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二つの一区切り

 一昨日の日曜日は御聖体の祝日だった。世間一般にはまったく馴染みがない祝日に違いないが、カトリック信者には大切な祝日であり、区切りの祝日でもある。大切である理由は、イエス・キリスト様が聖体を定め、それによって信じる者たちと共にいてくださる秘跡を祝う日だからだ。そして、区切りになると言う意味は、この祝日が主のご復活から必然的に続く一連の主日、すなわち御昇天、聖霊降臨、三位一体、御聖体の最後を飾り、この後は十一月末の王であるキリストの祝日まで続く年間の普通の主日になるからだ。
 典礼暦年を断面から見て、地形の起伏に喩えてみれば、復活祭はその前後に連なる山脈の最高峰にあたり、その後に続く大きな祝日はその最高峰に連なる山脈の峰々のようなものだ。そして、その山脈が終ると延々と続く平原になる。それが年間の主日の連続だ。教会の現状はまさにそこを歩いている姿にある。
   Tout au long des longues longues plaines, peuple immense s'avance lentement.
   Chants de joie et chants et chants de peine, peuple immense va chantant.
   Ils n’ont pas leur Père avec eux, mais ils savent bien leur chemin,
   Ils n’ont pas leur Père avec eux, mais leur Mère les tient par la main.
 このleur Mèreが母なる教会だ。教会は遙かに続く平坦な地上を行く。だが典礼歴は過去にどんなに大いなる出来事があったか、平原の彼方にどんな素晴らしい未来が待っているかを思い出させる。御聖体の祝日はその大いなる出来事を想起させる最後の山であり、教会の長い平たんな歩みが始まる前の区切りなのだ。

 私の旧約聖書原典通読にも区切りがあった。去る六月15日に預言の部を読了したからだ。ユダヤ人が使うマソラ本はモーセ五書(トーラ)、預言書(ネビイム)、諸書(ケトビム)の三部で成っている。預言書はキリスト教で使う旧約聖書の歴史書(エズラ、ネヘミヤ、歴代誌を除く)を前期預言者、イザヤ、エレミヤ等15預言者を後期預言者と呼び、一括して預言書と見なしている。だから、私としてはトーラとネビイムを全部読み通したわけだ。2年では全部は読めないだろうと予想していた通りだったが、満2年経つ前に全巻の三分の二が読めたことは上出来だったと思う。すでに通読はケトビムの詩篇に入っている。
 エレミヤ書まではレジュメ的な総括を書いたが、13預言者分となるとそう簡単ではない。だからそれはしないことにする。そもそもフランシスコ会訳の聖書には見事な解説が出ているから、私がここに書くまでもない。ただ、一昨日が御聖体の祝日で、その第一朗読が申命記8;2-16だったことに関連して、預言者アモスの言葉だけは抜き出しておく価値があるだろう。 申命記8;3にはこう書かれている。「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」と。主イエス様は荒れ野で悪魔に「もし神の子ならこの石をパンに変えて見ろ」と誘惑されたとき、この申命記の一節を答えとして誘惑をお退けになった。
 それを遡ること約750年前、真の神を忘れて神の言葉を蔑にし、悪に浸っていたイスラエルの民にこう宣告した。「見よ、その日がくればと主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に乾くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」と。「主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇き」より恐るべき飢えと渇きがあるだろうか。
 御聖体の祝日の第二朗読は聖パウロのコリントの教会への第一の手紙で、そこには「賛美の杯はキリストの血にあずかること」、「わたしたちが裂くパンはキリストの体にあずかること」と教えている。そして、ヨハネによる福音書6章では、パンの奇跡の後イエス様が「わたしは天から降って来た生きたパン。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」と断言された。これは象徴などではなくて事実なのである。だがその時のユダヤ人たちは主イエス様のこの懸命の教えを拒絶した。御聖体は天から降ったパン、神の言であった。アモスの言葉を思い出すとき、一連のメッセージがすべてつながる。だから共にこう歌いたい。
   Adoro te devote, latens Deitas, quae sub his figuris vere latitas:
   Tibi se cor meum totum subiicit, quia te contemplans, totum deficit.
   Visus, tactus, gustus in te fallitur, sed auditu solo tuto creditur:
   Credo quidquid dixit Dei Filius, nil hoc verbo veritatis verius.
   Jesu, quem velatum nunc aspicio: oro, fiat illud quod tam sitio:
   Ut te, revelata cernens facie, visu sim beatus tuae gloriae. Amen.

 マソラ本旧約聖書だと、後期預言者の後は詩篇になるが、キリスト教旧約聖書だと預言者の最後に来るマラキ預言書の後は新約聖書のマタイの福音書だ。日本語の翻訳聖書しか読んでいないと気付かないかも知れないが、原典を読むと気付くことがある。その一つは聖書の構成だ。実はユダヤ教のマソラ本聖書(いわゆる旧約だけだが…)とキリスト教の旧約聖書とを比べると大いに違う。それはそれぞれの歴史や教義的な理由からだ。それは聖書の成立を考えさせる。
 原典を読むともう一つ気付くことがある。私はラテン語のヴルガタ訳聖書、仏語のエルサレム訳聖書、英語のRSV訳聖書、日本語のフランシスコ会訳聖書をいつも傍らに置き、それらをヘブライ語原典と並行して読んでいる。ところで、訳はしばしばヘブライ語原典と違う意味を採用し、「(原典の)この一句は毀損している」とか「この一句は意味不明だ」とかの注釈をつけている。つまり、原典は絶対ではなく、間違っている場合もあると言っているのと同じだ。そして、それは納得できないことではない。なぜなら、印刷術がなかった昔は人が一冊一冊書写していったからだ。 それが写本で、現在残っているのは写本だけだ。ついでだが、私たちは写本に携わった人たちにどれほど感謝してもし足りないほど感謝しなくてはならいだろう。原典で通読するだけでも私は3年はかかりそうなのに、それを昔は粗末な墨インクと羽ペンで書き写したのだからだ。その努力と根気は想像を絶しただろう。彼らの貢献は計りがたいほどだ。
 しかし、手書きの書写だから間違いもまた避けられなかったことは想像に難くない。ところが、その間違いはそのまま又書写されてしまうことがほとんどだっただろう。それが今日読むと、意味不明の箇所や、毀損語句として出てくるのだ。専門家が研究に研究を重ねた結果の訳は、そういう部分を修復したり、ベターと思われる解釈で訳したりしている。だから、ほとんどは信用できる。さりとて、そういう訳もまた絶対ではありえないのだ。間違いがあるかも知れない。だから、聖書は神の言葉の書だと言われても、今ある聖書は完璧に確かなものだとは言えないのだ。
 原典ですら、いや原典の方にこそむしろ間違いや毀損が多く見つかるくらいだ。ヤブネで正統な聖書を定めてユダヤ人ラビたちも、すべてを正すことはできなかったのだ。これは新約についても言えることだが、要するに書かれて今ある聖書は一字一句絶対に間違いのないものではない。それを念頭に置いて読まなければならないだろう。聖書だけを唯一の拠り所としているキリスト教派もあるが、このことを知ると「聖書のみの原則でいいのですか?」と問わざるを得なくなると思う。神の真の教え、神からの真の言葉は何によって保証され得るのか?それができるのは聖霊に導かれた、唯一、聖、公、使徒伝来の教会だけだ。この教会が聖書の正真正銘さと神の真の教えを保証する。それがなければ聖書も信じるにたりない書に他ならなくなる。特に旧約聖書はそうだ。その原典を通読してきて、私はそれを痛感している。
 さて、二つの事の一区切りについて感想を書いたが、人はこんなのはブログじゃないと思うかも知れない。どう思われようとかまわない。この年になると、人がどう思うかなどということはどうでもよくなる。私にとっての関心事は、何を食べたか、どこへ行ったか、誰に会ったかなどという日常的なことではなく、思想や学問に関わる考察なのだ。これからもわが道を行く。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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