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盲人をサポートしたのは誰?

 毎週福音について書いて来たせいか、最近少しマンネリ化しているような気がした。そこで、十数年前子ども週刊誌「こじか」に連載した解説を読み返してみたら、何と当時も今と同じような問題を、同じような方法で考察していた。だから今書くことが同工異曲となり、マンネリを感じさせるのだろう。もっとも今はいつも原典に依拠して考察しているから以前とは違うが、いずれにせよ「『何だ、またか』が人を造る」。そう開き直って、今週もまた同じように福音を取り上げてみる。
 さて、年間第30主日の福音はマルコ10;46-52で、盲人バルティマイの奇跡的治癒が語られている。同じ記事はマタイとルカにもあり、全体的にはほぼ同じだが、マタイでは盲人が二人であり、イエス様が彼らに触れられたという2点で他の2福音書と違う。どちらが正しいかは確かめようがないから小異は棚上げにして、ここではこの奇跡の意味とそこから読み取れるメッセージを取り上げようと思う。大事なのはそれだからだ。ではこの奇跡にはどんな意味とメッセージがあるのだろうか?

 まずその奇跡的治癒が行われた時の状況をなぞってみよう。その時イエス様の一行はエリコの町から出ようとしていた。エルサレムへの最後の旅も終わりに近づいていて、群集も大勢ついて来ていた。いよいよ「ホサンナ!」と都に迎えられる直前だったのだ。私はそこに注目する。ところでその日、町の出口の道端に一人の盲人が座っていた。テイマイという人の息子だった。名前までわかっていることはおそらく後に初代教会の信者になって、主のなさったことを証言したからだろう。
 彼は物乞いをしていた。今とは違って身体障害者は口減らしのため、家から出されて物乞いなどするしかなかったのだ。彼は通行人の話からナザレトのイエス様が通ることを知ったのだろう。この方には神的なお力があり、ガリラヤでは大勢の病人を奇跡的に治癒なさったという噂は、かねてから聞いていた。だから、彼は大勢の人が歩く気配で主のお通りを察知すると、このチャンスを絶対に逃すまいと叫び始めたのだ。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と。
 ところが人々は彼を叱って黙らせようとした。おそらく主は歩きながらも人々にいろいろお話をなさっていたのだろう。それを邪魔されたくなかった人々は、「うるさい!黙れ」と、主が彼の声を聞かないよう、彼の声を封殺しようとした。ところが彼は黙らなかった。むしろますます声をあげて、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び続けたのだ。「わたしを憐れんでください」とは、かつてラテン語ミサにあったキリエ・エレイソンの「エレイソン」という言葉だ。
 彼は主が「求めなさい。そうすれば与えられる」と言われた教えを、教わらなかったのに実践していたのだ。その声は主に届いた。主は立ち止まって、「あの男を呼んできなさい」と言われた。そこで人々は盲人に「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」と言った。彼は上着を脱ぎ捨てて、躍り上がって主のところに行った、とマルコは書いている。喜んだ様子がよくわかる。そこで主は「何をしてほしいのか」とお尋ねになった。盲人は「先生、目が見えるようになりたいのです」と答えた。
 そこで主は、「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われた。すると盲人はすぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエス様に従ったのだった。「行きなさい」と言われたのに、彼はどこにも行かず、「神をほめたたえながら」(ルカ18;43)主の後に従ったのだ。これが状況のあらましだが、主がエルサレムに迎えられた時、おそらく盲人だったこのバルティマイは、ロバに乗った主の前後を「ホサナ」と歓喜して歩いた人々の中で、最も熱狂的な一人だったのではなかろうか。

 ところで、この記述を読むといくつかの疑問が湧くが、3つだけ取り上げてみる。その一つは盲人が服を脱ぎ捨て躍り上がったのはわかるが、目が見えないのにどうしてイエス様のところへ行けたのかという疑問だ。私は誰かが手を引いて連れて行ってやったからだと想像する。さもなければ、主が「ここだ、ここだ」と声を出してくださらない限り、彼は主のところに辿りつけなかったはずだ。そして、私はここに一つのメッセージがあると思うが、それは次の疑問とペアになっている。
 次の疑問とは人々の態度だ。盲人が「憐れんでください」と叫んでいたのに、同情もせず黙らせようとした。それなのに主が「あの男を呼んで来なさい」と言われた途端、今度は「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」と言った。彼らは主が言われたから急に態度を変えたのだろうか?そうではないと思う。世の中にはいろいろな人がいる。実は邪険に黙らせようとした者たちと、主の言葉を伝えに行った者たちは別な人々だった。だから行動が違ったのだ。そう考えると疑問は解ける。
 世の中でも教会でも、邪魔な人を排除し、面倒な声は封殺しようとする人がいる。しかし、逆に足手まといな人たちを嫌わずに面倒を看る人もいる。この治癒の場合、前者は主が盲人に時間をかけた「道草」を苦々しく思ったかも知れないが、後者は盲人に気付いて同情し、主のお言葉を喜んで伝えに行ったと思う。想像だが、その人々はただ「お呼びだ」と伝えただけではなく、おそらく盲人の手を引いて彼が主のもとに行くサポートをしたのだと思う。だから彼は主の所に行けたのだ。
 これは「自分がしてもらいたいように人にもしなさい」という教えの一例になり、私たちがここで学びとれる一番実践的なメッセージではなかろうか。私たちは主のように病人を奇跡では癒せないが、多少のサポートならできる。この奇跡物語はそれを私たちに勧めているのではなかろうか。折しも私は妻から聞いて、奉仕活動の仲間の一人がずっと点字翻訳もしていることを知った。それはまさに盲人を主のもとに連れて行った人たちと同じサポートだと思い、感服した。

 三つ目の疑問は、主が他の時は唾で練った泥を目に塗って盲人を癒されたのに、ここでは言葉だけで治されたが、それはなぜかということにある。それはこの盲人が信仰を持って願ったからだろうが、その願い方が「ダビデの子イエスよ」と叫んだことも理由になっているのではないだろうか。主は間もなくエルサレムに着き、そこで「ホサナ、主の名によって来られる方に祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサンナ」と迎えられる。
 ところで、それは救い主メシアがダビデの子孫であるという信仰に基づいていた。その盲人はまさに人々が主をメシアとして都に迎える序曲であるかのように、人々がその時歓迎して叫ぶ声を先取りして「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。この奇跡は共観3福音書ではイエス様がご受難前に行われた最後のものであり、ご受難と復活による救いの神秘を成し遂げる入り口での出来事だった。だから、盲人の治癒は救いの御業と深くかかわる意味があったのだ。
 ルカはこの奇跡の後、「これを見た民衆は、こぞって神を賛美した」と伝えているが、イエス様はまさに人々が主をメシアとして明確に認識できるよう、この奇跡をなさったのだと思う。つまりこの奇跡はその盲人への憐れみからだけでなく、人々のためでもあったのだ。救いの達成には彼らが主をメシアとして信じる必要があったからだ。そして、言葉だけで盲人を癒されたことは、主のお言葉を信じれば、彼と同じように私たちの心の目も開くことを示唆しているのではないかと思う。
 そのためには「目が見えるようになりたいのです」と願う必要がある。これが二つ目のメッセージだと思う。私の知人の一人に病気だらけの方がいるが、今彼女は岐阜県のある町で親切な方の世話になっている。折しも先日、彼女からその恩人の弟さんがクリスマスに洗礼を受けると聞いた。ところがその弟さんは全盲だそうだ。それを知ってふと思った。洗礼を受けても肉眼は見えるようにはならないだろうが、心の目はよりよく見えるようになるだろうな。その方が優っている、と。
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願うことを知らない

 年間第29主日の福音はマルコ10;35-45だ。ヤコブとヨハネ兄弟は主イエス様に厚かましいことを願い出た。マタイでは母親も一緒だったとあるが、それはともかく、兄弟は主が栄光をお受けになったら、その時は一人を右に一人を左に座らせてくださいと頼み込んだのだ。栄光をお受けになるとは、神の王国が実現して主が王となることを意味した。だから、その左右に座ると言うことは総理大臣と財務大臣にしてほしいというような願いで、何とも露骨な猟官活動をしたわけだ。
 だから、それを知った他の10使徒は憤慨した。憤慨したのは彼らにも同じ野心がなくはなかったのに、抜け駆けされたからだろう。ところで、似たような言い争いは前にもあった。マルコ9;33-37にある議論のことだ。まだガリラヤの道を歩いていた時、彼らは誰が一番偉いかを議論をして、カファルナウムに着いた後、それを耳になさったイエス様から「一番先になりたい人は、一番後になり、すべての人に仕えなさい」とたしなめられたのだった。主がメシアとして王座に着いた暁に、誰が一番高いポストに就けるか。彼らはそれに関心があったからこそそういう議論をしたのだ。

 この時のヤコブとヨハネ兄弟の願いも10使徒の憤慨も、その時と同じ動機からだった。それに対して、主は「偉くなりたい者は皆に仕えるものとなり、すべての人に仕えなさい」と、前回同様に諭された。しかし、今回は2人への答えの中にご受難が色濃く反映されている。そもそも彼らの「出世争い」は前回も今回も、受難予告の直後に起こった。現実は将来の役職どころではない深刻な事態が進行中だった。それだけに彼らの極楽とんぼぶり、的外れな争いの愚かさは余計に際立つ。
 主はヤコブとヨハネに、「あなたがたは、自分が何を願っているか、わかっていない」と言われた。私はそこに、「あなたたちはそんなにもわかっていないのか…」という主の情けなそうな気持ちを感じる。もし天父がご一緒でなかったら、まだその程度でしかない直弟子たちに囲まれた主は、深い孤独を覚えられたことだろう。しかし、主はそんな彼らでもやがて聖霊に満たされれば、すべてを悟ることをご存知だった。だから、落胆もいらだちもせず、むしろ穏やかにお尋ねになった。
 「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか?」と。このわたしが飲む杯とはゲッセマネの園で、「父よ、…この杯をわたしから取りのけてください」(マルコ14;36)と祈った杯を意味した。このわたしが受ける洗礼とは、「わたしには受けねばならない洗礼がある」(ルカ12;50)と言われたご受難のことだ。2人は答えた。「できます」と。だが、本当はその意味を知らず、勝利の杯や、新しい形の洗礼か何かを思い描いてそう答えたのではなかろうか。
 主は預言して言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼をうけることになる」と。実際、兄ヤコブは後に西暦紀元44年の過越し祭前、ヘロデ・アグリッパ王一世によってエルサレムで斬首されて殉教した。他方、弟ヨハネは後にエフェソの司教となるが、伝説によればローマ皇帝ドミチアヌスの迫害の時、ローマに連行されて沸かした油鍋に入れられたが死なず、パトモス島に追放された。やがて司牧に戻れたが、彼の十字架は一世紀末から2世紀に発生したグノーシス諸派の異端と、生きて戦い続けなければならなかったことだろう。

 主は続けて言われた。「しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ」と。2人がポストから除外されたわけではないが、主は教会の最も重要な役職、初代の教皇にはペトロが就くことをご存知だった。しかし、それらはここで明かされず、ただ、どんな役職も天の父がふさわしいとお決めになった人材に委ねられる。世の習わしのように、陳情や情実、ましてや賄賂で左右できるものではないと諭されたのだ。
 そして、それを聞いて憤激した10使徒たちを含めた全員には、主の福音に従う者の共同体では、上に立つ者はどうあるべきかを再び教えられた。「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなた方の間ではそうであってはならない。あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、いちばん上になりたい者は、すべての者の僕になりなさい」と。それはこの世の支配者とは統治の原理が真逆であることを意味する。
 この章節で最も大事なのは、その模範としてそれまでのご自分の実践と、これから成し遂げようとなさっていた救いの大業に言及されたことだと思う。主はそこで「人の子は仕えるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」と言われた。それは「わたしが飲む杯、わたしが受ける洗礼」につながり、すでに3回予告されたご受難と響き合っている。おそらく使徒たちはその時は理解しなかっただろうが、後でそれがわかった。
 事実、主は人々に仕えられた。ひっきりなしに来る病人を癒し(マルコ2;32-34等)、最後の夜は弟子たちの足も洗われた。そして、万民を救うために十字架上で死なれた。身代金とは旧約時代からの神の民の掟で、例えば他人の牛を盗んで売った場合(出22;2b)、5倍の弁償を義務付けられたが、それができない者は身売りしてでも償うことを要求された。ところで、神に対する人類の罪は人類には償えなかった。だから、神の独り子の死で身代金を払わなければならなかったのだ。 
 そこには確かにイスラエル民族の律法的な思考がある。しかし、それは神が私たちをそれほどまでに愛してくださった証しだと理解すればよい。「神はその独り子を与えるほどに、この世を愛された」(ヨハネ3;16)のだ。「あなた方の中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、いちばん上になりたい者は、すべての者の僕になりなさい」と言われた教えは、神が示してくださった愛の原理に従って人に仕えなさい。物事もそれに照らして願いなさいという示唆だと思われる。

 「あなたがたは、自分が何を願っているか、わかっていない。」ヤコブとヨハネ兄弟にそう言われたお言葉は、2000年たった今の私たちにも当てはまると思われる。救いが成就され、福音が十分伝えられている今、私たちはご受難前に出世争いを演じた弟子たちとはまったく違っていいはずなのに、実際はどうもそうではなく、彼らと五十歩百歩か、あるいはもっとものわかりがわるいのかも知れない。それは生活の困難や病気などの試練にあってみればすぐわかる。
 「神様、この苦しみを私から取り去ってください。しかし、私の思いのままではなく、御心のままに」と祈れる人は主に倣う人だが、「ちゃんと信じているのに、なぜ私は不幸なのだ。なぜ私が病気病にならなくてはいけなかったのか?神なんて本当にいるのか?信じても無駄だ」などと、不信に陥る人もいる。人は何としばしば願うべきではないことを神に願い、願わなければならないことは願わないことか。しかし、主はもうそれを教えてくださっておられる。主の祈りがそれだ。

ラクダではなく、綱

 年間第28主日の福音はマルコ10;17-30だが、内容が多いので、三つの疑問と一つの感想だけ書く。三つの疑問とは次のものだ。①イエス様は「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」と言われたが、弟子たちはなぜそれに驚いたのか?②「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言われた喩えに間違いはないのか?③主と福音のために家族や財産を捨てた者は、今の世でもその百倍を受けると言われたが、それはあり得るのか?

 疑問①だが、弟子たちはラクダの喩えを聞くと「ますます驚いて」、「それでは誰が救われるだろうか」と言い合ったとある。非常に驚いた証拠だ。ではなぜそれほど驚いたのか?それは彼らも当時の他のユダヤ人同様、金持こそ神から祝福された者、真っ先に神の国に入れてもらえる人だと思い込んでいたからに他なるまい。主が「貧しい人たちは幸いだ。神の国は彼らのものである」と、あれほど教えられていたのに、彼らさえまだユダヤ的思い込みに支配されていたのだ。
 富は神の祝福、貧困や病気は神の罰という応報説はまさにヨブが疑問を提起した問題だったが、死後の裁きと報いがあると言う思想は、イエス様の時代のイスラエルでもまだ確立していなかった。だから、人々は富を神から祝福されたしるしと信じ、神の国が来れば、彼らこそ真っ先にそこに入れると考えていた。ところが、主が言われたことはその真逆だったのだ。だからかれらは驚愕したのだ。金持ちにさえそれほど難しいのなら、まして貧しい我々がどうして入れるだろうか、と。
 イエス様は永遠の命のことを質問した金持ちをよい例として、弟子たちを教育なさった。神の国に入れるのは金持ちだからではない。むしろ逆だ。富はその妨げにすらなる。神の国に入るには、最低限神の掟を守り、次に富を善用すること、そして、主と福音のために貧しい者となることだと教えられたのだ。「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」とある締めの言葉も、彼らが金持ちこそ先だと思っていたとすれば、そうか、それが逆転することかとうなずける。

 次は、主が間違いなく「らくだが針の穴を通る方がまだやさしい」と言われたのか?という疑問だ。この比喩は余りにも突飛なので理解に苦しみ、「針の穴」という狭い門があったなどという解釈の試みもある。しかし、そんな門は実際どこにもない。そもそも皆に知られていなければ、そんな門の喩えは無意味だ。だとすれば、針の穴は文字通り糸を通す針の穴と理解すべきだろう。だがそうなると、では通るのがなぜラクダなのだ?と、突飛さからくる違和感は依然として残ってしまう。
 私もそれは変だと思っていたが、アラマイ語ペシッタ・テキストの新約聖書を読んで、一つのうなずける答えを得た。この聖書にはヘブライ語の対訳がついているが、それがここを次のように訳しているからだ。
“.קל יותר לחבל להכנס בנקב המחט מאשר לעשיר להכנס למלכות האלהים”(金持が神の国に入るよりも、綱が針の穴に入る方が易しい)と。つまり、ラクダ(ガマル:גמל)ではなく、綱(ヘベル:חבל)と訳しているのだ。これは非常に興味深くはないだろうか。
 なぜなら、ラクダと針の穴では何ら接点がなく余りにも突飛だが、綱と糸なら太いか細いかの差はあるが、用途や性質が似ているからごく自然に比較ができる。しかし、針の穴は小さいから糸は入るが、太い綱は通らない。とうてい無理だ。この比較なら誰にもすぐわかり、金持ちが神の国に入るのはそんなに難しいことかと想像がつく。従って、「綱が針の穴に入る」という比較は、「ラクダが針の穴を通る」よりずっと説得力がある。では、その解釈はどんな根拠で成り立つのだろうか?
 そもそも私たちはイエス様が普段はアラマイ語で話されていたこと、そして最初のマタイ福音書がアラマイ語だったことを思い出す必要がある。もちろん主はユダヤ人指導者などとはヘブライ語で話されたが、両語は津軽弁と標準日本語ぐらいの違いだから、使い分けは日常茶飯事だっただろう。ところで、現存の福音書正典はギリシャ語だが、それは主が使われた言語ではない。従って、ギリシャ語原典にある主のお言葉は、アラマイ語やヘブライ語からの翻訳に過ぎないなのだ。
 そうだとすれば、マルコ10;25にあるギリシャ語のκάμηλος(ラクダ)が何と言うアラマイ語から来たのか調べなければなるまい。では、アラマイ語マルコ福音書では何と書かれているかと言うと、ヘブライ語のגמל(ラクダ)とそっくりのגמלא(ガムラー)だ。因みにアラマイ語は文字もヘブライ語と同じである。ところが、ヘブライ語訳はラクダではなく、綱と訳した。なぜそう訳したかと言うと、アラマイ語のגמלאには意味が四つあり、註にはその一つを選んだわけが書いてある。
 גמלא(ガムラー)の四つの意味とは、①ラクダ②舟の綱③大蟻④垂木だ。ありそうもないのを消去法で消せば、①と②が残るだろう。しかし、漁師が多かった弟子たちに話した喩えだということを考えれば、②の舟の綱を選ぶのは当然だ。この喩えなら、彼らはわかり過ぎるほどよくわかったに違いないからだ。おそらくギリシャ語福音書記者はアラマイ語のガムラーを即ラクダと思って、「ラクダが針の穴を…」と翻訳したのだろう。しかし、アラマイ語聖書注釈は「綱」が妥当だとしている。 
 マルコはユダヤ人だったから、アラマイ語の四つの意味を知っていたはずだが、おそらくギリシャ語圏の信者間では、すでにラクダとする口伝が普及していたのではあるまいか。だから、それに応じて書いたのかも知れない。「ラクダ」でも間違いではなく、その喩えでも意味は十分わかる。だが、アラマイ語福音書が伝える「綱」の方がより説得力があると思うので、私は今のところ「ラクダではなく、綱」の解釈に軍配をあげている。もっともこれは知的な問題で、教えには影響しない。

 三つ目の問いは、主と福音のために家族や財産を捨てた者が、後の世だけでなく、今の世でもその百倍を受けると言われた主の約束が、本当にありうるのだろうかというものだ。私が疑問に思ったのは今の世のことだ。なぜなら、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てて主に従ったら、その百倍を受けると言われたが、母を百倍などあり得ないし、家が百倍も非現実的だと思えたからだ。しかし、主の他のお言葉を思い出し、よく考えてみたらそれも非現実ではないと自答できた。
ある日、人々が「母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らせた時、主は言われた。「神の御心を 行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3;31)と。主を信じても、今の日本では大きな犠牲を払うことはほとんどない。しかし、主を信じたために家族内で孤立や不利益を味わう人はいるし、家族の反対を押して修道女になったがゆえに親子の縁を切られた例もある。歴史を見れば、主を信じるには殉教の覚悟さえ要った時代や状況があったのだ。
 しかしその反面、主を信じれば、人には「血によってではなく、肉の欲によってでもなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれた」(ヨハネ1;13)新しい家族ができる。そこでは父は天の父、聖母が母、信者たちが兄弟姉妹子供、何百もの教会が家や畑だと解釈できる。今の世でも捨てた分の百倍を受けると言って過言ではない。ここに答えがある。マルコ10;30には「父」の一字がないが、それは天父が与えられる百倍の者の一人というよりは、与える立場にあるからなのだろう。

 最後に感想一つ。イエス様は金持ちが神の国に入ることの難しさを教えられた。富を否定なさったのではないが、人はえてして富に呪縛されやすいから、その危険を警告なさったのだと思う。上記のヘブライ語訳マルコ福音書は「金持ち」の代わりに、関係代名詞を使って「富に信頼を置く人」と訳している。金持ちは金持ちになるほど、神にではなく、まさに富に信頼を置くようになるから、太い綱が針の穴を通らないように、富で太った者は神の国に入るのが難しくなるのだ。
 小原國芳という人は「右手にそろばん、左手に聖書」と教えていた。うまい表現をしたものだ。そろばんはお金を稼ぐこと。だが大事なのはどう使うかだ。聖書はそれを教える。富はそのまま神の国には持って行けない。天に積む宝に換金しなくてはならないのだ。その意味で、手を貸す運動では私はその実践をしている人たちを大勢見てきた。貧しい子たちのため巨額のお金を惜しまない人も何人かいた。金持ちではない私は少ししかできなかったが、お金の使い方では同感だった。
 最近また、お金の使い方を考えさせられる機会があった。ある若者が人生の岐路に立たされ、どうしても数百万円を必要としていたが、彼は貧しくてその工面が不可能だった。それを知った私は貸すことを申し出たが、なぜ赤の他人にそこまでするのかという疑問も受けた。幸いにもと言おうか、残念にもと言おうか、他の人が代わってくれたので私の出番は消えたが、一人の人を助けられるのなら、お金はそういうことに使ってこそ価値があると思う。私のその考えは変わらない。
 この主日の福音にあるあの金持ちは富をどう使おうとしていたのだろうか?世の中にはお金を稼ぐことが夢、その増殖を無上の喜びとする人もいるらしいが、私はそれを賢い人き方とは思わない。善用しない富は宝の持ち腐れだ。逆に、最高の投資は富を天に貯蓄することだと見る。マタイ25;35の例には「わたしが困窮していた時、あなたはお金を融資してくれた」という追加も可能だ。しかしこの点では、多くの信者さんたちはどうも本気度を欠いている気がしないでもない。
 イエス様はあの金持ちを「慈しんで」、「持っている物を売り払い」貧者に施せ。そうすれば「天に富を積むことになる」と教えられた。しかし、彼はオールオアナッシングで、なぜそれほど深刻に受けとめたのだろうか。気の毒に、富があり過ぎたからショックも大き過ぎて、きっと頭が真っ白になってしまったのだろう。売るのは全部でなくてもよく、「わたしに従いなさい」と言われても、弟子とは違う従い方でよかっただろうに… 福音も実践では現実的に、余裕をもって考えることが必要だ。

子供のように

 年間第27主日の福音はマルコ10;2-16で、離婚問答と子供の祝福という二つの話題を伝えている。一見まったく無関係なのに、二つの記事がつなげて書かれたのは実は関連が一つあるからかも知れない。ではどんな関連かと言うと、それは神の教えの受け入れ方だ。イエス様は離婚問答では「あなたがたの心が頑固なので」と指摘なさったが、子供の祝福では「子どものように神の国を受け入れる人」と言われた。前者は頑固、後者は素直。両者は受け入れ方では正反対なのだ。

 離婚問答があったのは主がヨルダンの向こう側におられた時だった。その発端はファリサイ派の人々が来て、「夫が妻を離縁することは、律法にかなっているでしょうか」と質問したことだった。彼らはまたもや律法に対する主の姿勢を調べようとしたのだ。すると主はモーセがどう命じたかを彼らに反問なさった。彼らは「離縁状を書いて離縁することを許しました」と答えた。そこで主は「あなたがたの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」とお答えになった。それはモーセの譲歩に過ぎなかったと言うことだ。そして、夫婦は本来どうあるべきか。それに反する行為はどんな罪に当たるかを断言なさった。
 そのお言葉は福音書を読めばわかるから、ここでは繰り返さないが、現代人の多くはおそらくそれを厳し過ぎると感じているだろう。事実、欧米などでは今やその逆が常識とも常態ともなっている。しかし、この時の教えが以後人類の結婚観を、二つの点で決定的に変えたことも否定できない事実だ。その二点とは、一つは明確な一夫一婦制のキリスト教的結婚観の確立、もう一つは夫婦の対等の立場の確立だ。そして、今でもそれは健全な夫婦の標準であり続けているとは思う。
 一夫一婦制のキリスト教的結婚観の確立について言えば、それまでも庶民は豊かではなかったがゆえに一夫一婦が普通だっただろう。だが、富裕層では一夫多妻が少なくはなく、それは旧約聖書でも許容されていた。イスラエルの太祖たち、ダビデ王やソロモン王の妻たち等がその好例だ。しかし、主はそれをあらため、男と女を創造の最初の姿で見直させて、夫婦とは本来神の合わせ給うた二人で一体なのだと、キリスト教的一夫一婦制の結婚観の原則を明確になさった。
 夫婦の立場については、ファリサイ派の人々が質問で「夫が妻を離縁することは」と言ったように、旧約では離縁は夫の特権で、妻は下に置かれていた。モーセの十戒(出20;17)でも妻は夫の所有物として奴隷や家畜と並べられている。しかし、イエス様はそういう女性観を根本から変えられた。つまり、神は創造の初めに人を男女に造られ、女性は男性にとって「わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」なのだから、男女は対等な存在であるというキリスト教的夫婦観を確立されたのだ。 

 ファリサイ派の人々は離婚問題でも律法を不変不易の金科玉条として、疑問も持たないでいた。ところが主はそれを正すべき問題として、夫婦の在り方を本来の姿にお戻しになった。主はモーセが離婚を許容したのは民の実情を見てやむを得ず譲歩したこと、譲歩の理由が民の頑固さにあることをよくご存知だったからだ。モーセは民が表向きは神の言葉を受け入れても、実際は守るまいと危惧して譲歩した。そもそもイスラエル人とはそういう「強情な」民(ホセア4;16)だったのだ。
 そこに私の注目点がある。主がこの機会を捉えて、多くの預言者たちと同じくイスラエルの民の頑なさを指摘なさった点だ。離婚問題は主の方から話したかった話題ではなかった。ファリサイ派の人々にとっても主の言質を取る一手段に過ぎなかったから、主の律法違反さえ見つけられるのなら、他の話題でもよかったのだ。そうだとすれば、離婚問題は瓢箪から駒が出る喩えのように、キリスト教的結婚観を確立する契機とはなったが、ここでの主要メッセージではないことがわかる。
 では何がこの章節における主要なメッセージかと言うと、それは神の国をどう受け入れるかにある。はしなくも離婚問題で露呈したイスラエルの民の頑なさはその反面教師だった。それに対し、こうあれかしとイエス様が人々に推奨した受け入れ方こそ、子供のようであることだった。この場面は想像すると興味深い。私が知るある神父は説教中に幼児が出歩くと、説教を中断して睨み付け、静かに座っていさせるよう親に苦言を呈していた。しかし、イエス様はまったく違った。
 子供が触ってもらおうと近づいたということは母親たちもそこにおり、彼女たちが子供をするままにさせたのは、近づいても叱られないと知っていたことを意味する。聴衆はきっと静粛ではなく、大人たちは私語を交し、子供たちは動き回ってうるさかったに違いない。主はしばしばそういう群衆に話されていたのだ。私もかつて学生たちに話す立場にいたが、今振り返ると恥ずかしい。当時の弟子たちも同じで、なるべく邪魔を排除していたが、子供はまさに邪魔そのものだったのだろう。
 そもそも昔のイスラエルでは子供は取るに足りない者と考えられていた。弟子たちが邪険に扱ったのも無理はない。ところがイエス様はそれを叱って、「子どもたちをわたしのところへ来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、けっしてそこに入ることはできない」と言われ、子供たちを抱き上げて祝福されたのだ。「子どもたち」とあるから、一度に二人以上を何回も抱き上げられたのかも知れない。

 主は「子どもが神の国を受け入れるように受け入れよ」と言われたのではなく、「子供のように神の国を受け入れよ」と諭されたのだ。子供は無知で未熟だから神の国のことはあまりよく理解できない。そんな子供が理解した神の国は受け入れることは何ら手本にする値打もない。聖アウグスチヌスも指摘したように、子供は未熟でわがまま、足りないところだらけだ。しかし、少なくとも素晴らしい点が一つある。信じて素直に受け入れる良さだ。主はそのことを言われたのだ。
 そうは言っても、誰の言うことも素直に聞き、何でも受け入れるわけではない。子供も信じられない大人の言うことは拒む。だが、信頼している人の言うことなら受け入れる。特に信じ切っている親の言うことなら素直に聞くものだ。主が「子供のように」と言われたのはまさにそのことだった。つまり、子供が親の言うことを喜んで聞くように神の国を受け入れなさい、と教えられたのだ。そして、この教えを「幼子の道」として最もよく理解したのがリジューの聖テレジアだった。
 そのように神の国を受け入れるのでなければ、人はそこに入れないと主は諭された。なぜなら天の父こそは全幅の信頼を置いてよい人類の親だからだ。天の父が御子を通して示してくださった神の国を子供のように受け入れなくて、どうしてそこに入れるだろうか。子供は理屈に固執せず、懐疑心淡白、単純素直だ。神の国を受け入れることでは旧約の民のように頑なではいけない。たとえ老人になっても子供のようであれ。私はそれが私へのこの章節の主要メッセージだと理解した。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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