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岩と教会

 8月27日、今年の年間第21主日の福音はマタイ16.13-20だった。使徒シモン・ペトロがイエス様に「あなたはメシア、生ける神の子です」と宣言し、主から褒められて「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われた箇所だ。岩と教会がこの箇所のキーワードである。司祭はミサの説教を岩にしぼってこう話した。
 「使徒ペトロの本名はシモンで、ペトロとはイエス様が付けたあだ名です。岩はギリシャ語でペトラと言いますが、ペトロはその男性形で、イエス様はその岩の上に教会を建てると言われました。しかし、使徒ペトロは私たち同様弱さを持っていた人で、失敗もしました。ですから強固な岩盤と言うより、礫が集まってできた「さざれ石」のような岩だったと思います」と。
 これは初めて聞いた比喩だが、その着眼点には感服した。使徒ペトロとその後継者である教皇様たち、それに導かれる全教会が実際はどんなものかを私たちに考えさせるからだ。でも、その比喩にはやはり疑問が湧かないわけではない。なぜならイエス様が、はたしてそんな岩を念頭にあのお言葉を言われたのだろうかと問えば、そうとは思えないからだ。そこで今日は、マタイ16.13-20に出てくる「岩と教会」に焦点を当てて一考しようと思う。

 説教で話されたさざれ石は細石などと書かれ、学問的には「石灰質角礫岩」と呼ばれるそうだ。岩になる初期は礫だから、まだ岩ではない。ところで、イエス様が使徒シモン・ペトロに「あなたはペトロ(岩)だ」と言われた時、彼は個人だった。石が寄り集まった礫岩にはなっていなかった。なのに、はたしてイエス様はそんな石灰質の角礫岩をイメージして、彼に「あなたは岩だ」と言われただろうか?私が思うに、答えはノーではなかろうか。
 教会の土台にする以上、イエス様は当時の通念で「あなたは岩だ」と言われたのだと見る方が妥当で自然だと思われる。つまり硬質の岩を念頭にそう言われた。私がそう推測する理由は二つある。一つはペトロ(岩)という言葉を考察し、もう一つはイエス様が彼にそういうあだ名をつけられた時のことを推察すると、そういう結論に辿り着くからだ。まずペトロ(岩)という名前自体を考察してみよう。

 イエス様はギリシャ語ではなく、アラマイ語かヘブライ語を使っておられた。ならば、「岩」もそれで検証しなければなるまい。では、ヘブライ語では「岩」を何と言うかと言うと、(白文で書くが、)כף ,אבן ,סלע ,צור の4語がある。その中でも旧約聖書によく出てくるのはצורとסלעだ。例えば前者は出エジプト記33.21、後者は列王記上19.11に出てくる。他方אבןは「岩」と言うより「石」だ。エルサレムの城壁の石は大石だった。教会の礎石とするなら、それと同じだから、אבןをペトロに当てはめても悪くはなかった。実際、仏語のPierreは石であって、岩(roche, rocher)ではない。
 だが、イエス様はאבן(石)をシモンのあだ名には使われなかった。それは柱の下の単なる礎石ではなく、地盤そのものが岩盤のような大岩を思い描いておられたからではなかろうか。実際、主は「岩の上に自分の家を建てた賢い人」(マタイ7.24)のたとえを話されている。では、詩編などにもよく出てきて、最も普通に「岩」を表すצורとסלעの2語のどちらかを使われたかというと、イエス様はこの2語もシモンのあだ名には用いられなかった。
 では、どの言葉を選択されたかと言うと、כיפה(ケィファ)とכף(ケフ)だった。それに対応するギリシャ語が原典にあるΠετρος (Petros: Peter)とπετρα(petra: rock)なのである。では、כף(ケフ)にはどんな意味があるかというと、「窪んだ岩」(hollow rock, cave)や「岬」(cape)の意味がある。כיפה(ケィファ)の方は少し事情があるからこの後で扱うが、כףとכיפהは語根が共通なので、とりあえずはpetraとPetrosに対応しているとしておこう。そこで、イエス様が言われた邦訳のお言葉に、ヘブライ語のその2語をそのまま代入してみるとこうなる。「わたしも言っておく。あなたはכיפה(ケィファ)。わたしはこのכף(ケフ:岩)の上にわたしの教会を建てる。」
 ところで、כף(ケフ)はヘブライ語の辞書にあるが、כיפה(ケィファ)の方はないのだ。この2語は語根が共通だから、深い関係にあることがわかる。ではなぜכיפה(ケィファ)は辞書に載っていないのか?アラマイ語だからである。ヘブライ語にはアバとかイマとか、アラマイ語から入って普通に使われるようになった言葉がいくつもある。しかし、כיפה(ケィファ)はアラマイ語のכאפה(ケファ)をヘブライ語読みしただけのもので、ヘブライ語としては使われていない。だから辞書には載っていないのだ。
 アラマイ語のכאפה(ケファ)とヘブライ語読みのכיפה(ケィファ)は非常によく似ている。ただし一字違う。だから私はそれをケファとケィファの違いで書いている。では、アラマイ語のכאפה(ケファ)の意味は何かというと、何とずばり「岩」なのだ!そして、邦訳したイエス様のお言葉にアラマイ語の2語を先ほどと同じく代入してみると、驚くべきことがわかる。「わたしも言っておく。あなたはכאפה(ケファ)。わたしはこのכאפה(ケファ)の上にわたしの教会を建てる」となるからだ。まさに目から鱗。כיפהとכף、Petrosとpetraという違う言葉はもう必要がない。まったく同じ言葉が2回使われているからだ。つまり、日本語で言えば、「あなたは岩。わたしはこの岩の上に教会を建てる」と言われたのだ。
 これを知ると、イエス様がシモンにそのあだ名をつけられた意味がはっきりわかる。アラマイ語のכאפה(ケファ)はヘブライ語のכף(ケフ)やギリシャ語のπετρα(petra: rock)と同じ意味だ。イエス様がこの言葉を使徒シモン・ペトロのあだ名に選ばれたのには理由があった。主は彼がその言葉が表すような、地震にも洪水にも動じない岩、細石ではなく、教会をまるまる乗せても大丈夫な堅固な岩を思い描いて、その名をつけられたのではなかろうか。
 しかし、その呼称には変遷があった。イエス様やガリラヤ出身の弟子たちは普段アラマイ語で話していたようだから、彼をケファと呼んでいたに違いない。使徒パウロは彼をペトロと呼ぶことはあったが、ケファと呼ぶことの方が多かったようだ。ガラテア2.7-14等をよむとそれがわかる。しかし、呼称は次第にペトロに変わって行った。それはギリシャ語の福音書が現れ、キリスト教がパレスチナからギリシャ・ローマ世界に拡散して行った結果だ。

 さて、イエス様が漁師シモンにケファとあだ名をつけた二つ目の理由だが、それは最初に出会った時の印象にもあるのではないか、と私は思うのだ。主が「あなたはペトロ」と言われたのは、マタイ16章が最初ではない。ヨハネ1.40-42によれば、主がヨルダン川で洗礼者ヨハネの洗礼を受けた後、シモンの兄弟アンデレは他の一人と主を訪ね、翌日「わたしはメシアに会った」と言って、兄弟シモンをイエス様のところへ連れて行った。
 ヨハネ福音書はその時のことを、「イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ ― 「岩」という意味 ― と呼ぶことにする』と言われた」と書いている。まだ12使徒の弟子団が形成されてもいなかった時に、漁師シモンはすでにイエス様と出会って、ケファ(ペトロ)というあだ名をもらっていたのだ。では、なぜイエス様は初対面の彼にそんなあだ名をつけられたのだろうか? 推察に過ぎないが、私はこう思うのだ。
 イエス様は使徒ヤコブとヨハネ兄弟には「雷の子」というあだ名をつけておられた。怒りっぽかったからのようだと知ると、フフフと笑える。だとすれば、シモンに「岩」というあだ名をつけられたのも、彼に岩を連想させる何かがあったからではあるまいか?思うに、彼は漁師だったから逞しく、ご受難の際は剣で捕吏一人の耳を切り落としたほどの男だ。「イエスは彼を見つめて」とあるが、初めて会ったとき、ひょっとして主は頑強な彼を見て、「岩」を連想なさったのではあるまいか。それはあり得なかったことではない。
 そこで、イエス様はその第一印象から、ケファ(岩)とあだ名をつけたのではないかと私は想像するのだ。ただこの時はそれだけだった。しかし、フィリポのカイザリア地方では、「あなたはメシア、生ける神の子です」と宣言した彼を称賛し、「あなたはペトロ」と再確認されただけではなく、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と、驚くべきご計画まで披露なさったのだった。もちろん出会った最初から、もうその将来計画は見越しておられたのだろうが、最初の時そのあだ名をつけられたのは体格の印象と無縁だったとは思えない。
 だとすれば、使徒ペトロを「さざれ石」のような礫岩に喩えることは、彼が人間的には弱点も欠点もあったという事実を考えさせる意味では優れた着眼だが、ケファ(岩)という言葉を考察した結果からすると、そういう見方だけでいいかという疑問は残る。特に教会の土台となる岩であれば、その上に建つ教会の重み、人の世の地震や洪水にも耐え得る岩でなくてはならない。礫岩にはその強度があるのだろうか?

 二つ目のキーワードは「教会」だが、イエス様はまさに使徒ペトロという岩の上に「わたしの教会を建てる」と言われた。教会は新約聖書原典のギリシャ語では εκκλησια(エクレシア)と言う。この呼称は使徒言行録、使徒たちの手紙、ヨハネの黙示録ではかなり頻繁に出てくる。しかし、福音書では2箇所にしか出てこない。一箇所は今日の福音マタイ16.18、もう一箇所はマタイ18.17で、ここでは2回使われている。
 私はもともとこの2か所に疑問を持っていた。イエス様が弟子たちに話されたことになっているが、イエス様が福音の宣教行脚をしていた頃は、弟子の一団と同行衆と群集はいたものの、「教会」という組織はまだ存在していなかった。だからこそ、教会と言う用語がたったの2箇所しかないのだと思うが、そんな頃に、「その上にわたしの教会を建てる」と言われても、弟子たちに教会のイメージは湧いたのだろうか?「教会って何?」「主は何のことを言っておられるんだろう?」と、理解できなかったのではなかろうか?そういう疑問である。
 しかし、この問題もギリシャ語原典のεκκλησια(=Ecclesia, Eglise, Church)がヘブライ語訳とアラマイ語訳ではどう訳されているかを調べたら、解決の道筋が見えた。マタイ16.18で言われている「教会」は、ヘブライ語でもアラマイ語でもעדה(エダー)だ。そこで、ピンと来たのは旧約聖書の中でイスラエルの「会衆」とか「共同体」とかを表す言葉だ。それが本格的に形成されたのは出エジプト以後だったから、モーセ五書を調べてみた。
 イスラエルの共同体とは12の構成部族を超えて、全員が一つの意思決定や意思表示をする集団の集まりを指す。それは、例えば出エジプト記12.19; 16.1; 34.31; 35.1、民数記16.16, 21、ヨシュア22.16、士師記20.1等で、 עדה(エダー)と呼ばれていることが確認できる。ところが、それは何とマタイ16.18にある「教会」とまったく同じ用語なのだ。そこで、私の疑問は解け、私はイエス様が言おうとなさった意味もわかった気がする。
 イエス様が「この岩の上にわたしの教会を建てる」と言われた教会とは、使徒たちに理解できないどころか、よく理解できたに違いなかった。彼らイスラエル人が慣れ親しんできた「共同体」を意味する言葉だったからだ。しかし「わたしの教会」の「わたしの」が意味するところはどうだろうか。そこが最も重要な点の一つだったが、その時点の彼らに理解できたかどうか。
 イエス様が建てようとされていた教会とは、用語は旧約のそれと同じでも中身が違う、新約の信仰共同体だったのだ。旧約の神の民の共同体は出エジプトの過越しにより、奴隷状態からの解放で形成されたが、新約の神の民の共同体はイエス・キリスト様の受難と復活という新約の過越しにより、罪の奴隷状態からの解放で形成される。この新約の神の民の共同体(エダー、エクレシア)こそが「この岩の上に建てる」と言われた「わたしの教会」なのだ。

 では、マタイ18.17の「教会」(エクレシア)もヘブライ語訳ではエダーと訳されているかと言うと、そうではないことに少々驚かされる。そこでは、教会はקהלה(クヒラー)と訳されている。しかし、実は驚くには当たらない。使徒言行録、使徒たちの手紙、ヨハネの黙示録などには「教会」という用語がかなり頻繁に出てくるが、それらは皆このクヒラーが使われているからだ。むしろこの方が普通なので、本来それは共同体を意味する。その用例は、徒11.22; 1テサ1,1; Ⅱテサ1.1; 黙2.1,8,12; 3.1 等で確認できる。
 フランス語では教会をEgliseと頭文字を大文字で書く時と、égliseと小文字で書く時がある。頭文字が大文字のEgliseは本質的・総体的な教会を意味し、小文字のégliseはしばしばles églisesと書くように、個々の具体的教会を意味するのが普通だ。根拠はないが、どうもマタイ16.18の教会は頭文字が大文字の教会を意味し、マタイ18.17の教会は小文字の教会に当たるように思われる。もしそれで正しければ、マタイ18.17の疑問も解ける。
 その箇所は、兄弟が罪を犯したらまず二人だけで忠告せよ。聞かなかったら2,3人の証人を入れて忠告せよ。それでもだめなら教会に申し出よ。教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なせと、イエス様が教えたことになっている箇所だ。しかし、私には疑問があった。徴税人たちや娼婦たちの方がむしろ先に神の国に入るとまで言って、彼らを弁護し、偏見なく彼らと食事もされたイエス様なのに、それと矛盾するような、排除と蔑視が感じられるそんな教えを言っただろうか? 初代教会がイエス様の名を使って伝えた教えに他ならないのではなかろうか、とずっと疑問だったのだ。
 しかし、ここでいう教会が小文字の教会、すなわち個々の具体的な教会のことだとすれば納得がいく。もしそうなら、そういう教会は聖霊降臨後次第にできて行ったので、イエス様が福音宣教しておられた年代のことではないことがわかるからだ。初代教会ではいろいろな問題が起こった。信徒個人や個々の教会はそれにどう対応していいか随分悩んだだろう。この忠告はその一処置方法で、イエス様の名を借りていわゆる破門に言及したわけだ。
 では、そういう教会を意味するקהלה(クヒラー)はどこから作られたことばなのだろうか。旧約聖書では士師記あたりまでは共同体を表す用語はすעדה(エダー)が目立つ。しかし、なぜか(王制の出現と関係がありそうだが…)列王記以後はקהל(カハル)という用語が目に付く。列王記上8.2; ネヘミヤ記7.66; 8.2等はその例だ。カハルは動詞なら「集まる」、名詞なら「会衆、共同体」などを意味するが、教会を表すקהלה(クヒラー)はそれと似ているから、それから派生した兄弟語であろうと思われる。
 教会を意味するヘブライ語は他にכנסיה(クネシア)もある。英語のassembly やchurchに当たる。しかし、新約聖書ヘブライ語訳では、マタイ16.18以外はほぼהלקה(クヒラー)と訳されている。つまり、一般的なのだ。ということは、マタイ16.18の「この岩の上にわたしの教会(エダー、エクレシア)を建てる」と言われた時の教会がむしろ特別であることがわかる。
 ではどのように特別かというと、いわゆる普通の教会とは違い、それが本質的で超越的な新約の共同体、聖霊降臨の日に実現した信仰者の共同体、キリストの神秘体を体現する教会であることにある。イエス様が「わたしの教会」と言われたのはそういう新約の共同体のことだったのだ。そして、使徒ペトロはその土台となる岩だと言われた。シモン・バルヨナは人間的には弱かったとしても、聖霊が比類なく堅固にした岩である。私はそう理解したい。
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砂粒ほどの問題だけど   

 今日、8月26日の第1朗読聖書はルツ2.1-3, 8-11;4.13-17だったが、原典を読んでいて、4.14の“גאל”という言葉で立ち止まった。その意味を知らなかったからだ。ラルースの仏-ヘブ辞典で調べたら、“souilleure, profanation”(汚れ、涜聖)とあった。しかし、それは変だ。そんな意味では、ルツが一子を生んだことを女たちが「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく○○を今日お与えくださいました」と讃えた祝詞の○○には絶対に当てはまらない、と思えた。
 そこでLa Bible de Jerusalemの訳を見てみた。すると“le proche parent”(近縁者)と訳されていた。それなら納得できる。しかし、では辞書はなぜ全く違う意味を載せているのだろうか?と疑問が湧いた。それを解く鍵はヘブライ語のニクダ(発音記号)だった。
 発音記号のない通常のヘブライ語は白文と言う。荷物のタグに空港ではTOKYOをTKYと印刷するが、それと同じで母音が省略されている。慣れていないと正しく読むことは難しい。だからか、聖書のヘブライ語等には発音記号がついている。実は問題の“גאל”にも聖書と辞書ではニクダが付いていた。ג の左上に“オ”の母音を示すホラム・ハセルというニクダがあり、אの下には“エ”の母音を示すツェーレ・ハセルというニクダがあった。従って、“גאל”は“ゴーエル”と発音する。それは“גואל”と同じだ。
 そこで、“גואל”を辞書で見たら、一義的な意味は“liberateur, sauveur”だが、二義的な意味として“parent”が載っていた。だから、フランス語訳聖書は“le proche parent” (近縁者)と訳したのだとわかった。しかし、同時に新共同訳がなぜその○○を、「家を絶やさぬ責任のある人」などと言う、ややこしい表現で訳したかも推察で来た。“גואל”というヘブライ語には「解放者、救出者」即ち「贖い戻す」と言う意味もあるからだろう。 

 では、他の訳はどうなっているのだろうかと、興味を覚えて調べてみた。
英訳は“next of kin” (最も近い親族)
スペイン語訳は“uno que te rescate”(あなたを贖う一人)
ブルガタ訳は“qui redimit familiam tuam”(あなたの家族を贖い戻す者)
七十人訳は“αγχιστεα”(最も近い親族) 
フランシスコ会訳は“あなたを救う者”
バルバロ訳は“故人に近い身内”
聖書協会訳は“ひとりの近親”

 これらを見ると、翻訳は原典の“גואל”という一語にある二つの意味、すなわち①解放者、救出者、贖う者、②親族、身内のどちらかに重心を置いた訳し方をしていることがわかる。
 ラテン語のブルガタ訳は①の方であり、ギリシャ語の七十人訳は②の方だと言ってよかろう。そして、ブルガタ訳に倣い、①の系統に属するのはスペイン語訳、新共同訳、フランシスコ会訳等であり、七十人訳に倣って②の系統に属するのが英訳、仏訳、バルバロ訳、聖書協会訳等であることがわかる。しかし、ヘブライ語原典の一語はその両方の意味を含んでいるのだ。

 そんな分類をして何になるという意見もあろう。その懐疑に答えよう。それはルツ記を真に理解するのに役立つのだ。女たちがルツの出産を祝ったのはルツ本人に対してではなく、姑のナオミにであった。これは奇妙ではなかろうか。子を産んだのはルツだったからだ。しかし、ここに女たちが「あなたを救う者」とか「あなたを贖い戻す者」とか言った意味がある。
 ナオミは夫にも二人の息子にも子を残さず先に死なれてしまった。嫁のルツはユダヤ人ではない。モアブ人だった。だから、そのままでは家系は断絶するしかなかった。ところが、夫の血縁であるボアズが死んだ息子の嫁ルツと結婚して子を産んだのだ。それはナオミにとって夫の家系が復活し、継続することを意味した。だから女たちはナオミを祝福したのだった。
 日本でも昔は家系を絶やさぬことは最重要事だった。聖書のイスラエル人たちにとってもそれは同じであった。だからモーセの律法は例えば子なしで死んだ兄がいたら、残った弟がその妻を娶って、兄のために跡継ぎを作らなければならない(申命記25.5)と規定した。家系の継続はそれほど重要だったのだ。だから、ルトに子が生まれた時、女たちはむしろ姑のナオミに「よかったね。跡継ぎが生まれたから、これで家系が絶えないで済む。主はこの子によってあなたを救った。家系を贖い戻してくれた」という意味で主を賛美したのだ。
 従って、その赤子は単なる跡継ぎの身内ではなかった。ルツ記がその子をナオミの「孫」(נכד)とか、ルツの「子」(בן)という語を使わず、わざわざ「身内」(גואל)という語を使ったわけはそこにあったと思う。そして、その赤子はやがてダビデ王の祖父になり、その家系から救い主イエス様が生まれる。①の系統の訳者は“גואל”の一語を訳したとき、それが旧約の「一家系を救った者」の話にとどまらず、やがて現れる人類を贖う者を示唆してもいるとも感じたから、そう訳したのではあるまいか。
 これは砂粒ほどの微小な問題ではあったが、救いの歴史が染み込んだ砂粒でもあった。しばし立ち止まって調べかつ考察してよかったと思う。

再び想起力テスト 

 年間第20主日の福音はマタイによる福音15.21-28で、おおよそ次のような話だ。
 イエス様がティルスとシドン地方に行かれた時、あるカナン人の女は悪霊に憑かれた娘を癒してくださいと頼んだ。しかし、イエス様は無視なさった。ところが、女がいつまでもしつこくついて来るので、弟子たちは追い払ってくださいと頼んだ。すると、イエス様は「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と、にべもなく答えられた。
 それでも女が助けてくださいと願うと、イエス様は拒絶して言われた。「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない。」すると女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」イエス様はこの返答に感心して言われた。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」と。その時、娘の病気は癒された。
 さて、今回もこの話についての私の考察ではなく、私の記憶力と想起力を試してみるために、司祭の説教を再現してみようと思う。今回は1日たったが、さてメモなしで聞いた話を米寿直前の私はどのくらい覚えていられたのだろうか。それをまず書いて見る。そして、その後に気付いたこと等の感想を若干加えてみる。その説教は次のようだったと思う。

 <皆さん、私たちはクリスチャンですが、どのようにしてそうなったかはそれぞれで、同じではありませんね。ある人は赤ちゃんの時に洗礼を受けてクリスチャンになります。親がそうだからです。ある人は成人してから、友達に誘われて教会に行くとか、偶然に何かの機会に教会に入って、やがて洗礼を受けてクリスチャンになるとか、いろいろです。しかし、共通しているのはイエス様から教えられるということです。イエス様は先生で私たちは弟子。教えるのはイエス様で、教えられるのは私たちです。
 ところが、今日の福音はイエス様が教えられたという話です。皆さんは、今日の福音を聞いてどう思いましたか?イエス様は冷たい、と思いませんでしたか?ガリラヤではあんなに病人をたくさん直してあげたのに、カナンの女の願いには耳も貸さず、すたすた歩いておられたようです。女はしつこく願い続けていました。だからたまりかねてか、弟子たちはイエス様に近寄って頼みました。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので」と。
 弟子たちの言い方を読むと、必ずしも邪険に女を追い払いたかったわけではなさそうです。追い払いたければ自分たちでもできたはずだからです。イエス様にそれとなく願いを聞いてやったらどうなんでしょうと口添えしたようにもとれます。ところがイエス様は、「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と、にべもなく答えられたのです。つまり、イスラエル人以外の人の願いはだめですと。なぜでしょうか?
 それにはわけがありました。神様は人間を救うためにイスラエル民族を選ばれました。なぜだと思いますか?ちっぽけな民族だったからです。神に頼らなければ生き残れない小民族なら、自分の力で何かを成し遂げたと威張らないはずだ、と思われたからでした。その民族から救い主を出現させ、まず救いの御業を成し遂げて、次に救いを全世界に及ぼすのが神様のご計画でした。だから、まず救いはイスラエル民族の中で達成されなければなりません。だから、イエス様は「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言われたのです。イエス様は天の父のご計画に従っておられたのです。
 しかし、カナンの女はあきらめるどころか、イエス様の前にひれ伏して、どうかお助けくださいと願い続けたのでした。そこでとうとうイエス様は女に「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言われました。子供のパンは犬にはやれないとは、差別的な言い方だったといえなくもありません。なぜなら、犬は古代中東世界では汚らわしい動物の一つだったからです。何もそんな言い方をしなくてもと思えますが、これも彼女を憤慨させ、願うのを諦めさせるためだったのでしょう。
 ところが彼女は「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と答えたのです。イエス様は感動しました。女は子供のパンを犬にやってはいけないことは認めました。つまり、神の恵みはイスラエル人がいただくもので、それはその通りでございますと言ったのです。でも、子供はパンを食べるとき、パン屑を落とすではありませんか。食卓の下にいた小犬がそれを食べても叱ったりする主人はいません。パン屑のような恵みでもいいですからそれに与らせてください、と答えたわけです。
 イエス様は女の答えに教えられたのでした。いたく感服し、心を動かされました。だから言われたのです。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」と。つまりイエス様は女の信仰を褒めて、願いに応じられたのでした。娘は癒されたのです。イエス様はあるとき弟子たちに言われました。「もしあなた方に強い信仰があれるなら、あの山に向かって海には入れと言えば山は海に入る」と。
 今日の福音の話は小さな出来事です。しかし、私たちに信仰の力を教えてくれます。信仰は神様を動かすのです。私たちもカナンの女に学んで、強い信仰を持って生きましょう。>

 やはり十全には想起できなかった。もっと多く話されたはずだ。しかし、いずれにせよ、教えられるところの多い説教だった。だが、ちょっと気になった言葉の使い方があって。二三回イスラエル人とユダヤ人を並べたり、同一視したりするような言い方をしたことだ。両者を並べるのは誤解を招くし、両者を同一視するのは間違いだからだ。
 イスラエル民族は12部族からなっており、ユダヤ人は12部族の一つであるユダ族の人たちだ。ソロモン王の息子の代にイスラエル民族はイスラエル王国とユダ王国の2国に分裂した。北部のイスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされ、事実上消滅した。南部のユダ王国もバビロニアに滅ぼされたが、バビロン虜囚後再興した。従って、以後のイスラエル人はユダ族とレビ族が圧倒的に多いが、イスラエル人イコールユダヤ人ではない。

 小犬が一匹なのか二匹以上だったのかも私にはきになった。新共同訳は、「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と訳している。しかし、原典も欧米語諸訳も「小犬たち」、「主人たち」(kunaria、dogs, petits chiens etc.)と複数だからだ。「子どもたち」と複数に訳したのなら、なぜ小犬も主人も原典に忠実に複数としなかったのだろうか。整合性に欠ける。聖書協会訳、フランシスコ会訳も同様だ。
 バルバロ訳とラゲ訳は「子ども」も単数に訳している。原典は全部複数で書いてあるが、複数にすると日本語では煩わしくなるので、単数にしたのであれば、全部を単数にする方が整合性の点ではましだと思う。私なら子ども達、小犬たち、主人たちと、全部を複数に訳す。その方が原点に忠実だし、そうしたら都合が悪くなる理由もないと思うからだ。

 司祭は「イエス様は教えられた」と言った。私はそういう切り口で考えたことがなかったので、その着眼点には感服した。だが、イエス様は果たして教えられたと言っていいかどうか、そこには疑問がある。その表現は適切だったかという疑問だ。イエス様は女を諦めさせるため、思い付きで「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言われたのではなく、実は女の信仰を試すために、そう言われたのではあるまいか?私はそう思うのだ。
 福音書はイエス様が予知能力のある方だったことをいくつか証言している。だとすれば、カナンの女の言葉をまったく想定もしていなかったと考えるのは、福音書の記述の否定になる。口では「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言われたが、それは建前で、心の中ではその女の願いを聞いてやるつもりでおられた。ただし、それは彼女がどれほどの信仰を持っているかにかかっていた。主はそれを試された。
 そして、彼女は感服して余りあるほど当意即妙の譬えで返答した。見事な切り返しだったが、謙虚でもあり信仰に溢れていた。イエス様にとって、それは考えたこともない予想外の返事だったのではなく、実はは待っていた返答だったのだ。それを知っていなかったからではない。彼女が表明したのは、イスラエルの失われた羊にこそ持ってほしい信仰だった。だから、あたかも異邦人の女に「教えられた」かのように感嘆なさった。イスラエルの人々もクリスチャンも教えられるように。その意味では「教えられ方」のお手本を示されたのだ。

自分の記憶とボケの検証

 今日、少しショッキングな経験をした。よく知っていたはずの言葉と人名が思い出せなかったのだ。一つは朝刊で「補給経路」という一語に出会ったとき、英語のlogisticが思い出そうとしても思い出せなかった。そこで和英辞書の「兵站」を引きやっと思い出せた。もう一つは教会で藤が丘教会時代の友人MさんとYさん夫妻に会ったのだが、顔は覚えているのに名前が出てこなかった。帰宅後、名簿でやっと思い出せたのだった。
 この想起不全とも言える思い出すことの難渋は、完全に忘れてしまっているのではなく、知っていたこと自体は自覚しているが、知っていたはずの言葉や名前が思い出せない現象だ。単なる物忘れとも度忘れとも違う。老人性痴呆、いわゆる耄碌の一症状だろうが、毎日聖書をギリシャ語やヘブライ語で読んでいても、やはりボケ防止にはならないのかと思うとショックではある。しかし、思い出せないことと記憶できないこととは違う。私の記憶力はまだ日常生活では大丈夫なのか?私の想起力はどれくらい劣化しているのか?
 そこで、私はそれを確かめるため、今日のミサで聞いた司祭の説教をなるべく司祭が話した言葉のままで再現してみることにした。そうすれば記憶力と想起力の度合いがわかるだろうと思ったからだ。この試みの中で<…>内の文章は、私が思い出せる範囲内で再現してみる司祭の説教である。それに対し、<…>以外の文は私の考えや感想だ。
 ちなみに今日、8月13日、年間第19主日のミサで読まれた福音は、マタイによる福音14.22-33だった。弟子たちの舟がガリラヤ湖上で向かい風と波に行き悩んでいたいたとき、主イエス様が湖上を歩いて来られた時の話だ。その時ペトロは主だとわかると、主のところまで行く許しを貰ってしばし水上歩いた。だが、強風に気付くと怖くなり溺れかけた。主に救いを求めて助けられたが、「信仰の薄い者よ」と叱られた。説教の話題はその出来事だった。私が今想起できる限りでは、その説教は次のようであった。

  <皆さんは水に溺れた経験がありますか?私はあります。幼稚園児の頃ですが、父と一緒にプールに行きました。しかい子どものプールより大人のプールに入ってみたくなりました。父はタバコを吸うか何かしていたらしく、私に気づきませんでした。大人のプールは広いことがわかりました。しかし、深いことはわかっていませんでした。だから、そこに入って溺れかかったのです。私たちは溺れると言う言葉を他にも使います。酒におぼれる、知恵に溺れるなどです。>

 ところが、その話は私に39年前のことを思い出させ、「そういえば私の次男も7歳の時カナダのホテルのプールで溺れかかったなぁ。助けたが危なかった」と気を散らさせた。だから、幼児だった時の司祭がどう助けられたかの部分は聞き洩らした。また、溺れることの用例では、「策士策に溺れる、愛に溺れる、などもあるな」などと、そのことでも私は気を散らし、何かに溺れることの是非を司祭がどう評価したかについても聞き洩らしてしまった。私は話の続きを次のように聞いた。

 <さて、今日の福音ですが、ペトロさんは水の上をイエス様のところへ歩いて行こうとして、大きな波に怖くなり溺れかかりました。イエス様が手を伸ばして助けられましたが、この話はどんなことを私たちに教えているのでしょうか?
 この話はマタイ、マルコ、ヨハネの3福音書に乗っていますが、弟子たちはそのとき舟に乗っていました。ところが福音書を読むと、『イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ』と書いてあります。言い換えれば、これはイエス様が弟子たちを無理やり舟に乗せたということです。なぜそんなことをされたのかと言うと、その前にあったことを考えれば答えがわかってくるのではないかと思います。
 彼らが舟に乗らされる前にあった出来事は、パンの奇跡でした。人々は男だけでも5千人ほどだったとありますから、女子供を入れたら2万人はいたでしょう。イエス様は5つのパンと7匹の魚でその大群衆が満ち足りるまで食べさせられました。しかし、パンを配ったのはイエス様ではなく弟子たちでした。どういうふうにパンが増えて行ったのかはわかりませんが、弟子たちは群集の間にパンを配って回りました。
 それは群集の目にどう見えたでしょうか?そもそもそんな大群衆では端の方の人たちには余りに遠くて、イエス様がパンを弟子たちにお渡しになる前、何を言い、何をなさったかもわからなかったでしょう。彼らがわかったのは弟子たちがパンを持って来たことでした。そうなれば人情ですから、人々は弟子たちに、『ありがとうございます。パンが頂けるのはあなた様のおかげです』などと、イエス様にではなく彼らにお礼を言ったでしょう。
 そう言われれば悪い気はしなかったでしょう。自分の力のお陰ではないとわかっていても、弟子たちは自分たちが配るとパンが増えるので、自分たちが何者かであるかのような思い上がりを持ち始めたのではないでしょうか。それをお察しになったから、イエス様はその後すぐ弟子たちを強いて舟に乗せたのだと思います。
 しかし、イエス様は一人残って山で祈り、夜になってから湖の上を歩いて行かれました。イエス様は泳げなかったから歩かれたという冗談話もありますが(笑い)、すぐ弟子たちの舟に追いつかれました。>


 このジョークは皆には受けたが、私にはまたもや気を散らさせるきっかけになった。同じ話題の別の冗談を思い出させたからだ。こんなジョークだ。
 ある神父さんが聖地を訪問し、ガリラヤ湖に行った。すると船頭が「神父さんなら料金はただでいいですよ」と言った。神父さんは喜んで、「では向こう岸まで乗せてください」と頼んで、舟で対岸に着くと辺りを感慨深く眺めた。さて、帰ろうとすると船頭が言った。「20ドル頂戴します。」「おや、あなたは只だと言ったのではありませんか?」「はい。でも、あれは来るときの話です。」「では、帰りには誰からも20ドル取るのですか?」「はい、それ以上いただくこともあります。」すると神父さんは悟ったような顔をして叫んだ。「ああ、それでわかった!だから、わが主は湖の上を歩いて渡られたんだ!」と。
 そのジョークのせいで気を散らしたため、私はそこらから後の司祭の説教をすっぽり聞き洩らした。しかし、説教は次のようにまとめられたのではないかと推察する。
 
<弟子たちは溺れかかったペトロさんが助けられたのを見ました。そして、そのとき風と波はぱたりと止みました。彼らはこの出来事を体験して、自分たちの無力を思い知りました。そして同時に、イエス様がどんなにすごい方かを実感しました。だから、ひれ伏して「本当にあなたは神の子です」と、イエス様を拝んだのです。
 私たちも思い上がると溺れます。私たちに何かできるとしても、それは神様のおかげです。思い上がりに気を付けましょう。そして、溺れそうになったら主に助けを求めましょう。>

 やはり、私は全部記憶してはいなかった。司祭の説教を聞いてはいたが、気を散らしては自分の考えに耽り、途切れ途切れだったことがわかる。しかし、かなりの部分は覚えていたことも確かだし、気を散らして思い出していた事柄は別の意味で記憶したことの想起だった。従って、記憶力も想起力もまだ重度には劣化していないと診断してよさそうだ。物忘れや想起難渋はひどくなっているが、それは老人には普通なのだから気落ちせずにやれることをやればよいのだと思う。これがこの試みの一つの結論になる。

 それにしても、私がかなり良く記憶できたのは良い説教だったからだと思う。つまり、内容が興味深く、話し方が明瞭で、耳の遠い私にも90%は聞き取れたからだ。説教にも起承転結がある。仏語では①Attention、②Probleme、③Developpement、④Solutionと言う。①のAttentionは話題に聴衆の注意を引き付けることだが、ペトロが溺れかかったことにつなげるため、自分が溺れた経験を話し、溺れることの一般論に言及したのは見事だった。
 この記憶力と想起力試しは一つの副産物も残してくれた。私は司祭の説教復元を試みたが、それでわかったことがあった。福音書が同じ出来事を伝えていても、まったく同じではなく、イエス様のお言葉にも相違が生じているのはなぜか、そのわけが一つわかったことだ。私は司祭の話を聞いたその日に復元しようと試みた。それなのに、内容も話の表現も話された通りにはやはり復元できなかった。ましてや、30年40年経った時点で、イエス様の事績と話を話されたままに記録することがいかに難しかったかは想像に難くない。 
 それなのに福音書の叙述にあれほどの共通点があるのはむしろ驚嘆に値する。なぜそれが可能だったのだろうか?一つの理由は、イエス様のなさった事跡や話が当事者や目撃者によって語られ、それを聞いた語り部を通じて絶え間なく何度も何度も教会の中で語り伝えられたからであろう。それは信仰集団の忘れがたい記憶となっていたのだ。記憶と想起はどれだけ深く記憶に刻み込まれ、どれほど繰り返されるかにもよるのだと思われる。

畑に隠されている宝のたとえ補足

 4日前、畑に隠されている宝のたとえについて書いたが、あとで気付いたことがあった。たとえだから、それを現実的にあれこれ詮索するのは見当違いだが、それにしてもこのたとえには詮索して見たくなる点があるのだ。少なくとも2点ある。一つは、畑に隠されている宝を見つけた人はどのようにして宝をみつけたのだろうか、という点だ。もう一つは、誰がその宝を畑などに隠したのか、という疑問だ。
 宝を見つけた人は持ち物全部を売り払って金を作り、それで宝が隠されている畑を買うのだから、畑の持ち主ではなかったことは確かだ。そして、宝を隠したのは畑の持ち主でなかったことも確かだ。もし畑の持ち主が隠したのなら、畑を買う必要などないからだ。しかし、彼は自分の畑に宝が隠されていることを知らない。だから畑を売ってしまった。
 ということは彼が宝を見つけるに至る行動を何もしていなかったことを意味する。彼は畑を持っていただけだった。それに対し、宝が隠されていることを知った人は、どうしてそれを発見したのだろうか?考えてみると、畑と言うのは宝を隠すには向いていない場所だ。大木の下とか大岩の割れ目とかと違って、畑は目印をすればすぐわかってしまうだろうし、耕作の邪魔にもなる。だからと言って、見つからないようにと目印をしなければ、隠した人自身でさえどこに隠したか後で見つけ難くなってしまう。
 目印がなくて普通の畑のようだったから見つからずにいたのだろうが、では見つけた人はどうして見つけることができたのか?畑に行かない所有者に見つけられるはずがない。畑の傍を通り過ぎるだけの通行人にも見つけられるわけがない。だとすれば、見つけるチャンスがあったのは、畑に入って土を掘り起こすことができた人だろう。それには畑を耕すとか、植樹のために穴を掘る人とかが考えられる。しかし、無関係な他人は勝手に人の畑には入れないから、所有者の関係者に絞られるだろう。
 しかし、畑の所有者の下僕ではなかただろう。なぜなら、下僕が畑を買いたいと言ったら、主人である所有者は何か変だと疑って売らなかったと思われるからだ。従って、おそらく宝を見つけたのは、所有者から頼まれて耕作や植樹の仕事をした隣人か臨時雇いの人だっただろう。その人は畑を耕すとか掘るとか、そういう仕事をしていたとき、偶然何かに硬い物ぶつかった。おやっと思って掘り下げてみたら、それは何と壺に入った宝だった。宝がそんなふうに見つかったのだとすれば、なるほどとうなずける。
 では、誰が畑などに宝をかくしたのだろうか?これは実に奇妙だ。家に宝を置くことがよほど不安な人でなければ、外になど隠さない。ましてや後で見つけにくくて困るかも知れない畑などには隠さないものだ。畑の所有者ではないことはすでに言った。ましてや自分の畑でもないのに他人がそこに大事な宝を隠すわけがない。宝がひとりでに畑にやってきて隠れたなどと言えば、頭がおかしいと言われるだろう。ずーと昔誰かが隠して、忘れ去られていたと言っても、誰が隠したかと言う疑問は解消しない。
 さて、これは「天の国は畑に隠されている宝に似ている」という、天の国のたとえだ。ならば、一番人が宝をかくしそうもない畑に、奇妙にも宝を隠した誰かがいるとすれば、それは神だと言うのが正解かもしれない。神は天の国という宝を、この世という畑に隠された。子ども達に宝探しをさせるボーイスカウトのリーダーたちのように。
 しかし、人を働かせ、自分は家で楽をしている所有者が宝を見つけることはない。畑の傍の道を素通りするだけの、ただの通行人も畑の宝をみつけることはない。畑に隠されている宝を見つけられるのは、畑で耕したり穴を掘ったりして働く人だけだ。このたとえは働いてこそ宝を見つけられることも示唆している。何?見つけたら、だまって持ち去る?聖書のたとえは「汝盗むなかれ」を前提にしている。盗んだ宝は腐る。宝を見つけた人は全財産を売り払って、その宝を買ってこそ晴れてそれを手に入れることができるのだ。

今週の聖書ところどころ

 今週、年間第17主日の聖書は列王記上3.5-12、使徒パウロのローマの教会への手紙8.28-30、マタイによる福音13.44-52であった。
 列王記上3.5-12は、神がソロモン王の夢に現れ、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われたので、王が「聞き分ける心をください」と願ったところ、神はその願いを殊勝だと喜ばれ、彼に「賢明な心」をお与えになった。そして、「あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない」と言われたと言う箇所だった。
 私がここを読む度に、ここに書かれた神の言葉は、ダビデ王系の歴史著者がソロモン王を賢明さで比類稀な王として描くために創作したもので、本物の神の言葉ではないと推理する。そもそも私はソロモンと言う男が好きではない。彼の母は元ウリヤの妻ベトシェバで、ダビデ王との不倫から生まれた子供だ。彼女にはどこか策謀を隠している狡さが見え隠れする。彼もその血を引いていたのではないだろうか。彼を称賛する聖書の叙述を読むと私は不愉快になる。
 若かった時のソロモンは純粋だったかも知れない。しかし、番節は堕落だった。エルサレムの神殿を建てた功績はあったが、そんなものが何になろう。父ダビデ王からの遺産で建てただけではないか。権力が固まると彼は次第に富と奢侈に溺れ、三千人もの側室を囲って異教の神々をイスラエルに持ち込ませた。後に預言者たちはイスラエルの民の神からの離反と堕落を非難したが、彼らをそうするに至らしめた源流はソロモンにあった。
 彼は神の恩恵を汚泥で穢した。それは始めが良くても終わりが堕落という典型だった。だから、私は彼を褒める気になどなれない。軽蔑する。そして、未来をも知りたもう神がやがてそのように堕落していく彼だったのに、「あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない」などと言われたはずがないと思うのだ。これは神の言葉に擬して、ソロモン王の知恵にお墨付きを与え、王権の正当性を残そうとした、支配者に都合のいい記述をしたのだと思われる。

 ところで、列王記上3.7の原典にはלא אדע צאת ובאという表現がある。直訳すれば「出るのも来るのも知らない」となるが、それは日本語ではどういう意味かピンとこない。似た表現に「右も左もわからない」というのがあるが、これなら意味はわかる。しかし、「出るのも来るのも知らない」は意味がすぐには通じない。各国語はこれをどう訳しているのだろうか、それに興味を覚えた。重箱の隅をつつくような問題だが、頭の体操のため調べてみた。

 まずギリシャ語の七十人訳だが、ουκ οιδα την εξοδον μου καιτην εισοδον μου とある。直訳に近く、「外に出るのも内に入るのも知らない」という訳だ。
ラテン語のブルガタ訳は、ignorans egressum et ingressum meumとある。ギリシャ語と全く同じ訳だ。これを見ると、日本人にははっきりわからなくても、古代のヨーロッパ、中東、北アフリカの人々に、この表現で何を言おうとしていたのかは誰にもわかったいたのだ、ということがわかる。
 ところで、フランシスコ会訳聖書はここを(わたしはほんの未熟者で)「どう振る舞うべきかを知りません」と訳している。これなら意味ははっきりしていて、よくわかる。他の邦訳を並べてみると、
 新共同訳は「どのようにふるまうべきかを知りません。」
 バルバロ訳は「どのようにふるまえばよいかわかりません。」 
 聖書協会訳は「出入りすることを知りません。」
と訳されていた。三つはほぼ同じように、「出入りを知らない」という原典を、「どう振る舞えばよいか知らない」と言い換えている。これは読者の理解を考え、言葉の意図を知って訳したよい訳だと言えよう。一つだけは原典の直訳をしていることがわかった。日本人には、これでは何を意味しているのかわかりにくい。少なくとも誤解を招くおそれはあると思う。

 では、近代欧米語はどうか?私の知っている3か国語に限るが、調べてみた。
 英語のThe Bible RSV版は、I do not know how to go out or come in.
 仏語のLa Bible de Jerusalemは、Je ne sais pas agir en chef.
 スペイン語 Biblia de Jerusalenは、… que no sabe salir ni entrar.
 これを見ると、仏語だけが「長として行動することを知りません」と意訳をしているが、他の訳は原典の流れを汲んで、「出ることも入ることも知りません」とほぼ直訳している。欧米ではおそらく現代でもそういう表現で十分意味が通じるからではなかろうか。いずれにせよ、重箱の隅のゴミがとれた感じで、私の小さな疑問は解消した。

 福音のマタイによる福音13.44-52は3つの「神の国のたとえ」だが、教会のミサでは44-46まで、つまり最初の2つのたとえしか読まれなかった。それは内容がほぼ同じ2つのヴァージョンだと言える。見つけたものが宝か真珠か、見つけた人が普通の人か商人かが違うだけで、見つけた物の価値を知ると持ち物を全部売ってそれを手に入れる点では同じで、天の国がそのように全てを売り払ってでも手に入れるに価する素晴らしいものだというたとえだ。それは天の国の価値を教えるたとえだ。それに対し、3つ目のたとえは天の国を浜辺で人が網の魚を選別するたとえで、これは天の国で行われる裁きの側面を教える。
 典礼はこの箇所を8月2日(水曜日)の福音としてもう一度私たちに読ませた。ということは、このたとえは今週一番ご縁があった聖書だと言える。一度目に読んだとき、知らない語彙は辞書で調べてノートに記録しておいたから、お陰で水曜日に読んだときはほとんど辞書のお世話になることことなく原典で読めた。

 ところで、最初のたとえ「畑に隠されていた宝」は私にとっては自分の人生の選択を物語るたとえでもある。だから、私は自分のプロフィールにこう書いている。「敗戦で復員した後は5年間登記所に勤務し、かたわら藤嶺学園夜間部で学び、中学・高校を卒業した。その間で最も忘れがたい記憶は1948年、カトリックに改宗して洗礼を受けたこと。マタイによる福音書13章には、「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」とある。私もそうした」と。
 
 人は時々このたとえを学ぶとき、人生において一番の宝とは何か、みたいな間違ったアプローチをしがちだ。しかし、このたとえのキーワードは宝ではない。キーワードは天の国なのだ。宝は天の国がいかに価値のあるものかをイラストする比喩対象にすぎない。だから、それがどんな宝かなどと詮索することは意味がない脱線になる。それがどんな宝かは問題ではない。その素晴らしさに驚嘆して、持ち物全部を売り払ってお金を作り、それで畑ごと買い取るほど価値のある宝だと言うことさえわかれば十分なのだ。
 ではその宝とは何かと言えば、イエス様がはっきり教えて下さっている。「天の国は畑に隠されている宝のようである」と。天の国はそれほど価値のあるものだ。ところが、その天の国の存在を人々は知らない。だから、その畑の傍を通っても素通りしている。では、その人はどうして畑に隠されている宝のような天の国を知ったのか?「神の国は近づいた」と言われた主の福音を聞いたからだ。福音とは天の国に気付かせる良い知らせに他ならない。
 ある人は言うかも知れない。畑に宝が隠されているのを知った人は、それを隠して畑を買った。本当は宝のことを言って、その値段も入れて買うべきだっただろう。その人はアンフェアで狡い。そんな人が主人公では倫理的に良いたとえとは言えない、と。
 またある人はこう言うかもしれない。宝が隠されていることを知って、それには黙って畑を買った人は、欲張りだ。宝欲しさに、それをsらない畑の所有者から畑だけの値段で買って、大儲けをしようとした。欲の張った人間の好例ではないか。そんなたとえが手本になるだろうか、と。
 しかし、そうした批判は見当外れだ。このたとえは倫理的な模範行動として語られたのではないからだ。人間とは狡いし欲張りな者だ。チャンスがあれば金持ちになろうとし、宝を手に入れようと一生懸命になる。イエス様はこのたとえでそういう人間の現実を利用して、天の国がどれほど価値があるかを教えられた。人間は欲張りで狡いからこそ、畑に宝が隠されていることを知った人の行動がよくわかる。自分もその立場なら同じようにしただろうと思うからだ。そして、それが実感できるからこそこのたとえは効果があるのだ。それをご存知だったから、イエス様はそれを話された。天の国の価値をわからせるためだった。
 
 ところで、私も畑に隠されている宝を見つけた人の一人だった。その宝とはイエス・キリスト様の福音に従った人生だった。だから、私はそれまで持っていた生き方と考え方を捨てて、主の福音を選んだ。「持っている物をすべて売って、畑を買った」というのはたとえの表現であって、実際に古い思想や生き方を去り、主の福音につくのは売り買いではない。
 それまで持っていた生き方や考え方は売っても金にならない。しかし、金の代わりに「悔い改め」が得られる。主の福音は金で買えない。しかし、悔い改めて、古い人を捨てた心は主の福音を得ることができる。これが天の国を買うことに当たる。私は19歳の時心を変え、これがメタノイア(回心)だが、それまで持っていた考え方や生き方を捨てて、主の福音を選び取った。そして、福音に従った新しい考え方を持ち、新しい生き方を始めた。それが私の「持ちも全てを売り払って、宝が隠されている畑を買った」出来事だった。
 それから私は大学に入り哲学を専攻した。それは私の選択は正しかったか、私が選択した福音的生き方はどうあるべきか、それを確かめたかtったからだ。その後紆余曲折があり、山あり谷ありの人生を歩んで、今日まで87年、主の福音を選び取ってからは68年生きてきた。思うにそれはずっと私の選択は正しかったかを確かめ、よりよく福音を生きるにはどうあるべきかを探求する年月だった。私の人生は「畑に隠されている宝を買った人」の行動で要約できる。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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