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二人の息子のたとえ    見直しNo.15

 年間第26主日の福音はマタイ21;28-32だ。それは父からぶどう園に行くように言われた二人の息子のたとえを伝える。これについて私が書いたものには「はいといいえ」(こじか誌1993年)、「小さな食い違い」(聖書反芻2008年)および「自分は兄と弟のどちらか?」(聖書反芻2008年)の3編がある。
 ところで、新約聖書ではここほど翻訳の違いが大きい個所は珍しい。今回はまずはその問題から見直してみよう。それはこう始まる。「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄の所へ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、あとで考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。」 
 邦訳の多くは息子二人を兄と弟とか長男と次男とか訳している。しかし、ギリシャ語原典は“toi protoi”と“toi heteroi”で、直訳すると「最初の(息子)に」と「他の(息子)に」だ。欧米諸語の訳でも同様で、例えば英語では“to the first”と“to the second”、仏語では“au premier”と“au second”だ。“frère aîné”とも“frère cadet”とも訳されてない。それは父が話しかけた息子の順番だ。だから、必ずしも先の息子が兄で、後の息子が弟だとは限らない。 
 それならば、なぜ兄弟と訳されたのだろうか?おそらくその方がわかりやすいという利便性からだったのだろう。誤訳と言うほどでもないからこれはまだ許容できる。しかし、「兄」と「弟」の位置と答えを入れ替えている訳に対してはそうはいかない。原典、ブルガタ訳、欧米諸語訳、新共同訳を含む多くの邦訳は、兄は『いやです』と答えたが、あとで考え直して出かけた。…弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった」という順序の答えと行動にしている。底本の違いはあるのだろうが、おそらくこれが正当な訳なのだと思う。
 ところが、ある訳は「兄」と「弟」の答えと行動を逆にし、「兄は『お父さん、参ります』と答えたが、行かなかった。…弟は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた」と訳している。邦訳では日本聖書協会訳やギデオン協会訳、独語ではヘルダー訳がそうだ。これだと「この二人のうち、どちらが父親の望みどうりにしたか」という問いに、「後の者です」(独語では“der letztere”「後者」)となり、“Ho protos”(最初の者、the first)とする原典や多数派の訳と逆で、相容れない。
 特にひどいのは英語・日本語対訳のギデオン協会訳だ。日本語訳は日本聖書協会訳を採用しているから、父親の望みどおりに行動したのは弟(あとの者)だが、英語の方は多数派の訳と同じだから、翻訳がまったく合っていない。兄と弟の答えと行動が逆であり、「どちらが父親の望みどうりにしたか」という問いへの返答は英語が“The first”なのに、日本語訳は「あとの者です」となってしまっている。私ならこんな訳は恥じる。それとも現在はもう訂正済みなのだろうか?

 この譬えは短くて単純だ。しかし、イエス様がそれを話されたいきさつは単純ではなく、背景には不穏な動きが見え隠れする。従って、その文脈の中で理解しないと本当の解釈はできない。では、この譬えにはどんな背景またはいきさつがあったのだろうか?その答えはこの21章を少し遡って読めばわかる。マタイの福音書は必ずしも時系列的には正確な順序で出来事を伝えてはいないが、この部分は3福音書がほぼ一致しているから確かだと考えていいだろう。
 では、何を伝えているかと言うと、21章冒頭はイエス様のエルサレム到着だ。主がロバに乗って入城すると、人々は「ダビデの子にホサンナ!」と叫んで、熱狂的に迎えた。すると、「都中の者が、『いったい、これはどういう人だ』と言って騒いだ。そこで群衆は、『この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ』と言った」(10,11節)のだった。群衆とはガリラヤ、あるいは途中から従って来た者たちだろう。彼らと都の者との間には認識と共感にはっきり差がある。ここには後に「十字架にかけよ!」の雷同につながる伏線がある。
 エルサレム入城後、主は神殿の境内にいた動物商人や両替人を追い払われた。そして、そこで病人たちを治癒なさった。このことが耳に入ったので、祭司長たちや律法学者たちは腹を立てた。祭司長たちはほとんどがサドカイ派、律法学者の多くはファリサイ派だったから、本来は敵対関係にあったが、ことイエス様に関しては「敵の敵は味方」の理屈で、すでに共闘を始めていたのだ。しかし、反感の動機は別だったと思われる。
 ファリサイ派の人々はもうガリラヤでの福音宣教中、何度もイエス様に論争を挑み、批判非難を繰り返していた。彼らの反感は律法の解釈が違う上に、主から偽善者と言われて名誉を傷つけられたことなどが動機で、この時の反発は子供たちが神殿の境内でまで「ダビデの子にホサンナ」と言うのを黙認しておられたからだろう。それはイエス様がメシアであることを意味したが、彼らは断じてそれを認めたくなかった。彼らは教義的・道徳的次元で主と対立していたのだ。
 それに対して祭司長たちの敵意は、経済的利益と自分たちの地位が動機だったと思う。時はちょうど過越祭前だった。神殿の境内にはその時の犠牲に供する動物たちの商人が溢れ、神殿税を納めるための両替商も台を並べていた。彼らに商売の許可を出す祭司長たちにはもちろん利益が入るわけだ。ところが、イエス様はそれを追い払われた。それに主がメシアなら、旧約の祭りを司る自分たちは早晩無用になりかねない。主の出現は彼らの生存に脅威だったのだ。
 エルサレム入城後の主は夜はベタニアに泊り、朝になるとエルサレムに戻って、神殿の境内で教えておられた。祭司長や長老たちがやって来て、主に問いただしたのはそんな時だったのだ。それが背景だ。彼らは「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか」と言った。主が神殿で教えていることに対して、教える権限と神殿の境内を使う認可をただしたのだ。だが実際は商人たちを追い出し、「ダビデの子にホサンナ」と言わせたことが許せないと憤っていたのだ。
 長老は最高法院(Sanhedrin:衆議所とも訳す)のメンバーだった。最高法院とはマカベ一族の頃に始まったようだが、イエス様の時代には祭司長、高位の世俗的代表である長老、律法学者の3階級からの議員71人で構成され、イスラエル民族の指導権限を持つ最高決定機関だった。他方、ここで注目に値するのは祭司長たちの登場だ。神殿はエルサレムだけにあったから、彼らも都にいた。これで、ご受難の時に主を苦しめ殺す側の主役たち(マタイ16;21)が出揃ったことになる。
 彼らの問いに主は、「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか」と反問された。彼らは「天からのものだ」と答えれば、「では、なぜヨハネを信じなかったのか」と言われそうだし、「人からのものだ」と言えば群衆が黙っていないだろうと懸念して、結局「わからない」と答えた。すると、イエス様は「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」と言われた。
 しかし、主はこの好機を逃さず、彼らに二つの譬えを話して警告された。その一つが二人の息子の譬えだったのだ。その前に、イエス様の権威とヨハネの洗礼の出どころについて問答があった。そこにこの譬えが話されたいきさつがったのだ。従って、それを踏まえずにこの譬えだけを切り離して理解しようとすると、どちらがよい息子かとかどちらがよい返事かなどの、単なる道徳的な説話に矮小化されてしまいかねない。だが、主の意図は彼らへの警告兼改心への招きだった。

 譬えは読めばだれにもわかるが、「兄」「弟」を訂正して訳し直してみよう。「ところで、あなたたちはどう思うか。二人の息子をもっていたある人が、一人目の息子のところへ行き、『子よ、今日はぶどう園へ行って働いておくれ』と言った。彼は『いやですよ』と答えたが、後で考え直して出かけた。もう一人の息子のところへも行って、同じことを言うと、彼は『お父さん、わかりました』と答えたが、出かけなかった。さて、この二人のうち、どちらが父親の望み通りにしただろうか。」
 先に言われた息子は父親の頼みを断った。言わば親を喜ばせる返事をしなかった。ちょっと不幸な息子だ。しかし、実際は後でそれを後悔し、ぶどう園へ働きに行った。「考え直し」とはギリシャ語原典では“metameletheis”で、「後悔して」の意味だ。返事は悪かったが、実行はよかった彼。減点法で評価すれば、100点満点で60点のぎりぎり及第というところか。ところが、もう一人の息子は逆だった。同じ方法で評価すれば100点満点の40点で、赤点落第というところだろう。
 長老や祭司長たちは『最初の方です』と言った。正しい答えだった。そこで、イエス様は言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じなかった」と。二人の息子のことで正しく判断できたのなら、自分たちがどちらの息子と重なるか気付きなさいと警告されたのだ。
 「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」という一句は、はからずも先週、「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」の一例として挙げたが、彼らは神様が命じたモーセの律法をないがしろにしていたから、父親の頼みを「いやですよ」と断った一人目の息子と重なった。しかし、ヨハネが悔い改めの洗礼を授けに来たら、彼らは前非を悔いて、神の掟の実践に動いた。後悔してぶどう園に行った息子とは彼らのことだった。
 ところが、長老や律法学者や司祭たちはどうだったかというと、口では神様の教えに「はい、はい」と言いながら、「その心は遠く離れ」(イザヤ29;13、マタイ15;8)ていて、ヨハネが来て義の道を思い起させても聞く耳を持たなかった。まさに、もう一人の息子と重なり、いい返事はしても実践がなかったのだ。イエス様が「後で考え直して彼を信じなかった」と指摘されたのはそのことだった。それはご自分に殺意を抱いていた彼らへの警告であると同時に、改心への招きでもあったのだ。
 では、彼らに主の心は通じたのだろうか?同じ21章でもう一つの譬えと聖書の予言が語られた後の結びを読むと、悲しいかなそうではなかったことがわかる。「祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気付き、イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである」と書いてあるからだ。現代の私たちももって自戒すべきだと思う。二人の息子のたとえは他人事ではないからだ。
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神様の論理   見直しNo.14

 年間第25主日の福音はマタイ20;1-16で、ぶどう園の労働者の譬えだ。この個所については、過去に「それ以上は神の自由」(こじか誌1993年)と「見落としていた幸せ」(聖書反芻2008年)を書いた。訂正や撤回しなければならない点は見当たらないので、今週も追加補充のつもりで書き直し的見直しとする。

 この個所は、前週の福音マタイ18;21-35のような〔一つの教え+それをイラストする譬え〕のペアというスタイルではなく、いきなり譬えだけで始まる。従って、そこにどんな教えやメッセージが込められているのかは、読む人自身が具体的な物語の中から読みとらなければならない。では、この譬えにはどんな教えまたはメッセージが内在するのだろうか? 
 新共同訳は、「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った」と訳した。しかし、原典の“Homoia gar estin he basileia tohn ouranohn anthropoi oikodespotei, hostis exehlthen …”(For the kingdom of heaven is like a householder who went out …)という部分を、「天の国はある家の主人に似ている。彼は出かけて行った(朝早くぶどう園で働く労働者を雇うために)」と直訳すると、この譬えの何が天の国に似ているのかが比較しやすく、これがどんな類の譬えかもはっきり見えてくる。
 では、その譬えの何が天の国と似ているのかというと、ぶどう園の主人が労働者たちに支払う日当の与え方と、神様が天の国で人それぞれの人生の働きに報いる報い方が似ているのだと言えよう。だから、これは天の国の譬えではあっても、天の国がどれほど価値のあるものかとか、そこは人がどう生きる所なのかとか、そこへ入れていただけるのはどういう人かとかをわからせる類の譬えではなく、神様がそこで人にどんな報い方をなさるかがテーマの譬えなのだ。
 そこで、それを読み通すと、そこには次の教えまたはメッセージが込められていることを見つけ出すことができるだろう。すなわち、①ぶどう園の主人同様、神様は天の国で誰の働きにも正当に報いてくださること、②しかし、報酬が働いた時間や量に比例してはいなかったように、天の国での報いも恩恵として与えるのは神様の自由であること、③一日中働ける幸せに気付けば、それに相当する長い信仰生活の幸せも見落としてはならないこと、この3つだ。

 では、そのような教えまたはメッセージが込められていると見ることが妥当かどうか、妥当だとしても、それだけで十分かどうかを検証するために、まずは譬えの筋をおさらいすることにしよう。ぶどう園の主人は朝早く労働者を雇うために出かけたとあるが、裏返せば当時もそういう日雇い労働者がいたのだろう。彼らは雇われたのだから、自分の農地も家畜の群れも商売する店も持っていない貧しい人々だったと想像できる。
 彼らが主人と契約した一日の労働報酬は1デナリオンだった。この契約額は後で重要なポイントとなる。ちなみに、デナリオンとはローマ通貨の名で、だいたい1日の雇用賃金に相当した。だから、私は便宜上今の日本なら日給1万円相当に換算すると計算しやすいと思っている。契約が済むと、主人は彼らをぶどう園に送ったとあるが、幸いにも朝早くから仕事にありつけた労働者たちは、幸運だったなと互いに喜び合って、雇い主のぶどう畑へと急いだに違いない。
 ところが、主人は「また九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った」のだった。朝早く出かけた時は、主人がどこで労働者を雇ったかは書いてなかったが、ここでどうやら早朝の時も広場へ行ったのだなということがわかる。そして、覚えておかなくてはいけないのは1デナリオンではなく、「ふさわしい賃金を払ってやろう」と言ったことだ。
 ちなみに、ほとんどの邦訳はその時間を「九時ごろ」と訳しているが、ギリシャ語原典では“peri triten horan”(三番時ごろ)だ。ラテン語、ヘブライ語、英、仏、西、独語訳も“about the third hour”のように、原典に即して「三番時ごろ」という訳が多い。当時の3番時は現在の午前9時に相当した。だから、誤解を避けるため、邦訳は気を利かせて「九時ごろ」と訳したのだろう。原典尊重かそれとも現実優先かはさて置き、原文は「三時ごろ」だということは知っていてよいと思う。

 人手が足りなかったのでもないだろうに、主人は12時(6番時)ごろと3時ごろにも広場に出かけ、9時ごろの人たちにしたのと同じことをした。そして、何と5時(11番時)にもまた広場に行ったのだ。すると、そこにはまた人々が立っていた。主人は彼らに尋ねた。「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と。彼らは「だれも雇ってくれないのです」と答えた。働きたくてもあぶれていたのだ。そこで主人は彼らにも言った。「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と。
 これを読むと、私たちはこの主人が並みのぶどう園主ではないことに気付く。ぶどうの収穫で儲けを優先する雇い主なら、なるべく同じ日当で長時間働いてもらう方が得だから、朝早くいくつかの広場を回って必要なだけの労働者を集め、午後3時とか夕方の5時とかに広場に行って人を雇うわけがないからだ。ところがこの主人は、どう見ても仕事にあぶれた人たちを救済したかったから出かけたように思える。その通り。彼は人々を救いたい神様の似姿だったのだ。
 さらに気付くことは、主人が彼らには「賃金を払ってやろう」とさえ言わず、労働時間にもまったく触れないで、ただ「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言ったことだ。そういう事柄にことさら触れなかったのは、彼らに少しでも働いて稼げる希望を与えたかったからだけではなく、何か心の中で考えていることがあっての言動だったように見える。そう、その通り。人は主人がそのとき心中で何を考えていたのかを、日当の支払いの時に初めて知って驚くのだ。
 もう一つ気付くことは、3時5時の人たちがぶどう園の主人に、「今から働けば、いくら支払ってくださるのですか?」とも何とも聞かないで、言われるままにぶどう園へ赴いたらしいことだ。それはおそらくこう思ったからではなかろうか。「こんな時間からでも働かせてくれるお方だ。只働きなどさせるわけがないだろう。その表情や口ぶりから察しても、この人なら信用できる。ちゃんとした契約などしなくても大丈夫だ」と。ここには信じるというテーマが隠れているように思う。

 夕方、仕事が終了すると、主人は監督に日当を払ってやるように命じて、「労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言った。その順番には意図があった。人間の一般的社会常識では、こういう場合は朝早く来て働いた者たちから先に支払うのがふつうだ。しかし、このぶどう園の主人は支払いの順を逆にさせた。そのわけは早朝からの労働者たちが日当を貰った後、文句を言ったのをきっかけに明らかになる。
 賃金は5時ごろからの人たちが最初に受け取りに来た。当時は1デナリオンの下には半デナリオンや4分の1デナリオンの貨幣があったそうだ。もっと小さい単位の貨幣もあったのだろうが、とにかく彼らは短時間しか働いていなかったから、4分の1デナリオンすら期待してはいなかっただろう。ところが監督が渡したのは1デナリオンだった。彼らはどんなにびっくりしただろうか。見ていた他の人たちも驚いて、それなら自分たちはもっと貰えるかもと期待を抱いたかも知れない。
 譬えには次に3時から働いた人々が来て云々とは書かれていない。しかし、彼らにも同じく1デナリオンが支払われたはずだ。彼らは3時間しか働かなかったのだから、5時組と同額でも不満はなかっただろう。しかし、12時からの人たちは後から来た人たちと同じ1デナリオンを受け取ると、なぜ同じなのだろうと少しは訝ったかも知れないが、午前中あぶれていたところを雇ってもらったのだから、やはり不満を感じるほどではなく、むしろありがたく受け取ったのではあるまいか。 
 それに比べると、9時ごろに雇ってもらった人々は少し違ったかも知れない。彼らはほぼまる一日働いた。ところが貰う賃金は5時から来た人たちと同額だった。彼らが心中、「なぜだ。雇い主はあの連中と我々とを同じに扱うのか?」と疑問に思い、不満を覚えた可能性はある。しかし、日当の支払作業は続いていたし、文句を言うのは気が引けたので、眉間にしわを寄せつつも黙って、感謝も言わずに1デナリオンを受け取って行ったのではなかろうか。
 ところが、早朝からの人たちの番になると誰かが文句の口火を切った。彼らはたくさん働いたのだから、最後に来た人たちが1デナリオン受け取ったのを見て、もっとずっと貰えると思った。ところが、3時、12時、9時の人たちの賃金を見ていたところ、みんな同じなので変だと感じていたが、よもや自分たちにまで同じにするとは思っていなかったのだろう。しかし、同じ1デナリオンだった。だから不満が爆発した。
 すでにお金を受け取った9時、12時の人たちも事の顛末を見届けようと帰らずにいて、早朝からの人たちに同調する雰囲気になっていたかのかも知れない。だから、早朝グループは不満を代弁するかのように、「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは」と主人に抗議した。「こんな支払いは不公平ではないですか。こんなことなら我々も5時から働けばよかった」と我慢ならなかったのだ。
 すると主人はその一人に答えて言った。たぶんその労働者が一番激しく食って掛かった一人だったのだろう。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも私の気前のよさをねたむのか」と。

 さて、ここからが私たちの考察の正念場となる。主人の言動を通して、そこに神様の論理が示され、人間の論理と対立したからだ。早朝からの人々はなぜ激しく文句を言ったのだろうか?人間社会の常識からすれば、まる一日働いた彼らの気持ちはわからなくはない。暑い日中を汗水たらして働いたのに、たった1時間だけ働いた者と同じ日当では、10時間近くが無駄働きに等しく思えただろう。働いた時間だけの賃金は払ってもらいたいと思ったのも無理はない。
 主人は契約を守って正当な日当を払ったのだから彼には何の非もないのだが、たとえそうだとしても社会常識からすれば、一日中働いた者たちに同情する人は結構いるかも知れない。人間の等価報酬の論理で考えれば、彼らの不公平感や恨めしさはもっともだと思えるからだ。せめて支払いの順序を逆にして、彼らには短時間しか働かなかった者たちの日当がわからないように、最初に支払ってやればよかったのにと批判する人もいるだろう。
 しかし、主人の口と通して語られた神様の論理は違った。そして、まさにそれをわからせるためにこそ、イエス様はこの譬えを話されたのだった。だから、日当の支払いはむしろ一番短時間しか働かなかった者から始めなければならなかったのだ。彼らが1デナリオンの日当をもらうところを、もっと長く働いていた人たちが目にし、それによって主人が彼らを雇ったとき、何を考えていたかわからせるためだったからだ。主人の返答は天父の考え方を代弁するものだった。
 それには論点が二つある。一つは「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか」という返答にある。主人は早朝組に約束の1デナリオンをちゃんと支払って義務は果たしている。他の人々に好意で同額払ったとて、それを非難されるいわれはない。終日働いたからと言って、彼らに契約以上の賃金を要求する権利があったかと言えば、なかった。だから、「自分の分を受け取って帰りなさい」と言われたのは当然だったのだ。
 もう一つは、契約義務の日当はちゃんと払ったのだから、それ以上のことをするのは私の自由だという論点だ。主人の言い分は、あなたがたに私の財布の使い道にまで口を出す権利があるのか?私の自由ではないか。あなたたちは妬みから不満を言っている。しかし、考えても見なさい。あなた方が生きるのに一日1デナリオンが必要なら、遅く来た人も必要だろう?彼らにだって家族がる。だから、私は彼らにも同額を与えた。私は誰にも等しくしてやりたいのだ、というにあった。
 早朝組に同情的な人たちもこの返答を聞けば、なるほど、そう言われてみればそうだな。彼は義務を果たしている。その上で遅く来た人たちにも同額の賃金を払ったからと言って、何も文句を言われる筋合いない。あぶれていた人たちの家族の生活まで考えて好意で払ったのなら、むしろ称賛されてしかるべきだ。根拠のない期待をして、それが外れたからと言って主人を非難するのは、する方が間違っていると考え直すだろうと思う。

 しかし、これは単に労働時間に関係なく日当を払うことの是非ではなく、それが譬えられている意味が重要なのだ。では、譬えられている意味は何かと言うと、ぶどう園の主人は神様、ぶどう園はこの世で神様と共に働く場、早朝からの人たちは他民族より先に神の民となれたイスラエル民族、仕事にあぶれていた9時以降の人たちは神様の救いから漏れていたが、順次真の信仰に入れる人々、賃金の支払いは天の国における報酬、1デナリオンは永遠の命の意味だ。
 そして、ぶどう園に行ってその日当で働くとは、生きる希望をもって主と共にある幸せを意味した。従って、このぶどう園主が利益本位の労働者雇用のためではなく、時間に関係なくあぶれている人すべてに働くチャンスを与える意図で広場に行ったことは、神様が最初に神の民となれた人々にだけではなく、全人類に天の国の報いを得させようとなさっていたことを物語る。主はこの譬えで、その秘められていた神の救いの計画を明らかになさったのだ。
 そうだとわかると、すべての労働者に同額の一日1デナリオンを支払ったことは、ただの日当ではないことがわかる。時間帯の違いはそれぞれの人または民族が神様を信じて生き始める時間差を意味しているが、主のぶどう園で働いた人はその報酬として、天の国で永遠の命をいただく。永遠の命は増減できる貨幣ではないから、一時間しか働かなかった人の永遠の命が10分の1になるなどということはあり得ない。だから、先の人であれ後の人であれ、同じ1デナリオンなのだ。

 それ以上に重要なのは、わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか」という部分だ。ここにイエス様が最もわからせようとなさった神様の論理の真骨頂がある。「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なる」(イザヤ55;8)とはまさにこのことで、文句を言った早朝組は人間の論理の代弁者だが、そんな支払い方があるとは想像すらできなかった。それは私たちの意表をも突き、私たちをも驚かせる。
 しかし、神様はすでに「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」(出33;19)と言われていた。恵みとは無償の好意であって、そもそもアブラハムの選びすら神様の自由で、好意によるものだった。彼やイスラエル民族にそれに値する価値や権利があったからではない。「わたしはこの最後の者にも同じように支払ってやりたい」という言葉は、もともと慈しみから選民にしてやったことを異邦人にもしてやりたいという意志の表れだったのだ。
 信仰への到達は時間差があってまちまちだが、その着順には関係なく、神様はすべての人を同じ救いの恵みに与らせたい。「自分のものを自分のしたいようにしてはいけないのか」とは、その恩恵を自由に無償で恵む神様の意思表示にほかならない。それは神の国に入れていただけるのは、人がどれだけ働いたかによるのではなく、基本的には神様の自由な恩恵のおかげなのだということを意味する。
 ところで、早朝からの人々は旧約の神の民、遅い時間の労働者たちは後から救いに招かれた異邦人を暗示しているが、それは教会の中では幼児洗礼で早くから信仰生活にある信者たちと、成人洗礼や臨終洗礼の信者にも当てはまるだろう。神様は旧約の選民を正当に恵み、幼児洗礼の信者を尊重なさる。しかし、その人たちが自分たちはより長く神様に仕えたから、より多くの報いを受けるはずだと考えたら、それは人間の論理だ。主はそれを否定されたのだ。
 天の父はそのぶどう園で働く人たちには、旧約時代からの神の民であろうと、新約になってから新参の異邦人であろうと、幼児期からの信者であろうと、人生の最終段階で信じた人であろうと、等しく天の国での恩恵に与らせたいと思っておられる。それは人の行う善業の量に応じた等量応報的な報酬ではないのだ、と主はお教えになったのだ。しかし、見落としてはならない点もある。ただ信じさえすれば、何もしなくても報いを受けられるかと言えば、それは違うという点だ。
 マタイ25:42を読めば、少なくとも愛の業が不可欠だとわかる。5時からの人たちも1時間は働いた。ゼロだったのではない。天の国の報酬計算は神の恩恵と愛の業の掛け算に似ているだろう。神の恩恵が無限でも、人間の愛の業がゼロなら、いくら掛けてもゼロだ。しかし、愛の業が1あれば、それに無限を掛ければ無限になる。1時間の働きとはその1に等しい。1デナリオンだ。人間の努力など微々たるものだが、神様の無限の慈しみと掛け算されると、永遠の恩恵を実現するのだ。
 ぶどう園の主人は1デナリオンを誰にでも与えたのではなく、最低1時間以上働いた者に与えた。神様も天の国に入る恩恵を誰にでも与えられるわけではない。ぶどう園で働いた労働者のように、それは主の招きに応えて天の父の御心を行う者だけに与えられる。見落としてはならないのはそこだ。「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行うものだけが入るのである」(マタイ7:21)とある通りだからだ。 

 もう一つ言及し忘れてはいけないのは働けた幸せのことだ。早朝からの労働者は一番長い時間働いた。ある意味では良い労働者だった。だから約束の1デナリオンをもらえた。しかし、報酬が不公平だと不平を言った。それは労働を嫌な事と見なしていたからでもあろうが、もし仕事がなくて、自分たちが終日広場にあぶれて立っていなければならない立場だったら、いったいどんな思いをしただろうかと想像する力が欠けていたからでもあると思う。
 5時からの人たちは、もし稼ぎなしに家に帰ったら、子どもたちにひもじい思いをさせることになり、待っている間どんなに不安だっただろうか。それに比べ、自分たちは幸運にも早朝から働き口を与えられ、確実に報酬がもらえると安心して働けた。もしそう想像することが出来ていたら、彼らは「まる一日、暑い中を辛抱して働いた」などと愚痴らず、むしろ「今日一日働かせてもらい何と幸せだったことか!」と1デナリオンを握りしめて、感謝しながら家に帰ったのではあるまいか。
 これは信仰生活にも当てはまる。昔、聖園子どもの家で働いていた時、ある中学生が言った。「未信者は楽でいいな。天国へは死ぬ直前に洗礼を受けて行く方が利口だよな」と。信仰上の掟や義務を煩わしく辛い重荷と思っていたからだろうが、本当は逆なのだ。早朝から働いた労働者のように、人生の早い時期から信仰生活を始めた人は、実は天国で幸せの報いを受ける前に、その長い生涯を神様と共に生きられる幸せも味わえるのだ。むしろ、どれほど感謝すべきだろうか。
 最後に「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」という一句だが、これはこの譬えの結論ではない。ぶどう園の支払いでは後から来た人たちが先になり、先に来た人たちが後になったが、同様に先に神の民となったユダヤ人たちの中には、救い主を拒んだがゆえに福音では異邦人より後になった者が多くいた。主が祭司長や長老らに、「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国にはいるだろう」(マタイ21;31)と言われたのもそうだ。これはそういう後先が起こることを指摘したまでで、後になっても天の国の報いが増減するわけではない。同じだ。

心から赦さないなら 見直しNo.13 

無慈悲な家臣

 年間第24主日の福音はマタイ18;21-35だった。それは「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」と質問したペトロに、イエス様が「七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい」と答え、それをわからせるために慈悲深い王と無慈悲な家来の譬えを語ってくださった個所だ。それについて書いたものは「赦しと痛み」(こじか誌1993年)しかないが、訂正撤回点はないので、今回はそれをベースに書き直すというやり方の見直しをする。

 この問答と譬えはマタイの福音書にしか書かかれていない。それは他者の罪を何度赦すべきかと言う限度問題に、際限なく赦せというメッセージで答えている。「七回までですか?」と質問したペトロは、さぞかし内心では、「主よ、七回までも赦そうと思う私はずいぶん寛大でしょう?」と自慢気だったのかも知れない。ところが、主の答えは「七の七十倍までも赦しなさい」だった。つまり490回で、これは1年365日よりも多い驚くべき数字だ。
 実と言うと、私はこの数字を「7回どころか、77回までも」と思い込んでいた。どうしてこんな思い違いをしていたのかと調べたら、愛用している仏訳のLa Bible de Jerusalemが「77回」と訳していたのが原因らしいとわかった。もっともその註には「70回の7倍という解釈もある」と書いてはある。しかし、他に77回とした訳はヘルダー出版社ドイツ語訳だけで、手元の原典、ラテン語訳、すべての邦訳は「7の70倍」だ。写本によって違うのだろうが、「七の七十倍」の訳が妥当だと思われる。
 いずれにせよ、主の答えの意味は明白だ。それは7回ぐらいではとうてい不十分で、数えてなどいられないほど限りなく赦しなさいと言うにあった。そして、それに続く天の国の譬えは、まさにその途方もない教えをよりよくわからせるため、当時ありそうにも思えた話題を大いに誇張した、劇的なイラストレーションなのだ。ただし天の国の譬えと言っても、これは天の国そのものの話ではなく、どうしなければ人はそこに入れていただけないか、その地上における条件についての譬えだ。

 ここからはその譬えを詳しく見てみよう。話はかなり長く、二転三転するので、ボーイスカウトのスタンツ用に書いた「イエスが行くⅡ」では、全体を3場面に分け、登場人物は王、王から大金を借りた家臣、その家臣から金を借りた同僚、その他の家臣2人、それに福音書にはないが大蔵大臣と衛兵2人とした。大蔵大臣役(経理担当)は、王自身がお金を扱うのはおかしいので設け、衛兵役は、家臣たちを呼んだり牢に連行したりするのに必要だったから置いた。
 譬えはある日ある王が、王宮で決済をする場面で始まる。王が家来にお金を貸したりするだろうかと疑問に思う人もいるだろうが、そこは譬えだ。あまりリアルに考えたら始まらない。家来のほとんどは給料をもらうためにやって来たので、実務は大蔵大臣が取り仕切ったと想像すればいい。ところがそこへ「一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。」連れて来られたのだから、来るのを嫌がっていたのに、引っ張って来られたのだと解釈した方がよさそうだ。
 ところで、10,000タラントンと言っても日本人にはピンとこないだろうが、円に換算したらどのくらいかを知れば、誰もが唖然とするに違いない。概算だが、1デナリオンは一日の労賃相当だったから、今の日本なら1万円ぐらいの日給というところだろうか。ところで、1タラントンとは10,000デナリオンだった。さて、それで10,000タラントンを計算すると、10,000円×10,000×10,000=1,000,000,000,000円、つまり何と1兆円にもなる!驚くべき巨額なのだ。
 当時のイスラエル全土の国家予算は1千タラントン未満だったらしい。そんな時代に国家予算の10倍もの大金を、この家来はいったい何に必要としたのだろうか?二昔ほど前のバブル景気に浮かれていた日本だったら、土地の買い占めに大金を注ぎ込んで大儲けを企み、バブルがはじけるや大損を出した某不動産会社の営業部長とかの例はあったが、それでも1兆円もの大金は、一大企業や国家プロジェクトであってさえそう簡単に左右できる額ではない。
 ましてや、王の一家来にとっては余りにも巨額で非現実的な借金だ。その使い道さえ想像できない。だから、かつての人間社会にそんな巨額負債の実際モデルがあったかどうかを探しても無意味だ。しかし、実生活の次元ではそうであっても、その巨額さは宗教的次元ではむしろ現実的で、誇大でも何でもなかった。なぜなら、それは神様に対する人間の途方もない負い目(罪)の大きさを暗示していたからだ。巨額負債のインパクトは、私たちがそのことに気づくのにいいきっかけになる。 

 譬えの筋に戻ると、その家来は王の前に出たが借金を返せなかった。どうにもならない状況に追い詰められていたのだろう。そこで主君は彼に、妻子や持ち物を全部売ってでも返済するようにと命じた。この要求は酷ではないかと思う人がいるかも知れない。しかし、イスラエルの律法では、奴隷に売られても7年目には解放される(申命記15;12-18)ことになっていた。従って、アメリカ大陸に売られた近世のアフリカ人奴隷などとは違い、救いがあったから酷な感じはずっと和らぐ。
 しかし、その家来はひれ伏して「どうか待ってください。きっと全部お返しします」と、しきりに猶予を願った。するとそれを見て、「主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった」のだった。この譬えが人の意表を突くのは、まさに主君が下したこの決断だ。途方もない額の負債を返済延期どころか、帳消しにしてやることは、人間の社会ではふつうではあり得ない。きっとその場にいた他の家臣たちは、王のその言葉に耳を疑い、エーッ!と絶句したのではなかろうか。
 ここにキーワードになる大事な言葉が出てくる。「憐れに思って」の一語だ。ギリシャ語原典で“esplangchnistheis”だが、これはsplangchnizo(腹の底から憐れむ)という動詞の過去分詞だ。パンの奇跡の前に主が「群衆を見て深く憐み」(マタイ14;14)、サマリア人が傷ついた旅人を「憐れに思い」(ルカ10;33)などと使われているのと同じ言葉で、心の底から湧き出て来る憐憫の情を表す。この譬えでは、帳消しにしたその負債の巨額さゆえに、王の慈悲深さが際立って印象に残る。
 この王とは人の罪を帳消しにし続けて来られた神様の比喩なのだ。しかし、救いの歴史を振り返って見ると、神様の赦しの実際はこの譬えの王の負債免除ですら、とうてい言い足りないほど多大であること、まさに「あなたは罪を赦す神」(ネヘミヤ9;17)と言うにふさわしいことがわかる。原罪以来ずっと、人類も神の民も罪を積み重ね、何度赦されてきたことだろうか。神の御子殺しさえも赦してもらった。神様ご自身こそまさに七の七十倍以上赦して来られた実践者だったのだ。

 ところが、これ対して巨額の負債を免除してもらったかの家来は、慈悲を無慈悲で帳消しにしてしまったのだった。ほっとして王宮を出たのだろうが、自分に100デナリオンの借金がある仲間に出会うと、捕まえて首を絞め「借金を返せ」と要求した。その仲間は彼が王の前でしたようにひれ伏して、「どうか待ってくれ。返すから」としきりに頼んだ。しかし、彼はその仲間の頼みに耳を貸さず、借金を返すまで私設の牢屋に放り込んでしまったのだった。
 譬えはそこから第三場面に移る。その様子を目撃した仲間たちは非常に心を痛め、ことの次第を残らず王に知らせた。それを聞いた主君はその無慈悲な家来を「呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんだように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した」のだった。
 処罰されたこの家来は反面教師として描かれている。自分が王から借りていた大金に比べたら、彼の貸金はたったの百万分の一で、実に取るに足らない額だ。それなのに、そのお金を取り立てるため、彼は仲間には冷酷無慈悲に振る舞った。狭量で「腹の底から憐れむ(splangchnizo)」愛に欠けていたのだ。自分が困ったときは卑屈に頼むくせに、弱い立場の者には高圧的に出る。彼はそんなタイプの男だった。
 単に無慈悲だったばかりではない。彼は愚かでもあり身勝手でもあった。なぜかと言うと、慈しみと赦しは愛の表裏なのだが、赦しは痛みをも伴うことをわかっていなかったからだ。王であっても巨額の負債を免除すれば、懐が大いに痛まないはずがなかった。だが、王は彼を赦して痛みを受け入れた。ところが、その家来は身勝手だったから、仲間の痛みにも王の痛みにも思い至らず、自分の痛み(損)しか考えなかった。さもなければ、自分がしてもらったように、仲間にもしていただろうに…

 そこで、イエス様はその譬えをこうまとめられた。「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」と。これはもう第三者である譬えの家来の問題ではなく、第二人称の「あなたがた」、つまり私たち自身の問題として受け止めなくてはならないことを意味する。そして、ここに二つ目の大事なキーワードがある。「心から」という言葉だ。心ならずもとか口先だけとかではなく、「心から赦さなければ」と主は言われたのだ。
 この点を反省すると、私自身にはあの人この人が思い浮かぶ。赦そうとは思うのだが、なかなか本当には赦せない何人かだ。口では赦すと宣言し、自分にそう言い聞かせても、やはりどこかにこだわりが残っていて、赦しきれない人間の顔がよぎるのだ。しかし、これは「心から」赦していない証拠だ。では、どうしたら「心から」赦したことになるのだろうか?今私が思いつくのは、一度赦したら、その人の赦し難かった点を二度と蒸し返したり、けなしたりしないことぐらいしかない。
 しかし、主のまとめのお言葉からわかったことが二つある。一つは、たとえ赦し難いことをした人が謝らなくても、あるいは謝らないのみか、さらに悪を加えて来たとしても、それでも赦す。それが七の七十倍も心から赦すことだということ。もう一つは「わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも人を赦します」と祈る主の祈りは、「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」とのお言葉に応える実践だということだ。

律法を全うする    見直しNo.12

 もう少しでその週の典礼に追いつきそうだ。9月4日、年間第23主日の福音はマタイ18;15-20だった。この個所について自分が書いたものには、「教会内のいざこざ」(こじか誌1994年)と「違和感のある主の言葉」(聖書反芻2008年)がある。この個所は深刻な教義問題などではなく、キリスト教信者がぶつかる実際問題の1つ、同信者とのトラブルをどう解決したらいいかの指針を与え、その最終解決者である教会の権威の根拠と、信者間の望ましいあり方を述べたものだ。
 だから、「教会内のいざこざ」ではこの個所にある聖書学的な疑問にも言及したが、どちらかと言えば実践的な問題対処の解説に重心を置いた。その方が子どもたちの指導には有益と判断したからだった。他方、「違和感のある主の言葉」ではむしろ疑問点の徹底した解明に力を入れた。生活上の実際問題を扱った個所ではあっても、それを福音書の学問的対象として考察する場合、その叙述には見過ごせない疑問点がいくつか潜んでいるからだ。それらを列挙してみる。

 その一つは、「それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい」という一句だ。これはイエス様がガリラヤで福音宣教をなさっていた頃の勧告として書かれているが、「申し出なさい」と言われても、その時にはもう申し出るべき教会ができていたかという疑問だ。ここにはちぐはぐさがある。
 その二は、たとえその時点の使徒集団を教会みたいな共同体と見ても、まだイエス様ご自身がおられたのに、なぜ問題解決を「教会」に申し出なければならなかったのかという疑問だ。
 その三は、「教会の言うことも聞き入れなければ、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」という一節だ。主は当時のイスラエル社会で、蔑視、白眼視、仲間外れの対象だった徴税人、罪人、娼婦などをかばい、彼らとへだてなく付き合われた。そんな主が「異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」などと、切り捨て的、排他的な勧告をされただろうかという疑問だ。
 その四は、「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ」と言われたと書かれているが、「あなたがた」とは誰のことか?という疑問だ。
 その五は、「あなたがたの二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」とあるが、その二人とは普通の信者二人でもそれに該当するのか?それとも12使徒たちまたは何らかの権限を与えられた弟子たちの中の二人の意味か?という疑問だ。

 これらの疑問には、特に「違和感のある主の言葉」で解答を試みたが、以下にそれを見直して確認してみる。
 その一:「その時にはもう申し出るべき教会ができていたか」という疑問だが、もちろんできていなかった。それなのにそう書かれたのは、初代教会の内部問題がそこに投影されたからだ。つまり、元々は将来の教会にすべての権限を委ねる主のお言葉があったから、それを先取りした形で主の口から言ってもらい、教会内のいざこざを解決する指針に権威を持たせた。だから、主の言葉が元にあっても、教会の問題対処ガイドライン的な表現になったのだと思う。
 では、教会なるものはイエス様のご受難前にありえたか?いつ形成されたか?それにはあり得たと言ってよいだろう。イスラエル民族には旧約時代から共同体の集会があったが、イエス様は使徒団をそういう一つとして「わたしの教会」(Adahti)と言われた。つまり、申し出るべき「わたしの教会」はすでに萌芽としては存在したのだ。そして、聖霊降臨の時に双葉になった。しかし、この点は見直し10の「この岩の上にわたしの教会を」で詳述したから、ここでの重複は避ける。

 その二:「まだイエス様ご自身がおられたのに、なぜ問題解決を教会に申し出なければならなかったのか」という疑問には、確かに主がおられた時は、そんな必要はなかった。いざこざは主が解決なさるのが常だったからだと答えなければなるまい。使徒たちの順位争いも、公平な遺産分与を頼んだ男(ルカ12;13)への拒絶もみな主が扱われた。しかし、初代教会にトラブルがあった時にはもう主はおられず、使徒たち、つまり教会が代わってそれらを解決していた。
 だからこそ、それらの問題をどう解決すべきか、主があたかも後代に起こることを見越してそれを話されたかのごとく、マタイは主のお言葉として伝えたのだと言えよう。従って、もし私たちが18章15節の前に、「将来のことについて言っておく」という主の一言があったと想像すれば、この疑問は解決しやすい。「もし今の問題だったら、わたしが解決するが、これはわたしがいなくなった将来のことだから、その時はあなたがたがこう解決しなさい」と言われたと理解できるからだ。

 その三:しかし、それはわかっても、「その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」などと切り捨て的な勧告をされただろうかという疑問は、もう少し難しく、心情的にも複雑だ。それは、もし兄弟の誰かが自分に罪を犯したらどうすべきかの最終解決として言われたことになっているが、最初は二人だけの間で忠告し、それがだめなら次は複数の証人を連れて行ってわからせ、それでも聞かないなら、最終段階として教会に申し出るという手順を踏んでいる。
 これは旧約の律法(申命記19:15)に準じていて、ここまでは隣人の名誉に配慮し、正義を尊重した優れた対処法だと言っていい。律法を廃止するためではなく、完成させるために来た(マタイ5;17)と宣言された主が、個別問題の解決方法としてそう勧められたのなら、それには違和感がない。問題は最後に来る言葉だ。マタイ福音書はイスラエル系信者が対象だったから、異邦人のように見なすと言う表現は理解できなくはない。異邦人とは民族も信仰も違う、付き合いのない人たちを意味したからだ。しかし、徴税人は違った。彼らは同胞であり同信の人たちだったからだ。
 彼らはローマや王家のために税金を徴収していた。だから、民族の裏切り者として嫌われ、罪びと同様に蔑まれていたのだ。ところが、主はそういう見方に同調なさらなかった。ある日、ファリサイ派の人々が弟子たちに、「なぜあなたたちの先生は徴税人や罪人と食事をするのか」と聞いた時、イエス様は「医者を必要とするのは病人である。…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招くためである」(マタイ9;11-13)と言われた。この一事でも主の姿勢がわかる。
 そのような主が愛の福音の宣教最中に、その人たちを付き合いのない人々と見なして避けるよう勧告をなさったとはとうてい思えない。では、マタイは徴税人に対する差別感が否めないこのような表現を、なぜあたかも主が言われたように書いたのだろうか?正直のところ私はその正解を知らないが、今の私たちが暴力団を忌避するように、初代教会にもユダヤ人一般と同じく徴税人を避ける通念が残っていたとすれば、彼はうっかりそれを反映させてしまったのではないかと想像する。
 そうだとしてもこの表現は主の教えとは相容れないので不適切だ。従って、主ご自身の言葉ではないと見る私の見解は変わらない。しかし、使徒言行録や使徒たちの書簡を読めば、初代教会も発展し多様化するにつれて、多くの問題が発生した事情はわかる。従って、具体的問題処理のためにガイドラインや罰則も必要になったのが現実だった。異邦人か徴税人と同様に見なせという例示は、害悪の汚染を防ぐためのやむをえない処置を言ったのだと理解しなければなるまい。
 しかし、そうだとしても忘れてはならないことがある。やむなくそういう処分を受けた人がいても、排除の論理で見捨ててはいけないということだ。「わたしは罪人を招くために来た」と言われたイエス様のお心がよくわかるならば、信仰者はむしろ異邦人か徴税人と同様に見なせと言わざるをえない表現から、その人を迷い出た一匹の羊と見て心を痛め、その人が戻って来ることを願わなければならないだろう。それでこそ主の福音を信じる者と言えるのだと思う。
 ベストは、いざこざも腐敗も裏切りも謬説も分裂も起きないことだ。しかし、主の教会であっても多くの人間がそこに集まれば、やはり問題は起こる。「兄弟があなたに対して罪を犯したなら…」というケースはその一例だ。こじか誌では「教会内のいざこざ」とペアで、私は子どもたち向けの一文「ざんしん(残心)があれば」を書いた。ひょっとしたらこんな解説の方が、人は小難しい理屈よりよくわかるかも知れない。そこで、それを書き写してみよう。

 「ネ、残心って何のこと?
 「二刀流の名人宮本武蔵がね、佐々木小次郎をたおして近づいたとたん、死んだはずの相手がパッと足に切りつけたそうだ。でも、『まてよ』と用心していたので、はかまを切られただけですんだ。この『まてよ』と一こきゅうおくのが残心さ。くつのぬぎすて、ドアをビンパンとしめること、線路に石をおくいたずらなど、みんな後先や人の気持ちを考えず、残心がないからだね。
 聖書も教えているよ。たとえば、けんか、いじめ、悪口などの時は、まず『まてよ』と考える。そして、自分が悪かったらあやまって仲直りし、相手が悪い時はそっちょくに注意して、あやまちはゆるせ、とね。」
 「でも、ちゅうこくしてもだめなら?」
 「その時は親や先生など、おとなの知恵をかりるのさ。」
 「それでもだめだったら?」
 「その時はさけるといい。とくに、み教えのことで悪をばらまく人はね。『朱にまじわれば赤くなる』と言うだろう?だいじょうぶと思っても、いつの間にかそまるからね。」

 その四:「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ」と言われたと書かれているが、「あなたがた」とは誰のことか?信者すべてではないことは確かだが、では12使徒だけのことか、それともその他の弟子たちをも指すのか?という疑問だ。「兄弟があなたに対して罪を犯したなら…」というような問題の処理で、福音書は最終的な解決の拠り所が教会であることを教えた。それに続く「あなたがたが地上でつなぐことは…」の文言は、その根拠を示すものに他ならない。
 では、これは誰に言われたのかというと、少し遡って18章1節を読めば、「そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、・・・」と書いてあることがわかる。その後には天の国で誰が一番偉いか、罪への誘惑、迷い出た羊の譬え、兄弟への忠告などの一連の話が語られている。どれも弟子に対してだった。だとすれば、ここに言われている「あなたがた」は一般群集ではない。フィリポ・カイサリアからカファルナウムを経て従って来た弟子たちだということは明らかだ。
 しかし、その弟子とは12使徒を指すのか、それとも他の弟子たちをも含むのかという疑問になると、この文脈からだけでは答えは出ない。ところが、ヨハネ20;23はそれを判定するのに参考となる。その時、復活後の主は使徒たちに、「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」と言われたからだ。これは地上で解きかつ繋ぐ権限と同じ意味だ。これからすると使徒たちに言われたと解釈すべきだろう。
 その権限はペトロの時のように明確ではないが、その時に準じて地上で解きかつ繋ぐ権限を他の使徒にも拡大して与えられたことだから、あえて言及するまでもないと判断して、マタイは記述しなかったのではなかろうか。おそらくここは初代教会で口伝として語られていた伝承なのだろう。使徒たちは各地にできた教会に今の司教につながる後継者を任命して行ったが、ここの記述はその権限の根拠を認知する必要がすでに生じつつあったからではなかろうか。

 その五:「あなたがたの二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる」とあるが、その二人とは一般信者二人でもそれに該当するのか?それとも12使徒たちまたは何らかの権限を与えられた弟子たちの中の二人の意味か?という疑問だが、これも使徒たちに言われたのだと言えよう。裏返せば、一般信者2人が心を一つにしたから、天の父が必ず求めたことを叶えてくださるなどと、勝手に思い込むことをむしろ戒めているととるべきだろう。

 マタイ18;15-20は信者の一問題を例に、実際問題の解決に関連することを述べた個所だが、それはHP「虹を架けるコミュニティ」のモットーにした聖アウグスチヌスの原則を思い出させる。彼は書いた。
 In necessariis, unitas. (信仰上の必要なことでは、一致。)
 In dubiis, libertasu.   (疑義のあることでは、自由。)
 Sed in omnibus, caritas.(しかし、すべてにおいて必要なのは、愛。)
 二人だけのところで忠告するも愛、二人または三人の証人を交えて諌めるのも愛、教会に申し出るのも愛、そしてそれでも聞かないなら突き放すのも愛でなければならないのだ。それを最もよくまとめ、かつ理解させてくれたのは他ならぬこの主日の第二朗読だった。それは使徒パウロのローマの教会への手紙13;8-10だったが、これほど優れた福音の解説はない。だから、それをこの個所の見直しのまとめとしよう。
 「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするのです。」

シモン・ペトロの立ち位置      見直しNo.11

 8月28日、年間第22主日の福音はマタイ16;21-27であった。ペトロが「サタン、引き下がれ!」と厳しく叱責された箇所だ。やっと周回遅れまでに追いついた。この個所について過去に書いたものは、「厳しい叱責」(聖書反芻2008年)と、並行するマルコ8;27-35関連の「十字架のかくし味」(こじか誌1994年)および「何だ、またかではなく」(聖書温故知新2009年)がある。しかし、ここでは「厳しい叱責」だけを見直しの対象にしてみる。
 そのためにまず該当箇所を「聖書と典礼」のリーフレットで読んでみた。それは「〔そのとき、〕イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行って、…」という出だしだった。ところがその後で、ある一句の確認のため今度は新共同訳で読んでみたら、おやっと思った。こちらは、「この時から、イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行って、…」となっていたからだ。「そのとき」と「このときから」では意味が大いに違うではないか。「このときから」は重大な転換期を示す時の指標だからだ。
 そこで、「このときから」に相当した「時」とはいつのことだったのか?ということに興味を覚え、二つの知的作業をしてみた。一つは共観3福音書における「このときから」の時を特定し、それがヨハネ福音書ではどの辺に当たる時期かを推定する考証、もう一つは共観3福音書がこの出来事をどう伝えていて、それらにどんな共通点と相違点があるかを見つける比較検証だ。この2つの作業は既存のコラム「厳しい叱責」ではまったく試みていなかった。

 共観3福音書における「このときから」の時は、マタイとマルコでは4000人の人々に行ったパンの奇跡の後で、フィリポ・カイサリア地方でペトロがメシア宣言をした直後になっている。ルカは場所を特定しないが、やはり5000人へのパンの奇跡とペトロのメシア宣言の後としている。そして、マタイとマルコではその後に主のご変容が続き、カファルナウムに寄った後、「ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた」(マタイ19;1、マルコ10;1)時期のことだ。
 ルカではこの出来事の後、主のご変容と2回目の受難・復活の予告があり、その後に「イエスは、天に上げられる時期が近付くと、エルサレムに向かう決意を固められた」(ルカ9;51)とある。つまり、3福音書とも、受難と復活を初めて予告したこの出来事を、ガリラヤにおける福音宣教の終了と、受難・復活のためにエルサレムへ向かう直前と位置付けている。以後、主はご復活なさるまで2度とガリラヤには戻られなかった。「このときから」とは、その2時期の分岐点だったのだ。
 では、それはヨハネの福音書ではどの辺りに当たると推定できるだろうか?私が調べた限りでは、同福音書のイエス様は、ガリラヤとユダヤの間を4往復されているが、最終回のユダヤ行きは「人目を避け、隠れるようにして上って行かれた」(ヨハネ7;10)仮庵祭の時だったように思われる。その後でガリラヤに戻られた記録がないからだ。もっともその時は一度ガリラヤに戻り、神殿奉献記念祭の折にまたエルサレムに行かれた(ヨハネ10;22)可能性は残る。
 いずれにせよ、その後はそのままユダヤにとどまり、ヨルダン川の付近とかベタニアとかエフライムの町(ヨハネ11;54)を回っておられ、やがて過越し祭に受難と復活を成し遂げるため、エルサレムに向かわれたことになる。これから逆に時をたどると、ご復活前の主が最終的にガリラヤを後になさったのは、7章の仮庵祭の前か10章の神殿奉献祭前だろうと推定される。それはどちらも、共観3福音書が語る「ガリラヤでの活動からエルサレムでの使命」に移る分岐点と重なる。
 もちろん共観3福音書は、主が何回かガリラヤとユダヤの間を往復されたことには触れない。おそらく省略したのではなかろうか。従って、主の足跡の記録はヨハネの福音書の方が正確だと思うが、いずれにせよ4福音書にあるいくつかの符合点は、マタイに「このときから」と書かかれた時期とヨハネにある2つの祭前とが、ほぼ重なることを示唆している。その符合点とはパンの奇跡後に人々が見せた不信、弟子たちの無理解、ペトロの信仰表明、ユダヤ人の敵意などだ。

 パンの奇跡後、天からのパンの話を聞くと、「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」と、「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた」(ヨハネ6;60-67)のだった。しかし、ペトロはその時、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉をもっておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っております」と表明した。
 私の想像に過ぎないが、主がフィリポ・カイサリア等に行かれたのは、その後だったのではあるまいか。以前のコラムですでに指摘したように、その辺地巡回の理由の1つは、殺意を持ち始めていたユダヤ人たちから離れて安全を図るためだったが、同時に信じて離反しなかった弟子たちを群集から引き離し、みっちりと教育するためでもあった。その折の受難と復活の予告が示すように、それはその時が主の使命の重要な節目だったからで、ヨハネの記述と符合する。
 主がフィリポ・カイサリアで弟子たちに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と聞かれたのは、天からのパンの議論後多くの弟子が離れ去ったから、彼らの認識を再確認するためだったと思う。そして、ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と宣言して褒められたのは、天からのパンの議論後、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉をもっておられます」と表明した忠誠心の延長線上にあったと見れば、すべてがつながる。
 それを堅く口止めし、その後で人目を避けながらエルサレムに行かれた仮庵祭は、ユダヤ人たちの殺意を察知しておられたからだけでなく、身内の者たちさえ無理解だった(ヨハネ7; 4-5)からだった。しかし、この隠密行動はルカの福音書10;1-24にある72弟子の盛大な宣教活動とは齟齬を来たす。そのことから推測すると、共観3福音書にある主のガリラヤ出発は、記録からすれば仮庵祭前のようだが、実際はハヌカ(神殿奉献記念祭)前とした方が妥当なのかも知れない。

 「このときから」の問題究明はこのくらいにして、次は共観3福音書におけるマタイ16;21-27との共通点と相違点の比較検証をしてみよう。3福音書は「イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、3日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた」という最初の受難・復活の予告では共通している。そして、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、…わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、…人はたとえ全世界を手に入れても、自分を失ったら、何の得があろうか」というくだりでもほぼ共通している。
 しかし、この個所への入り方は違う。マルコは「それからイエスは」と始め、ルカは口止めと区切らずに伝えている。それに対し、「このときから、イエスは…」と書いたマタイの表現は、ことの次第の重大さを一番よく伝えていると思う。「自分の命を失ったら、どんな代価を支払えようか」という一句はマタイとマルコでは共通だが、ルカにはない。そして、「人の子は、父の栄光に輝いて・・・」とあるマタイ16;27は他の2福音書とやや違い、ここではマルコとルカがむしろ共通している。
 しかし、最も注目すべき相違点はイエス様とペトロのやりとりだろう。マタイは「すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神の言葉を思わず、人間のことを思っている。』それから弟子たちに言われた」と、一番詳細かつドラマティックに叙述している。それに比べ、ルカはまったくこのことに触れていない。
 それに対して、マルコは『サタン、引き下がれ』以下の主のお言葉はマタイとほぼ同じに伝えるが、ペトロの言葉は書き残さず、単に彼の行動を叙述しているだけだ。その代わり、「(イエスは)弟子を見ながら、ペトロを叱って言われた」という、マタイにはない一句を入れ、「…自分の十字架を負って…」の一節の前には、「群衆を弟子たちと共に呼び寄せて」と一言多く書いている。マタイでは「それから、弟子たちに言われた」とあるだけだ。

 主とペトロがやりとりする場面は実に生き生きと描写されていて、この個所で最も興味深い部分だ。ところで、私は2008年のコラム「厳しい叱責」では、「指導層から苦しみを受け、殺されるということは異端者として排除されることを意味した。『とんでもないことをおっしゃる!』と、ペトロが激しく反応したのも無理はない。だから、イエス様の袖を引いて横に呼び、『そんなことがあってはなりません』と、たぶん耳打ちするように諌めたのだと思う」と書いた。
 しかし、今回比較検証した過程で、ペトロが「イエス様の袖を引いて横に呼び」という見方は妥当か、と言う疑問が生じた。新共同訳も「イエスをわきにお連れし」と訳しているから同じニュアンスだが、それでいいのか?イエス様は「振り向いて、ペトロに言われた」とある。振り向かれたのなら、ペトロは後ろにいたのではないか?もし横にいたのなら、振り向く必要はなかっただろう。では、ペトロはいったいどこで主の話を聞き、どの位置で主を諌めたのだろうか?そういう疑問だ。
 そこで、その時の主と弟子たちの位置を想像してみた。受難と復活の大事な予告だったから、主は歩きながらではなく、立ち止まって話されたと思う。弟子たちは主の前に半円形になって聞いたが、ペトロは半円の端にいたのではなかろうか。しかし、主の予告をとんでもないことだと思うや否や、主の後ろに回って、「主よ、ちょっと」と皆から離れた所へ引っ張った。弟子たちは主の前にいたが、その時のペトロは主の斜め後ろにいた。こんな仮説だ。さもないと、「振り向いて」という表現とつじつまが合わないように思えるからだ。 
 ところで、原典といくつかの訳を調べてみたら、3つのキーワードは原典では“proslambanos auton”(彼をわきに連れて行き)、“ho de strapheis”(彼は向きを変え)、“Upage, opiso mou”(私の後ろへ行け)だった。ラテン語訳は“assumens eum”(彼を引き寄せ)、“conversus”(振り返って)、“Vade, post me”(私の後ろに去れ)、英語訳は“took him”、 “but he turned”、“Get behind me”、仏語訳は“le tirant à lui”、“se retournant”(振り返って)、“Passe derrière moi”(私の後ろに去れ)、ヘブライ語訳は“lakahha ohto”(彼をつかまえ)、“hu pana”(彼は向きを変え)、“Leck leka meakarai”(わたしの後ろから去れ)だった。
 ペトロは主をわきに引っ張った。「わきに」と言うと、横へ引っ張ったように思われがちだが、必ずしもそうとは限らない。後ろからもあり得る。とにかく正面からでなかったことは確かだ。だとすれば、諌めたのは横か斜め後ろからだっただろう。しかし、仮にもし横からだったのなら、「振り向いて」ではなく、「向き直って」などと書かれたはずだ。それなのに「振り向いて」と書かれ、それが後ろを向くことを意味したのなら、ペトロは後ろか斜め後ろにいなければならなかったことになる。
 それに「サタン、引き下がれ」の言葉もある。ペトロが横にいたとしても、もちろんそうは言えただろうが、ほとんどの訳が「私の後ろに去れ」としていて、特にヘブライ語訳は興味深くも「わたしの後ろから去れ」と訳している。「後ろから」なら、後ろにいたことを前提としている。こういう訳があることは、「振り向いて」が後ろを向いた意味だということを強く示唆している。つまり、ペトロは主の斜め横辺りで予告を聞くと、目立たないように主の斜め後ろに回ったと想像できる。
 そして、主の袖を引くと、「主よ、ちょっとお話が…」と耳打ちした。主はちらっと彼に目をやり、1,2歩は引かれて動いたかも知れない。だがそれ以上は下がらず、すぐ弟子たちの方に向き直られたのではなかろうか。だから、ペトロは斜め後から言った。「そんなことがあってはなりません」と。すると主は振り返り、「サタン、引き下がれ!あなたは私の邪魔をする者」と一喝なさったのだ。
 このようなペトロの立ち位置でその時の状況を想像すると、主と彼との動きが納得でき、やりとりもよりよくわかる。私にはそう思われるのだ。そんなことがわかったとて何になると言う人もいるだろうが、真実はそうあるべき真の解釈の貴重な担保になるし、知的満足ももたらす。例えばこの場合、彼の正しい位置がわかっていれば真の解釈ができるから、ペトロが主の前にいなかったのに、「私の行く手の邪魔をするな」みたいな、的外れなことを説教で言う愚は避けられる。
 
 主が人に対して言われたお言葉の中で、「サタン、引き下がれ」の一言ほど厳しいものは全福音書のどこにもない。その厳しさから、ペトロの発言がどれほど重大な間違いをはらんでいたかがわかる。なぜそれほど重大な間違いだったかと言えば、「そんなことがあってはなりません」と言ったペトロの諫めは、イエス様の最大の使命であった救いの業への無理解な反対であったばかりか、死とペアで予告なさった復活の大事なメッセージをも否定するに等しかったからだと思う。
 叱責は続き、主は言われた。「あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」と。ここで想起すべきはその少し前、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と言われた祝福だ。まさに対照的で、一方は幸い。なぜならその思いは人間からではなく、天の父から来たからだった。しかし、他方はわざわい。なぜならその思いは天の父からではなく、サタンが唆す人間から来たからだった。
 真摯な熱意はペトロの長所だったが、それは早とちりの短所にもなった。最後の晩餐で主が弟子たちの足を洗おうとされたとき、彼は「とんでもない」と断ったが、わけを聞くと一転して「手も頭も」と言った。それは一例だったが、この時もそうだった。もう少し最後までちゃんと聞けばよかったのに、「多くの苦しみを受けて殺され」と聞くや、「主よ、とんでもない」と止めにかかかってしまった。予告はそれだけではなかったのに、早合点して、もう後の言葉が耳に入らなかったのだろう。
 しかし、もし最後までしっかり聞いて、「三日目に復活することになっている」という一句に留意できていたら、「そんなことがあってはなりません」などとは諌めず、「主よ、3日目の復活とはどういうことですか?」と尋ねたのではなかろうか。なぜなら、苦しみを受けて殺されることは経験でわかるが、3日目の復活はまったく未知のことだったはずだからだ。もしそう尋ねていたら、サタンなどと叱られず、再び「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ」と褒められていたかかも知れない。

 ペトロを叱責なさった後、イエス様は弟子たちに大事な心構えを教えられた。マルコはこの時、「群衆を弟子たちと共に呼び集めて言われた」(マルコ8;34)と書いている。群衆と言ってもこの時は大群衆ではなく、主から離れ去らなかった婦人たちなど、忠実な人々の小集団だったのだと思う。死と復活の最初の予告は弟子たちに話されたのだが、それは群集に聞かれてもよいことだった。口止めされたのはご自分が「メシアであること」(マルコ8;30、ルカ9;21)だったからだ。
 その心構えは一言で言えば主の後に従うことだった。しかし、そのお言葉の中で「自分の十字架を背負って」(マタイ16;24)という一句はイエス様の口から出た言葉ではなく、むしろ初代教会の信仰を反映する表現ではないかと、私は疑問を持っている。その根拠は2点ある。まず、主が十字架で死ぬことはこの時点ではまだ誰も知らなかったこと、次に十字架という言葉が福音書で事実上初めて出てくるのはこの個所マタイ16;24-25だと思われることだ。
 主が十字架で死ぬことはマタイ26;2で初めて弟子たちに知らされた。過越祭2日前だ。それ以前は「苦しみを受けて殺される」とか「イエスがエルサレムで遂げられようとしている最後」(ルカ9;31)とかの表現で語られていたが、十字架を負って死ぬ最後は主しか知らなかった。つまり主の十字架というモデルはまだ弟子たちにはまったく示されていなかったのだ。ところで、そういうモデルも知らないのに、「自分の十字架を背負って」と言われても理解できるわけがなかっただろう。ゆえに、そんなことを主が言われたはずがない。それが私の推論なのだ。
 しかし、初代教会になると事情は違った。その時代には、主が十字架で救いの業をなし遂げられたという最高のモデルがあった。従って、十字架を背負うという表現は信者たちにとって、もう誰もが知る信仰の常識だったはずだ。だから、福音史家はいとも当たり前に、それを記述に反映させてしまったのだと推察する。実際には、主は「自分の苦しみを背負って」と言われたのではないだろうか。しかし、その意味するところは同じだった。以後、十字架は苦難の代名詞になったからだ。 
 二つ目の根拠は十字架と言う言葉が事実上は、初めてこの個所マタイ16;24で出て来ることだ。順序的には確かにもっと早く、マタイ10;38に現れる。しかし、その文言はマタイ16;24とそっくりだ。それもそのはず、マタイ10章は12使徒の選出と、弟子の使命、予想される苦難、もつべき信念や心構えをまとめた個所だ。だから、マタイ16章24-27節と同じことが前倒しで書いてあるのだ。従って、12使徒選出と同時に早々と言われたと解釈する必要はまったくない。だからこそ、マルコとルカはそれと同じ言葉を、死と復活の最初の予告時に初めて記述しているのだと思われる。
 ところで、第一の根拠で述べたように、主が背負われた十字架と言うモデルなしに、突然「自分の十字架を背負って」と言われたら、弟子たちは、何のことやらさっぱりわからなかっただろう。ましてや群衆においておやだ。ところで、その時点ではまさにまだモデルがなく、それが突然で初めての言及だったのだ。それに、その時点の弟子たちには、十字架とは罪人の忌むべき処刑のしるしという認識しなかった。従って、主がそんな表現をなさるはずがなかったと結論していいと思う。
 しかし、聖パウロが縷々書いているように、主が十字架によって世の人々の罪を贖われてからは、処刑の嫌な代名詞だった十字架は、初代教会において神様からの愛の証し、信じる者には信仰の輝かしい旗印に変った。だからこそ、福音書が書かれた時点では、「自分の十字架を背負って」と書かれても、誰も疑問に思わず、主のお言葉としてごく当たり前に受け止められたのだろう。それは初代教会の信仰の常識を反映した表現だったのだと思う。
 いずれにせよ、この個所で最も大事なメッセージは、受難と復活の予告並びにイエス様に従う心構えの二つだ。主は弟子たちがそれを理解し、実践するようお話しになった。それは私たち信じる者すべてにも通じる。その肝心な点を抜きにしては、この個所の細部をいくら学問的に考察しても意味がない。しかし、そのメッセージを受け入れた者には、「この時から」とか「ペトロの立ち位置」とかの些細な事柄の探究も、大事なメッセージをよりよく理解するための一助になる。

この岩の上にわたしの教会を  見直しNo.10

 年間第21主日の福音はマタイ16;13-20だった。この個所についての私のコラムは、「口止めしたわけとQ&A」(2008年の聖書反芻)しか残っていない。しかし、自分でも忘れていたが、読み返したら、微に入り細を穿って考察していた。前半はイエス様を何者だと思うかについての師弟間の問答と口止めした理由に割き、後半はQ&Aスタイルで7つの疑問を取り上げていた。そこには訂正点も撤回点もなかった。そこで、ここでは補充する意味で、2点の追加考察をしようと思う。

 その第1点は、4福音書におけるこの個所の比較だ。上記コラムで触れなかった問題だからだ。この「メシア宣言」は共観3福音書のどれもが伝えている。書いていないのはヨハネの福音書だけだ。そこで、3福音書を比べてみると、イエス様の問い方、弟子たちの答え、ペトロのメシア宣言はどれにもある。従って、信憑性は非常に高いと言ってよかろう。3福音書にある違いは、ルカだけが場所を特定していないこと、「シモン・バルヨナ、…」以下のイエス様のお言葉がマタイにしかないことだ。 
 ところで、そのマタイ福音書では、ペトロの湖上での言行(14章.)、この個所にある主との会話、「引き下がれ、サタン」と叱責された件(16章)、ご変容時の発言(17章)、神殿税の折のこと(17章)等、ペトロ登場の場面が続出する。それを見ると、マタイにはペトロ関連の記述が断トツに多いみたいだと、つい錯覚しかねない。しかし、実際はそうでもない。調べてみると、ペトロ関連の記述はマタイとマルコでは16か所、ルカでは12か所、ヨハネでは14か所にある。それほど大差はないのだ。
 注目すべきは記述の回数や量ではなく、むしろその特徴にある。特徴とは、どの福音書にも共通な記述があると同時に、どれにもその福音書にしかない独自の記事があることだ。私たちが聖霊降臨前のペトロのプロフィールを描けるのは、それらが補完し合うお蔭だ。そして、それは彼が間違いなく使徒団のリーダーであり、頭一つ抜きん出た存在であったことを私たちにわからせてくれる。マタイ16;13-20の個所は、まさにそのことを証明する顕著で貴重な一場面に他ならない。

 考察したいもう1点は、この個所の中心部分である師弟の対話だ。シモン・ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と表明した信仰宣言と、それに主がお答えになった「シモン・バルヨナ、あなたは幸い…」以下のお言葉はペアになっている。そして、それがこの個所の中核部分だ。そのメッセージが後世に及ぼした影響は、時空を超えて広く遠く今に及び、多くの議論をも巻き起こしてきた。ここではペトロの信仰宣言は横に置き、主のお言葉だけを取り上げてみる。 
 主はペトロに答えて言われた。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現わしたのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」と。
 そのキーワードはほとんどが比喩的な言葉で表現されている。しかし、だからこそ漁師出身の使徒たちにも全体の意味がよくわかったに違いない。無学に近かったとは言え、彼らもユダヤ的な生活環境で育ち、聖書の比喩的な考え方には慣れていたからだ。もし学問的な用語が使われていたら、むしろよく理解できなかったかも知れない。しかし、2000年後の私たちは違う。主のお言葉を間違わずに理解するには、いくつかの比喩や語彙の真意解明が欠かせない。
 ところで、そんな言葉にも単なる言い直しで済むものと、かなり突っ込んだ解明が必要なものとがある。「陰府の力」や「天の国の鍵」は前者だ。「陰府の力」とはサタンを頭とする闇の敵対勢力」の比喩、「天の国の鍵」とは、神の国と地上の国の両方にかかわる権限の比喩だと言い直せば、疑問は解決する。それらに比べ、「ペトロ(岩)」と「わたしの教会」はそれほど単純ではない。だから、ここからはその2語の真意解明に割こうと思う。

 まずペトロについてだが、シモン・バルヨナのバルはヘブライ語で「息子」だから、それはヨナの息子シモンを意味する。ペトロとはイエス様が彼に付けたあだ名で、本名ではないのだ。その命名のいきさつはヨハネ福音書1;42にある。主は初めて彼に会った時、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ ― 『岩』という意味 ― と呼ぶことにする」と言われた。この記述はマタイ16;18と相まって実に貴重な証言だ。最初の出会いで、主は彼のポテンシャルを見抜かれたのだった。
 ヨハネの福音書はギリシャ語圏の信者向けに書かれた。だから、「ケファ ― 『岩』という意味 ―」という註がつけられたのだ。しかし、ヘブライ語訳にはこの註がない。ヘブライ語がわかる人には不要だからだ。ところで、「岩」はヘブライ語ならケフだが、アラマイ語だとケファだ。主はそれを使われたのだ。後にギリシャ語原典はそれをペトロスと訳し、日本語はペトロとした。ギリシャ語の「岩」はペトラが一般的だが、ペトロスも岩だし、シモンは男だからペトロスを選んだのだろう。
 では、イエス様や弟子たちは彼を普段どう呼んでいたのだろうか?まずイエス様だが、福音書を調べてみると、「ケファ」という名は2回しか口になさっていない。このあだ名を付けた最初の出会いの時と、「シモン・バルヨナ、あなたは幸い」と言われたこの時だ。普段はシモンと呼ぶのが常だった。例えば、マタイ16;17、同17;25、マルコ14;37、ルカ22;31、ヨハネ1;42、同21;15などを見ればそれがわかる。
 使徒たちも主と同じようにいつもはシモンと呼んでいたようだ。漁師時代から親しかったから、初期は特にそうだった。一番遅くに書かれたヨハネの福音書に「シモン・ペトロ」という呼び方(ヨハネ6;8、13;16、18;10,15、20;2)が多いのは、その痕跡だと見ていいだろう。他の福音史家も、使徒の一覧などでは「ペトロと呼ばれるシモン」と書いている。それはシモンという名の使徒がもう一人いただけでなく、主がつけたそのあだ名が弟子間では有名だったからだろうと想像できる。
 では、ヨハネ同様に使徒同志だったマタイは、なぜヨハネのようにペトロを「シモン・ペトロ」と書かなかったのだろうか?それには訳がある。マタイの最初の福音書はアラマイ語だったと言われる。残念ながらそれは失われてしまったが、その後そのギリシャ語版マタイ福音書ができた。現原典だ。当然ながら、「ケファ」はすべて「ペトロス」と訳されたのだ。それを裏返せば、原本だったアラマイ語マタイ福音書では、すべてがペトロスの代わりにケファと書かれていたことを意味する。
 共観3福音書はほとんどの場合、彼を本名のシモンではなく、ペトロの名で叙述している。ヨハネ福音書でも、単にペトロとだけ記述されている個所はいくつもある。その理由は3つ考えられる。①4福音書がギリシャ語で書かれていたから。②福音書には他にシモンという名の人が8人も登場するので、彼らと区別できる利点があるから。③福音書ができた西暦紀元60年代以降の初代教会では、もうペトロの名で通っていたから、という3つだ。これは使徒言行録にも当てはまる。
 ところが、パウロはしばしば彼をケファと呼んでいた。コリントの信徒への手紙一3;22はその一例だ。しかし、ガラテアの信徒への手紙では同じ2章で、ペトロと書いたり(7,8節)ケファと呼んだり(11-13節)している。ギリシャ語の信徒たちに合せてペトロと書いても、ユダヤ人だった彼はついケファとも書いてしまったのだと思う。しかし、彼がその手紙のなかで、ペトロをシモンと書いたことはなかった。この事実は興味深い。それは次のような理由からだったのではなかろうか。
 彼にとってペトロは親しい間柄ではなかった。ペトロと他の使徒たちは寝食を共にした仲だったから気安くシモンと呼べた。だが、パウロは遅れて使徒団に加わった新参者だった。異邦人への福音宣教で知名度を抜群に上げたとは言え、古くからの仲間と同様、親しげにシモンと言うことは憚られたのだろう。それに初代教会では、すでにあだ名が本名にとって代わり、ギリシャ人信徒間ではペトロ、ユダヤ人信徒間ではケファが当たり前になっていたからでもあると思われる。 
 パウロと逆なのがイエス様の場合だ。パウロはペトロをシモンと呼ばなかったが、イエス様は決して彼をペトロとは呼ばず、いつもシモンと呼んでおられたからだ。「えっ、うそ?!」と驚く人がいるかも知れないが、それが事実だ。なぜなら、ペトロとはケファのギリシャ語訳だが、主はギリシャ語を使われなかったからだ。だから、ケファとは言われたが、ペトロと言われたことは決してなかったのだ。これは私にとっても新発見だった。こんな些事からも初代教会の史的背景が見える。

 次は「わたしの教会」についてだが、私はかつてイエス様が本当にこの言葉を口にされたのかどうか、疑念を抱いたことがあった。それには二つの理由があった。
 疑念の理由の一つは、「教会」という言葉そのものの出生が怪しいと思えたことだ。福音書には「教会」という言葉はたった2か所にしか出て来ない。両方ともマタイの福音書で、1つはこの個所、もう一か所はマタイ18;17だ。ところが、これが話された当時、弟子集団はまだ小さく、イエス様と共にガリラヤを巡り歩いていた。そんな彼らに「私の教会を建てる」と言われても、それまで見たこともない聞いたこともなかった。彼らにはそのイメージが描けて、わかっただろうか?と疑ったのだ。 
 当時のイスラエルには会堂や神殿はあった。だが「教会」はそのどれでもなく、弟子たちには初耳で、想像もできなかったのではないか。教会ができたのはもっと後だったから、当時の弟子たちはまだその存在すら知らず、イメージもなかっただろう。主がそんな弟子たちに、はたして「教会」なる言葉を口にされただろうか?むしろ、教会の権威を固めるために初代教会の声を反映して、あたかも主が言われたかのようにそう書いたのではないか?私はそう疑問に思ったのだ。
 疑念の理由の二つ目は、マタイ18;17との相似だ。この個所にはイエス様のお言葉とも思えない表現がある。「…教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」というくだりだ。徴税人や罪人と共に食事して、非難されても彼らをかばい、ファリサイ派の面々に「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入る」(マタイ21;31)と言われた主が、徴税人と異邦人をそんな蔑視と排除の対象にしてよい例に挙げられただろうか?
 疎外された人々、弱い立場の人々にあれほど慈しみ深く寄り添った主が、そんなことを言われたとは私には思えなかった。それは主の福音の思想とは合わない。それなのにそれが書かれているのは、実は初代教会がもめごとの解決に使った対処法を、あたかも主の勧告であるかのごとく、ギリシャ語マタイが載せたので、主の言葉ではないのではないか。私はそう疑ったのだ。事実、初代教会ではアナニア(徒5;1seq.)事件やユダヤ主義など、対処すべき問題が続出していた。
 ところで、「異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」という言葉に続くのが、「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」という言葉だ。ペトロに「天の国の鍵を与える」と言われた後に言われた言葉と、何とそっくりではないか!だから、もし「異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」と書かれた箇所の信憑性に疑義があるとするならば、同じマタイ16;18-19にも疑念が生じると思えたのだ。
 しかし、今この2箇所を比べてみると、大きな違いがあることに気付く。一方はペトロ一人に言われたのに対し、他方は「あなたがた」複数に言われている。しかし、それはどうやら弟子たちらしいものの、使徒たちなのかその他の弟子たちも含むのか明らかではない。次に、地上で繋ぎかつ解くことが天の国でもそうなると言われた保証は、一方では天の国の鍵という権限に根拠があるからだが、他方にはそれが欠けている。この違いは大きい。

 その相違から私はこう結論した。マタイ18;15-18はマタイ16;18-19の二番煎じのような気がする。いずれにせよ、それにはやはり疑念が残る。しかし、マタイ18;15-18との相似が否定されるなら、それとの関連ゆえのマタイ16;18-19に対する疑念は霧消する。それはイエス様のお言葉に間違いない。では、「教会」と言う語彙そのものの出生にかかわる疑問はどうだろうか?それはここから検証することなのだが、まず反省してから考察を再スタートさせなければならないだろう。
 反省とはかつての私の疑念が「教会」とは何かについての理解不足から生じていたことだ。私はかつてその疑念が湧いたとき、教会を私たちが現在知っているようなイメージでとらえていた。すなわち、主イエス・キリスト様の福音を宣教しかつその信仰を保つために組織され、祈りや集会のための建物もある共同体だ。しかし、それは大迫害後のローマ帝国で、キリスト教が公認された後に形成された教会の形で、イエス様が言われた「わたしの教会」はそれとは違うものだった。主はすでにユダヤにあったある共同体をモデルにして言われたのだった。
 ギリシャ語福音書では、教会はEkklesiaと書かれている。ラテン語訳はそれをEcclesiaと表音訳した。しかし、イエス様はギリシャ語で「わたしのEkklesiaをこの岩の上に建てる」と言われたのではなく、アラマイ語(またはヘブライ語)で言われたのだ。従って、その時主の口から出た、Ekklesiaに当たる元の言葉は何だったか、それは当時何を指していたかがわかれば、主がどういう意味で言われたのかわかるし、弟子たちもその意味で理解しただろうということも推察できる。 
 では、教会と訳されている用語は、アラマイ語またはヘブライ語では何という言葉なのだろうか?ヘブライ語-アラマイ語対訳新約聖書を参照してローマ字表記すると、それはヘブライ語でもアラマイ語でもAdatiとなっている。ただし、私はアラマイ語は勉強していないので、その発音には自信がないから、ヘブライ語で見てみる。Adati(私の教会) は、Edah(教会)に一人称の所有辞ti(私の、my)をつけた結果、Edah +ti=Adahtiと音韻変化したと思われる語形だ。
 ところで、大事なのはそのEdah の意味だが、それは会衆とか共同体(Community)とかを指す。イスラエル民族には旧約時代から共同体の集会があったが、この語彙が指す共同体はイスラエル人の出身地別団体などを表す言葉として使われていたそうだ。従って、この時イエス様が口にされたAdati (Ekklesia mou, My church, わたしの教会)という言葉も、そのような共同体を念頭においておられたと解釈できる。現在の教会のようなイメージで言われたのではなかったのだ。
 しかし、イエス様はそういう従来の意味だけで「わたしの教会」と言われたのでもなかった。旧約の過越しもイエス様の死と復活によって、新約の過越しに脱皮した。同じように、旧約的な概念の共同体も、やがて主の教会という新しい中身の共同体に変貌する。主はそれを見越して、旧約的な共同体のイメージに訴えながらも、まだ存在していないご自分の教会を建てると、シモン・ペトロに予言なさったのだ。そこにそういう主の意図を読み取らないと、肝心な点を見落とすことになる。
 果たせるかな、聖霊降臨後はそういう教会が誕生し、次第に外見も形作られて行った。教会という言葉がマタイの2か所にしかなかった福音書とは違い、使徒言行録では例えば8;3、20; 28等で19回も現れ、使徒たちの書簡では一コリ6;4、エフェ1;22、コロ1;18等のように、もっと頻繁に出てくる。黙示録でも少なくない。どの個所でもギリシャ語はEkklesiaだが、ヘブライ語訳では時にEdaht、時にQuhilahという言葉で出てくる。もっとも、福音書以外ではヘブライ語訳は不要だが…
 使徒言行録では8;3に初めて教会という言葉が現れる。それはようやく教会の形ができ始め、サウロ(後のパウロ)が教会を荒し回っていた頃の叙述の中だ。ところが、同20;28は同じパウロがその約20年後、第3回宣教旅行の帰途、エフェソ教会の長老たちと涙の別れをする挨拶の中での言及だ。そこには教会の目覚ましい発展が見て取れて感慨深いが、やがて「教会」はキリストを頭とする共同体の名として世に定着する。それがケファ(岩)の上に建てられた主の教会なのだ。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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