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金魚の孵化&稚魚育成記録4              

2013年5月28 日(火)
 一番稚魚たちはかなり成長した。大きいのは体長1㎝ぐらいになっている。しかし、その半分の大きさのもいて、個体差は非常に大きい。一番稚魚で死んだのはその後一匹だけで、まだ30匹以上は生き残っていると思う。
 ただ、生き続けられないだろうと思われるのが3匹いる。観察していてわかったのだが、餌を与えると多くは浮上して、水面に浮いている餌を食べる。ところが、水槽の底にばかりいるものがいつも数匹いる。琺瑯の白い器なのでそれがよくわかる。それらは底に沈んだ餌を食べているのかと思っていたが、どうもそれだけではなさそうだ。底で食べているのは斜め逆立ちの恰好で食べるが、ペタッと腹を器の底につけたままのものが3匹いることがわかったからだ。
 どれもほとんど動かず、動く時は小さなドジョウが腹這うようなぎごちない動きだ。一度その1匹が浮上して来たことがあったが、泳ぎ方が変だった。普通ならすいすいと楽に泳ぐのに、それは力をふりしぼるように一生懸命浮上してきた。だが、すぐ疲れたように底へと戻ってしまった。浮力が無くて、尾鰭を振り続けないと沈んでしまうようだった。3匹ともよく成長した稚魚なのに、何か異変がおこっているようだ。浮き袋が機能していないのだろうか?長生きできそうもない予感がする。
 他方、二番稚魚の方はまだ5,60匹は生きているように思える。孵化が1週間遅いだけなのに、大きさは随分違う。こちらはその後5匹死んだ。水槽の底に砂利が入れてあるからよく見えないだけで、実際はもっと死んでいるのかも知れない。しかし、だいたいは元気で、餌を活発に食べる。とはいえ、一番稚魚から考えると、飼育はこれからが難しいのだろうと思う。
 水槽にまた青苔が着き始めたが、稚魚を傷つけそうで、まだ大量に水を替えることにはためらいを感じる。水質を悪化させない工夫が要る。

2013年5月29 日(水)
 懸念していたことが現実になってしまった。一番稚魚が2匹死んでいたのだ。昨日水底を這っていたい3匹のうちの2匹だった。ピンセットで取り出してみたらゴミほどの大きさだった。ただポイとその辺に捨てては憐れなので、植木鉢の土の上に置いてやった。死んでもせめて植物の肥料になれるなら、生まれて来てもまったく無駄に死んだだけ、ということにはなるまいと思えたからだ。単なる気休めだが…
 やはり器の底に腹を付けて這っている稚魚は、何か体に異変が起こっているように思える。二番稚魚は砂利のせいでわからないが、一番稚魚の方には今そういうのが6匹ほどいる。それは浮上する力がないからに違いない。水底から浮上できても、泳ぎ方を見ると正常でないものはすぐわかる。けな気に一生懸命泳いでいないと沈んでしまうからだ。健康な稚魚はゆったりした動きで、無駄な力を使っていない。ごく自然に何気なく泳いでいる。必死に泳ぐ稚魚は必死だ。
 一番稚魚たち孵化してから3週間経った。孵化時に親からもらった免疫力が希薄になったのだろうか。水底を這うものが増えていて心配だ。明日もまた消える命があるのかと思うと不憫になる。生き物を飼うのは楽しいが、死に立ち会わなくてはならないのが辛い。しかし、これが自然界の厳然たる現実なのだとつくづく思う。
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神のことばの仕分けⅣ(最終)

 ここまで3回にわたり、旧約聖書で「神のことば」と言われている言葉が、果たして真にそうかどうか、その仕分けを試みて来た。一回目では総論的に述べたその見通しで、神の言葉の正真正銘性は次の3基準によって証明できるだろうという仮説を立てた。すなわち、①イエス・キリスト様の引用や確認による神のことばとしての認証。②教会による正真正銘の神のことばとしての認定。③人間の叡智を超越するような感ずべき真、善、美、聖の含有による推定の3つだった。
 そして、その①と②についてはすでに検証を済ませた。しかし、③についてはまだだが、上記のような内容では非常に不十分だと言うことに気づいたのでここで修正しようと思う。ではどのように不十分かというと、人間の叡智を超越するような感ずべき真、善、美、聖を含む言葉は、「神のことば」でありうるとは推定できるが、それだけではやはり決定的ではなく、どんなに人間の叡智を超えるように思えても、神的な証しがない限り、それはやはり人間の言葉に過ぎないからだ。
 では、旧約聖書にある「神のことば」が正真正銘神のことばだと言える基準は、①と②の他に何があるかというと、しばらく時間をおいたおかげで、私はそれが「新約聖書の教えと合致すること」だと気付いた。そこで③を修正すると、「旧約聖書に『神のことば』として書かれているある言葉が、新約聖書の教えと合い、しかも人智を超えるような感嘆すべき真、善、美、聖を含んでいるとき、それは真正な神の言葉と認められてよい」と表現できるだろう。
 これは非常に広汎な場合に応用がきく基準だ。なぜなら旧約聖書にある「神のことば」が正真正銘神のことばかどうかを①と②のケース以外での③でえ判別するには、新約聖書をよく知っていれば十分で、その適用範囲は非常に広くなるからだ。つまり、旧約聖書にある神の言葉の正真性の基準は、新約聖書と人間の最高レベルの叡智ということになる。ところが、人間の叡智はさておくとして、新約聖書については説明が必要だ。それが信じるに値するかという問題があうからだ。

 誰もが知っている通り、旧約聖書は、例えばモーセとその律法だが、書かれたのはモーセの死後数百年後だった。それに誰が書いたのかもわからない。そんなものが伝える神の言葉は、いくら神の言葉だと言われてもおいそれと信じられるものではない。ましてや天地創造の記事などはおさらだ。天地創造など目撃した者がいたわけもないのに、どうしてそれが真実だと言えるだろうか?ユダヤ教が誰にも納得できるように、それを神の書であると証明することはほぼ無理だろう。
 それに比べると新約聖書はずっと証明しやすい。それが書かれたのはイエス様のご昇天後たった二、三十年後で、まだ目撃証人が多数生きていたからだ。しかし、それでも旧約聖書と同じ疑問は当然出て来る。それが語る内容は真実か?ほんとうにそれはイエス様の教えを伝えているのか?という疑問だ。なぜなら、例えば福音書や使徒言行録だが、主イエス様に会ったこともなければ、その話を聞いたこともない人も書いているし、偽福音書と言われるものもいくつかあるからだ。
 そこで教会の存在が重要になる。世には新約聖書があったから教会ができたと勘違いしている人がいるが、実はあべこべで、新約聖書は教会があったからこそできたのだ。イエス様のご昇天後、使徒たちはその教えを広めるため全世界に出かけたが、初めは全部口で話す口伝だった。しかし、時と共に記録する人が現れ、目撃証人が世を去ってだんだん少なくなると、口伝を記録に残しておく必要がでてきた。そこから生まれたのが福音書であり使徒言行録なのだ。
 つまり、教会が口で伝えていたことを、ある時点である人たちが記録に留めた。明らかに教会が先で新約聖書が後なのだ。最初の福音書はAD50年頃、アラマイ語で書かれたマタイ福音書だと言われている。それはもう残っていないが、その後ギリシャ語でマタイや他の福音書が書かれた。そして、もっと時代が下ると、それを真似た偽福音書も現れた。そうなると、真実を伝えているのはどの福音書かが大問題となる。もちろんそれは、使徒言行録と使徒たちの手紙にも当てはまる。
 ところで、どれが真実の新約聖書であるかの決め手になったのはまさに教会だったのだ。そこに教会の存在の重要さがある。当時、教会にはまだ目撃証人が生き残っていた。主の福音の教えをじかに聞き、口で伝えてきた彼らは、記録になった福音や教えを読んで、その通りだ、これは正しいと認め、将来のためにその普及を促した。それが新約聖書正典に他ならない。しかし、偽物に対しては、これは違うと排除した。それが偽典又は外典だ。新約聖書の正真正銘性の基準は実に教会なのである。 
 従って、神のことばの正真性の基準は新約聖書に合うかどうかによるが、その新約聖書は教会の是認によってこそ正真正銘となれる。結局教会が最終基準なのだ。では、なぜ教会が旧約聖書にある神のことばまで正真正銘の神の言葉だと判定できるかと言うと、神の子であるイエス・キリストから真理の証言を託されたからだ。旧約聖書にある「神のことば」を真実と信じ得る根拠は教会が保証するからに他ならない。ユダヤ教では旧約聖書も真に神の言葉として保証され得ないのだ。

 そうなると、神のことばの仕分けの最終結論はこうなる。
1.主イエス・キリスト様が直接引用または確認なさった旧約の神のことばは正真正銘である。
2.教会が主から与えられた権限によって認定した旧約の神のことばも正真正銘である。
3.それ以外の場合は、正典新約聖書の教えと齟齬せず、むしろそれと合致したりそれを補ったりし、しかも人の叡智に照らして「神の言葉」と見なすに値する内容なら、旧約聖書のあることばは真正な神の言葉と認められ得る。ただし、最終的には教会の判定をまたなければならない。

 今日、5月19日は2013年度の聖霊降臨の祝日だ。まさに教会が誕生した祝日で、神のことばの仕分けを締めくくるにはまたとない日だ。なぜなら、旧約聖書にある神のことばが真に神の言葉かどうかを決める基準は新約聖書であり、その新約聖書の正真性を判断するのは教会だが、その教会が主イエス・キリスト様の教えを正しく保ち、伝え、判断できるよう導いてくださるのは聖霊だからだ。神のことばの仕分けは最終的には聖霊の導きによる。人の知恵や経験では決められないものだ。
 ここまででわかった基準に照らせば、旧約聖書の中で「神はこう言われた」と書いてあっても、実はそうではなく、イスラエル民族のものの考え方や表現に他ならない場合が洗い出せるだろうし、逆に、これはまさしく神の言葉だと言える場合も確認できるだろう。しかし、今回はあまり長くしないため、これ以上論じることはやめる。その代り、旧約聖書にある神の言葉を最初から吟味し直し、具体的に順次仕分けして行くことを今後の課題としたいと思う。信じるのは本物だけにしたいからだ。

金魚の孵化&育成記録3

2013年5月12日(日)
 水槽に入れたホテイ草に白い物が見えたので、虫眼鏡でよく見たら、黴が生えた卵だった。5個ほどあった。そうなるのは無精卵だとわかったので、ピンセットで除去した。2回目の産卵は受精率がよくなかったのかも知れない。
 琺瑯の器の方の稚魚たちはもう全部が泳いでいる。小さいながら浮いている餌を食べるところも見た。動くので、もう正確に数えることはできないが、40匹は確実なようだ。
2013,5-13一番稚魚孵化後7日目_mini
         一番稚魚孵化後7日目の遊泳

5月13日(月)
 朝、琺瑯の器の方の稚魚(以後一番稚魚と呼ぶ)の2匹が死んでしまっていた。ピンセットで取り出した。まだ非常に小さいため、死んだ生き物という感じではないから、気分的には大きなショックを感じなくて助かる。
 他方、水槽の方の卵はまたもや3個に黴が生えて、除去せざるをえなかった。しかし、2回目組(以後二番稚魚と呼ぶ)はもう見込みがないかも…と思っていたら、午後になって2匹の孵化を確認した。そして、夕方には9匹が孵化した。まだ全部水槽のガラスに吸着している。一番稚魚に比べるとやはり小さい。

5月14日(火)
 一番稚魚がまた2匹死んだ。しかし、他の大多数は元気だ。小さいながら餌を食べる。こんなに小さい命だがちゃんと食べたり泳いだりして、驚くと、素早く逃げる。本能はすごい。それに対して私は死んでいく小さい命に何もしてやれない。たぶん獣医も無理だろう。人間の無力さを感じる。
 他方、二番稚魚は一夜明けたらたくさんに増えていて、数えたら約40匹いた。どれも水槽のガラスやアナカリアの葉裏などに吸着して動かない。ただ、時々ツツーと移動する。まだ増えるかも知れない。
 池は今日水替えをした。アオコが増えて水の透明度が悪くなってきたからだ。昨年までは何もしてやらなかったが、幼魚をもらって以来少し世話のし過ぎかも知れない。魚は掬って汲み置いたバケツに移し、水はゴムホースを使って、サイフォンの原理で排水したが、最後はやはり手でさらわないとだめだった。新しい水は水道水なので、即効性カルキ抜き剤とアオコ抑制剤を入れた。でも用心してすぐには魚を池に入れず、夜になって5匹だけ戻した。バケツ内が魚口過剰だったらしく、小さいのが水面でパクパクやっていたからだった。暑い日だったので池の水替え作業はかなり疲れた。でも旧約聖書原典通読のように根を詰める知的活動の合間にはいい息抜きになる。

5月17日(金)
 二番稚魚が孵化し始めて5日目。70匹はいそうだ。もうほとんどが泳ぎ出している。今日初めて餌を与えたが、まだあまり食べない。
 他方、一番稚魚はその後一匹も死んでいないので、順調に育っているのだと思われる。昼は多くが水面近くにいるが、水底を這うように動いているのもいる。底に沈んだ餌を拾っているのだろうか。水面で餌を食べる時も、小さいながら成魚と同じしぐさをする。愛らしいと言うよりはけなげな感じだ。面白いのは、夜になると多くが藻草などに身を潜めてしまうことだ。だから、泳いでいるのは少ししかいない。身を守る術は極小の体内にちゃんとインプットされているらしい。驚嘆に値する。

宇宙と金魚と主のご昇天

 5月12日は主のご昇天の祝日だった。もう事後になってしまったが、ご昇天のことを考える上で少々参考になりそうな話題があるので、書きとめておくことにした。その話題の一つは5月5日の朝日新聞にあった「宇宙は謎に満ちている」という社説、もう一つはわが家の金魚観察から得た人間省察だ。

 話題一の社説は、「宇宙に存在が予想されてきた正体不明の『暗黒物質』(ダークマター)の跡らしきものがこのごろ、見つかった」と書いていた。社説ではあったが、自然科学または天文学に造詣の深い論説委員が書いたのだろうから、その紹介は信じていいと思う。ところで、それは結論としてこう述べていた。「最新の観測では、宇宙の中で、原子や分子といった既知の物質は、全体のわずか4%を占めるに過ぎない。23%が暗黒物質で、残り73%は暗黒エネルギーと見積もられている。私たちが今まで見たつもりになっていた宇宙は、4%の宇宙でしかなかったらしいのだ。…暗黒物質や暗黒エネルギーはどこにあるのか。…謎に満ち、私たちは何ほども知らない。最先端の科学が突きつける宇宙の真実である」と。
 私はこれに興味を抱いた。もちろん、4%の宇宙と言っても、それさえ全部が全部確実な知識かどうかはわからない。例えば宇宙望遠鏡が数百光年先の星の光をとらえたとする。しかし、それは数百光年前にその星から出た光であって、実は今現在の星の光ではない。数百光年かけて光が望遠鏡に到達した時には、ひょっとしたらその星は、もうとうに消滅してしまっている可能性もあるからだ。それに4%の宇宙とは最先端を行く学者たちの知識量であって、一般の人はとてもそんなには知らないだろう。0,4%どころか、0,04%の知識すら持っていないかも知れない。
 それにもかかわらず主のご昇天を考える上でそれが興味深いと思ったのは、4%しかない宇宙知識もさることながら、残り96%の「宇宙に満ちている謎」の存在が、「主は宇宙のどこまで、あるいはどこに昇って行かれたのか?」という疑問を解くヒントになりそうに思えたからだ。それは次のように言い直すこともできる。使徒言行録1;9には「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」と書いてある。これは主が弟子たちの前で大空に昇られたということだ。通常の物理法則に従えばそれはあり得ないことだったが、主が神のみ子であることを認め、主が行われた数々の奇跡を信じる人にとっては、それはありえたことであり、不合理ではない。神に不可能はないからだ。しかし、では主はどこまで昇られたのか?雲に覆われて見えなくなった後も、ずっと宇宙の果てまで昇られたのか?という疑問は残ってしまう。ところが、96%の宇宙の謎はその疑問解消のヒントになりそうだということなのだ。
 それがどういうことかを明らかにするため、ここに2011年のコラム「主のご昇天と宇宙」の一部分を抜粋してみる。
 「天に昇るということが宇宙の中に出て行くことならば、イエス様はどこまで行けばよかったのだろうかという問題にも突き当たる。ビッグバン説によれば、宇宙は180億年経ったと言われる。言い換えれば、宇宙の果てまでは光速でそれだけかかるということだろう。もし天が宇宙の果てにあるとするならば、主はそこまで行かなければなかったことになってしまう。では、宇宙の果てまで行かれたのだろうか?そう問われると答えに窮する。それとも、天の国はそんな遠くにではなく、この宇宙のどこかにあって、昇天された主はそこに到着すればよかったのだろうか?そして、そこで父の右に座られたと言うのだろうか?それは余りにもおとぎ話的で、とうてい現代人の批判に耐えない。(中略)…
 私はそういう問いそのものが間違いだと思う。現代の宇宙観で御昇天を考えるのは、私たち人間の4次元の世界に復活の主を置いていることになる。しかし、復活の主は私たち人間とはもはや違う復活体であることを示された。戸が閉まっていたのに部屋に入って来られたり、食事の席からすっと姿を消して他の場所に現われたりもなさったことがそれを証明している。そうだとすれば、主の御昇天も私たちと同じ次元で考えてはいけないのだという結論になる。ではどういう次元なのかと言われてもそれはわからないが、主の御昇天は、きっと私たちが生きている宇宙の自然とは違う次元で行なわれたに違いない。それが私の自答だ。ただ、主は使徒たちから去ることをわからせるため、ある高度までは人々に見える姿で昇天された。雲が出て主を隠してしまったというのは、実にいい幕の引き方だったと思う。」 
 この抜粋の中で、「私はそういう問いそのものが間違いだと思う。現代の宇宙観で御昇天を考えるのは、私たち人間の4次元の世界に復活の主を置いていることになる。…そうだとすれば、主の御昇天も私たちと同じ次元で考えてはいけないのだという結論になる」と書いた。ところで、それこそまさに4%の知識で復活した主の神秘をわかろうとしても無理だ、ということに他ならないと思うのだ。主のお姿が雲に覆われて見えなくなるまではそれでいいが、その後は4%の知識が通用しない次元だったと言えよう。そして、そこに謎に満ちた宇宙96%の出番が来るのだ。 
 「どういう次元なのかと言われてもそれはわからないが、主の御昇天は、きっと私たちが生きている宇宙の自然とは違う次元で行なわれたに違いない」と書いたが、それは今の私たちが理解できる4%の宇宙とは異次元の世界だということだ。そして、96%の「暗黒物質や暗黒エネルギー」は何らかの意味で、主が昇天して行き着いた先、即ち「天の国」と言う超自然的な場所と接しているのではないかと私は想像する。だから、主がどこまで昇られたかという疑問解消のヒントがそこにあると思うのだ。
 もしそう考えていいとしたら、主はどこまでも昇天なさる必要ななかったことになる。雲に覆われた直後、「暗黒物質や暗黒エネルギー」という異次元の世界を経て、「天の国」と呼ばれる神的次元の世界にすぐ移行すればよかったはずだからだ。もしそうだったら、ご昇天の時の雲とは、弟子たちが仰いでいた大空と言う広大な舞台の、これまた実に壮大な緞帳だったと言えよう。人々が4%の知識で見てきた主のご生涯はその雲で幕が引かれたのだ。
 もしそういう解釈でいいとしたら、その場合「96%の暗黒物質や暗黒エネルギー」という言い方は変える必要があるだろう。「暗黒」という言葉はネガティブだが、「天の国」が何らかの意味でその未知の96%とつながるものだったら、もっと素晴らしいネーミングがふさわしいからだ。実際、暗黒物質や暗黒エネルギーはあるかどうかもさえわからないのが真相だと、物理学者でみさと天文台長の佐藤文隆氏は言っている。人はよく知らないものやわからない対象を「暗黒」と呼びがちだ。暗黒とは実は人間に未知な物事の代名詞に過ぎないことが多い。
 かつて中世を暗黒時代と言ったり、アフリカを暗黒大陸と呼んだりした時代もあった。しかし、中世は暗黒ではなく、独自の見事な文化を開花させて時代だったし、アフリカも暗黒ではなく、高度な文化文明の歴史をもった大陸だ。近代欧米人がそれらに無知だったり、偏見で蔑視したりしたからそう呼んだだけの話で、本当に暗黒だったのはむしろ彼らの頭の方だったのだ。暗黒物質や暗黒エネルギーでも同様で、人がそれをわかっていないから畏怖と好奇心をこめてそう言っているに他ならない。
 そう考えると、未知の宇宙の謎96%は、私たちにわかる4%の通常宇宙とは別次元の世界で、聖書が「天」と呼ぶ超自然界の存在を示唆しているように思われる。暗黒物質や暗黒エネルギーのような謎の存在は、更に深い神秘である超自然の世界があっても全然おかしくなく、むしろ妥当だということの証明になるからだ。その意味で、未知の宇宙の謎はご昇天の神秘を理解する一助になる。逆に4%しかない宇宙知識でご昇天をわかり切ろうなどと思い上がってはいけないのだと悟った。

 ところで、「私たちが今まで見たつもりになっていた宇宙は、4%の宇宙でしかなかったらしい。…私たちは何ほども知らない」という気付きで、私はわが家の金魚を連想した。なぜかというと、井底の蛙と同じ意味で、人知は現代においてさえ金魚の認識に喩えられるからだ。わが家の庭隅には瓢箪型の小さな池があって、そこには今13匹の金魚がいる。その生態を見ていると見飽きないが、時々ふと思うのだ。いったい彼らにとって世界はどんなものなのだろうか?と。
 その池は小さいと言っても大きなバケツ約17杯分の水は入る。深さ約50cm、表面積は60㎠ぐらいで、普通の水槽よりはずっと大きく、金魚たちはのびのびと泳いでいる。近づくと、人が来れば餌も落ちると覚えたのか寄ってきて、水面で口をパクパク開ける。そして、餌を撒くと興奮して食べる。しかし、犬に比べると大いに違うのは、犬なら食べ物の有無にかかわらず、飼い主に尾を振って親愛の情を表すが、金魚にはそんなそぶりが全くないところだ。
 餌は争って食べても、誰かがそれをくれたという認識自体がないようだ。落ちてきたのが枯葉や花びらではなく、食べられる物だから食べるだけで、それがすべてのように思える。だから感謝どころか、いつも私が餌をやっているのに、与えているのが誰かを知ろうとする様子もなく、毎日覗いているというのに、私が誰かを覚えることもない。そして、水面に手をかざせば、本能的に危険!とばかりに水底に逃げる。可愛げがない。この人なら安心などと信じることとは無縁に見える。
 彼らにとって世界とはきっと小さな池の水中が全てに違いない。水面下からは木々の枝や空の一部分は見えるだろうが、木々が何で、空が何かもわかるまい。いやわかろうとすること自体が存在しないようだ。時々覗く人は怪物のように見えるだろう。だから人が急な動きをすれば、危険回避のためすぐ逃げるのだろう。しかし、人が現れる時はしばしば餌も落ちるので、大きな音や恐ろしげな動きがない限り寄って来るが、ただそれは餌のためだけだ。
 池の外には広い大気の世界があり、そこには人や動物がいて、庭には花が咲き、家々が立ち並び、家々の前を通る道路には車が疾走しているが、そんなことは金魚たちには想像すらできないないだろう。ましてやそこからもっと行けば、川があり海があることなどまったく考えられないだろう。いや、そもそも考えたり想像したりする能力がないから、そういう世界の存在は彼らにとって無に等しい。彼らの生存圏は狭く限られ、彼らがわかっていることは実に僅かしかないようだ。
 しかし、私たちはそれを下等だと見下せようか?人間が知っている宇宙はせいぜい4%で、その謎を何ほども知らない点では、金魚と五十歩百歩ではなかろうか。宇宙のことがそうなら、主のご昇天についてはなおさらだ。私たちは実はそのほとんどのことがわかっていないのだ。金魚たちが本能でキャッチできる物事以外は何もわからないように、人間も神の国がどこにあり、主がそこでどのように父の右に座しておられるのかなど、ほとんど理解することはできない。信じるだけなのだ。
 マルコの福音書は「主イエスは…天に上げられ、神の右の座に着かれた」(マルコ16;19)と書いているが、ここまでの理解に従えば、その「天」とは人が地上で仰ぐ天空ではないと言わざるをえない。つまり、雲に覆われて見えなくなる前の天空とは違う「天」だ。それは別次元の神的世界を意味する。しかし、それがどんな世界かは想像すらできない。人間の能力を超える事柄だからだ。しかし、わかることもある。
 例えば「神の右の座に着かれた」という一句は信仰箇条になっているが、それが比喩的表現であり、擬人法だということはわかっている。そもそも神なる父に右や左があるわけがないのだから、父なる神が人のように座に着かれることはない。従って、主が父の右の座に着かれたとは、王座のイメージによる比喩に他ならないことは明らかだ。しかし、それが本当はどういうことなのかはこの世にいる人間にはわからない。神は空間や時間の制約を受けず、それらを超越した方だからだ。
 福音によって私たちに理解できていることは、昇天された主が神的な「天」に実在し、父と共におられることで、それは主を信じる者にとって信仰の真理であり、神秘だ。私たちが主のご昇天についてわかっていることは、金魚が人間について知っていることと五十歩百歩だが、決定的に違う点がある。それは主の福音を理解しきれなくても信じることができることだ。そしてその信仰から、主がなぜ天に昇られたかをも理解できることだ。今年のご昇天の祝日はこれを記憶しておきたい。

金魚の孵化&育成記録2

2013年5月10日

 ペット店で金魚の稚魚の飼育法を尋ねたら、3日ぐらいで泳ぎ出すとのことだったが、案の定今日の午前中、数匹が器の中央で水面近くを泳ぎ始めた。立ち泳ぎから平泳ぎに体勢を変えたが、どちらかというと浮いている感じで、動きは少ない。しかし、大多数はまだ器の内側に付着したままだ。だから数えることができるので、試しに数えてみたら、51匹もいた。一本の藻草にこんなに産卵されていたとは想像もできなかった。

 池ではまたもう一つの変化があった。午前中、家内が「また産みそうよ」と言ったが、実は昨日からまた追いかけ行動を始めていたから、その通りになるだろうとは予想していた。正午ごろ池を見に行ったところ、3匹がお腹の大きな2匹に産卵を促す行動をしていた。それで、もう産みつけられたものがあるかも知れないと思い、昨日入れたばかりのホテイ草を水から出してみたら、何と根にいっぱい産卵してあった!
 ところが、草を水に戻すと小さい金魚が卵をつついて食べる。これでは食べ尽くされてしまうと思い、棲み分けさせることにした。玄関の水槽にはまだ4匹の金魚が残っていたが、それを全部池に放し、空いた水槽にホテイ草を入れて、2回目の稚魚の孵化&飼育を試みることにしたのだ。

水槽中にいた時の一年もの金魚たち
水槽にいた時の昨年生まれ金魚たち。先祖(鮒)がえりで黒いのもいる
金魚2013,5,10、No2_mini
わが家の庭のひょうたん池
金魚、2013.5.10No1_mini
追いかけっこ中(産卵行動)の金魚たち

 その通りにしたので、これで池の金魚は13匹になった。ホテイ草を移した水槽の卵は何匹ぐらい孵化するだろうか?今度は疑問の余地なく孵化する。しかし、多すぎたらどうしようかと不安でもある。わくわくして楽しみでもあるが…
 池にはアナカリスがあるので、まだそこに産卵し続いている。2本にはすでに卵が付着していた。だが、もうこれ以上増えたら育てきれない。だから後は産んだ親魚や他の金魚たちが食べるままにするしかない。孵化してからより、卵の時に食べられる方が残酷ではないだろう。

金魚の孵化&育成記録1

 一昨日の5月7日、わが家で金魚が孵化した!新鮮な驚きであった。今日までのあらましは次のようであった。
 わが家の小さな池には昨年来、一昨年生まれの金魚3匹がいて、2匹はお腹が大きくなっていた。4月16日、そこへ藤沢市の赤松さんからもらった昨年生まれの10匹中、大きいのを4匹入れた。すると数日後その中の2匹がお腹の大きい2匹を追いかけ始めた。お腹の大きいものどうしも追いかけ合い、どうも産卵を促す行動に見えた。しかし、まさか昨年生まれのチビ金魚に生殖能力があるとは思えなかったので、その2匹の行動は本能的な遊びみたいなものだろうと思っていた。
 ところが5月1日、池の藻草を見たら、何か小さい粒々が付着しているではないか。まさかとは思ったが、取り上げてみると卵だった。「産卵したんだ!」と驚いて、家内にすぐ知らせた。直径1ミリもない透明気味の淡い若竹色だった。数粒しかなかったが、自然観察ではいささか自信のある私には間違いなく確認できた。オス魚がどれだったかはわからないが、産卵したのは“金太郎”と名づけていた一番大きい金魚に違いなかった。もしそうなら、その名前ではいけないが、 “金子”も“赤子”も“金江”も“赤代”も変だから、メス金魚の名はつけにくい。どんな名にしようか?
 名はとにかく、卵がわずかだったので、私は放置しようとした。ところが、家内は試しに孵化させてみようと言った。それも面白そうだなと思って、孵化用の水槽代わりに物置から琺瑯の古鍋を出してもらった。それにカルキ抜きした水を入れ、卵の付着した藻を入れた。そして、あまり期待はしないながらも、ひょっとしたら孵化するかも知れないと、玄関の曇ガラスの内側に置いた。だが3日経っても5日経っても何らの変化もなかった。無精卵かも知れない。もう孵らないのではないかと思うようになっていた。
 5月7日、水槽の金魚をまた2匹池に放し、4匹だけが残った水槽を洗った後、ついでだからと、もう孵化しそうもない琺瑯鍋は水を捨てて片付けようと庭に持って出た。ところが、明るさの中でふと中を見ると、何かゴミ状のものが水中で動いたではないか。えっ?もしや?と思って目を凝らして見たら、何と稚魚だったのだ!孵化したのだった。これには興奮し感動した。
 それも数匹ではない。卵は数粒しか見えなかったのに、稚魚はもっとずっと多かった。数えてみたら30匹ほどいた。藻草には見えない葉裏などにそれだけの卵が付着していたのだろう。個体はまだ魚とは思えないほど小さく、体長は3mmほど。子供のころ、田んぼの水路や小川でメダカの稚魚はよく見かけたから、稚魚の動きはすぐわかった。
 さっそくサンワスーパー子供の国店のペットショップへ走って稚魚用の餌を買い、少し与えてみた。しかし、まだ餌は食べない。孵化後数日は、容器の壁面や藻草の葉などに吸い付いたり、水面にボウフラみたいに縦に浮いたりしている。ほとんど動かない。卵黄の栄養で生きているらしい。だから餌を必要としないのだろう。水を汚すので、泳ぎ出すまでは餌を与えないことにした。
稚魚誕生3日目
             孵化後2日の稚魚たち
 5月9日の今日も、まだ琺瑯鍋の内側に付着したり、水面に縦に浮いたりして、殆ど動かない。ただ、時たま動くのもいる。その時は実に素早い。泳ぐというより何かジェット推進しているようにピピと進む動きだ。そして、またすぐどこかに付着する。長くは動かない。孵りたての稚魚が生き残るには、たぶんそのようにじっと静止している方が自然界では一番安全だからだろう。本能の知恵はすごいと思う。
 水槽内には点滴の肉食魚も仲間と知らず食べてしまう親魚や先輩金魚もいないから、食べられる心配はないが、元々の弱い稚魚も病気になるものもいるだろう。どのくらい生き残るかわからないが、これからこの超チビさんたちの育成記録を、硬派コラムの間に時々挿入しようと思う。

主日の聖書を振り返る

 復活節第6主日の第一朗読は使徒言行録15;1-2、22-29だった。これが非イスラエル民族である私たちキリスト者にとってどんなに重要な出来事を伝えているか、朗読を聞いた信者たちはよくわかっただろうか?この章節はエルサレムの会議で使徒たちが何を議論し、どんな結論に達したかを物語っているが、それは非イスラエル人のキリスト信者がもはや旧約の習慣に縛られる必要がないことを宣言し、福音的生き方の世界基準を確立した、実に画期的な会議だったのだ。

 時は西暦紀元49年、場所はエルサレムだった。この会議は公会議とは呼ばれないが、その先鞭だったと言ってよかろう。使徒や長老たちが重大問題を協議するために集まった会議だったからだ。ではどんな重大問題があったかというと、当時異邦人への福音宣教拠点となっていた都市アンティオキアで、ユダヤから来たある人々が異邦人の改宗者に、「主の福音を信じても、モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない」と教え出したことだった。そこで使徒パウロやバルナバとの間で激しい議論が起こり、信者たちの間には動揺が広がっていたのだ。
 ユダヤから来た人々とは主の福音を信じたイスラエル人で、後世の歴史家にユデオ・クリスチャンと名づけられた人たちだ。彼らはもうユダヤ教徒ではなかったが、ユダヤ教の教えや習慣が身にしみついていた。まだ福音書がなかった時代だから、使徒や説教師が口で伝えた福音はばらつきがあっただろうし、十分でもなかっただろう。だから彼らが福音を、それまで守っていたユダヤ教の習慣や考え方で理解したのも無理からぬ一面はある。しかし、それは主の福音を旧約で味付けし、福音を福音でなくしてしまう先祖がえり的な危険があった。
 だからパウロとバルナバは彼らの教えを激しく論難した。二人は、人が救われるのは律法によってではなく、十字架で死んだ後に復活した主イエス・キリストのおかげで、それを信じ、神と人を愛して生きる福音的生き方によると教えた。ならば割礼など、異邦人の信者には無用だと真っ向から反論したのだ。二人が異邦人の割礼に反対したのは、それを認めればそれだけでは済まず、次から次へとモーセの律法を守らせることにつながり、主の福音をいわば元の木阿弥にしてしまう恐れがあると睨んだからに違いない。二人が絶対に譲らなかったのはそれがあったからだと思う。

 この主日の朗読では会議の議論そのもの(3-21節)は省略されているが、実はそこでも激論が繰り返されたのだった。「議論を重ねた後」(7節)とあるが、それは会議に参加するためエルサレムに来たパウロとバルナバの主張と、「異邦人にも割礼を授けさせて、モーセの律法を守るよう命じるべきだ。そうしなければ人は救われない」と唱えたファリサイ派から信者になった人々の主張の激突、そのどちらかを支持する人々のせめぎ合いが続いたことを意味する。
 ところが、議論が出尽くしたように思えた時、使徒ペトロが立って口を開くと雰囲気は一変した。彼は言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなた方の間でわたしをお選びになりました」と。この言葉を読むと、彼が使徒たちの首位者であって、使徒・長老たちの代表として議論をまとめる権威を、皆から認められていたことがはっきりわかる。だから全会衆は静かになったのだ。彼は自分の見解をこう述べた。
 「人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。それなのに、なぜ今あなた方は、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」と。
 実に福音的で、聖霊降臨の日の説教、ソロモンの回廊での説教(徒3;12seq.)、大祭司たちの前でした説教(徒4;8seq.)、カイザリアの百人隊長コルネリウスの家でした説教(徒10;34-43)に次ぐ見事な言明だった。それでいて庶民的な感じもする裁定だった。「わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて」と言った時は、ひょっとしたら異邦人の百人隊長一家の上に聖霊が降って、割礼のある信者たちを驚かせた出来事(徒10;44-48)が彼の脳裏をよぎっていたかも知れない。そして、「先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて」と言った時は、「彼ら(律法学者やファリサイ人たち)は背負い切れない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない」(マタイ23;4)と言われた主イエス様の言葉を思い出していたのかも知れない。
 使徒の頭の見解は決定的かつ画期的だった。この裁定で、ファリサイ派から信者になった人たちの主張は完全に否定され、パウロとバルナバの主張はお墨付きを得た。そこで二人はあらためて、自分たちを通して神が異邦人の間でいかに多くのしるしと不思議な業を行われたかを話した。そして、全会衆はそれを傾聴した。これで以後の教会の世界基準的在り方が決まったようなものだった。
 するとヤコブが意見を述べた。このヤコブはヨハネの兄の使徒大ヤコブでも使徒小ヤコブでもない。使徒大ヤコブはAD43年か44年にヘロデ王の手にかかり(徒12;2)殉教していたので、この時はもうこの世にいなかった。使徒小ヤコブがこの会議に参加していたかどうかは不明だが、この時発言したのは使徒大ヤコブの後を継いでエルサレム教会の司教になった、「イエスの兄弟」(マルコ6;3)と言われたヤコブだろうと言われている。私もそう思う。
 彼はシモン・ペトロのことをシメオンと呼んでいるが、シモンはシメオンとも言われたからだろう。彼は使徒ペトロの見解に賛同し、預言者の言葉(アモス9;11-12)を引用し、次のように具体的な提案をした。「わたしはこう判断します。神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。ただ、偶像に備えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、手紙を書くべきです。モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからです」と。
 彼の意見を読むと、基本的には使徒ペトロの方針に賛成していてまっとうだが、格調は高くなく、いくらか律法へのこだわりがあるように思えなくもない。彼が禁ずべきこととして提案した四つの禁止事項は異邦人の間でも反対する理由がない事柄だから反論はなかったが、考えてみるとそれほど根本不易の問題ではなかった。事実、偶像に備えた肉と淫らな行為はずっと避けるべき悪とされているが、絞め殺した動物の肉と血は食文化や習慣が違う時代になると守られなくなった。福音とは無関係で、重要ではないということだ。私などブーダンという血の腸詰めを神学校で何度食べたことか。今では日本でも同じで、絞め殺した鶏を食べてはいけないなどということもない。
 それなのにヤコブはなぜそんな禁止を提案し、「モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれている」などと言及したのだろうか?私は彼の中にまだいくらか旧約の保守的メンタリティが残っていたからではないかと思っている。実際彼はエルサレムの司教だったし、アンティオキアで異邦人にも割礼が必要だと主張した人たちは、そこから行った人たちだった。ヤコブは「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」とは言ったが、モーセの律法はできれば異邦人にも守ってもらいたいと思っていたのではなかろうか。だから、「モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれている」などと、人がそれらに注目するよう、言わずもがなのことを口にしたのではないかと私には思えてならない。
 しかし、彼の提案は使徒会議の決議で採用された。使徒たちはそれを書簡に明記し、選ばれた二人の弟子に託してアンティオキアの教会に届けた。パウロとバルナバも一緒にそこに戻ったが、派遣された二人はそこでその手紙を読み、信者たちは励ましに満ちた決定を知って喜んだ。もちろん喜んだのは異邦人の信者たちで、「わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ、動揺させたとのことです」と指弾された信者たちではなかった。この人たちは使徒たちの決定にがっくりしたに違いない。

 教会史をひも解くと、異端や分裂や腐敗などの危機が、津波のように何度も襲ったことがわかる。教会はその度に公会議や地方会議を開いて対応して来た。公会議だけでも20回ある。使徒言行録15章が伝えるエルサレムの会議は公会議ではないが、重要な最初の会議の一つであり、異邦人への割礼問題は主の教えの「ヘブライ化」という教会最初の一大危機だった。それは主の福音を律法的習慣に変質・退化させかねない動向であった。悪魔の恐るべき反撃の一つだったと言えよう。
 しかし、これは教会がユダヤ教的習慣や生活様式にとらわれず、キリスト教独自の在り方を確立していく契機になった。それまでは最初の信徒たちがイスラエル人だったから、使徒たちもまだ神殿に行き、集会や生活習慣もユダヤ的だった。しかし、異邦人が加わって来ると、それでは摩擦が起きるようになった。異邦人への割礼問題はそれを自覚させ、教会を世界基準化へと後押ししたのだ。ここにこの問題の重要性があった。
 それは今日の私たちに無縁ではない。救いには割礼が必要だと主張した人々は、一習慣を福音の必須条件と勘違いしたが、実は今日の私たちも「ある習慣」を信仰と同一視したり、必須条件と考えたりする危険にさらされているからだ。第二バチカン公会議の最大テーマはAggiornamento(刷新)だった。主イエス様の福音とは何か、その根本を思い出せということだ。信仰は福音の生き生きした息づかいを失うと、とたんに澱んだ習慣に化石化し、生気を失う。

未熟老人のつぶやき

 散歩道にタンポポの穂があった。少年の日を思い出し、茎を千切って草笛にして鳴らしてみたら、“プーうう!”と素っ頓狂な音を出した。変な老人と思われたかなと辺りを見回してみたら、幸い誰もいなかった。だが、自分はつぶやいた。“オレ、未熟老人かな”と。
 草笛の後はカナダでの学生時代を思い出して、復活祭のミサの続唱“Victimae pascali laudes, immolent christiani,…”を歌ってみた。全部歌えた。そして、つぶやいた。「高田三郎さんの曲は好きだけど、あの日本語の続唱だけは頂けないな。復活の朝の新鮮さや感動がなく、歌うと疲れる。グレゴリアンとは比べ物にならない」と。でも、私が歌うのを聞いた人は変な老人だと思ったことだろう。
 暖かくなったので60㏄のバイクに乗る。無人の田舎道になると、若者のまねをして体を左右に振り、恰好をつけてジグザグ走行をしてみる。でも、思う。「オレは何をしているんだ。まだ若いつもりなのか。バカな。こんなことをして転倒し、大怪我でもしたらどうする。いい年を通り越して、れっきとした後期高齢者なのに!」と。だがそこに、ちょっぴり自慢の気配がある。そこが未熟なのだ。
 子供の頃、70歳過ぎた老人は悟ったように円熟した人、動作もゆっくりして揺るぎない存在だと思っていた。ところが、そんな年齢ははるかに超えて83歳にもなったのに、今の自分はそうではない。急ぐ時は駅の階段を二段ずつ駆け上がる。悟りからはほど遠く、まだまだ知らないこと、できないことが山ほどあり、やりたいこともいっぱいあって人生に未練だらけ。アヴェマリアの祈りで、「今も死を迎える時もお祈りください」と祈りながら、その後に小声で「でも、死をもっと後にしてもらえたら嬉しいのですが…」と呟く。ここにも生木のような未熟老人の自分がいる。

 家では毎日旧約聖書の原典をヘブライ語で読む。おもしろいし、楽しくてたまらない。フランス語のBible de Jerusalemと英語のBible RSV editionとラテン語のブルガタ訳聖書も開いて読み比べる。この仏訳はどちらかと言えばギリシャ語の七十人訳に近く、英訳はヘブライ語マソラ版に近い。それだけでもそれぞれの訳者の苦労がわかる。ブルガタ訳は卓越していて、今更ながら聖ヒエロニムスの偉大さがわかる。ちなみに、フランシスコ会訳日本語聖書も実によい。ヘブライ語原典通読では、今まで知らなかった言葉はノートに書き取っている。もう覚えきる可能性はないとわかっているのに、まだギブアップはしていない。未熟な証拠だ。でも、成熟途上の未熟なら、これはいいことかも知れない。
 昨日は憲法記念日だった。朝日新聞のオピニオン欄で、憲法学者の石川健治氏が憲法96条を論じ、「憲法改正権者に、改正手続きを争う資格を与える規定を、憲法の中に見出すことはできない。それは、サッカーのプレーヤーが、オフサイドのルールを変更する資格をもたないのと同じである」と、その変更の試みを立憲国家への反逆だと断じていた。そして、今日の朝日新聞では同じく憲法学者の慶大教授小林節氏が、「権力側が『不自由だから』と憲法を変えようという発想自体が間違いだ。立憲主義や『法の支配』を知らなすぎる。地道に正攻法で論じるべきだ。『96条から改正』というのは、『改憲への裏口入学』で、邪道だ」と、安倍晋三首相らの改憲志向を「憲法の危機だ」と批判していた。その通り、憲法は国民が権力を抑えるための法であり、政府や官僚は守る立場にある。それを彼らは変えようとしている。まさに反逆で、断じて許せない。
 彼らは押し付けられたと言う。だが、安倍首相などまだその時生まれてもいなかったのに、よくそんなことが言えたものだと思う。石原慎太郎は論外だ。彼は暴走老人というより暴論老人だから相手にしない。日本の政治家も学者も敗戦後新憲法を作る試みはした。しかし、情けなかったことに、今の平和憲法よりよいものを発案できなかったのだ。古い精神にとらわれていたからだ。そのことをこそ恥ずべきなのだ。だから占領軍の助けのもとに今の憲法が提示されたのだった。ちなみに今の自民党憲法草案も、格調の高さで現憲法には及ばない。 
 1946年5月、私は16歳だったが、軍隊の醜さや下劣さ、戦時中の政府が国民に真実を隠し、嘘をついてきたことも身に染みて知っていた。その一年前は少年兵だったからだ。だから、むしろ占領軍の方が信用できたくらいだった。新憲法はその後押しでできたのだが、何とぴっかぴかに光って見えたことか!嬉しかった。強権と圧迫の天皇制国家が崩壊し、国民が主権者の民主主義を謳っていたからだ。私たちはそれを大喜びで受け入れた。良いものは良いから受け入れたのだ。押し付けなどではなかったと断言できる。だから今もわがトイレ文庫には憲法が一冊置いてある。
 歴史を振り返っても分かるが、古来日本人は外来のものをも、良いと思えば積極的に受け入れて自分の物にしてきた。漢字しかり、仏教の教えしかり、戦国時代の鉄砲しかり、キリスト教しかり、明治維新前後の西洋文明の文物しかり、そして新憲法も然りだった。それらを押し付けだと言うだろうか?押し付けはむしろ米軍基地や核の傘前提の安全保障同盟こそ該当する。それなのに安倍首相はそれについては何も言わない。たぶん言えないのだろう。ところが軍隊を持って戦える国にしたいために、憲法9条は目の敵にする。そして、その外堀を埋めるため憲法96条を変えようと画策している。脱原発の無視も許せないが、憲法改変はそれ以上で、絶対に許せない。
 経済が多少良くなっているとしても私は彼を認めない。人はパンのみで生きるのではないからだ。安倍首相の顔がTVに出ると、私は卵を投げつけてやりたくなる。円熟した老人ではなく、怒りを行動に移してしまう血気盛んな若者みたいだが、このような怒りゆえにそう言われるのなら、この点では悟って温和な老人であるよりも未熟老人のままでいい。そして、2009年にイスラエルでエルサレム賞を受けたとき、村上春樹氏が言った言葉、「高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ」という喩えを借用したい。私にとって憲法改変での「高く、堅い壁」とは安倍自民党に他ならないが、この未熟老人は卵の側に立つ。

神の言葉の仕分けⅢ

 旧約聖書原典通読はサムエル記下10章まで来た。一日一章のつもりが、昨日は5章も読んでしまった。このペースで行けば、あと1年半あれば全部を読み切れそうだ。しかし、書くよりも読む方が面白いので、ついつい誘惑に負けて読む方に時間を費やし、書く方は怠けてしまった次第だが、ここらでちょっと立ち止まって、書きとめておこうと思うことがある。理屈っぽくなって、楽しくないことは間違いないが…
 それは旧約聖書に「神は言われた」と書いてあれば、本当に神の言葉ととっていいかという疑問だが、それには旧約聖書の信憑性が関係してくる。そこで、ここではその視点からだけその問題を一考してみる。それが神の言葉の仕分けⅢだが、すでにそのⅠとⅡでも述べた通り、「神は言われた」と書いてあっても、全部が神の言葉ではない。それがここまで原典通読して得た私の確信だ。その証明は旧約聖書の成立を考えるとはっきりしてくる。
 預言書は別だが、モーセ五書や歴史書に限定すると、旧約聖書は誰がいつどこでそれらを書いたのかが定かではない。ところが、それが実在する以上は、誰かが単独かまたは複数でかはいざ知らず、ある時代に、どこかでそれらを書き上げたことは確かなのだ。しかし、それがモーセの時代ではなかったことははっきりしている。歴史書はダビデ王の時代に少しは書き始められていたかも知れないが、もしそうだったとしてもおそらくまだわずかだっただろう。
 モーセ五書で言えば、それが書かれたのはモーセの死後数百年経ってからだ。従って、そこに書かれた神の言葉なるものは、モーセが直接書いたわけでも伝えたわけでもない。基本的な内容は口伝や記録で伝えられてきたのだろうが、数百年後の聖書記者はモーセから直接それを聞いたわけではない。では、目撃者でも同時代人でもなかったのに、どうして彼は「神はモーセに言われた」などと書けたのだろうか?
 神の霊感で書いたという説もあるだろう。霊感は否定しないが、それはあったともなかったとも証明できない。どちらかと言えば、あれほど多くの言葉が霊感で書かれたとは信じがたい。では、聖書記者が「神はモーセに言われた」と書いたことの信憑性を保証するものが他に何かあるかというと、何もない。それなのに、数百年も経って、あたかも彼がモーセの傍にいて聞いたかのごとく書かかれた神の言葉が、間違いなくありのままに書かれた真実だなどと誰が信じるだろうか。
 つまりそれは本当にモーセに言われた神の言葉かも知れないが、聖書記者の創作だったのかも知れない。また本当に神の言葉だとしても、ありのままに伝えられているとは限らない。だから、旧約聖書が聖書であるからと言って、そこにある神の言葉の信憑性を旧約聖書自体によって証明することはできないのだ。そこにある言葉が真に神からかどうかの信憑性を証明するには、それを支える他の支点(教会の保証とか学問的立証とか)がどうしても必要となる。

 もう一つ留意しなければならないことがある。それはモーセ五書や歴史書が仮に西暦紀元前9世紀頃、誰かによって書かれたとしても、その原本は今どこにも残っていないことだ。私たちが今日原典と呼んでいる旧約聖書はすべて写本が元になっている。写本そのものは少ししか残っていないが、いくつかがあることはある。かつて印刷術がなかったころ、聖書は筆写人がこつこつと一冊ずつ書き写して来たものだ。そういう人達に私はどれほど感謝しなければならないことか。
 しかし、今ある写本も最初の写本ではないだろう。使っているうちに擦り切れてしまうから、写本は次から次へと引き継がれてきたはずだからだ。だから何種類もの写本ができて、何百年もの間には違いが生じた。筆写人が書き写し損なったり、うっかり抜かしてしまったり、本来はなかった文言を挿入してしまったりすることがあり得たからだ。死海文書が発見された時、その旧約聖書断片はマソラ本に近いとわかったが、まったく合致するものではないこともわかった。違いの一例だ。
 そうなるとどの写本にある神の言葉が本物かという問題が生じる。しかし、神ご自身が話してくださるか、あるいはモーセや預言者が出てきて証明してくれない限り、今となってはそれを決定的に判定し得るものはない。つまり、原則論だが、写本を元にした聖書にある神の言葉は全て本物だとは言えないという結論になる。本物もあれば、そうでない場合もある。ではどれが本物なのかという問題になるが、それはそれを保証する他の論拠と個々の内容の考証に待つしかない。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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