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七草粥の記憶

 今日は何かの日だったな…と感じながら、いつも通りの一日を始めたが、夕方になってやっと思い出した。「そうだ、今日は七草の日だったのだ!」と。 日本古来のしきたりをほとんど踏襲して来なかったわが家が、日本の伝統からいかに疎遠になっているかを感じさせた1月7日だった。しかし、私までは日本の習慣は続いて来ていた。そういう習慣を絶やしてしまったのは私で、七草粥の行事もその一つだ。そういう習慣を絶やしてしまった罪滅ぼしに、七草で覚えていることを少しばかり記録しておこうと思う。
 わが生家は今では藤沢市の一部分だが、私が少年の頃は御所見村用田というど田舎にあった。里山沿いに続く田圃を挟んで農家がちらほら散在したが、どれも藁葺屋根の家だった。家には農作業ができる土間があり、座敷には掘り炬燵があった。夜は裸電球が二つ屋内を照らすだけ。夜はしんしんと冷えた。子供の頃はわからなかったが、今自分自身が老人になってみると、冬はどんなに老人にはつらい季節だったことだろうかと推察できる。
 そんな正月6日の夜、母は集めてきた春の七草のナズナを翌朝の七草粥に入れるため、その支度をしたものだった。木鉢にまな板を乗せ、その上にナズナを並べて菜切り包丁を両手に持ち、次の決まり文句を歌うように唱えながら叩いて微塵切りにするのだ。
 七草ナズナ 何とて叩く 唐土の鳥が 渡らぬ先に 叩くさ 叩くさ

 母はそれを何回もくり返し唱えながら菜を切り刻んでいた。その音階をドレミで復元してみると次ようだったと思う。
ななくさなずな なんとてたたく とうどのとりが わたらぬさきに たたくさたたくさ
ミミレレ ミミミ   ミミレレ ミミド  ミミミミ ミミミ    ミミミミ ミミミ    ミミレレ ミミドド

 インターネットで調べてみたら、地方によって言葉はかなり違うようだが、「唐土の鳥が」という文言は共通のようだ。それに比べ、「叩くさ叩くさ」という終わり方はどうやらわが故郷のバージョンのようで、同じものは見当たらなかった。
 それにしても「唐土の鳥」とは何だろうかと、不思議に思っていた。私の子ども時代は日中戦争が始まっていたから、私は何となく鳥を敵国の飛行機に見立てて、空襲される前に撃墜することだろうと理解していた。しかし、母が子どもの頃はまだ飛行機はほとんどなかったし、この呪文みたいな唱え言葉はもっとずっと前から伝わっていたらしいから、鳥を敵機に見立てるのは明らかにまちがっていた。
 では、なぜ「唐土の鳥」などという言葉があるのだろうか?調べたら、どうやや渡り鳥のことで、おそらく昔から渡り鳥が春先に来ると鳥インフルエンザみたいな病菌を持ってくる。だから、そういう災厄を未然に叩いておこう、ビタミンのある七草を食べて健康に気をつけようという意味であったらしい。もしそうだとしたら、それを歌うような言葉で習慣化し、固くなった鏡餅を砕いて七草粥にして食べたのは、なかなかの生活の知恵だったと感服する。
 1月7日の朝、お椀の中に湯気を立てる七草粥は少し塩味で、不揃いに割った鏡餅の周りに米粒がまつわりつき、私はその食感が好きだった。それに、餅を口に入れて箸で延ばすと、伸びたところに米粒がたくさんついていて、面白いなと思いながら食べたことを思い出す。今のわが家には鏡餅はない。だから、当然七草粥の習慣もない。それは伝統をあまり大事にしてこなかった私の怠慢かも知れない。年をとったせいか、そんなことを考えることが多くなった。七草でなくてもいい。野菜を入れた餅粥を食べて見たくなった。
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2015年、年頭雑感

あけましておめでとうございます。
 訪問者の皆様、どなたもよい新年をお迎えになられたことと思います。私には一昨年後半に続いて、昨年も苦渋の時期がありました。とくにある会が弁護士を立てて手を貸す運動清算人であった私を疲れ果てさせました。しかし、それも終わりました。それに、苦渋にまさる大きな喜びと励ましを神様と皆様から沢山いただくことができました。特に神様がS神父様を引き合わせてくださった摂理は実に大きな喜びと祝福でした。どんなに感謝してもしきれないほど大きな恵みでした。まさに神に感謝!!!です。
 手を貸す運動Ⅱは昨年とは大違いです。まず平安があり順調に発展しなおしています。当初はどうしても私と一緒に支援活動をしたいという支援者数十人だけだったのに、今はその5倍の人数です。昨年末の12月は驚いたことに、通常の3倍近い方々が支援を送ってくださいました。カレンダーの販売も多くの方々のご協力によって予想以上に販売できました。神の祝福があることを実感しています。おかげ様で「12月中には何としても送りたい」と願っていた宣教クララ会ナイジェリア地区のシスターハウス建設支援金を、ぎりぎりの12月24日に送金できました。シスター・ハウスは間もなく完成するそうなので、そうなればシスター達はもう住む家の心配も消え、人々のため、福音のため、目いっぱいに働けるでしょう。皆様のご理解とご協力に感謝!!!です。

 ところで考えてみると、大晦日と元日は、時の流れの中では普通の「昨日と今日」と同じなのに、人の気持の中では全く違っています。これはかなり興味深いことではないでしょうか。特に大晦日と元日の間には普通の「昨日と今日」よりもずっと強い「断絶感」があります。思うに、それは人が人為的に定めた年月という区分があるからこそ生まれる感覚だと思うのですが、同時にそれは人の行動や思考を左右する巧妙な「忘却と希望」の装置のように私には思えるのです。「去年」をたった1日で「新年」に見事に切り替える「前向きの祝祭装置」です。年頭にそんな雑感が私の念頭をよぎりました。
 その考察が妥当かどうかはともかく、私にとって今一番大事な手を貸す運動Ⅱについて言えば、この運動も「忘却と希望」の装置を利用し、去年一年間にいただいた神の恵みや人々からいただいた良い物事には感謝を忘れず、それを保持して進みますが、そうでなかった物事(たとえばある会との関わり等)は捨て去って忘却し、今年も神様の導きを信じて、希望と勇気を胸に、未来志向を新たにして踏み出したいと思います。
 今年ははたして何が起こり、どんなことをしていくのか?未来は未知なことだらけで、予期しないことがまた起こるだろうとは思いますが、それはその時対応するしかありません。それに対して、もちろん今からわかっていることもあります。例えば、今までしてきた恒常的な支援は今年も継続すること、しかし、フィリピンの学校給食援助はもっと拡大すること、そのために資金はもっと必要になること等です。またシエラレオネの支援は再考しなければならないかも知れません。年末に宣教クララ会地区長シスター・エリサからメールがあり、エボラ出血熱の惨禍で、同国はかなり困窮へと後戻りしたようだからです。現地からの要請があれば、できる範囲でできる支援をしたいと思います。
 旧約聖書の原典通読はもちろん続けます。ちょうど降誕祭の日にヨブ記に入りました。マソラ聖書(ヘブライ語)では、ヨブ記は諸書(ケトビーム)の中で詩編に続き、キリスト教聖書とは順序が大いに違って、ほぼ最後の方にあります。最初の2章は易しくて、すらすら読み進めたので、クリスマスや正月で何日も通読を怠けましたが、この分では1か月あれば読み切れると思いました。ところがどっこい、ヨブと友人たちの議論になったら途端に難しくなって、逆風の中を行く感じで進みあぐねています。でも、1日1章。7月までには全聖書を原典で読了するつもりです。これが私の個人的目標です。
 こんなサイトに訪問してくれる皆さん、どうぞ充実した一年を送ってください。神様の祝福を皆さんの上に祈ります。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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