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新しい初穂の収穫祭

 約2000年前のエルサレムにタイムスリップし、シャブオートの祭り(七週祭または五旬祭)の朝、大風のような物音に驚いて、その家に集まって来た群集の一人になったつもりで、使徒言行録2;1-11の記録をよりどころに、この日何が起こったかをしばし観察し、その意味を探ってみる。
 五旬祭とは、ギリシャ語ではペンテコステ、ヘブライ語ではShabuotと呼ばれ、ユダヤ人たちにとってはシナイ山で律法を授かった大事な記念の祭日であり、「あなたは、小麦の収穫の時に、七週祭を祝いなさい」(出エジプト記34:22)と命じられた初穂の収穫祭でもあった。だから、エルサレムには諸国からのユダヤ人巡礼も大勢来ていた。ご昇天後、使徒たちも主のご命令を守って都に留まっていた。ユダの代わりにマティアスが使徒に選ばれたので、彼らは12人になっていた。
 一同が一つになって集まっていたのは例の「泊まっていた上の部屋」(徒1;13)だったと思われる。一同とは使徒を中心とした、「婦人たちやイエスの母、またイエスの兄弟たち」(同1;14)だっただろう。五旬祭の朝、彼らが熱心に祈っていた時だと思う、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」(徒2;2)その大きな音響は彼らにだけではなく、都にいた人たち大勢にも聞こえた。そこで、「何だ、何だ?」と、人々が集まったのだった。
 
 その時エルサレムには、元々いた住民の他に国内の各地からやって来たユダヤ人たちや、諸外国から巡礼に来ていたユダヤ人たちもいた。使徒言行録2;5はこの人たちが「住んでいた」と書いているが、長期間の巡礼者だからそう書いたのではなかろうか。あるいは外国生まれのギリシャ語を話す永住ユダヤ人、つまり後に聖ステファノスを殉教させるヘレニストたちも含まれていたからかも知れない。とにかく、集まって来た人々は、出身地が違ういろいろ人々だった。
 彼らは家の中で何が起こっていたかは知らなかったが、使徒たちが話す言葉を聞いて驚かされた。「だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった」のだ。そこで「人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、みなガリラヤ人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれ故郷の言葉を聞くのだろうか。…いったいこれはどういうことなのか』と互いに言い合った」(徒2;6-12)のだった。
 『話をしているこの人たちは、みなガリラヤ人ではないか』の一節と、それに続く諸国名等は人々が実際に話したことではないと思われる。初めて使徒たちを見たばかりの群集に彼らの出身地がわかったわけがないし、またお互いを知らない群集がこんなに多くの国名地名を話し合えたはずもないからだ。これは使徒の出身地もその時の群集の生国の多様さをも後で知った福音史家が、驚いていた人々の会話を通して言わせたその時の状況説明だ、と解釈する方が妥当だと思う。

 確かなことは、時ならぬ突風のような大音響にびっくりして人々が集まり、集まった先の家で話していた使徒たちの話が人々それぞれの故郷の言葉に聞こえたということだ。しかし、その驚きはまだ序の口だった。その日どれほど驚嘆すべきことが起こっていたのか、群集にはその全貌を窺い知る由もなかったが、家の中では実は大いなる神の御業が行われていたのだ。人々は間もなくそれを使徒ペトロの説教で知るが、その前に突風のような音は一同がいた家の中にも響いていた。
 「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」(徒2;3-4) のだ。聖霊が目に見え耳に聞こえるしるしを伴って一同の上に降られた。ギリシャ語で聖霊の霊(プネウマ)は「風、息」を意味している。風は聖霊の象徴だ。この日の福音ヨハネ15;26-27、16;12-15は、イエス様が聖霊の派遣を約束された章節だが、聖霊降臨はまさにその約束の劇的な実現だったのだ。
 聖霊は霊だから目に見えず耳にも聞こえない。その降臨がはっきり人に認識されるには、しるしが必要だった。だから、まず耳に聞こえる突風のような音を伴って来られたのだ。では、聖霊はこの時そこにいた一同全員に降られたのだろうか?然りと肯定してよいと思う。なぜなら、使徒言行録10章にもコルネリウスと共にいた一同の上に降られた例があるが、ましてや聖霊降臨のこの日に使徒たちと共にいたのは、聖母やガリラヤから主に従って来た人たちだったからだ。
 しるしはもう一つあった。分かれ分かれに現れて、一人一人の上にとどまった炎のような舌だ。これは使徒たちの上にだけ現れたのではないかと私は推察する。なぜなら、舌は福音を宣べ伝える能力の象徴であり、炎のような形容はその使命を果たす心の熱さを象徴していて、それは使徒の本分だからだ。私はどちらかと言えば、プネウマ(風、息、霊)の方が普遍的な表現または象徴で、グロッサ(glossa:舌、言語、異言)は使徒職に関係がある特殊な象徴ではないかと思う。
 もしこの解釈でいいとすれば、聖霊はご自身が来られたことがわかるように、風のような音と炎のような舌のしるしを伴って、使徒たちを中心とした一同に降臨なさった。そして、それは音によって外部の人にもわかり、群集を引き寄せ、使徒たちの話す不思議な言葉によって、群集にもただならぬことが起こったことをわからせたのだった。使徒たちが話していた言葉は使徒言行録10;46、19;6や聖パウロの手紙一コリント12;10、13;1等にも言及されている異言だったと思われる。
 それは使徒たちが当時の地中海世界で公用語だったギリシャ語やラテン語を、習ってもいなかったのに話せたという意味ではなかろう。異言と言うのだから、彼らが通常使っていたアラマイ語のガリラヤ方言でもなく、他の不思議な言葉だったと推察する。しかし、それがどういう言語だったかは不明だ。確かだったことは使徒たちの語る言葉が、人々に各々の故郷の言葉として聞こえた不思議さだ。それはこれから使徒たちが諸国に福音を伝える前ぶれの奇跡だったように思える。

 2000年前の五旬祭にタイムスリップしたつもりで、観察・考察してわかった聖霊降臨の意味の一つは、それが主のご降誕に相似する出来事だったことだ。ご降誕では神である言が人となられたが、聖霊降臨では神である聖霊が地上に降り、教会を誕生させた。それはキリストの神秘体における受肉に等しかった。聖霊は預言者を通してすでに旧約時代から働かれていたが、新約では主イエス様の救いの御業を支え、聖霊降臨の日からはキリストの神秘体である教会の魂となられたのだ。
 その日が旧約の神の民が祝う小麦の初穂の収穫祭だったことはまことに象徴的だ。なぜなら聖霊降臨の日は新約の初穂の収穫祭になったからだ。しかし、その初穂はもはや小麦ではなく、福音の実を結ぶ人々だ。群衆はこの日、使徒ペトロの説教に心を打たれ、3000人もの人が洗礼を受けた。これこそ新約の初穂の収穫だった。その収穫は今も続いている。この主日に読むガラテヤ5;16-25は霊によって生きる人が結ぶ実について語る。聖霊降臨の主日は新しい初穂の収穫祭なのだ。
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なぜご昇天なさったのか?

 主の昇天の祝日。福音はマルコ16;19だ。「さて、主イエスは弟子たちに語り終えると、天に上げられ、神の右の座につかれた」という一節について、3つの点を考察してみる。

 まず、「神の右の座に着かれた」とある点だが、マルコは目撃した事実を書いたのだろうか?そうではないと思う。神様は空間的な存在ではないから、元々右も左もないが、古来ユダヤ人たちは神様を擬人法的なイメージで理解して来た。マルコは彼らが抵抗感を持たないよう、昇天された主イエス様が今や神の立場におられることを、ユダヤ的にそのような描写で表現した。しかし、それは目撃証言ではなく、初代教会の伝統的で定型的な言い回しを反映した信仰表明だと思われる。
 聖ステファノは殉教の間際に、「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」(徒7;56)と叫んだ。ところが、マルコがそういう体験をしたことはどこにも書いてない。だから目撃証言の証明はない。逆に、殉教者聖ステファノの言葉はすでに初代教会で共有されていたと推定できる。そこでマルコは、「神の子イエス・キリストの福音の始まり」(マルコ1;1)に対応する、「神の子イエス・キリストの福音の完成」の意味で、その言葉を結びに用いた。私はそう推理する。

 では「天に上げられた」という一句は目撃証言だろうか?これが第2問だ。その可能性はなくはないとは言えよう。使徒言行録1;16には、ご昇天後120人ほどの弟子たちが集まったと書かれているが、もし彼らの何人かが使徒たちと共にご昇天の場にいたとしたら、マルコもそこにいた可能性があるからだ。とは言うものの、彼がその場にいた事実は福音書でも使徒言行録でも証明できない。従って、この推察材料だけでは、彼がその場にいたともいなかったとも言えない。
 しかし、どちらかと言えば、彼は目撃してはいなかったとする解釈の方が、私には妥当だと思える。根拠はその簡単過ぎる記述だ。もし自ら目撃していたら、もう少し詳しく書いたに違いないのに、たった一言「天に上げられ」と書いただけだ。それは自らの体験ではなかったからではなかろうか。しかし、彼はご昇天の事実を、目撃証人だった使徒たちから直接、真っ先に聞ける立場にあった。従って、彼が書いたその一言は目撃証言ではなくても、それに準じるとても貴重な証言だ。 

 3つ目は、なぜ主は昇天なさったのだろうか?という問いだ。復活の主がずっと地上にいてくださったら、体の復活を疑う者はずっと少なくなり、人々は末代まで直接に主から教えを聞けるだろうから、福音史家たちが福音書を書かなくても済んだだろうし、教会が異端や分裂に悩むこともなかっただろう。それなのに、なぜ主は不完全な弟子たちに後を任せて昇天なさってしまったのだろうか?どうしてもそうしなければならない理由があったのだろうか?私たちはついそう思ってしまう。 
 ある人はこう答えるだろう。それは天の父から栄光をお受けになるためだったと。もっともだ。しかし、それは天でなくても可能だったのではなかろうか。事実、主はすでに地上におられた時、「今こそ人の子は栄光を受けた」(ヨハネ13;31)と言われた。それに、もし栄光が天使と人類に現わすためなら、万民が主の栄光を目撃できる地上は、むしろ天よりもそれにふさわしいとさえ言える。従って、栄光を受けるためだけなら、ご昇天は必ずしも必要ではなかったと言えよう。
 他の人は、いやそれは天から地上の教会を守るためだと言うかも知れない。それももっともだ。しかし、主は地上におられた時から弟子たちを守護された(ヨハネ17;12)。ましてや復活なさった主なら地上にいてもっとよく彼らを守れないはずはないから、天に昇られる必要はなかった。また、それは父のもとから聖霊を送るためだったと言う人もいるだろう。それももっともだが、主は復活後使徒たちに聖霊をお与えになった。(ヨハネ20;22)天に昇らなくてもおできになった証拠だ。

 このような異論を見ても、なぜ主のご昇天が必要だったか、それらの理由だけでは説明しきれないことがわかる。では、納得のいく理由はあるのだろうか?ある。それは「わたしたちの国籍は天にある」(フィリピ3;20)とある通り、人がいつまでもいる所は地上ではなく、永遠の命が待つ神の国であることを、全ての人に周知徹底させるためだったという理由だ。もし主がいつまでも地上におられたら、人々はそのうち地上に最終的な神の国が実現すると誤解しただろう。事実、ある弟子がご昇天直前にした質問(徒1;6)はまさにその類だった。主はそういう勘違いをさせないため、地上に留まらず天に昇られたのだ。
 だが、ご昇天にはもう一つの大事な理由があった。神の国は人の本当の居場所だが、そこに入るには父なる神に祝福された者(マタイ25;34)でなければならない。ところで、そういう者となるためには見ないで信じる信仰(ヨハネ20;29)と愛の掟の実践が不可欠だ。その二つは神の国のビザ取得必須条件のようなものだ。しかし、主が地上におられ続けたら、見ないで信じることは成り立たない。だからこそ主は私たちがそれを実践できるようにと、そのためにもご昇天なさったのだ。

 それは救いが完成するためにはどうしても必要なステップだった。他方、父から栄光をお受けになること、教会を守ること、聖霊を派遣することは地上でも可能だったが、もちろん父の右におられる天でも出来ることであったから、天においてそれらを実現なさった。そして、教会を守り聖霊を送ることは今も続けてくださっている。しかし、天に昇られたので、地上にはご自分の代わりに使徒たちを残し、教会を通して福音が全世界に行き渡るよう、後をお託しになったことがわかる。
 もし復活した主が世の終わりまで地上にいてくださったなら、福音書も要らず教義論争もなく、万民は主を信じただろうに…と夢想するのは浅はかな人間の知恵だ。見たから信じるのでは真の信仰とはならないからだ。「そこで、神は、宣教と言う愚かなことによって、信じる人々を救う方がよいとされた」(一コリント1;21)。宣教の愚と言っても、その真意を見誤ったら真の愚となる。「神の愚かさは人間より賢い」(同1;25)のだ。主のご昇天は神様のそういう救い方を学ばせてくれる。

またまたちょっぴり好奇心

 カトリック新聞を見たら、復活節第5主日の福音を間違えていたことに気付いた。ヨハネ17;11b-19だと思っていたら、15;9-17だった。しかし、主日が過ぎたので後の祭り。今更考察し直す必要もない。ところが、ちょうどその15章がらみの疑問が先週から再燃していたので、この機会にそれに自答を試みてみようと思い立った。今週ならまだ多少の時間的ゆとりがあるからでもある。
 再燃した疑問とは、ヨハネ14章と15章のつながり方の問題だ。14章は「立ちなさい。さあ、ここから出かけよう」という主の言葉で終わる。晩餐が終わり、オリーブの園へ出かけるところだ。それなのに、何とその後15~17章が長々と続くのだ。一度さあ行こうと立ち上がったのに、また長い話が続くとは不自然で変ではないか?イエス様は最後の晩餐で、本当にこの3章にある話と祈りをこの順序でなさったのか?そして、ヨハネはそれらをその通りに書いたのか?そういう疑問だ。 
 これは聖書学ではとうに議論されてきたことで、新しい問題ではない。私が不勉強で曖昧なままにして来ただけだ。ところが、またまたちょっぴり好奇心をそそられたので、この際しっかり調べてみようという気になったわけだ。ただ限界はある。私には写本の実物に接するチャンスどころか、写本を収録した印刷文献すらないから、手持ちの資料を参考に推論するしかない。必然的に実証ではなくて思弁的となるからだ。しかし、納得の行く解答が得られるなら、それでいい。

 参考文献を調べたところ、この疑問に対する解決の仮説は次の4つがある。即ち、①イエス様が一度立ってから、晩餐の場で新たな談話をされたと見る仮説。②晩餐後、外に出てから道々歩きながら話されたのだとする説。③つながりの不自然さは福音書の編纂時に生じた順序の狂いの結果だから、元の順序に直せば問題は解消するという説。④著者ヨハネが後で書いた3章を、すでに出した福音書の14章の後に追加挿入した結果だと見る仮説の4つだ。それを検証してみる。
 仮説①は十分な説得力があるとは思えない。すでに長く話した後で、さあ行こうと立ち上がれれば、弟子たちもみんな立ち上がっただろう。そんな状態になった時に、15,16章のような長い話を立ったまま再開されたとはとても考えられないからだ。ふつうヨハネもこういう会話の前には、「イエスは仰せになった」(ヨハネ13;31、14;6,9)のようなナレーションを置く。しかし、15~17章にはそれがない。むしろ「ここから出かけよう」という14;31はそれを否定する。だから説得力に欠ける。
 では、仮説②はどうだろうか?外に出てから、歩きながら話されたという説明は、14;31の「立ちなさい。さあ、ここから出かけよう」という言葉をそのまま生かせる利点がある。しかし、最後の晩餐があったとされる高間からキドロンの谷を渡ってオリーブの園に行くまでの道は、通ったことのある者ならわかるが、とても狭い。弟子たちは縦列になって、間隔も空け気味に歩かざるを得なかっただろう。そんな状態では並んで歩く2,3人にしか話せなかったはずだ。
 主は弟子たちに「道々、何を論じ合っていたのか」(マルコ9;33)と聞かれたことがある。話すよりも弟子らの話を聞きながら歩く方が多かったようだ。そんな主が左右の弟子しかよく聞き取れないのに、歩きながら話されただろうか?ましてや15,16章の内容は愛の掟とか聖霊の派遣など、弟子たち全員向けの話だった。そんな大事なことを2,3人にだけ話されたとはとうてい思えない。それに17章の祈りは歩きながらできたかどうか大いに疑問だ。従って、この仮説も説得力が弱い。
 ③の仮説はこの問題を章節の入れ替えで解決しようとする試みだ。福音書の原本が羊皮紙に書かれていたとしたら、巻物とは違って筆者あるいは助手が編纂の際に、うっかりミスのような何らかの原因で、ある章節を最初の順序とは違った場所に入れてしまい、その結果順序が狂った可能性はある。ヨハネの福音書ではそれが起きたのではないか。もしそうだとすれば、元の順序に戻せば、筋が通ってくるはずだ。そうなれば問題は雲散霧消する。この仮説はそう考える。
 だから、13章以降を次のような順序に並べ替えることを提案するのだ。すなわち、〔13章1~31 a〕→〔15章全部~16章全部〕→〔13章31節b~14章全部〕→〔17章全部〕という順序だ。なるほど、その流れで読んでみると、イエス様はそういう順序で話されかつ祈られたのかも知れないとは思える。しかし、この仮説の最大の弱点はそういう順序の写本がまったく存在しないことだと言われる。従って、そういう入れ替えは福音書の恣意的な改ざんに等しいから、この仮説にも首肯できない。

 仮説①~③は15~17章が、この福音書の最初の時点から書かれていたことを前提にして仮説を立て、14章とのつながりの不自然さを説明しようとした。しかし、仮説④はそれらと違い、最初のヨハネ福音書と15~17章とが違った時に書かれたと見る。つまり両者間には時間差があった。従って15~17章は14章の続きとして書きおろされたのではなく、後で書かれて、その後に追加挿入されたと考える。その見方で読めば、つながりの不自然さは納得でき許容もできる。
 私はこの仮説が一番妥当だと思う。そこでそれをもう少し立ち入って考察してみようと思う。推測だが、ヨハネによる福音書の原本(オリジナル)とごく初めの頃の写本には、おそらくまだ15~17章ブロックがなくて、14章のすぐ後に現在の18章が続いていたのではないだろうか。それが正しいことを証明する一つの事実は、15~17章ブロックを飛び越して、14章31節から18章1節へと続けて読むと、次のように2つの章が実に自然につながることだ。
 ― 「父がわたしにお命じになったとおりにわたしが行っていることを、世は知らなければならない。立ちなさい。さあ、ここから出かけよう。」(14;31)これらのことを話し終ってから、イエスはキドロンの向こう側に行かれた。そこには園があり、イエスも弟子たちもその中にお入りになった。(18;1)― 
 15~17章ブロックを横に置いて、このように14章と18章を直結させると、むしろ両者がスムーズにつながるのを見れば、15~17章ブロックが後から追加挿入されたに違いないということは容易に推定できる。それはほぼ確かだ。そして、追加挿入されたのだとすれば、福音書本体が書かれた時と15~17章ブロックの間に時間差があったことも確かで、追加された方が後で書かれたことは明らかだ。
 それは15~17章ブロックを書いたのが、間違いなく同じ福音史家ヨハネだったことを前提とする。では、なぜヨハネはこのブロックを最初から書かなかったのだろうか?それは意図的にそれを書かなかったわけではなく、最初の原本では13,14章で十分だと思えたからではなかろうか。事実、13,14章と15~17章には愛の掟や聖霊の派遣など、重複する内容が実に多い。だから、ヨハネは最初はそれで十分だと思ったのだろう。
 しかし、福音書が出た後、よいぶどうの木とか世の憎しみとか迫害のこと、イエス様の勝利の予言など、13,14章にない話を聞いた弟子たちから、それも残しておいてくださいと頼まれて15~17章を書いたのだと私は推察する。そして、書いただけではなく、それを福音書の14章と18章の間に追加挿入した。ただし、福音書を何ら手直しせず、単純に挿入したから、後世の私たちにはやや木に竹を接いだ感があって、つながりが変だと思えるのだ。これが真相なのだと思う。
 そのように15~17章が追加挿入された、改訂ヨハネ福音書オリジナル本が出来たかどうかはわからないが、以後、弟子たちが写本をした時は必ず15~17章つきになり、その写本がさらに写本を増やして行ったに違いない。オリジナル本は摩耗してもはや存在せず、今残っているのは写本だけだ。15~17章がなかった最初の写本はもう残っていないようだ。従って、最初に書かれたヨハネの福音書に15~17章がなかったことは実証できない。しかし、それはほぼ確かだと思う。
 このように、私は仮説④をベストと評価するが、もし次のような入れ替えが許されるとしたら、そうした読み方をしてみたい気がする。すなわち、ヨハネ14~17章のほとんどは現行のままにするが、14;31の「立ちなさい。さあ、ここから出かけよう」の部分だけは18章1節に移し、「これらのことを話終わってから、イエスは『立ちなさい。さあ、ここから出かけよう』と言われて、弟子たちとともに、キドロンの谷の向こうに行かれた」と読むのだ。そうすると筋がよく通るからだ。

 ところで、この追加挿入は根拠なしになされたのではないと思う。13,14章との重複もあるが、15~17章の話と祈りは主イエス様が最後の晩餐で、実際に大筋でそのようになさった流れを反映しているからだ。ヨハネはその夜のことをそのように想起した。だから、15~17章をそこに挿入した。つまり、それが事実に合う、妥当な記述だと思ったからそうしたのだと思われる。主の弟子たちへの話が食後であり、父への祈りが最後だったことは過越祭の式次第からも推察できる。
 共観3福音書によれば、主は過越しの食事をユダヤ人のしきたりに従ってなさった。だから、ヨハネが伝える長い話と祈りが食前、食事中に入る余地はなかった。しかし、ユダヤ人の過越しのハガダーは最後のブドウ酒の杯の後、預言者エリアを招くため戸を開け、詩篇や感謝の長い祈りがある。イエス様はその時点でそういう定型的な祈りの代わりに、弟子たちへの説諭と父への祈りをなさったに違いない。彼らの躓きもその流れの中で予告なさったのだと思われる。
 従って、15~17章ブロックが14章のすぐ後に追加挿入されたことは、内容的にも出来事の順序からしても妥当だった。いや、そればかりではなく、むしろそこ以外には挿入の場所はなかったとさえ言える。そう言えばヨハネ21章も、20章31節で「これらのことを書き記したのは…」と結びの言葉を書いたのに、引き続き21章がある点で14章と15~17章ブロックの関係に似ている。
 ひょっとしたら、ヨハネ21章は15~17章と同時に、ヨハネまたは彼の弟子たちによって、最初のヨハネ福音書原本に追加挿入されたのかも知れない。私はそんな想像を逞しくする。いずれにせよ、これらの章は最初のヨハネ福音書に後から追加されたものだが、同じ著者が時間差をおいて書いた正真正銘の記述であることには変わりない。それがあってこそ現在の完全なヨハネの福音書なのだ。そして、そのおかげで私たちは主の貴重なお言葉と出来事を知ることができる。ありがたいことだ。

弟子たちのための祈り

 復活節第6主日の聖書は第一朗読が使徒言行録10;25-26,34-35,44-48、第二朗読が一ヨハネ4;11-16、福音がヨハネ17;11b-19だ。ある事情のため、コラムを書きたいだけ書ける時間はおそらく今週が最後となるので、せめて今回は十分な時間を取ろうと思ったが、あいにく先週来視力が非常に低下してしまった。そんなわけで、それはできなくなったから、今週は福音だけに限定し、その中の心に残った言葉や気になった点を考察してみようと思う。

 ヨハネ17章はイエス様がご受難直前に父になされた祈りだ。フランシスコ会訳はそれを「自分のため」、「弟子のため」、「信者のため」の3部に分けている。この主日の11b-19節は「弟子のために祈る」の半分に当たる。11節aでは主が「彼らは世に残り、わたしはあなたのもとに参ります」と祈られ、13節で「わたしは今、あなたのものとに参ります」と繰り返されているから、これはご昇天直前になさった祈りだったとしてもおかしくはないと思える。
 しかし、1節に「父よ、時がきました。子があなたの栄光を現わすことができるように、あなたの子に栄光をお与えください」とあるのを見ると、やはりこれは最後の晩餐になさった祈りだったと納得がいく。それに、その随所に13-16章で弟子たちに語られた内容が反映されていることからも、最後の夜のことだと確認できる。とは言え、ご昇天直前の祈りにも思えることは、逆にこの祈りが最後の晩餐の時だけに限らず、絶えず主のお心にあったものだということが推察できる。

 ところでこれを書き残したのはヨハネだけだ。最後の夜、彼はその場にいたので、主がそう祈られるのを聞いて覚えていた。ということは、主は弟子たちに聞こえるような声で祈られたのだと思う。ただ、「永遠の命とは…あなたがお遣わしになったイエス・キリストを信じることです」(同17;3)のような表現を見ると、そこにはヨハネの思いや信念が混入してはないかという疑念が湧く。主がご自分のことを「イエス・キリストを信じること」などと言われたとは思えないからだ。
 そういう目で読むと、どことどこにヨハネの思いや信念が混じってしまっているのだろうかと気になってくる。2,3,8,22,23節はそうではないかと疑えなくもない。なぜなら内容が、繰り返しだったり、説明や理由づけだったりするからだ。かつて主は「祈るとき、異邦人のようにくどくど言ってはならない。…あなた方の父は、あなた方が願う前に、必要とするものを知っておられる」(マタイ6;7-)と諭された。その主ご自身がそんなにくどくどと祈られたとは思えないからだ。
 それにもかかわらず、全体的には主がなさった正真正銘の祈りであることは間違いない。聖霊の助けで、ヨハネは数十年後でもそれを思い起こせた。それはまさに弟子たちのための崇高な祈りだった。そこには13章1節に、「イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たのを悟り、世にいる弟子たちを愛して、終わりまで愛し抜かれた」と書かれた通り、愛情が溢れている。私たちでもそう感じるのだから、弟子たちはきっと主が自分たちのことをこれほど心に掛けてくださっているのかと、もっと強く感じたことだろう。だからこの祈りは共感をもって読むのが最上の解釈だと思う。

 しかし、他にも気になる点があるので、それらを個別に検証してみる。11節の「聖なる父よ、わたしにお与えくださったあなたのみ名によって、彼らを守ってください」という訳はその一つだ。そう訳しているのは英訳、ラテン語訳、邦訳だが、私には釈然としない。これに対し、仏BJ訳は“Père saint, garde en ton nom ceux que tu m’as données.”( 聖なる父よ、あなたがわたしにくださった者たちをみ名によって守ってください)と訳している。ところで、原典は“Pater hagie, tehrehson autous en toh onomati sou hoh dedokas moi”だ。問題は従属文“hoh dedokas moi”(わたしにお与えくださった)の目的語(先行詞)が「あなた(父)のみ名」か、それとも「彼ら(弟子たち)」かにある。文法的にはどちらも可能だ。しかし、意味的には前者(「わたしにお与えくださったあなた(父)のみ名によって彼らを守って…」という訳)だと、「えっ、それ何のこと?」となる。意味がよく通じないからだ。だが後者なら納得が行く。従って、私は後者(仏BJ訳)の方がいいと思う。
 12節でも、前節と同じ「お与えくださったあなた(父)の名によってわたしは彼らを守り…」という訳が出て来るが、私はここも「あなたの名によってわたしにくださった者たちをわたしは守り」と訳す方が妥当だと思う。主はここで「滅びの子のほかは、彼らのうち誰も滅びませんでした」と口にされたが、それは主がそれまで彼らの弁護者であり守護者だったからだ。だが、世にいなくなる今だからこそ主は祈りの前に、父が別の弁護者である聖霊を送る(ヨハネ14;16)と約束されたのだった。
 ところで、主は「滅びの子のほかは」と例外を言われたが、「滅びの子」とは誰を指すのだろうか?おそらく人はすぐユダのことを連想するだろう。確かに「人の子を裏切るその人は不幸である。むしろその人は、生まれなかった方がよかったであろう」(マルコ14;21)とか「聖書が成就するため」とかの言葉を読むと、そう想像してしまうのも無理はない。しかし、ここで言う「滅びの子」とは滅びに向かっている人のことで、必ずしも彼個人を指すのではないと解釈する方がいいと思う。
 神様に逆らって「地獄の子」になる者が出ることは、人間が自由意志を与えられた存在である以上避けられない。だが、それは常に改心の可能性があることをも意味する。誰が決定的に滅びの子となるかは神様しかご存じない。従って、確かにユダは主を裏切ったが、だからと言って彼が確実に滅びたとは誰も断定できないのだ。ペトロも主を裏切ったが、悔いて赦された。ユダも死ぬ前に改心しなかったと誰が言い切れようか?その可能性はゼロではない。私はそう思うことにする。
 
 主は晩餐後、弟子たちに「あなた方は世に属しているのではない。わたしがあなた方をこの世から選び出したのである。だから世はあなた方を憎むのである。あなた方が世に属していたら、世はあなた方を自分のものとして愛したことであろう」(ヨハネ15;19)と話されていた。17章14節で父に、「わたしは、彼らにあなたの言葉を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです」と言われたのは、それと呼応した祈りだった。
 それとほぼ同じお言葉は16節でも繰り返される。それは裁判の場で、ローマ総督ピラトに対して「わたしの国はこの世に属していない」(ヨハネ18;36)と言われたお言葉にも通じる。主に属する者は世に属する者から峻別されており、弟子たちは主に属する者であるがゆえに世に属する者から憎まれる。しかし、弟子たちは世に属する者ではないのに世に残り、むしろ世に入って行かなければならなかった。世の人々に福音を伝えるべく遣わされる者たちだったからだ。
 だからこそ主は「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪い者から守ってくださることです」と父にお願いなさったのだ。この15節はこの祈りで最重要なものではないかも知れない。だが、私の心には一番印象深く残った。それを読むと、人は「私たちを悪からお救いください」という主の祈りの一節えお連想するだろう。二つは酷似している。これは私たちにこう祈りなさいと勧めてくださった祈りを、主ご自身がしてくださったことを意味する。 
 しかし、ここには些細だが、「どちらかな?」と迷わせる問題がある。「彼らを悪い者から守ってくださることです」と祈られた一句の訳に、「悪い者から」と「悪から」の二通りがあるからだ。手持ちの聖書を調べてみたら、外国語では新ブルガタが“ex Malo”、仏BJが “du Mauvais”、西BJが “del Maligno”と訳し、名詞化された形容詞を大文字で表記している。だから、実際は「悪い者から」の意味だ。英語RSV訳は“from the evil one”だ。邦訳では新共同訳、フランシスコ会訳、聖書協会訳が「悪い者から」としている。これらを見る限り、「悪い者から」という訳は多数派だ。
 それに対して「悪から」とした訳は、外国語では“min haraa”と訳したヘブライ語訳、邦訳ではバルバロ訳とラゲ訳がある。こちらは少数派だが、この章節と密接な関係がある主の祈りでは、仏BJ訳、西BJ訳、ヘブライ語訳、英語RSV訳、フランシスコ会訳、教会公式祈祷文などが「悪から」と訳している。マタイ6;13ではこの方が多数派だ。従って、単純に多数派の方が妥当な訳だとも言えない。最終的には原典をどう理解するかにかかってくるのだと思う。
 では原典はどうかと言うと、“ek tou ponehrou”だ。形容詞ponehrosは「悪い、無益な」等の意味だが、名詞化すると「悪人、悪魔、悪」という意味になる。これを見れば、「悪い者から」も「悪から」も正しい訳だということがわかる。Ponehrosには両方が含まれているからだ。その言葉で祈る結果にも大きな違いが出るわけではないから、結論的にはどちらでもでもいいとは言えよう。しかし、私は外国語の“ex Malo”や“du Mauvais”のような訳には、考えさせる含みがあると思うのだ。
 それが小文字なら「悪から」という訳でいい。悪とは病気、災害、戦争、犯罪、悪習などの諸悪を抽象した概念だ。「悪からお救いください」と祈るときは、もちろんそういう諸悪からのご加護を願う。だが、それだけではない。そこに大文字で書く“ex Malo” や“du Mauvais”の含みがある。それは単なる諸悪を抽象した悪ではなく、そういう諸悪の根源である存在、「悪い者」と言うだけでは足りないほど「悪い者の中の悪い者」を表現しようしていると解釈できる。
 では、それは何者かと言うと、主がエルサレム入城後に、「今こそ、この世の裁きが行われる時。今、この世の支配者が追い出される」(ヨハネ12;31)と言われた「世の支配者」サタンを指す。だから、主が弟子たちを「世に属していない」と言われたのは、その支配者に服していないという意味で、彼が支配する世に福音で立ち向かうのだから、「彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪い者、すなわち世の支配者と彼に属する諸悪から守ってください」と祈られたのだ。私はそう理解する。

 悪い者と諸悪から守られるだけでは守勢に終わる。だから主は「真理によって、彼らを聖なる者としてください」と祈られた。ここでいう真理とは単なる知的な真実のことではない。「独り子は恵みと真理とに満ちていた。…恵みと真理とは、イエス・キリストを通してもたらされた」(ヨハネ1;14,17)と言われた真理、「真理の霊であるその方(聖霊)が来られると、真理のあらゆる面であなたがたを導いてくださる」(同16;13)と言われた真理、魂を養い、その活力源となる神の啓示に他ならない。
 この時、主は弟子たちがまもなく散り散りに逃げ去ることも、その後立ち戻ることもご存知だったから、「あなたがたは世にあって苦しむ。しかし、勇気をだしなさい。わたしはすでに世に打ち勝った」(同16;33)と励まされた。だから、祈りでは彼らが世から守られるだけではなく、彼らも世に打ち勝てるように、聖霊によって彼らを聖化してくださいと父に祈られたのだった。私はこれをその時だけで終わったものではなく、今も弟子たちの後継者たちの上に続けられている祈りだと思う。

ちょっと知的好奇心

 復活節第5主日の聖書、使徒言行録9;26-31を読んで一つの疑問が湧いた。些細なことだが、「ギリシャ語を話すユダヤ人たち」のことだ。それはヘレニストたちのことだが、彼らはいったいどういう人たちだったのか?なぜ彼らがそこに出て来たのか?そのことは教会にどんな影響を与えたのか?という疑問だ。その答えを知っても心の糧にはなりそうもないが、曖昧なままではやはり気になるし、ちょっと知的な好奇心もむずむずするので取り上げる。

 使徒言行録9;26-31はパルナバの仲介で、サウロが弟子たちの仲間に入れたことを伝えている。サウロは使徒たちとエルサレムの町を行き来し、イエス様の福音を宣教した。その時、論争相手になった一グループがヘレニストたちだったのだ。邦訳では、新共同訳、フランシスコ会訳、聖書協会訳、ラゲ訳も彼らを「ギリシャ語を話すユダヤ人たち」とか「ギリシャ語を使うユダヤ人」などと訳しているが、バルバロ訳だけは原典そのままで、「ヘレニスト」と記している。
 論争後、彼らはサウロの殺害を企てた。しかし、それを察知した教会の兄弟たちは、彼をエルサレムからカイザリア経由でタルソに避難させた。おかげで事なきを得たのだが、いったいこのヘレニストたちとは何者で、なぜ彼を殺そうとまでしたのだろうか?おそらく論争でサウロに福音の優位を立証され、論破された遺恨もあっただろう。しかし、口封じまでしようとしたのには、彼に生きていられては困るもっと根深い理由があったからではないかと思う。
 それを探ってみる前に、まずヘレニストとは何者だったがだが、ほとんどの邦訳が「ギリシャ語を話すユダヤ人」と訳している通り、彼らはユダヤ人だが、通常はギリシャ語を話していた。原典ではHellenistaと記述されている。当時、地中海世界の国々には離散ユダヤ人(ディアスポラ)がおおぜいいた。ところで、それらの国々ではコイネと呼ばれるギリシャ語が共通語で話されていたから、当然そこで生まれたユダヤ人たちもコイネ・ギリシャ語を母語として使っていた。
 BC約250年にエジプトのアレキサンドリアで、旧約聖書のギリシャ語七十人訳ができたのも、ヘブライ語がよく話せない離散ユダヤ人がいかに多くなっていたかを物語る。しかし、ヘレニストとはそういう異国生まれではあってもエルサレムに住むようになったユダヤ人で、しかもギリシャ語とヘブライ語の両方を話せるが、どちらかと言えば普段はギリシャ語の方を好んで使っていたところに特異性があった。その人口がどのくらいだったかはわからないが、かなりいたのかも知れない。
 フランシスコ会訳は註で、彼らが自分たちの会堂を持ち、聖書はギリシャ語で読んでいたと説明している。その呼称は使徒言行録6;1で初めて出て来るが、そこには「そのころ、弟子たちの数が増えるにつれて、ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対する苦情が出てきた。それは、毎日の配給の時に、彼らのやもめたちがなおざりにされたからである」と書いてある。これを読むと、ヘレニストはユダヤ教側にも初代キリスト教側にもいたことがわかる。
 そんな不満解消のため、使徒たちは最初の殉教者になった聖ステファノを含む7人を選んで、配給奉仕に当たらせた。今、NPOセカンドハーベスト名古屋で働いている友人は、日系南米人たちに賞味期限ぎりぎりの食品などを届けて援助活動をしているが、当時のヘレニストたちは今の日系南米人たち似た立場にあったのだろう。ただし、私の友人はスペイン語もポルトガルもできないが、使徒たちに選ばれた7人はギリシャ語が話せた。おそらく彼らはヘレニストだったと思われる。
 興味深いことに使徒言行録6章は、「こうして、神の言葉はますます広がり、エルサレムで弟子の数は非常に増え、多くの祭司たちも、こぞってこの信仰に入った」と書いている。祭司たちは主の殺害で主導権を握っていたサドカイ派に属していた。彼らまで「この信仰に入った」ということは、初代教会には発足間もなくから、宗教的にも政治的にも民族的にも文化的にも、多種多様な人々が加わっていたことを示している。ヘレニストたちもその1グループだったのだ。
 しかし、主の福音を信じたヘレニストたちがいた半面、それに真っ向反対したヘレニストたち(徒6;9)もいた。外国に生まれたユダヤ人として異教文明にもまれてきた彼らは、モーセの律法を不滅不易の教えとして、国内生まれのユダヤ人たちよりも熱心に奉じていた。ところがこともあろうに、自分たちの中からイエスの新しい教えに改宗する者が相次いでいた。それは許しがたい裏切りだった。この事情がわかると、その代表的人物ステファノと彼らとの論争(徒7章)もわかってくる。

 彼の殉教をきっかけに、彼らは教会への大迫害を始めた。主の御受難と使徒ペトロの逮捕では祭司長等権力者の私兵が働いたが、このキリスト教徒迫害では熱狂的なユダヤ教ヘレニストたちが実働隊になった。サウロはその一人として教会を荒し回り、遂には大祭司のお墨付きを持って、国外にまでキリスト教徒捕縛に出かけたほど迫害に熱心だった。ところが、ダマスコへの道で主の声を聞いた彼は劇的な改心をし、一転、主イエスの福音を宣教する旗頭に一変したのだった。
 そんな彼が議論した相手は、以前彼が属していたヘレニスト陣営の者たちだった。サウロを殺そうと狙ったのもうなずける。かつて教会迫害の先頭に立っていた彼が相手側に寝返って、こともあろうにかつての同志である彼らを完膚なきまでに論破した。しかし、それ以上に許せなかったのは、ステファノと同じように、主の福音こそ預言者たちが語った神の約束成就で、ユダヤ教は間違っていると公言する彼の存在自体だった。改宗した彼が生きている限り、彼らの誤りを言いふらす宣伝高札になる。それほど不都合で腹に据えかねることはなかっただろう。だから口封じをしようとしたのだ。
 幸い兄弟たちがその陰謀を察知し、サウロを脱出させたから彼は死なずに済んだ。そればかりか、その脱出が転機になって、彼は間もなく歴史に残る福音宣教の大旅行を開始したのだった。それを考えると、短期間存在しただけのヘレニストなのに、教会のその後の方向性には案外大きな影響を及ぼしたものだなと思う。彼らの初代教会迫害とかステファノやサウロとの激しい対立とかがなかったら、教会の中近東やヨーロッパ進出はもっと遅くなっていたかも知れない。
 それにしても、福音を信じたヘレニストたちと、それに強硬に反対したヘレニストたちを比べて見ると、人とは同じ民族的、文化的、宗教的環境にいても、何と正反対の生き方をしてしまうものかとつくづく思う。彼らが思想と行動でまっ二つ割れて対立したことは、一般社会でも教会でも起こる。折しも5月3日は朝日新聞の小尻記者が赤報隊を名乗る男の凶弾に倒れてから25年だった。同じ日本人でもこんな卑劣なる男もいれば、東日本大震災で人を救って死んだ方々もいた。
 また、人は何と自分のしている矛盾に気づかないことかとも思う。なぜなら、モーセの律法を至上の教えとして信奉していた熱狂的ヘレニストたちは、ユダヤの権力者が主を殺したようにサウロを殺そうとして、モーセの律法が禁じる「汝、殺すなかれ」の戒律を破ろうとしていたからだ。同じヘレニストでも、すでに人を殺し、また殺そうとした迫害者たちと、自分を殺す者のために祈ったステファノがいた。さて、どちららをよしとするか?彼らの存在は暗にそういう人間評価をも考えさせる。

弟子ならばお互いは兄弟

 復活節第5主日の聖書は第一朗読が使徒言行録9;26-31、第二朗読がヨハネの第一の手紙3;18-24、福音がヨハネ15;1-8だ。今回も共通のキーワードがあるだろうかと気を付けて読んでみたら、あった。「弟子と兄弟」だ。弟子とは師イエス様との縦の間柄だが、兄弟とは弟子たち相互の横の間柄を指す。例えば人間ペトロは主の弟子であり、同時に弟子たちの間では一人の兄弟だ。この主日の聖書には、どれにもそういう意味での弟子と兄弟の話題がある。

 まず福音だが、イエス様は「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は栽培者である」と言われた。ぶどうは聖地を代表する果物の一つで、イスラエル人なら誰でもそれをよく知っている。主は最後の晩餐で葡萄酒を飲んだ後だからこの喩えを使われたのかも知れないが、これは譬え(Parabola)でも隠喩(Metaphora)でもなく、ご自分をはっきりとぶどうの木に喩えた直喩だ。従って隠された意味が少ないから、それを聞いた使徒たちはみなよく理解できたのではなかろうか。
 隠されている意味は、良い実とは何か、刈り込むとはどういうことであり、枝が木につながっているとはどういうことかぐらいだろう。枝とは、「あなた方は枝である」と言われているのだから、ここでは使徒たちを指していたが、広い意味では福音を信じるすべての人たちだと解釈できる。ここに共通のキーワードの一つ「弟子」が出て来るが、それは潜在的に兄弟でもあることを、間もなく使徒たちに気付かせる。この直喩は主が弟子の在り方を諭した遺言の一部分だった。
 「弟子であること」が関心事であることは、「あなた方が多くの実を結び、わたしの弟子となるなら、それによってわたしの父は栄光をお受けになる」というお言葉からもわかるが、では、彼らが良い実を結ぶとはどういうことだろうか?答えはその続きにある。「わたしがあなた方を愛したように、あなた方が互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である」(ヨハネ15;12)というお言葉だ。すべてが関連し合っていて、そこに主の弟子ならばお互いは兄弟だという関係が見える。

 第二朗読はそのエコーだ。ヨハネは「子たちよ、言葉や口先によってではなく、行いと真実とをもって愛し合いましょう」と諭しているが、愛し合わなければならないのは、主の弟子であり兄弟だからだ。ところで、イエス様ほど真実をもって人々を愛された方がいただろうか。主は「わたしがあなたがたを愛したように」と、互いに愛し合う基準を与え、病人や貧者や苦しむ人たちを助けて模範を示し、言葉や口先でだけはなく、行いと真実によって愛することを教えてくださった。
 かつて信仰と行いを対立させ、人が救われるのは信仰によると主張し、行いを不要とした神学者がいた。しかし、信仰とはそもそも何を信じるかと言えば、その真髄は神の愛を信じることにある。ヨハネはそのことを語ったのだ。ところで、愛するとは言葉や口先ではなく、必ず行いとと真実を伴う。従って、信仰と行いを対立させることはそもそも間違いなのだ。信仰はむしろ信行という一つの行いだし、信じる対象の愛も行いなしには真実ではあり得ないからだ。 
 たぶん一ヨハネ3;18-24はもう一つ前の17節から読む方がいいと思う。「世の富をもっていながら、困っている兄弟を見ても、憐みの心を閉ざす人のうちに、どうして神の愛が留まりましょう」と書いてあるからだ。実に具体的な一例だ。聖書研究会などに出て聖書がわかって来たから、いい信者にでもなったつもりでいる人は、この言葉で一発ガーンと頭を叩かれるといい。言葉と口先だけでは無駄花で、実を結ばない。わかっただけでは主の掟を行っていることにならないのだ。 
 良い実を結ぶとはまさにその逆で、飢えた人に食べさせ、渇いた人に飲ませ、困っている兄弟には親身に力になってやるような生き方はその一例だ。「父がわたしを愛してくださったように、わたしはあなた方を愛してきた。わたしの愛のうちに留まりなさい」とは、主が弟子たちや人々になさったことに倣って、信じる者たちが弟子としてまた兄弟として互いに愛し合い、世のすべての人をも大事にすることを意味する。枝がぶどうの木につながり、良い実を結ぶとはそのことなのだ。

 他方、使徒言行録9;26-31は、弟子ならばお互いは兄弟だという具体的なエピソードを伝える。改心したサウロ(パウロは彼のローマ式名前)はダマスコからエルサレムに上り、主の弟子たちの仲間に入ろうとした。ところが、ステファノの殉教の時に殺害側にくみし、その後で始まった大迫害では先頭に立って教会を荒し、信徒たちを捕縛した彼の過去を知る弟子たちは、おいそれとは彼の回心を信じず、恐れて彼を受け入れなかった。そこで仲介の労を取ったのがパルナバだった。
 彼はキプロス島生まれのレビ人だったが、畑を売って代金をすべて使徒に差し出した人(徒4;36)だ。7人の奉仕者(徒6;3-6)には選ばれなかったが、おそらく使徒たちの信頼が厚く、宣教の手伝いをしていたのだろう。皆がサウロを避ける中、バルナバは困惑している彼に手を差し伸べ、使徒たちの所に連れて行って引き合わせた。おかげで、サウロは主の弟子たちの仲間入りができたのだった。バルナバは人を見る目があっただけでなく、「弟子ならば兄弟」のお手本だった。
 信頼関係ができたサウロは使徒たちと共に「エルサレムを歩き回り、主の名によって大胆に語った」とある。新参のサウロが先輩の使徒たちと肩を並べて歩いた様は、互いが主における兄弟である睦まじさを感じさせる。また彼が大胆に福音を語るのを許した使徒たちには、もうかつてのような狭量さ(マルコ10;38)はなかった。そして、議論で彼に負けたヘレニストたちが彼を殺そうと企んだとき、彼をエルサレムから脱出させ、タルソに逃れさせたのは「兄弟たち」だった。

 さて、福音書に戻ろう。イエス様はぶどうの木、天の父は栽培者、枝は主の弟子であり兄弟である人たち、良い実とは愛の掟の実践だとわかった。しかし、なぜ主は「わたしはまことのぶどうの木」と言われたのだろうか?嘘とか偽物のぶどうの木があるからだろうか?いや違う。「まことの」は原典ではアレティノス(真実の、本当の)の単数女性形アレティネだ。しかし、ぶどうの木の形容詞だから、アレティネの反対語は虚偽や誤謬等ではなく、悪い、劣った等の意味だろう。
 イザヤの預言書には有名なぶどう畑の話がある。それは神様がイスラエル民族を良いぶどうとして植えたのに、実ったのは酸っぱく悪いぶどうだった(イザヤ5;2)という失望の詩だ。おそらくイエス様はそのダメぶどうを念頭に、この直喩を語られたのだと思う。だとすれば「まことの」とは、そういう酸っぱい実をならせる品質劣悪なぶどうの木でも、野葡萄でも山葡萄でもなく、最高に美しくおいしい実を豊かにつける「最良の」ぶどうの木という意味だと理解すべきであろう。
 主は枝がそういうよい実を結べるためには欠かせない、二つの大事なことを教えてくださった。一つは父が枝を剪定してくださること、もう一つは枝が木に留まることだ。まず剪定だが、父は実のならない枝は切り捨て、実を結ぶ枝はもっと豊かに実をつけられるよう刈り込んでくださる。切り捨てられた枝はもう役に立たず、枯れて火にくべられ燃やされるだけだ。切り捨てられるのは木につながっていても実をつけない枝だが、木から折れ落ちる枝も実を結べない。
 では、父が刈り込んでくださるとはどういうことなのだろうか?剪定とは要らないものを切り落とし、見込みのあるものを残して育てることだ。主は父が何をもって剪定なさるかを明言されてはいないが、実は父が遣わされたイエス様のお言葉こそ父の剪定鋏だと言えよう。父はそれによって、枝である私たちを刈り込んでくださるわけだ。そう当てはめると、「わたしがあなた方に話した言葉によって、あなたがたはすでに清くされている」という一節が理解しやすくなる。
 ところでこの「清くされている」という一語だが、興味深い発見をした。それは原典ではkatharos(カタロス:清い、純粋な)という形容詞の男性複数主格katharoiだ。しかし、剪定されたから「すっきりしている」なら納得だが、「清くされている」ではいささかピンと来ない。英、独、西、ラテン、ヘブライ語訳、新共同訳、フランシスコ会訳はみな「清くされている」という訳だ。ところが、仏語BJ訳とバルバロ訳だけはそこを、それぞれ“Émondés, vous l’ êtes déjà.”及び「あなたがたはもう刈り込まれた者である」と訳している。私はこれを見事な訳だと思う。
 なぜか?原典ギリシャ語の「(父が)刈り込んでくださる」は“kathairei”で、動詞kathairoh(カタイロー:清める、剪定する)の能動態直説法3人称単数現在形だ。つまり、それには2つの意味があり、katharosはその形容詞だ。もちろん「清くされた」という多数派訳は間違ってはいない。しかし、「もう刈り込まれている」と訳す方が、刈り込む父とのつながりがよく見えて、なるほど刈り込まれたからすっきりし、きれいに清くなっているのだと納得がいく。だから見事だと思うのだ。
 その仏語訳を私訳すると、「それがより多くの実を結ぶため、彼(父)は実をつけるすべての枝を剪定する。剪定されたあなた方は、わたしがあなた方に話した言葉によって、すでにそれ(多くの実を付ける枝)である」となる。従って、父が栽培者なら、剪定鋏は主のお言葉、剪定された枝とは、父が主のお言葉という鋏で罪や欠点をなくしていくからきれいに清くなり、さらに聖霊による恵みの樹液を吸い上げて、豊かな実をつける弟子たちのことだとわかる。

 枝がよい実を結べるために、主が教えてくださったもう一つの大事なことは枝が木に留まることだ。むしろ主はこちらの方に重点を置いてお話になったと言っていいかも知れない。主は「わたしのうちに留まりなさい。そうすればわたしもあなた方のうちに留まる」と諭された。そして、重ねてぶどうの木と枝の比喩によって教え、幹である木につながっていなければ、枝だけでは実を結べないように、「あなたがたもわたしのうちに留まらなければ、実を結ぶことはできない」と言われた。
 では、主に留まるとはどういうことだろうか?その答えはもう少し読み進むとわかる。「あなた方がわたしの掟を守るなら、わたしの愛のうちに留まることになる。わたしが父の掟を守って、その愛のうちに留まっているのと同じである」(ヨハネ15;10)という主のお言葉があるからだ。結局は神様と隣人を愛する愛の掟につづまる。そうなると、わかることも大事だが、もっと大事なのは実践だ。わかるだけで実践という実のない無駄な枝は切り落とされる。知だけの弟子は要注意。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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