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復活節飛び飛び感懐 (3)

 復活節第3主日の福音はヨハネ21.1-19だった。そこには御受難前の彼らとも、聖霊降臨後のカリスマ的な彼らとも違う、ややリラックスした使徒たちの姿がある。彼らはガリラヤに戻っていた。主イエス様からそう命じられていたからだ。しかし、主はまだ来ておられなかった。だからやることもない。暇だ。すでに主の復活を確信した彼らからは、もう心の嘆きは消えていたが、裏切ったやましさがあっただろう。暇すぎるとそれが心に疼く。やりきれない。だからペトロは、気を紛らすために言ったのではなかろうか。「わたしは漁に行く」と。
 するといっしょにいた使徒たちが「わたしたちも一緒に行こう」と言った。そして、みんなで船に乗り込んだ。どうも夕方だったようだ。誰が漁に加わり、誰が加わらなかったか?加わらなかったのはなぜか?私はそのことに少々興味を抱いた。漁に加わったのは皆、元々漁師だった者ばかりだっただろう。昔やっていた仕事だから懐かしくもあり、気晴らしにもなる。その上魚は夕食のおかずになるから、喜んでペトロの誘いに乗ったのだろう。
 漁に行った使徒たちで名前のわかっているのはペトロ、トマス、ナタナエル(=バルトロマイ)だ。名前があがっていないが、確実なのはヤコブとヨハネ兄弟だ。他の二人はおそらくペトロの兄弟アンデレとフィリポだっただろう。全部で7人だ。ということは、不参加だった使徒は残りの4人で、マタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ(=イスカリオテでないユダ)、熱心党のシモンだと推定できる。マタイは収税人だったから参加しなかったのだろうし、他の3人も漁に関心がなかったか、あるいは他に用事があってその場にいなかったのだろう。

 さて、漁に出た使徒7人は夜通し網を打ったが、魚はまったく獲れずに朝を迎えてしまった。おそらく無駄骨折りのつまらない漁だったと、浮かない顔で引き揚げようとしていたのだろう。ところが、そこで劇的な出来事が起こった。主イエス様が岸辺に立っていて、彼らにはそれが主とはわからなかったが、「子たちよ、何か食べるものがあるか」と声をかけられたのだ。それが始まりだった。「ありません」というと、「舟の右舷に網を打ちなさい」というアドバイス。その通りにすると、網が上がらないほど多くの魚が入ったのだ。
 それでヨハネが「主だ!」と叫ぶと、ペトロは上着をまとって水に飛び込んだ。陸には炭火が起こしてあり、魚とパンも用意されていた。獲れた魚は153尾もの大漁だった。驚嘆した。それはかつて出会ったばかりの頃に体験した奇跡の漁の再現だった。主イエス様はなぜこの奇跡をなさったののか?それは、これから何をしたらいいのか、目的を見失いかけていた使徒たちに、「人間をとる漁師」の召命を再確認し、再認識させるためであっただろう。これがこの日の福音朗読のポイントその1である。

 主は「さあ、来て朝の食事をしなさい」と、パンと魚を彼らに与えた。彼らは黙って食べた。「あなたはどなたですか」とは尋ねなかった。主だとわかっていたからだ。主に会えたことはどんなに嬉しいことだっただろうか。しかし、彼らはおし黙っていた。おそらく御受難の時に裏切ったり、ご復活をなかなか信じなかったりしたやましさを感じていたから、叱られるかもと固まっていたのだろう。だから、主はそうではないことをわからせるため、炭火や食物の心配りで彼らの緊張をほぐそうとなさったのだと思う。 
 食事が終ると主はペトロに言われた。「ヨハネの子シモン、この人たち以上に私をあいしているか?」と。ペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えると、主は「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。これから大いに増えていく信じる者たちの群れの司牧を彼に託されたのだ。すると、主はまた同じような問いをなさり、ペトロが同じような答えを返すと、主は同じような任命をなさった。
 そして、主が三度も同じ問いをなさると、ペトロは憂いを覚え、「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよくご存じです」と答えた。すると、主は「わたしの羊を飼いなさい」と言われた。ペトロの忠誠を3度も確かめられたのは、教会を守り導く任務がいかに重大かを胸に刻ませると同時に、ご受難のとき鶏が鳴く前3度も彼が主を否んだことの裏返しとして、裏切りを愛で塗り替えるチャンスをお与えになったのだということがわかる。これがこの主日の福音の第2ポイントだろう。
 ちなみに、新共同訳では「わたしを愛しているか」という主の問いは全く同文だが、ギリシャ語原典では少し違う。最初と2度目の「愛するか」はローマ字で表記だとAgapas だが、3度目はPhileisである。他方、ペトロの答えは3度ともPhilohだ。Agapasは「神は独り子を与えるほどに世を愛された」(ヨハネ3.16)の愛・アガぺの愛、PhilohはPhilosophy(知の愛)の愛・Philantholopy(人間愛)の愛だ。しかし、両語の意味は大差ないらしい。

 その後主はペトロがどんな最後を遂げるかを予言なさったが、私はそれにはあまり興味がない。それよりも思うことは、漁に来なかった4使徒のことだ。主が2度目に現れたとき、その場にいなかったのはトマスだったが、3度目のご出現では彼ら4人がいなかった。4人は不思議な大漁の奇跡も見ることができなかったし、ペトロとの会話にも立ち会えなかった。彼らは後でこの日の驚くべき出来事を知って、どんな反応をしたのだろうか?
 思うに、「見ないで信じる者は幸いである」とトマスに言われた主のお言葉は、まだ彼らの記憶に鮮明だっただろう。その意味が理解できていたとすれば、彼らは7人の弟子からその日の出来事を聞いて、見ないでも信じたのではあるまいか。だとすれば、4人は「見ないで信じる」ことを実践した最初の信者だったと言えるかも知れない。使徒たちでもすべてを見てはいない。だが、見なくても信じた。これがこの福音の第3ポイントだろう。
 ヨハネの福音書はまとめに書いている。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、信じてイエスの名により命を受けるためである」と。さて、あなたはそれが信じられるか? 私?私は見ないが信じている。
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復活節飛び飛び感懐 (2)

 復活節とびとび感想(1)は、ヨハネ20.8の「見て、信じた」をどう解釈するか、その問題の入り口前で終わった。つまり、それを「使徒ヨハネが主の復活を信じた意味だ」と解釈すると、腑に落ちない点がいくつか出るから、その解釈はおかしい。従って、その腑に落ちない点を明らかにすれば、その解釈には無理があり、私の見解の方が理に適っていることがはっきりするはずだ、という所で終わったいた。今日はその腑に落ちない点を挙げてみる。
 
証明(1):
 もし使徒ヨハネがその時「見て、信じた」のが主の復活だったのなら、なぜ彼はそれを使徒ペトロに「主は復活したんだ」と囁かなかったのだろうか。最後の食事の夜、彼はペトロに頼まれると、裏切る者が誰かを主に尋ね(ヨハネ13.24)て教えた。復活後チベリアデの湖上で漁をした時も、最初に気付いて「主だ」と教えている。ならば、この時も-いや、こんな大事な時だったからこそ、-主の復活に気づいたのならば、間違いなくそれをペトロに言っただろう。きっと興奮して。ところが実際は何も言わなかった。そして、共に無言で帰った。それは何を意味するか。復活を信じたのではなかった証拠ではないか。
 ある人は言うかも知れない。「いや、口には出さなかったが、彼は心中では主の復活を信じたに違いない」と。しかし、もし仮に彼が心の中ではそう信じたのだったとしても、それを口に出して言わず、動作でも示さなかったら、その時彼が主の復活を信じたことを誰が知ることができただろうか。何も言わなかったのなら、信じなかったのと同じだ。いや、主の復活を信じたのではなかったから、彼は何も言わなかったし、言うこともなかったのだ。

証明(2):
 もし彼が墓ですでに主の復活を信じたのであれば、仮に道々ペトロには話さなかったとしても、弟子たちの所に戻ってから、主が復活したと伝えた婦人たちを「たわごとだ」と相手にしなかった弟子たちに対し、なぜ「婦人たちの言うことが正しい。主は復活された」と婦人たちを弁護しなかったのか?彼はかつて歓迎しなかったサマリアの村に対し、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言って戒められたことがある。不当なことには我慢できない熱血漢だったのだ。主の裁判の時は大祭司の邸宅に入り込む勇気もあった。
 そんな彼が不当にあしらわれていた婦人たちの傍で知らぬふりをしただろうか?もし彼が復活を信じていたのに黙っていて、彼女たちに加勢しなかったのなら卑怯者のそしりは免れず、「最初に復活を信じた」者どころではないだろう。ところが、彼が「主は復活された」(ルカ9.54)と言って加勢した記録は何一つ残されていない。それは何を意味するだろうか?その時の彼が信じたのは主の復活ではなく、加勢する理由がなかったからだろう。
 
証明(3):
 復活の朝、マグダラのマリアは「わたしは主を見ました!」と墓から息せき切って戻ってきて、復活の主に園で出会ったことの一部始終を興奮して知らせた。これで主の復活はもうまぎれもない事実と思えた。もしヨハネが墓を見てすでに主の復活を信じていたのならば、その状況ではマグダラのマリアに同調して、「私はまだ主に会ってはいないが、主の復活を信じる」と信仰を表明したはずだろう。また、「思い出してみると、墓で見た布は復活した主が丸めて置いたのだと考えると説明がつく」とも証言できただろう。
 ところが、そんな表明の記録は残されていない。もし彼がそのような表明をしていたら、それは重要な証言だから初代教会で言い伝えられ、福音史家の誰かが取り上げていたに違いない。少なくともヨハネ自身は覚えていて書けただろう。しかし、そういうものが何も残っていないということは、表明がなかったから残っていないのだと言わざるをえない。それはマグダラのマリアから主の復活が知らされても、なお彼が黙っていたことを意味する。なぜそうだったのか。彼もまだ復活を信じ切れずにいたからであろう。だから、彼が「見て、信じた」のは主の復活ではなく、主の遺体がないと急報された言葉だったと結論できる。

証明(4):
 ルカの福音書は婦人たちの動向や主から託された伝言、墓に走った仲間、エマオへ行った二人の証言などを書き残している。しかし、使徒ヨハネについては何も書いていない。奇妙ではないだろうか。もし彼が墓で主の復活に気付き、婦人たち共にそれを証言していたのなら、そんな大事な彼の発言や行動をなぜあのルカが一言も書き残さなかったのだろうか。答えは簡単。ヨハネには記録に値するそういう行動も発言もなかったからだろう。
 そこで結論となる。ペトロと共に墓に行った彼の行動力と勇気は、確かに他の使徒たちよりは抜きんでてはいた。しかし、信仰では他の9使徒と大差なかった。だから、彼だけが墓で主の復活を信じたと思うのは過大評価になる。ある人は彼が主に可愛がられた使徒だったからと特別視し、ある人は彼が晩年と同じく若い時から高い霊性の人だったみたいに買いかぶる。だから、そんな彼なればこそ墓で主の復活に気付けたと推察するのだろう。
 しかし、それは間違いだ。私は使徒ヨハネを非常に尊敬している。ただ若者の時はまだ普通だった。特別視すべきではないと言っているだけだ。彼は主の御受難近くになった時でさえ、地上的栄光の座を主に願ったゼベダイの息子の一人(マルコ10.35-41)で、他の使徒たちを憤慨させたのはその一例だ。人は急には変わらない。彼も他の使徒たちと同じ普通の人間だった。だから、主のご出現があるまでは皆と同様、主の復活を信じられずにいただろう。ゆえに、彼が墓で「見て、信じたのは」主の復活ではなく、マグダラのマリアが急報した言葉が本当だったと信じただけだ。私はこの解釈が妥当であると確信している。  

 ところで、「見て、信じた」の解釈問題で大いに横道に逸れてしまったが、元々の話題はマグダラのマリアが婦人たちの一人として一緒に帰り、弟子たちに墓でのことを一緒に知らせたのか、それとも彼女だけ単独で、他の婦人たちとは別々に知らせたのかという問題だった。そこが曖昧だと、それに続く事柄の解釈もちぐはぐになりかねないから、それを検証しておこうという考察だったのだ。そこで、ここからはその話題に戻ろう。

 ヨハネの福音書は週の初めの日の早朝、マグダラのマリアが一人で墓に行ったように書いているが、実際はそうではなく、他の婦人たち数人と行ったのだった。そこはすでにはっきりしている。行きは確かに皆一緒に出掛けた。しかし帰りも一緒だったのか、それとも帰りは別々だったのかというと、その点で福音書は一致していないのだ。では、本当はどうだったのだろうか?それがここでの問いだ。
 知らせを聞いた弟子たちの反応や行動を見ると、私の推理では、帰りは一緒ではなかったように思われる。つまり、マグダラのマリア一人は別行動を取り、他の婦人たちは一緒に帰ったと見ると筋が通ると思うのだ。この日の朝から夕方までの経緯を、4福音書の記述を突き合わせながら時系列的に考えてみると、婦人たちの行動と彼女たちの知らせを受けた弟子たちの反応は次のように展開したのではあるまいか。 

 その朝、墓に着いた婦人たちは入口の石が転がっているのを見た。マタイはそれを地震のなせる業にしている。洞窟式の墓は崖下に掘ってあったが、おかげで彼女たちは中に入れた。ところが、主のご遺体が無くなっていたのだ。彼女たちは愕然とした。ルカはそれを「(婦人たちが)途方に暮れていると」と表現している。特に愛情が人一倍濃かったマグダラのマリアはショックの余り強く反応し、弟子たちに事の次第を急報しようと一人で走り戻った。 
 天使の出現前に墓を去ったから、彼女は天使の言葉は聞いていなかった。だから弟子たちに「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのかわかりません」とだけ知らせたのだ。すると、それを聞くや否やペトロは飛び出した。ヨハネも続いたが、走るのは若い彼の方が早かったので先に墓に着いた。マグダラのマリアもその後を追い、墓に戻った。しかし、他の使徒たちはユダヤ人を恐れて、隠れ家から出ないでいた。 
 他方、婦人たちはマグダラのマリアが一人走り帰ってしまった後、途方にくれて墓にいた。すると2位の天使が出現し、「なぜ生きている方を死者の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ」という驚くべき事実を教えた。婦人たちは半信半疑、恐れと喜びの混じった思いで、急いで弟子たちに「主が弟子たちより先にガリラヤに行って待っておられる」という天使の伝言を知らせるため、ペトロとヨハネが着く前に墓を去った。
 おそらく婦人たちが来た時とは違う道で帰ったためだろう、2使徒は彼女たちと出会わず、行違ったのだと思われる。墓に着いた2人がそこで目撃したものはマグダラのマリアが知らせた通りの事実だった。だから二人は彼女の言葉が本当だったと信じた。そして、悄然と隠れ家に戻った。使徒を追って再び墓に戻ったマグダラのマリアも、途中で婦人たちとは出会わなかった。そして二人も帰ってしまった後、一人だけ墓地に残って泣いていた。
 婦人たちの方はというと、隠れ家に戻るとすぐ弟子たちに、自分たちが見たことと天使から聞いた主の復活の一部始終を知らせた。しかしその時点では、ペトロとヨハネはまだ墓から戻ってはいなかっただろうから、彼女たちの知らせを聞いたのは残りの弟子たちだった。だからであろうか、彼らは婦人たちの知らせに驚きはしたが、結局たわごとだと言って信じなかった。もしその場にペトロとヨハネがいたら、受け止め方は少し違っていたことだろう。
 
 二人の使徒は婦人たちの話を聞いて墓に走ったのではないと思われる。ルカの叙述ではそのように取れるが、ルカはここをざっと書いたので正確な時系列で書いたと見る必要はないだろう。二人はマグダラのマリアの知らせを聞くとすぐ走って出た。だから、婦人たちが隠れ家に戻ったとき、2使徒はその場にいなかった。墓から戻ってきて初めて彼女たちの報告を知ったのだと推測される。
 ちなみに、ルカ24.12は使徒ペトロが一人で墓に走ったと書いているが、同24.24では「仲間の者が何人か」と複数にしている。だから、墓に行った使徒はペトロとヨハネだったことはこれで確認できる。しかし、二人はご遺体がなくなっていたのを確認できただけだったから、気落ちして戻ってきたに違いない。
 
 ところが、戻ってきた使徒二人は、隠れ家がざわついた雰囲気になっているのに気づいただろう。そして、婦人たちの話を聞いてその理由がわかり、二人も驚いたに違いない。仲間たちの意見は割れていたのではなかろうか。もしマタイ28.9-10が伝えるように、婦人たちが墓から帰る途中で復活の主に出会ったのなら、なおさらだっただろう。マタイによれば、主は彼女たちの帰り道で出現された。彼女たちは主の足を抱いてひれ伏したが、主は彼女たちに、「弟子たちにガリラヤに行くように言いなさい」と伝言を託されたのだった。
 ルカはルカ24.12でも同22-24でもこのご出現には言及していない。しかし、ルカはその福音書のビジョンに不都合だったからか、復活後に主と弟子たちがガリラヤに行った出来事は省略している。ならばここでも何らかの理由で婦人たちへのご出現を省略した可能性も否定できない。ルカでは婦人たちに現れたのは天使だけだ。
 ところが、それだけでもインパクトはあるのに、もし主ご自身の出現が事実だったとしたら、話はぐんと違ってくる。婦人たちからそんな知らせを受けたら、弟子たちの反応はかなり違ったものになったはずだからだ。しかし、マタイが根拠もなく主のご出現を書いたはずがない。だから「もしも」ではなく、それは正典のれっきとした記述だ。そこで、ルカの記述に従った婦人たちの知らせは、それはそれとして、それをマタイの記述を組み込んで上書きすると、次のような解釈のリニューアルができると思う。

 マタイの記述に従えば、婦人たちは天使ばかりか、復活した主にも出会ってから隠れ家に帰ったことになる。だから、もう恐れも憂いも消え、満面喜びに溢れて急いで戻ると、墓と道であったことの一部始終を弟子たちに伝えただろう。ところが弟子たちの反応は期待外れだった。そんなことがあるわけがないと、彼女たちの知らせをたわごとあつかいにして信じなかったのだ。
 つつましい彼女たちもさすがに憤慨し、「私たちは確かに主に会ったのです。それなのにあなたがたは信じないのですか?男なのにユダヤ人怖さに隠れ家にビクビク閉じこもっていて、主のお言葉も信じないとは情けない?」と詰ったかも知れない。ペトロとヨハネが戻ったのはそんな言い合いの最中だったのではなかろうか。そして、エマオへの2人はそんな雰囲気の隠れ家を後にしたのだろう。 彼らが途中で出会った旅人姿のイエス様にした話しには、そんな婦人たちと弟子たちとの言い合いや、弟子たちの間に起こった「婦人たちの知らせを信じない多数派」と「ひょっとしたら本当かもと思った少数派」の口論などが感じとれるからだ。 墓から戻ったペトロとヨハネは後者だったはずだ。墓で感じた体験から、彼らは婦人たちの言葉はひょっとしたら本当かも…と思い始めていたと思う。そして、こう振り返ったのではなかろうか。「考えてみれば遺体の布は巻いて置いてあったが、死者は自分では布を外せないし、誰かが遺体を取り去ったのなら布を巻いたまま持ち去ったはずだ。なのに、あのようにちゃんと巻いてあったのは不思議だった。しかし、それが復活した主のなさったことだとしたら説明がつく。だとすれば、婦人たちの言うことは真実かも知れない」と。
 マグダラのマリアはそんな所に戻った。彼女は墓で泣いていたとき、一人の人に声をかけられた。はじめはその人を園丁かと思ったが、それは復活した主イエス様だったのだ。主だとわかると、彼女は感極まってすがりつこうとした。しかし、主は彼女を落ち着かせ、弟子たちに告げるべき伝言を彼女に託したのだった。そこで彼女は走り帰ると、弟子たちに「わたしは主を見ました!」と喜びに溢れて知らせ、主からの言葉を伝えた。その知らせのインパクトは甚大だったに違いない。それを聞いて弟子たちは非常に驚き、隠れ家の雰囲気は一変したと思われる。先に帰った婦人たちの知らせはそれによって信頼度がぐんと強まり、弟子たちの多くは「主の復活はひょっとしたら本当かも派」に傾いただろう。
 私が思うに、ペトロは彼女の知らせを聞いた後、もう一度墓に行ったのではないだろうか。私がそう思う根拠はルカ24.34にある。エマオへ行った2弟子も旅人が主だとわかると、エルサレムへすぐ引き返してくるが、彼らが到着すると、隠れ家では仲間たちが興奮して、「本当に主は復活して、シモンにも現れた」と言っていたからだ。しかし、主が彼に現れたのは隠れ家ではなく、外だったようだから、おそらく墓地だったのではないかと推理するのだ。マグダラのマリアが墓地で主に会ったと知ったから、彼もそこに行ったのだろう、と。
 以上が復活の日の最も納得のいく経緯だと思う。

 4月3日、復活節第2主日の福音はヨハネ20.19-31であった。それは週の最初の日の夕方、隠れ家の戸が閉まっていたのに主イエス様が弟子たちの真ん中に現れたことを伝える。週の最初の日とはユダヤ人たちの安息日である今の土曜日の翌日だから、今の日曜日に当たる。その日に主が復活されたので、キリスト者はその日、すなわち今の日曜日を「主の日」(Dies dominica)として聖別し、祝うようになった。これが新約の安息日だ。
 主が現れたのはその日の夕方だったから、日没前だったことがわかる。なぜならユダヤの習慣では一日は日没から翌日の日没までだったので、日没を過ぎたらもう週の最初の日ではなく、週の二日目になってしまうからだ。きっと主はご復活の日のうちに復活の証人となる人たちに会っておきたかったのだと思う。使徒たちより先に婦人たちに出現されたのは、男たちがびくびくして隠れていたのにくらべ、女性たちが朝早く墓に出向いた勇気と主への深い愛情に対するご褒美だったのだろうか。しかし、弟子たちにも会っておく必要があった。
 主は出現なさるとすぐ「あなたがたに平和があるように」(שלום לכם. .Shalom lakem)とあいさつなさった。そして、彼らの恐れをなくし、御自分であることを証明するために手とわき腹をお見せになった。主を見ると弟子たちは大喜びした。ところが、トマスだけはその場にいなかった。思うに、主がペトロにも出現されたことを知って、彼は自分も会いたいと思い、会えるかも知れないと思い当たる場所に出かけていたのではあるまいか。

 ところが彼は帰りが遅くなり過ぎた。だから、彼が戻ったときはもう主はおられなかったのだ。そこで、仲間の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言うと、彼は答えた。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と。人はよくこのことばを疑り深いトマスの不信仰の見本のように解釈するが、私はそうではないと思う。
 思うに、彼が不在だったのはどこかで主に会えないかと思って出かけたからだろうが、その願いとは裏腹に、むしろ会おうと出かけたばかりに主に会うチャンスを逃してしまったのだ。だから彼は悔しくて自分自身にも腹が立ち、憎まれ口を思いっきり言わないではいられなかったのだと思う。それは不信仰だったからではなく、むしろ復活の主に会いたい、主の復活を信じたいという思いの裏返しに他ならなかったのではないかと私は解釈する。
 そして、その願いの機会はそれから八日目の夕方、すなわち次の日曜日にやってきた。主は前回と同じように現れ、この日はトマスもいたので彼に言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と。そして、トマスが信仰告白をすると、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」と言われた。
 ヨハネの福音書本編は事実上ここで終わるのだが、この「見ないのに信じる人は幸いである」と言われたお言葉は、まさに信仰の正道を教えるものだと思う。だから、このお言葉の呼び水になったトマスの一見不信仰の標本みたいな憎まれ口に感謝しなくてはなるまい。
 復活徹夜祭の10番目の朗読聖書だった使徒言行録10.34-43は、神が人々を救いの福音に与らせるために、「見ないで信じること」を信仰の原則とされたことを明らかにしている。それは使徒ペトロがカイザリアで、百人隊長コルネリウス家の洗礼の時にした説教の中に出てくる。こういう言葉だ。
 「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。」
 神の救いが全人類向けであるならば、誰もがそれにアクセス出来るものでなければ不公平になる。しかるに、もしも救いに必要不可欠な真理、とりわけ主イエス・キリスト様の死と復活のような福音の真理を「見て信じなければならない」のなら、それは非常に少数の人たちだけに限られてしまう。たとえ同時代の同地域にいても、見ることができない人は圧倒的に多い。ましてや、後世の全世界の人々何百億人においておや、だ。そんな不公平は神のご意志ではない。
 ゆえに神は「前もって神に選ばれた証人」を通して信じる信仰によって、全ての人が主イエス・キリストによる救い与れるようになさったのだ。見て信じる証人は少数で足りる。しかし、その証人を通して見ないで信じ、信じて救われる人は無際限である。
 

復活節の飛び飛び感懐 (1)

 昨日は復活節第3主日だった。今年は早めの復活祭だったが、桜の咲き始めも早く、復活祭にはもうかなり咲いていた。そしてそれから2週間過ぎた今桜はもう散り残った花しかない。時の経つのは何と早いことよ!それはそれだけ人生の残り時間が減っていくことだ。そうであればなおさら、年は取っても残る日々を消化試合のようには過ごしたくはないものだ。だからこそ手を貸す運動Ⅱをまだ現役でやっている。2年前に比べれば、それはかなり発展して、順調だ。感謝しなければならないと思う。
 しかし、私のライフワークはそれではない。たかだか人生の36年ぐらいをカバーするだけの活動がライフワークといえるわけがない。私のライフワークは青年時代に見出したイエス・キリスト様の福音を生き切ることだ。だからそれを実践しながら、聖書の教えを選択したことが間違いではなかったかどうか絶えず検証し続けている。今もそうだ。手を貸す運動は福音の一実践に過ぎない。それにくらべ、復活節は私のライフワークともっと密接な繋がりがある。
 そんなわけで、飛び飛びにはなるが、今日は今年の復活節で感じたことを少々書いておこうと思う。実は、復活祭の当日からそれを書こう書こうと思いながら果たせないでいた上に、ひょっとしたらこんな感懐を書けるのもこれが最後になるかも知れないと思うからだ。米寿もそう遠くない年になったこの頃はよくそんな感じ方をするのだ。

 さて、昨日のミサ説教だが、主任司祭は復活祭から昨日の主日までの福音書を振り返り、弟子たちがどんな動きをしたかを話した。そして、復活祭のミサで読まれたヨハネの福音20章9節に、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」とある解説を取り上げ、ペトロもヨハネもまだ主の復活がわかっていなかったのだと言った。これは適切な指摘だったと思う。
 私もそのことについては後で取り上げるつもりだが、まずは復活徹夜祭のことを書いておこうと思う。というのも、今年は例年と違う過ごし方をしたからだ。徹夜祭は火の祝福、光の祭儀、数々の聖書朗読、洗礼式など非常に象徴的な儀式が聖体の儀の前にいくつもある。だから老齢を考えると長時間過ぎるし、もう何べんも経験しているので、今年は教会に行かなかった。その代り、自宅で当日の聖書を原典のヘブライ語、ギリシャ語で全部読んだ。これは私にとって初めてのことで、読み終えた後は充実感もあった。
 
 今の典礼では、徹夜祭の朗読聖書は12箇所ある。旧約7箇所、新約5箇所だ。列挙してみると、①創世記1.1,26-32a、②創世記22.1-8、③出エジプト記14.15~15.1a、④イザヤ54.5-14、⑤イザヤ55.1-11、⑥バルク3. 9-15, 32~4.4、⑦エゼキエル36.16-17a,18-28、⑧ロマ6.3-11、⑨ルカ24.1-12、⑩使徒言行録10.34a, 37-43、⑪コロサイ3.1-4、⑫ヨハネ20.1-9。以上だ。
 旧約はバルク書がアラマイ語の箇所なので、これだけは仏語で読んだ。それを除いた①~⑦はヘブライ語、⑧~⑫はギリシャ語だ。イザヤ書のヘブライ語は相変わらず難解だったが、それらを全部読めたとき、独学しておいてよかったなぁとつくづく思った。言語だけは一朝一夕では身につけられないからだ。私がちょっとだけ大学で習ったギリシャ語を本で独学したのは53歳からの3年間、カナダでちょっと習ったヘブライ語を同じく独学したのは56歳からの3年間だった。おかげでこの年なのにまだ耄碌せず、原典で聖書が読めることは何ともありがたいことだと思う。
 ところで、この夜の旧約聖書で一つの言葉にハッとさせられた。今まで素通りしてしまっていたイザヤ書55章6節の次の言葉だ。
 「主を求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くいますうちに。」(Dirshu Yahave behimzoh. Queraouhu quarob.)もし朗読聖書全部を読まなかったら、それに気付くことはなかっただろう。だから、この気付きに感謝して、復活祭の朝はこれを半紙に墨書した。
 「見いだしうるうちに。近くにいますうちに」とは、生きている間にという意味ではなかろうか。例えば、貧者ラザロの譬え(ルカ16章)にある富豪は死んでからそれに気づいた。でも、それではもう遅かった。イエス様はエルサレムに近づいたとき、都のために泣いて言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…」と。だが、当時の人の大多数は主がまだ近くにいて見出しうるうちに主を求めそこなった。もって他山の石とすべきだと思った。

 新約聖書では使徒言行録10.34-43に感銘を受けた。使徒聖ペトロがカイザリアで百人隊長コルネリウス家と民衆に行った説教だが、救い主イエス・キリスト様のガリラヤから始まった教えと行いおよび死と復活の経緯と意味を語った典型的なケリュグマで、簡潔でこれほど力強く見事レジュメは他にあるまい。なぜそんなに力強いのか?思うに、目撃証人の事実証言であって、神学の「学」のような不要な理屈がないからだろう。これは福音宣教の原点だと言えよう。
 ちなみに復活節中の毎日の第一朗読は第3週の今までほとんどが旧約聖書ではなく、使徒言行録である。聖霊降臨祭がやがて来るので、典礼は聖霊降臨後の2章14節以後をずっと継続して日々読むように企画されている。これは素晴らしいことだ。なぜなら使徒言行録はルカによる福音書の下巻のようなもので、16章以降はほとんど使徒パウロの言行録になるが、前半は聖霊が使徒たちと初代教会の信者たちにどのように働かれたかを伝えてくれる書だからだ。それは主がヨハネの福音書14~17章で聖霊を送ると言われた約束の実現だったのだ。
 
 復活徹夜祭の福音書はルカ24.1-12とヨハネ20.1-9が読まれるが、これは非常に興味深い。なぜなら同じ復活の朝の出来事を伝える箇所だから、共振し合って復活の朝の真実がより複眼的に想像できると同時に、多くの共通点と共に細かい相違点がいくつかあって、それがいったい真相はどうだったのかと、私たちの興味をそそるからだ。その共通点と相違点を検証してみる。
 共通点は次のような事柄だ。①それは週の初め(今の日曜日)の早朝の出来事であったこと、②イエス様が葬られた墓に出かけたのは女性だったこと-つまり勇気と愛情に優っていたのは女性たちで、男どもはだめだったこと、③墓から入口の石が取り除けられていたこと、④主のご遺体が墓に見当たらなかったこと、⑤女性が墓から戻ってそのことを弟子たちに告げたこと、⑥弟子のほとんどはそう知らされても動かなかったこと、⑦しかし、ある弟子たちは墓に様子を見に走って行ったこと、⑧墓にはやはり布だけでご遺体はなかったこと、⑨その弟子たちは何がどうなっているのかわからない動揺した精神状態で墓から帰ったこと。
 他方、次のような相違点があることにも気付く。①ルカでは墓に行った女性が複数(マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリアその他)婦人たちだが、ヨハネではマグダラのマリアだけであること。②ルカでは輝く衣を着た二人(天使)が彼女たちに現れたが、ヨハネにはその記述がない。③天使たちは婦人たちにイエス・キリスト様の復活を告げたが、ヨハネにはその記述がない。④ルカでは婦人たちが弟子たちに一部始終を知らせたが、ヨハネではマグダラのマリアが墓から主のお身体が取り去られたと知らせただけである。⑤ルカでは墓に走ったのはペトロだけだが、ヨハネでは「もう一人の弟子」の二人が走った。⑥ヨハネは墓の中の様子を詳細に描写したが、ルカにはそれがない。⑦ルカは弟子たちが婦人たちの知らせをたわごと視したと書いたが、ヨハネは弟子たち全体のそういう反応は書かなかった。
 
 問題は相違点だからそれだけ考察してみよう。これはどちらが正しいかではなく、どちらが簡略化して何を省略したかの問題だと考えるべきだろう。つまり、ルカの記述もヨハネの記述もすべてを語り尽くしているわけではなく、どちらも何かを簡単に書いたり省いたりしているということだ。ところで、それを知るカギは、記者がどこに重点を置いて書いたかを知ることにあると思う。
 その視点で読み比べてみると、ルカは復活の朝の出来事を女性たちの行動に重点を置いて書いたことがわかる。それに対してヨハネは二人の弟子の行動に重点を置いた。だから、ルカは婦人たちの名前や人数、彼女たちが見聞きした事柄を事細かく叙述し、弟子の行動については簡略にしか書かなかった。従って、婦人たちに関する事柄はルカの方がヨハネより正確だと考えていいだろう。しかし、弟子のことは使徒ペトロだけが墓に走って、使徒ヨハネは抜けている。これはざっと書いたためで、使徒ペトロは重要だったから記録したが、付け足しのヨハネは省略したと見ればいいだろう。
 片やヨハネの福音書は二人の弟子の行動に重点をおいたから、墓に主のご遺体がないことを知らせたのが婦人たちだったかその一人のマグダラのマリアだったかは付随的な問題で重要ではなかった。だから、マグダラのマリアだけの言動として書き、他の婦人たちのことは省略したと思われる。従って、婦人たちの人数や言動については不正確だが、墓に走った弟子に関してはヨハネの記述の方が正確だと見てよいだろう。このように考えれば、両福音書は補い合って、復活の朝の婦人たちや弟子たちの言動や様子をより十全に伝えてくれるものだと受け止められる。教会もそれを期待するからこの祭式で2福音書を読ませるのだと思う。
 2福音書を総合して結論的にまとめれば、①墓に行ったのはマグダラのマリアだけではなく、婦人たち数人であった。②二位の天使が彼女たちに言った言葉(ルカ24.5-7)は事実だった。③しかし、それを聞いても弟子たちがたわごと視して信じなかったのも事実だった。④しかし、二人の弟子だけは本当にそうかどうか確かめようと墓に走った。走ったのは使徒ペトロだけではなかった。⑤そして、二人は墓の中にまで入って確かめ、いったいこれはどういうことかと驚きながら帰った。⑥二人は主が必ず復活されるということをまだ理解していなかった。これが真の大筋ではないかと思う。

 ところが、ここで一つちぐはぐになる問題がある。もしマグダラのマリアが婦人たちの一人として一緒に帰り、弟子たちに主が取り去られたと知らせ、同時に婦人たちが天使から言われたことも含めて一部始終を知らせていたのかどうかだ。もしそうだったのなら、墓に走った二人の弟子の意識は単に主のご遺体がなくなっていると知っただけとは、大いに違っていたはずだからだ。冒頭に近いところで私が「後で私ももう一度取り上げるつもりだが」と書いたのはこの問題なのだ。
 この場合、使徒二人は天使の言葉を知ったのだから、ひょっとしたら主は死から甦られたのかも…という潜在的意識を持っていたかも知れない。従って、ヨハネが「見て、信じた」(ヨハネ20.8)と書いたのは「主は復活されたのだ」と信じた意味にとってもいいだろう。少なくとも彼は心中そう信じたと解釈してもいい。しかし、もしそうでない場合は、この「見て、信じた」は主の復活ではなく、「主のご遺体がない」と知らせて来たマグダラのマリアの言葉は本当だったと信じた意味にとれる。どちらの解釈が妥当だろうか?
 実は、何年前かは忘れたが、復活の主日の「聖書と典礼」のあと書きにある神父が、「『この見て、信じた』はイエス様の復活を信じたのである。使徒ヨハネは主の復活を信じた最初の人であった」と書いていたので、私はオリエンス宗教研究所に「それはおかしいのではないか。ヨハネはマグダラのマリアの言ったことが本当だったと信じただけだと思うのだが…」と問い合わせてみた。すると、「いや、そういうご意見もありますが、やはりヨハネはイエスが復活したことを信じたのだと、雨宮神父様も解釈をしておられます」という電話での返事だった。雨宮神父を根拠にした答えだったので、私はカチンと来て納得しなかった。

 そんなことがあったので、私はこの箇所を読むと今もこの問題にこだわってしまうのだ。そこで、ここでもう一度この問題を徹底的に考察してみたいと思っていわけだ。その時しゃくにさわったから、私はいくつかの解説書を調べてみた。すると、悔しいかな、「使徒ヨハネは主の復活を信じた」という解釈が圧倒的に多かったのだ。バロバロ神父、ラグランジュ、聖ベルナルドまで論敵に回しては私に分がないことは明白だった。 ところが、それでも私は自分の解釈の方が正しいと見解を変えなかった。今でもそうだ。
 私の論敵がその解釈の根拠とする一つは、ギリシャ語の「信じる Pisteuwo」がヨハネの福音書では信仰を意味する語だから、ここも復活への信仰として解釈すべきだという論理だ。二つ目の根拠は、イエス様の遺体の布が二か所に丸めて置かれていたことを見て、使徒ヨハネは復活が理解できたという類推、三つ目の根拠はヨハネ20章9節がト書きみたいなものだから、ヨハネが復活を信じたのではないという証明には使えないというものだ。しかし、私はこれらの根拠はどれも薄弱だと考える。反論してみる。
 まずヨハネ福音書の中の「信じる」と言う語は確かに信仰の意味だが、信じる対象は様々だ。例えば、「聖書とイエスの言葉」(2.22)、「あの男」(7.48)、「人の子」(9.35)、「わたし(イエス)」(8.46、11.25,26)、「業」(10.38)、「天父」(12.44)、「神」(14.1)などだ。では問題のヨハネ20.8では何が信じる対象になっているのか?探してもそこには「復活」の語は一つもないことがわかる。むしろ信じる対象としてそこにあるのは「マグダラのマリアの言葉」だ。ゆえに、ここの「見て、信じた」は主の復活を信じたことを意味しない。「見て、マリアが知らせてくれた通りだと信じた」と私は解釈する。
 ご遺体を包んでいた布が丸めてあったことも復活を信じたことの証明にはならない。マグダラのマリアはそれを見てとっさに「誰かが主のご遺体を持ち去った」と思い込んだ。復活など思いもしなかったことだから、おそらく他の人たちもそれを見たらそう思っただろう。なぜヨハネだけがそれを見て復活を信じられたのか説得力がない。まだ若くて未熟だったヨハネを買いかぶり過ぎるから、そんな飛躍した解釈になるのだ。布はご遺体を移した誰かが丸めて行ったのかも知れないではないか。丸めるのは誰にもできたことだ。ゆえにそれが主の復活を信じる証明にはならない。
 そして、ヨハネ20.9がト書きだという解釈だが、ト書きのような叙述は聖書には他にも多くある。しかし、だからと言って聖書の中でそれらが価値や意味を減らしたり失ったりするわけではない。従って、それがト書きであっても、「イエスは必ず死者の中から復活することになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」という一節が証明力を失うわけではない。ならば、それは使徒ヨハネもまだ復活を理解していなかったことを証している。つまり、「見て、信じた」のは主の復活を信じたのではなかったことの証明になる。
 ある学者の解説はヨハネ20.9をト書きだから、同20.6の後に置き換えるべきだと書いていた。それ今の位置にあると、ヨハネが「見て信じた」のは主の復活だという主張に不都合だからだろう。だがそれはとんでもないおこがましさだ。福音書の現状はよほどの理由がない限り、安易に置き換えてよいものではない。ところで、ここにはどうしても置き換えるべき理由は何もない。ゆえに、ト書きだからという理由で「ここは復活を信じたのではない」という指摘を斥けることはできない。
 
 そして、使徒ヨハネがこの時「見て、信じたのは主の復活だった」と解釈すると、腑に落ちない点がいくつか出てくるから、その解釈ではおかしいことがもっとはっきりする。従って、その腑に落ちない点を示せば、私の主張の方が理に適っているとわかるはずだ。しかし、今日はもう長すぎて夜の12時前だし、疲れたので続きは(2)として明日に回そう。
 
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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