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“霊的な残飯”のその後

 新3年計画の「聖書と典礼」による聖書原典黙読は、始めてから一か月余り経った。先週は愛犬のミニョンが死に、手を貸す運動Ⅱでも悩み事がないわけではないので、鬱々とした梅雨の日々だが、そんな中でも新3年計画はしっかり続けている。他の人には興味のないことだろうが、今の私にとっては日々の過ごし方の基軸だからだ。そして、当初懸念した“霊的な残飯”はその後ずっと出ていない。つまり、新3年計画は順調に進んでいる。
 振り返ってみると、“霊的な残飯”が出た理由の一つは、新3年計画を始めた当初の3週間、毎日の朗読聖書原典が詩編を除けば全部ギリシャ語だったことにあった。聖書と典礼による毎日の聖書朗読は、第一朗読、詩編、福音で成り立つ。福音書の原典はギリシャ語だが、第一朗読は主として旧約聖書のどこかの箇所だから、多くの場合原典はヘブライ語だ。ところが、旧約聖書も続編と言われる書があり、それはヘブライ語では書かれていない。そして、この計画を始めた直後の2週間はまさにそれに当たる箇所だったのだ。
 第一週の第一朗読はシラ書、第二週はトビト記だったが、両書ともユダヤ人の使うマソら本には所収されておらず、七十人訳にある続編からで、原典はギリシャ語だ。その上、第三週の第一朗読は例外的だったがコリントの教会への第二の手紙だった。もちろん福音書原典はギリシャ語だから、当然毎日の聖書黙読がギリシャ語尽くしになったのだった。ところが、私のギリシャ語力はやまだ弱い。だからその日の分を消化しきれず、翌日へ翌々日へと読み残しが出た。私流にいえば、いわゆる“霊的な残飯”が出たのだった。
 しかし、霊的な残飯でも、残飯は捨てる。そう決めたら楽になったが、実は捨てて行かざるを得なかったのは3回しかなかった。たったの1ヶ月だが、やっていればギリシャ語でも要領がつかめるもので、読むスピードが少しは上がってきた。それに、4週目からは第一朗読が創世記になったので、もう残飯を出すことはなくなった。創世記はヘブライ語だし、もう一度は全部読んでいるので、あまり苦労せずに読み進めることができるからだ。
 自分でも驚いているが、2年9か月かけて旧約聖書を原典で完読したことで、私のヘブライ語力は上達していた。3年前と今との何よりの違いは、読む時に親しみの感じで読めることだ。辞書を引く回数もずいぶん減った。当然それに反比例して読むスピードは増した。ということは、知らず知らずのうちにかなり進歩してきたという証しなのだと思う。
 新3ヵ年計画は始めたばかりだから、ギリシャ語の進歩はまだまだだ。だが続けていけば旧約聖書原典通読の時と同じように、進歩が期待できると思う。認知症は気の持ちようや努力で防いだり治したりはできないと思うが、そうではない人なら、気の持ちようと努力次第で老け込みを防ぎ、ある種の進歩すら望めるのではなかろうか。私のような老人でも聖書を原典で読んでいるという事実によって、私はそれを証明したいと思っている。
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何が何だか… で、信じられたのか?

 教会典礼B年の年間第12主日福音は、マルコによる福音書4.35-41だった。主イエス様が湖の上で嵐を静められたエピソードのくだりである。神父様の説教は暗い宵闇の水の上での出来事だったから、天地創造の時に闇の下にあった水、出エジプト記の葦の海での渡り、生ける命の水など、水を中心に話された。今日は乳児の洗礼式があったので、それはそれでタイミングとしてはよいとは思ったが、水がテーマでは何かメインのメッセージからは外れているような気がしてならなかった。
 話を聞きながら、私はそれとは別の状況を思い浮かべていた。事前にその箇所を原典のギリシャ語とヘブライ語訳で読んでいたからだが、それはそのくだりに「ほかの舟も一緒であった」という一句があるのに着目し、そこを切り口にしてこの嵐の時の出来事を想像し、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と問われた主のお言葉を考え、それに答える私なりの答えを見つけることだった。

 「ほかの舟も一緒であった」という一句については、以前にも書いたことがあったが、私自身が長い間そうだったように、多くの人はこの記述を見過ごしているのではあるまいか。このエピソードはマタイにもルカにもあるが、この一句はマルコにしかない。だから貴重だ。なぜならこの記述から、私たちはこの時の弟子たちが皆イエス様と同じ舟に乗っていたのではなかったことを知り、そこから一つの有益な結論を引き出せるからだ。
 ところで、「ほかの舟も一緒であった」というと、その舟は一艘だけだったようにとれるが、実はそうではない。そのことにまず触れておこう。ヘブライ語訳を読んだとき、舟が複数であることに気づいた。おやっ?と思って、原典のギリシャ語を見直してみたら、舟はπλοιονでなく、πλοιαと複数になっていた。つまり、舟はイエス様の乗った舟以外に2艘以上あったのだ。ただ他の舟が2艘以上だったなら、ギリシャ語のbe動詞に当たるειμιの不完了過去3人称複数はησανでなければならないのに、3人称単数のηνだ。これだと1艘だったことになる。
 他の舟は2艘だったのか、それとも1艘だったのか?主語が正しいのか述語が正しいのか?そこで、それを確かめるため、ラテン語のヴルガタ訳、仏訳、英訳、独訳を調べてみた。すると、全部が主語も述語も複数であった。日本語訳はほとんどが「ほかの舟」と訳していて複数か単数かはあいまいなままだが、ただ一つ、ラゲ訳だけが「他の船等も」と訳して、複数であることを示していた。では、原典の述語3人称単数はどう理解するか?私はかつて聖書を学んだ時、マルコ福音書のギリシャ語は未熟だと聞いた。だとすれば動詞を複数の代わりに単数で書いてしまった可能性が強い。私はそう解釈し、この時「ほかの舟」は2艘以上あったと理解するのが妥当だと結論した。
 その結論に従えば、弟子たちは少なくとも全部で3艘の舟に乗り込んだことになる。仮に弟子たちが12使徒たちだけで、舟が3艘だったとすれば、1艘だけには5人乗り、他の2艘には4人ずつ乗ったと推測できる。もっとも、弟子たちが12使徒だけだったとは限らないから、その場合は1艘に6,7人ずつ乗ったことも考えられる。しかし、可能性の問題を論議しても始まらないから、ここでは乗ったのは12使徒だけで、舟は3艘だったと仮定して考察を続けようと思う。

 さて、ここからは想像力の出番になる。水に慣れた漁師が多かった12弟子たちとは言え、夜間の船出はけっして安全なものではなかっただろう。私たちはそういう状況を想像する必要がる。私はかつて3回、西アフリカのシエラレオネに行ったことがあるが、夜空の星はもの凄くよく輝いて見えても、地上は真っ暗だった。電気のない国では夜は町も暗闇一色になる。ましてや森や野原や湖沼は漆黒の闇だ。また、昔カナダのポワソンブラン湖で夜の湖上祭をしたことも連想する。舟にのって夜の湖巡りをしたのだが、その時もカナダの大自然の中の湖岸には灯りが何一つなく、もし遠くに目印のかがり火がなかったら、方向さえ皆目わからなくなるような真っ暗闇だったことを思い出す。

ポワソンブラン湖の夜の湖上祭
   ポワソンブラン湖、夜の湖上祭(1959年7月26日)

 その夜、舟出直後のガリラヤ湖は波静かで、漕ぐにも帆走にも問題はなかったかも知れない。しかし、明かりが灯心だった2千年前は計器も懐中電灯もない時代だった。家があっても湖岸から洩れる光はまったくなく、目指す対岸も真っ暗で何も見えなかったと思う。夜空の星と漁師の勘をたよりに進路をとるしかなかったはずだ。それに漁師だった弟子たちは、この湖では時々突風が起こって舟を転覆させ、昼間ですら溺れる死ぬ危険があることを熟知していただろう。だとすれば、そんなことが起きなければよいがと、きっと一抹の不安はあっただろう。
 ところが、何とその不安が現実となり、突如凄い烈風が襲って来たのだった。恐怖が彼らの顔を引きつらせたに違いない。それなのに主イエス様は艫でぐっすり眠っておられた。彼らは恐怖に耐えて我慢した。だが、波がいよいよ高く逆巻き、水が舟に流れ込み始めた。小舟だった。沈没するか転覆するか、もう持ちこたえられそうにない。恐怖の限界に達した彼らはついに主を起こした。そして、叫んだ。「先生、わたしたちが溺れ死んでもかまわないのですか!」と。
その後のことは福音書が語るとおりだ。主イエス様は起き上がると、風を叱り、湖に「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、湖上は大凪になった。その後で主イエス様は弟子たちに言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と。

 さて、ここで「待てよ」と立ち止まって考えなければならないことがある。イエス様はそう言われたが、いったい主が乗っていた舟にいたのはどの弟子たちだったのだろうか?という問題だ。なぜそんな問いをするかというと、イエス様のそのお言葉を聞いたのはその舟にいた弟子たちだけで、かなりの間隔をとって航行していた他の2艘の弟子たちにはそれが聞こえなかったか、聞こえても何を言われたのかよくはわからなかったに違いないと推察できるからだ。
 そうなると、主と同じ舟にいた使徒は誰だったのか?という問いは重要になる。主のお言葉となさったことを目撃したのは彼らだけだからだ。これは推測の域を出ないのだが、主と同じ舟にいたのはペトロ、ヤコブ、ヨハネではなかっただろうかと私は思う。あるいはペトロの兄弟アンドレはいたかも知れないが、私が3使徒ではないかと推察する理由は、イエス様が山上のご変容の時とかヤイロの娘の復活とか、大事な場面に伴われたのはいつも3使徒だったからだ。 
 もちろんそうでなくても構わない。大事なのは、主から直接そのお言葉を聞いたのが同じ舟にいた弟子たちだけだという事実だ。風が止み、波が静まった後でのお言葉なら、ひょっとしたら他の舟にいた弟子たちにも少しは聞こえたかも知れない。しかし風が唸り、波が逆巻いていた真最中に、イエス様が風と湖に命じられたお言葉が他の2艘にまで聞こえたとは思えない。それに、他の2艘にいた弟子たちはそれどころではなく、何とか助かろうと、イエス様のいた舟の弟子たち以上に必死だったはずだ。
 私たちは他の2艘の舟にいた弟子たちについて想像力が足りないのではないかと思う。湖上で嵐が起こったとき、彼らも主がおられた舟の弟子たちと同じ状況下にあったのだ。しかし、恐怖は主がおられた舟の弟子たちよりもずっと大きかっただろうと思う。主と共にいた弟子たちには「助けてください!」とより頼める主イエス様がいた。彼らはそれまで主が悪霊を追い出し、病人を奇跡的に癒すのを見てきたから、主なら何とかしてくれるかも知れないと思えた。だから実際、主をゆり起して助けを求めた。ところが、ほかの2艘の弟子たちにはそのように頼れる主はいなかったのだ。だからいかに心細く、恐怖はいかばかりだっただろうかと思う。

 以上の考察からは次のことがわかってくる。まず、その夜、舟の上でイエス様が言われたお言葉を聞くことができたのは、同じ舟にいた限られた弟子たちだけだったことだ。次に、ほかの2艘にいた弟子たちは目指していた対岸に上陸後、主と同じ舟にいた弟子たちからその舟で何があったかを聞いたのだと推察できることだ。考えてみると、それは山上のご変容の出来事と共通点がある。その出来事は「私が復活するまでは話すな」と口止めされていたから、3人の側近の弟子だけが知っていて、他の使徒たちは主のご復活後に3人から話してもらって初めて知った事実だったはずだ。 
 この湖上の嵐の中で言われたお言葉もそうで、そばで聞きかつ目撃した弟子たちが伝えたからこそ、他の弟子たちもそれを知ることができた。その点では、彼らは2千年後の私たちと同じ条件下にあったのだ。それは使徒たちですら、主イエス様が行われかつ話されたことのすべての目撃者、証人ではなかったことを教える。主はトマスに言われた「見ないで信じる人は幸いである」と。主は見ないで信じることを普遍の信じ方となさったが、この嵐の夜の奇跡も見ないで信じることを実践させる一つの試金石となさったのだ、と私は思う。
 ただ2艘の舟にいた弟子たちと私たちでは大きな違いもある。彼らはそのお言葉を聞けなかっただろうが、同じ湖上で嵐の猛威を体験していたからだ。イエス様と同じ舟にいた弟子たちは恐怖に耐えられず主に助けを求めたが、2艘の彼らには助けてくれる主がいなかった。おそらくもうだめだと絶望しながらも、同じ舟の者同士が協力して、舟内にどっと流れ込む水を必死に汲み出したことだろう。そんな時、荒れ狂っていた波風が突然やんだのだ。
 主イエス様が何をなさったかを知らなかった彼らは、突然起こったその変化に、「ええっ!!」と呆気にとられたのではなかろうか。どうしてこんなに急に暴風が止み、波が静かな大凪に変わったのか?彼らはいったい何が何だかわけがわからなかったに違いない。でも助かったことを神に感謝して対岸に着き、そこで初めて主と同じ舟にいた弟子たちから一部始終を聞いて、「そうか、そうだったのか!」と合点がいったのだろう。彼らは聞いて信じたのだ。

 しかし、主イエス様と同じ舟にいた弟子たちは主の奇跡を信じるまでもなかった。その奇跡をすぐそばで目撃し、お言葉を直接聞いていたからだ。それなのに、彼らはまだ主を十分信じてはいなかったようだ。だから主は、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と咎められたのだ。それは彼らが「主よ、ありがとう!」と感謝して喜ぶよりも、むしろ「非常に恐れて」、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」とひそひそ言い合ったことでわかる。イエス様がとてつもない能力を持った方だとは信じたが、何か得体の知れない人だとも感じ、畏怖を覚えたのだろう。それは主が彼らに求めておられた信仰とは違っていた。
 彼らのひそひそ話は、ほかの2艘の仲間たちに事の次第を話したとき、さらに増幅されたのではなかろうか。彼らは仲間の証言により、それがたったの一言で波風が静まった奇跡だったことは信じたが、主が神の独り子だからこそそうできたということには、まだ半信半疑だったように思われる。つまり、「まだ信じないのか」という問いへの十分な答えにはてはなっていなかった。弟子たちのそういうもどかしい信仰は聖霊降臨まで続いたに違いない。
 主が復活なさったのに信じなかったトマスはその一例だった。ガリラヤのある山の上で復活した主に会った時もそうだった。使徒たちはひれ伏したけれども、「疑う者もいた」(マタイ28.17)と書いてあるが、これもそういう信仰状態だったことを示す一例だと言えよう。この時、疑った者は複数として書かれている。しかし、その時の主はそれを咎めず、ただ彼らに全世界に行って福音を述べ伝えなさいと命じられた。間もなく聖霊が降臨すれば、「まだ信じないのか」という問いに、彼らが「信じます!」と十分答えるようになることをご存じだったからだろう。
 嵐を静められたこの奇跡は、私たちの信仰をも問うエピソードだ。主は私たち一人ひとりに、「まだ信じないのか」と問われる。それにどう答えられるか。この日の福音は私たちにそれを気づかせ、信を表明させるためなのだということがわかる。そして、この箇所は「ほかの舟」を視野に入れて考察するとき、より新鮮かつ興味深く理解できることをもわからせてくれる。

やり残していること

 聖書と典礼6月16日(火)の福音はマタイによる福音書5・43-48で、こう書いてある箇所だった。「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。…自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟だけに挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

 私は何度この箇所を読み、何度教えたことだろうか。コラムにも書いた。だが、今回はかつて感じたのとは別の感銘を受け、聖霊の促しのようなものを感じた。この教えは主イエス・キリスト様の福音の核心にある。しかし、では自分はそれをちゃんと実践してきたのかと自問したとき、気づかされた。よく知ってはいるが、不十分にしか行ってこなかった、と。そこで心を決めた。ならば、今からでもいい。人生でやり残しているこの教えをしっかりと実践しよう、と。それを聖霊の促しと感じたので、私は今それを書いている。

 しかし、徹底的な実践を決心するからには、お言葉の正しい理解が必要だから、まずそれを少し検証する。主は「隣人を愛し、敵を憎め」と言われたが、前半の「隣人を愛し」はモーセ五書のレビ記19章18節からの引用で、これには何ら問題はない。しかし、後半の「敵を憎め」という語句はそうではない。旧約聖書のどこを探してもそういう語句は見つからないからだ。では、イエス様はありもしない事実をあったかのように話されたのだろうか?そうではない。
 解説書によれば、それはもともとアラマイ語で書かれていた。ところが、アラマイ語は微妙な表現に乏しく、「愛せよ」の反対を「憎め」としか表現できなかったらしいのだ。実際は私たちの「憎め」とは違い、「愛するな」「愛から排除せよ」と言いたかったようなのだ。従って、もし「敵を憎め」がその意味で言われたのなら、その事実は旧約聖書に枚挙にいとまのないほど多くある。イスラエル民族はずっとそういう対外姿勢で生存していたからだ。だから、「敵を憎めと命じられてきた」という表現は間違いではない。ただ、そうは言っても、なぜ主は聖書にない言葉をあたかも書いてあるかのように話されたのか、という疑問は残る。しかし、それは別の問題だから、ここでは取り上げない。

 さて、「憎め」の真意がわかったなら、次に必要となるのは「敵を愛し、自分を迫害する者」とは誰かという問題だ。一般論を言っても仕方がないから、では私にとっての「敵」は誰かと自問してみる。思うに、今のところ私には、私を殺害したり、生活を脅かしたり、物損を与えたりするような「敵」はいない。しかし、かつては仲間だったのに、今では私の評判を落とそうとするクリスチャンはいる。恩を売るわけではないが、三十年余の支援を無視で返しているシスターもいる。もしもそういう人たちもある意味で「敵」と呼べるなら、私にも敵はいることになる。
 しかし、彼らは私にとって「敵」であるよりも、兄弟姉妹の感が強い。ただ彼らを見ていて不思議に思うのは、そのような生き方をしていながら、どうして自分をクリスチャンだとかシスターだとか思っていられるのかということだ。自分を愛してくれる人を愛し、自分に好意的な人に挨拶するだけなら、普通の人たちもしている。しかし、普通の人がしていることすらできないなら、どうして敵を愛することなどできようか。イエス様はまさにそのことを言われているのに、どうして気づかないのかと思う。

 だが、大切なのはいわゆる「敵」がどう生き、どう行動するかではない。自分がどう生き、いかに主の教えに応えるかにある。それに、「敵」である人を裁けば、自分も「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け」と言われるだろう。だから、人を裁くのは控えめにしよう。人がどうであれ、人は人、自分は自分。たとえ誰かが私を憎み、そしり、不幸になることを望もうとも、私は同じことをしない。ひらすら「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」というお言葉の実践で応じる。そう決心した。
 愛するとは、人を心に入れてやること、悪意に対して善意で応じ、その人の幸を祈り、その人の上に神の祝福を願い、その人が生きることを望むこと。それに対し、憎むとは、人を自分の心から排除すること、善意にすら悪意で応じ、その人に災いを祈り、その人の幸を呪い、その人の存在を拒否して死を望むこと。私は前者を選んだ。そして、その選択の証しとしてこれを書く。
 それがどんなに難しいかは承知している。今までもできなかったのだから、これからもまた失敗し、何回もやり直すことになるに違いない。だが、失敗したらやりなおせばいい。諦めたらそこで負けだ。残り少ないわが人生でやり残していることなのだから、これはやり遂げなければならない。

個人的新3年計画宣言

 5月24日は聖霊降臨の祝日であった。教会が誕生した日である。そこでその記念すべき日を、私の個人的な新しい3年計画の出発点に選んだ。新3年計画とは、オリエンス宗教研究所が発行している聖書と典礼を使って、典礼暦A、B、C年の毎日の聖書を原典で読むことにある。その目的はボケ防止のためもあるが、前の3年計画だった旧約聖書全編の原典通読を一か月ほど前に終了したとき、「これでもう何もしなくなってしまうのでは惜しい。せっかくのヘブライ語力も退歩してしまう。よし、復活節が終わる聖霊降臨祭が来たら、もう一つの3年計画に挑もう。聖書と典礼の聖書原典黙読なら旧約と新約の両方だから、ヘブライ語とギリシャ語の両方で読める。従って、一方では退歩を防ぎ、他方では新たな進歩が望める」と思っていたからだ。近況報告に替えて今日はこのことを書いておく。

 決心しただけの計画倒れにならないよう、この試みはさっそく先週から実践している。ところが、始めてみてみたらすぐ壁にぶつかった。旧約聖書通読とは勝手が違い、この計画の方が難しいことに気づいたのだ。旧約聖書通読はその日読む箇所が難しければ少しで済ませ、易しければどんどんはかどった。しかし、その日に読んだ箇所が少なかろうと多かろうと、翌日は前日の続きを読めばそれでよかった。だから急かされることはなく、自分のペースで読めたのだ。ところが、聖書と典礼の朗読は違う。毎日読む箇所と量があらかじめ決まっている。従って自分のペースでは進めない。そして、その日の聖書が読み切れなくても翌日の分が来てしまう。そこで全部読もうとすると翌日にずれ込み、一日遅れ二日遅れで読むことになる。当然その日の聖書には入れず、どんどん実際の日付とずれてしまうのだ。それも読もうとすると、まるでノルマに急かされている感じになる。10日ほど実践してみてそれを体験した。こういうところが旧約聖書通読と違う。
 そんなことから、私の力量ではこの3年計画は無理かな…?という疑念も湧いたが、二つの原則で対応する解決策をたてた。一つは毎日の聖書を読みきる努力をすることで、これは理想だ。無理はしないがそれが普通になるよう努力するという原則だ。しかし、読み切れないときは、読み残しは捨て、新しい日の聖書に移る。それがもう一つの原則だ。読み切れなかった分は残飯と思うことにした。それは時間ができたときに読めれば、それはそれでいいが、何も無理をすることはない。せっかくの計画がノルマのように気持ちを圧迫するとしたら意味がない。残飯は捨てる。そういうものだと思えば気が楽になる。

 そういう心づもりで、聖霊降臨祭後の一週間を新3年計画の皮切りに実践してみた。だが、またもや問題に遭遇した。福音はマルコ10章、11章だったが、その原典のギリシャ語はそんなに難しくはない。辞書を使いながら、私でもまずまず読めるから、特段の問題はなかった。ところが、第一朗読の旧約聖書はシラ書(集会の書)で、箇所は17章から51章までの飛び飛びの抜粋だったが、それに問題があったのだ。まず、それはユダヤ教では正典とされていないためヘブライ語のマソラ本に所収されておらず、ギリシャ語の七十人訳で読むしかなかったことだ。ところがそのギリシャ語は難しかった-いというより、私の知らない語彙が多くて、頻繁に辞書の世話にならないと前に進めなかったのだ。私の力不足からだが、進み方がまるで蝸牛の動きだった。当然、その日のうちに読み切れず、“残飯”が増えるばかりだった。これが二つ目の問題だった。
 “残飯”は捨てて先に行けばよいと発想を変えたから、この問題は解決した。しかし、これではギリシャ語ばかりで、ヘブライ語との接触機会がない。そこで、こういう場合は福音書をヘブライ語訳でも読むことにした。今、それは実践中だが、これは一石二鳥でもある。なぜなら、ヘブライ語のブラッシュアップになると同時に、イエス様の言葉をよりよく実感できるからだ。
 ちなみに福音書原典はギリシャ語だが、忘れてはならないことがある。よく原典ではこうだとかああだとか言う学者や司祭がいるが、ギリシャ語はイエス様の話しておられた言葉ではなかったことだ。従って、福音書原典にあるそのお言葉は、主が話されたままではなく、しょせん翻訳に他ならないのだ。もちろん原典は最高に貴重で、どんなに尊重されても尊重され過ぎることはない。しかし、私にはギリシャ語だとイエス様のお言葉が何だかイエス様のものではないように感じられてならない。それも事実なのだ。主は普段はアラマイ語を使っておられたようだが、ヘブライ語でも話された。だから、ヘブライ語訳だと、「主は、実際はこんなお言葉で話されていたんだ」と実感が増すのである。

 今週は新計画の二週目で、第一聖書はトビト記だが、これもシラ書と同様ヘブライ語聖書にはないので、ギリシャ語の七十人訳で読んでいる。今まで創世記や申命記、イザヤ書などはギリシャ語訳でも部分的に読んだことはあるが、トビト記は初めてだった。ところが読み始めたとき、各ページの上下が常に2分割されていて、上段にBAバージョン・トビト記、下段にSバージョン・トビト記が並列で印刷されているのに気が付いた。調べたら、上段はシナイ写本のトビト記、下段はバチカン写本のトビト記だと知った。今頃それに気づくとは聖書研究の末席にいる者としては恥ずかしいことだと思う。
 ラテン語訳がバチカン写本を選んで一本化したため、それ以後の翻訳聖書には七十人訳のような二段だての掲載はない。仏語のLa Bible de Jerusalem、ドイツ語聖書協会のDie Bibel、ヘルダー社のDie Bibel等もラテン語訳に追随している。日本語の聖書では新共同訳、フランシスコ会訳、バルバロ訳など、それぞれ原則的にはラテン語のブルガタ訳に準じている。しかし、英語のThe Bible, RSVや日本聖書協会の聖書にはトビト記そのものがない。プロテスタントは原則としてそれを正典と認めていないからだ。だから新共同訳では、カトリックが第二正典として認めている関係上、妥協の産物として続編に掲載されてはいる。
 私としては、ギリシャ語トビト記はSヴァージョンの方を選んだ。ラテン語訳以後の近代語訳も邦訳もそれを選択しているからだ。いずれにせよ、旧約聖書原典通読の各書感想を書くことがまだ宿題みたいに残っているが、それはそれでおいおい果たすこととして、個人的新三年計画の方は決心してやり始めた以上、挫けずに実行していこうと思う。とにかく、その日その日に指定されてくる聖書がどの箇所であり、何語であろうと、どれもご縁があればこその出会いだと思って向き合っていく。こんなことができる幸せをいただけていることに感謝しつつ。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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