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開き直る

 33年も精魂込めて続けてきた手を貸す運動が、2年半ほど前から苦悩をもたらすものになってしまった。それに昨年の今ごろからだったろうか、また別の苦悩も生じたので、今年の春は、春は春でも私にとってはどんよりした感じだ。どうしてこんなことになったのかと振り返ると、結局は自分の失敗だったことに尽きる。人を見る目がなかった。お人よしだった。つまり愚かだったのだ。しかし、後悔しても過ぎたことは元には戻らない。だから開き直るしかない。ではどう開き直るのか?
 思い出すことがある。もう57年も前の1956年だったが、カナダに留学した時のことだ。当時はまだ外国へ行く人など稀な時代だった。貧乏な日本人が飛行機になど乗れるわけがない。私は一人のカナダ人修道士といっしょに、横浜港からバンクーバー行きの貨客船に乗った。米国籍の船だった。さて、アリューシャン列島沿いに14日間航行して、ある朝港に着いた。ところがそれはカナダのバンクーバー港ではなく、何と米国のシアトル港だったのだ。
 でも、バンクーバーまで行くのだろうと思っていたら、乗客はぞろぞろ皆降りて行くではないか。様子が変だと思って何ごとかと船員に尋ねたら、船はここが終点だと教えてくれたのだ。さあ、あわてた。一緒のカナダ人修道士はフランス語しかできなかったので頼れない。しかし、どっちにしても降りないといけないことはわかった。「でも、船倉にあるはずの大きな荷物はどうなるのだ?ここからどうやってバンクーバーに行ったらよいのか?」
 船から降りた船客たちは皆さっさとそれぞれの行く先へと去って行く。だが、埠頭に取り残された私たち二人は途方に暮れた。「どうしたらいいんだろう?困った。」内心そう呟きながら目を港の海の方にやると、青い海の上にもっと広い天空が頭上まで広がっていた。それを見てふと思った。「ああ、ボクは宇宙の中にいるけれども、地球から出ることはないんだ。今は大地の上にいる。危険に瀕しているわけでもない。だから心配ない。何とかなる」と。それは開き直りだった。
 そう開き直ると落ち着いて腹をくくれた。ここは少し英語ができる私が何とかするしかないと思って、近くで働いていた人に埠頭のオフィスはどこかと聞いた。教えてもらった管理事務所で「ここのボスは誰ですか?」と尋ねると、事務所長が会ってくれた。そこで大胆にも下手な英語で、「私たち二人はバンクーバーへ行くところだが、あのワシントンラインの船はここで止ってしまい、私たちは困っている。船倉の荷物はどうなるのか?どうしたらいいか教えてほしい」と直談判した。
 所長はロスと言う名の人だった。ひょっとしたらカトリックで、同伴者が修道士なのを見たからかも知れない。実に親切にしてくれて、「これから昼食に自宅に戻る所だ。いっしょに来て食べなさい。バンクーバーまでのことと荷物のことは私に任せなさい」と言って、見も知らぬ私たちを車で自宅に案内し、昼食を振る舞ってくれた上に、シアトル駅まで送ってくれて鉄道の切符まで買ってくれたのだった。そして、荷物はちゃんとバンクーバーに回るよう手配してくれていた。
 これは困り果てていた時によいサマリア人に出会えた経験でもあったが、開き直ることを学んだ人生の一コマでもあった。失うものは大してないと思えば人は開き直れる。ヨブは「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う」と言ったが、これも開き直りの一つだったと言えよう。では、今の私はどう開き直ればいいのだろうか?あの時のように、「全てを失っても私自身は残る。人の評価、地位、名誉、富等はみな付録に過ぎない」と腹をくくればいいのだと思う。
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宣教という愚かな手段

 復活祭の聖書の中で心に残った一節について書いておこうと思う。それは第一朗読の使徒言行録10; 41節の、「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現わしてくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、ご一緒に食事をしたわたしたちに対してです」というくだりだ。
 使徒ペトロはカイザリアで百人長コルネリウス一家に洗礼を授けた。使徒言行録10;34-43は彼がその時に行った説教だが、それはイエス・キリスト様がどんな方で、何をなさったか、ユダヤ人たちに殺されたのにどのようにして復活し、自分たちに現れて何を命じられたかを、力強く簡潔に語っている。おそらくこれに優る福音の要約は他にあるまい。無学で欠点もあった元漁師のペトロの言葉だけに、かえって一語一語に目撃証言者の重みがある。41節はその一部分で、神が復活の主を出現させてくださったのは、前もって神に選ばれた証人たちにだけだったことを強調している。その点が私の心に残ったのだ。そこにキリスト教の根本的な一特徴があるからだ。 

 しかし、ひょっとしたらある人は次のような疑問を持つかも知れない。「なぜイエス様はご復活の後、祭司長、長老、律法学者たちや民衆の前に復活体をお見せなさらなかったのだろうか?もしそうされていたら、おそらく彼らの多くは驚愕して自らの過ちを認め、主を信じただろうに・・・そして、その方が少数の証人を通すより効果的だっただろうに」と。だが神のご計画は違った。主は前もって神に選ばれた証人たちだけに現れ、彼らを通して人々が信じ、救われるやり方だった。
 では、なぜ神はそういうやり方をよしとされたのだろうか?まず上記の疑問に対してだが、仮に百歩譲って、もし復活の主がユダヤたち大勢に出現されたとしよう。そうしたら、はたして彼らは改心し信じただろうか?私は否定的だ。金持とラザロの譬えでアブラハムが、「もしモーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」(ルカ16 ;21)と答えた言葉がそれを示唆している。しかし、もしそれで良い結果が得られたとすれば、それはそれでよかったと言うことになろうが、これはあくまでも単なる仮定の話だ。
 それに対して、神が実際に選択なさったのはそういう出現ではなく、少数の証人を通して主の復活と福音を知らせる方法だった。それは何よりも全ての人に公平であろうと望まれたからではないだろうか。ところでそれは、「なぜ復活された主は世の終わりまで地上にいて、導いてくださらなかったのだろうか?もしそうしてくださっていたら、主から直接教えられ導いてもらえるのだから、福音書も要らないし教皇様もいなくて済むのに・・・」という願望兼不満と表裏をなしている。 
 ところが、そういう願望混じりの不満にもかかわらず、イエス様は信じた人たちを残して天に昇ってしまわれた。それは神の国が地上にはなく、神の国には信じるという門から入らなければならないことを私たちに覚悟させるためだったと思う。だから地上には留まられなかった。しかし、そうなると、同時代のユダヤ人指導者たちや民衆に出現したら、他の人々に対して不公平になった。なぜなら、仮に彼らが使徒トマスのように「見たから信じ、信じたから救われた」なら、復活の主を見るチャンスに恵まれない他の大多数にくらべて、特段に優遇されたことになったからだ。
 どんなに大勢だったとしても、彼らは世界の人々に比べれば実に微々たる数に過ぎなかった。ましてや現代にまで至る人類史上の人々すべてに比べたらなおさらだ。ところがその大多数には地上で復活の主を見るチャンスはない。それなのに、同時代のユダヤ人だけが「見て信じ、信じて救われた」とすれば公平ではない。それに、そもそもそのユダヤ人たちとは、主イエス様を十字架で殺した人たちだった。そんな彼らが悪事の報いの代わりに優遇され、他の人々が同じ恩恵に浴せないとしたらおかしいということになる。
 だから、神は「民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人」、つまり使徒たちと限られた人たちを通して、「見ないのに信じる」者が救われるやり方を選択されたのだと私は考える。これなら公平だからだ。もし「見て信じること」で救われるのなら、ご出現はユダヤの民に対してだけではなく、すべての人々にもしないと不公平だが、限られた証人を通して「見ないのに信じる」者が救われるのなら、すべての人は同じ条件で信じるか信じないかを決断することになるので公平だ。
 主は「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」とトマスに言われた。これは使徒全員にも聞かせるためだった。ご昇天後に主を信じる人は皆、見ないで信じるしかないからだ。だが、「見ないのに信じるからこそ、幸い」なのでもある。だから使徒パウロは「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」(1コリ1;20)と書いた。人には愚かに見えても、それが神の知恵なのだと、誰よりもよく理解していたからだと思う。

小さな発見二つ

 またもや1ヶ月近くコラムを怠けてしまった。3月の今ごろは春先の花々が次々と咲き出していた頃だったが、4月半ばの今はもうその花々は役目を終え、桜もとうに散ってしまい、新緑がそれにとって代わっている。花はアメリカ花水木やスズラン、ヤマブキ、ポピー、菜の花などが今は盛りで、もう少しするとバラ、イチハツ、アヤメ、花ショウブ、サツキなどの出番になる。年々歳々四季は繰り返すから、コヘレトは「太陽の下、新しいものは何ひとつない」(コヘ1;9)と言ったが、逆もまた真なりと言える。花々は同じではなく、木々もまた昨年と同じではないからだ。
 人もまたしかり。人が変れるということは、良い方に変る場合は祝福に値するが、そうでない場合は不幸をもたらす。今年の私は、この後者のケースとの避けがたいかかわりの渦中にあるため、なかなか気が晴れない。そこで三日ほど前、家内といっしょに気晴らしのためウオーキングに出た。行ったのは近くの成瀬山公園だった。そこには電線がなく、土の小道があり、周りの尾根にはクヌギ林の中を縦走する山道がある。私のお気に入りの散歩道の一つなのだ。

 そこで一つの小さな発見をした。公園の頂上にはオルニソガラムの群落がある。花ニラに似た白い六弁の花をつける野草だ。それを家内に見せるつもりで、そこまで登ったのだが、発見とはその群落のことではない。その花々から振り向いて、後ろのミズナラに目が行ったとき、梢に一羽の白黒模様の小鳥が見えたのだ。それも枝を逆さにチョンチョンと歩いていた。「あっ、キツツキだ!」と驚いた。発見とはそれだったのだ。もちろんアカゲラではない。コゲラだと思った。「ほー、こんな住宅地近くでも啄木鳥がいるんだ。自然が豊かだというのはありがたい」と、この小さな発見に鬱々気分は吹き飛んだ。
 帰宅して調べてみたら、やはりコゲラだった。留鳥で、実は日本の本州にはどこにも棲息し、それほど珍しい鳥ではないとあった。そう言えば、横浜市青葉区寺家町にあるふるさと村の林でもコゲラを見かけたことがある。しかし、こんなに人家に近い公園の林で見つけられたのが嬉しかった。この日の小さな一発見だった。その後一羽ではなく、コナラの高木の辺りには数羽いることがわかった。追いかけっこをしていたから、営巣前の縄張り争いをしていたのかも知れない。

 私の旧約聖書原典通読は今サムエル記上9章を通過中だが、一昨日その4章を読んだとき、次のようないきさつからもう一つの発見をした。4章10節でどうしてもわからない印刷ミスのヘブライ語1という一語に行き当たった。キリスト教聖書塾編のヘブライ語-日本語辞書にはもちろんなく、ラルースのヘブライ語-仏語辞書にも見つからなかった。ハイフンで結ばれた合成語らしいが、前半部分の印刷ミスのヘブライ語3は、もしNonの意味なら、母音Oを示すニクダのホラム・ハセルはラメドの後に来るはずだが、アレフの後に来ている。Nonの意味ではないのか?後半部分の印刷ミスのヘブライ語4も理解に苦しんだ。こんな語彙はない。「私の」の意味ならラメッドの下のニクダはカマツ・ガドールではなく、ヒーリック・マレーのはずだ。
 仏訳を見たら、仏語では“à ses tentes”、邦訳では「それぞれの天幕に」となっていた。うーん、どうしてこの合成語がそういう意味になるのかなぁと理解しかねていた。が、頭の回転が鈍くなって、もうお手上げだった。それで、「ま、いつかわかるか」と諦め、少し休むために新聞を読んだ。ところが半分に折ったまま読んだから、折り目にかかった一番下の文字が半分見えず、「大」と「太」、「問」と「間」など、どちらかわからない字があった。そこで閃いた。「そうだ。あのヘブライ語の一語も、どこか一画か一点が抜け落ちて見えないんじゃないだろうか」と。
 そこでさっそく聖書に戻って、抜け落ちていそうな所を探してみたら、あった!ハイフンと思っていたのは、実はה(へー)の上側横に引く一画だった。そして、そこから下に曲がる縦の一画が抜け落ちていたのだ!本来なら印刷ミスのヘブライ語2だったのだ。印刷ミスというより、何らかの原因でこの一角だけインクが紙面にのらなかったのだと推察する。私はそれをペンで書き加えた。ちょっと赤くしたところだ。そうしたら、いっぺんに意味が通った。ブラボー、わかったぞ!“レ・オーハラーヴ”つまり「彼らのテントに」で、意味が通った。
 これは不完全印刷箇所の小さな発見だった。でもそれは理解には大きな助けになった。たった一画の欠落で全然意味が通らかなかったのに、たった一画の発見で日本晴れの青空のように意味がすっきり通ったからだ。イエス様は「天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」(マタイ5;18)と言われた。主がそう言われたのは別のご意図からだが、それはそれとして、私はこの発見で一点一画の大切さがつくづくわかった。そして、聖書といえどもこういうミスもある。書いてあることが全部が全部間違いなしとは言えない一例でもあることも再確認できた。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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