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33年という年月

 5日前に運動ニュース99号を発送した。まだ務めが0,0000001%ほどは残っているが、手を貸す運動はこれでほぼ完全に終ったことになる。今週の日曜日10月6日、10時半のミサに与ったとき、神様にそれを報告した。「主よ、あなたが私に託された仕事はすべて終わりました」と。
 手を貸す運動を終わりにする決心をした6月末からは暗雲の下を歩く思いだった。そして、運動の終止が決まった8月24日の臨時総会以後しばらくは、わが子の死を悼み悲しむような心境だった。ある人が言った。「辛い思いをしているのは先生だけではありませんよ。私たちだって苦しみを味わっているんです」と。たった7,8年の手を貸す運動参加経験だけで、33年の過去の苦労の重みを背負っている私の心痛と比べるとは!そういう呆れた神経が私を余計に苛立たせてきた。だが、今はすべてが終わった。
 私はもう立ち直っている。いつまでも落ち込んではいられない。人生で全てを捨てた経験が私にはすでに2回あった。だから、そういう試練では鍛えられている。今回も同じだ。打ちひしがれても立ち上がる。後ろを振り返るよりも前方を見る。84歳では人生の残りももうあまりないだろうに・・・と人は嗤うかも知れない。だが、私はそうは思わない。主の恵みで、気力は取り戻せた。残された日々があと1年だろうと5年だろうと、私の人生に引退はない。そして、そのはるか先の永遠の命を見上げている。だから、前を向いて歩く。これが今の心境だ。

 カトリック町田教会の祭壇の背後には復活の主イエス・キリスト様の十字架像がある。前の日曜日、それを見ながら自問自答した。復活の主は実質的に主を十字架の死に追い詰めた大祭司、長老、律法学者たちのところには出現なさらなかった。なぜだったのだろうか?もし、彼らに出現なさっていたら、「メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」(マルコ15;32)と罵った彼らは、顔面蒼白、地にひれ伏して、自分たちの間違いを後悔したことだろう。しかし、主はそうなさらなかった。出現なされば、復讐とも受け取られただろうし、何よりも信じるのは「十字架から降りて復活したことを目撃したから」ではなく、「見ないで信じる」ことにあったからだと思う。私も主のなさり方に倣おうと思っている。
 また、その時に思ったのは、主のご生涯も33年だったことだ。主のなさった救いの大いなる業に比べれば、手を貸す運動など大宇宙に対する塵一粒にも値しない。だが、それでも主と同じ33年の命だったことは何か意味のある一致のようであり、慰めにも誇りにもなる。それにしても、33年は長かったとつくづく思う。例えば大卒の青年が22歳で就職し、55歳の退職まで働く年数と同じなのだから、一人の人間の生涯労働に等しい長年月だったのだ。われながらすごいことだったと思う。こんなに続いたのは、やはり神と人とに祝福された業だったからだろうか。

 ところが、そんな長年月だったにもかかわらず、いろいろな出来事、場面は鮮明に覚えている。玉川学園での24年は平板でどの年に何があったかをあまりよく覚えていないのに、手を貸す運動の年月は33年がよく思い出せるのだ。例えば、1880年に玉大の礼拝センターで、初めてシスター根岸さんに支援を申し出た時のこと、その後の礼拝説教や講義で、シエラレオネの貧しい子たちのことを話して支援者を募ったこと、1987年に給食援助のため「コーヒー一杯の犠牲でシエラレオネの子に一ヶ月の給食を」のコピーをシスター根岸に入れ知恵したこと、1991年の最初のシエラレオネ訪問、苛酷な10年内戦時の苦労、その後の復興支援、2003年と2008年の現地視察、2008年の本の出版、25周年記念式典等々、記憶は克明に蘇る。
 シエラレオネの教育里子として今は立派な大人になったかつての少年少女たち。彼ら・彼女たちのあの顔この顔も思い浮かぶ。ところで、「ともに歩む会」が出来たが、それは「シエラレオネの人たちと共に歩む」とうたっている。だが、会員たちはいったいシエラレオネの誰を知っているのだろうか?3人を除けば、彼らは内戦後に手を貸す運動に入った人たちばかりで、苦難の時期を知らない。だから、手を貸す運動の真髄が理解できていなかったのかも知れない。

 いずれにせよ、手を貸す運動は終わった。運動ニュース99号への返事の電話やメールがいくつも来ている。運動の消滅を残念がり、同時に運動を評価してくれるものがほとんどだ。「余生風さんのしたことはノーベル賞にも値する」というのもあった。お世辞であることは百も承知だが、励ましてくれる心根には感謝でいっぱいだ。しかし、手を貸す運動がいくらかでも主のお役に立ったのなら、それで十分だ。賞や表彰は要らない。そういうものには無縁でありたい。私は代表でも皆さんの僕であり、窓口に過ぎないと自覚していた。そして、最初から黒衣に徹し、いつもシスター根岸さんを表に立ててきた。黒衣は顔を出さずに舞台から消えるのが役目だ。今私はそれを果たそうとしている。
 奇しくも今週の日曜日の福音ではルカ17章7-10節が読まれ、「あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことを果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」というまとめがあった。それを聞いたとき、これはまさに私に言われていることだと理解した。33年の手を貸す運動は私にとって「しなければならないこと」だった。「それをしただけだから、私はとるに足りない僕です」と主に報告しなければならないのだが、この日曜日にはそれがわかる前にそれを果たしていたということになる。私としては上出来だったかなと思う。
 振り返ってみると、手を貸す運動は支援をしたいから始めた活動ではなかった。する必要があったから、やむにやまれず始めたことで、成功とか世間の評価とかは一切考えなかった。ただ、「あなたも行って同じようにしなさい」の勧めのままに始めただけだった。だから純粋だったし、神様だけにではなく、人々にも信用してもらえたのだろう。それは支援の必要がもうそれほどないのに、支援活動をしたいから支援をするのとは大違いだ。そういう支援活動は支援を作り出しているに等しく、たぶんに自己満足の行為となる。それは神様の手伝いというよりは、自分たちの「したいこと」に他ならないと思う。世の中にはそういう支援活動をする人たちもいるが、主の福音を信じる者はそうであってはなるまい。今週の感想である。
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No title

支援活動は、決して自己満足の為にやってはいけないと思います。本当に援助が必要だと判断した時に手を貸して上げ、それが必要でなくなったと思った時には、何がなんでも援助を続けるのでなく潔く手をを引くべきではないでしょうか?そして他の必要としている人たちへ同じように手助けをしてあげる、何事も始めと終わりがあるように、現実を正しく見極めることも大切ですよね。いろいろ考えさせられます。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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