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やもめの息子

 ほぼ1年間、主日ごとの聖書考察をやめていたが、典礼暦が年間の主日に戻ったのを機会に、それを再開しようと思う。昨日6月9日、年間第10主日ミサは第一朗読が列王記上17;17-24で、福音がルカ7;11-17だった。今、旧約聖書原典通読は列王記上20章を通過中だから、列王記のその章節はまさに読んだばかりの箇所だが、ルカ福音書の出来事とよく似ている。だからこそ昨日朗読されたのだろう。そこで二つを少々比較考察し、そこにあるメッセージを汲み取ってみようと思う。

 列王記17;17-24とルカによる福音書7;11-17の共通点は、①死んだ男の子の親が両方ともやもめであったこと、②死んだその息子が両方とも生き返えらせてもらえたこと、③そして、それは神的な力による奇跡の蘇生であったことの3点だと言えよう。他方、多くの違いも目立つ。そして、その違いにこそ福音書のメッセージが秘められているように思われる。では、どんな点で違うかを知るために、まず二つの奇跡物語のあらましをみてみよう。
 列王記上17;17-24の主役は預言者エリヤだ。彼は神の言葉に従い、サレプタの貧しいやもめの家に宿泊していた。ところが、パンと油の奇跡の後、やもめの一人息子が重病で死んでしまった。彼女は預言者に、「あなたは息子を死なせるためにきたのですか」と恨めしげに訴えた。そこで、エリヤは彼女の息子を階上の部屋に運び上げると、子どもを寝台に横たえると、その上に三度身を重ねて、「主よ、わが神よ、この子の命を元に戻してください」と神に祈った。すると神は彼の祈りを聞き、その子の命を元にお戻しになった。彼は、「見なさい、あなたの子は生きている」と言ってその子を母親に渡した。感極まったやもめはエリヤに言った。「今わたしはわかりました。あなたはまことに神の人です」と。これがこの奇跡物語の大筋だ。
 他方ルカ7;11-17の場所はナインという町だ。ある日、主イエス・キリスト様はその町の門近くで、死んだ一人の若者の棺が担ぎ出されるのに出逢われた。母親はやもめで、町の人々が大勢付き添っていた。すると、イエス様は彼女を見て憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れると、担いでいた人々が立ち止まった。そこで主は「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めたので、主は息子を母親にお渡しになった。それを目撃した人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた。神はその民を心にかけてくださった」と言った。これがこの奇跡のあらましだ。 

 では、時代や地名や一人息子が死んだ状況などの小さな違いはさておくとして、大きな違いだけを拾い上げてみると、第一にエリヤの場合はやもめ以外はいなかったが、イエス様の時は大勢の人が付き添っていた。次に、エリヤはやもめが訴えたので子どもを生き返らせようとしたが、イエス様はご自分の方からすすんでやもめに声をかけられた。第三に、エリヤは子どもの上に三度も身を重ねて神に祈って、やっとその子を生き返らせることができたが、イエス様はそんなことはなさらず、ただ一言「起きなさい」と命じただけで、死んだ若者を生き返らせなさった。つまり、エリヤは神に願って、そのお力で死者を蘇生させ、イエス様はご自分の力で死者を蘇らせなさった。
 ところで、この違いから大切なことがわかってくるのである。まず死者の蘇生のさせ方から、エリヤは神の人ではあっても所詮は人だったが、イエス様は神の子であることがわかる。「主はまことの神よりのまこと神、つくられずして生まれ、父と一体」という信仰宣言の真理だ。当時の人々エリヤの奇跡を知っていた。だが、彼とは段違いの奇跡力を示された主に皆が大いなる畏怖を覚え、「大預言者が我々の間に現れた」と神を讃えたのは、「この方はエリヤ以上だ!」と感じたからに他なるまい。
 次にわかることはイエス様の慈しみ深さだ。エリヤは頼まれてやもめの息子を生き返らせた。しかし、主は頼まれもしなかったのにご自分から近づいて、悲嘆に沈むやもめをまず慰め励まされた。ルカはその時のイエス様の心を “esplangchnistheh”(ギリシャ語だが、ローマ字で表記)と表現している。共同訳は「憐れに思い」と訳しているが、これは「はらわたが揺さぶられるような深い憐憫の情」を言う。元々のギリシャ語にはなかった新約聖書独特の意味だ。
 イエス様のこの近づき方とお言葉から、主がいかに人を愛されたかが分かる。主は「あなたがたの天の父は、これらのことがみなあなたがたに必要なことをご存知である」(マタイ6;32)と教えられたが、その全知はもちろんやもめの死んだ息子にも用いられ、その全能が彼を生き返らせたのだ。それは腹の底からの憐憫から出た奇跡だった。福音的信仰とは「神は愛なり」と信じることが核心だが、やもめへの主の言葉は、私たちが神を愛するより先に、神が私たちを先に愛しておいでになる(一ヨハ4;10)ことの一証左だった。ここにこの箇所の一番大事なメッセージがある。

 しかし、この話を聞くと、ある人は「でも・・・」と納得しないかも知れない。なぜなら、「神の子であるイエス様だからこそ、悲嘆に打ちひしがれていたやもめに息子を生き返らせてやれたのだ。でも、私たち凡人にはしてあげたくても、そんな真似はとうていできないからだ。死者が出た場合、私たちは無力を痛感する。主はそんな私たちにいったいどうすることをお勧めなのだろうか?」と。そこで考えるヒントになるのがお棺の周りに町の人々が大勢付き添っていた事実だ。
 一人の人が死んでしまったら、医師であっても人はもう生き返らせられない。しかし、死者の尊厳を大切にして葬り、残された人々を助け励ますことはできる。慰める言葉がなくても、黙って一緒に家族と共にいてあげることならできるのだ。人に出来ることはそんなことしかないが、人々が傍にいてくれるだけで残された人の悲しみは多少とも分散し和らぐだろう。サレプタのやもめと違い、ナインのやもめには大勢が寄り添っていた。主は私たちがそうすることをお望みだと思う。
 しかし、それでも問題は残り、こういう疑問を抱くかも知らない。「私たちは死者に何もできないが、主ならおできになる。ナインの一人のやもめにそうしてくださったのなら、なぜ主は子をなくした他のやもめとか親たちにも、公平に同じことをしてくださらないのだろうか?ああ、一人や二人ではなく、そういうすべての死者を生き返らせてくださればいいのに!そうすれば、悲しみは喜びに変り、人々は皆こぞって「これこそ真の神、愛の神だ!」と主を信じるだろうに…」と。
 ところが、主はすでに全ての人を生き返らせると言明されている。従って、そういう疑問は主のお言葉を聞き漏らしている結果だ。主はすべての死者を復活させると約束されたが、主の福音とはまさにそのことに他ならないのだ。やもめの息子も墓から出たラザロもやがてまた死んだ。いくら生き返らせても、この世では人は最後にはまた死を迎える。だから、主はすべての死者を生き返らせはなさらないのだ。しかし、世の終わりにはすべての人を復活させると言明された。
 やもめの息子を蘇生させたのは深い憐れみからだったが、同時にそれはすべての人を世の終わりに復活させることができる神の力と、約束を証明するためでもあったに違いない。では、それは私たちに何を示唆しているのだろうか?世が新たにされる時、人が復活させていただき、神の国で永遠の命を享受できるのは、ひとえに神の愛からだが、他方それを信じて生きる信仰が必要であること、この世の人生はその信仰を証しする期間であることを示唆しているのだ。私はそう思う。
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金魚の孵化&稚魚育成記録5

 わが家で金魚の一番稚魚が孵化してから、今日でちょうど一か月になる。しかし、その育成は失敗だったのではないかと悔やんでいる。そのわけは約50匹いたのに80%ぐらいを死なせてしまったからだ。お店の人の話では、最終的には10%ぐらいしか生き残らないそうだが、まだ1ヶ月しかたっていないのに、20%しか残っていないのでは、最終的に10%生き残らせるのは無理かも知れない。
 二番稚魚は最初の頃数匹死んだが、その後はあまり死んでいない。ところが、一番稚魚は3週間過ぎたころから急にどんどん死に出した。一度に9匹も死んだ日があった。あまりにも残り少なくなったので、原因は何だろうかと考えたら、一つ思い当たることがあった。水槽だ。一番稚魚は試しに孵化させてみようと思って、最初は小さな琺瑯の器に入れていた。ガラスの水槽には金魚の成魚が入っていたからだ。しかし、二番稚魚の場合は成魚を池に移し、そこで孵化させた。ところが、一番稚魚は琺瑯の器が小さかったので、大きさではガラスの水槽と同じぐらい水が入る琺瑯の器に入れ替えた。しかし、両方を下駄箱の上に置くと重くて戸が開かなくなるため、琺瑯の水槽は玄関内のタイルの上に置いた。従って光があまり入らなかった。おそらくそれがよくなかったのではないかと思えたのだ。
 そこで生き残った一番稚魚をガラス水槽の二番稚魚たちと合流させた。弱って死にそうなのも、かわいそうだからそこで命を全うできるよう、捨てずに入れた。そうしてから一週間たった。幸い死ぬものは少ししか出ていない。一週間先に孵化しただけだが、一番稚魚はやはり大きく見える。しかし、二番稚魚も盛んに餌を食べて成長しつつある。小さいながら餌にパクッと食いつくさまは見ていて飽きない。全部育ったらどうするかがまた一つ悩みの種になるだろうが、できればお店の人が言ったパーセンテージよりもよい率で育ってくれればと願う。
 ところで、この飼育中のある日、水槽にサカマキ貝を2匹見つけた。水草に卵が付着してきたらしかった。調べてみたら、爆発的に増える貝だと知って、急いで駆除した。網ですくい、庭の石段で踏み潰した。しかし、その後ふと思った。人間は何と自分中心的なものか、と。金魚の稚魚が死ぬと、はかない命をふびんに思うのに、サカマキ貝には何の憐みも感じず、平気で踏みつぶした自分。それに気付いたからだ。考えてみると、多くの人は蝶は愛でるが、幼虫の虫は嫌い、蚊はパチンと殺す。生き物はすばらしいとか、命は尊いとか言うが、実際は他の生き物に対して自分たちに益になるか害になるか、好きか嫌いか、かわいいか可愛くないか、安全か危険か等で、見方も態度も180度変える。きわめて自己中心的なのだ。しかし、生きるためにはそう開き直るしかないのも事実だと、ちょっぴり生き物哲学に触れた。
 いずれにせよ、この飼育記録はこれでひとまずピリオドを打つことにする。数か月したら経過を報告したいと思う。

主の晩餐の記憶

 今年のキリストの聖体の主日ミサでは、創世記14;18-20、コリントの教会への第一の手紙11;23-26、ルカによる福音9;11-17が読まれた。創世記の章節はメルキセデクとアブラハムの話で、それほど価値があるとは思えなかった。参考程度だ。それに比べ、福音はイエス様が男だけでも5000人余の人々を、5つのパンと2匹の魚で満腹するまで養われた奇跡の箇所で、これは実に驚くべきできごとであって、学び味わうべきことが豊富に含まれている。
 しかし、キリストのご聖体を祝い、感謝し、思い巡らす観点から見れば、この日の朗読で一番重要な聖書の箇所は、やはり聖パウロのコリントの教会に宛てた手紙だろう。その理由は三つある。すなわち①直接聖体の秘跡について語っている章節だからであり、②ミサの聖変化の言葉はほぼそれから取られているからであり、③聖体の秘跡制定について書かれた最初の記録であるからだ。それを少々考察してみる。
 ①まずそれは直接聖体の秘跡について語っている章節である。創世記のメルキセデクはアブラハムが甥のロト一族を捕虜にした敵を撃ち破って帰って来た時、パンとブドウ酒を持ってきて彼を祝福した。永遠の司祭だと言うが素性ははっきりしない。だから聖体の秘跡にとって単なる象徴的意味しかない。主が5000人余に食べさせたパンの奇跡はそれよりずっと意味が深い。それはご聖体が魂を養うパンであり、それがどう増えるかを教え、その神的実現力を示唆するからだ。とはいえ、パンの奇跡は聖体の秘跡を直接に語るものではない。類比的に示唆するところまでである。
 ところが、聖パウロの手紙は直接それを語り伝えたものだ。当時、コリントの信者たちが乱れた形で主の食事をしていたことを知り、彼は戒めてこう書いた。「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯をのむごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」これは非常に重要な証言だ。
 「わたし自身、主から受けた」と書いているが、もちろん聖パウロは最後の晩餐の席にはいなかった。主から特別な啓示で聖体のことを知ったわけでもない。その言葉は、「私は主の直接証人である使徒たちから直接受けたのだ」という意味だと思う。それは使徒たちがご聖体の制定を主から命じられた通りに伝え、最初の信者たちが「家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた」(徒2;46)ことの証言であり記録なのだ。だから尊い。
 ②次に注目すべきは、ミサの聖変化の言葉がほぼそれを反映していることだ。ご聖体の制定は3福音書が記録を残している。マタイ26;26-29、マルコ14;22-25、ルカ22;19-20だ。どれも「パンを取り、感謝の祈りをささげて…」以下は大同小異だが、晩餐の順序の前後関係ではルカの叙述が一番正確なようだ。しかし、「渡される夜」と「わたしの記念としてこのように行いなさい」というお言葉を2回伝えているのは聖パウロだけだ。この言葉を聞くと私はいつも “Haec quotiescumque feceritis, in mei memoriam facietis.”の表現を思い出す。
 しかい、それだけではない。ミサの聖変化の言葉はまさに聖パウロがコリントの教会に書いたその言葉を反映しているからだ。さらに、第二バチカン公会議の典礼改革で入った聖変化後の言葉、「主の死を思い、復活をたたえよう。主が来られるまで」は、「このパンを食べこの杯をのむごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」と言った聖パウロの言葉の実践となっている。私はこのアナムネジス(晩餐の追憶と再現)をミサ典礼刷新の一快挙だったと思っている。
 ③そして三つ目の理由は、聖体の秘跡制定について書かれた最初の記録であるからだ。一コリント11;23-26が現存の3共観福音書の記述よりも先に書かれていることだ。聖パウロのこの手紙はAD57年春に書かれたことがわかっている。3共観福音書は少なくともそれより数年後に書かれたものだ。ルカの福音書の記述はむしろ聖パウロの教えの影響を受けていると言ってもよかろう。彼は聖パウロと共に宣教旅行にでかけた彼の愛弟子の一人だったからだ。
 多くの信者はあまり気付いていないようだが、福音書は使徒たちの手紙よりも後で書かれたものが多いのだ。ただ、主イエス様の言行と福音を記述したものであるため、新約聖書の最初に位置づけられている。それは時系列的に先に書かれたことを意味しない。ご聖体の制定の記録も実は聖パウロが最初に書いて、福音書がその後で書いたのだ。それは相互に補い合い、主の晩餐の言葉がいかに確かなものであるかを教えてくれる。

 一週間前の5月25,26日にヨゼフ会の黙想会に参加したが、その時私が要望して、プロテスタント教会からカトリックに改宗したK氏の話を、分かち合いの時間に聞くことができた。それは本物のプロテスタントの考え方を聞けたと言う意味で非常にためになった。私が特に確かめたかったのは信仰の源泉を本当に「聖書のみ」としているのかどうか?御聖体をイエス様の象徴に過ぎないとし、本当に主のお体と血であるとは受け止めないのかどうかであったが、それもはっきりした。
 K氏は日本基督教団系の信者だったが、「プロテスタントは聖書のみです」と断言した。私が学んだ通りだった。ところで、それはプロテスタントが根拠脆弱であることを証明する。なぜなら、主の晩餐一つとってもそうだが、もし「聖書のみ」というのであれば、主のご昇天後、新約聖書ができるまで約20年はあったのだから、聖書なしのその期間、信者たちは何を信じていたというのか?という深刻な疑問にさらされることになるからだ。しかし、実際はその期間にも主の晩餐は行われ、福音は口で伝えられていた。それは後に書かれて聖書となったが、本流はむしろ口伝にあった。
 ご聖体の理解には大差があるらしい。だが、主の真の体と血だとは信じない点では共通するようだ。人間の理解ではありえないことだからだろうか?しかし、カトリック教会は聖体が真に主の体と血だと教える。神の言が人となったことを信じるなら、人となった神の言がパンとブドウ酒をその体と血に変えることは神秘だが信じがたいことではない。それが信じられないなら神の言が人となった受肉も信じられないだろう。それではあの時のユダヤ人たちと同じ(ヨハネ6;32-59)になる。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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