、と。しかし、それは違うと思う。もし彼らが生きて出て来たら、そういう嘘くさい美辞を拒絶するだろう。多くの兵士たちは無意味に死んで行ったからだ。いや、当時はそういう望まない死を国家権力によって強いられたからだ。安倍総理の言うような見え透いた美辞はむしろ戦没者を冒涜するものだ。彼らの死は国を救うために役立っただろうか?私の兄もルソン島のバギオで戦死した。むしろ戦ったからこそ、国は原爆被害のような無残な結末を招いたのではないか。終戦記念日は多くの無念の死を無駄にしないように、平和を希求する日でなければならない。 
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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