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希望はあるか

 最近は聖書のことばかり書いているから、今日は少し社会に目を向けてみる。先月米寿になったが、長く生きて来たなと振り返る私は今、世界と日本が激動しているのを見ている。思えば貧しくてもゆったりと情報が少なかった昔の方がよかった。発達して社会が刻々変わり、核兵器の脅威を実感する現代には落ち着きや安らぎの良さがない。米国では品位のない大統領が喚き散らし、北朝鮮では愚かな若デブがミサイルの火遊びをしている。実に嫌な時代になった。
 日本では人心を操ろうとする危巧言令色の総理が権力の座に居座り、妖婦的な政治家が希望の党なるものを立ち上げた。だが、そこに希望はあるか?キエルケゴールは「絶望には可能性のない絶望と、可能性でしかない絶望がある」と言ったが、希望の党はその後者ではなかろうか。しかし、立憲民主党も生まれた。政治的には私はこの党には希望が持てる。戦後の日本が獲得した平和と国民主権と個人の尊厳を尊重しているからだ。
 それにしても世界はこれからどうなっていくのかと思うと暗澹たる気分になる。北朝鮮は軍部が牛耳った戦前の日本に似ているところが多い。もし経済的圧力に耐えかねて真珠湾攻撃みたいなことをすれば、それは破滅を招く。今は昔の比ではなく、北朝鮮が水爆を敵視国に落とせば、数百万が死ぬかも知れない。しかし、それは米国には北朝鮮の百倍の原爆があるから必ず反撃を受け、同等の犠牲では済まず、北朝鮮は壊滅するだろう。そんな悪夢は見たくないものだ。原爆で威嚇し合うほどの愚行はない。
 こんな時代だからこそICANはノーベル平和賞を受けたのだろうが、これは喜ばしいことだった。人類は一度知ってしまった核兵器の知識をもう消去できないが、毒ガスを禁止したように、せめて全世界に核兵器を禁止させなければだめだ。しかし、日本現政府はその禁止条約に賛成していない。私は安倍が言うのを聞いた。「核兵器保有国が禁止に反対しているのに、禁止条約を認めても意味がない」と。核兵器保有国が認めなのなら、認めさせるよう努力するのが被爆国の義務ではないか。彼の論理は逆だ。
 核は兵器だけでなく、原発も全廃すべきだと私は思う。原子力は人間が制御しきれない物質だ。事故が起きたら途轍もない損失を招くことは東日本大震災で証明された。そして、原発がなくても生活が可能なことも震災後に証明された。目先の利益のために超危険な物を存続させるべきではない。たとえ原爆が落ちなくても、原子力発電所がミサイルで攻撃されたり、テロリストの手にわたったりしたら、原爆に等しい恐怖の事態が起きかねない。政治家はこういう安全保障をこそ考えるべきではなかろうか。
 私たち一般庶民は世界のパワーバランスとか暗い趨勢とかがわかっても、孫子のために心配して、祈りながらそれを見守るしかない。しかし、日本のことなら何らかのことはできる。今、衆議院選挙が始まろうとしているが、それもできることの一つだ。暴挙の解散だったが、これを選択のやり直しができるチャンスだと考えれば、それを活かせる。理想の候補者がいない?ならば次善を選べばよい。少なくとも私は安倍をやめさせたい。顔も見たくない。私が評価する戦後の時代を否定する彼とは相容れないからだ。もし私が立候補するとすれば、平和憲法堅持、原発廃止、財政再建、そのための法人税と消費税値上げ、税金によるで均一年金の支給を基本政策にする。しかし、立候補はしないから、そのいくつかを満たす人を選びたいと思う。
 希望の党には希望はもてないが、私には次元の違う私なりの希望がある。「最後に残るのは信仰と希望と愛である」と言われたその希望、「神に希望を置く者は幸い」と言われるその希望だ。「見捨てない誰かがいてくれるとき、そこに希望がある」ということを、私は貧しい海外の子たちの支援活動を通して学んだ。日本にも世界にも、普通に生きる人々を裏切らず、見捨てない指導者はいると思う。だから希望はある。しかし何よりも、時代がどんなに嘆かわしくなり、どんな事が起ころうとも、私たちを決して見捨てない神がおられる。だから私には異次元の希望がある。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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