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小さな事柄から -その3=

 同じタイトルのその2で、小さな事柄に気付いても、それがいつも思いがけない発見につながるわけではなく、むしろ単なる平凡な些事に過ぎないことが多いと書いた。しかしながら、「ふーん、面白いな」と、ちょっとした満足や一興の湧くものもある。ここではそんな一例を紹介してみることにしよう。

 私は毎日曜日にミサで使う「聖書と典礼」を家に持ち帰り、毎日の聖書を原典で読むのを日課の一つにしているが、6月14日(火)の第一朗読聖書で、「おや、これは何だろうか?」という合成語に出遭った。もう半年も前になるのだが、それは列王記上21章21節の中にあった。マソラ本旧約聖書だからヘブライ語だが、それがあった一節は次のように書いてあった。
列王記上21.21
 その日本語の新共同訳は、「見よ、わたしはあなたに災いをくだし、あなたの子孫を除き去る。イスラエルにおいてアハブに属する男子を、つながれている者も解き放たれている者もすべて断ち滅ぼす」となっている。
 ところが、その中の列王記上21.21 部分という語がどうもよくわからなかった。それは新共同訳では「(アハブに属する)男子を」と訳されている1語に相当した。しかし、ラルースのヘブライ語-フランス語辞書でしらべた限りでは、משתין の原型 השתין の意味は “uriner”(小便する)であり、בקיר は“au mur” (壁に)の意味であった。「男子」とは全然違う意味ではないか。それがなぜそう訳されているのだろうか?
 疑問に思ったので、他の日本語訳をいくつか調べてみたところ、どれもほぼ同じで「男子」と訳していた。では、外国語はどうかと、英訳、仏訳を調べてみた。すると、英訳は “every male”と訳し、仏訳は “les mâles”と訳していた。日本語訳と同じだ。ではもっと遡ってみようと、ラテン語のブルガタ訳を見てみたら、それにはquidquid masclini sexus とあった。これも「男性である者」の意味だから、邦訳や英仏訳と大差はない。
 そこで、それではもっと遡って、ギリシャ語の七十人訳はどう訳したのだろうかと思い、調べてみた。すると、それは “ουρουτα προς τοιχον”と訳していた。Ουρουτα は 動詞ουρεω「小便する」の現在分詞であり、προς τοιχονは「壁に向かって」の意味だ。何と、ヘブライ語原典とまったく同じではないか!と、驚いた。そして、七十人訳がそう理解したのだから、私の原典理解は間違ってはいなかったのだと嬉しくなった。と、その時ひらめいたのだ。
 「そうか、わかった! 『壁に小便をする』とは男のことなんだ。ブリュッセルには有名な小便小僧の像もあるではないか。壁に小便するのは男しかいない。これはおそらく古代オリエントで、男子のことを侮蔑的に言うときに使った言い回しなのではないだろうか」と。しかし、それは聖書の品位に欠けるので、キリスト教のために訳されたラテン語のブルガタ訳はその表現をやめ、「男性である者」というまじめな言葉に言い換えたのだろう。私はそう推察する。事実、「男子」という訳語はブルガタ訳に始まり、それ以後の諸訳はすべて(ただし私の知る限りだが…)それに追随している。
 だから、ここを原典に忠実に直訳すれば、「「(アハブに属する)壁に小便する者」でよいことになる。私はこの理解でよいかどうかフランシスコ聖書研究所に問い合わせた。しかし、かなりって同研究所から、研究者が不足しているので、目下休眠状態にあるからというお詫びの手紙が届いた。ただし、私の理解でよいかどうかの答えはいただけなかった。
 というわけで、専門家のお墨付きは得られていないが、私はそれで間違いなしと確信している。いずれにせよ、聖書の中に「小便小僧」的表現が見つかったのは愉快だった。そして、たった2語の意味とルーツを確かめるため、いろいろな言語の聖書を調べ回った時間は大いなる知的悦楽であった。この小さな事柄は、私に列王記上21.21が七十人訳では列王記Ⅲ20.21であることを気付かせてくれたが、それより大きな発見には結びつかなかった。だが、ほどよい知的な刺激はもたらしてくれた。




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小さな事柄から -その2-

 小さな事柄から思いがけない発見に至るもう一つの例として、ルカによる福音書5.4-6の「奇跡の漁」を挙げたが、ここではそれについて一考してみよう。 
 この出来事は、イエス様の話を聞こうとして群衆がガリラヤ湖畔に集まった時に起こった。主はシモン・ペトロの持ち舟に乗って群衆に教えた後、舟を沖に出させ、「(あなたがたの)網をおろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは「わたしたちは夜通し漁をしたが何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから網をおろします」と答えて、網をおろした。すると、おびただしい魚が獲れたのだった。そこで、他の舟の仲間に合図して手を貸してもらい、2艘の舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうだった。ペトロはそれを見るとイエス様の足元にひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。すると、主は「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われた。そこで、シモンはすべてを置いて主に従った。
 そういう出来事である。

 では、そのどこに例に挙げた「小さな事柄」があり、それがどんな思いがけない発見につながるのだろうか?その話の中にある「小さな事柄」とは、舟の中でシモン・ペトロが言った「わたしたち」という一語や複数形で表現された二三の動詞、つまり上掲の下線が引かれた語だ。そして、そこから見えてくる思いがけない発見とは、シモン・ペトロといっしょに兄弟のアンデレが働く情景である。記事は一言も彼には言及しない。だから人は舟の中にはイエス様とシモン・ペトロしかいなかったと思いがちで、アンデレの存在など思ってもみない。だが彼も舟にいたのだ。この考察でそれがわかるだろう。そして、その考察が奇跡の漁の情景を大きく変えることも。
 それを証明するのがアンダーラインした次の4語、すなわち、(1) 「(あなたがたの)網を」(ルカ5章 あなた方の網=vos filets)、(2)「おろして」(ルカ5章 網をおろせ=lâchez)、(3)「わたしたちは…何も取れませんでした」(ルカ5章 何も獲れなかった= nous n’avons rien prris)、(4)「合図して(ルカ5章 合図した=firent signe)」だ。それらに見られる「複数形」に鍵がある。従って、ここではそれらが「小さな事柄」に当たる。
 ところで、日本語は動詞の活用に単数、複数の区別がなく、英語もそれは不完全だ。だから、その舟にイエス様以外の人が複数いたかどうかは判然としない。しかし、福音書原典のギリシャ語だとそれははっきりわかる。それはラテン語、仏独スペイン語訳聖書などでも同じだ。だから、それらの言語で読むと、舟にはイエス様とペトロ以外にも人がいたことがわかるのだ。そこで下線を引いた言葉にはその証明をしやすくするため、それぞれに対応するギリシャ語とフランス語の言葉をつけた。

 さて、これら4語の(1)と(2)はイエス様の言葉で、(3)はシモン・ペトロの言葉、(4)はシモン・ペトロと他の誰か複数人の行為である。それらを原典のギリシャ語や諸訳語で見ると、イエス様はシモン・ペトロ一人にではなく、「あなたがた」と複数で話された。目の前に複数の話し相手がいる話し方だ。他方、シモン・ペトロはそれに答えて、「わたしは」ではなく「わたしたちは」と言っている。そして、合図という行動は複数の人がしたことになっている。
 それら個々の検証は煩わしいと思う人もいるだろうから後回しにして、単刀直入に核心に迫ろう。ここですぐわかることは、舟にはイエス様とシモン・ペトロだけでなく、少なくとももう一人の人Xがいたということである。その人のことは発言も行動も福音書では何一つ語られていないから、人はつい舟の上には主とシモン・ペトロだけしかいなかったように解釈してしまうがそうではなかったのだ。
 では、そのもう一人の人とは誰だったのだろうか?それがシモン・ペトロの漁に使う持ち舟であったことを考えれば、そのもう一人は仕事の相棒でもあったに違いないから、それが誰であったかはもう完全に絞り込める。それはシモン・ペトロの兄弟(おそらく弟)のアンデレだった。それ以外の人はいなかっただろう。つまり、その舟の上には主とシモン・ペトロとアンデレがいたのだ。
 それなのに福音書が彼の存在にまったく触れていないのは、おそらくその場面の主役が主とシモン・ペトロだったからではなかろうか。しかし、そのために多くの人は彼がそこにいたなどとは思ってもみない。だが、彼は確実にそこにいたのだ。仮にそれを認めないとなると、なぜ主が複数形でシモン・ペトロに網を入れるよう命じ、なぜ彼が「わたしたちは」と答えたのか説明がつかなくなる。その舟に彼がいたことは否定できない事実なのだ。
 では、彼はそこで何をしていたのだろうか?思うに、彼は余計な口出しはせず、兄シモンと共に主のお指図に従って、黙々と網を湖に投げ入れ、次は大漁で重くなった網を一生懸命に引き、とても自分たちだけでは手に負えないと思うや、他の舟にいた仲間に兄共々手を振って応援を求めた。そんな彼の様子と働きぶりを想像すると、私にはあの奇跡の漁の場面がより生き生きと瞼に思い浮かぶのだ。これが小さな事柄から見つかる大きな発見だ。

 だが、発見はそれだけではない。その時の彼は控えめだったから、誰にも注目されなかったかも知れないが、後日、奇跡の漁の一部始終を仲間たちに証言したのは彼だったと推測できからだ。そして、それは後に福音書によって全世界に伝えられられるに至った。この推測は単なる仮説ではなく、根拠のある真実だと私は確信している。なぜなら、この奇跡の漁の全貌は彼の証言なしには知られ得なかったと思うからだ。  
 考えてみればわかる。ある出来事の目撃証言は、その場にいた目撃当事者でなければできない。ところで、あの奇跡の漁では、目撃当事者は主とシモン・ペトロとアンデレしかいなかった。なぜなら、その出来事は湖の沖合で行われたから、陸地の人々には舟の上の人の動きが定かには見えず、主とシモン・ペトロが話した声も届かなかったはずだからだ。だから、その時の出来事の全貌を証言し得たのはその3人しかいなかった。 
 しかし、イエス様ご自身が事後にそのことを皆に話されたとは思えない。シモン・ペトロはおそらく話しただろう。だが、彼は会話の当事者だったから、自慢話と取られないよう控えめに話し、ある部分は話さなかったのではないかと思われる。しかし、アンデレは違った。彼はある意味で第三者的な立場だったから、人々にその時の全てを客観的に伝えることができたはずだからだ。
 彼は主と兄シモンの話をすぐそばで聞き、主から言われたことを直接実行した。従って、彼はその奇跡の漁を委細漏らさず証言できる最適任者だったのだ。彼は主の言葉を記憶し、なさったことをよく観察していた。そして、それを伝えることが自分の役目の一つだと理解し、人々に話しただろう。後年、福音を伝えに赴いた各地でも、おそらく彼は自分のとっておきの話の一つとして、いつもそれを話したのではなかろうか。私はそう想像する。
 そうだとすれば、彼は福音書の形成にも大いに貢献したことになる。いずれにせよ、一人称複数の主語といくつかの動詞の複数形という小さな事柄は、それをきっかけにして上記の発見ができた者にとっては、今まで持っていた奇跡の漁のイメージを大きく変える鍵穴となるに違いない。


付録
 さて、ここからは厳密であることを好む人々のために、「いくつかの複数の言葉はその舟にアンデレもいた」という証明を、個々の言葉ごとに論証して、付け足しておこうと思う。煩わしいと思われそうなので後回しにした部分だ。
(1)
 「(あなたがたの)網を」(ルカ5章 あなた方の網=vos filets)もイエス様の言葉だ。言語の構造が違うから、日本語訳聖書ではこの語が先に来ているが、原典等では「おろし」の方が先で、この語は後に来ることを心得ておこう。また、日本語訳では煩わしさをさけるためだろうか、「あなたがたの網を」の(あなたがたの)を省略して、「網を」としか訳していない。日本語ではそれでいいのだが、原典や西欧語訳では(あなたがたの)という所有形容詞がちゃんとついて「あなたがたの網を」となっている。これも心得ておこう。
 ところで、もしその舟にいたのがシモン・ペトロだけだったら、主は「あなたの網を」と言われたはずだ。しかし、実際は(あなたがたの)と言われている。それは相手が複数であり、その網の共有者であることをご存知だったからである。では、シモン・ペトロと網を共有していたのは誰であったかと言えば、それはアンドレ以外にはいなかった。
(2)
 「(網を)おろし」(ルカ5章 網をおろせ=lâchez)はイエス様のお言葉だ。主はシモン・ペトロに「舟を沖に漕ぎ出して」と言われた時は彼だけに相当する単数2人称でそう言われた。ところが、次に「網をおろし、漁をしなさい」と言われた時は複数で言われている。日本語訳は省略しているが、本来は「あなたがたは網をおろし」なのだ。ところで、イエス様は「あなたがた」と言われたが、それは相手が二人以上だったからに他ならない。もしシモン・ペトロだけが舟にいたのなら、そうは言われなかったはずだ。
 では、シモン・ペトロ以外に誰がその舟にいたのだろうか?それは兄弟のアンデレ以外には考えられないだろう。ヤコブとヨハネが兄弟で漁をしていたように、シモン・ペトロも兄弟のアンドレと漁をしていたと考えるのが一番妥当だ。舟の操舵は一人でもできるが、網は二人以上いないと扱いにくい。相棒が要る。だから、もともと舟には二人がいた。主はその二人に向かってそう言われたのだ。従って、舟にいたもう一人はアンドレだった。

(3)
 「わたしたちは…何も取れませんでした」(ルカ5章 何も獲れなかった= nous n’avons rien pris)と答えたのは、シモン・ペトロだ。この一句は日本語とは逆に、原典では「わたしたちは」という主語が書かれていない。ギリシャ語やラテン語では、人称主語は省略されることが多い。動詞が人称と数で活用されるから、活用の形を見れば主語が必然的にわかるからだ。ところで、ここでの場合、ギリシャ語のルカ5章 何も獲れなかった elabomenは、この一語だけなら「わたしたちは獲りました」の意味だ。しかし、それに否定詞ルカ5章 ouden(何も)が来ると、「わたしたちは何も獲れませんでした」の意味になる。
 ところで、シモン・ペトロは「わたしたち」と言ったが、それは他の人がいたからで、彼はそれを代表してそう言ったのだ。そして、彼がその舟で「わたしたち」と言えたのは、兄弟でもあり漁の相棒でもあったアンドレ以外にはいなかった。よって、舟にいたのはアンデレであった。
(4)
 「合図して(ルカ5章 合図した=firent signe)」は、シモン・ペトロとアンドレの二人の行動だ。日本語や英語では二人のうちの一人が合図したのか、二人が一緒に合図したのかはわからない。しかし、原典ではκατενευσανは動詞κατανευωの能動態アオリスト形3人称複数だから、二人が合図したことがはっきりわかる。同じようにフランス語訳も動詞faireの能動態単純過去形3人称複数でfirentと表現している。
 ところで、イエス様がシモン・ペトロたちの仲間に手を貸してくれと合図するはずはなかったので、合図したのは主以外の複数の人だったことになる。では、それは誰だったかと言えば、消去法によってシモン・ペトロとアンデレ兄弟であったことがわかる。ところで、シモン・ペトロの存在はわかっているから、その複数のもう一人Xはアンデレであることがわかる。
 以上、4語の小さな手がかりから、その舟にはイエス様とシモン・ペトロ以外に、アンドレがいたことが証明でき、イエス様のお言葉に従って、黙々と行動していたことがわかる。



 

小さな事柄から -その1-

 オランダにいた長男夫婦を訪ねたとき、もうすぐハイハイしそうだった孫が何かを口に入れかかったのに気づいた。慌てて取り上げたら、何とそれは床に落ちていたゴミの小片だった。そこで思った。なるほどなぁ、立っている大人と違い、腹ばいの赤子の目は床面の間近にある。だから、ゴミがあると目ざとくぐ見つけてしまうんだな、と。
 聖書を読む時にも似たことが起こる。お座なりな読み方だと見つからないが、細部にまで目を凝らして読むと、小さな事柄に気付き、時としてそこから思いがけない発見に至ることがあるからだ。もちろん些事は単なる些事で終わることが多い。だが、時として掘り出し物的な発見につながる些事もあるにはある。ここではそういう例を二つだけ挙げてみる。マルコによる福音書4.35-41にある「嵐を鎮めた奇跡物語」やルカによる福音書5.4-6にある「奇跡の漁」の中で気付いた小さな事柄だ。 

 では、マルコ4.35-41の嵐を鎮めた出来事では、どんな小さな事柄があり、それがどんな発見につながるのか、まずそれを紹介しようと思う。この奇跡物語は、イエス様と弟子の一行が舟でガリラヤ湖の対岸へ渡る途中、激しい突風に襲われ、弟子たちがパニックになった時、イエス様が風と波を叱って鎮静なさったという話だ。そこにある伝統的なメッセージまたは教訓は、弟子たちに見られた信仰の薄さの認識と、自然界をも従わせたイエス・キリスト様の神的な力に対する信仰だ。
 しかし、この出来事には、実は他の大事なメッセージや教訓も隠されているのだ。そして、それはほんの小さな一句に気付くことによって発見できる。では、その小さな一句とはどれかというと、36節だ。原典ではそれはマルコ4.35-41 前 小マルコ4.35-41 後と書かれているが、共同訳はそれを「ほかの舟も一緒だった」と訳している。マタイ8章とルカ8章も同じ出来事を伝えているが、イエス様の乗った舟以外の「ほかの舟」( マルコ4.35-41 他の舟)の存在を伝えているのはマルコの福音書だけだ。読者はそれに気付いていただろうか?それも舟は複数なのである。日本語だと複数かどうかはわからないが、他の諸外国語ではすべて複数で書かれている。例えば、英語では"boats"と明記されている。
 ということは、「ほかの舟」は2艘以上あったわけで、イエス様が乗った舟を入れれば少なくとも3艘だったことがわかる。考えてみればそれはそうだっただろうなとうなずける。なぜならガリラヤ湖で使われていた当時の舟は小さくて、12使徒だけでも1艘には乗り切れなかったかも知れないからだ。無理して乗れば乗れただろうが乗員過剰は危険だった。漁師出身が多かった彼らはそれを知悉していた。
 それに12使徒以外の弟子たちもいたし、一行の世話をしていた女性たちもいた。一般群衆は置き去りにできたが、仲間の一部を残していくわけにはいかなかっただろう。だから、数艘の舟に分乗して対岸に向かったのではなかろうか。しかし、イエス様が乗られた舟は一艘だけで、「ほかの舟」には不在だった。ここに大事なポイントの一つがある。そして、それに気付かせてくれるのがこの「ほかの舟」という一語なのだ。それは小さな一語だが、私たちに大事な発見をさせてくれるきっかけとなってくれる。

 では、どんな発見かと言うと、まずイエス様不在の舟における弟子たちの計り知れなかった恐怖だ。私たちは、イエス様の乗っていた舟が激しい突風に襲われ、荒波をかぶって水浸しになったとき、弟子たちが恐怖のあまり眠っていた主に、「主よ、助けてください。おぼれそうです」(マタイ8.25)と叫んだことを知っている。しかし、他の舟にいた弟子たちの恐怖はもっと凄絶だったに違いないのに、それを想像したことがあるだろうか?死の危機にあったのは同じでも、彼らの舟には「助けて」と頼める主がいなかったのだ。
 「助けて」と言える誰かがいるのといないのとでは、希望と絶望の落差がある。それを知ると、イエス様が不在だった「ほかの舟」の弟子たちは、死の恐怖と自然の猛威の前に完全に無力で、ただおろおろするばかりだっただろうと想像できる。多少でもできたことがあったとすれば、舟に流れ込んだ水を掻い出すことぐらいだっただろう。あとは逆巻く波と凄まじい風に翻弄されるしかなかった。「ほかの舟」の存在は、そんな想像を絶する恐怖の現実があったことを私たちに教えてくれる。第一の発見だ。

 ところが、それほど激しかった波風が突然ぱたっと止んで凪になった。その瞬間、「ほかの舟」で恐怖に震えていた弟子たちは「えっ?」と驚き訝しんだことだろう。ここに二つ目の発見が始まる。主と同じ舟にいた弟子たちは主が風と波を鎮められたのを目撃した。だから驚嘆して畏怖を覚えたが、「ほかの舟」にいた弟子たちはその激変がなぜ起こったのか全くわけがわからなくて驚いたのだろう。主が何を言われ、何をなさったかもまだ知らなかったからだ。驚きの理由が違った。
 嵐の真っ最中は、イエス様が乗っていた舟の弟子たちの声も主が風と波に命じられた声も聞こえなかっただろう。舟と舟は間隔を取っていただろうし、暗雲の下で荒波に揺られる湖上では、主が何をなされたかも目撃できなかったに違いない。しかし、対岸に上陸した後、彼らは主と同じ舟にいた弟子たちからなぜ波風が止んだか一部始終を聞いて、そうだったのかと納得し、信じたのだと思われる。弟子でも全部が主の言動をすべて目撃してはいないのだ。そういう弟子は目撃した弟子から聞いて信じた。ここに二つ目の発見がある。「見ないでも信じる」信仰の在り方だ。

 イエス様が乗っていた舟と不在だった「ほかの舟」は今生きる私たちにも通じる。私たちは誰もが苦難や迷いを経験する。人生の試練だ。しかし、祈って頼れる主が共にいてくださるなら、苦悩の闇を通り、迷いの波に翻弄されても、耐えかつ乗り越えられる希望がある。風も波も鎮める力ある方がいてくださるからだ。
 もう一つはイエス・キリスト様の福音を信じる信仰のあり方だ。主が教えかつなさった事績を私たちは聞いて(あるいは読んで)信じるしかない。目撃し直接体験することはもうできないことだからだ。しかし、それは現代の私たちだけではない。主の直弟子たちでさえ多くは同じ条件下にあったのだ。「主が不在だった舟」の考察はそのことをも教えてくれる。彼らも聞いて信じた。それは信仰の普遍的なあり方なのだ。
 ところで、主が共にいてくださる舟とは現代では何であろうか?私はそれを教会だと思っている。だから、人生の船路では主がおられる大船を選び、頼れる者が不在の小舟には乗らない方がよいと思っている。折しも今私たちは待降節第4主日を迎える直前にいるが、この日の福音にある「イマヌエル」とは「神われらと共に在す」の意味だ。嵐の奇跡には、私たちが主のいる舟に乗って、主と共にいる賢さをも教えているのだと思われる。
 聖書の解説書でも教会の説教でも、この嵐の時の奇跡で語られるのはイエス様が乗っておられた舟の中のことがほとんどだ。しかし、他の舟にいた弟子たちのことを想像することはそれに劣らない価値がある。神なき人生の小舟がどんなであるかを、「ほかの舟」にいた弟子たちの体験が教えてくれるからだ。これはこの出来事から得られる三つめの発見だと言ってもよかろう。
     (長くなってしまったのであとはーその2ーに)

聖書の物原 (1)

 ある親しい陶芸家から、傷物や不出来な作品の捨て場所を、陶芸の世界では物原と呼んでいると教えてもらった。実際の物原を見たことはないが、その呼び名には味があるなと思った。ドライに言えば、それは割れた破片が重なる器物の墓場に過ぎないだろうが、その言葉には作品として一度は存在してくれた物へのかすかな愛情と、幾ばくかの敬意が感じられるからだ。
 しばらく前から、私は聖書にも陶芸の物原のような片付け場所があるといいなと思うに至っていた。特に旧約聖書には、傷物や不出来で価値の低い陶芸作品のように、聖書の物原へ出す方がよいと思われる教えや出来事が少なからず散在するからだ。しかし、そのことを取り上げるときりがなくなってしまうので、ここではむしろ新約聖書でも物原に出した方がよい場合があることの一例を挙げるだけにしようと思う。まさに今日それに出合ったばかりだからだ。

 私は「聖書と典礼」に従って1年半前から、毎日の聖書を毎日原典で黙読しているが、典礼A年の今日、12月13日(火)の福音はマタイ21.28-32であった。ギリシャ語原典には何ら問題がなかったが、その日本語訳に問題が見つかったのだ。新共同訳やフランシスコ会訳などには問題はないが、日本聖書協会やギデオン協会の訳にはこの章節の訳に歪曲があり、それは些少な問題ではないとわかったからだ。
 どんな歪曲かと言うと、原典と幾つかの訳を読めばわかるが、原典はこう書いている。「(イエスは話された。)あなた方はどう思うか。ある人に二人の息子がいた。父は最初の息子に今日ブドウ園へ行ってくれと言った。ところが、その息子は『嫌です』と拒否した。しかし、後で思い直し、働きに行った。父は他の息子にも同じように言った。すると、彼は『はい、父よ』と答えた。しかし、働きには行かなかった。その二人のうち父の望みに応えたのはどちらか?彼ら(祭司や長老達など)は答えた。『最初の息子です。』」
 どの邦訳も「最初の息子」を「兄」とか「長男」と訳している。それは原典ではπρωτοςと書かれており、ヴルガタ訳、仏訳、英訳などもそれぞれprimus, le premier, the firstと訳している。直訳すれば「最初の息子」だ。父がブドウ園へ行って働いてくれと、二人の兄弟のうちの一人に最初に言ったから「最初の息子」なのだ。だから、必ずしも兄とは限らない。しかし、長幼の序からすれば、兄弟の最初または一番目は兄だから、兄とか長男とか訳すのは間違いではない。日本語ではむしろ妥当であろう。
 他方、「他の息子」は原典ではετεροςだが、ヴルガタ訳、仏訳、英訳などはこれをそれぞれalterus, le second, the secondと訳している。本来は「他の息子」の意味だが、前者を兄としたならば、後者を弟とするのは筋が通る。間違いではない。従って、問題はその後にある。日本聖書協会訳は兄について、「彼は『お父さん参ります』と答えたが、行かなかった」と訳している。ここに歪曲があるのだ。原典はそれとまったく逆で、「彼は『嫌です』と拒否した。しかし、後で思い直し、働きに行った」と書いてあるからだ。
 では、弟の方はどうかとみると、日本聖書協会訳は、「彼は『嫌です』と答えたが、後から心を変えて、出かけた」と訳している。しかし、原典もほとんどの翻訳聖書も「その息子は『はい』と答えた。しかし、働きには行かなかった」としている。ここも原典とまったく逆の訳だ。あるいは原典の文章を勝手に位置替えしたとも言える。そのどちらかでなければ、このような訳は成り立たない。
 そして、そのような訳にしたから、結論も致命的な誤訳になった。「その二人のうち父の望みに応えたのはどちらか?」と言われたイエス様の問いに、「あとの者です」と答えさせざるを得なくなったのだ。しかし、原典では、人々は“O πρωτος”(= Primus, le premier, the first、兄または最初の息子)と答えている。従って、あとの者(または弟)と答えさせた同協会訳はまったくの歪曲と言わざるを得ない。ギデオン協会訳も同じで、これは英語と日本語の対訳だから、見くらべれば間違いは一目瞭然であるのに、なぜ間違いがまかり通っているのだろうか?恥だ。
 このような瑕疵がある以上、この訳は物原に出さざるを得まい。マタイのこの章節が傷物だとか不出来なのではない。むしろそれは見事な譬えの一つだ。ラテン語訳、英仏語訳なども正確であり、邦訳も新共同訳やカトリック教会の諸訳には間違いがない。たとえ間違いがあっても少々なら許容できる。しかし、上述のような歪曲は許容できるものではない。だから、訳者のご苦労には敬意を払うが、私は聖書協会やギデオン協会のこの章節の訳を聖書の物原に出すことにした。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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