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イザヤ書の中から

 辛い一年がもうすぐ終わる。人生で最悪の年の一つだった。年が改まってもその記憶が消えるわけではないが、過去形になれば区切りはつけられる。そんな中でも続けたのが旧約聖書原典通読だったが、エレミヤ預言書を今年中に読み終わるつもりだったのに達成できなかった。想定外のことが後から後から現れたからだった。実はそれを読みながらも、イザヤ預言書のまとめを書くつもりでいたが、それも果たせなかった。そこで、せめてイザヤ書で心に残った言葉だけでも書き留めておこうと思う。

13;10「天の星とその星座は光を放つことなく、太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。」
Isaia13;10-aIsaia13;10-bIsaia13;10-c
イザヤ13;10
Quoniam stellae caeli et sidera eius non expandent lumen suum; obtenebratus est sol in ortu suo, et luna non splendebit in lumine suo.
Car les étoiles du ciel et Orion ne feront plus briller leur lumière, le soleil s'obscurcira dès son lever, et la lune ne donnera plus sa lumièfre.
For the stars of the heavens and their constellations will not give their light; the sun will be dark at its rising and the moon will not shed its light.
 これは主の日を予告する一節だが、マタイ24;29で世の終わりを語られた主イエス・キリスト様の表現と非常に似ている。

29;13「主は言われた。この民は口先でわたしに近づき、唇でわたしを崇めるが、その心はわたしから遠く離れている。」
Isaia29;13-aIsaia29;13-b
イザヤ29;13
Et dixit Dominus:"Eo quod appropinquat populus iste ore suo et labiis suis glorificat me, cor autem eius longe est a me."
Yahvé a dit:Parce que ce peuple ne m'approche qu'en paroles, qu'il ne me glorifie que de lèvres,tandis que son coeur reste loin de moi,...
And the Lord said:"Because this people draw near with their mouth and honour me with their lips, while their hearts are far from me,...
 マタイ15;8ではこれが引用されている。こういう者たちを偽善者と言う。現代のキリスト信者にも当てはまる強烈な批判だ。

30;21「お前が右や左にそれようとするとき、お前の耳は『これが道、ここを歩け』と語る言葉を背後に聞く。」
Isaia30;21-aIsaia30;21-b
イザヤ30;21-aイザヤ30;21-bイザヤ30;21-c
Et aures tuae audient verbum post tergum monentis:"Haec via, ambulate in ea", si declinaveritis ad dexteram vel ad siinistram.
Tes oreilles entendront ces paroles retentir derrière toi:"C'est le chemin, suivez-le", que vous alliez à droite ou à gauche.
And your ears shall hear a word behind you saying,"This is the way, walk in it," when you turn to the right or when you turn to the left.
 神は信じる者の後ろから正しい道をこのように囁いてくださる。感動的な言葉だ。

35;5「その時、見えない人の目は開かれ、聞こえない人の耳は開けられる。その時、足の不自由な人が鹿のように跳ね、口のきけない人の舌が喜び叫ぶ。」
Isaia35;5-aIsaia35;5-bIsaia35;5-c
イザヤ35;5-6
Tunc aperientur okuli caecorum, et aures surdorum patebunt. Tunc saliet sicut cervus claudus, et exsultabit lingua mutorum.
Alors les yeux des aveugles se dessilleront, les oreilles des sourds s'ouvriront, alors le boieux bondira comme un cerf et la langue du muet criera de joie.
Then the eyes of the blind shall be opened, and the ears of the deaf unstopped; then shall the lame man leap like a hart, and the tongue of the dumb sing for joy.
 マタイ11;5で、洗礼者ヨハネが牢から弟子たちを主イエス様に遣わして、「来たるべき方はあなたですか」と尋ねさせたとき、主はこの言葉を引用して、「わたしに躓かない人は幸いだ」とら答えられた。
 29;18「その日には耳の聞こえない者が巻物の言葉を聞き、目の見えない者の目が暗黒と闇を解かれて、見えるようになる。」
Isaia29;18-aIsaia29;18-b
Et audient in die illa surdi verba libri, et de tenebris et caligine oculi caecorum videbunt.
Alors les sourds, ce jour-là, entendront les paroles d'un livre et, délivrés de l'ombre et des ténèbres, les yeux des aveugles verront.
In that day the deaf shall hear the words of a book, and out of their gloom and darkness the eyes of the blind shall see.
 これもそれに似ている。メシア到来の徴とされた表現だ。

45;15「まことに、あなたはご自分を隠される神。」
Isaia45;15-aIsaia45;15-b
イザヤ45;15-aイザヤ45;15-b
Vere tu es Deus absconditus.
Vraiment tu es un Dieu caché.(traduit selon le texte hebreux)
Truly, thou art a God who hidst thyself.
 真の神は人間の把握を超越されている。出エジプト記3;14「わたしは『ある』ものである。」の意味とつながる。

48;12「わたしは初めであり、終わりである。」
Isaia48;12
イザヤ48;12-aイザヤ48;12-b
Ego primus et ego novissimus.
C'est moi, qui suis le premier et qui suis aussi le dernier.
I am the first, and I am the last.
 ヨハネの黙示録1;8、21;6はこれと同じ表現を使っている。

55;6「主を求めよ、見出すことができるうちに。呼びかけよ、近くにおられるうちに。」
Isaia55;6-aIsaia55;6-b
イザヤ55;6
Quaerite Dominum, dum inveniri postest; invocate eum, dum prope est.
Chercherz Yahvé tant qu'il se laisse trouver, invoquez-le tant qu'il est proche.
Seek the Lord while he may be found, call upon him while he is near.
 心せよ。その時を失しないように。ルカ19;44では、主イエス様は「それは訪れの時を、お前が知らなかったからである」と言われている。

63;16「まことに、あなたはわたしたちの父。アブラハムが私たちを知らず、イスラエルがわたしたちを認めないことがあっても、主よ、あなたはわたしたちの父です。」
Isaia63;16-aIsaia63;16-b
イザヤ63;16
Tu enim pater noster.Abraham enim nescit nos, et Israel ignorat nos; tu, Domine, pater noster.
Car tu es notre Père. Car Abraham ne nous reconnaît pas et Israel ne se souvient plus de nous; C'est toi Yahvé qui es notre Père.
For thou art our Father, though Abraham does not know us and Israer does not acknowledge us; thou, O Lord, art our Father.
 神は主であり、王であるだけでなく、父であるという理解はすでに旧約にあった。マタイ6;9で、主イエス様は神に、「天におられる私たちの父よ」と祈るよう教えられた。

65;1「わたしは、わたしを尋ね求めなかった者にわたしを追い求めさせた。わたしは、わたしを捜さなかった者にわたしを見出させた。わたしは、わたしの名を呼ばなかった国に向かって、『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と言った。」
Isaia65;1-aIsaia65;1-b
イザヤ65;1
Quaesitus sum ab his, qui non consulebant me, inventus sum ab his, qui non quaerebant me. Dixi:"Ecce ego, ecce ego!" ad gentem, quae no invocabat nomen meum.
Je me suis laissé approcher par ceux qui ne me questionnaient pas et je me suis laissé trouver par ceux qui ne me cherchaient pas. Je disais:"Me voici, me voici", à une nation qui n'invoquait pas mon nom.
I was ready to be sought by those who did not ask for me; I was ready to be found by those who did not seek me. I said,"Here am I, here am I," to a nation that did not call on my name.
 すばらしい言葉だ。30;21の『これが道、ここを歩け』という言葉と合わせて受け止めるべきだろう。真の神は、後ろで『これが道だ、ここを歩け』と囁いて教え、前からは『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と招いてくれる神だ。しかし、「まことに、あなたはご自分を隠される神」でもある。心に声は聞こえても、肉の目には見えない存在者だ。

65;17「まことに、見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。」
Isaia65;17-aIsaia65;17-b
イザヤ65;17-aイザヤ65;17-b
Ecce enim ego creo caelos novos et terram novam.
Car je vais créer des cieux nouveaux et une terre nouvelle.
For, behold, I create new heavens and a new earth.
 古い天と地とは創世記1;1に書かれたものだ。その新しい天と地はヨハネの黙示録21;1でも語られる。

66;24「まことに、その蛆は死なず、その火は消されない。」
Isaia66;24-aIsaia66;24-b
イザヤ66;24-aイザヤ66;24-b
Nam vermis eorum non morietur, et ignis eorum non extinguetur.
Leur ver ne mourra pas et leur feu ne s'éteindra pas.
For their worm shall not die, their fire shall not be quenched.
 イザヤ書最後の節にある言葉だ。何ともかっこうを着けない終わり方だ。蛆とか消えない火は神の罰を現わす象徴的表現だった。だから主イエス様もお使いになったのだろう。マルコ9;48「地獄には蛆が尽きず、火も消えることがない」などだ。

 以上、かいつまんで拾い上げただけだが、おそらく新約聖書で一番多く引用されているのがイザヤの預言だろう。"In Vetere Novum latet, in Novo Vetus patet."(旧約には新約が隠れ、新約には旧約が現れる)と言った聖アウグスティヌスの言葉はこの預言書に最もよくあてはまる。彼は卓越した預言者だった。ちなみに彼の名のヘブライ語読みはイシャイヤフーである。
 この原文通読は一番時間がかかった。フランス語でなら知らない語彙はあまりないと自負している私だが、イザヤ書にはその私がフランス語でさえ知らない語彙がしばしば登場した。一節読むのに数回辞書を引くこともしばしばだった。
 批判的に見れば、預言書は一種の文学作品でもある。預言者は神の言葉を伝えた。それはその通りだが、そうしながらも彼は豊富な知識や言い回しを駆使する悦楽を味わっているようにも思えた。神がそんな饒舌になったり、無くてもいい修飾語を使ったりするわけがないのだから、そういう部分は神の言葉ではなく、人間預言者のことばに過ぎないだろう。私はそう仕分けして読んだ。
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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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