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ゆく秋の想い

秋がゆこうとしている。公園の山桜の大樹はほとんど葉を落とした。その落ち葉の上を歩いてみた。桜の落ち葉は美しい。ケヤキのように落ちてすぐ褐色化せず、緋色、えんじ色、黄色、樺色等とりどりの色のまま公園の草地に積み重なる。ふかふかの絨毯を踏むようにその上を踏んで歩いた。足元からかさこそと落ち葉の音が聞こえた。そこでふと感じた。私はまだ生きているんだ、と。生きている実感を味わいながらゆっくり歩いた。秋がゆこうとしているから。
桜落葉Ⅱ
 しかし、シスター根岸さんはもうこの世にはいない。私のように地上で落ち葉を踏んで歩くこともない。
彼女が亡くなって一か月になる。ふと本当に彼女は神様のもとにいるのだろうかという疑念がよぎったが、いや、そんなことはない。そんな疑いを持つならキリスト者ではないと打ち消した。彼女は主のみもとに赴かれたのだ。それにしても最後は私に苦過ぎる思い出を残したが、30年間はよい相方であった。神の国のために奮闘した同志だった。
 聖女ではなく、欠点もあった。だが、立派な修道女で実によく働いた。私にとっては、33年前彼女と出会い、彼女の手伝いを買って出なかったら、私のその後の人生はまったく違うものになっていたに違いないと思っている。だから感謝し、彼女の永遠の安息を祈ってやまない。
 仮にもし神の国にも美しい桜の落ち葉の園があったら、それを踏んで歩きながら、彼女に美声でアドロテ・デヴォテを歌ってもらいたいものだ。特に Visu sim beatus tuae gloriae のくだりでは実感をこめて。
 シスター、福音のために共に働かせてくれてありがとう。そして、いい思い出もありがとう。帰天後一か月の感謝。

 思い出と言えば、昨日はテレビでスタジオジブリ高畑勲監督の「おもいでぽろぽろ」を見て感服し賛嘆した。そして、自分の子供の頃を思い出した。主の福音などまだまったく知らなかった頃の、故郷の田舎にいたころの自分だ。そのアニメ映画に描かれていた田舎の風景は実に見事だ。人物を除いたら、一場面一場面が美術館に飾っていいほどの風景画になると思えた。
 描写の観察が実に的確だ。車が田舎のでこぼこ道で水たまりをパシャッと水をはじきながら揺れて通り過ぎるところなど、思わず「うわっ、すごい!」と感服、讃嘆した一場面だった。もっともこれは美術館に飾る部類のものではなかったが…トシオが有機農業をやっているので、タエ子もそれを手伝い、稲田で手を使って田の草取りをする場面があった。稲の根元の泥を掻くように草を取る。除草するだけでなく、根元の泥土を掻き混ぜて酸素を送る作業なのだ。屈んでするからきついし、稲の葉先きに目を突かれることもある。その仕事の動きが実に的確に描写できていた。高畑監督はその経験があるのだろうと思った。ストーリーもいいが、田舎の自然がいっぱい出てくるのが私には何よりもよく、画面は見ていて安らげたし、自分の少年時代のあのことこのことを連想させた。
 耳に残ったのは、高台から眼下の田舎の自然を見下ろしながら、トシオが「この自然はみんな人間がつくったものだよ」と言った言葉だ。「えっ、人間が作ったの?」と問うタエ子に、「そうさ、これはありのままの自然ではなく、人間が手を加えてできた自然なんだ。あの田圃も、あの小川も、道も、あの山林も。人間は自然からいただき、自然を大事に変える。自然と人間がうまくかかわりあってできたのがこの田舎の自然なんだ」とトシオ。その答えに私も納得。もっともこれは私が思い出して復元したので、会話がまったくこの通りだったのではないが…

 今日はまたテレビでだが「二十四の瞳」を見た。そしてまた子供時代を思い出した。特定機密保護法案が衆院で強行採決された後だから、戦前の恐ろしい時代の再来を危惧して、そこから教訓を引き出した人がいたかも知れない。見る人の感想はそれぞれだろうが、私はそこにも自分の少年時代を重ねて見ていた。おもいでぽろぽろよりもこちらの方がより私の少年時代に近かった。いや、そっくりだったと言ってもいい。それもそのはず、場面は私が生まれる1年前の昭和3年から始まるからだ。登場する子供たちは私より6,7歳年上の年代だ。舞台は瀬戸内海の小豆島だから海があり、そこは私の故郷とは大きく違う。だが、着物姿の子供たちは私とまったく同じだった。
 小学校6年生まで、私も絣の着物を着て三尺帯をしめ、足には下駄や草履を履いて小学校に行っていた。頭はいつもいがぐり頭、雨の日は唐傘をさしていき、晴れると唐傘を横倒しにして車輪のように転がして遊びながら下校したりした。中国本土での戦争が本格化すると、出征兵士が次々と召集された。それも同じで、子供の私が見ていた日常風景だった。その度に人々は村の神社で壮行会を行い、バス停まで軍歌を歌いながら行列を組んで出征兵士を送り出したものだ。
 二十四の人瞳では、港で送り出しているところが私の村とは違ったが、「勝ってくるぞと勇ましく」、「ああ、あの顔であの声で」、「若い血潮の予科練の」など、戦争の真実を何にも知らずに軍歌を歌っていたのはそのままだった。そして、あげくには自分自身が少年兵として壮行会で送られた。あの映画に出てくる少年たちも、ほとんどが将来は軍人になると言って大石先生を心配させ、そういう心配をする彼女を校長は危ないから気をつけなさいとたしなめた。特高警察の耳に入れば反戦主義者だと疑われて、しょっぴかれるかも知れないと心配したからだ。
 しかし、やがて多くの出征兵士は白木の箱で帰ってきた。今の若い人たちにあの白木の箱を胸に下げて並んで歩く妻たちの抑えた悲しみがわかるだろうか。死んだ兵士は名誉の戦死を遂げたと称賛されたが、実際は病死や悲惨な飢え死にが多かった。私の4、5歳上の青年たちは多くがそうして命を落とした。私の長兄、義兄もそうだった。実情は犬死だったのだ。真の情報を与えられず、時の権力者の言いなりになっていたのは少年時代の私も同じだった。再びあんなことがあってはならない。だから、危険な特定機密保護法案には絶対反対しなければならない。廃案になればよいと願う。
 それにしてもあの映画は舞台が島だから、しばしば画面に櫓を漕ぐ舟が見えた。あれを見ると思うのだ。もう一度あれで漕いでみたいな、と。少年兵の時の思い出には良いものがないけれど、針尾島で漕いだ伝馬船の練習だけは好きだった。舵ではなく櫓の扱いひとつで面舵取り舵と方向を変えられるのが面白かった。それにボートとは違って、進行方向が見えるし、進み方がゆっくりなのものどかな感じで楽しかったのだ。たぶんもう漕ぐ機会はないだろうし、機会があったとしても、今でもまだ漕げるかどうかわからない。でもできたらもう一度やってみたい。親しい友を二三人乗せ、ピクニックの弁当も持参で…と、足腰の衰えた老人なのに、そんな馬鹿げた空想をする。わたしのおもいでぽろぽろ、秋の想いである。


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シスター根岸の帰天

 西アフリカ・シエラレオネ共和国ルンサで、30数年間も献身的に現地の女子教育を実践されていたシスター根岸美智子さんが逝去されました。その日から早や12日になります。昨日、元・手を貸す運動の方々にはやっと追悼を兼ねたお知らせを発送しましたが、このサイトを訪問してくださる方々にもここに同じ文面を掲載してご挨拶とさせていただきます。
Requiem aeternam dona ei, Domine、
Et lux perpetua luceat ei.
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元・手を貸す運動の皆様、
 シスター根岸美智子様が去る11月1日にお亡くなりになりました。哀惜の念にたえません。1ヶ月前に運動ニュース最終号を出したばかりですが、この訃報はどうしても皆様にお届けする責任があると思いましたので、お知らせすることをお許しください。訃報は11月3日の朝日新聞朝刊等に出ましたし、お通夜・ご葬儀に参列した方もおいでですが、33年間も希望・苦楽・悲喜を共にした元・手を貸す運動の私たちとしては、シスター根岸さんを独自に偲び、追悼の思いを共にせずにはいられないからです。
 お元気だった頃を思うと、シスターがもうこの世におられないことがまだ信じられないほどです。でも悲しいかな、事実は否めません。しかしながら、信仰の目で見れば、死は一切の終わりではなく、神の国への入り口です。別れは悲しくても、シスターが主のもとに行かれたと思えば共に喜ばなければならないでしょう。シスター、あなたは人々を深く愛し、人々から大いに愛され、何と素晴らしい生涯を全うされたことでしょうか!そして実によく働かれました。ですから今はもう主のもとでゆっくりお休みください。いずれまたお会いできますよね、と申し上げたいです。
 
 シスター根岸さんは昨年12月、足の激痛を治療するために帰国されました。その治療のため二回手術を受けられましたが、結果は芳しくなく、その後もっと深刻な病気も判明したのでがん研有明病院で治療を受けておられました。その間も、シエラレオネに戻ることを切望し、まだあれをやり残している、これもしなければと、現地に思いを馳せ続けていました。しかし、神様のみ旨は彼女をシエラレオネにではなく、神の国に招くことにありました。だからこそカトリック教会が諸聖人祝う11月1日に、彼女を諸聖人たちの集いに加えられたのでしょう。76歳の実に素晴らしい見事なご生涯でした。
 シスター・レティシア根岸美智子さんは1975年アフリカのナイジェリアに派遣され、翌1976年からはシエラレオネミッションに移り、以後のほとんどは同地で人々に尽くしました。OLG中学校長も務め、同国内戦中の1998年には反政府軍に捕まって殺されそうになったこともあります。内戦終結後はロシアのミッションからシエラレオネに再度復帰し、貧しい女子生徒たちのため職業センターの充実と発展を夢見て、献身的に努力していました。シスターは現地の生徒たちに慕われただけでなく、一般の人々からもたいへん尊敬されていました。そのご生涯をもっとよく知りたい方は、「あの笑顔が甦った」(2008年聖母の騎士社出版)を再読なさるとよいと思います。同シスターが共著者の本だからです。

 支援者の皆様は、それぞれシスター根岸さんとの特別な思い出をお持ちでしょう。ですから、お一人おひとりにはその絆と思い出を大事にしていただき、私はここからはお通夜及びご葬儀に参加できなかった方たちのために、その時の様子をお知らせして、ご一緒に追悼したいと思います。
シスター根岸美智子さんお通夜

 お通夜は11月4日(月)、東京都世田谷区桜新町にある御聖体の宣教クララ会東京修道院聖堂で行われました。お棺の周りは沢山の花で囲まれ、参列者も聖堂いっぱいでした。かつて手を貸す運動の副代表だった方々や委員さん達も来られたので、変な言い方かも知れませんが、思いがけず旧交を温める機会にもなりました。考えてみれば、こういう多くの旧友知己がいるのも、シスター根岸さんとの出会いと手を貸す運動があったからこそだとつくづく思いました。
 お通夜はカトリック教会の作法に従い、献香、聖歌、祈り、神父様の話、献花の順で行われ、最後に遺族代表として御聖体の宣教クララ会シスター・アンへロス日本地区長が、故シスター根岸美智子さんを偲んで感動的な挨拶をなさいました。ご存知ない方がいるかも知れませんが、修道者の真の家族は修道会なのです。ですからシスター根岸さんの場合も、同地区長が喪主・遺族代表として挨拶したのでした。 
 葬儀ミサ、告別式、葬送は11月5日(火)に行われ、この折も聖堂は参列者でいっぱいでした。ミサはフランシスコ会のカリスト・F・スイニー神父様の司式で、福音はマタイ25章31-41節でした。それが読まれた時、私は33年前シスター根岸さんが玉川大学でなさった最初の講話を思い出しました。私が司式した礼拝の中での講話でしたから、丁度同じ福音の箇所を選んだのです。すると、後でシスターは「先生、私はまさにあそこを話そうと思っていたのです。だから本当に嬉しかったです」と喜んでくれました。そしてその時、私が「シスター、私でも何かお手伝いできることがありますか?」と申し出たことが、手を貸す運動の始まりになったのでした。
 その時シスターは「貧しい人に目を」の題目で講話をしましたが、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」と言われたイエス様のお言葉を、貧しいシエラレオネの人たちを助ける日本人に当てはめて話しました。しかし、この葬儀ミサでは、神父様はそのお言葉がシエラレオネの人たちのため献身的に尽くしたシスター根岸さんにこそ、最もよく当てはまると説教されました。まさにその通り!と私は至極同感でした。
 葬送ではお棺に皆さんが花を詰めた後、シスターたち全員がその周りに集まって、愛する姉妹レティシアに別れを告げ、サルヴェ・レジナを歌いました。昔ミサ後に「元后、あわれみ深き御母」と唱えた祈りのラテン語版聖歌です。司祭や修道者の葬送によく歌われます。私も一緒に歌いましたが、涙ながら歌うシスター達をみて、gementes et flentes in hac lacrimarum valle (この涙の谷に呻き泣きながら)のくだりまで来ると、私も涙が止まらなくなりました。そしてこの時も、シスターの真の家族はやはり宣教クララ会なんだなぁとつくづく思って感動しました。
お棺を囲んでサルヴェ・レジナを歌うシスターたち


 シスター根岸美智子さんの帰天は彼女の存在の大きさと、残された者の心の空白をあらためて感じさせます。しかし、復活したイエス様が地上に留まらずに昇天なさったことは、私たちの永住の国が地上ではないことを示唆しています。聖パウロも言いました。「わたしたちの本国は天にあります」(フィリ3;20)と。ですから、そこに赴いた故人のことを嘆くばかりではいけないと思います。シスターは私たちのために天で祈ってくれるでしょうから、私たちも彼女のために祈りましょう。敬愛する人を失った悲しみは深いですが、復活の希望をもって死を受け止め、今は神様の至福の中にいるシスターの喜びを喜びとしましょう。そして、私たちも助けを必要とする人たちを助けて、彼女のように精一杯生きましょう。それが今は帰天したシスターを一番喜ばせることではないでしょうか。 
 元・手を貸す運動支援者の皆様、シスター根岸美智子さんによくしてくださり、本当にありがとうございました。彼女は皆様に言葉では尽くせないほど感謝していると思います。30年間初代代表を務め、故人の黒衣だった者として、彼女に代わって心から御礼を申し上げ、皆様の上に神様の祝福を祈ります。 2013年11月11日、 元・手を貸す運動創始者 ヨゼフ佐藤正明
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上です。
シスター根岸さんは地上でのお働きを終わりましたが、私はまだ地上にいるので、自分にできる支援活動を続けます。お力添えくださる方がおいでなら大歓迎です。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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