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「死者の月」に思う

 公園の桜はほぼ紅葉になった。落ちて重なった葉は黄色、緋色、えんじ色と多彩だが、落葉そのものが自然界の変化を証しする。秋ももうすぐ終わる。8日前、町田教会のHさんが世を去られた。円満な人格の実に尊敬できる人だったのに…どんな人にも終わりが来るとつくづく感じた。神への信仰があろうと、どんなに卓越していようと、終わりがあるという点では人は誰もが同じだ。昔の人が「一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」と問いかつ悟った通りだ。人も虫も生あるものは必ず終わりを迎える。即ち死ぬ。
 キリスト者もこの真理を厳粛に受け止めている。だからカトリック教会は11月を死者の月として、亡き人々に思いを馳せ、祈るのだ。町田教会では2日の主日ミサに共同で祈願するため、信者たちはそれぞれ思い出す故人の名を紙に書いて出した。私の場合は肉親、恩人、友人だけでなく、今年は手を貸す運動34年の間に亡くなった支援者の方々の名前も書いて出した。彼らに感謝するためだった。
 主イエス・キリストの福音を信じる者にとって、人の死は一切の終わりではない。復活の信仰があるからだ。現代ではそんな信仰は気休めに過ぎないという人も多かろう。しかし、復活の希望がある人生と死ねば何もないと思う人生とでは、どちらが人を幸せにするだろうか。聖パウロは教えた。「わたしたちの本国は天にあります」(フィリッピ3;20)と。これからも私は復活の信仰に賭けて生きる。
 それにしても、わたしの周りからは何と大勢の人たちがこの世から去って行ったことか!最近は自分だけ生き残ってしまったという思いさえする。しかし、自分だけが今も元気に生き残っているということは、神様がまだ私にさせたいことがあるからだろうと思う。少なくとも社会福祉法人・地の星の諸問題を解決し、手を貸す運動Ⅱが続くようにしておきなさいということなのではないかと忖度する。

 いずれにせよ、まだ生かしていただいていることはありがたいことだ。そんな余生で個人的にやろうと決心したことに、2年前から始めた旧約聖書原典の通読があるが、先週遂に詩篇を全部読み終えた。もう箴言に入った。多分来年の夏までには全聖書を読了できるだろう。片や主日の聖書についてのコラムは気が向いた時しか書かなくなった。自分のために書いて来たが、その必要を感じなくなったからだ。

 手を貸す運動Ⅱは順調だと言えよう。9月末にカトリック町田教会で開催したJ.シーランド神父様の講演は大の字をつけていいくらいの成功だった。こういう試みによってこそ支援の輪は広がり、新しいエネルギーが生まれる。事実、その講演がきっかけで運動には弾みがついた。昨年8月以来の一年間は苦難も絶えなかったが、再始動以来の新しい出会いや新支援の開拓、新しい支援者の加入や旧手を貸す運動の人たちの復帰等を考え合わせると、この運動は神に祝福されていると確信できる。
 過去の殻から出られない組織は衰退する。過去は過去だ。個人にも団体にも真の成長には継続と断絶がある。過去の蓄積を生かす継続と、過去から断絶する脱皮だ。手を貸す運動Ⅱは33年の過去を大事にして継続するが、同時に脱皮による断絶をおそれないで未来に進む。来年度はフィリピンでの支援が更に拡大するだろう。もちろん、私にとってその先に見つめるのは神の国の到来に他ならない。
 ところで、明日の日曜日、福音書の主題はタラントンの譬えだが、自分たちはその譬えのどの僕のようになったらよいか、どうしたら「よい僕よ」と言われる者になれるか、手を貸す運動Ⅱはそのヒントの一つになるのではなかろうか。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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