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本末転倒

 年間第22主日の福音書はマルコ7;1-23。内容はイエス様がファリサイ派の人々及び何人かの律法学者と交わされた議論で、そこには①より大切な掟はどちらか、②真に人を汚す物事は何か、という二つの問いとその答えがある。議論はイエス様のあら捜しにエルサレムから来ていた彼らが、手を洗わずにパンを食べていた主の弟子たちを見て、「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人々の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか」と質問して咎めたことが発端だった。
 そこで主はイザヤの言葉を引用して彼らの偽善を指摘し、「あなた方は神の掟を捨てて、人間の言い伝えを守っている。」むしろそれこそ見過ごせない重大な違反ではないかと反論なさったのだ。確かにモーセの律法は清い物事と汚れた物事を特定し(レビ11-15)、不浄を避けて身を清く保つこと、汚れたら清めることを命じている。しかし、食事前の手洗いは命じていない。もちろんできる時は食前に手を洗うに越したことはないが、洗わなくて律法違反ではないのだ。
 ところが、律法を厳格に守ろうとした後世の人たちは洗手を守るべききまりに加え、人々にも守らせようとした。彼らはその他にも多くのそうしたきまりを作った。後に使徒ペトロはそれらを「先祖もわたしたちも負いきれなかった軛」(徒15;10)と言ったが、それらは昔の人の言い伝えと言っても、せいぜい数百年程度の歴史しかない人定規則で、いわば掟の枝葉末節に過ぎなかった。ところが、ファリサイ派の人たちはそれらの遵守にきわめて熱心なグループだった。
 だから主は、彼らがモーセを通して与えられた根本的な神の掟をないがしろにして、どうでもいい枝葉末節のきまりにこだわる彼らの本末転倒を指摘されたのだ。そして、その一例としてモーセの十戒の一つ「あなたの父と母を敬え」を取り上げたられた。当時、彼らは人が自分の財産を「コルバン」だと言えば、父母が困窮していても助けなくてよいという呆れた解釈をしていた。そこで主は、彼らが人の言い伝えを神の掟の上に置く、その不敬虔と愚を痛烈に非難なさったのだ。

 そして、「また、これと同じようなことをたくさん行っている」と言われたが、その一つが「食事前には手を洗わなければならない」と言うきまりだった。しかし、イエス様は人が手を洗わずに物を食べても、「外から人の体に入って人を汚すものは何もなく」、食べた物は口から腹に入って厠に落ちるだけだ。「こうして、すべての食べ物は清められる」と言われた。天地創造の時、神様は造られた物をすべて「良い」とされた。だから、主は汚れた食物はないとされたのだろう。
 では、何が人を汚すのかというと、人の心から出て来る悪が人を汚す。内にある悪だ。そして、主はその具体例を12列挙された。そのうちの8悪はモーセの十戒に違反する罪悪で、他の4悪は律法や預言の書でしばしば非難されてきた悪徳だ。これらを見れば、主が人を汚すものをどう考えておられたかがよくわかる。汚れた食物は衛生的または美的には汚くても人を汚さず、罪悪のみが真に人を汚す。主はファリサイ派の人々に、それをこそ問題にすべきだろうと示唆なさったのだ。
 ところで、新共同訳、フランシスコ会訳、日本聖書協会訳、バルバロ訳、ラゲ訳の5冊を比較してみたら、上記12悪徳の日本語は多くが一致しないことがわかった。ちなみに全冊が一致するのは「盗み」で、4冊が一致するのは「殺人」、「詐欺」、「妬み」、「愚痴」、3冊が一致するのは「貪欲」、「姦淫」、「そしり」、「傲慢」、「わいせつ」だ。他の2悪は一番目が「みだらな行い、姦淫、不品行、淫行、悪念」、6番目が「悪意、悪行、邪悪、よこしま、狡猾」と、5冊とも全部ばらばらだ。
 共同訳は必ずしも正確ではない。一番目を「みだらな行い」としているが、原典ギリシャ語はporneiai、ラテン語はfornicationes、英語はfornicationだから、フランシスコ会訳の「姦淫」の方が妥当だと思う。また4番目を「姦淫」としているが、原典ギリシャ語はmoikeiai、ラテン語はadulteria、英語はadulteryだから、これもフランシスコ会訳の「姦通」の方が正確だ。Fornicationは一方が未婚の男女の淫行を言うが、姦通とは結婚または準結婚状態の男女の密通の罪悪を指すからだ。他方8番目はaselgeia (impudicitia、licentiousnesss)だから、「卑猥」が妥当だろう。そして、3番目のphonoi (homicidia、murder)は「殺意」よりも「殺人」、10番目のblasphemia(slander)は「悪口」よりも「そしり」と訳す方が正確だろう。しかし、最後のaphrosune(stultitia、foolishness)は「愚かさ」でも「無分別」でもいいと思う。

 ところで、この章節を読んで小さな疑問が3つ湧いた。1つ目は14節の「それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて」とある一句についての疑問だ。これはその場を離れた人々を再度呼び集めたという意味だろうか?でも、ここは「父母を敬え」の話の続きに思えるから、それだと不自然だ。ならば、群衆はずっとそこにいたわけだから、原典には確かにPalin(=again、再び)と書いてあるが、それは去った群衆を再び呼び寄せたことではあるまい。ではどう解釈したらいいのだろうか?
 新共同訳は原典のProskalesamenosを「呼び寄せて」と訳したが、それは「呼びかけて」の意味で、必ずしも呼び戻すことを意味しない。私はその時の状況をこう想像する。ファリサイ派の人々に質問されたイエス様は、その時までは彼らと向き合って論じ合っておられた。もちろん人々は周りでそれを聞いていた。だが、話が一段落したので、主は今度は群衆の方に向きなおり、ずっとそこにいた群衆にもっと近寄るよう呼びかけ、そこまでの話を総括して言われたのだと思う。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。…人の中から出て来るものが、人を汚すのである」と。
 つまり群衆はもうその時点で、主の話の方が説得力で断然優るとよくわかっていた。しかし、主は彼らがファリサイ派等の偽善に惑わされないように、あらためて群衆に呼びかけて注意を喚起し、すでに話したことの結論をあえて念を押して話されたのだ。従って、「再び群衆を呼び寄せて」とは、去った群衆を再び呼び戻したのではなく、ずっとそこにいた群衆に「注意を促すため、あらためて呼びかけた」ことを意味する。私はそう解釈すべきだと思う。

 2つ目の疑問は「弟子たちはこのたとえについて尋ねた」という17節だ。それは14節の「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」という話を指す。ところが、それはいわゆる喩えには見えず、むしろほぼ事実に過ぎないことを話されたように思える。解説書などもここをイエス様の喩え話の一つに数えてはいないようだ。それなのに、なぜマルコはそれを「このたとえについて」と書いたのだろうか?
 原典では確かにそれはparaboleh(parabole)と書いてある。しかし、それは元々ヘブライ語のmashalを訳したギリシャ語で、特にイエス様の素晴らしい喩え話で有名になったが、旧約聖書でもすでに使われていた知恵文学的な表現形式なのだ。ところで、それはいわゆる喩え話だけではなく、短い比喩、格言、警句などをも含んんでいる。そのことから考えると、この場合の「たとえ」とは狭義の喩え話ではなく、格言や警句に類する意味の「たとえ」だとろう。私はそう自答する。

 3つ目の疑問はトイレのことだ。19節には「(食物は)腹の中に入り、外に出される」とあるが、直訳すれば「腹の中に入り、便所に出される」となる。イエス様もずいぶん直截にものを言われたものだ。原典で便所はaphedronだが、当時はどんなものだったのだろうか?西アフリカ・シエラレオネでは今でも粗末な便所が外にあるだけだが、昔のガリラヤでもおそらく同様だったのではあるまいか。水洗はもちろん無理だったし、石造家屋では汲み取りも難しかったと思われるからだ。
 トルコにあるローマ時代の遺跡だったと記憶するが、便所は壁の外に何人も並んで座れるオープンなベンチのような形に造られていた。説明ではそこからは多くの貨幣が見つかったそうだ。排便時に落としたのだろうが、汚いと思って拾い上げなかったからそのまま残って、後世の考古学者に発見されるに至ったのだろう。ところで、その時主の前にいた群衆は食べた物がどんな所で排泄されるかをよく知っていたから、きっと私たちよりずっとよくわかって、主の話にうなずいただろう。 
 では、群衆はそれで糞を汚くないと思えただろうか?旧約聖書を調べてみると、糞は「徹底的に拭い去られるべき汚物」(王上14;10)とか、「あなたたちの顔に汚物を浴びせる」(マラキ2;3)とか、汚い物の象徴とされている。従って、民衆もやはり同じ感覚だっただろう。それを主は「すべてのものは清められる」と断言なさったのだから、実に思い切ったことを言われたわけだ。考えて見ると、人は誰もがそれを腹に持ち歩いているが、だから「人は汚い」と言う人はいない。
 それで思い出すのは福井達雨先生の本にあった話だ。ある知的障害者が止揚学園に入って来たが、排便すらできない。毎晩布団の中でやってしまう。そこで何とかそれができるようにさせようと、出そうな時刻に起こして便器にしゃがませ、出るか出るかと見守ったそうだ。そして、苦労の末、ある日とうとうその子がトイレで排便できた。便がちゅるちゅる出てくるのを見た時、先生たちにはそれがこの世で最も美しい金色に見えたという。物は考えようでまったく違って見えるもので、それは汚いどころか最高にきれいだったのだ。翻って心から出る悪を思えば、それこそ人を汚すことがよくわかる。
 とは言え、人はやはり汚物は汚いと感じるだろうし、手を洗わずに食事をするのはどうかと思うだろう。幼稚園の先生などは、せっかく食前に必ず手を洗いましょうねと幼児たちに教えているのに、イエス様のこの話は困ると思うかも知れない。だから誤解のないよう、一言しておこう。主は手を洗わずに食事をしても咎にも汚れにもならないと話されたので、手を洗うことを不必要だと言われたのではない。衛生や社会的マナーのためには手を洗って食事する方がいいに決まっている。 

 さて、この章節は現代の私たちも本末転倒をしていないか、人を真に汚すものを勘違いしていないか考えさせてくれる。しかし、現代日本の教会の信者にとって、一番ギクッとさせられるのは、主が引用なさった預言者イザヤの言葉かも知れない。なぜなら、それは「この民は口先ではわたしを敬うが、その心は遠くわたしを離れている」と咎めているが、それに心当たりがあるからだ。ミサで祈り歌っても、本気で主と共に生きているか?そう問われて、答えに窮しない人は幸いだ。
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「あなたがたも離れて行きたいか?」

 年間第21主日の福音はヨハネ6;60-69。パンの奇跡と命のパンの議論の最終場面だ。激しい議論の結末は気まずい雰囲気の決別だった。想像だが、どうもイエス様を追い求めて来た人々の2,3人がまず去り、やがて大勢がぞろぞろと立ち去ったようだ。「わたしは天から降って来た生きたパンである。」「わたしが与えるパンとは、世を生かすわたしの肉である。」「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だ」などと言われた主の話に、彼らはとてもついていけないと呆れたのだろう。 
 群衆が去った後に残ったのは弟子たちだけだった。だが、彼らすら「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」と、ひそひそ話し合っていた。それは敷延すると、こう言いたかったのだろう。「みんなが立ち去ってしまったのも無理はない。この話はあまりにも非常識で、まともに聞いてはいられなかった。何であんな受け入れがたいことを話されたのだろうか?気が知れない。もう一度パンの奇跡をしてくださるとか、この国から敵を追い出して昔の栄光を取り戻すとか言ってくれたらよかったのに…がっかりした。これ以上あの人について行っても意味があるのだろうか」と。
 そこで主は「あなたがたはこのことにつまずくのか。それならば、人の子がもといた所に上るのを見るならば…命を与えるのは“霊”である」と言われた。「もといた所に上るのを見るならば…」の一節は後半が欠けているが、おそらく「~を見るならば、どうするつもりだ?もっと信じられまい」と言う意味だと思う。ヨハネの福音書には主の昇天は書かれていないが、これはそれを示唆しているのだろう。そして、「命を与えるのは“霊”である」と言われたのは、人には信じがたいことも信じられるようにしてくれるのは肉(即ち人知)ではなく、霊の力だと言われたのだから、聖霊降臨を示唆しているのかも知れない。
 いずれにせよ、その後で主は「あなたがたのうちには信じない者がいる」と言われ、さらにその一人にイスカリオテのユダがいて、いつか裏切ることをもほのめかされた。パンの奇跡の後、一時は「イエスを王に!」とまで望んで高揚した人々は、この日の話にすっかり失望して主から離れた。そして、弟子たちの多くも主と共に歩かなくなった。主に希望を置くのを止めたのだ。ユダが「これはだめだ」と、主に見切りをつける引き金になったのも、おそらくこの時だったのだろう。

 この時の人々は2つの信じがたいことに直面し、それにどう対応するかを問われていた。1つは男だけでも5000人余が恩恵を受けたというパンの大奇跡、もう一つは後日イエス様が語られた天からのパンの話に対してだった。一方は肉体を養ったパンであり、他方は魂を養うパンだった。一方は多くても2回しか行われなかった奇跡だが、他方は世の終わりまで無数の人々を養っていく飲食物の神秘だった。もっともその時はまだ誰一人、それが聖体の秘跡のことだとは知らなかったが…
 人々はパンの奇跡がどうして可能なのかはわからなくても、満腹できたので、その奇跡を行った主は喜んで信じた。だが、天からのパンの話をした主は受け入れなかった。それこそ主が人々に与えたい食べ物、飲み物だったのに、人々にとってはそれが理解不可能で、満腹に役立たちそうもなかったばかりか、主の肉と血だとあっては絶対に受け付け難かったからだ。そして、去って行った。思うにそれ以来2000年、どれほど多くの人々がこの話を拒否し、主から離れたことだろうか!
 主はその信じがたい神秘の打ち明けを人々が信じるかどうか、受け入れられなくて去るかどうかを問われた。だから、12使徒に言われたのだ。「あなたがたも離れて去りたいか?」と。ここにこの主日の福音の最も重要な問いがある。それに対し、使徒ペトロは「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と答えた。それは実にあっぱれな信仰告白だった。思うに、それ以来教会の歴史2000年を通して、どれほど多くの人々が彼に倣ったことだろうか!

 第一朗読のヨシュア記24章は、指導者ヨシュアが約束の地に入れたイスラエルの民に、自分たちをエジプトから導き出してくださった神を信じるか、他の神々を信じるかは自由だが、私と私の部族は父祖の神を信じると宣言したことを伝える。彼はどの神を信じるか去就を求めたのだ。12部族の人々は、「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。…わたしたちも主に仕えます」と答えた。しかし、歴史は彼らが間もなく土着の神々に走ったことを伝えている。
 それは信じることが常に去就の決断であることを示している。新約の神の民でも同じだった。12使徒については、ヨハネ福音書には使徒ペトロの答えしか書かれていないが、主から離れようとしていた者もいたことは察しがつく。少なくともイスカリオテのユダがいた。彼は最後の晩餐まで主の傍にはいたが、心はすでに離れていたと言えよう。だから裏切った。いや、彼だけではない。他の使徒たちも主を離れないと勇ましく誓ったのに、ご受難の時は皆主を捨て去る始末だった。
 では、新約の神の民である教会はその後どうだっただろうか?信じる人はどんどん増えたが、離れ去る人々も絶えなかった。また、信じても、「私の肉は食べ物、私の血は飲み物」というお言葉を、象徴や比喩に過ぎないとし、パンや葡萄酒は主の真の体や血にはならないと、ご聖体における主の現存を認めないキリスト者も出た。主があれほど口を酸っぱくして私の肉と血だと断言されたのに、彼らは神様の神秘を人の知恵に合わせようとした。その方が理解しやすいからだろう。
 そもそも、福音史家ヨハネはなぜ命のパンの議論をこんなに詳しく書いたのだろうか?おそらく初代教会でもご聖体を疑う人がいて、こんな信じ難いことを信じよと言う教えは受け入れ難いと、主から離れる人が少なくなかったからではあるまいか?彼の意図は、たとえそういう人たちを引き戻せなくても、せめて信仰に踏みとどまっている人たちに確信を持たせ、このパンの素晴らしさをわからせることにあったのではないか、と私は思う。だが、結末はいつも去就の決断になる。
 「あなたがたも離れて行きたいか?」この問いほど聖書温故知新にぴったりのケースは稀だ。かつて主が12使徒に言われたこの問いは、全教会への問いでもあったし、今日の私たちにもそのまま当てはまる。では、私たちはどのように決断するか?いや、問われているのは私たちではなく、一人の私だ。信じるとは最終的には自分という個人の問題だからだ。信じて留まるか、それとも馬鹿くさいと離れ去るか?私の答えはペトロと同じだ。私は去らない。主に希望を置き主に留まる。

神の最高傑作は、人には究極の非常識

 年間第20主日の福音はヨハネ6;51-58で、先週に続き命のパンの議論だ。この議論全体は4つのステップに分けられる。①22-34節、②34-51a節、③51b-59節、④60-71節だ。最初のステップでは、ユダヤ人たちはイエス様に、「朽ちる食べ物ではなく、…永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。…神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである」と言われると、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と応じた。そこにはまだ表だった対立はない。
 ところが次のステップに入ると、そのパンをめぐる理解と思惑の違いから対立が表面化する。もう一歩踏み込んで言われた主の答えに、「これはヨセフの息子のイエスではないか。…どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか」と、主の出自を知っていた彼らが反論したからだ。でも、その対立はまだ知的次元にとどまっていたが、3番目のステップになると、対立は俄然感情的な嫌悪感にまでエスカレートし、やがてデッドロックになる。それがこの主日の章節だ。

 このステップで展開された激論は、「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」という主の言明が引き金になった。その一言を聞いた彼らは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と激しく論じ始めた。考えてみると、その拒絶反応的異論はまともだったと言える。なぜなら、イエス様の肉とは人肉としか受け止め得なかったが、人肉をいったい誰が食べ得ただろうか?普通に考えれば、人肉食は正気の沙汰ではないからだ。
 彼らが主の言明に矛盾を感じ取ったことも考えられる。私にも想像できるのだから、彼らはこう疑問視したのではなかろうか。「仮に皆がイエスの肉を食べるとしたら、彼を殺さなければなるまい。だが、殺人は律法で厳禁されている。なのに、なぜそんな大罪を犯してまで人肉を食べなければならないのか?それに一度食べてしまえば、他の大多数はもう食べられないではないか。それでは彼らが永遠の命を頂く望みがないことなる。矛盾しているではないか」と。筋の通った疑問だ。
 ところが主は彼らの反発にはおかまいなしのペースで、更に言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちのうちに命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである」と。この断言が彼らとの折り合いを修復不能に決裂させた。なぜなら主が肉だけでなく、ご自分の血をも飲むようにと言われたからだ。
 彼らは「げーっ!」と絶句しただろう。モーセの律法は「いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。すべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる」(レビ17;14)と命じていた。欧米人がスープを食べると言うように、レビ記も血を食べると言うが、とにかくユダヤ人は絶対に血を飲んではならなかった。ましてや人の血などもっての外。ところが、主はそれを飲まない人には命がないと言われたのだ。それは彼らにとって到底受け入れられない断言だった。
 彼らの拒絶反応はわかる気がする。普通の神経の人なら、誰も彼らを非難できまい。人肉である主の体を食べ、その血を飲むなど、まともな神経ではできないからだ。それは律法に反するばかりか、異邦人の常識に照らしても常軌を逸していると言わざるを得なかった。ユダヤ人たちが生理的に吐き気を催すほどの嫌悪感を抱いたのも無理はない。無茶苦茶なことを、非妥協的に断言し続けたのはむしろ主の方だったのだ。人間的に見れば、そう評価するのが公平な判定だろう。
 しかし、それは人間の論理で、神様の深慮は違っていた。主と群衆の間には相手を己がペースに引き込もうとするせめぎ合いがあったが、主はそれがデッドロックになり、その時点で彼らを納得させ得る見込みがもう皆無だとわかると、腹をくくられたようだ。一切の妥協を排し、彼らの離反は百も承知で、人間から見れば究極の非常識である「神の賜物」を、念を押してもう一度言われた。「これは天から降って来たパンである。…このパンを食べる者は永遠に生きる」(ヨハネ6;58)と。  

 もう聞くに堪えない!と人々は呆れ果てて立ち去った。それが第4ステップだが、ヨハネ福音書を読んだ初代教会の人々はまったく違った反応をしただろう。現代の信者もそうだが、ご聖体は主の体と血だと信じており、「このパンを食べ、この杯を飲むごとに、主が来られる時まで、主の死を告げ知らせる」(一コリ11;26)ものだと知っていたからだ。しかし、議論の時のユダヤ人たちはご聖体のことをまだ知る由もなかった。だから、一概に彼らを不信仰だったときめつけるのは酷だと思う。 
 人々がその議論で言明された主のお言葉を理解するまでには、時間が必要だった。十字架の死と復活による救いが実現し、それを世の終わりまで継続するために、聖体の秘跡が最後の晩餐で制定されたことを知る時、人は初めてこの時の議論の意味が分かるようになる。そして、そこに顕現した神の知恵の測り難さに気付いた人は、その時に言われた主のお言葉に納得してうなずくに違いない。人には究極の非常識に思えた命のパンの啓示は、神の深慮による計らいだったのだ。
 日本では昔、耶蘇教は人の生き血を飲む邪教だという誤解があったそうだ。当時のユダヤ人たちの理解もそれと五十歩百歩だった。しかし、主がパンを取って、「これはわたしの体」、ぶどう酒を「これはわたしの血」と言い、聖体の秘跡にしてくださったおかげで、「天から降ったパン」、「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物」などと言われた主のお言葉の謎は一挙に解ける。あの議論の時、聖体の秘跡による在り方は、もう主の念頭にあったのだとわかるからだ。
 その時ユダヤ人たちは、どうして主が自分の肉を彼らに食べさせることができるのかと反駁した。確かに物理的な肉そのままだったら、生であれ焼いてであれ、とても食べる気になれまい。それに一人の肉には限りがある。全人類になど行き渡るわけもなく、2000年後の人々にはなお更だ。しかし、主の体がパン、血がぶどう酒なら、問題は解決する。元々それらは食物と飲み物だから、食べかつ飲むのに抵抗はなく、全世界の人が世の終わりまで頂ける。聖体は神様の最高傑作なのだ。
 ところで、主の肉を食べるのは主を殺すことになる点を始めの方で指摘した。ご聖体はパンとブドウ酒なので、実際は主がその都度死ぬ必要はない。しかし他方、それは主の肉と血でもあるのだから、主が犠牲の小羊のように十字架上で殺された神秘をも示唆しているのだ。聖パウロが、「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました」(一コリ11;23-25)と書いたのは、まさにその意味だったのだ。今頃になってやっとそれがよくわかった。

神的啓示か狂気の沙汰か

 年間第19主日の福音はヨハネ6;41-51、命のパンの議論の続きだ。「ユダヤ人たちは、イエスが『わたしは天から降って来たパンである』と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。『これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、「わたしは天から降って来た」などと言うのか。』」と。主がそういう出自であることは、おそらくこの頃はもう誰もが知っていたのだろう。それはナザレトの人々が主を信じられずに躓いた時の言いぐさにそっくりだ。
 この時のユダヤ人たちも同じものの見方にとらわれていた。多くの人々はパンの奇跡を見たからイエス様を追いかけて来たのに、いざ主がご自分を天から降ったパンだと一番大事なメッセージを言われる否や、ナザレトの人々同様、主を血のつながりや家柄等、人間的レベルの知見でしか評価せず、天からのパンなどであるわけがないと、不信に傾いたのだ。だから、主は彼らをそのとらわれた見方から脱け出させるため、「つぶやき合うのはやめなさい」と言われた。
 続く44、45節は、すでに言われた36節~40節のお言葉をもう一度言い直されたような要約に近い。それは彼らが見せた懐疑的な態度への答えだった。主は父が引き寄せてくださらなければ誰もご自分のもとへ来ることはできない。しかし、父がお与えになった人は皆来ると言われた。それは、あなたがたも私のもとへ来る人になりたくはないのか。いつまでも人間的レベルの知見にしがみついておらず、父なる神の知見を学びなさい、という招きに他ならなかった。
 そして、「父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである」と断言された。この驚くべき啓示は、「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1;18)「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、…人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである」(同1;12,13)という章節と響き合っている。

 命のパンの話に挿入されたこの議論は、彼らの懐疑と不信を駆逐するための鞭だった。それらは命のパンに近づく阻害要因だったからだ。しかし、主には鞭と同時に飴もあった。「信じる者は永遠の命を得ている」という、信じた結果の魅力ある報いがそれだ。天から降ったパンとはまさにその永遠の命を養う糧だったのだ。だからこそ、34節で「わたしが命のパンである」と言われたのと同じ言明を、48節でも「わたしは命のパンである」と繰り返された。それほど大切だったからだ。
 そこで主は、命のパンの神秘を更に開示してこう言われた。「あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが死んでしまった。しかし、これは天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである」と。この命のパンが荒れ野のマンナより比較にならないほど優れていることは明らかだった。このパンを食べる者は飢えないとすでに言われたが、飢えないだけでなく、それを食べる者は死なないのだ。それは実に驚くべき福音だった。
 では、人々は身を乗り出し、またもや「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください!」と願ったかと言うと、今度は違った。「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」と、主が言われたからだ。これは更に踏み込んだ啓示で、人知をはるかに超えていた。だから彼らは理解できず、激しい拒絶反応を示した。「何?この人の肉がパンだと?それを我々に食べろと言うのか?ありえない!そんなのは狂気の沙汰だ!」と。神的啓示は人には狂気だったのだ。

 この主日の章節はその反応直前で終わるが、主はなぜ彼らが拒絶するに違いないと予想された神秘を開示されたのだろうか?この日の議論をパンの奇跡の時と比べて読むと、どうも主はそうなることを百も承知でそうなさったように思える。それはこの日の議論がどこで、どんな人々の群集と行われたかを検証するとわかる。その時、主は彼らの多くが主の言葉を信じないだろうとはわかっていながら、使徒など信じる人たちのためにこの好機を逃さず、神的啓示をなさったのだ。
 場所は、「これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである」(6;59)とある通りだ。私もその会堂遺跡を訪ねたことがあるが、とうていパンを食べた5000人余が入れるような建物ではなかった。おそらくその時の主はそこでお話し中だったのだろう。聴衆は大勢いただろうが、彼らはパンの奇跡の場にいた人々ではなかった。そこへチベリアスから数そうの舟で来た人々と、それに便乗させてもらったパンの奇跡の目撃者たちが入って来たのだと思う。
 そして、パンの奇跡の目撃者たちが「ラビ、いつここにおいでになったのですか」と尋ねたのだろう。しかし、彼らは奇跡のパンを食べた人々の全てではなく、数そうの舟に乗せてもらったのだから、5000人中のほんの一握りだったはずだ。では、どんな人たちだったのだろうか?私の推察に過ぎないが、主を王に担ごうとした者たち、主が真にメシアかどうかに強い関心と懐疑心のあった人たち、主の言動をスパイしようと後をつけていた者たちなどだったのではなかろうか。
 イエス様のお言葉からもそれが窺える。主はパンの奇跡の時は群集を思いやる配慮と慈しみに満ちた言葉で話しておられた。ところがここでは、「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」とそっけない。皮肉っぽく咎めた言い方で、パンの奇跡の時とは違う。それまでの一連の出来事が群衆という呼び方で語られているのに、ここから「ユダヤ人たち」という呼び方に変わるのもパンの奇跡の時とは違う雰囲気を感じさせる。 
 イスラエル人はユダヤ人だけではないのに、ヨハネ福音書ではユダヤ人という呼び方が頻繁に出て来る。そして、それは多くの場合イエス様に反対する抵抗勢力の代名詞として使われている。ここでも議論が始まると間もなくその呼称が使われ出していることは、パンの奇跡と言うしるしを見ても信じるに至らず、命のパンの福音を聞いても受け入れない人々、むしろ頑固に自分たちの殻に閉じこもって、新たな神的啓示の進展を認めない人々との議論だったことがはっきりする。 
 アブラハムは「父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」と言われ、主の言葉に従って旅立った。(創12;1)しかし、ユダヤ人たちは太祖アブラハムのようには信じて旅立たなかった。保守してきた教えと自分たちの知見に固執し、現状から一歩も動こうとはしなかったのだ。主はそれを承知しておられた。それなのに、あえて彼らに人知を超える神的啓示をなさったのは、やがて彼らの中から「信じる者は永遠の命を得ている」と言われる人々が出ることをご存知だったからだろう。
 それは私たちと無縁ではない。命のパンのメッセージは聖体の秘跡で実現した。現代におけるそれへの信行は、かつてユダヤ人たちがその啓示を狂気の沙汰だと拒否したか、それとも神的啓示と信じたかの選択に通じる。天から降った命のパンは、ユダヤ人たちにはつまずき、現代の常識人には愚かな話だろうが、「召された者には、神の力、神の知恵」(一コリ1;24)だ。では、自分はどういう立場を選ぶのか?最終的にはこれが最重要な問題になる。

信仰よりもむしろ信行

 年間第18主日の福音はヨハネ6;24-35、命のパンの箇所だ。ここには群衆がイエス様を追いかける前と、探し当てた後の興味深い描写がある。パンの奇跡があったのは丘の上だったが、主はその後で身を隠してしまわれた。そこで、弟子たちは夕方湖に下り、舟でカファルナウムに向かった。しかし、よくあることだが、この日も湖が荒れて舟はなかなか進めなかった。その時、主が湖上を歩いて来られたので、彼らは恐れたが、主が舟に乗られると間もなく目的地に着いたのだった。
 ところが、群衆は翌日まで同じ場所にいた。なぜだろうか?それは主がまだそこにおられると確信していたからに違いない。もしそうなら、「その翌日、群衆はそこには小舟がいっそうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟には乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気付いた」とあるが、「翌日」という副詞はそれらの事実にではなく、イエス様がいなくなっていた事実にかかっていると言うべきだろう。ヨハネ福音書はその記述がやや舌足らずだったと思える。
 群集が弟子たちだけの出発に気付いたのは、実際は翌日湖岸に来てからではなかったはずだと私は推理する。もし主が弟子たちと一緒だったら、彼らはすぐ後を追っていたに違いないからだ。ところが、追わなかった。なぜか?丘の上からは湖岸がよく見え、彼らには弟子たちだけで出て行くのが丸見えだったからだろう。弟子たちと一緒ではないのなら、イエス様はまだ近くのどこかにおられるはずだ。彼らはそう推理した。だから、翌日までその場にいたのだと考えると納得がいく。
 逆にもし翌朝気付いたというのなら、筋が通らない。見ていなかったのなら、目撃した誰かに聞かない限り、翌日になって主が一緒ではなかったなどとは言えないはずだったからだ。そうではなく、彼らはむしろもう前日から知っていたのだ。しかし、彼らが慌てたのは、主ももうそこにおられないことを知ったことだった。それもそのはず、主は夜になって一人湖上を歩いて去られていた。従って、翌日気付いたのは主の不在のことで、弟子たちのことではなかったと解釈すべきだと思う。
 さて、主がいないと知って彼らが慌てていたところへ、チベリアスから数そうの舟がやってきた。パンの奇跡の噂を聞いたからだろう。だが、主はもうそこにはおられなかったので、そこの群衆も舟に乗せてもらってカファルナウムへ行った。この町はガリラヤにおける主の福音宣教の根拠地だったから、主がおられるのはそこだと推理したのだろう。置きざりにされたからこそ、見つけると「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と彼らは質問した。これには実感がこもっている。 

 しかし、この箇所で重要なのはそういういきさつではない。「永遠の命に至るパン」だ。「これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である」と言われた通り、イエス様が真に人々に与えたかった食物はまさにそれで、5000人に与えたパンではなかったのだ。こちらは「朽ちる食べ物」だった。だから、深い憐れみからお与えにはなったものの、2回しか与えられなかった。ところが、彼らが主を捜したのはその「パンを食べて満腹したから」だった。それが人々のお目当てだったのだ。
 そこで主は「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と、彼らの目を朽ちない食べ物に向けさせようとされた。すると彼らは質問した。「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか?」と。一見これは主の勧めから逸れるように思えるが、実は主の言葉に呼応している。「働きなさい」は原典ではergazesthe(あなたがたは働け)だが、「神の業を行うために」の「行う」は同じ動詞のergazometha(我々が働く)であり、「神の業」の「業」は同根の名詞ergonの複数形だからだ。
 従って、「神の業を行うためには何をしたらよいでしょうか?」と言った彼らの質問は、「では、「神の業を働くためには何をしたらよいでしょうか?」と言い直せる。そこで主はお答えになった。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業だ」と。主の答えでは「業」はergonで単数だ。ところが、人々が言ったergaは複数で、神様が命じた律法の様々な業というニュアンスがある。だからだろうか、ある解説は主がその業(行い)に信仰を対置したと解釈している。
 かつて宗教改革者たちは聖パウロの教えを一面的に解釈して、信仰と業を対立させた。しかし、イエス様が「神の業」を単数のergonで答えられたことは、信仰と業(行い)が対立するものではなく、むしろ逆に一致していることを証ししていると見ていい。なぜなら信じることも一つの行いだからだ。信じること=神の業なのだ。ここでの神の業とは、神様の側ではなく、永遠の命のために働く人間側の行いを指す。してみると、遣わされた者を信じることがそういう行いだということになる。
 信仰と業は対立せず、信じることも一つの行為なのだと理解すれば不毛な論争は決着がつく。それにしても、信仰の「仰」という字はない方がいいと思う。その字を入れると、信が先入観のある特殊な信になってしまうからだ。元々信仰とは主と主のお言葉を信じる普通の行為だ。だから、私は以前から信仰よりもむしろ信行(信じる行為)と言おうと提唱して来た。とにかく、信行についてこれだけは忌憚なく言っておくべきだろう。宗教改革者たちのその理解は未熟だった、と。

 だが、その時の群集はもっと未熟だった。彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。…わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました」と。ところが、主はすでに5000人にパンを食べさせておられた。これ以上のしるしがあっただろうか。それなのに、よくも臆面なくそう言えたものだと呆れさせられるが、彼らは主を試し、ずる賢く唆したのだ。主がモーセに対抗して、またもやパンの奇跡をするかも…と。
 しかしイエス様は、マンナを与えたのはモーセではなく、天の父だとピシャッと彼らの間違いを指摘なさった。彼らの先祖はマンナを食べたが死んだ。だが、父が与える天からのパンは違う。「神のパンは、天から降って来て、世に命をあたえるもの」だと言われたのだ。すると、彼らは言った。「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と。その言い方はサマリアの女(ヨハネ4;15)と似ていて、その願いそのものはよいものだった。だが、彼らの理解は間違っていた。
 そこでイエス様は言明された。「わたしが命のパンである」と。そして、彼らの誤解に気付かせ、そのパンである主がどのような食べ物と飲み物であるかをわからせるために、こう続けて言われた。「わたしのもとに来る者は決して餓えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と。議論はここから次のステップに移るのだが、ここまでで明確になったことは、イエス様が天から降った命のパンであり、永遠の命に至る食べ物であることだ。それは実に重要な言明だった。
 では、神が遣わされた者を信じることが、神の業だと言われたのは何のためだったのだろうか?それは主が命のパンであることを信じさせるための布石だったのだ。いくら主がそういう方であり、永遠の命に至る食物であっても、信行がなければ何も始まらず、人はその恵みに与ることができない。しかし、信じれば決して餓えることも渇くこともない恵みに浴せる。だから、信じることは神の業(ergon)、永遠の命に至るパンを得させる働きなのだ。そこに信行の存在理由がある。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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