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神の母、聖マリア

窓辺の母子
 

 気付かずにいたが、元日と主日が重なるのは7年に1回だと思っていたら違っていて、閏年があるから6年に1回だと初めてわかった。ところで、来る2012年は元日と主日が重なるそういう年に当たる。そして、その主日は神の母、聖マリアの祝日だ。そこでふと、日頃の自分が「神の母、聖マリア」と気にも留めずに、アヴェ・マリアの祈りをして来ていることにも気づいた。
 考えてみれば「神の母」とは、被造物である一女性が創造主たる神様の母だ、ともとれる大変大胆な称号なのに、私は慣れっこになっていたなぁ。信者の皆さんはどうなのだろう?何の疑問もなくそう祈っているのだろうか、とそんな疑問が湧いた。私はかつて教会がなぜ聖マリアを「神の母」と呼ぶのか、神学でそれを学んだことがあるが、すっかり忘れていた。時は記憶を風化させる。それに気づいたので、今日は年末の知的活動の締めとしてその再確認をしようと思う。

 それは西暦431年だった。当時問題になっていた教義上の2問題に対処するため、史上3回目の公会議がエフェソで開かれた。問題の一つは、イエス・キリスト様において、神の本性及びロゴスとしての位格(ペルソナ)が、人間本性及び人間としての人格(ペルソナ)とどのように結合しているかというキリスト論の論争だった。そして二つ目は、その一つ目の論争の決着次第で答えが出るのだが、聖母を神の母と言ってしかるべきかどうかという問題だった。
 発端は当時のコンスタンチノープル大司教だったネストリウスの次のような教説だった。神の本性を持つペルソナのロゴスはイエス・キリストの人間本性とだけ融合した。だから、ロゴスの受肉は不完全で、キリストには神のペルソナと人間のペルソナが二重に存在しており、人間キリストには人間本性と人間的ペルソナがあると教えたのだ。従って、聖マリアは人間キリストの母だから、キリストの母(クリストコス)ではあっても、神の母(テオトコス)ではあり得ないと主張した。 
 これに対し、アレクサンドリアの大司教聖シリルはこう反論した。神のロゴスは真に人となられた。だから、イエス・キリスト様は真の人間本性を持っておられるが、主におけるペルソナは神の本性を持つロゴスのみで、それが神の本性と人間の本性を有している。従って、キリストの母は神の母でもあると主張した。そこで、エフェソの公会議は熟議の末、聖シリルの主張を正統と認め、聖母マリアを神の母と宣言したのだった。他方、ネストリウスは異端者とされ、エジプトに放逐されて死んだ。

 ところで、この種の神学論争に接すると、私は何かやりきれない気がする。その問題は机上の空論的で、現実離れし過ぎている上にわかりにくい。私自身その問題を考えると、何が何だかこんがらがって頭が変になる。それなのに、当時はその問題をめぐって正統派と異端派がせめぎ合い、権力を握った側が対立者に破門や放逐を繰り返した。何と無駄なエネルギーを使ったものよと思ってしまう。それに、それは福音的愛の教えから余りにも乖離していた、と私には思えるのだ。
 では、なぜそんな神学論争が起きてしまったのだろうか?初代教会の悩みはユダヤ化信者の出現だった。聖パウロは律法に対する福音の優越性をもって、その危険と戦った。次の大迫害時代はグノーシスの危険もあったが、外部からの脅威が最大の問題だった。しかし、ローマ帝国から信仰の自由が保障されると、内部からの危険が生まれ出した。私はどうも福音をギリシャ的思考で解釈し始め、それが神学になって行ったところに、その危険の最大原因があったのではないかと思う。
 もっとも、ギリシャ的思考による福音の解釈だけでなく、福音書自体、特にヨハネの福音書にそういう論争の種があったことも確かだ。実際、キリストにおけるペルソナと本性の問題以前に、三位一体の問題がコンスタンティヌス大帝による信仰の自由化後すぐに起こっている。最初の公会議が西暦325年に二ケアで、続いて西暦381年にコンスタンチノープルで開かれたのはその問題を解決するためだった。
 確かに新約聖書、特にヨハネの福音書と聖パウロの手紙を読むと、神様が父と子と聖霊であることは否めない。ならば信者たちがその三位はどういう関係にあるのだろうかと、ギリシャ思想を考察の道具に使って考え始めたのは自然の流れだった。その結果、ギリシャ的論理の神学が生まれ、神は本性においては唯一だが、ペルソナにおいては三位だという三位一体の教義を信仰箇条として確立した。神学言語には福音的味も香りもないが、それはそれで存在理由はある。 
 だとすれば、三位一体の教義を受けて、神の第二のペルソナであるロゴスが人となったイエス・キリスト様において、ロゴスとしての神性とペルソナ、人間としての本性とペルソナはどう融合していたかと、突き詰めて考えていったことも理解できる。ところが、聖書の光りに照らしてではあっても、人知でそういう五感を超越した問題を論じれば、違った結論や意見が出てくるのは当然の帰結だ。それが神学論争をひきおこす原因だったのだと思う。
 しかし、神の本性(natura:physis)はまだいいとしても、位格(Persona:hypostasis)は実にわかりにくい。隔靴掻痒の感がある概念だ。何よりも私には、そういう概念を介しなければイエス様の福音がわからないのだろうか、という疑問がある。使徒時代も大迫害時代も、教会はそういう神学的概念なしで、ちゃんと信仰に生きて来られたではないか。そう思うと、私にはそういう概念的言葉による神学的理屈付けは、なくてもよかったのではないかと思えてくるのだ。
 もちろん「不信仰者」にはなりたくないから、私は信仰箇条になっている三位一体も、御子における唯一のペルソナの存在も受け入れる。しかし、福音書のようにはそういう問題を考察する気にはならない。5世紀の人たちや中世の人たちには大問題だっただろうが、私にとっては違うからだ。神様は天の父であり、イエス様は御子であり、聖霊は私たちを守り導く方だ。神様は約束のメシア・イエス様によって救いを成就し、私たちを永遠の命に招いておられる。だから私たちは福音的に生きる。私にはそういうシンプルな教えで十分なのだ。神学的説明はわずらわしい。

 それは神の母という称号にも言えると思う。その称号が妥当かどうかを論争して、分裂が起こり、一方が異端と断じられ、その信奉者たちは排斥された。でも、なぜそのことでキリストにおける兄弟同士がいがみ合ったのだろうか?私には福音の精神が薄れていたからだとしか思えない。エフェソ公会議が行われたエフェソの町は、聖母マリア様がこの世で最後に暮らしておられた地として知られているが、もし聖母がその公会議の場に現れたとしたら、こう嘆かれたのではなかろうか。
 「子たちよ、なぜ神の母という称号のことで言い争うのですか。それは私にとってとても悲しいことです。争いになるのなら、そんな称号はいりません。私は主の母と呼ばれるだけで十分です。神の言がどのように人間イエスとなったかの神秘は、神の御国に来ればわかります。ですから、そのことや神の母という称号のことで争わないでください。むしろ、わが子イエスが一番大切にした愛の掟を実践し、お互いを愛してください。それが本当の弟子、真のキリスト者です。
 神の母という称号は今まで正式ではありませんでしたから、過去の信者は多くがそれを知りませんでした。でも、たくさんの人たちが神の御国に入れていただけました。愛の業を行ったからです。反対にその称号を知る今からの人が「神の母よ」と祈っても、飢えた人に食べさせず、渇いた人に飲ませず、裸の人に着せず、病気の人や牢獄の人を見舞ってやらなかったら、『祝福された者よ、天地創造の初めから用意されている国を受け継ぎなさい』とは、主に言ってもらえません。
 ですから気を付けなさい。神様のことをよく知らなくても、愛を行う者は神の国に入れていただけますが、愛を行わず人を苦しめる者は、どんなに神様について豊富な知識を持ち、どんなに神の母を賛美しても、御国には入れないからです。信じなさい。神の母の称号があろうとなかろうと、私は何も変りません。今も主のはしためですから、罪人が救われるよう主のおそばでとりなし、特に彼らが死を迎える時に祈るのです。打ちひしがれ、祈りさえできない人をも忘れていません。」

 エフェソ公会議からすでに約1700年、この21世紀の今では「神の母、聖マリア」という呼称はすっかり定着して、違和感を持つ信者はおそらくいないだろう。私もそうだ。しかし、イエス・キリスト様についての神学的帰結として、聖母マリア様は「神の母」と呼ばれてしかるべきだとはわかるが、被造物である一人の女性に創造主である神の母ともとれる称号を捧げることは、客観的に考えてみるとき、あまりにも大胆過ぎ、大げさ過ぎる感があるかも知れない。
 しかし、それは「あなたが地上で繋ぐことは天上でもつながれる」と言われた、聖ペトロの後継者が決めたのだから、私は受け入れる。それに「神の母、聖マリア」と祈ることにはもう慣れきっているから、私にとってそれは呼吸にも等しい。理屈で考えれば「神の母」という呼称はとんでもないものだが、それは創造主の母という意味ではない。ロゴスが人となったイエス・キリストの母を意味すると、誰もが暗黙のうちに了解していることなのだ。それをとやかく言うのは野暮というものだ。
 ところで、私たちが「神の母」という言葉を一番多く口にするのはアヴェマリアの祈りだ。その公式表現は今年2度目の改定があって、よくなった。この祈りの前半は大天使ガブリエルの挨拶と聖エリザベトの挨拶で成り立っている。後半はまさに教会の聖母に対する理解と深い信頼、そして自己認識を表している。ところで、その後半の冒頭に「神の母、聖マリア」がなかったら、この祈りは竜頭蛇尾になるだろう。その称号こそは、今も死を迎える時も祈ってもらえる信頼の源泉だからだ。
 東日本大震災があったり、世界中で激動が起こったりで、2011年は辛く不安な年だったが、私は今年も大晦日まで生き永らえることができた。神様の恵みと聖母のご加護のおかげだと思って感謝する。人生の残された時間がもうわずかになっていることを自覚する身には、特に「神の母、聖マリア、今も死を迎える時も祈ってください」という一節が切実に思える。そうであればこそ、その称号は力強く頼りになる。神の母、聖マリア、私が死を迎えるときも祈り給え。
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神語と人語

 人となった言(ことば)については考察したが、やはり「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ1;1-3)という章節が気になるので、そこについて自分なりに思うことをもう少し書いてみる。

 まず「初めに」という書き出しについて考察してみよう。それが創世記を念頭に書かれたことはほぼ間違いない。ヘブライ文字とギリシャ文字はローマ字で表記するが、創世記1;1の「初めに」はヘブライ語では“Breshit”、そのギリシャ語訳は “en archeh”だ。ちなみに、ラテン語ブルガタ訳は“In principio”、仏語では“Au commencement”、英語では”In the beginning” と訳している。他方、ヨハネの福音書1;1の「初めに」も、ギリシャ語原典ではまったく同じ“en archeh”だ。
 では創世記とヨハネ福音書の「初めに」は、書かれた位置も同じように書の冒頭で、文字そのものもまったく同じだから、意味もまったく同じかというと、そうではないことは少し調べればすぐわかる。では、それはなぜ、そしてどう違うのだろうか?
 私は二つの「初めに」が、その後に来る言葉によって違った意味を持ったと考える。創世記の「初めに」では、その後に「神は天と地を創造された」という一句が続く。つまりその「初めに」は、創造と言う神様の行為の初めを意味している。それは「神はまず天と地を創造された」と言い換えることも可能な時間的「初め」だ。従って「次に…」と続く言葉が想定できる。ところが、ヨハネの福音書の「初めに」は神様の行為の初めを意味していない。天地創造の行為より前にあったロゴスの存在を意味している。創造された世界の出現前だから、そこには時間も空間もない。それは神様のみが存在することを示す存在論的な「初め」であって、時間的な「初め」ではないのだ。
 本当はロゴスには初めも終わりもないのだが、その永遠の存在を表わすため、やむをえず時間的概念を借用したのがこの「初めに」という表現なのだ。「初めに言があった」とあるこの「初め」があったからこそ、「初めに、神は天と地を創造された」とある天地創造の時間的「初め」もあり得たとも言える。ヨハネの福音書はこうして、創世記の「初めに」を超越し、それがよってもって成り立った根源の「初めに」を示した。それは「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」(黙22;13)と言われる「初め」だと理解すれば納得が行く。

 次に「言(ことば)があった」という一句だ。「あった」は原典ギリシャ語では“Ehn”だ。それは動詞eimi(be, être)の未完了過去形だから、ずっと存在していたことを意味する。しかし、その主語は言(ことば):ロゴスだ。ところで、ロゴスは天地創造の前にあった存在だから、時間を超越している。なぜなら時間は宇宙が創造されたからこそ出現したのであって、天地創造前は存在しなかったからだ。時間と空間とは宇宙万物の存在形態に他ならないから、天地創造と共に出現したものだ。
 従って、時間を超越した存在者であるロゴスには、時間的表現は本来なら当てはまらない。しかし、人間はそれを時間的な表現でしか言い表せない。だから、ヨハネの福音書記者は「存在する(eimi)」という動詞の未完了過去で「あった」と表現するしかなかったのだろう。従って、それは時間が出現する前の過去を意味し、同時に終わってしまった過去ではなく、今も存在が続いていることをも意味する「あった」なのだ。

 ロゴスについては、学者たちの中にはアレクサンドリアのフィロンの影響云々を論じる人がいる。だが、私はそれには興味がない。そんな思想的ルーツ探しよりも、ヨハネ福音書記者がなぜそういう言葉で神の独り子を表現せざるを得なかったかに関心がある。すでに「人となった神の言」で書いたが、いわゆるプロローグと言われるヨハネの福音書1;1-18の目的は、ロゴスのことを語るためではなく、イエス・キリストは神の独り子であり、その出自は神的であると宣言するにあった。
 ところで出自が神的なら、いかなる意味でそれが神的なのか、根拠を示さなければならない。そこで、ヨハネはその根拠を「言」(ロゴス)だと断言した。だから、「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と書いた。肉とは身体を持つ人間、つまり神の独り子イエス・キリストは神言+人間という存在であり、神であると同時に人でもあることを意味する。従って、ロゴスという表現は神の独り子の神性面を示す前提として語られたのだ。だが、それは実に深遠で重大な前提だった。 
 そのように、ロゴスが神の独り子の神性面を示す前提であるのなら、それは神的でなければならない。そこでヨハネ福音書記者は「言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった」と続けて書いたのだ。ところで、「神と共にあった」のなら、言は神的ではあるが、神とは別の存在であるとしか受け取れないだろう。だから、彼はすぐ「言は神であった」と書いたのだ。それによってロゴスは神とは別の存在ではなく、神そのものだと言っていることがわかる。

 では、ヨハネ福音書記者はなぜ、ロゴスが神とは別存在のようなのに、神そのものでもあると言う、このように人を戸惑わせる言い方をしたのだろうか?それは神様が父と子と聖霊であることをまだ述べていない段階だったからだと思う。だから1章14節で、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と書いた後には、「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって…」と書いて、初めて神様が父であり子であることの神秘を明らかにしたのだ。
 それがわかると戸惑いは解消する。神様は唯一だが、父と子はある意味で別存在だからだ。後世の神学はこの別存在をペルソナ(位格)として別なのだと説明した。その妥当性がどうであれ、「言は神と共にあった。言は神であった」という一句は、「(独り子であり神である)言は(父である)神と共にあった。(独り子である)言は(父である神と共にいる)神であった」と解釈することができる。2節の「この言は、初めに神と共にあった」という一句は、1節の「初めに言があった。言は神と共にあった」という一句の再確認で、次の万物創造に移るつなぎの短縮文だと見ていいだろう。
 ただ、“kai theos ehn ho logos”「言葉は神であった」という一句は、主客が転倒して、「神は言葉であった」とする訳もある。例えば手元の翻訳聖書を見てみると次のように訳している。
・ラテン語ブルガタ訳 “et Deus erat Verbum.” 「神は言であった。」
・ヘブライ語訳 “ve Elohim haia hu ha-dabar.” 「神は言であった。」
・英聖書協会訳 “and the Word was God.” 「言は神であった。」
・エルサレム聖書仏訳 “et le Verbe était Dieu.” 「言は神であった。」
・同スペイン語訳 “y la Palabra era Dios.”  「言は神であった。」
・ヘルダー独語訳 “und Gott war das Wort.” 「神は言であった。」
・ラゲ日本語訳  「御言(みことば)は神にてありたり。」
日本聖書協会訳 「言は神であった。」
・バルバロ訳   「みことばは神であった。」
・新共同訳     「言は神であった。」
 外国語には日本語訳をつけた。それで比較してみると、ラテン語訳、ヘブライ語訳、ドイツ語訳が「神は言であった」と訳し、他は「言は神であった」と訳していることがわかる。日本語訳はすべて後者の系統だ。どちらでもいいじゃないかと言う人もいるだろうが、それでは済まされない。意味が違ってくるからだ。「言は神であった」と言えば、それは言とはいったい何(誰)かを明らかにすることだが、「神は言であった」と言えば、神様の本性を定義することになるという違いが出る。
 では、どちらを採るべきだろうか?いくつかの注釈書を調べてみたところ、多数意見は「言葉は神であった」と読む方が正しいとしている。その根拠は冠詞にあると言う。語順から見れば確かに「神はロゴスであった」と訳しやすい。しかし、ギリシャ語では主語には冠詞がつき、述語にはつかない。ところが、この一句ではロゴスには冠詞“ho”がついており、神(Theos)にはついていないのだ。従って、冠詞のついている句末の一語ロゴスの方が主語だと結論することができるという三段論法だ。それに、ここはロゴスが主役の叙述だから、私もその解釈の方が妥当だと思う。
 原典のギリシャ語には、いつもなら煩わしく思える冠詞があるから、ここではそれが幸いしている。しかし、ラテン語には冠詞はないし、語順も相当自由だから、理論的にはDeus もVerbumも主語になりうる。でも、どうやら訳は「神」が主語のようだから、ミサなどで何十年間もそれに気付かずに来たことは少々ショックだ。他方、ドイツ語やヘブライ語は語順がほぼ固定しているから、主語が「神」であることは間違いないだろう。そう解釈した理由は私の推察だが、原典の語順通りに解釈したからではなかろうか。

 ところで、私が一番感じ入るのは、ヨハネ福音書記者が神の独り子の神性を表わすのに、「言」という一語を選んで書くに至るまで、どれほど苦心しただろかということだ。教会は聖書が神様の霊感と導きによって書かれたと教える。もちろんそれはその通りだと信じるが、彼がその表現にたどりつくまでには、どれほど人間的知恵を使った模索が重ねられ、どんなに深い瞑想と多くの祈りがあったことだろうか。そして、これだと決めて公表する時はどれほど勇気が要ったことだろうか。それを思うと頭が下がる。
 しかし、ロゴスという言葉は彼が最初に使い、ヨハネの福音書の冒頭だけに出てくるのではない。人の言葉や神様の言葉としては聖書の中でかなり頻繁に出てくる。例えば福音書だけでも次のように使われている。
「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。」(マタイ19;11)
「わたしの言葉を恥じる者は…」(マルコ8;38)
「マリアはこの言葉に戸惑い…」(ルカ1;29)
「いったいこの言葉は何だろう。権力と力をもって…」(同4;36)
「神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに…」(同5;1)
「行いと言葉にも力ある預言者でした。」(同24;19)
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。」(ヨハネ8;31)
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。」(同14;23)
 従って、言葉(ロゴス)という語彙は旧約でも新約でも珍しいものではない。ただ、それらはすべて神様とかイエス様とか人々とか、どれも誰かの言葉だ。ところが、ヨハネ1;1-3に出てくるロゴスは違う。誰かの言葉ではなく、言葉そのものなのだ。だから、日本語訳はそれ表現するために、読みは「ことば」のままだが、言葉の「葉」という軽い要素を取り去って、「言」とした。苦心の末の造語だったと思う。従って、ヨハネ福音書記者が、質的に違う誰かの言葉にヒントを得てそれを発想したとは到底思えない。

 では、他のヒントがあったのだろうか?旧約聖書には「知恵」を、天地創造の業にかかわったものとして述べた個所がある。この知恵は誰かの知恵ではなく、擬人的に独立した存在として描かれていて、どこかロゴス(言)に通じるところがあるようにも思える。例えば次のような個所だ。
 「わたしは知恵。…主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先だって。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先だって。わたしは生み出されていた、深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。…」(箴言8;12,22-24)
 「知恵は永遠の光りの反映、神の働きを写す曇りのない鏡、神の善の姿である。知恵はひとりであってもすべてができ、…神の友と預言者を育成する。…知恵は地の果てから果てまでその力を及ぼし、慈しみ深くすべてをつかさどる。…知恵は神と共に生き、その高貴な出生を誇り、万物の主に愛されている。」(知恵の書7;26-8;3)
 「知恵は自分自身をほめたたえ、その民の中で誇らしげに歌う。…この世が始まる前にわたしは造られた。わたしは永遠に存続する。」(シラ書24;1,9)
 これらはヨハネ福音書記者に多少の影響を及ぼしたかも知れないが、彼がそこからヒントを得てロゴスという表現に行き着いたとはやはり考えられない。ヨハネ1;1-3を読むと、何よりも印象的なのはその極限までの簡潔さと、確信に満ちた断定だ。饒舌も装飾も一切ない。ところが、箴言、知恵の書、シラ書などに共通するのは饒舌気味の表現、詩的に飾った想像だ。だから人為的だということがすぐわかる。そういうものを手本にして、あのようなヨハネの福音書が生まれたはずがない。それらは知恵を擬人化して賛美した思想であって、肉となるロゴスとは深淵の開きがあるからだ。

 もちろん神的な霊感の導によるのだろうが、ヨハネ福音書記者をロゴスという表現に思い至らせたもので、最も強い影響を与えたのはやはり創世記1章だったと私は思う。創世記1章は神様による天地創造を語るが、そこにはロゴスという語彙はまったく出て来ない。しかし、神様が「光あれ」、「水の中に大空あれ」と言われた言葉が出てくる。傍から見ると、それは神様の言葉、神様のロゴスに他ならない。創世記には「初めに、神は天と地を創造された」とあるが、初めにあったのは神様のロゴスであり、それによって天と地が創造された。ここでそれはヨハネ1;3と完全に重なる。
 「初めに」という同じ表現の用法と相まって、「万物は言葉によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった」という叙述は、ヨハネの福音書1;1-3が創世記1章を強く意識し、そこをロゴスという表現の発想源とし、そこを解釈したものであることを強く示唆ししている。私はそう見る。従って、その3節前半はこう敷衍して言うことができよう。「万物は(天地創造のとき、『光あれ』、『水の中に大空あれ』、『地は草を芽生えさせよ』のように言われた神の)言によって成った」と。
 しかし、そこで一つの疑問が湧く。創世記の場合、神が「光あれ」のよう言われたから、人はそれを神の言葉と呼ぶが、原典に書かれている“Iehi ohr”(光あれ)はヘブライ語だ。しかし、ヘブライ語はイスラエル民族の言語で、神語ではない。人語の一つだ。それなのに、なぜ人は何の疑問もなく無神経に、それを「神の言葉」と言えるのだろうか?それはギリシャ語原典でも同じだ。それらがこの上なく貴重なことは勿論だが、人間の言葉である限りそれも神語ではない。それはどの訳語についても言える。
 では、いかなる意味でそれらは「神の言葉」と言えるのだろうか?イエス様のお言葉なら問題ない。人となられた神なる言(ロゴス)のお言葉だから、人であるイエス・キリスト様の言葉であると同時に神の言葉でもあると言えるからだ。しかし、預言者たちを通して語られた神様の託宣などは同じには言えない。ヨハネ12;28-30にあるように、神語は人にはわからない。だから神様のメッセージは預言者が話す人間の言語を介して伝えられた。彼らは通訳だったのだ。その場合、預言内容は神様からだが、彼らが語った表現は神様の言葉ではなく、人間預言者の言葉、人語なのだ。
 そうなると、私たちが通常「神の言葉」と言っているのは、内容が神様から来るからこそそう言える比喩的な表現に過ぎないことがわかる。そこで人は「初めに言があった」と言うロゴスが、いかに卓越した表現であるかに気付く。これこそまさに比喩ではない神様のことばそのもの、まぎれもない神語なのだ。「言は神と共にあった。」だから父なる神様はロゴスを通して、かつては預言者たちによって語り、終わりの時代には御子によって語られた(ヘブ1;2)のだ。その意味で聖書には神の言葉がある。ロゴスはその源泉だ。だが、「神であった」ロゴスそのものは人間の理解を超える。

 さて、ロゴスは人間の認識能力も表現能力も超えるから、最終的には信じるしかない方だが、同時に人間の五感で捉え得る宇宙万物につながっておられる。「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった」からだ。しかし、その宇宙万物もやはり究極的には人間の能力を超えている。最近テレビ番組のコズミックフロントなどで、宇宙がどう誕生したかなどと盛んに述べているが、あたかもそれを自然科学的に解明できるかのような論調が多い。だがそれは虚しい期待だと私は思う。
 宇宙がビッグバンで膨張していることや、恒星の出現と終焉など、天文学的に確かに言えることは多いし、ブラックホールなどのように未知のことも多々ある。最近では万物の質量の起源を理論的に説明可能にするというヒッグス粒子が話題になった。朝日新聞の解説では、「宇宙誕生のビッグバン直後に、光速で飛び回る質量ゼロの素粒子に、ヒッグス粒子が水あめのように抵抗を与えて動きにくくした。この動き難さこそ、素粒子が質量を持ったと言うことだ」そうだ。
 その他にも光速を超える素粒子が発見されたとか、地球に似た温度22℃ぐらいの星があるとかの興味深い話題もあった。科学は宇宙がどのようなものか、そこに何があるか、それがどのように変化するか等を探求できる。つまり誕生後の宇宙を解明することはできる。だが、その誕生そのものは解明できない。科学は存在する未知のものを、存在する既知のものによって証明できるが、存在しない無が相手では証明の梃子の支点がないからだ。それが出来るのは思索と信仰だけだ。
 聖書は神様が宇宙万物を創造されたと語る。無からの創造だ。それは「光あれ」のような神様の言葉によってできた。ヨハネの福音書冒頭はそれを「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった」」と喝破した。無は有を産み出せない。産む主体そのものが無いからだ。しかし、天地創造では万物を産みだす主体があった。全能の神なるロゴスだ。だから、宇宙は誕生した。ひとりでに出現したのではない。また、それを無に帰させることができるのも言なのだ。
 そして、最初に「光あれ」と宇宙に光の素粒子を創造されたロゴスは、人間にとっても「世に来てすべての人を照らす」(ヨハネ1;10) まことの光りとなった。その「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」神であるロゴスは人間には本来認識できないが、肉となられたので、それ以来ロゴスは人が目で見、手で触れ、耳で聞くことができる存在となられたのだ。その口から出た言葉はもはや預言者の翻訳ではなく、人の言葉でありながらもロゴスご自身の神の言葉となった。ここに受肉の神秘がある。

後記
 ここまで読んでくれた奇特な人がいたとしたら、さぞかしうんざりしたのではなかろうか。しかし、書いた私は考えるって何と楽しいのだろうと、思索の楽しさを満喫した。だんだん物忘れがひどくなってきてはいるが、82歳になってもまだこのように思索できることを実にありがたいと感謝する。誰に?もちろん神様に、産んでくれた両親に、そして生きることを可能にしてくれている人たちすべてに。

人となった神の言(ことば)

 降誕祭が間近になった。その日はミサが3回あり、福音もそれぞれ違う。私は日中のミサにあずかるつもりなので、そのミサの福音ヨハネ1;1-18について考察してみる。最初の3節はこうだ。
 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」

 ここにはただならぬことが語られている。簡潔そのものの語り口は力強く荘重に、人知の及ばない深遠な神秘を感じさせてくれる。本当はそれが感じ取れたら、もうそれだけでよしとすべきなのだろうとは思う。しかし、人は人知の及ばない神秘だとわかっていても、やはり納得できるまで知的に理解したがるものだ。ヨハネの福音書のこの章節は特にそういう意欲をかきたてるのか、その研究や注釈が類を見ないほど多いのはそのせいだと思う。深遠なのに簡潔にしか語られていないから、なおさらなのだろうう。 
 ご多聞に漏れず、私もそういう欲求に駆られて、5冊の注釈書を読んでみた。しかし、注釈書は読めば読むほど福音書の語ることから心を遠ざけ、その味わいまでも失わせてしまいかねないように感じられた。福音書は魂を癒し、力づけ、生き返らせてくれるのに、注釈書は頭をも心をも疲れさせる。「入門書、読んで入門諦める。」またもやそれを実感したから、注釈書は全部書棚に戻した。そして、福音書を前に、注釈書からまったく離れて、自分自身の頭と心で考えてみることにした。

 端的に言って、ヨハネの福音書1;1-18は私たちに何をわからせようとしているのだろうか?私はそれを<父の独り子イエス・キリスト様の真の出自をわからせること>にあると見る。マルコはイエス様の生まれに言及しなかった。マタイは主の生まれをイスラエル民族の始祖アブラハムまで遡って、それにつなげた。ルカはそれを人類の始祖アダムにまで遡って、それにつなげた。しかし、ヨハネは主の出自を人の祖先ではなく、天地創造よりも前に遡って、永遠の神なる父につなげた。
 冒頭の「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という一節は、それがいかに深遠であろうとも、「言は肉となって、私たちの間に宿られた」という驚くべき神秘を明かすための前置きに他ならない。ところで、「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現わされた。」このイエス様こそ「父の独り子としての栄光」に溢れ、「恵みと真理とに満ちていた」その言なのだ。これがヨハネ1;1-18の核心だと言ってよいと思う。イエス様の真の出自は神である言と人である肉にある。この章節はその神秘を伝えるために書かれた。
 従って、ロゴスがどうのこうのという神学的議論はその意図にはない。むしろ神の救いの具体的な事実を語っているのだ。それは6-8節の洗礼者ヨハネについての挿入、「わたしたちはその栄光を見た」という弟子たちの証言、「わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである」と言った洗礼者ヨハネの証言などでわかる。しかし、マタイやルカのように、人としてのイエス・キリスト様がいつどこでどうお生まれになったかについては一切触れず、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と語った一句以外は、もっぱら神的なルーツの方に私たちを注目させる。それがヨハネ福音書における独特の聖誕秘話なのだ。
 それは人となったイエス・キリスト様が永遠から存在する言(ロゴス)であること、万物がそれによって創られたこと、言は命であり、世の人を照らす光であることを断言している。それを読むと、人は主が「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」(ヨハネ8;58)、「わたしは…命である」(同11;25)、「わたしは世の光りである」(同8;12)と言われたお言葉を想起するだろう。主が福音宣教中ご自分について言われた驚くべきお言葉は、すでにこのヨハネ1;1-18に見られる。それはイエス様の神的出自を示唆し、主が人となった言であることを裏書きするものだ。

 光である言は世に来られた。すなわち人となって、人々の間に住まわれた。人間的に見ると、それがベトレヘムでダビデの子孫として生まれ、ナザレトで育ったイエス・キリスト様なのだ。だからその民は神的な出自がわからず、「この人はヨセフの子ではないか」(ルカ4;22)と、言である主を受け入れなかった。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じた人々には神の子となる資格を与えた。」だから、その人たちは人となった言が父の独り子としての栄光をまとい、恵みと真理に満ちているのを見ることができたのだ。そして、その招きは今も続いている。
 この章節は言が父の独り子だと教える。父とは創造主である全能の神様を指す。そうであれば、これは神様が父と子であるという啓示に他ならない。嘆かわしいことながら、「世は言を認めなかった。民は受け入れなかった」とあるように、ユダヤ人たちは神の唯一性を盾にその神秘を拒んだ。しかし、神である言がご自分はこうだと明かしており、「いまだかって神を見た者はいない」のに、人間の思考能力を遠く超えるその神秘を、どうして人が違うと否定できるのだろうか?  
 ヨハネの福音書は「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現わされた」という比較で、人となった言がモーセを完全に超えたことを宣言した。モーセは偉大だったが人に過ぎなかった。彼も「いまだかって神を見た者はいない」一人だったのだ。ただ、「父のふところにいる独り子である神、この方が(父と子である)神を示されたのである。」そして、それを受け入れて信じた人たちは、血肉によるのではなく、神によって生まれた者となる。
 この後に続くヨハネの福音書全体は、人となって私たちの間に宿られたその言が、救い主イエス・キリストとしてどう生き、何を語り、何をなされたかを伝えるものだ。その冒頭に呼応するかのように、その終章はその目的をこう記している。「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(ヨハネ20;31)と。それがわかれば、このヨハネ1;1-18が伝えようとしたことはほぼ理解できたことになると思う。
 しかし、最も大切なことはそのメッセージを知的にわかることではない。それを信じる行いにある。すなわち、天地創造よりも前の永遠からおられる神の言が赤子となって生まれ、恵みと真理とをもたらして私たちの間に生き、自らを十字架の上で捧げて復活し、今は父の右におられるという、神の言のその壮大な業が信じられるか、それを信じるかだ。私はOui, je croisと答える。たとえ人には愚かに見えようとも、「召された者には神の力、神の知恵」(一コリ1;24)だからだ。

Shalom lak, meleat hen(あなたに挨拶します、恵みに満ちた方よ)

 振り返って見ると、私は今まで、天使のお告げがマリア様にとって命がけの重大事であったことをあまり考えて来なかった。たぶん多くの人々も私と同じように、天使のお告げに深刻な問題が潜んでいたなどとは、思ってもみないのではなかろうか。しかし、待降節第4主日の福音ルカ1;26-38を読んでみて、今回はつくづくそのことの重大さを痛感した。そこで、今週の考察はそのことに絞って書いてみようと思う。

 マリア様の処女懐胎を伝える福音書はマタイとルカだけだが、マタイはマリア様についてはヨゼフ様の観点から少し書いただけだ。逆にルカはほとんどをマリア様サイドに割き、ヨゼフ様のことにはほんの少ししか言及していない。それでも、両福音書を合わせて読めば、お二人の思い、お人柄、置かれた状況の難しさなどがあるていどはわかる。だが、二人の年齢、家族、生活状況など、やはりわからないことの方が圧倒的に多い。従って、書かれていること以外は想像や推察で埋めるしかない。 
 ところが、想像は有益でもあるが、マイナスにも働く。私は絵画が想像力で作り上げたマリア様のイメージも、そのマイナス効果の一例ではないかと思う。特に西洋ルネッサンス以後多くの画家たちが描いた聖母は、まるで苦労知らずの王侯貴族の女性のようで、あまりにも豪華に着飾った姿が多い。私はそういう聖母の絵画やそれから作った御絵などを見ると、これは違うな。このようなイメージはかえってマリア様の本当のお姿や生き方を隠して、見えなくしてしまうではないかとつい呟きたくなる。
 では、天使のお告げを受けた時のマリア様は、どのような方だったのだろうか?見た目も美しかったことを否定する理由はない。天使ガブリエルが「おめでとう、恵まれた方」と言ったのだから、少なくとも心は清らかで美しかったことは確かだ。ちなみに、その挨拶はギリシャ語原典では“χαίρε κεχαριτωμένη”だが、天使はヘブライ語かアラマイ語しか知らなかったマリア様に挨拶したのだから、同じヘブライ語(かアラマイ語)で “Shalom lak, meleat hen”(Shlam leki, maliat taibuta)と言ったに違いない。ラテン語の“Ave, gratia plena” などは論外だと言ってよかろう。
 いずれにせよ、その時のマリア様は王侯貴族のように贅沢なみなりではなかったはずだ。ルカの福音書は天使が「ナザレと言うガリラヤの町に神から遣わされた」と書いているが、それは都からは遠い小さな町だった。伝説では両親はヨアキムとアンナだと言われているが、その時はもう世におられなかったのではなかろうか。もしご存命だったら、天使のお告げや親戚のエリザベト訪問など、そんな大事なことは両親に相談したに違いないだろうに、マリア様は全部一人で決断なさっており、ルカの福音書も両親や家族にはまったく触れていないからだ。従って、婚約者のヨゼフはいたものの、彼女は一人ぼっちだったのかも知れない。
 福音書原典はマリア様をπαρθενος(乙女、娘。ヘブライ語ではbeturah)としているから、年齢はわからないが、当時の結婚適齢期の乙女だったことは間違いない。想像だが、両親がいないそんな女性の身空のでは、親戚の世話になるとか、どこかの家に住み込みで働くとかしなければ、生きて行けなかったのではなかろうか。そうだったとすれば、マリア様が贅沢な服を着ておられたなどとはとうてい思えない。むしろ貧しく質素な身なりで、よく働き、つつましく素朴に生きておられたはずだ。私はマリア様がそんなお姿の方だっただろうと想像する。

 人としての成熟度や魂の高貴さについても同じことが言えるような気がする。手元にある聖人伝の12月8日、「無原罪の聖マリア」の記述には次のようなくだりがある。「聖マリアの思い、望み、ことば、行いは、清く、正しく、明るく、年とともに恩恵は増加し、知恵も明るく、意志も強くなり、救い主のおん母である身分にふさわしく、常に女性としてもっとも完成された状態にあった。理想的なやさしさ、慈悲深さ、忍耐の徳などをすべてそなえていた。」
 このような評価は少なくともイエス様の少年時代以後の聖母になら当てはまるだろう。だから、それならとやかく言う理由は何もなく、私もその通りだと思う。それに、「年とともに恩恵は増加し、知恵も明るく、意志も強くなり」と書かれているから、この叙述は適切で問題はない。しかし、もしそういう評価を天使のお告げの時点のマリア様に当てはめるなら、それはやや適切さに欠けると言わなければならないのではなかろうか。なぜなら、仮に天使の告げがあった時のマリア様が15,6歳だったとしたら、神様の恵みは溢れるほどいただいて祝福され、原罪も自罪もない清らかさそのものだったとしても、知恵や人格の成熟度は15,6歳の乙女のものであって、まだ完成された状態ではなかったと見なければならないからだ。
 そんなことを言うのは不敬だと私をなじる信者がいるかも知れないが、それはマリア様が3,4歳だった幼児期を考えればはっきりする。聖母でも3,4歳の幼児だった時は、体も知恵や人格もずいぶん未完成だったことは明らかだからだ。15,6歳の乙女にはそれなりの知恵と人格の完成度があったと見ることは不敬ではなく、むしろ真実を貴ぶことに他ならない。逆に聖母の高貴さを抽象化して、幼児期でももう完璧だったなどと言えば、それはひいきの引き倒し以外の何ものでもなくなる。

 それにも増して上記聖人伝のような賛美の叙述で気になるのは、生活の匂いがないことだ。すでに家族関係のことで少し触れたが、マリア様は苦労知らずに生活しておられた深窓のお嬢様ではなかった。親戚の世話になるにせよ、住み込みで働いておられたにせよ、一人暮らしで生計を立てておられたにせよ、自ら額に汗して働き、日々生活の辛酸をなめておられたに違いないのだ。イエス様のたとえ話が家庭や近隣の人々の生活から得た経験を元にしていたとすれば、逆にいくつかの譬えからは、マリア様の働きぶりを帰納的にうかがい知ることができる。
 福音書には、女たちが粉をこねてパンを焼いたり、その燃料の薪を運んだり竈にくべたり、穀物の貸し借りの時は押し入れ揺すり入れ計りをよくしてやったり、ドラクマ銀貨1枚(1デナリオン、即ち1日の日当相当)がなくなれば、灯りをつけて必死に探したり、見つかれば隣人たちと喜び合ったりする生活風景がある。それはまさにつましい庶民の生活そのものだ。そこには生活の匂いがあり、労苦して重荷を負う者の息づかいがある。イエス様はきっと聖母のそんな姿を見て育ったからこそ、あのような実感のあるたとえをお話になれたのだと思う。しかし、それはとりもなおさず聖母がそういう生活をなさっていた証拠だ。マリア様は結婚前もそういう生活をなさっていたに違いない。それを忘れ、苦労知らずの貴婦人のような一人の乙女が天使のお告げを受けたのだと想像するならば、それは間違った想像だと私は思うのだ。

 そうは言っても、その時のマリア様は神様の恵みに満ちていただけでなく、知恵も意志もしっかり持った乙女だった。それは福音書をよく読めばはっきりわかる。やはり普通の娘たちとは大違いだった。知恵と知識は同じではないが、マリア様は乙女ではあっても、すでに人生の知識も生きる知恵も十分持っておられたと思われる。そして、何よりも「主があなたと共におられる」という天使のあいさつに、彼女が受けていた並々ならぬ祝福と比類ない使命が窺える。神様が選ばれた乙女だったから、神様は彼女の使命に必要な知恵も理解力も、魂の力もすべてお与えになっておられたのだと言っていいだろう。彼女の落ち着いた受け答えはそれを証明している。
 ルカは天使が「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と挨拶した時、マリア様が「この言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」と書いた。本当は不安と大きな怖れもあったと思う。だから天使はすぐ「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」と勇気づけたのだ。実際、一人でいる時に天使が現れたら、驚き怖れない娘はいないだろう。ところで、天使も見えないと人には存在がわからないから、人に見える姿で現れざるを得なかった。それも人間の姿だったと思われる。なぜなら、人の言葉でメッセージを伝えるからには、男の姿か女の姿かは別として、人の姿をとって現れることが一番自然で受け入れられやすかったはずだからだ。
 しかし、普通の娘だったら、見知らぬ人物が突然目の前に現れてそんな挨拶をしたら、きっと「何なのこの人?気が変なんじゃない?」と引いてしまい、信じるどころか怖がって、最初から受け答えを拒否するのではなかろうか。ところが、マリア様はそうはなさらなかった。たぶんじっと天使を見て考え込まれたのだろう。これは彼女が実に沈着だったことを示している。同時に、天使もまた自分がただの人ではなく、神様からの使いだと言うことを彼女が信じられるように、彼女に何らかの証拠を示したのではないかと思う。もちろん、これらすべてはルカの伝えたことが真実であることを前提にしての話ではある。

 天使はマリア様に「あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼にダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」と、神様からのメッセージを告げた。それは非常にイスラエル的な内容であって、聖書の預言がその子によって成就することを伝えている。マリア様はそのメッセージそのものに対しては疑問を出されず、「どうしてそのようなことがありましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と天使に尋ねた。
 この質問は一見、ザカリヤが神殿内で同じ天使ガブリエルから、老妻エリザベトの懐妊を告げられた時、「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか」と言った疑問に似ている。しかし、実は大違いなのだ。ザカリヤの場合、天使は彼の不信を怒って、子の誕生まで彼に物が言えなくなる罰を与えた。ところが、マリア様には「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親戚のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」と、不信を責めるどころか、懇切にわかりやすく教えた。
 では、その違いはどこにあったのだろうか?それは根本的に違った疑問だったからだと思う。ザカリヤ夫妻は老年で子宝を諦めていた。それなのに妻が男児を身ごもると言われた。夫妻の場合は聖霊によってではなく、神様の恵みによるが、夫婦の性行為によって子が宿るという理解だ。だからザカリヤは「わたしは老人ですし、妻も年をとっています」と言ったのだ。つまり、もう性的な能力はない。夫婦の行為をしてもどうしてそれが可能でしょうか。いや、あり得ないことです」と、神様の力による奇跡的な懐妊を否定的に疑問視したのだ。つまり、神様の全能を疑い、「何によって(κατά τί)」知ることができるかとしるしを求めた。しるしを求めることは聖書ではしばしば不信の代名詞だった。だから、天使は「わたしの言葉を信じなかった」と怒って、彼に一定期限の罰を与えたのだ。
 それに対し、マリア様の場合は天使が告げた「あなたは身ごもって男の子を産む」以下のメッセージにはまったく疑問を呈していない。むしろ、それは素晴らしいことと受け止めた。ただそれがわが身で起こるのなら、知っておきたいことが一つあります。まだ自分は男も知らないのに、「どうして(Πως)、そのようなことがあり得ましょうか」、それを教えてくださいと聞いたのだ。ザカリヤは神様のなさる業そのものの実現を疑問視したのだったが、マリア様の質問は神様のなさる業そのものへの疑問ではなく、その実現方法の確認だった。その御業はなりますように。でも、それがどう実現するのか、それだけを彼女は尋ねたのだ。自分がとてつもない責任を引き受ける立場に置かれた以上、そのお告げがどのように成るのかを知りたいと思うのは当然だった。知らなければ責任をもってお受けできないからだ。だから天使は怒るどころか、懇切ていねいに教えたのだ。
 マリア様は女性が普通の場合どう妊娠するかをよくわかっていた。しかし、婚約はしているものの、まだ男と性的に交わってもいないのに、自分の場合はどのように懐妊するのかわからなかった。だから、天使の説明を聞いた。そして神様が行う神秘を理解した。彼女は自分が懐妊するのは人間的な性行為によるのではなく、聖霊によることを知った。神様にはできないことは何もない。ならば、神様がなさると言われるのだから、それは成就する。そう納得できたのだ。そこで天使に神様への答えを託した。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と。これは信仰者の立場から見ると、聖書の歴史と人類の運命を変えた返事だった。

 しかし、それはとてつもなく重いものだった。なぜなら、マリア様は神様の業がどう実現するのかだけを天使に確かめたが、それを「わが身になりますように」と受諾するには、命がけの覚悟が必要だったからだ。天使に受諾の決意を表明する前、マリア様はおそらく心中で、そのような子の母となることをお引き受けするならば、どういう誤解を受け、どれほどの困難に遭い、どんな苦しみを味わうことになるか。場合によっては死のリスクもあることをも予想して、思い巡らされたのではあるまいか。
 彼女は天使ガブリエルの説明の中で、親戚のエリザベトも懐妊してもう6か月だと知った。だから、すぐ手伝いに行ってあげようと思い、実際にそれを実行した。そして、洗礼者ヨハネが誕生した後ナザレトに戻った。ところで、懐妊の事実は行く前は問題ないが、数か月後にアインカリムから帰る頃は妊娠も数か月になっているはずだから、そうなれば否応なく人が気付き、噂にもなることが予想できた。では、それはどんな事態を招くだろうか?彼女はれっきとしたユダヤ人女性だったから、姦淫の罪に対する律法の罰がどれほど恐ろしいものかよく知っていた。申命記22;22-29にはそれが次の4つのケースに分けて書いてある。どちらかと言えば男に厳しい掟だが、女性も罰を免れられなかった。
 1)男が人妻と姦通した場合は、男女とも死刑。2)婚約している娘が婚約者以外の男と通じた場合、男女とも石打ちの死刑。娘は町中なのに助けを求めず、男は隣人の妻を侮辱したことになるからだ。3)婚約している娘が野で強姦された場合は、男だけ死刑。助けを求めても、野では助ける人がいないのだから、娘は無罪。4)男が未婚の娘を強姦する場合、男は娘の父親に50シェケルを支払い、娘を妻にして生涯離婚できない義務も負う。以上の4ケースだ。
 従って、マリア様の妊娠が知れたら、人は彼女が聖霊によって懐妊したことを知らないから、当然人間的に推理して、いったい男は誰だろう、どこでいつそういうことになったのだろうと噂するだろう。しかし、人の噂は噂である限りは身の危険にはならなかった。なぜなら、マリア様の場合は婚約していたので、相手が婚約者なら結婚と同じだったから、妊娠は問題なかった。罪に問われるとしたら、該当したのはモーセの掟の2)または3)の場合だったが、3)の場合なら、女性は罪を問われないし、2)の場合なら、男の特定と性交の場所が町であると判明しない限り、誰も女性を告訴できないはずだった。
 しかし、唯一マリア様を告訴できる人がいた。婚約者ヨゼフさまだった。なぜなら、マリア様の妊娠を知った場合、彼は相手の男が自分ではないことを知っている唯一の人であり、男が特定できなくてもマリア様を不倫で告訴できたからだ。マタイの福音書が伝えているのは、ヨゼフ様が実際にマリア様の異変に気付いてどうしたものかと苦悩したその経緯に他ならない。どうやらマリア様はヨゼフ様に天使のお告げのことを打ち明けなかったようだ。だから、ヨゼフ様はマリア様を疑いたくはなかっただろうが、身重の事実は疑うべくもなく、それをどう理解してよいか苦しんだのだ。
 お腹が目立ち始めたのは親戚のエリザベトの家から戻ってからだったろうから、彼はマリア様がユダの地へ往復する間に襲われたか、あるいは親戚の家で犯されたかも知れない、などという疑念に苦しめられたに違いない。結局、彼は婚約解消を決心した。そうすれば、マリア様はケース4)に準じた扱いになり、自分は告発する義務がなくなり、マリア様は罰を受けなくて済むと考えたからだと思う。しかし、そんな彼に天使が夢で告げた。「ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ1;20-21)と。そこで、すべてを理解した彼は、神様のお告げとマリア様を信じて、彼女を妻として受け入れたのだった。
 いわばマリア様が一番信頼していた婚約者ヨゼフ様が、皮肉なことにマリア様を姦通罪で確実に告訴できる唯一の人だった。仮にヨゼフ様が正しい人、心の広い人でなくて、マリア様を誤解して逆上し、裁きに突き出すような人だったら、マリア様は石殺しの危険にさらされたことだろう。その可能性は、天使のお告げを受け入れる前に、もう想定できたことだった。しかし、マリア様はヨゼフ様に事の次第を言わないことに決めておられたようだ。神様が天使を通して伝えてくれない限り、自分が聖霊によって妊娠したと打ち明けたところで、ヨゼフ様に信じてもらうことは至難に思えただろう。人間世界ではあり得ないことなのだから、それは当たり前だった。それならば神様のみ業なのだから、いっそ神様にすべてをお任せしよう。ヨゼフ様をも信じ切って、彼の愛と信頼し合う心に賭けよう。そう覚悟を決められたのではなかろうか。「お言葉のとおり、この身になりますように」とは、理解されずに死刑にされるリスクを負った、まさに命懸けの決意と覚悟の返事だったのだ。私はその凄さを今まであまり考えたことがなかった。しかし、年若いマリア様はそれを実行した。それは実にすごいことだった。
 現代でもきっと多くの人々は聖母マリアの処女懐胎について、当時の人々がした噂やヨゼフ様が抱いたような疑念を持っていることだろう。それは「神にはできないことはない」ということを信じないかぎり、理解できない救いの神秘だ。人知だけで考えたらあり得ないことだったから、人々がそう思うのも無理はない。だから、聖母は今もあの時と同じように、人々のその神秘に対する受け止めを神様にお任せしておられるのだと思う。しかし、信じる人々は唱える。「アヴェマリア、恵みに満ちた方。主はあなたと共におられます。あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています」と。

先駆者たちと後駆者たち

 待降節第3主日の聖書はイザヤ預言書61;1-2a,10-11、テサロニケの信徒への第一の手紙5;16-24、ヨハネによる福音1;6-8,19-28だ。そこに出てくるイザヤ、洗礼者ヨハネ、パウロは「来られる方」メシアの証言者たちだが、まずイザヤの預言はどう受け止めたらいいのだろうか?私はイエス様が故郷ナザレトを訪問された安息日の朗読が答えだと思う。その日、主が会堂長から巻物を渡されて読まれたのはまさにその箇所だった。ルカ福音書はそこをこう書いている。
 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人々を自由にし、主の恵みの年をつげるためである」と。
 この邦訳はイザヤ書の訳とは若干違うが、それは大した問題ではない。ルカ福音書ヘブライ語訳を原典と照合してみると、多少の省略以外はまったく一致していて、あとの相違は翻訳のせいに過ぎないからだ。大事なことはイエス様がこの箇所を朗読された後、それをどうコメントなさったかだ。ではどう解釈なさったか?朗読が終わると、聴衆は主がそれについて何を言うかと息を呑んで注目した。すると、主は言明なさった。
「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4;21)と。
 それを聞いて人々は驚いた。いや、驚愕したと言った方がよいかも知れない。なぜなら、主はイザヤの預言が自分のことだと明言されたからだ。それは当時の人々からすればとんでもなく大胆な公言だった。従って、彼らが驚いたのも無理はなかった。だが、その驚きはすぐ戸惑いに変り、「この人はヨゼフの子ではないか」と彼らは呟いた。イエス様がどう育ったかを知っていたから、それはあり得ないだろうと疑問に思ったのだ。
 では、彼らの疑問は当然だったのだろうか?いや、そうではなかった。それは歴史を通観すればわかる。イザヤ61章のこの詩的預言は、第二イザヤと言われる預言者かその弟子によると言われるが、いずれにせよその人は神的霊感によって誰かの幻を見ながら、「主の霊がわたしの上におられる」と書いたに違いない。ところで、私がナザレトの人々の疑問を当然ではなかったと断じたわけは、イエス様以外にその「わたし」に該当する人が、その預言後に一人も出なかったからだ。
 その「わたし」がまずその預言者自身でなかったことは確かだ。彼は預言したが、預言したことを実現はしなかったからだ。この預言は直接的にはバビロン捕囚後のユダヤ民族復興を告げたものだが、ユダヤ帰国後にそんな大事をなし遂げた預言者はいなかった。また指導者格のゼルバベルも書記エズラも、行政長官のネヘミヤも皆小粒で、その「わたし」にはとうてい該当しなかった。彼らを解放したのはペルシャ王キュロスだったが、異邦人だった彼はもちろん論外だった。 
 バビロン捕囚後のユダヤはソロモン王の黄金時代に比べ、すべてにおいて劣っていた。ましてや、「異邦の人々があなたの城壁を築き、その王たちはあなたに仕える」(イザヤ60;10)ような時代を実現した人は誰もいなかった。ヘレニズムが神殿まで汚した時代には、それに抵抗して戦った英雄マカベ一族がいたが、その子孫のハスモン王朝はヘロデ王に行き着いて期待を裏切った。人々はイザヤが預言した「わたし」を彼らなりに解釈して待ったが、そういう人は誰も出なかったのだ。
 だからこそ「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と聞いた時、人々は驚き疑ったのだ。だが、主の教えと業を十分見聞していたら、その言明をその通りだと肯定できたはずだ。なぜなら「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされる」(マタイ11;5。イザヤ29;18,35;5seq,61;1)救いの素晴らしい業が主によって実現していたからだ。
 ナザレトのイエス様こそまさにイザヤが幻に描いて予言した人だった。その預言の真の対象はユダヤ民族を超えた万民であり、主の霊がとどまるその人こそすべての人を罪から解放するメシア、油を注がれた者だったのだ。主はそれが自分だと言明された。ここにイザヤ61章の神秘を解く答えがある。だが、ナザレトの人々はその答えにつまずいた。主の育ちを知っていたばかりか、当時の他のユダヤ人たちと同じように、見当違いの待ち方でメシアを待望していたからだった。

 その見当違いの待ち方を衝撃的なメッセージで改めさせたのが洗礼者ヨハネだった。この日の福音もそれを伝えている。ヨハネ1-18節は神の言が人となって来られたことを述べた箇所だ。それなのに、6-8節にだけ洗礼者ヨハネのことが挿入されているのは異質に見えるが、おそらくこれはまだ初代教会時代に残っていたヨハネ教団の影響(徒18;25、19;3)を意識して、彼は神から遣わされ人だが、メシアではなく、その証しに来たのだと、念を押すために書かれたのだと思う。
 19-28節は洗礼者ヨハネが自分と「わたしの後から来られる方」を語る部分だ。そこは激しい口調では語られていないが、共観福音書には実に厳しい彼の言葉がある。例えば、「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『われわれの父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。…斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(マタイ3;7-8)のような言葉だ。 
 イザヤ預言者は「慰めよ、わたしの民を、慰めよ」と書いたが、ヨハネはむしろ脅しに近い言葉で民を叱責した。当時の人々はバビロン捕囚後のように打ち砕かれた心ではなく、神様を自分たちの用心棒のような守り手と見なして、偽りの安心に安住し、罪があるのに異邦人とは違う選民だと空しく自負していたからだ。人々の心の中に主の道を備えるためには、激しい言葉の鞭を振るって、思い上がった慢心の山を低くし、罪で落ち込んだ谷を埋めなければならなかったのだ。
 イスラエル人たちは自分たちがアブラハムの子孫だから、必然的に約束通り神様の祝福を受け、来るべきメシアの恩恵に浴せると思い込んでいた。ところが、洗礼者ヨハネは彼らの間違った安心と根拠なき自負心を打ち壊した。彼が彼らをアブラハムの子孫どころか、蝮の末裔だとこきおろし、悔い改めなければ血のつながりなどは何の役にも立たないと断言した時、人々はどんなに度胆を抜かれたことだろうか。
 だから一般群衆も、ひそかに来ていた徴税人や兵士たちも、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と彼にアドバイスを求めたのだった。彼はそれぞれに適切な勧めを与えた。ところで、民衆はずっとメシアを待ち望んでいたが、それまでは該当する人物が現れなかった。しかし、彼の生活と迫力ある説教に接した人々は、「もしかしたら彼がメシアではないか」(ルカ3;15)と考えたのだった。 ヨハネ1;19-28はその期待をめぐってやりとりした彼の証しだ。
 民衆には、エルサレムから派遣された祭司やレビ人も混じっていた。マタイは「サドカイ派やファリサイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来た」(マタイ3;7)と伝えているが、ヨハネの福音書によれば「遣わされた人々はファリサイ派に属していた」(ヨハネ1;24)とある。祭司やレビ人は全部がサドカイ派ではなく、ファリサイ派もいたらしい。とにかく、洗礼者ヨハネは彼らに極めて厳しかった。心底から罪の赦しの洗礼を受けに来たのではないようなふしがあったからだろう。
 実際、会話でのやりとりを読むと、彼らの質問はしつこい。洗礼は口実であって、本当は情報収集に来たのではと疑われたわけはそこにある。彼らは「あなたはどなたですか」と尋ね、「わたしはメシアではない」という返答を聞くと、「ではエリヤですか」と言い、彼が違うと言うと、更に「あの預言者ですか」と尋ね、彼がそれを否定すると、「ではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だというのですか」と迫った。
 「あの預言者」とは、預言者中の預言者とされていたモーセのことだ。イスラエルの人々は神様がモーセに「同胞の中からあなたのような預言者を立てて、その口にわたしの言葉を授ける」(申命記18;18)と言われた預言を根拠に、メシアを新しいモーセだと受け止めていた。だから「あの預言者ですか」と聞いたのだ。彼は預言者イザヤの言葉を引用して、彼らの問いに答えて言った。「わたしは荒れ野に叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』」と言われた者だ、と。 
 それは彼の自己認識でもあり自己紹介でもあった。だが、彼らはまだ食い下がった。何としてもとことん探りたかったのだろう。彼らは言った。「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ洗礼を授けるのですか?」と。ちなみにここに挙げられた名は、イエス様が山上でご変容なさった時に登場する2預言者の名(マタイ17;3)とイエス様の公的称号メシアだ。そのことを想起すると、時間的に離れている二つの出来事のつながりが見えて興味深い。 

 彼らのこの最後の質問は洗礼者ヨハネから重要な証言を引き出した。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」と答えた証言だ。待降節にこの個所が読まれるのは、この返答の中に待降節とつながる何かがあるからだと思われるので、ここは少していねいに考察してみよう。
 彼は「わたしは水で洗礼を授けるが」と言ったが、「後から来られる方」が何で洗礼を授けるかは言わなかった。だが、後でイエス様が洗礼を受けられた時、「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た」(ヨハネ1;33-34a)と語っている。自分はその前ぶれとして水で洗礼を授けている。それが彼の洗礼についての答えだった。
 「わたしの後から来られる方」については、「わたしはその履物のひもを解く資格もない」と、彼は自分をその方の足元まで低めた比較で、その方がいかばかり崇高かを際立たせた。それは彼の確たるメシア理解と自己認識に基づいていたが、実に効果的なメシア出現の予告だった。しかし、そのようにへりくだれたところに彼の偉大さがあった。昔、私に教理を教えてくれたシスターG.が「謙遜の高さ」と言う逆説的な一語を書いてくれたが、それは彼にこそふさわしい言葉だと思う。
 ところで、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」とか「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」などの引用や表現は、共観3福音書とほぼ一致している。しかし、「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる」という証言はヨハネの福音書にしかない。それは注意して読まないと、さほど取り立てて話題にするほどの言葉には思えないが、少し考えるととても含蓄のあることがわかる。
 そもそも、もしイエス様がもうその場に来ておられて、主がメシアだとわかっていたのなら、なぜ洗礼者ヨハネは「あなたがたの中には、あなたがたの待ち望んでいたメシアが来ておられる。あの方だ」と知らせなかったのか。そうすればよかったのにと思ってしまう。それなのにそうせず、なぜ「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる」という謎めいた証言をしたのだろうか?彼がそう証言したのにはわけがあったのだ。私はそれをこう推測する。

 一つはイエス様のイニシアティブを尊重して、先走らないよう慎重にしたからだと思う。彼はイエス様がもうそこに来ておられることを知っていた。しかし、人々が想像していたような現れ方ではなかったから、彼以外は誰も気付かなかった。だから、「メシアが来ておいでになる!」と人々に知らせることはできた。でも、もしもそれがイエス様の望むやり方ではなかったとしら、先走りはぶち壊しに等しかっただろう。従って、彼は主が自ら動かれるまでは、そう言うにとどめて待ったのだ。
 二つ目の理由は順序を踏むためだったと思う。突然「メシアが来ておいでになる」と言ったとしても、信じる人はいるにはいただろうが、多くの人は心の準備ができていなかったはずだ。順序を踏んでレーディネスを整えないとメシアを十分にお迎えできない。だから、彼はまず謎めいた証言でメシアが近くにおられることを匂わせた。それが「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる」という巧みな言い方だったのだ。
 そして、イエス様が洗礼に現れると、彼は「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである」(ヨハネ1;29-30)と証言し、「わたしこそ、あなたたから洗礼を受けるべきなのに、あなたがわたしのところへ来られるのですか」(マタイ3;14)と言う会話で、イエスがどんな方かをそこにいた民衆に周知させた。そして、洗礼で聖霊が主の上に現れ、天からの声がすると、「わたしは神から『その人が、聖霊によって洗礼を授けるひとである』と言われた。だから、この方こそ神の子である」と証言した。こういうやりとりと出来事の実際を見れば、民衆も得心できたからだ。
 しかし、順序を踏むことでもっと大事だったのは、人々の先入観を払拭することだった。実際、人々はメシアについてさまざまな信じ方をしていた。例えば、「メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らない」(ヨハネ7;27)という声もあれば、「メシアはダビデの子孫で、ダビデのいたベツレヘムから出る」(同7;42)という矛盾する見解もあり、「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました」(同12;34)という意見もあった。
 そして、何よりもダニエルやゼカリヤの預言書から思い描いた栄光のメシア像があった。例えば、「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ロバに乗って来る。…わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を断つ。戦いの弓は断たれ、諸国の民に平和が告げられる」(ゼカリヤ8;9-10)のような記述から、人々はメシアの雄々しくも好もしい姿を想像していた。
 だが、ヨハネはそういうイメージを否定した。だから、そういう先入観とは裏腹の、人目に立たず人々に伍して来られたメシアを、「あなたがたの中に、あなたがたの知らない人がおられる」と予告紹介したのだ。そこには神様のやり方を学ぶという、今日の福音で一番大事なメッセージが込められていると思う。考えてみれば、そもそも神の言はほとんどの人に気付かれず人となられた。人々が思ってもいなかった現れ方だったから、神の御子が生まれた時も、拝みに来たのは東方の学者たちと羊飼いたちだけで、大方の人は気付かなかったのだ。その意味でご降誕は洗礼の日の主の現れ方と似ている。
 それはまた裁きの日の神秘をも想い起こさせる。その時、王は右側の人たちに言われる。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたことはわたしにしたことである」(マタイ25;40)と。そして、左側の人たちには逆のことを言われる。それは主が日々小さな人々の中におられるのに、人々がそれに気付かないでいることを意味する。洗礼の時も主はさりげなく人々の中におられた。だが、人々はそれに気付かなかった。おそらくそういう神様の現存のし方を学ばせるためにも、洗礼者ヨハネはあの謎めいた言い方をしたのだと思う。それを学ばないと、人々が主の訪れを見過ごしたり、ナザレトの人々のように躓いたりするからだ。

 イザヤと洗礼者ヨハネは彼らの後から来られる方の先駆者だ。彼らが証言した「来るべき方」はすでに来られた。ところで、聖書も温故知新。昔のことを学び直せば、今と未来のことをもっとよく知ることができる。他方、聖パウロは既に来られた方とこれから来られる方について語る。だから彼は後駆者で、私たちもそうだ。テサロニケの信徒への第一の手紙5;16-24もこれから来られる主を念頭に書かれた。直接的表現は「わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非の打ちどころのないものとしてくださいますように」とあるだけだが、主が来られることを待っているからこそ、彼は信徒たちに「良いものを大事にし、あらゆる悪いものから遠ざかりなさい」と勧めたのだ。
 彼は書いた。「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」と。人には悲しい時もあるからいつも喜ぶことはできないし、絶えず祈ることも無理に近く、感謝できないこともあるから、それらには同感ではないが、「いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」という気持ちはわかる。なぜなら主は近いからだ。旧典礼では待降節第3主日の書簡はフィリッピ4;4-7が読まれた。それも「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」“Gaudete in Domino, iterum dico, gaudete.”と書かれている。どちらかと言えば私はこの箇所の方が好きだが、いずれにせよ私も主を待つ後駆者の一人として、今週はそれを心にとめて過ごそうと思う。

主は来られる

 待降節第2主日の聖書はまず全部を日本語訳で読んでみたが、イザヤ40;1-5,9-11はヘブライ語原典と、ギリシャ語70人訳および仏語でも読み、使徒ペトロの第二の手紙3;8-14はギリシャ語原典と仏語、マルコによる福音書1;1-8はギリシャ語原典、ヘブライ語訳、仏語でも読んでみた。どれもたいへん興味深かったが、現代人へのメッセージとしては、使徒ペトロの手紙に最もインパクトがあると感じた。過去のことではなく、未来のことを語っているからだ。
 聖書のこの三か所は「主は来られる」というメッセージが共通点だと思う。それは、かつて約束されたように主は来られた。今も続いている約束は必ず成就する。約束されたように、主は必ず再びこられるということを教えている。そのような受け止め方で見ると、順序は典礼の朗読順序と違い、イザヤ預言書、マルコの福音書、ペトロの手紙となる。イザヤ書の言葉はマルコ福音書で実現が証明され、救いを完成されたその救い主の再臨は、ペトロの手紙ではっきりと予告されるからだ。

 イザヤ書40;1-12は、直接的にはユダヤ滅亡後バビロン捕囚となったユダヤ民族の解放を告げる預言だ。「第二イザヤ」と言われるこの部分は、イザヤ預言者より2世紀ほど遅れて現れた氏名不詳の偉大な預言者によって書かれたと言われる。ユダヤ人たちを解放したのはバビロニアを滅ぼしたペルシャ王キュロスだったが、彼はそこに神の御手の働きを見た。この40章1-12は「慰めの書」の一部分だが、そこには罪が償われたので祖国に帰されるユダヤ人たちの感謝と希望が溢れている。
 「慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる」とは神様の声だ。では誰に「慰めよ」と命じているのだろうか?日本語だと一人か複数の人に言われたのか曖昧だが、ヘブライ語原典では“ナムフー”とあるから、それは複数の人だとわかる。神様は複数の人に「わたしの民を慰めよ」と言われたのだ。では複数の誰に?そこは預言者か指導者かわからない。ギリシャ語70人訳は“ヒエレイス”(司祭たちよ)と呼びかけているから、それを司祭たちと解釈したのだろう。
 ところが、「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え…」の段落になると、その声のぬしは神様ではないと言わなければならない。神様がご自分のことを「主のために」とか「わたしたちの神のために」とか言われるはずがないからだ。そうかと言って、預言者の声だとも言えない。誰かに命じず、自ら道を備えるのが預言者の使命だからだ。だとすれば、誰のものとも定かではない、どこかから響く不思議な声だが、強いて言えば見えない天使の声のようだと言えなくはない。
 それが誰の声であるにせよ、それは荒れ野に主の道を備えよと命じる。主が栄光と力を帯びて来られるからだ。彼らを赦された神様は、彼らに戻って来られる。彼らは羊が羊飼いの後を歩くように、主に従って祖国ユダヤに戻れる。ここに「主は来られる」というテーマがある。その預言はその時代に成就した。しかし、それはやがて現れる人類全体の救い主をも預言していた。その「慰めよ」はユダヤ民族だけではなく、やがて全人類に罪からの解放を告げる良い知らせでもあったのだ。

 マルコの福音書は「神の子イエス・キリストの福音の初め」という言葉で始まる。「福音」(良い知らせ)とはギリシャ語でエウアンゲリオンと言うが、その言葉はイザヤ40;9とつながる。そこには「高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ」とあるが、「良い知らせを伝える者」(福音を伝える者)はギリシャ語70人訳では“エウアンゲリツォメノス”(エウアンゲリオンを伝える者)だからだ。福音を伝えるという言葉は旧約ではもう一か所、イザヤ61;1に出てくる。
 新約では福音と言う言葉が共観福音書、使徒言行録、使徒たちの手紙に頻繁に出て来る。しかし、マルコの福音書は現存する福音書の中では最初に書かれたと言われるものであるだけに、「神の子イエス・キリストの福音の初め」というその冒頭の言葉は、インパクトが非常に大きい。その直後にイザヤ書が引用されるのを見れば、それがイザヤ預言書の言葉を意識して書かれたことは間違いないと思われる。では、なぜ福音(良い知らせ)と言われるのか?約束の救い主が来られるからだ。
 マルコ1;1-8では、救い主はまだ出現して来られない。洗礼者ヨハネの予告によって、もうすぐ来られることが告げられる段階だ。それを予告するためにマルコ福音書はイザヤ40;3の預言を引用する。ただし、その引用には少し思い違いがある。「預言者イザヤの書にこう書いてある。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう』」と書いているが、この部分はイザヤ書ではなく、マラキ預言書3;1に書いてある預言だ。
 「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」の一句は、ギリシャ語70人訳のほぼそのままの引用だ。しかし、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え」はヘブライ語原典の「叫ぶ声がする。荒れ野に主の道を整え…」とは、句点の場所が違い、意味がかなり違ってしまっている。イザヤではどうも天使の声らしいが、どこからか「荒野に主の道を…」と言っているのに対し、マルコでは叫ぶ者は荒れ野にいて「主の道を整え…」と叫ぶからだ。実際それは洗礼者ヨハネを指している。
 句点の場所を取り違えたのは実はマルコではなく、ギリシャ語70人訳なのだ。マルコはそれをそのまま使ったに過ぎない。しかし、それははからずもマルコがヘブライ語聖書よりも、ギリシャ語訳聖書に慣れ親しんでいたことを示唆している。他方、マラキ預言者の言葉がイザヤ預言者のものとされたり、イザヤの引用文が少し変えられたりしているのは、暗記したものを書いたからではなかろうか?昔、聖書は手書きで稀少だった。個人は持てなかったから、マルコもきっと暗記していたのだろう。だから多少の相違が出たのだと思われる。そう推察すると、彼らの暗記力にかえって感嘆、感動を覚える。
 とにかく、「荒野で叫ぶ声」とするのも一解釈だから間違いではない。むしろ洗礼者ヨハネの巧みな導入になっている。ところで、彼は「いなごと野蜜を食べていた」と野人的に描かれているが、ヘブライ語訳はそれを「草木の根や果汁」と訳している。その根拠はアラマイ語新約聖書の用語にある。ギリシャ語原典の元となったとされるアラマイ語マタイもでも同じだったのに、ギリシャ語マタイやマルコが誤解して「いなごと野蜜」としたのではないかと思われるからだ。
 その注釈を見るとうなづける。アラマイ語では前者は“kamtsa”だが、それには「いなご、植物の根、にんじんに似た根」等いくつかの意味がある。ギリシャ語原典はイナゴととったが、それは青草の季節にしかいない。パレスチナの乾季には草は一斉に枯れ、イナゴは消えてしまうからだ。私も少年時代にイナゴは食べたが、一年中常食にはできない昆虫だ。それに対して、野生の草木の根なら掘っていつでも食べられる。だから、この方がイナゴよりも説得力があると思うのだ。
 「蜂蜜」も同様で、ヘブライ語の“Debash”(アラマイ語では“Debusha”)は蜂蜜だけでなく、「果物の汁」の意味もある。だから、蜂蜜でもいいのだが、実際に野生の蜂蜜を見つけることはたやすくなく、量も多くない。従って、いつも食べるわけにはいかない。それに比べ、「果物の汁」なら、パレスチナには豊富にある。だから、常時摂取できただろう。そう考えると、「イナゴと蜂蜜」よりもどちらかと言えば「草木の根や果汁」というヘブライ語訳の方に軍配を挙げたい気がするのだ。
 しかし、洗礼者ヨハネがどんな姿で何を飲食していたかなどは、知的な好奇心を満足させるだけの事柄で、重要ではない。重要なのは彼の言葉だ。彼は「わたしより優れた方が、後から来られる。…わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」と告げた。つまり「主が来られる」と告げたイザヤの預言が成就間近で、それがどんな方かを伝えたのだ。だが、それは生まれて来る聖誕の主ではなく、福音を告げるために「来られる」主のことだった。

 そして、私たちは知っている。そのようにして来られた方がナザレトのイエス・キリスト様であることを。主がガリラヤとユダヤ一帯を回って人々に福音を宣べ伝え、その後すべての人々の罪の償いのために十字架の苦しみを受けて死に、三日目に復活し、40日後に天に昇られたこと、しかし世の終わりに再び来られるということを。その時、万民が裁かれ、その後に新しい天と地が始まることを。ペトロの第二の手紙3;8-14はまさに主が再び来られるその再臨の日のことを語るものだ。
 その文面からは、その日を待っていた初代教会の人たちの様子が実によく読み取れる。8節より前を読むと、当時の信者たちの心理状態がもっとよくわかる。使徒は書いている。「終わりの時には…あざける者たちが現れ、あざけって、こう言います。『主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこの方、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。』」と。信者たちは、約束など嘘だと言う不信仰な者たちの言動に少し揺らいでいたのだ。
 だから、使徒はそれに反論してこう書いた。「彼らがそのように言うのは、次のこと(洪水で一度滅んだこと)を認めようとしないからです。…しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです」と。これは主が世の終わりについて予言された出来事(マタイ24;15-44や毒麦のたとえにある天の父の忍耐(マタイ13;24-30)を実によく反映している。
 待降節第二主日で読まれるくだりはその続きで、使徒はそこで主の日がどのように来るか、それをどう理解すべきかを教えている。彼は書いた。「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます」と。非常に説得力のある説明だ。
 初代教会では主の再臨は近いと信じる傾向があった。ところが、その日がなかなか来なかったので、本当は世の終わりも主の再臨もないではないかと、疑ったり否定したりする者が現れていた。その事実はペトロのこの手紙からもはっきり読み取れる。それに対して「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のよう」なのだと書いた使徒の比喩は実に効果的だ。人間の時間的観念を尺度にして早いとか遅いとか気をもむことが、いかに浅はかで相対的かをわからせてくれるからだ。
 その伝でいけば、主のご昇天後の2千年もたった2日に過ぎないわけだ。主は遅いなどと言えるわけがない。しかし、使徒が書いたことでもっと重要なのは、主がまだ来られない理由だ。それは「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられる」からだと彼は教える。私はRetractandum No.24「主の再臨と万民の裁き 一部分敷延」で、裁きまでの神様を「待ちの神様」と書いたが、ペトロの手紙はその何よりも雄弁な説明だと思う。
 しかし、待降節のこの主日には「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません」という一句が一番縁が深い。「主は来られる」という確認だからだ。これはまだ実現していないが、かつて言われた預言が皆成就したように、これも必ず成就すると言う意味だ。ただし、主の日は盗人のようにやって来る。現代の日本では「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ」と疑う人が多数派だろうが、それに傾くか、主の言葉を信じるか、まさに私たちはそれを問われているのだ。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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