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教育勅語にわたしも一言

 しばらく前、森友学園では幼稚園児が教育勅語を唱えていると報道で知り、愕然としたことがあった。ネット時代だからすぐ忘れ去られるかと思ったいたら、そうでもなく、今日6月10日の朝日新聞声欄には「教育勅語 切り売りは無意味」という声が掲載されていた。実は私も森友学園での教育勅語というニュースを聞いて以来、意見を書こうかと思った。見過ごせなかったからだ。
 しかし、そのままにしてしまったので、もう賞味期限が過ぎた話題だろう思っていた。ところが、今日の投書を読んで、、わが意を得たりと嬉しくおもった。ただ、ひとつ言い足さなくてはならないことがあると思い、私も一言ここに書くことにした。
 そのためにはまずその投書を紹介しなくてはならないが、それを全部書き写すのはたいへんだ。そこで、その手間を省くために要点をコピーさせてもらった。コピーは少し不鮮明だが、次のような文面である。
教育勅語批判略
 この投書の論旨はしっかりしており、その指摘はまことに正鵠を射ている。

 私は教育勅語を唾棄するが、少年時代の私は教育勅語を信じて海軍少年兵にまでなり、まさに「一旦緩急あれば義勇公に報じ、もって天壌無窮の皇運を扶翼すべし」を実行した軍国少年だった。子どもだったから仕方なかったとは言え、天皇主権国家思想の催眠術にかかって、あわや一命を失うところであった。今思えば、無知であり、愚かであり、浅はかであった。教育勅語はにとっては恨み骨髄に徹するほどの反面教師に他ならない。
 あの森友ニュース以来、多くの人が教育勅語の危険を指摘し、主権在民の現憲法と相容れないことを論じて来た。まさにその通りだ。上掲の投稿もその一つで、非常に説得力がある。しかし、思うにまだ誰も指摘していない論点が一つ残っている。それは教育勅語がよって立つ思想的論拠の誤謬だ。教育勅語は嘘とすり替えに立脚しているからだ。それを知れば、教育勅語がいわばガラクタに等しいものであることがわかろう。それを安倍晋三氏や稲田朋美氏らの政治家はすばらしいと思っているらしいから呆れる。

 教育勅語は冒頭から天皇家の祖先を称揚して、「わが皇祖皇宗国をはじむること高遠に、徳をたつること深厚なり」と宣言し、「わが臣民よく忠によく孝に億兆心を一にして世々その美をなせる」とし、「これわが国体の精華にして教育の淵源また実にここに存す」と述べている。要するに「天皇家は遠く先祖より徳が深く厚かった。臣民もそれにならって忠孝に努めて来たが、これこそが日本と言う国の神髄で、教育の根拠はそこにある」と言っているのだ。私などは少年時代に暗記させられたから、忌まわしいことに今でもそれをすらすら言える。
 ところが、では天皇家の先祖は本当に徳がそんなに深く厚かったのか?そう問えば、どんな歴史家も否と答えるであろう。個別の例は列挙しないが、過去の天皇たちを知れば、徳が深く厚かったどころか、血みどろの醜悪な権力争いを演じた例は枚挙にいとまがない。そして、臣民も天皇家にならって忠孝に励んで来たか?と問えば、それも否である。天皇を追放したり悪用したりしたりした例もまた事欠かない。そんな虚偽の歴史観を前提にして、教育の淵源(根源)がそこにあるなどと言うのは悪い冗談でしかない。

 そもそも「汝臣民父母に孝に兄弟に友に、夫婦相和し、安倹おのれを持し、博愛衆に及ぼし…」など、中ほどに書かれている徳目は儒教の教えだ。ところで、儒教の始祖孔子が理想としたモデルは周であった。ところが、教育勅語は皇祖皇宗を周とすり替えている。徳のモデル入れ替え操作をしたのだ。多くの人はそこに気付いていない。しかし、入れ替えたモデルの皇祖皇宗が実は高徳でも何でもなく、むしろ権力争いが多かったとわかれば、教育の淵源は無残に崩壊する。もし淵源にすれば害毒の淵源になる。
 それに、教育勅語は「御名御璽」と、明治天皇自らが書いたようになっているが、実際は明治政府に任された元田永孚と井上毅が文案を作ったのだ。それを天皇がさもさも自分が考え勅を発したかのごとく宣言していること自体が欺まんであろう。このように史実を無視し、嘘とごまかしを論拠とし、癒しがたい傷を国民に負わせた前科のある教育勅語は、現在と未来の日本から抹消されるべきものである。

 ただ、誤解のないよう付け加えておきたい。教育勅語を拒否するからと言って、私は天皇制否定論者ではない。昭和天皇には批判的だったが、現天皇と美智子皇后の両陛下には深い尊敬の念をもっている。誇らしいくらいだ。今後の天皇皇后も現天皇ご夫妻のようであってくれればいいと願っている。そして、できれば天皇ご夫妻にはご退位後はもっと自由にあって欲しいと思っている。実際、私は天皇には国民と同じ人権があるのだろうかと時々感じるからだ。教育勅語は現天皇ご夫妻と今後の天皇家をも幸福にはせず、むしろ不幸にしかねない過去の亡霊だと思う。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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