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イエス様は本当にそう言われたのか?

 去る9月3日、年間第22主日A年の福音はマタイ16.21-27であった。イエス様の受難と復活の最初の告知がある箇所だ。それを聞いた使徒ペトロは、「とんでもない、そんなことはあってはなりません」とイエス様をたしなめたが、逆に「サタン、引き下がれ!」と、こっぴどく叱られたのだった。そしてその後、主は弟子たちにこう言われたとある。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」と。
 そのお言葉はほぼその通りだったと信じるし、私はその心構えの大事さを肝に銘じている。だが、「自分の十字架を負って」という一句がこの時言われたということにだけは疑念が湧いた。主は本当にそう言われたのだろうか?と。なぜなら、受難告知のお言葉にはご自分の十字架上の死には言及がないからだ。つまり、唐突に弟子たちの十字架が出て来るからだ。しかし、これは福音書の信ぴょう性にも触れるような恐れ多い疑問だ。そこで、すでに1週間以上経ってしまったが、その疑問をクリアできるよう一考してみた。

 私は「自分の十字架」という部分だけは、イエス様が本当にこの文脈の中でそう言われたのだろうか?という疑問を拭えなかった。そこで次のような仮説を3つ立てててみた。
 一つは、何のことかわからないことを主が弟子たちに要求したとは思えないから、この場では言われたお言葉は違うものだったのではないかという仮説だ。
 二つめは、苦難の象徴としての十字架という言葉は、主の初代教会の弟子たちの間で使われ出しているから、福音史家がそれをここで使ったのではないかという仮説だ。
 三つめは、3回にわたる福音書の受難告知に出て来る「十字架」という言葉を考証すれば、元々はこのマタイ16.24の箇所で言われたのではないという結論に至るが、それがイエス・キリスト様の真正の言葉であることは間違いないという仮説だ。

 仮説一を考証してみる。主イエス様はマタイ16章で弟子たちに主に従う者の覚悟を求められた。しかし、その時主はまだ十字架につけられてはいなかった。そして、最も注目すべきは、この時の受難告知では、ご自分が十字架上で死ぬことが告げられていないことだ。他方、弟子たちは当時のイスラエル人一般と同様、十字架というものは罪人の処刑台だと認識していたから、十字架など主イエス様にも自分たちにも無関係だと思い込んでいたはずだ。従って、その時点での彼らには主の十字架も「自分の十字架」も想像することすら不可能な全く無縁の物であったと言わざるを得ない。
 だとしたら、そんな彼らに事前の説明も知識も与えず、いきなり「自分の十字架を負って、従いなさい」と言っても、彼らにその意味がわかっただろうか?いや、何のことやらさっぱり理解できなかったに違いない。ところで、弟子が全く理解できないことを、はたして主は要求しただろうか?これは神秘の啓示ではなく、その場で選択を求めた弟子としての覚悟だった。わからなければ選択のしようがない。なのに主が彼らに選択を迫ったとはとうてい思えない。
 だから、主が本当にこの箇所で弟子の覚悟を話されたのだったら、「自分の十字架を背負って」という言い方はなさらなかったのではないか。例えば、「自分の十字架を負って」の代わりに、「自分の重荷を負って」とか、「自分の苦難に耐えて」とかの言葉を使われたのではないか。しかし、やはりそうではなく、イエス様はやはり確かに「自分の十字架を負って」と言われたのだとするならば、その場合は二つの可能性を考えないと説明がつかない。
 二つの可能性の一つは、主がそう言われたのは元々この箇所ではなくて、主ご自身が十字架上の死を知らせた他の箇所だったのだが、それを福音史家マタイがこの箇所に持ってきて使った可能性だ。それなら主の十字架への言及がないのに、弟子の十字架が語られることの説明はつく。もう一つの可能性は、実際は主の十字架上への言及はあったが、福音史家がそれを書き洩らしたと言うものだ。
 他の箇所で書かれた「自分の十字架を負って」という表現が、この箇所に持って来られたという仮説は説得力があるので、仮説3で取り上げる。しかし、福音史家の書き漏らしは単なる推察で証明しようがない。従って、支持する価値はないと言わざるを得ない。他方、「自分の十字架を負って」の代わりに、本当は「自分の苦難(重荷)を負って」と言われたのではないかという仮説は示唆には富むが、見過ごせない弱点がある。
 「十字架を負って」をそう言い換えると、迫力も意味の豊かさも大きく減退してしまう。弟子たちの覚悟は単に苦難に耐える精神的な強さではなく、主に倣った「十字架を負って」であってこそそれたりうるからだ。やはりここは「自分の十字架を負って」という表現でなければ意味の命が失われる。それにこの仮説ではマタイ10.38にもあるほぼ同じ文言の存在の説明がつかないのだ。従って、この仮説は疑問のクリアに不十分であることがわかった。

 二つ目の仮説は、使徒言行録以後の記述に、弟子たちが十字架を苦難の象徴として使っている事実から出発する推理だ。特に使徒パウロの手紙には、ロマ6.6、ガラテヤ2.20、3.1、5.24)、フィリピ2.8等、「キリスト共に十字架につけられ」などの表現が顕著だ。「主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、…わたしは世に対してはりつけにされているのです」(ガラテヤ6.14)は典型だ。
 これらの箇所には「自分の十字架」という表現は多くはないが、そのお手本である主の十字架を力強く表明している。お手本が明示されれば、呼応して「自分の十字架を負う」という考えと表現が生まれることは想像に難くない。そして、実際そうだったと推察できる。弟子たちは「主が十字架上で苦しみを受け、人類の救いのために自己を捧げられたように、私たちもそれに倣って自分を捨て、自分の苦難や重荷を背負って、主に従わなければならない」と、弟子としての心構えを堅持したことであろう。
 この場合、「主の十字架」は単に苦難を耐え忍ぶことの代名詞ではなかったのだ。それは迫害、心身の苦痛、難儀、無理解、、侮辱、不当な扱いなど、主が受けた全ての苦と悪を表現するだけでなく、深い愛と赦しと贖罪、そして、神の救いの全貌をもわからせる比類ない象徴なのだ。それを理解したからこそ、初代の信者たちは「主の十字架」を深く尊崇し、自分たちもそれが内包する意味にできる限り与るため、「自分の十字架を負う」実践をした。
 だから、主イエス様が負われた十字架に倣って「自分の十字架を負う」という言い方は、使徒たちや弟子たち、初代教会の信者たちの間で瞬く間に広まり、定着したのだろう。そして、ある福音史家がそれをイエス様のお言葉として福音書に入れた。そこで他の共観福音史家もそれに追随した。こうして、その表現は慣れ親しまれ、だれも疑問を持たれないほど当たり前になったのではないか。これがこの仮説の論理だ。
 しかし、それだと「自分の十字架を負って」という言葉がイエス様まで遡らず、実際は弟子たちの時代に形成されたことになるが、そこには致命的な弱点がある。なぜなら、もしそれが元々イエス様のお言葉ではなく、福音史家があたかもイエス様が言われたかのようにそれを書いたのなら、甚だしい虚偽と不敬の罪を犯したことになり、福音書の信ぴょう性を著しく貶めるからだ。従って、この仮説も是認の価値はないと言わざるを得ないだろう。

 三番目の仮説は、福音書の受難告知に出て来る「十字架」という言葉の考証が根拠だ。共観福音書には主イエス様が受難を予告した箇所が3回あるとされている。1回目はマタイ16.21-28(=マルコ8.31-38、ルカ9.22-27)、2回目はマタイ18.22-23(=マルコ8.31-38、ルカ9.43-45)、3回目はマタイ20.17-19(=マルコ10.32-34、ルカ18.31-34)だ。しかし、マタイ17.9(マルコ9.9、ルカ9.31)、同26.2も受難告知と見ていいだろう。ちなみに、ヨハネの福音書では受難の「時」は散見するが、「十字架にかかる」とか「自分の十字架」とかいう表現は出てこない。
 まず注目に値する事実は、使徒ペトロが叱られた後の第1回受難告知(マタイ16.21-28)には十字架という言葉がないことだ。そこは「エルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活する」と書かれ、十字架の文字はない。2回目の予告でもそうだ。次に注目に値する事実は、主がご自分の十字架上の死に言及されているのは、3度目の予告(マタイ20.19)と過越し祭前のマタイ26.2においてだけだということだ。そして、驚くべきことにマルコとルカでは「十字架」への言及が皆無なのだ。
 ところで、受難告知1回目(マタイ16.21-28)にも2回目(マタイ18.22-23)にも主ご自身の十字架への言及がないということは、弟子たちが「自分の十字架を負って」と言われた時、主の受難は知らされても、十字架につけられて死ぬことはまだ知らされていなかったことを意味する。つまり、「自分の十字架」のモデルになる「主の十字架」がまだわかっていなかったわけだ。それなのに、突然「自分の十字架を負って」と言うだろうか?たとえ言われても、弟子たちにその意味がわかりえただろうか。全然理解できなかっただろう。

 マタイ10章38節を読むと、その疑問はさらに強まる。なぜなら、その箇所はまだ福音宣教の初期だったから、もちろん受難の予告はないし、ましてや主の十字架上の死への言及などはない。従って、弟子たちはまだ十字架のことなど露知らず、想像すらしていなかったはずだ。ところが、主は弟子たる者の覚悟として、「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と言われた、と書かれている。
 これは考えてみるとおかしいことがわかる。この箇所での言葉はマタイ16章とほぼ同じだが、それは聞き手が話された言葉を当然理解できることを前提にしなければ成り立たない一節だ。それなのに、それまで全く聞かされてもおらず話題にもなっていない十字架という言葉がここで突然初めて現れているからだ。ご自分の十字架に言及がある3回目の予告以後なら納得できる。しかし、それ以前の場合は唐突としか言いようがない。マタイ10.38の場合は特にそうで、全く筋が通らないのだ。
 従って、この2箇所に出てくる「自分の十字架を負って」という言葉は、実際はイエス様が言われたものではなかったか、あるいは、本当にイエス様のお言葉だとすれば、この箇所で語られたのではなかったということになる。真実はそのどちらかだが、前者は弱点ゆえに不十分な仮説としてすでに除外した。従って検証に値するのは後者だ。つまり、このお言葉は真に主のものだが、実際に言われたのはここではなく、他の時と場だったということだ。
 それなのに、ここに書かれていることが至極当然のようにその通りと受け止められ、疑問も持たれないのは、イエス様が十字架を負われたことをその後の誰もが知っているからに他なるまい。しかし、実際はペトロが叱られたマタイ16章の時点においてさえ、まだ誰も主の受難が十字架で完結するとは知らされていなかった。ならば、弟子たちも「自分の十字架」とは何かをわかっていなかったはずだ。従って、その表現は確かにマタイ16章にあるが、主がその表現を使われたのがまさにその時点だったとは考えにくい、と言うことになる。
 それに対し、「自分の十字架を負って」という表現は、ご自分が十字架で死ぬと言われたマタイ20.19の3回目の受難告知以後であれば筋が通るし、納得できる。ところが、そこでは逆に弟子の覚悟を求めたお言葉は書かれていないのだ。それには「しかし、そのお言葉はそこで言われたのかも知れない」という反論があるかもしれないが、それは推論でしかない。他方、弟子たちの時代にできた言い方だという仮説はもう除外済みだ。

 そこで、私はこう考えた。この「自分の十字架を負って」という表現は、やはりイエス様のお言葉に違いない。しかし、言われたのはマタイ10章や16章の時点ではなく、ご受難間近かご復活後の40日間ではなかっただろうか。それがいつどこで言われたかは特定できないが、おそらくその期間のしかるべき機会に言われたのだと推測する。そして、弟子たちは主が地上を去った後それを思い出し、弟子たる者の覚悟とした。そして、それは信者の間に広まって定型となるほど人口に膾炙して行った。
 だから、マタイ福音史家は使徒ペトロが叱られた後に、イエス様が弟子たる者の覚悟を求められた場面を書いたとき、本当はもっと後でできたその表現を、あまり気にもせず前倒しで使ったように思われる。マタイによる福音書を少しでも学んだ人なら、彼が正確な時と場所にはこだわらず、種々の教えを山上の垂訓に集めたり、譬えや奇跡をまとめて書いたりしたことを知っている。だからルカはそれらをばらして正確な場所に描き直したのだった。
 それに対し、ある人はこう言うかもしれない。マタイ16章でその言葉を言われた時、イエス様は実際には受難の告知の中で十字架上の死も告げておられた。しかし、福音史家がそれを書き漏らしたのだ、と。つまり、ご自分の十字架への言及がないのに、弟子たちに「自分の十字架を負って」と言うのは筋が通らないというが、福音史家の書き漏らしを認めれば、筋は通るという仮説だ。しかし、それは受難告知などない時期のマタイ10. 38に、もう「自分の十字架を負って」記述があるのを見れば、説得力がないことがわかるだろう。

 ここまで考証した結果、納得できる最終的結論はこうなると思う。
 まず消去すべき節を消去することから始めると、「自分の十字架を負って」という表現は弟子たちの時代には広まり、定型化するほど浸透したが、弟子たちの時代に言われ始めたのではないと言える。また、元々はマタイ10.38や16.24で言われたのでもないことが確認できる。
 そして、考証の結果はその表現がやはり元々は主イエス様ご自身が言われたのだということにたどりつく。しかしながら、それが元々いつどこで言われたかは特定できない。とは言え、それはご受難直前のマタ20.19以後か、ご復活後の40日間だったのではないかという推測はできる。
 マタイ20.19と同26.2では弟子の覚悟は書かれていない。しかし、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」という言葉はそこで言われてもおかしくなかった。ご受難直前であり、ご受難が十字架上の死であることを明かされているからだ。
 ご復活後の40日間も十分考えられる。弟子たちは主が十字架でどのような最後を遂げられたかを目撃し、驚くべき主の復活も体験した。この期間は彼らが「自分の十字架を負って」の意味を非常によく理解できたので、弟子の覚悟を語るには最適の機会だったともいえる。ヨハネ21.15-19で主が使徒ペトロに3度わたしの羊を牧しなさいと言われたことと合わせ考えると、使徒一同に「自分の十字架を負う」ことを話されたことは大いにあり得た。
 残念ながらそういう記録は福音書にも使徒言行録にも使徒たち手紙にもない。だから、推測の域を出ないが、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と言う言葉は、主イエス様が言われたのだと確信してよい。ただ、元々それは他の時と場所で言われた可能性が濃く、マタイ福音史家はそれを使徒ペトロへの叱責の後にも利用したのだろうと推察できる。
 私の疑問は、果たして主がマタイ16章の時点で本当にそう言われたのかどうかにあったが、今は何とか納得のいく自答は得られたと思っている。そして、考察は楽しかった。これが私の日常である。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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