スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

意志の上にも三年

 この一週間は運動Ⅱニュース15号の編集と印刷に追われ、聖書原典黙読も福音は全部読んだが、旧約聖書はいくつかスキップした。だが、運動Ⅱニュースの仕事も一段落し、やっと時間ができたので、最近自分の日常生活に起きたちょっとした一つの変化を、誕生月である9月が終わる前に書いておこうと思う。

 私は昨年の5月から毎日、ミサで使う「聖書と典礼」を利用して、その日の第一朗読と福音を原典で黙読してきた。初めはギリシャ語が大変で、投げ出したくなる時もあった。だから、読み切れない時はそれをスキップして、翌日の聖書に移る方針にした。さもないと前日の読み残し聖書が借金みたいにたまっていきそうだったからだ。
 しかし、継続は力なりと言われるが、まさにその通りだった。1年半弱だが、この黙読を続けてきて、最近はギリシャ語を難しいとは思わなくなり、その日の聖書を読み切れずに終わることもなくなった。むしろ、「明日の福音は何だろう。それを読んでみたい」と待ち遠しくなることが多くなった。それで一週間前、すなわち先週の誕生日を境に、毎日の聖書黙読の方針を変えた。「その日の聖書原典黙読」ではなく、「明日の聖書原典黙読」にしたのだ。
 理由は二つある。一つは翌日の福音を読んでみたい興味である。もう一つは、日曜日の聖書3か所を事前に読んでおきたい思いだ。ところで、そのためには日曜日の聖書は土曜日に、土曜日の聖書は金曜日にという具合に、一日ずつ前に読まなくてはならない。すなわち、毎日の聖書原典黙読は「明日の聖書原典黙読」になる。これが最近の私に起こった変化で、今後しばらく私の日々の軸になる。
 教会の典礼暦年は3年で一巡する。私が「聖書と典礼」を使って日々の聖書黙読を始めたのはまだ1年半弱だが、原典を読む困難は減る傾向にある。すなわちそれは進歩の証拠だから、この年でも進歩は可能なのだと喜んでいる。この計画の前は、すでに2012年から2015年までの3年間、旧約聖書を原典で通読する3年計画を実行した。その時も初めはヘブライ語に多くの困難を感じ、黙読速度は遅々としていたが、終りごろには全てがかなり好転した。 
 今の新約聖書原典黙読でも同じで、すでに福音書は楽に読めてきているが、使徒パウロの書簡等はまだ難しい。だが、旧約聖書通読の3年で確信した。石の上にも三年とは、石の上にも3年座っていれば石が温まるという故事だが、私の場合は意志の上にも3年だ。旧約聖書通読の3年は意志のエンジンを温めてくれた。「明日の聖書黙読」もこのまま続けられたら、一年半後の5月にはもう一つの意志の上の3年を米寿で達成することになる。今はそれができればと願っているところだ。

 かつて、恩師のM先生が、ある市の広報に「時間を売ってくれませんか」という一文を寄稿した。「Sの便りには時間を売っている人があったら買いたいと添え書きがしてあった。昭和十九年、国民学校高等科の後、少年飛行兵として九州で猛訓練を受け、終戦で無事生き残り帰ってきたS。(中略)戦争から平和への転換。彼は外国語の学習に取り組んだ。英語から手を付け、少なくとも五か国語はマスターしたいと懸命に。働きながらの彼に一番必要なもの、それは時間。『時間を買いたい。時間を売っていませんか。先生』と。彼は血の出る苦労で高校を卒業し、大学では哲学を専攻し、七年間カナダへ留学し、現在T大学で教授として苦労話に花を咲かせ…活躍している。云々」とある。
 Sとは実は私のことだ。昼間登記所で働き、定時制高校に行っていた若き日、私は年賀状にそう書いたらしい。「苦労話に花を咲かせ…活躍している」は褒められすぎだが、略歴はほぼその通りだった。貧乏農家の生まれだった私は旧制中学に行けず、泣く泣く高等小学校に上がった。しかし、学校から帰ればすぐ父の農作業の手伝いをした。夜は家に40ワットの裸電球が2個あるだけの農家だ。だから勉強することはほとんどなかった。
 それが猛烈に勉強したいと思い出したのは、戦後1年目に登記所で働き始めた16歳の頃だった。藤沢市でも駅前に闇市ができ、異常なインフレが始まり、人心は荒み切っていた。そんな中で、私は学びたくてたまらず、遊行寺が経営者の藤嶺学園藤沢中学の夜間部、つまり定時制に入学した。今思うと、知的勉強はしたい欲求が出る年になったらさせよと言った、ルソーのエミールの教育を地で行くものだった。そして、そこで初めて英語を学んだのだった。
 今でも思い出す。藤嶺学園の夜間中学3年への編入試験で、私は英語が0点だった。なのにどうして合格できたかというと、それは面接の先生から「君は国語と数学が断然いいから入れてやる」と言われてわかった。当時は編入試験にもそんな大らかな所があった。だが、実を言うと英語ができなかったのは私だけでなく、その頃は多くの受験生がそうだったのだ。戦時中は英語を敵性語として排斥し、旧制中学でも学ばせなかったからだ。
 そんなわけで、夜間中学で私は初めて英語を学び始めた。ところが、関東配電(現東京電力)は電力不足から頻繁に停電をさせた。夜間学校だから停電になると実に困る。教室は真っ暗だ。だがそんな時、私たちが自発的に始めたのは政治討論と英会話だった。話すのは暗闇でもできたからだ。いい先生がいなかったせいよりも、私に能力がなかったからだろうが、私の英語はあまり上達しなかった。でもその未熟な英語のお陰で大学には入れた。
 しかし英会話はだめだった。それは今もあまり変わらない。そもそも私はおしゃべりが好きではない。好きではないからおしゃべり上手にもなれない。それは外国語でも同じだ。思うに女性が語学に優れているのは子どもの時からおしゃべりの訓練をしているからではなかろうか。
 でも、必要にせまられれば男も語学と取り組む。私もそうで、大学ではスコラ哲学に必要不可欠とされたラテン語を学んだ。第二外国語としては仏語もギリシャ語も学んだが、どれもかじった程度でものにならなかった。しかし、ラテン語は哲学本科での筆記試験にも口頭試験にも必要だったのでやらざるを得ず、必死でものにした。これが私の学んだと言っていい2番目の外国語だった。そして、それは後で役に立った。
 私は今、「意志の上にも3年」のバックグランドのつもりで、恩師が「英語から手を付け、少なくとも五か国語はマスターしたいと懸命に」やったと書いてくれた私自身の過去のことを語っている。その時私は恩師に、「少なくとも五か国語以上」と大口をたたいたらしいが、大学の後はカナダに留学、生活の必要から7年間フランス語で学問しフランス語で暮らしたから、3番目の外国語をクリアできた。

 私は大学の哲学科卒論に早くからプラトンの直感認識を選んでいた。だから、その準備のため第二外国語でギリシャ語を学んだが、結果的にそれはほとんど身に着いていなかった。ところが、後年それを学び直してみようと思い立ったのは、アリストテレスの二コマコスの倫理学を原典で読みたいと思ったからだった。1980年、50歳の時だった。大学の教育学科で道徳教育の研究という講座を担当していながら、かの倫理学書を翻訳でしか読めないのを何とも情けないと思ったのだ。
 しかし、年齢的にも時間的にも、もうどこかの大学のギリシャ語講座に通って学ぶのは無理だったので、私は独学することにした。私に必要なのはギリシャ語の会話力でもビジネス知識でもない。読解力だ。それは①文法による言葉の構造、②語彙の豊富化、③相応な読書、④よい辞書、⑤持続的独学努力の5つが揃えば可能だ。そこで私は、⑤を実行に移すため、独学で3年間、重点的にギリシャ語の習得をする「意志の上の3年計画」を立てた。
 ④の辞書はDictionnaire Grec-Français, par V.Magnesien-M.Lacroix, Librairei Belin と岩隈直著、新約ギリシャ語辞典を入手した。①は古川晴風著、ギリシャ語四週間を選んだ。③は新約聖書の福音書とギリシャ語四週間の練習問題でよしとした。ギリシャ語はこの文法書のタイトルのようには四週間でマスターできるわけがない。しかし、そうであってもその気になって、短期間にこの言語の性質や構造を理解することが先決だと思った。
 最も忍耐が要るのは②の語彙の豊富化だ。これは一つ一つ覚えるしかない。戦争で言えば文法は空爆、語彙の豊富化は歩兵による一軒一軒の占領のようなものだ。その3年計画1年目、私は①の文法的理解に注力した。名詞、形容詞等の曲用はラテン語で慣れていたから苦労しなかったが、動詞は超難物だった。そもそも能動態と受動態はどの言語にもあるが、ギリシャ語みたいに中間態なる態がある言語は稀だ。その全活用を記憶するのは至難だし、不規則変化も半端ではない。だから、これには今も苦労している。
 しかし、それより更に不断の努力を必要とするのは②の語彙の豊富化だ。つまり一つ一つの新しい語や表現を覚え込むことだ。
これにはラテン語を習った時、一度出た語彙は絶対に覚えさせる主義だったロス司教様の厳しい教えが役に立った。その授業について行けた時の自信が蘇ったからだ。私は語彙の豊富化を、その文法書に出てくる語彙や聖書で出会う初めての語彙、または忘れてしまっている語彙を徹底的に覚えることで達成しようとした。しかし、50歳過ぎると記憶力は明らかに青年時代に劣る。ではそれをどう補うか?私はしつこさで補うことにした。つまり、何度も何度も回数を厭わず、時間がかかっても覚えるまで懲りずに食い下がることだ。Gutta cavat lapidem sed saepe cadendo.
 その一方法として、私は車で運転している時の信赤信号で30秒とか1分間待つ時間を利用することにした。私はまず単語カードを用意し、名詞や形容詞は簡単に書いたが、動詞は表に現在形のスペルと主要部分(未来形、アオリスト、中間・受動態現在形、アオリスト等)を書き、裏に意味を書いた。次にそれを一枚一枚めくれるよう工夫して、車のフロントに固定した。そして、赤信号で止まる度にカードの1語を見て暗記し、次の信号まではそれをくり返し徹底的に覚えるようにした。次の信号では1枚めくって、また同じことをする。こうして30分、1時間の運転を一石二鳥に有効利用した。
 語彙は机に向かって覚えるのでは時間がもったいない。机に向かった時はその時でしかできないことがある。しかしその3年間の私は、車の運転中は音楽を聴く代わりに、ギリシャ語の語彙を増やすために時間を使った。トイレに入っている時も同じようにした。では、その3年計画でギリシャ語をマスターできたかというと、そうは思わない。今もまだ努力の途上にあるからだ。しかし、一応達成もしたと思う。3年計画を4福音書のギリシャ語通読で締めくくれたからだ。ただし、私のギリシャ語は独学だから発音が自己流であり、会話は全然できず、読むためだけのものだが、とにかくこれが私のものにした4番目の外国語である。

 その5年後の1988年3月から取り掛かったのは「ヘブライ語マスター3年計画」だった。これは旧約聖書を原典で通全部通読したいから始めた。学習方法では、①文法はキリスト教聖書塾出版のヘブライ語入門に従い、④辞書は同塾出版の現代ヘブライ語辞辞典とLarousseのNouveau Dicitionnaire hébreu-françaisを使い、②、③、④の点はギリシャ語の場合とほぼ同じだった。
 文法は約半年で学び終わった。ヘブライ語はカナダで少し習ったが、覚えていた物事は僅かでほぼゼロからの再学習だった。しかし、動詞の活用などはギリシャ語に比べずっと簡単でマスターしやすかった。だから文法習得後はすぐアラム語・ヘブライ語対訳新約聖書を入手して、4福音書と使徒言行録をヘブライ語で読んだ。訳が現代ヘブライ語でやさしかったからだ。それに対し、旧約聖書はそのヘブライ語が現代ヘブライ語とかなり違って難解だったから、すぐには原典で読まなかった。
 しかし、2012年7月から旧約聖書全部の原典通読を始めた。もう一つの3年計画だった。それに使ったのはロンドンのThe British and Foreign Bible Society出版、Norman Henry Snaithによる“マソラに従った律法・預言・諸書の本”だった。ユダヤ人は聖書をそう呼ぶ。この時、旧約聖書原典を読むにはキリスト教聖書塾のヘブライ語辞典はほとんど役に立たないことが分かった。語彙が足りないのだ。だから、ほとんどラルースのヘブライ語-仏語辞書を使っている。仏語をやっていてよかったと思う。
 この通読によって私は多くの発見もできた。お陰で私の聖書観も変わった。そして、ヘブライ語の読解力もついたと感じる。ここはその評価や感想を述べる場ではないが、読み通せてよかったとつくづく思う。その3年間に原典通読をし遂げたお陰で、今やっている「明日の聖書黙読」では、旧約聖書を原典で気後れせずに読めるからだ。とにかく、これが私の学んだ5番目の外国語であたる。

 実はおまけの6番目外国語がある。スペイン語だ。あまり好きな言語ではないが、それを習ったきっかけは1980年に手を貸す運動を始めたことだった。その支援先の西アフリカ、シエラレオネは英語が共通語だが、当時のミッションのシスターたちはほとんどがメキシコ人だったから、会話や文通はスペイン語がベターだったのだ。そんなわけで、1991年にそこを始めて訪問することになったとき、スペイン語を知っていた方がいいと考え、学び始めた。61歳だったから、その年でも言語を習得できるかのテストでもあったのだ。
 スペイン語は話せる必要があったから先生についた。結論から言うと、やはり会話力はつかなかったが、読み書きはあまり辞書の世話にならずにできるから成功したと言えよう。それはメキシコのミッションにメール通信したり送金したりするときなど、今の支援活動で役に立っている。しかし、10年以上学んだのに、それに見合う進歩はしなかったと思う。やはり60歳では限界だったのかも…そうであってもこれが私の6番目の外国語であることには変わりはない。
 ところで、スペイン語で読書力がついたのは、私が一番得意とする仏語との共通点が多いからだとは思うが、聖書をも全部スペイン語で通読したからだと思う。聖書は叙述的文章、会話の文章、論理的文章、詩、文学的文章など多様な文章形体を含んでいるから、それを全部読むとその言語力がつくのだと思う。聖書は外国語で読むと新しい発見もある。だから私は外国語の力をつけるには聖書を読むといいと勧めている。

 いずれにせよ、私が若い時恩師に「少なくとも五か国語以上マスターしたい」と言ったことは、大口をたたいただけではなく、実現はできたと思う。曲がりなりにも6つの外国語で読み書きできるようになったからだ。だが、会話はもうどれも自信がない。難聴で、日本語でさえ妻の言うことを、「え?え?」と何度も聞き返す始末だからだ。しかし、今やっている「明日の聖書黙読」3か年計画は、米寿で成就できるように続ける。老境にある人たちの励ましになるためにも。
スポンサーサイト

嬉しいことがあった

 今週は嬉しいことが二つあった。一つは手を貸す運動Ⅱが主催した9月18日のチャリティーコンサートが成功であったこと、そしてもう一つは9月19日、応援しているDeNAベイスターズがクライマックスシリーズの出場権を勝ち取ったことだ。もう数日たってしまったが、そして、こういう部類の出来事は通常ここには書かない私だが、聖書の話ばかりでなく、こういう話題もいいかと思って書いておく。しかし、クライマックスシリーズのことはこれからだから、ここではコンサートのことだけにしようと思う。

 手を貸す運動Ⅱは去る9月18日(日)、カトリック町田教会の聖堂を使わせてもらい、チャリティコンサートin町田を開催した。これは2月以来準備してきた今年度一番のイベントだった。演奏は横浜FC木管アンサンブルの皆さんで、楽器はフルート、クラリネット、ファゴット、サックス、キーボードの五種類であった。私は木管楽器の音が好きなので、演奏を楽しみに待っていた。
 数日前から台風16号が生まれていたので、それが直撃しなければよいがと心配したが、幸いにもそれは2日ほど遅くなってくれた。その上、雨も少ししか降らないでいてくれて、神様が人の出足が鈍らないよう計らってくださったようにさえ思えた。
 聴衆は私たちの予想を超え、150人ほど来てくれた。開演15分前ぐらいの時は30名ぐらいしか席を埋めておらず、これではどうなることかと心配したが、直前になるとどっと入場者が増えたのだった。このコンサートはチャリティーであっても資金集めが主目的ではなく、海外の貧しい子たちを支援している人たちをねぎらうためだったから、聴衆のその入りを見て、私は大成功だったと思った。なぜなら大勢の人達の注目を集めることができたからだ。つまり、支援者たちはそういうことで大いに元気づけられ、ねぎらいを感じるからだ。
 このコンサートのもう一つの特長は他の似たような支援団体に声をかけ、協賛してもらったことだ。共催だと責任を等分に引き受けなくてはならないから重荷だろうと思って、協賛に誘ったのだ。私は自分たちだけが発展し成功することは好まない。他のグループとも共存共栄したい。友愛だ。しかし、協賛は多すぎるとまとまらないから、ESA友の会in町田だけに声をかけた。一緒にやれば彼らもPRできると思ったからだ。
 チャリティだったので、演奏者さんたちは謝礼無しの完全奉仕で演奏してくださった。これは実にありがたかった。だから主催する私たちも「それでは…」と、入場チケットは無しにし、プログラムと引き換えにワンコイン入場献金500円をいただいて、入場していただく方法をとった。しかし、「おつりはいいから」と、お札を出される方もすくなくなかった。ありがたい気前の良さだった。

 プログラムは2部構成で、第1部は“世界の名曲”、第二部は“日本の詩”だったが、演奏は好評だった。それがわかるのはたくさんのアンケートが返って来て、よかったという評価が圧倒的に多かったことでわかった。以下に3例だけ挙げる。
 「美しい演奏でした。第二部演奏見事でした。第一部選曲がよかった。聖堂の中で、気持ちよく聞かせていただきました。有難うございました。演奏家の皆さんが幸せそうでした。」
 「最初のアヴェマリアのメロディが流れたとたん、じーんと涙がにじんできました。最後までとても心地よく伺いました。」 
 「懐かしい曲が多く思わず口ずさんでしまいました。楽しく、ゆったりした日曜の午後の一時、ありがとうございました。素晴らしい演奏でした。」

 今回のコンサートは演奏会場が教会の聖堂だったから、聴衆にはもちろん信者さんが大勢いたが、それ以上に一般の方々が多く来てくれた。プログラムには手を貸す運動Ⅱと協賛してくれたESAのリーフレットを挟んだので、教会外の方々の多くにもPRができた。その方々の中から少しでも支援に加わってくれる人が現れれば、それは望外の喜びになる。
 サーボラン達は準備に最善を尽くし、演奏家の皆さんは快く素晴らしい演奏をしてくださり、教会の方々も協力してくださった。それが聴衆に伝わったから、このコンサートはアットホーム感があって好評だったのだろう。やってよかった。神様の祝福もあったと確信している。また一つ人生の土産ができた。

マザーテレサの列聖から連想

 もう4日経ってしまったが、9月4日にマザーテレサが列聖され、日本の一般新聞もそれを大きく取り上げた。そして、今日はカトリック新聞9月11日号がヴァチカンにおけるその列聖の様子を一面に大きく掲載した。それは現代におけるこの聖女の存在意義がいかに大きいかを示している。しかし、その生涯やメッセージ、その影響等はもうよく知られている。だから、私が言及するまでもない。ただこの列聖にあたり、ある連想が私の脳裏をよぎったので、それを書いておこうと思う。
 
 私は聖マザーテレサが旧ユーゴスラビア出身であることは知っていた。しかし、そのスロベニアあたりかな、ま、どうでもいいやと、正確な出身地にはこれまでほとんど関心がなかった。しかし、今回のニュースで、それがマケドニア共和国であることを知った。そして、それは私に二人の偉大な人物を連想させたのだ。一人はアレキサンドロス大王、もう一人は異邦人の使徒聖パウロだ。

 アレキサンドロス大王は一般史でも有名だが、聖書にも記述がある。ユダヤ人のマソラ聖書にはないが、ギリシャ語の七十人訳ではマカバイ記上の第1章に、彼がペルシャとメディアのダレイオス大王を倒して、中東全域を征服したことが書かれている。紀元前4世紀のことだが、その支配はインダス川以西の中東からエジプトにまで及び、それ以前に出現したどの王国よりも強大であった。
 ところで、そのアレキサンドロスはマケドニアの王だったのだ。むしろマケドニアという国名は、彼によって世界史に記憶されるようになったといっても過言ではなかろう。今もエジプトのアレキサンドリアのように、いくつかの国には彼の名をもらった都市がある。それは彼が行った征服の痕跡だ。彼の出現は世界の成り行きに大きな影響を与えた。思うに、もしも彼が生まれていなかったら、世界はずいぶん違ったものになっていたに違いない。
 それから約2300年後、聖マザーテレサも同じマケドニアに生まれ、その名と業績は世界中に知れ渡った。そして、現代に大きな影響を与えている。その点では共通だが、二人には大きな違いがある。アレキサンドロスは残酷な権力者として古代世界に君臨したが、聖マザーテレサは愛の使徒として現代社会で謙虚に人々に仕えた。彼は敵を容赦なく殺したが、彼女は死にゆく人々を看取った。彼は人々に怖れられたが、彼女は人々に敬慕され、彼女を見倣う人は無数にいる。

 私が連想したもう一人は使徒聖パウロだが、彼はマケドニア人ではなく、キリキアのタルソ(現在のトルコ南部)生まれだ。では、マケドニアという国名がなぜ彼を連想させたかと言うと、2回目の宣教旅行のとき、彼はトルコのトロアスである幻を見たが、その中に現れたのが一人のマケドニア人であって、それがきっかけとなって彼が海峡を越え、ギリシャに足を踏み入れたからだ。つまり欧州への宣教の第一歩はその幻のお陰で始まったからだ。
 幻の中に現れたその人は聖パウロに懇願して言った。「マケドニア州に来て、わたしたちを助けてください」と(使徒言行録16.9)。そこで使徒はマケドニアへ出発したのだが、ここで使徒言行録の記述に興味深い変化が起こる。「パウロが幻を見たとき、わたしたちはすぐに出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」と、それまでは3人称複数だった叙述が、ここからは1人称複数に変わるのだ。
 つまりここからは聖ルカが加わり、そこからの使徒言行録は彼が自ら見分したことを記録したのだということがわかる。しかし、ここにはそれよりもずっと重要な事実がある。それはヨーロッパへの福音伝播が、まさにこのマケドニア人の幻から始まったという歴史的事実だ。それはユダヤから出てサマリア、シリア、トルコに広まっていた主の福音が、それらより更に広大きなヨーロッパに渡り、全世界へと広がり始めたことを意味した。
 それから約1950年後の現代、マザーテレサという聖人は主の福音を受け入れたそのマケドニアから、福音の素晴らしい結実として生まれた。かつて幻の中のマケドニア人は聖パウロに「来て、わたしたちを助けてください」と懇願したが、今はマケドニア生まれの聖マザーテレサに教会が「私たちを助けてください」と祈る。彼女の生涯は真の福音的生き方を示し、形式主義、教条主義、宗教習慣等に劣化しやすい信仰生活に、生き生きした福音の命を吹き込んでくれるからだ。
 連想はこうして2千年の時空をつないでくれた。
 
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。