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もしそのパンを食べた一人だったら   

 年間第17主日の福音はヨハネ6;1-15、パンの奇跡の箇所だ。4福音書がこれを揃って伝えているのは、初代教会で最も有名かつ重要な奇跡の一つだったからだろう。事実、それはイエス様の神的力、慈しみ、聖体の秘跡を証しする意味深甚な奇跡だ。しかし、正攻法ではもう何度も取り上げたので、今回はもし仮に自分がそのパンを食べた群集の一人だったらという視点で、搦め手から考察してみようと思う。そうすれば、多くの人にわかったこととわからなかったことが明らかになると思うからだ。 

 それはすごい大群集で、私もその中にいた。人々の中には、イエス様が病人たちを奇跡的に治すのを直接に見てついて来ていた人々、神の国の話に感動して従って来た者たち、使徒たちが福音宣教中に行ったことを見て、その師ならどれほどすごいだろうかと思って確かめに来た者たちなど、様々な動機で、いたる所から集まった人々がいた。私もこの方がなさる業を見て、ひそかにこれぞ間違いなくメシアだと思っていたが、この日は近くに来られると聞いたのでそこへ行った。
 それは草のある小高い丘だった。イエス様は弟子たちと共に座って教えておられた。私は行くのが少し遅かったので近くには行けず、かなり遠くからしか主を見ることができなかった。だから、主の動作は見えても、声はよく聞き取れなかった。でも、話はわかった。なぜなら、主は少し話すと休止を入れ、その間に前の方の人たちが聞いた話を後ろの人たちへと順々に伝えたからだ。こうして主の話は波紋のように群集の全部に伝わり、一段落するとまた新しい話が始まったのだ。
 話しが長かったので、私は途中で尿意を催した。情けないが、そうなるともうお話どころではない。空腹は我慢できても、大小便は我慢できない。ところがそんな大群集だったのに、そこにはトイレも物陰もなかった。困った。私は群集から抜け出して草地の端で用を足したが、辺りには先客がそこかしこに大便をしていて、うっかりすると踏みそうだった。悪臭もした。女性はいったいどうするのだろうかと横目で遠くを見たら、数人が一緒に来て、一人が用を足す間みんなが周りを囲んで見えなくし、交互に済ませていた。群集と行動するのは、トイレ一つ取っても難儀なことだった。

 私が元の場所に戻ると、主は神の国のことを話しておられた。「貧しい人々は幸いである。神の国はあなた方のものである。今飢えている人々は幸いである。あなた方は満たされる」(ルカ6;20,21)と言われた。そして、何を思われたのか、その後お弟子さんたちと何やら話し合っておられた。やがて主の命を受けたらしく、彼らは群集の中に分け入ると、私たちを100人か50人単位(マルコ6;40)に組分けして座らせた。50人組は女性たちだった。子供連れもいたからだろう。
 さて、何をなさるのだろうかと思ったら、イエス様はパンを捧げて感謝の祈りをなさった。それは動作だから遠くからも見えてわかった。すると、使徒や他の弟子たち数十人はその裂いたパンの一切れを主から受け取り、組分けした人々の一組に一人ずつ行ってパンを配り始めた。魚もついていた。私がいたグループにも一人の弟子が来てそれらを配った。ところが、驚いたことに何とそれらが全然減らず、いくら配ってもお弟子さんの手の中に残っていたのだ!これには驚嘆した。
 その日は、弟子たちもそうだったらしいが、私たちは食事がまだで腹ぺこだった。まさに「今飢えている人々」だったのだ。だから、そのパンに驚愕したと同時に大感激でいただいた。水はたいていの人が革袋に持っていた。日差しの強いここでは遠出の時はそれが常識なのだ。私は満腹した後、感謝もせずにがつがつ食べたことを恥じた。そして、これがイエス様のおかげだったことは間違いないと推察したが、どうしてこんな途方もない不思議が起こったのかはよくわからなかった。
 その時、前の方で誰かが叫んだ。「このナザレトのイエス様こそ我々が待ち望んだ預言者、民を救うメシアだ!この方を我々の王としようではないか!」と。すると、「そうだ、そうだ、我々の王だ。ユダヤ人の王、万歳!」と叫び出す者もいて騒然となった。私もこの方をメシアだと思っていたが、そのようなやり方には違和感があったので静観していた。すると、群集が主を連れ出そうと動き出したのだ。しかし、主は人々をすり抜け、どこかに立ち去られた。それは後味の悪い結末だった。

 後に私はキリスト者となった。そして、主の傍でこの日の一部始終を目撃した使徒から、私が知らなかった会話と事実を聞いた。主の説教の後、弟子たちは主に、「人々を解散させてください。そうすれば自分で周りの里や村へ、何か食べ物を買いに行くでしょう」と言ったのだそうだ。ところが主は「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と答えられた。そこで彼らは、「わたしたちが200デナリオンものパンを買ってきて、食べさせるのですか」(マルコ6;35-37)と不満げに反問した。
 もっとも、これは財布を預かっていたイスカイオテのユダが大きな声を出したのかも知れない。すると、イエス様は使徒フィリポに、「この人たちを食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と尋ねられたそうだ。彼が率直な男だったからだろうが、実は、主は何をするかもう心に決めておられたのに、彼を試してそう言われたのだった。彼らも後でそのことを知ったそうだ。彼は「主よ、200デナリオン分のパンでは、一人当たりちょっぴり食べることすらできませんよ」と答えた。
 その時、使徒アンドレが、「ここに大麦のパン5つと魚2匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では何の役にもたちませんね」と言った。その少年はパンを売りに来ていたらしい。だが、彼は気前よくそれを主に差し出した。すると、主はパンを取り、感謝の祈りを唱えて、弟子たちに裂いて渡した。パン切れは主の手から彼らに渡される時に増え、人々に与えられる時にも増えて、誰もが満腹するまで食べることができた。私も食べたので、それは知っている。
 しかし、その後のことは後で使徒たちから聞いて知った。皆が食べた後、主は弟子たちに「少しも無駄にならないよう、残ったパンの屑を集めなさい」と言われたそうだ。集めるとそれは12使徒と同数の12籠いっぱいになった。籠は持っていた婦人たちが出してくれたものだった。ところで、主が群集から身を隠された後、弟子たちはその残りのパンで食事をしたそうだ。奉仕に忙しくて自分たちは食べる暇もなかったからだ。そして、余りは後で村の貧者や病人に分配したそうだ。これは後の聖体を象徴している。だから、主は「少しも無駄にならないよう」にと言われたのだと思う。
 それはユダヤ人の過越祭が近づいていた時だった。主がパンの奇跡をなさったのはもちろん飢えた人々を深く憐れまれたからではあったが、それには新約の過越しの制定を見据えたもっと深い動機もあった。その翌日、人々と交わした議論を見ればそれは確かだと思う。この奇跡は最後の晩餐でご自分の体をパンとして与え、ご自分が過越しの小羊となられることを見越しての偉大なしるし、前ぶれでもあった。主が神の独り子であったからこそ、その不思議は可能だったのだ。
 では、群集が主を王にしようとしたとき、主が身を隠されたのは王であることを否定なさったのだろうか?いや、そうではない。まだその時が来ておらず、主は群集が望んでいたような王でもなかったから、彼らの要望を拒否なさったのだ。しかし、やがて「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる。ロバの子に乗って」(ヨハネ12;15)と歓迎される時が来る。主イエス様はまことに約束のメシアだからだ。パンの奇跡はそれを強烈なインパクトをもって証ししたしるしだった。
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パンの奇跡の少し前

 年間第16主日の福音はマルコ6;30-34で、パンの奇跡の少し前のことだ。「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。」 彼らは派遣先から戻って来たのだが、「集まって来て」とあるから、ばらばらではなく、予定日に帰着したのだろう。「残らず報告した」という表現には、福音宣教実習が成功裏に終わったという肯定的な響きがある。彼らは悪霊を追い出し病人を癒したばかりか、言葉で教えることもできた。立派に働けたのだ。
 「そうか。よくやった!」とは書かれていないが、イエス様はおそらくそう褒めてから、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」とねぎらわれたのではなかろうか。そこには主の気配りが窺える。彼らにとって、そのねぎらいの言葉は何よりの褒美だっただろう。しかし、たとえ褒め言葉がなかったとしても、彼らには充実感があったに違いない。不安を感じながら出かけた宣教だったのにやり遂げた。その成功体験が大きな自信になっていたはずからだ。 
 主が「人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われたのは、「出入りする人が多くて、食事する暇もなかったから」だった。人の出入りが絶えなかったのは、じっくりと主の話を聞くためよりは、多くが病気を癒してもらいたくて来ていた人々だったからだろう。その応対はきりがなかった。だから、主は派遣から帰ったばかりの使徒たちだけは別の所で少し休ませ、食事もとれるように配慮なさったのだ。ここには働きと休息、そして気配りやねぎらい等のさりげない教えがある。
 しかし、使徒たちがいなくなったら、残されたイエス様はこの時どうするつもりだったのだろうか?まだ他の弟子たちがいるにはいただろうが、主は食事も抜きで病人たちに対応しておられた。12使徒たちは働いて帰って来たが、主はそれ以上に働き詰めに働いておられたのだ。とは言え、人には休息も必要なことを主はよくご存知だった。だから、まず使徒たちを休みに行かせた。そして、その後ご自分も頃合いを見て治癒をきりあげ、彼らに合流するつもりだったことがわかる。 

 「そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。」群集の動きをこのように興味深く伝えたのはマルコの福音書だけだ。それは人々の視線や行動を実に生き生きと描いている。群衆は使徒たちの言動にそれとなく注意していた。だから、幹部の使徒たちが舟に乗ったのを見て、「先生も間もなく動かれるぞ」と察知したのだろう。
 イエス様は、自分が残っていれば、群集は使徒たちの出発には気付くまい。その間に彼らを去らせようと、人々の目をご自分に引き付けておきたかったのではあるまいか。だが、群集は主の簡単なおとり作戦にはひっかからなかった。そして、使徒たちの行く先を推理し、陸路で先回りをした。主の一行に振り切られまいと、彼らも必死だったのだ。その一生懸命さはすごい。マルコはその場所を特定していないが、ルカによればそれはガリラヤ湖畔北岸のベトサイダの町だった。 
 私は人々が「すべての町からそこへ一斉に駆けつけた」現象を、使徒たちの福音宣教がもたらした効果の一つだったのではないかと見る。なぜなら、故郷ナザレトから大群衆が従った形跡はないのに、使徒たちが宣教から戻るやいなや人の行き来が増え、大忙しになったからだ。おそらく使徒たちについて来た人たちが大勢いたのではあるまいか。パンの奇跡があるのはこの後だが、男だけでも5000人だったという大群衆は、そうとでも考えないと十分には説明がつかない。

 さて、主は使徒たちとは別の舟で来られたが、そこにはもう大群集がいた。そこで「イエスは舟から上がり、大勢の群集を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」休もうと思ったのに当てが外れたら、普通の人なら不機嫌になる。しかし、主は違った。「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ」、教え始められた。疲れ切っておられただろうに、何と休みは返上、食事もお預けで、再び働き出されたのだ。これには深い感銘を覚える。 
 ちなみに、「いろいろと教え始められた」の「いろいろ」は原典ではpollaで、多くの訳はそれをmulta, many things, muchas cosas, debariim rabiim等、「いろいろ」とか「多くのことを」とかの意味に訳している。しかし、longuement, lange等、「長時間」の意味にとった訳もなくはない。例えば、仏訳La Bible de Jerusalem, ドイツ聖書協会訳Die Bibel、バルバロ訳等がそうだ。確かにギリシャ語のpolusにはその意味もある。それに続く35節が、「時もだいぶたったので」とパンの奇跡に移る文脈を見ると、この解釈の方がむしろ筋が通っているような気がしないでもない。
 いずれにせよ、この時の主は教えることに重点を置かれたようだ。おそらく病人が少なく、健康な人が多かったからだろう。主も使徒たちも舟で移動し、人々はその後を追った。しかし、病人たちにはそれは無理だっただろう。その結果、この時の群集は元気な人々が多かったはずだ。また、使徒たちから聞いた神の国の話を、イエス様から直接に聞きたくて来た者も少なからずいたに違いない。だから、主は間もなくパンの奇跡で養う前に、まずみ言葉で彼らを養われたのだ。
 ところで、ここには「深く憐れみ」という心に留めたい一句がある。原典はesplangknisthe(エスプランクニステ)だ。それは動詞splangknizomaiの過去形で、名詞splangknon(内臓の意味)から造られた新約聖書独特のギリシャ語だと言われる。従って、意味は「腹の底から突き上げてくる思いで憐れむ」ことだ。それはナインの寡婦(ルカ7;13)、善きサマリア人の喩え(同10;33)、らい病人治癒(マルコ1;41)等でも使われ、主の人間的な深い慈愛を表す重要な表現だ。
 大群集が飼い主のいない羊のようだった有様を、第二朗読のエレミヤ23;1-6はすでに預言で描いている。イスラエルの指導者たちは神の羊の群れだった民を顧みなかった。だから、神は彼らを罰してその任から外し、別の牧者たちを起こすと言われた。この日、主の眼前にいたのはまさにそのような群集であり、その新しい牧者中の牧者こそ主だった。だから、腹の底からの深い憐みをもって憐れみ、疲れていても長時間教えられたのだ。ここに良い真の牧者の真骨頂がある。
 人はこの箇所のまとめとして、働きかつ仕える心、ねぎらいと気配り、憐れみ等を学べるだろう。実際、教会にも横暴で、そういう資質を欠く教導者が稀にいる。そんな人を知るとつい、少しは主を見倣えばいいのにと思ってしまう。だが、今回私が注目したのはそういう人でも教えでもない。パンの奇跡の少し前、主の後を追い、主に耳を傾けた人々の存在だ。彼らに倣い、私も本気で主について行く現代の群集の一人であり続けよう。この福音で私が見つけたのは、自分のそういうあり方だ。

百見は一体験にしかず

 年間第15主日福音書マルコ6;7-13は、12弟子が福音宣教に派遣されたことを伝えている。玉川学園創立者小原國芳先生はよく、「百聞は一見にしかず、百見は一体験にしかず」と教えたが、イエス様が使徒たちを町々村々に派遣なさったのは、彼らに体験をさせるためだったと見てよいと思う。では何の体験かと言うと、福音宣教で成功し抵抗を受ける体験だった。それまでの彼らは師の話を聞いたり行動を見たりするだけだったが、ここに来て彼ら自ら主に倣って福音を告げ、悪霊を追い出し、病人を癒す実習に踏み出したということだ。「百見は一体験にしかず」だったからだ。
 しかし、その派遣のタイミングが故郷の人々の不信仰の後だったのは、何か関係があったのだろうか?然り、あったと思う。主の故郷訪問の時期については、共観3福音書はまちまちだが、確実に一致している点がある。主の福音宣教は当初は順風満帆だったのに、間もなく批判や拒絶に遭遇し始めた。抵抗の動きはまず権力者や学者たちからだったが、やがて民衆からも出て来た。そして、その最初のケースこそナザレトの人々の不信仰だった。その点で一致しているのだ。  
 それは苦い現実だったが、想定されてもいた。「そのなさったしるしを見て、多くの人々がイエスの名を信じた。しかし、イエスご自身は彼らを信用されなかった。…イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられた」(ヨハネ2;24,25)からだ。故郷の人々の不信仰はそういう想定が現実になったことだった。そして、福音宣教に転機をもたらした。私はそう推理する。なぜなら、主はかねてから、いずれ弟子たちに福音宣教の成功も失敗も体験させ、師なき後のため布石を打っておく必要を感じておられたに違いないが、その事態はまさにそのタイミングの到来を意味したからだ。

 マルコ6;7-13にはそれがはっきり読み取れる。主はまず彼らに「汚れた霊に対する権能」を授けられた。預言者のように話す能力も与えたとは書かれてないが、神様が一介の牧者だったアモスをイスラエル王国に遣わしたように、イエス様は漁師等庶民に過ぎなかった使徒たちを人々に遣わした。実際、「十二人は出て行って、悔い改めさせるために宣教した」とあるから、話す権能もお与えになったと考えていいだろう。それらは福音宣教に欠かせない聖霊の賜物だからだ。
 ところが、そういう権能をもって福音をもたらしても、拒否する人々は必ずいる。むしろ多い。使徒たちは甘くないその現実に直面したに違いなかった。主に従いながら、彼らもいろいろな人を見て来たから、ある程度は覚悟していただろう。しかし、主は彼らが反対者もいる所に行くのだということをしっかり自覚するよう、「あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出て行くとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を落としなさい」と言われた。
 耳を傾けてもらえないのなら、福音宣教は失敗だと言えよう。失敗は失敗で反省が要る。しかし、主は彼らが失敗体験で落ち込まないようにと、受け入れないのは受け入れない方に責め咎の大半があることをほのめかし、「彼らへの証しとして足の裏の埃を落としなさい」と励まして言われた。そこにはナザレトでの苦い記憶もあっただろう。実際、故郷の人々が主を見くびったように、行く先々の人々が身分の高くなかった使徒たちを見下すことは、大いにあり得たからだ。
 昔、ユダヤ人は異邦人の土地は汚れていると考え、そこを出る時は足の裏の埃を払った。だから主のお言葉は、福音を拒む人々を不信仰な異邦人同様に見なしなさいという意味だった。マルコが「ただ履物は履くように」と書いたのは、払い落すべき埃で足を汚さないことと関係があるのかも知れない。使徒言行録13;51はパウロとバルナバがピシディア州のアンティオキアで、2人を追放したユダヤ人に対し「足の塵を払い落とし」と書いている。それは決別の動作表現だったのだ。 
 イエス様は身に着ける物を極力減らし、行く先でどう行動するかの指針も授けられた。それは人間的な力量や物ではなく、神与の権能と人々の善意に信頼を置き、無欲で福音を伝えることに専念できるためだった。「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」とある。 どうやら弟子たちは立派に使命を果たしたらしい。「油を塗って病人をいやし」とあるのは、病人の秘跡の原型だったように思える。 

 しかし、現代の私たちがこんな昔の、それも12使徒の特殊な体験実習から、何か学び取ることがあるのだろうか?宣教師ではない人たちにはあまりないと思われるが、少なくとも2つは学べるのではなかろうか。一つは「足の埃を払いなさい」という厳しいお言葉だ。それに照らすと、私たちは自分の信仰姿勢がいい加減でないかどうかを検証できる。現代は主の福音と相容れない思想や風潮に満ちているが、自分はそういうものと妥協せず、明確な信仰を堅持しているか?と。
 もう一つは使徒たちが病人を癒した実践だ。普通の人は福音宣教をしたり、悪霊を追い出したりはできないが、病人を癒すことならできる。治療や看護ではなく、病人を見舞い、慰め、励ます。そういう癒しだ。使徒たちも初めは見聞きするだけだったが、私たちも主による病人治癒の話は何回も聞き、病人を助ける人々の善行も数多く目にする。しかし、それだけでは「知ったり感動したりする」次元に過ぎない。病人治癒の百聞と百見も、実行があってこそ活かされて天の宝となる。

人々はイエスにつまずいた

 年間第14主日の福音はマルコ6;1-6だ。それはイエス様がご自分の故郷ナザレトに立ち寄り、安息日に会堂で教えた時のことを伝える。主の名声はすでにガリラヤ一帯に広まっていたから、おそらく会堂長が招いたのだろう。マルコは教えの内容については何も語らないが、それが驚嘆すべきものだったことは人々が見せた反応でわかる。彼らは驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か」と。
 その驚きは、初めは純粋だったに違いない。しかし、すぐに変質した。彼らは驚嘆して神様を賛美し、イエス様を信じる方向に行くのではなく、その知恵と力の出どころを卑近な常識で詮索し始めたからだ。「この人は大工ではないか。マリアの息子で、彼の幼少期も兄弟姉妹も我々はよく知っている。それなのにどうしてこんなことができるようになったのか?我々と同等の者なのになぜだ?」と、その驚きは妬みと懐疑に変質して行った。そして、その結末は不信と拒絶だった。
 これは主が福音宣教で初めて経験した民衆からの抵抗と不信だった。確かにそれまでもファリサイ派の人々の非難や嫌がらせはあった。だが、一般民衆は喜んで主に耳を傾け、主の後を追っていた。福音宣教はほぼ順風満帆だった。ただし、身内の人たちが主を取り押さえに来た(マルコ3;21)気になる事件はすでにあった。そして、福音書の中で最も不愉快なこの日の出来事が起こった。まことに「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけ」だったのだ。
 ところで、このマルコ6;1-6については4年前、聖書反芻シリーズの「去りゆく後姿」で十分考察したので、差し当たって新たに取り上げるべきテーマはない。そこで、今回はナザレトの人々がイエス様につまずいた問題だけを再検証してみようと思う。

 「このように、人々はイエスにつまずいた。」これは新共同訳だが、他の日本語訳聖書もみな「つまずく」という言葉で訳している。しかし、「つまずく」という表現は比喩だ。わかりやすいが、同時に曖昧さもある。そして、わかり易いがゆえにかえって真相の上を素通りさせ、私たちを安易にわかったつもりにさせてしまいかねない弱点がある。
 さらに言えば、躓きには躓く者と躓かせる者や物があるが、「つまずく」という日本語には、つまずく側には過ちや失敗があるだけで、悪意や責任があるとはあまり認めず、罪咎はむしろ躓かせる側にあるような語感がある。もっともこれは私の感じ方だが、もしそれが正しいとしたら、ナザレトの人々がイエス様につまずいたケースはどうなるだろうか?躓きの元は主にあったとまでは言わないにしても、彼らに悪意や責任はあまりなかったという受け止め方にならないだろうか? 
 しかし、それではこの出来事の真相は理解できない。ではそれはどのように解釈したらいいのであろうか?「人々はつまずいた」はギリシャ語原典では“eskandalizonto”だ。動詞の能動態skandalizoは「罠をかける、障害物を置く、躓かせる」の意味だが、eskandalizontoはその中間態(仏語等の再帰動詞に等しい)の不完了過去、三人称複数だから、「不快になる、憤慨する」の意味で、「躓く」のはその結果なのだ。つまずくという意味が複雑なことはこれだけでもわかる。 
 新ブルガタ・ラテン語訳は“scandalizabantur”、スペイン語訳は“se escandalizaban”となっていて、ギリシャ語の表現をそのまま受け継いでいる。しかし、仏、英、独訳などはその複雑な意味を重く受け止めたからだと思うが、例えば仏語ではse scandaliser、英語ではscandalizeという同系の語彙があるにもかかわらず、違う言葉を使って「人々は彼につまずいた」を訳している。それを見てみよう。
 La Bible de Jerusalem仏訳は “Et ils se choquaient sur son compte.”だ。日本語では、「そこで、彼らは彼のことで不快になった」、または「彼に怒りを覚えた」とでもなるだろうか。
 The Bible RSVersion英訳は“And they took offence at him.”と訳している。日本語には、「そして、彼らは彼を腹立たしく思った」、または「彼に反発した」とでも訳したらいいだろうか。
 ちなみに、Die Bibel独聖書協会訳は“Darum wollten sie nichts von ihm wissen.”と訳している。和訳すれば「だから、彼らは彼から知ろうとは望まなかった」とでもなるだろうか。
 これらの訳はそれぞれニュアンスが違う。しかし、それらのキーワードになっている不快、立腹、反感、拒否などは、いずれも否定的な反応という点で共通している。それが結果的にイエス様を受け入れる妨げとなり、主の教えを信じることへの抵抗と懐疑、不信仰につながった。そういうすべての要素が「つまずき」という事態の中身なのだ。つまり、人々がイエス様につまずいたとは、彼らが不快、立腹、反感などから、主と主の教えを拒絶したことに他ならなかった。

 だから、主も「人々の不信仰に驚かれた」のだ。ただし、それは驚き呆れる意味の驚きだった。では、彼らはなぜそんな驚き呆れられる反応をし、信じられなかったのだろうか?それは故郷ナザレトの人々がなまじイエス様を知っていたからではあるまいか。彼らは主が以前は何を生業としていたか、父母や家族が誰か等よく知っていた。つまり主のことを知り尽くしていると思い込んでいたのだ。ところが、故郷に戻って来たイエス様は自分達が知っていたイエスとは違っていた。
 彼らは自分たちの知識と経験で見えることしか見なかったから、主の中にあった父なる神の見えない「恵みと真理」(ヨハネ1;14)がわからなかった。故郷で大工をしていた時も主には神性があったので、彼らは本当には主を知らずにいたのだ。それなのに、よく知っていると思い込み、主を自分たちと何ら変わらないガリラヤ人だと見ていた。だから、主の驚嘆すべき教えや奇跡の事実を前にしても、「そんなばかな。ありえないことだ」と、受け入れることができなかったのだろう。
 彼らは自分たちの思い込みに固執した。だから、すばらしい教えをもたらされたイエス様を面白く思わず、感銘を受けて素直に信じるよりも、おそらく妬みも混じって、彼らの感情は次第に驚きから反感へと変ったのだ。マルコは語らないが、ルカは彼らがイエス様の答えに激高し、主を殺そうとする暴挙に出たことを伝えている。せっかく故郷に来られたのに、そんな彼らの不信仰ゆえに、主はわずかの病人を癒された以外は奇跡ができず、立ち去られた。それが主の後姿だった。
 彼らはつまずいて、天恵をいただける機会を逸した。「つまずきは避けられない。ただ、それをもたらす者は不幸である。」(ルカ17;1)しかし、この時つまずきをもたらしたのはイエス様ではなく、彼ら自身だった。「自分たちの知っているイエス」という思い込みで自分たちの前を塞ぎ、神様が送ってくださったままの主と福音から目を背け、受け入れ損なったのだ。では、人は彼らを裁けるだろうか?いや、それは今もありうる。聖書においても温故知新。もって己の戒めとしたい。

親の悲嘆

 「タリタ、クミ」という言葉から、ある親の悲嘆を思い出した。今年の春ごろだった。ある日曜日、町田教会のミサで聖書第一朗読をしたご婦人が朗読前に、「皆様、娘のために祈ってください」と言うような意味のことを会衆に頼んだ。あまり例のないことだったから少々驚いたのだが、近ごろ耳が遠くなった私は肝心な点が聞き取れなかった。ところが、ミサ後にウエルカム・テーブルにいたら、たまたま彼女とご主人が隣に座った。そこで、私は思い切ってわけを尋ねてみた。
 Hさんという方だったが、まず彼女が話してくれた。30歳だった彼女の一人娘が昨年の12月、クモ膜下出血で突然倒れ、20日間意識のないままでいて、そのまま死去してしまったのだそうだ。するとご主人が後を受けて言った。「それで家内は打ちひしがれてしまい、なかなかそれが受け入れられず、未だに娘を忘れられないで苦しんでいるんです」と。娘さんの死は両親に愛する者の喪失という計り知れない悲嘆を残した。死は死者ではなく、残された者たちを苦しめるのだ。
 朝日新聞2012年6月23日朝刊社会面には、「中田さんの志 忘れません。両陛下 遺族励まし19年」という記事があった。19年前、カンボジアで国連ボランティアとして活動中、武装集団に殺害された中田厚仁さんのことだ。その記事に、当時を振り返る父親武仁さん(74)の言葉があった。「親が子を失う。筆舌に尽くしがたい悲しみでした」と。ここにも親の悲嘆がある。マルコの福音書が語るヤイロも、「お嬢さんは亡くなりました」と知らされた時、どんな思いだっただろうか。

 これらの事例から、私は今までは考えもしなかった一つの悲嘆があったことに気付いた。アダムとエバの慟哭だ。この2人が歴史的に実在した人物か、それとも人類の始めを象徴する伝説の存在に過ぎないのか、この際その議論は横に置いて、2人をごく素朴に人類最初の人間と見なすとき、私たちは彼らが楽園を追われた不幸に加えて、子を失う親の嘆きをも味わったことに気付くのだ。それは原罪に対して、原悲嘆とも言えるものだった。
 創世記はそれには触れないが、兄弟殺しの物語を伝えている。しかし、兄弟殺しがあったのなら、当然両親が嘆き悲しんだことも容易に想像できる。楽園から放逐されたアダムとエバには長男カインと弟アベルが生まれた。子を得て幸せでなかったわけがない。両親は溢れる愛情を注いで育てたことだろう。長じると、やがてカインは農夫となり、アベルは羊飼いになった。ところが、主なる神に持って行ったそれぞれの献げ物が原因で、不幸にも2人の間に悲劇が起こったのだ。
 創世記は「主はアベルの献げ物に目を留められたが、カインの献げ物には目を留められなかった」と語る。それはイスラエル民族の考えを反映しているようだ。カインは父アダム同様、「呪われるものとなった」(創3;17)土を耕す農夫となったが、呪われた地の産物を神が喜ぶわけがない。ところが、遊牧民だったアブラハムを先祖とし、神殿で犠牲の家畜を焼く芳しい匂いを神も喜ぶと信じていたイスラエル人は、「羊の献げ物は農産物に優る。だから嘉納された」と評価したのだろう。 
 その解釈の是非はさておき、神が自分の献げ物を無視したことに激しい怒りを覚えたカインは、弟アベルを野原で殺害してしまった。人間殺しの原型だから、これを第二の原罪と言う人もいるが、ここで注目したいのはむしろ2人の両親だ。普通この物語を読む人はカインと神様とのやりとりの方に気を取られ、2人に両親がいたことをつい忘れてしまいがちだ。少なくとも今までの私はそうだった。何と想像力を欠いていたことか!しかし、殺した兄と殺された弟とには親がいたのだ。
 その衝撃的出来事を知ったとき、いったいアダムとエバはそれをどう受け止めたのだろうか?聖書はそれを語らない。しかし、それが想像を絶する慟哭と苦悩だったことは間違いない。病気で子を失うことさえ耐え難い悲嘆なのに、一人の息子を失った原因がもう一人の息子による殺害とあったとは、狂気に陥らんばかり嘆くしかなかっただろう。両親にとって2人とも愛する息子だったのに、殺された弟はもちろん、殺した兄もある意味で失なわれた子になってしまったからだ。
 アダムとエバは歴史上の個人ではなく、人類の象徴的存在に過ぎないから、彼らにそういう悲嘆があったとするのは間違いだと批判する人もいるだろう。しかし、逆に彼らがそう言う存在であったのなら、むしろそれは人類の普遍的な嘆きと苦悩であるとも言える。娘が死んだ時のヤイロ夫婦、急死した娘を忘れられないH夫妻、筆舌に尽くしがたい悲しみを味わった中田さんの両親等、わが子を失ったすべての親の慟哭は、その普遍性につながる個々のケースに他ならないのだ。
 しかし、子を失った親の中で、十字架の下にたたずまれた聖母マリア様ほど深甚に悲嘆を味わわれた方はいない。それは嘆きの極みだった。そして、十字架は原初にあった兄弟殺しの再現でもあった。ユダヤ人学者ベン・シャロームは「兄弟イエス」という本を書いたが、カインがアベルを殺したように、ユダヤ人たちは「兄弟イエス」を十字架に掛けて殺したのだった。しかし、その死こそはアダムの罪だけでなく、カインの罪をも償って余りある愛の献げ物となったのだった。

 イエス様はヤイロの娘とナインの寡婦の一人息子を死から生き返らせ、ベタニアのラザロをも復活させて、人類の悲嘆に答えを与えてくださった。それは、3人がいつまでも地上で生きるためではなかった。そうではなく、主の復活にあやかって誰もが神の国で復活し、そこで生きることを人々に悟らせるためであった。もしも地上でいつまでも生きるためだったなら、主はその3人を2度と死なないようにし、他の死者をも彼らのように蘇らせ、人類の嘆きを解消してくださったはずだ。
 しかし、そうはなさらなかった。主は今もすべての人が死ぬのをそのままになさる。生き返ったかの3人もやがて死ぬままになされた。それは人類に対する神様のご計画が地上における永生ではなく、神の国で永遠に生きることにあるからだ。救いの業はそのためだった。主が3人を死から生き返る奇跡をなさったのは、その計画を成就する権能と力が主にあることを私たちに確信させ、信じた者が世の終わりに復活できることの前兆を味見させ、その証明となさるためだったのだ。
 繰り返す。子を失った親の悲嘆に対する主の真の答えは、死んだ子を地上で生き返らせることではなく、神の国で甦らせ、永遠の命に与らせることにあった。今もそうだ。だからこそ主は十字架上で死に、3日目に復活なさった。子を失った親たちの真の希望と慰めはそこにある。そして、悲しみ嘆く親たちに寄り添い、誰よりも彼らを励ましてくださるのは悲嘆の極みに耐えられた聖母マリア様だ。そんな方だからこそ、聖母が共にいてくだされば、人は悲嘆を乗り越えられる。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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