FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

主日の聖書のオムニバス的考察

 復活節第4主日の聖書は第一朗読が使徒言行録4;8-12、第二朗読がヨハネの第一の手紙3;1-2、福音がヨハネ10;11-18だ。原典と4か国語の翻訳でそれらを読んでみたら、どれにも心に残る言葉や興味を覚える点があった。そのためかえって焦点が絞れない。しかし、ある一つの共通項を見つけた。使徒ヨハネだ。そこで、今回はいっそのこと彼の観点から時系列順に、聖書のその3箇所にある注目に値するくだりや興味深い点を、オムニバス的に考察してみようと思う。

 時系列順にすると、最初に来るのは福音書10;11-18が語る良い羊飼いの譬えだろう。若き日の使徒ヨハネはおそらく3度目のエルサレム滞在のとき、師イエス様からそれを聞いたのだと思われる。彼の福音書は他の3福音書とは違って、主ご自身による死と復活の予告が書かれていない。しかし、この譬えはその予告に等しい。その中で主が、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる。…わたしは命を再び受けるために、捨てる」と言われ、死と復活を示唆しておられるからだ。 
 この譬えで非常に強いインパクトを与えるのは「命を捨てる」という一句だ。わずか数節中に5回も出て来る。従って、最も大事な点はそこにあるだろうと察しがつく。信者は良い羊飼いがイエス様であることを知っている。だから、お金目当ての雇人とはいざと言う時にどれほど違うかを比べて、良い羊飼いは何とすばらしいことか!と称賛し、これこそ預言者エレミヤとエゼキエルが予言したイスラエルの牧者(エレ23;1-8、エゼ34;23-31)の実現だと感動するのだと思う。
 しかし、そうだろうかと異を唱える人もいるだろう。「雇い人は狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。狼は羊を奪い、また追い散らす。彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは羊のために命を捨てる」とあるが、羊飼いが狼と戦って命を捨てたら、たとえ狼は殺せたとしても、残された羊たちはどうなる?結局他の狼に食べられてしまうのではないか?それでも賢い羊飼いと言えるのか?と疑問を覚えるからだ。
 ちなみにイスラエルに野生の狼がいるかというと、現在はいない。しかし昔はいた。生物学的な記録はないが、ライオン、豹、熊などとともに、残忍な肉食獣として、狼は旧約聖書では創世記49;27やイザヤ11;6などで比喩的に語られ、新約聖書ではこの主日の福音ヨハネ10;12の他に、「わたしはあなたがたを遣わす。それは狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」(ルカ10;3)のように、マタイ7;15、使徒言行録20;29などにも出て来る。これは実際に生息していた証拠だ。
 確かに上記の異論は一理ある。羊飼いが羊の群れを守るために、狼と戦って命を落としてしまったら、あとは誰が守るのか?狼は群れで襲うから、1、2匹を倒しても羊飼いが死んでしまったら、残った羊は殺されるか散り散りになるだろう。結局守り切れないことになるではないかと言う理屈だ。それはそうだ。しかし、譬えの意図を理解せずに、ただ自然界の現実に照らして、羊のために命を捨てる羊飼いは愚かだと揶揄するのは、実はピント外れなのだ。
 なぜなら、これは現実的に羊を狼から守りきれるかどうか、もっと効果的な守り方があるかどうかの牧畜問題ではなく、雇い人とはまったく違う良い羊飼いの真骨頂を述べ、それが死と復活によって人類を救う主イエス・キリスト様だということを示唆した譬えだからだ。だからこそ、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」と言われたのだ。
 この喩えの初めに出て来る羊はイスラエル民族のことで、「この囲いに入っていないほかの羊」とは異邦人すべてを意味している。そもそもこれだけでも、実際の牧畜問題とはまったく次元が違うことがわかるはずだ。もっとも現実の遊牧でも、狼やライオンのような害獣が現れれば、良い牧者は命がけで羊の群れを守るものだ。それは羊飼いだった少年ダビデが実際にしていたこと(サムエル上17;34-35)だった。この譬えでは、命をも惜しまない羊飼いのその決意が重要な点なのだ。
 それ以上に大きな現実との違いは、「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることができる」と言われたことだ。この譬えの良い羊飼いは命を捨てても、それを再び受ける。つまり、死んでも生きる。羊のために死ぬ羊飼いは現実の世界でもいないとは言えない。しかし、再び生きることができる羊飼いは、救い主イエス・キリスト様以外にはどこにもいない。ここにこの譬えの真髄がある。

 2番目に来るのは使徒言行録4;8-12だが、ここで私が最も感銘を受けるのは、衆議所の議員たちの前に立たされた使徒ペトロが、「この方以外の誰によっても、救いは得られません。人間に与えられ名のうちで、わたしたちを救うことのできる名は、天の下において、ほかにはないのです」と言明した証しだ。権力者の前で彼はまったく臆しなかった。主のご受難の時、大祭司の館で下女の問にさえ狼狽して主を否定した、あのシモン・ペトロはもうそこにはいない。
 彼が堂々とそう言明した時、使徒ヨハネは一緒だった。発言はしなかったが、彼も聖霊に満たされていた。もし、使徒ペトロが何らかの理由で話せなかったとしたら、おそらく彼が代わりに同じことを言明していただろう。人々は無学なはずの2人の大胆な言動にひどく驚いたが、主のみ名によって足を癒された人がそこにいたので、人々は一言も言い返せなかった。2人はもはや以前の彼らではなかった。主の復活と聖霊降臨が彼らを一変させていた。
 しかし、それ以前の使徒ヨハネは、師イエス様が3回も受難と復活を予告なさったのに理解できず、粗野で血の気の多い若者に過ぎなかった。そんな彼に激動が起こった。彼がすべてを賭けていた主が捕えられ、十字架上でむごさ極限の死を遂げてしまったからだ。彼は絶望の淵に突き落とされた。ところが今度は予想外のことが起こった。何と主が復活されたのだ!そして、使徒たちに出現なさった。それは彼にとって驚天動地の逆転であり、筆舌に尽くせない喜びの体験だった。 
 そればかりか、復活の主はその後も彼らに現れ、メシアが苦しみを受けて栄光に入る神秘を彼らにわからせ、聖霊の力をいただくのを待てと命じて、天に昇ってしまわれた。そのお言葉に従って、彼らが心を合わせて祈っていた五旬祭の日、聖霊は使徒たちにお降りになった。その瞬間から彼も決定的に変ったのだった。聖霊のおかげで主に教えてもらったことを思い出して悟れるようになり、主の福音の大胆な証言者に生まれ変ったのだ。彼の原体験はその激動の短期間にあった。

 復活の朝、共に墓へと走って以来、ヨハネはペトロと行動を共にするようになっていた。その日も2人は神殿に行き、その境内で足の不自由な一人の男を主イエス様の御名によって癒した。すると大群衆がついて来たので、2人は死から復活された主のことを語り、罪の赦しの福音について説教した。ところが、それはユダヤの権力者たちに不都合だったので、彼らを苛立たせた。そのため2人は捕えられて投獄され、翌日、議員、長老、律法学者たちの前に引き出されたのだった。
 彼らは2人を尋問した。「お前たちは、何の権威によって、また誰の名によって、あのようなことをしたのか」と。しかし、2人は動じなかった。それどころか、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の指導者並びに長老のみなさん、わたしたちが、今日、取り調べを受けているのは、あの病人に対して行った善い業と、その人が何によって癒されたかということについてであるなら、あなた方一同も、イスラエルの民全体も、次のことを知っていただきたい。この人が元気になって、あなた方の前に立っているのは、あなた方が十字架につけ、神が死者の中から復活させられたナザレのイエス・キリストの名によってです。このイエスこそ『あなた方、家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です」と。そして、この話題の冒頭に私が最も感銘を受けたとして挙げた言明で、それを締めくくった。
 ヨハネはペトロに敬意を表して黙していたが、彼の言明を聞きながらきっと実感していたに違いない。主はかつて、「あなた方は会堂で打たれ、また、わたしのことで総督や王たちの前に立たされるであろう。それは彼らに証しをするためである。…あなた方は引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと前もって心配することはない。ただその時、あなた方に示されることを語ればよい。語るのはあなた方自身ではなく、聖霊である」と言われたが、それはその通り本当だ、と。
 ところで、この時2使徒が衆議所で示した勇気ある言行を書き残したのはルカだが、彼はどうしてそれを知り得たのだろうか?思うに、それは使徒ヨハネが話してくれたからこそ初代教会で語り伝えられ、ルカは情報収集して書けたのではないかと思う。使徒ペトロは自慢になるのを避け、自分からはそれを話さなかっただろうが、使徒ヨハネは神の御業を称えるために語ったのだろう。だとすれば私たちは感謝しなければならなない。その時の証言者で彼に優る人はいないからだ。
 
 3番目に来るのはヨハネの第一の手紙3;1-2だが、ここで私の心に響くのは、「愛する者たちよ、わたしたちは今すでに神の子ですが、自分たちがどうなるかは、まだ明らかになっていません。しかし、あの方が現れるとき、わたしたちは、あの方に似た者となることを知っています」という一節だ。年老いた使徒ヨハネはエフェソで、小アジアの諸教会宛てにこの手紙を書いたと言われるが、彼はこの章節でイエス様の福音を信じた者が神の子であることを諄々と説いている。 
 手紙を書きながら、彼は波乱に満ちた人生を振り返り、若き日に師イエス様からじきじきに教えてもらったことや、聖霊のおかげで初めてわかった師の教えとか出来事の意味などを、反芻していたのかも知れないと私は想像する。ところでこの章節に書かれたことの中には、彼にとってもう絶対に確実なことがあった。その一つが「わたしたちは今すでに神の子である」という確信だ。しかし、彼にさえまだ確かでないこともあった。「自分たちがどうなるか」ということはそれだ。
 主イエス様の福音に従う者は神の子とされるが、それは主が死と復活によって実現した救いの恵みだ。あの良い羊飼いの譬えはその死と復活の示唆だった。初めてその話を聞いた時のヨハネはまだわからなかったが、聖霊に照らされた後ははっきり理解した。良い羊飼いである主は命を捨ててその羊たちを守り、命を再び得られた。それが十字架上の死と復活による万民のあがないだった、と。そうわかったからこそ、彼は福音書に良い羊飼いの譬えを書いたのだと思う。 
 そう理解できたからこそ、祭司長や長老たちの前に引き出されたとき、彼はその確信を使徒ペトロと共有できた。「この方以外の誰によっても、救いは得られません。人間に与えられた名のうちで、わたしたちを救うことのできる名は、天の下において、ほかにはないのです」と。若き日のその記憶は生涯ずっと、彼の脳裏にはっきりと残っていたに違いない。私すら70年前のことをよく覚えているのだから、ましてや聖霊に照らされた彼は比較にならないほどだったと思う。

 そんな使徒だったヨハネも、「自分たちがどうなるかは、まだ明らかになっていません」と言わざるを得なかった。なぜまだ不確かなのかと言うと、その答えはこの後で彼が罪について語っているのを読めばわかる。「罪を犯す人は悪魔に属しています」(一ヨハ3;8)と彼は書いた。罪を犯す人は神の子とは対極にある。その人は神の国を受け継げないようになるわけだが、生きている限り誰にもまだそうなる可能性がある。だから不確かさが残ると言わざるを得ないのだ。
 だがそれには、「しかし、あの方が現れるとき、わたしたちは、あの方に似た者となることを知っています。なぜならあの方をありのままに見るからです」という続きがある。あの方とはイエス様のことで、この章節の前に彼は「子たちよ、御子のうちに留まりなさい。そうすれば、キリストが現れるとき、わたしたちは確信をもっていることができ、…み前で恥じてしりごみすることはありません」(一ヨハ2;28)と書いている。その時人は主に似ると、彼は言っているのだ。
 かつて彼は3使徒の1人として栄光に輝く姿の主を山上で見た。復活後ご出現になった主にも何回か会い、天に昇られた主も見ている。だから、使徒ヨハネには「あの方に似る」ということのイメージがあったに違いない。主は「復活の時、人は…天の使いと同じようになる」(マタイ22;30)とも言われたが、それは外見的に似るということなのだろうか?それもあろうが、肝心なのは内面を含む人間そのものが似ることだと思う。そのことを最も多く論じた人に聖パウロがいる。
 彼はイエス・キリスト様を新しいアダム(一コリ15;22)と見て、「わたしたちは、土で造られた最初の人間の似姿となっているように、天に属するものである第二の人間の似姿にもなるでしょう」(一コリ15;47)と書き、「神にかたどって造られた、まことの義と崇高さを備えた新しい人をまといなさい」(エフェソ4;24)と勧めた。言葉は違うが、使徒ヨハネの言っていることはそれと同じなのだ。その意味では、神の子となった人は、地上からもう主に似た者になり始めるのだ。
 かつて神様はご自分に似せて人を造られたが、新しい人とは創造のし直し、新しい創造だ。その背景には新しい天地がある。「また、わたしは新しい天と新しい地を見た。先の天と先の地は消え去り、もはや海もない。…見よ、神の幕屋は人々と共にあり、神は人々とともに住まわれ、人々は神の民となる」(黙示録21;1-3)と。そういう日が来ると書いたのも使徒ヨハネだ。神の民とは良い羊飼いの囲いで一つになったすべての羊、主の御名を勇敢に証しした者たちに他ならない。
スポンサーサイト

主は彼らの心を開いて

 復活節第3主日の福音はルカ24;35-48だ。聖書と典礼が採用している新共同訳は、復活した主が弟子たちに現れて言われた言葉を、こう訳している。《そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなた方はこれらのことの証人になる。」》 
 一読した時は、なるほど彼らは主を見たのに復活の主だとはわからずに恐れた。「見ても見えず」だったのだな。だから彼らが聖書をよく理解できるようにと、主は彼らの心の目を開かれたのだと思った。その時、脳裏をよぎったのは「エファータ(開け)」と言うお言葉だった。それは耳の聞こえない人の治癒(マルコ7;34)で言われたのだが、目の見えない人にも言える。聖書は読む物だから心の目を開かれたのだ。ならば、今週はそのことを考察してみよう。そう思った。
 しかし、念のためにとフランシスコ会訳も読んでみたら、何と肝心な一語が違っていた。「彼らの心を開いて」とあり、「心の目」ではなかったのだ。そこで、どちらが正しいのかギリシャ語原典で調べてみたところ、“diehnoixen autown ton noun” だった。「彼らの心を開かれ」の意味だ。ラテン語、英仏独スペイン語訳もみなそうで、「心の目を」ではなく、「心を」が正しい訳だった。もっともヘブライ語訳だけは“pakahha einei siklam”「心の目を開いて」と訳してはいる。
 しかし、原典により忠実な「心を開く」という訳をよしとすると、当然「心の目を開く」ととる場合とは解釈が少し違って来ないわけにはいかない。なぜなら、「心の目を開く」という場合は、肉眼で見える世界の事物ではなく、比喩的に表現された心の目を肉眼には見えない何かが見えるように開くわけだが、もともと目のように開閉するものではない「心を開く」となると、「開く」という比喩がどういうことを意味するのか、「心の目」の場合ほど単純明瞭ではないからだ。
 例えば心の目を開くと言う比喩は、未来が見えて来るとか、神の愛に気付くとか、肉眼では見えない物事がわかるような時に使われる。ところが、心を開くという比喩は、目ではないから見えるためではない。何かを受け入れるためとか、神の恵みが入るためとか、思いを分かち合うためとかのような場合に使われるものだ。そこで湧くのは「主が彼らの心を開いて」とはいったいどういうことだったのだろうか?という疑問だ。それは何のためだったのかと問い直してもいいだろう。 
 
 その答えの糸口は、使徒たちのその時の精神状態を知ることにあると思う。主が「彼らの心を開いた」のなら、その時まで彼らの心は閉ざされていたことになる。では、閉ざされていたとはどういう状態を意味したのだろうか?察するに、彼らは単に聖書が理解できていなかっただけではなく、希望も気力も失って、自分のことにしか向き合えなくなっていたのだ。ユダヤ人たちを恐れて、家に閉じこもっていたその時の彼らの様子が、その閉じられた心を如実に象徴していたと言えよう。
 キーワードの一つである「心」は原典ギリシャ語のルカ24;45ではnousだが、他にkardiaも「心」を表わす。それは「心臓、心、精神活動の中心」の意味だ。「心の清い人は幸い」(マタイ5;8)や、エマオへの弟子2人に言われた「心が鈍く」(ルカ24;25)では、kardiaが使われている。それに対し、nousは「知能、分別、理性、心」の意味で、kardiaとは意味的には大部分が重なるが、どちらかと言えばやや知的なニュアンスが強い。 
 実際この時、使徒たちは聖書もイエス様の約束も理解できていなかった。だからルカは、主が「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」と、どちらかと言えば理知的な意味の“nous”で「心」を表現したのだろう。しかし、主は単に聖書を知的に理解させるためだけではなく、それ以上の目的があって彼らの心を開かれたのだと思う。知的な理解のためだけならば、学者たちでも十分だったはずだからだ。では、主はどんな目的でそうなさったのかというと、それは3つが考えられる。
 もちろん、まずは聖書を悟らせるためだった。それなしには次に進めないからだ。と言うことは次があったわけだ。それは内向きに閉じこもっていた彼らを、失意落胆から立ち直らせることだった。まさに彼らの復活だったのだ。そして3つ目は彼らに本来の使命を自覚させることだった。これが一番大事なことなのだが、それは主の死と復活によって実現した福音が全世界に宣べ伝えられるため、「あなた方はこれらのことの証人となる」ということを彼らに確信させることだった。

 1番目の目的は自明だから省略し、2番目から考えると、その時の彼らは自分たちが置かれた状況にうろたえ、聖書どころではなかっただろう。すべての望みを託した師は無残にも十字架で死んでしまった。今となってはもう何もかも空しい。すべては終わったと意気消沈し、ここまでの年月は何だったのかと後悔する者もいたに違いない。そればかりか、弟子だったから、ぐずぐずしていたら命まで危ない。すべてを諦め、早くガリラヤに帰った方がいいと考えていたのではなかろうか。 
 だから、朝方、墓に行った女性たちが、主は復活して生きておられるという天使の言葉を伝えても、本当はこの上ない朗報だったのに、それを馬鹿げていると思って取り合わなかった。主の約束はもうまったく念頭から消えて、自分のこれからの身の振り方などしか考えなくなっていたのだろう。心が閉ざされているとは、自分のことにしか関心がなくなってしまい、うつむいて自分の中に屈み込んでしまう精神状態のことだと思うが、その時の彼らはまさにそういう自閉状態にあった。
 ところが、エマオへ行った2人が急いで戻り、復活した主に出会ったと知らせて来た。ちょうどその時、使徒たちも主がシモン・ペトロに現れたと知って、大騒ぎになっていたのだった。雰囲気は一変していた。主が彼らに出現なさったのはそんな時だった。それなのに、主を見た彼らは恐れた。復活の主だと本当にわかっていたら、怯えなかったはずなのに、亡霊だと思ったからだ。だから、主は「なぜ怯えているのか。どうして心に疑いを抱くのか」と叱責されたのだ。
 そして手足を見せ、「まさしくわたしだ。触れて確かめなさい」と言われ、魚の一切れまで食べて、復活体ではあるものの、正真正銘の肉体をもったご自分であることを示し、彼らを安心させた。だから、それがわかった彼らは余りの嬉しさに、まさか夢ではないかと信じられないくらい驚いたのだ。それは主の復活が本当だと確信したことを意味する。こうして、主は自閉していた彼らの心を失意落胆から立ち直らせ、生気を吹き込まれのだ。これは知的な理解とは別のことだった。

 3つ目の目的は、使徒たちに本来の使命を自覚させることだった。現代の私たちは「証人」の使命をそれほど重くは受け止めていない気がする。しかし、原典を読み、その後の教会の歴史をたどると、それがいかに重大なことだったかがよくわかる。「あなたがたはこれらのことの証人となる」(ルカ24;48)という一節は、原典では、“humeis martures toutown.”だ。Marturesはmartusの複数で、martyr(殉教者)の語源だ。だが、当時は語源ではなく、証人即殉教者だったのだ。
 これでわかる通り、ここでいう証人とは、単なる法的証言者や約束の証人などの意味だけではなく、血の証人の意味があった。つまり、命がけで福音の真理を証しする任務を負ったのが、この「あなた方はこれらのことの証人となる」という一節の意味だ。そして、初代教会で最初の殉教者となった聖ステファノ以来、その意味を理解した信徒たちは命に代えても福音の真理を証ししたのだった。殉教者とはそういう信仰の証人のことなのだ。
 主は使徒たちがそういう覚悟を持てるようにと、彼らの心を開かれた。しかも、「エッファータ」の奇跡の時のように、順々になさった。しかし、学者たちの学問のようにではなく、聖霊によって悟らさせた。だから、「父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」つまり、「聖霊を送るから、その力に満たされるまで待ちなさい」と言われたのだ。聖書を悟らせるためとは、最終的にはそういうことだったのだ。

 そのことは、ヨハネによる福音書20;21-23と読み合わせともっとよくわかる。その章節はルカ24;35-48が伝えるのと同じ主のご出現を、違う言葉で違う角度から語っている。しかし、共通点はいっぱいある。従って、相互に補完し合っていると見るべきだろう。ヨハネは主が魚の1切れを食べられたこととか、モーセと預言者たちの書に書いてある「メシアが苦しみを受けて3日目に復活する」預言とかには触れていない。しかし、次のような点では一致したり通底したりしている。
 まずご出現は両書とも週の初めの日の夕方だ。次に、弟子たちは家の中に集まっていた。そこへいきなりイエス様が出現なさった。そして、「あなたがたに平和があるように」と言われた挨拶も同じだ。手とわき腹をお見せになった点では、ルカでは手足になっているが、それは補完させ合って理解すればこれも一致する。ルカではそれでも弟子たちが信じ切れなかったように書かれているが、彼らが復活の主を見て喜んだ点では共通する。そして、最も大事なのはその次だ。
 ヨハネでは、主が使徒たちに、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしはあなたがたを遣わす」と言われているが、ルカでは罪の赦しの福音が全世界に告げ知らされ、使徒たちはその証人となると言われている。これは使徒たちが世界に証人として行くのだから、派遣と同じだ。従って、言葉は違っても内容は通底する。ところで、「父がわたしをお遣わしになったように」とは、彼らも主のようにそれぞれの十字架を負って証し(殉教)をすることを意味している。
 ヨハネでは主は彼らに息を吹きかけて、「聖霊を受けなさい」と言われた。ルカにはその言葉はないが、「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」とある。ところで、心を開くのは聖霊のお働きでなくて何であろうか。最後の晩餐で、「聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくれる」(ヨハネ14;26)と言われた、とヨハネが書いた主の約束は、奇しくもルカの福音書が伝えるご復活後の再会で実現されているのだ。
 そしてヨハネでは、主は使徒たちに「だれの罪であれ、あなた方が赦せば、その罪は赦され、あなたがたが赦さないなら、赦されないまま残る」(ヨハネ20;23)と言われたが、ルカでは「その名によって罪の赦しへと導く悔い改めが、エルサレムより始まり、すべての民に宣べ伝えられる」とある。どちらも罪の赦しの福音と聖霊のお力が働く点で通底する。ただ一方はその権限について書き、他方はその世界的な広がりについて叙述した。だから、両書を合わせるとよりよくわかる。

 ヨハネの福音書で主が使徒たちに吹きかけられた息は聖霊(pneuma hagion)だった。それによって彼らの心は聖書を悟れるようになっただけではない。「あなた方は、引き渡されたとき、何をどう言おうかと心配してはならない。言うべきことは、その時、あなた方に授けられるからである。語るのはあなた方ではない。あなたがたの父の霊が、あなた方を通して語られるのである」(マタイ10;19,20)とある通り、彼らは恐れずに証しする強い心の人に変えられて行ったのだ。
 事実、その成果は聖霊降臨の日に顕著に表れた。聖霊を受けた使徒たちの変化はシモン・ペトロの堂々たる説教(徒2;14seq.)、最高法院の議員たちの前で恐れずに救い主イエス・キリストを宣べた証言(徒4;1seq.)、エルサレム会議でのリーダーシップ(徒15;6seq.)などでわかる。それは他の使徒たちでも同じだった。怯える男たちはもはやそこにはいなかった。しかし、その変化はこの夕方、主が聖霊を吹きかけて、彼らの心を開かれた時から潜在的に始まっていたのだった。

 主は彼らに聖書を悟らせるため息を吹きかけ、聖霊によって彼らの心を開いた。それは聖霊によって彼らを立ち直らせるため、そして、彼らを立ち直らせたのは、世界中に宣べ伝えられる福音の証し人(martyres)であることを彼らに自覚させるためであった。今日の第一朗読、使徒言行録3;15でペトロは民衆に「わたしたちは、このことの証人です」と言明している。これはイエス様がその時、「あなたがたはこれらのことの証人となる」と言われたことの見事なエコーだ。
 それに比べ、現代の私たちは何と甘いことだろうか。証人が殉教者という意識は皆無に近い。迫害も身の危険もない。信仰を禁じられることもない今の日本は、まったく自由で平和だ。それなのに、ユダヤ人に怯えて隠れていたあの日の使徒たち同様、私も家の中にいるのではないか?ただし緊張感もなく、ソファーにどっかり座っている点が彼らと違う。しっかりした証人にもなれずにいるそんな私に、使徒たちのことをとやかく言い、福音を語る資格などあるだのろうか、と省みる。

信じるか疑い続けるか

 「あの方は復活なさって、ここにはおられない。…あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われた通り、そこでお目にかかれる。」(マルコ16;7) これは復活徹夜祭ミサで読まれた福音の一節だ。白衣の若者は婦人たちにそう告げたのだった。「かねて言われた通り」とはいつだったかと言うと、最後の晩餐の時、「わたしは復活した後、あなた方より先にガリラヤに行く」(マルコ14;28)と言われたことを指す。もっともマルコには実際にガリラヤに戻られた記事はないが、マタイはその予告も、主と弟子たちがガリラヤで会ったことも(マタイ26;32、28;16)両方伝えている。
 復活節第2主日の福音はヨハネ20;19-31だが、そこには主がご復活の8日後にもご出現なさったと書かれているから、すぐにはガリラヤに行かれなかったことがわかる。しかし、ヨハネ21章は主がその後ガリラヤに戻り、弟子たちと再会されたことを語っている。ところが、ルカは他の福音書とは違い、復活の主が40日間使徒たちに現れ、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(徒1;4)と命じられた後、オリーブ山から天に上げられた(同1;9,12)と述べている。これは彼らがガリラヤには戻らず、ずっと都にいたような印象を与える。
 そこで疑問が湧く。果たしてイエス様は使徒たちより先にガリラヤに行かれ、彼らもそこに戻ったのだろうか?それとも40日間ずっとエルサレムに留まっていたのだろうか?という疑問だ。もし彼らのガリラヤ行きが事実なら、ルカは間違ったことになる。逆に彼らがエルサレムにずっといたのなら、ガリラヤでの再会はなかったことになる。聖書なのにどちらかが間違っているとなれば、一大事だ。これはどう理解したらいいのだろうか?それに、40日間の出現はエルサレムでだけだったのか?そして、もしガリラヤに戻ったのが事実なら、それはいつだったのか?という疑問もある。

 取り組みやすい疑問から片づけてみよう。まず40日間のご出現についての疑問だが、私はエルサレムだけではなかったと見る。なぜなら、ルカはその期間中、エマオへの途上とエルサレムとベタニアの3か所であったご出現を記録しているが、他のご出現には何も触れていないからだ。つまり他の所での可能性を排除していない。従って、もし彼らがガリラヤに戻っていたとすれば、当然そこでのご出現もあったと見ていいことになる。もっともルカはそれについて無言だが…
 では、もし彼らがガリラヤに戻ったとしたら、それはいつだったのだろうか?私は8日目のご出現後すぐだったと推測する。ユダヤ人の過越祭はもともと遊牧民の祭りだったが、収穫を祝う農民の除酵祭と融合して8日間祝われた。だから主も弟子たちもそれを守って、ご復活後すぐにはガリラヤに帰らず、エルサレムにいたのだ。しかし、祭礼後はすぐ帰郷しただろう。貧しいガリラヤの人たちが、40日間も皆でエルサレムに居続けることは、生活資金的にもたなかったはずだからだ。
 では実際のところ、イエス様は先にガリラヤに行かれ、使徒たちもそこに戻ったのだろうか?それとも聖霊降臨までの40日間、ずっとエルサレムに留まっていたのだろうか?私はガリラヤに一度は戻られたという見解をとる。その根拠は3か所の記述にある。①マルコとマタイでそれを予告なさった。②マタイではその予告通り帰郷したことが語られている。③ヨハネ21章では、弟子たちがガリラヤ湖で漁をし、出現された主と出会った出来事が伝えられている。以上の3か所だ。
 もっとも、マタイのガリラヤにおける再会記述はステレオタイプ的で、歴史的信憑性には疑問符がつく。また、ヨハネ21章は使徒ヨハネ自身が書いたものかどうかで学者たちの議論が分かれる。だから、主と使徒たちのガリラヤ行きをその記述で確実に証明できるかとなると、いささか弱みがある。とは言え、それはれっきとした正典が伝える出来事だし、この記述があること自体、教会にそういう伝統的な理解があることの証明になる。そして、それが一番強い根拠だと思うのだ。

 そうだとすれば、ルカが間違ったことを書いたことになるのだろうか?いや、そうではないと私は思う。それはルカが書いたことをどう読み解くかにかかっている。もしルカがはっきり、主も弟子たちもガリラヤには戻らず、ずっとエルサレムから離れなかったと明言しているとすれば、それは明らかに他の福音書と対立していることになる。そして、もし他の福音書が正しいのなら、ルカが間違っていたことになるだろう。しかし、彼はどこにもそういう明言はしていない。
 彼は主の命令を、「わたしは、父が約束されたもの(聖霊)をあなたがたに送る。高いところからの力に覆われるまでは、都に留まっていなさい」(ルカ24;48-49)と書いた。「エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人になる」ためだった。それはこれから福音宣教に出て行く各国各地のことを指していた。つまり、聖霊を受けるまでは本格的に動き出すな。待ちなさいと言う意味だった。だから、ガリラヤ行きはそれには当てはまらなかったのだ。私はそう解釈する。
 ところが、ルカは一つのビジョンをもって福音書と使徒言行録を書いた。それは主の福音がガリラヤからエルサレムへ、エルサレムから世界へと広がって行く展望だ。「救いはユダヤ人から」(ヨハネ4;22)なら、「その都エルサレムから」始まるという考えによる。ところで、復活の主と使徒たちのガリラヤ帰郷は都に留まれと言う命令の範囲外だったが、後戻りにはなる。彼のビジョンに合うとは言えなかった。だから彼はそれには触れず、無言で通したのではないか、と私は推察する。
 しかし、無言とは否定も肯定もしないことを意味する。事実、使徒たちのガリラヤ行きを否定した文言は彼の福音書と使徒言行録のどこにもない。おそらく彼はそれを知っていた。だが、それは一方では彼のビジョンに好都合ではなかったし、他方では「父が約束されたもの(聖霊)を待つ」ことに比べればさほど重要ではないと思えたのだろう。だから、彼はそれを書かなかっただけなのだと思う。「都に留まっていなさい」とは、必ずしもずっとそこにいなさいという意味ではなかったのだ。
 事実はこうだったと思われる。使徒たちは一度ガリラヤに戻った。生活があったからだ。ヨハネ21章の「わたしは漁に行く」と言ったペトロの一言は興味深い。ぶらぶら遊んではいられなかったことを物語るからだ。大勢でずっと都にいることは資金的な困難もさることながら、学者などではなかった彼らには、40日も宙ぶらりんの状態で都にいることは耐え難かっただろう。だから、一度ガリラヤに戻り、五旬節(ヘブライ語でシャブオト)が近づくと、またエルサレムに上ったのだと思う。 
 一度ガリラヤに帰ったからと言って、それが「父の約束されたもの」をいただく妨げになるわけではなかった。書かれてはいないが、主から都に上る時期を言われた可能性もある。頃合いを見計らってエルサレムに戻れば、「高いところからの力に覆われる」のを待つには十分だった。だとすれば、その前はしばしガリラヤに戻っていたことになるから、ガリラヤ行きを伝える他の福音書とルカの記述が相反するような問題は霧消する。ルカはそれについて触れなかっただけなのだ。

 ところで、復活節第2主日の福音はヨハネ20;19-31だが、その重要なメッセージの一つは、「信じないものではなく、信じる者になりなさい」ということにある。イエス様が復活なさったとき、天使がそれを告げても、多くの人は信じなかった。そこに共通するのは不信だ。先週のマルコの福音書では、白衣の若者の姿をした天使が婦人たちに、「あの方は復活して、ここにはおられない」と告げた。だが彼女たちは喜ぶよりも、恐れて逃げ帰った。半信半疑。それがとっさの反応だった。
 マタイでは、復活を知った婦人たちは「恐れながらも大いに喜んで」墓を去ったと描写されている。やはりまだ半信半疑だった。他方、ガリラヤに帰った使徒たちはある山で主に会った。「しかし、疑う者もいた」のが実情だった。彼らはもうエルサレムで少なくとも2回は復活の主に会っていたはずなのに、まだ疑う者がいたとは驚くべきことだった。まさに「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く、預言者たちの言ったことをすべて信じられない者たち」(ルカ24;25)に当てはまった。
 ルカでは、輝く衣の2人が主の復活を告げると、女性たちは主のお言葉を思い出して弟子たちに一部始終を知らせたとある。まだ中途半端ながら、彼女たちは信じた。しかし、使徒たちは彼女たちの言葉を信じなかった。エマオへの弟子2人も、旅人が主だったと気付くまでは主の復活を信じていなかった。そして、使徒たちは主がご出現になっても、亡霊を見ているのだと思って信じなかった。だから、「なぜうろたえているのか。どうして心に疑いをおこすのか」と咎められたのだ。
 使徒言行録は、主が「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠を持って使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」(徒1;3)と伝える。それというのも彼らの信仰が不十分だったからだ。復活の主を見た後でも、彼らにはまだそんなにも教育の日数が必要だったのだ。彼らの信仰心がいかに鈍かったか。4福音書はどれもその嘆かわしい事実を語る。この日の福音ヨハネ20;19-31が語るのも、まさにその一例なのだ。

 復活の朝、主に出会ったマグダラのマリアは主を信じた。彼女は弟子たちに「わたしは主を見ました」と告げ、主から言われたことを伝えた。ヨハネはそれに対する弟子たちの反応は書いていないが、それは想像に難くない。誰も彼女の証言を信じなかったのだ。それは他の福音書が語っている通りだ。しかし、その夜、主が出現なさって、手とわき腹をお見せになると、彼らは主を見て喜んだ。自分の目で見てやっと信じたのだ。
 ところが、その場にいなかったトマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れて見なければ、また、この手をその脇腹に入れて見なければ、私は決して信じない」と言った。徹底した実証主義的不信表明だった。すると、8日目の夜、イエス様はまた「あなた方に平和がるように」と言って現れ、トマスに「あなたの指をここに当て、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われた。
 トマスは主の手の釘跡とわき腹を見て、それがまがうことなく師イエス様だとわかると、仲間に言い放った不信表明とは正反対に、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を表明した。彼は深く信じたのだ。彼が「主」と言ったのは、イエス様を神の子と信じた信仰宣言だった。しかし、主は彼に対してだけ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われたのではなかった。それは復活した主に対して不信仰を示した、すべての弟子たちに対する主のお答えだったのだ。
 その時、主は続けてトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」と。それこそが真の信仰なのだが、それはトマスだけにでも、弟子たちだけにでもなく、主を見ることができない世のすべての人のために言われたのだ。もちろん私もそれに入る。ところで、使徒ヨハネがその福音書を書いた1世紀末は、どんなに主に会いたくてももう会えない時代になっていた。ヨハネは直接的にはそんな初代教会の人々のためにそのお言葉を伝えたのだった。
 もし自分の目で確かめない限り、主の復活も福音も信じられないと言うのであれば、主と共にいた同時代の人でない限り、誰も主を信じることはできないことになる。しかし、見て信じるとは、実は証明によって納得するに等しい。信じるとはまさに逆で、見ないからこそ信じると言えるのだ。ところで、現代の私たちが復活の主を見ることはまず無理だが、その点では初代教会の人々もまったく同じだった。主の時代には近かったものの、彼らももう主を見ることはできなかったからだ。
 そんなわけで、おそらく初代教会にも、主を見ることができなければ、復活の主を信じることは難しいと呟く人がかなりいたのだろう。使徒ヨハネはそんな呟きの拡散を憂慮したから、その福音書終章に使徒トマスの話を書き、「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また信じてイエスの名により命をうけるためである」(ヨハ20;31)と結んだのだと思う。彼は私たちにも問いかけている、「信じるか、それとも疑い続けるのか」と。

補遺
 見たから信じるのと、見ないで信じるのとのもう一つの違いに後で気づいた。見たから信じるとは、自分の目を信用していることだ。それに対し、見ないで信じるとは、言っている(または書いた)者が信じるに足ると信用することだ。
 例えば、トマスは復活した主を見たから主の復活を信じたが、それは自分の目を信用したから、主の復活を信じたことに他ならない。主を信じたのでも、復活を伝えた他の使徒たちを信じたのでもない。本当は頼りにならない自分の目を信じた。だから、それだけでは本当の信仰ではなかったのだ。
 他方、天使に言われたから信じた婦人たちは、天使は嘘は言わない、信じるに足る真実な方だと、天使を信じたから、主の復活を信じたのだ。彼女たちは天使を信用したことになる。
 自分の目を信用するから、信じるような人は、決して神様を信じたり主の復活を信じたりする信仰には至り得まい。目が頼りなのに、神様は目に見えないし、復活の主も今は見ることができないからだ。見ないで信じる人は、真実だと伝える教会または聖書を信じるに足ると信じるから、目に見えない神様や主の復活を信じることができるようになる。

マルコによる福音書の復活メッセージ

 今年はカトリック多摩教会で復活の徹夜祭ミサに与った。1年半前から「神様の子になりたい」と言っていた、34歳のY. G.君が洗礼を受けたからだ。私もそれを願って来たが、祈りは聞き入れられた。だから、Nunc dimittis, Domine, servum tuum in paceの心境だ。神様に感謝!復活徹夜祭はいつも感動的だが、今回は格別だった。そこの共同体には生き生きとした信仰が感じられた。28名もの成人受洗も驚きだった。使徒言行録の出来事が再現している感じだった。
 洗礼式前の説教で、晴佐久神父様はこの日の福音マルコ16;1-8にある、天使らしき若者が婦人たちに告げた次の言葉を取り上げた。「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。ごらんなさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われた通り、そこでお目にかかれる』と。」そして、会衆にこう問いかけた。
 「イエスはガリラヤに行かれると言われた。ガリラヤとはどこでしょうか?」と。少しでも聖書の知識がある人なら当然すぐ思っただろう。イスラエルの北部にある地域だ、と。しかし、彼は言った。「ガリラヤとはここです。きょう、洗礼を受ける皆さんがいるこの教会です」と。この発想にはさすがだと感服した。人の心に残るだけではない。それが本当だからだ。なぜ?復活された主はガリラヤに戻られた。弟子たちを新しい人として再出発させるためだったが、洗礼もそれと同じだからだ。

 ところで、私はそのような司牧的な関心からではなく、聖書学的な見地から、ずっとマルコによる福音書16;1-8に抱いて来た疑問と取り組んでみようと思う。その疑問とは、なぜごマルコは主の復活についてこのように短くしか語らず、このような奇妙な叙述で終わっているのだろうか?というものだ。16章はたったの8節しかなく、そこには復活されたイエス・キリスト様のご出現も、弟子たちに話されたお言葉も書かれていない。天使らしき若者の伝言と婦人たちの言動だけだ。
 人は「いや、マグダラのマリアに現れたことや弟子たちの派遣記事がある」と反論するかもしれない。しかし、「補遺」と呼ばれる同章の9-20節は正典(カノン)として認定はされているものの、別の誰かによって追記されたものだ。その点では聖書学者たちは一致している。マルコ自身が書いたのではないのだ。だとすれば、ご復活の主についてもよく知っていたはずなのに、なぜ彼はそのことを詳しく書き残さなかったのだろうか?それには次の仮説が考えられる。
 1.実は主の復活についても長い記述があったのだが、何らかの理由でその部分は失われた。だから、現在のような形になった。2.実はマルコはそれも書くつもりだった。だが、何らかの理由で書き終えることができなかった。従って、彼の福音書は未完成なのだ。3.実はご復活の主についても書こうと思えば書けた。しかし、ある意図があったので、彼はあえて書かなかった。だから、短い章で終わった。そういう3つの仮説だ。では、そのどれが妥当かこれから検証してみる。 

 まず、マルコ16章には元々は主の復活がもっと長く書かれていたが、何らかの理由でそれが失われたから、現状のような形で残ったという1番目の仮説だが、これはあまり説得力がない。もしそうだったとしたら、書かれた福音書が巻物ではなく、1枚1枚別の羊皮紙であった場合、失われた理由は2つ考えられる。①マルコ自身がその部分を紛失してしまったからという理由。②最初の写本記者がその部分を紛失してしまい、それが欠落したまま写本にしたからという理由だ。
 しかし、理由①は、もしマルコが本気でご復活の主についても後世に伝えておきたいと思っていたのなら、あり得なかったと思う。自分が紛失したのなら、必ずもう一度書き直したに違いないからだ。それに対して②の場合はあり得たかも知れない。しかし、最初の写本時にはマルコはまだ存命中だっただろうし、原本を読んだ人は写記者以外にもいただろうから、その部分が欠落した写本の異変にはすぐ気付いたはずだ。そして、然るべき手を打っただろう。だから、最初の写本から欠落が始まったとは考えにくい。そして、少し後の写本から欠落し出したのなら、欠落のない写本もあったはずだ。ところがそれは存在しない。従って、この理由による仮説には僅かな可能性しかない。 
 次に、マルコは書こうとしたが、何らかの理由で書けずに終わったと見る2番目の仮説だが、その理由としては①マルコが病気とか多忙などの物理的理由で中断し、そのままになってしまった。②もう少しで書き終るところだったが、異教徒に捕らえられて殉教したため、そのままになってしまったという2ケースが考えられる。しかし、彼がご復活の主についてもっと書くつもりだったら、何があっても書いていただろうし、彼の福音書はすでに彼の生存中に読まれていたらしから、そういう理由による仮説は事実と合わない。つまり、彼の福音書は未完成ではなかったと言うことになる。
 それならば、マルコはご復活の主についても書こうと思えば書けたが、ある意図があったのであえて書かなかったという3番目の仮説はどうだろうか?私はこれが一番妥当だと見る。つまりマルコには、書くよりも書かないでおく方がよいと思う何らかの理由があった。だからこそ彼は意図的に、あえてあのように福音書を終わらせたのではないかということだ。私がそう推測するのは、この仮説だとこの福音書の終え方がよく説明できるし、豊かな示唆も含んでいるからだ。
 もっとも、16章最終節、「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったのである」という終わり方はいかにも唐突で、まだその続きがあったような印象は与える。従って、少なくともある部分が失われたのではないか、という1番目の仮説は完全には否定出来ない。しかし、その仮説の価値は、マルコが復活の主について書くよりも書かないでおく方がもっと有益だと考えて、書かなかった理由に比べればずっと劣る。
 なぜなら、ある部分が失われたのではないかという仮説は、そうだったかも知れないし、そうでなかったかも知れないという、最終的には証明不可能な憶見、そこからは確かなことが何も始まらない役立たずの論拠に過ぎないからだ。それに、復活の主については他の福音書が語っているから、聖誕物語同様マルコの福音書にそれがなくても困らない。しかし、マルコが書かなかったことは他の福音書にはないことを示唆しているからこそ尊い。役立たずの仮説に優るゆえんだと思う。 

 では、マルコはどんな意図でそういう終わり方をしたのだろうか?それを理解するためには、その前に、なぜ彼が主のご受難についてはあれほど長く書いたのかを一考しておいた方がよいと思う。なぜ彼はそれを長々と書いたのだろうか?一口で言えば、初代教会がそれを必要としていたからだ。そもそも初代教会は聖霊降臨によって始まった。その聖霊降臨は主イエス様が死から復活されたからこそ実現した、救いのみ業の大進展だった。
 従って、当時の信者たちは主の復活を固く信じていた。信仰の核心だったからだ。だが、ご受難については生き証人も減りつつあったのに、十分知っているとは言えなかったのだろう。それに、それを知ることの益は多大だった。そこで、マルコはその需要に応えたのだ。だから、「神の子イエスキリストの福音」と書いて、主が誰であるかは断言しているが、聖誕などには一切触れず、その冒頭と対をなすかのようにその結びでも、復活した主のご出現やご昇天などは書かなかった。
 なぜそれを省略したかと言うと、彼が書こうとしたのは神の子イエス・キリスト様が公に何をなさり、何を教え、どのような最後を遂げられたかについてだったからだ。従って、ご生涯の初めと終わりは省いた。わけても彼は主がエルサレムで過ごされたご受難の約1週間を重視した。それは彼がその福音書全体の約3分の1を、その期間の出来事に割いているのを見てもわかる。特に主のご受難そのものは実にリアルに詳しく書いた。それには特別なわけもあったのだ。 
 彼の福音書が出た当時、初代教会は苦しみの中にあった。ローマ皇帝ネロがローマの大火災をキリスト教徒の仕業として、信者たちを捕えて処刑したり猛獣の餌食にしたりして、苛酷な迫害を加えていたからだ。そういう状況では、恐怖心や弱さから教えを捨てたり、裏切って仲間を売ったりする信者が出るのも避けられなかった。そこで、マルコは主のご受難の苦しみをつぶさに語り、使徒たちの弱さや裏切りも隠さず書いた。それは恐れ苦しむ信者たちが主のご受難を思って信仰に留まり、転んだ者が使徒たちさえそうだったのかと励まされて、弱さから立ち直れるためだった。

 マルコがご受難の記事を長々と書いた意図はそこにあった。それは直接的には当時の信者たちのためだったのだ。では、それとは対照的に、彼がご復活については驚くほど短くしか書かなかったのは、どんな意図からだったのだろうか?それしか書かなかったことは、書かなかったその事実によって、当時の信者たちだけではなく、彼の福音書を読むすべての読者に、「白衣の若者と婦人たちの続きを行うのはあなた方だ」とわからせたかったからではなかろうか。私はそう思うのだ。
 ご復活の朝、婦人たちは墓の石がどけてあったのと白衣の若者の出現に驚いた。そして、若者から主は復活された。それを弟子に伝えよと聞くと、墓から逃げ去って、恐ろしさに震え、何も言わなかった。では私たちはどうか?世に臆して主の復活を告げ知らせなかったり、復活を疑ったりしてはいないだろうか?そうなら、彼女たちや家に隠れていた弟子たちと五十歩百歩だ。しかし私たちは、マルコが書かなかったのに、その後の彼女たちと使徒たちがどうしたかを知っている。
 彼女たちは勇気を出して使徒たちに主の復活を伝え、使徒たちはやがて世界に出て福音を伝えた。マルコはペンを置いて語りかけているのだと思う。「あなたがたは主が復活なさったことをもう知っている。だから、私が復活の主について書く必要はない。書物の中に復活の主を尋ねるより、その福音を世に伝えなさい。書かれていない16章の続きはあなた方なのだ」と。彼は私たちに若者と彼女たちの続きを託し、私たちの背中を押しているのだ。そこに大切なメッセージがある。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。