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カナンの女のエピソード  見直しNo.9

 8月14日、年間第20主日の福音はマタイ15:21-28だった。それはカナンの女のエピソードを伝える個所で、次のように始まる。「イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地方生まれのカナンの女が出てきて、『主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています』と叫んだ」と。
 しかし、今の私はまだ2周半遅れの状況下で書いているから、今回もできるだけ短めにすませようと思う。ところで、この個所について私が書いたコラムは、「めげなかったカナンの女」(「聖書反芻」2008年)しかない。それは前半では基礎知識的ないくつかの問題を考察し、自分なりの解答を出していた。そのいくつかの問題とは次の9問だった。
1.「イエスはそこをたち」とあるが、「そこ」とはどこか?
2.ティルスとシドンの地方とはどこか?
3.なぜイエス様たちはそんな地方にいかれたのだろうか?
4.イエス様の一行はどこを経由してそこへ行かれたのか?
5.カナンの女とはどんな歴史的背景をもつ民族の女性なのか?
6.なぜ彼女は「娘を」ではなく、「わたしを憐れんでください」と叫んだのか?
7.イスラエル人でもない彼女はほんとうに「ダビデの子よ」と言ったのか?
8.彼女はイエス様に通じる言葉で話せたのか? 何語で話したのだろうか?
9.悪霊に苦しめられているとは、現代ならどんな病気だったのか?
 そして、後半ではこの物語にあるメッセージについて論じていた。それがカナンの女のエピソードの核心だからだった。それは読み直してみて、自分ながらよく考察したものだ。同じことをもう一度書けと言われても書けないと思ったほどで、訂正や撤回が必要な内容は見当たらなかった。しかし、見直しとは訂正や撤回と同義語ではない。足りない点や見落としに気付いたら、それを補充するのも見直しだ。そこで今回は既存のコラム「めげなかったカナンの女」に、2点を補充追加するだけの見直しにしようと思う。

 その第一点は、上掲の疑問3「なぜイエス様たちはそんな地方にいかれたのだろうか?」という知的興味に関わることだ。私はイエス様がフェニキア巡回に出られた理由を、①パンの奇跡等で熱狂した群集から遠ざかるため、②殺意を持ち始めていたユダヤ人たちから身の安全を守るため、③その地方にいた離散ユダヤ人たちにも福音を伝えるための三つだったのではないかと推理した。しかし今回気付いたのは、その理由②と③の両方をもっと補強できる根拠があることだった。
 それはヨハネ7;32-36にある主とユダヤ人たちの会話だ。コラム「めげなかったカナンの女」では、理由②の根拠はヨハネ7;1の「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうと狙っていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった」という記述だった。もちろん3福音書も、ある時期からユダヤの支配層とイエス様との間に対立が起きたことを伝えている。だから、主はユダヤばかりか、ガリラヤからも一時的に姿を消されたのではないか、と私は推理したのだ。
 ところでヨハネ7;32-36は仮庵祭の折に、祭司長たちがイエス様の捕縛を試みた時の会話だ。その時、主は「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることができない」と言われた。するとユダヤ人たちは言い合った。「わたしたちが見つけることがないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシャ人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシャ人に教えるとでもいうのか」と。
 彼らは主の真意を理解しかねてそう言ったのだが、その勘ぐりが実に示唆に富んでいるのだ。それは主に身の危険が迫っていたことを示すと同時に、主がフェニキアなどの辺境に身を隠された理由②の根拠を、より具体的に示しているからだ。そして、理由③に対してはそれ以上に有力な根拠となっている。なぜなら、フェニキア地方にはまさにギリシャ語を話す離散ユダヤ人たちがかなりいたからだ。特に「ギリシャ人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って」というくだりはそれと符合する。
 W・バークレーはそのマタイ解説書でイエス様のこのフェニキア巡回を、いつも群衆に追われていたから、しばし静かな黙想の期間を取るためだったと書いている。しかし、それは安易な解釈だと思える。そんな目的のためだったら、時々お一人で山に逃れて祈られたように、ガリラヤでも十分できたはずだからだ。しかしそうはせずに、近隣の外国にまで出て行かれたのは、何よりもまず弟子たちの教育のため、次はついでに辺地のユダヤ人たちにも福音を伝えるためだったと考えるべきだろう。

 補充の見直しをしたい第2点は、教会のある深刻な現代問題を考えるとき、カナンの女のエピソードがその解決に有益な一つのヒントになるのではないかという、生き方の話題だ。ところで、教会のある深刻な現代問題とは何かというと、前週のブログでも触れた「教会七度目の危機」のことだ。他方、そのヒントとは、めげずに主に願ってやまなかった彼女の一生懸命さ、本気さにある。そして、それと対比する現代教会の問題とは、本気さの欠如、半ばマンモン教的な生き方に他ならない。
 比較のために、まずカナンの女の本気さをもう一度確認してみよう。彼女は「ギリシャ人でシリア・フェニキアの生まれであった。」(マルコ7;26)つまり離散ユダヤ人ではなく、異邦人だったのだ。だからこそイエス様は「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のためにしか遣わされていない」と弟子たちに答え、彼女の願いに取り合おうとなさらなかったのだ。しかし、そのお言葉はもちろん彼女にも聞こえただろう。いや、むしろ主は彼女にも聞こえるように言われたのだと思われる。
 しかし、つれなく見えた主の無視にもめげず、彼女は「主よ、どうかお助けください」とひたすら願ってやまなかった。そこで主は、今度は彼女に向かって言われた。「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と。それはちょっぴり微笑を誘うが、やや侮辱的ニュアンスもある比喩だった。子供たちとは神の民イラエルの人たち、小犬とは異邦人たちを意味した。救いの恩恵はまず神の民からだから、異邦人であるあなたには今はまだ与えられないと、やんわりお断りになったのだ。 
 ところが彼女はへこまなかった。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と、当意即妙に答えたのだ。「そうです、その通り。小犬扱いでもけっこうです。でも、小犬も主人が食卓からこぼすパン屑にありつくことは許されるではありませんか。ならば、主はイスラエルで多くの病人をお癒しなされたそうですから、たとえ異邦人であったとしも、私の娘一人ぐらいには、同じ恵みのおこぼれに与らせてくださいませ」という意味で答えたのだ。
 この思いもよらない返答にイエス様は感動して、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と言われた。恩恵はまず神の民からという原則を曲げても、彼女の願いを聞き入れられたのだ。マタイはその結果までは書いていないが、マルコは伝えている。「女が家に帰って見ると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた」(マルコ7;30)と。彼女の一生懸命さ、本気さが主のお心を動かし、娘を救ったのだった。

 比較のために、次は現代の教会を再検証してみよう。前週の「湖上の体験」でも、教会には過去に6回も消滅の危機があったと言われ、今は七度目の危機にあって、末期的症状を呈しているのではないかという懸念を述べた。カナンの女の娘と同じように病があるということだ。しかし、それから癒されるために、私たちはカナンの女ほど一生懸命に憂えているかかと言うとそうではなく、むしろのんきで、どうも病状の自覚がさほどはないように思える。ここに彼女から学べる点があると思うのだ。
 では、教会は本当に危ないのだろうか?「教会消滅の七度目の危機?」では、1970年代以降のカナダ・ケベック州における教会衰退と、日本のF教会の実情をその例としたが、ここでは日本カトリック教会の教勢を例に挙げて見ようと思う。少し前だが、カトリック新聞に2010年度の信徒数は前年より減少したと言う記事があった。その数字が思い出せなかったので、カトリック中央協議会のHPで信徒数の統計を調べてみた。1995-2007年だけの表だったが、すると、やっぱりと思うデータだった。
 その統計全部の掲載は割愛するが、そこからは15年間、信徒総数が40万人前後を微増微減して横ばい状態だということがまず読み取れた。日本全体の人口が減少しているのだから、信徒総数も横ばいで当然だと言う人もいよう。しかし、前者は出生死没による自然の増減だが、後者はそれ以外に受洗や棄教による増減がある。従って、福音宣教が功を奏し、活力に満ちているならば、年々増加をたどっていいはずだ。だがそうではなないということは、何かおかしい事態を暗示していないだろうか。 
 そのことで思い起こすのは戦後のカオスと貧困の中で、キリスト教への入信者が急増した現象だ。当時、日本のカトリック信徒数は20万人前後だった。その後、日本の総人口が1.5倍になった約60年間に、カトリック信徒数は倍増した。しかし、ぐんと急増したのは1970年代までであって、高度経済成長以後は上昇が鈍り、1990年代からは横ばい状態になってしまった。しかし、急増した年代の信徒は今や高齢化しているから、今後は急減も懸念される。安泰な状況ではないのだ。
 もう一つ読み取れるのは受洗者数の漸減だ。1995年には9,509人だったのが、15年後の2007年には7,275人で、その間毎年減り続け、15年間に約2000名減、すなわち25%も減少している。この傾向がこのまま更に続いて行ったら、次の15年後にはどうなっているだろうか?教会指導者や心ある信者たちが精いっぱい努力し、福音宣教に励んでいることはわかっている。それにもかかわらず、この元気のない下降の数字は何を意味するのだろうか?
 これを人に喩えてみるなら、発育が不十分なままで止ってしまった人が、今や老化に入ったような状態に似ているだろう。なぜなら信徒総数は日本総人口のたった約0.3%に過ぎないから、カトリック教会のサイズは超未発達児のようなものだど言えるからだ。そして、受洗者数が年々減少していくのを見れば、そのサイズで成長が止まってしまったばかりでなく、老化が始まってしまったようなものだからだ。人間的に見れば、それは誰の目にも停滞や衰退の症状に見えるはずだ。
 では、それは日本だけの問題かというと、そうではない。カナダのケベック州における教会離れの例でもわかる通り、先進国では世界的に似たような傾向が少なからず見られる。教会はヨーロッパや北米大陸では衰退気味だし、南米はカトリック人口が多いけれども、信仰の中身に疑問符がつく。先進国では総じて司祭や修道会への入会者が減っている。それは一般信徒が福音的生き方への関心を失ってしまい、教会から遠ざかってしまっている実情の裏返しに他ならないのだ。

 こんな見方を知ると、心配し過ぎだ。教会が滅びるはずはない。主は「陰府の力もこれに対抗できない」(マタイ16;18)と言われたではないか。一信徒に過ぎない老人がそんな心配をして何になる。ペトロに「信仰薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた主からお叱りを受けるぞ、とたしなめられるかも知れない。それは承知の上だし、主のお言葉は私も信じている。しかし、聖パウロは誰よりも信じていたが、問題があれば心配して書簡を書き、人事を尽くした。信仰と努力は相反しない。
 そこで、そういうスタンスをよしとし、なぜ衰退や教会離れが起こっているのかを考えると、原因はもちろんいろいろあるだろうが、その大きな一つは貧富だと思う。なぜなら、韓国のような例外はあるものの、教会は欧米や日本などの先進国では総じて停滞か衰退傾向にあるが、後進国ではむしろ活況傾向にあるからだ。例えば、貧しいアフリカ諸国では信者が増加している。シエラレオネのルンサなどでは復活祭に毎年100人単位の受洗者が出るし、修道会への入会者も多い。
 日本では1970年代までは入信者数がぐんと伸び、高度経済成長期以後は増加が鈍り、1990年代からは一覧表のように横ばい状態になったと指摘したが、それは戦後の貧困から高度経済成長後の豊かさへと移行した時代背景と対応している。これを見ると、「信仰は貧しさに比例し、豊かさに反比例する」という公式が成り立ちそうな一般的傾向があると言えよう。人は貧しい時には神様により頼むが、豊かになれば神様はもう要らないと、関心もなくすからではなかろうか。
 では、キリスト者も含めて人はなぜそうなるのだろうか?「貧しい人は幸い」と言われたように、貧しい人には神様の助けが頼りだが、経済的に豊かになると人は富の力で生きられると自信を持つ。そうなるともう神様は要らない。むしろ煩わしい存在にすらなる。従って、その教えはうとましく、それを伝える教会も厭になる。だから遠ざかるのだろう。しかし、実はこの時、その人は知らず知らずのうちに、富(マンモン)なる偶像神に改宗しているのだ。
 イエス様は「あなたたちは神と富とにともに仕えることはできない」(ルカ16;13)と言われたが、現代の先進国は社会全体がマンモン信仰の中にある。特にマネーゲームをする強欲資本主義は最強のマンモン信仰だと言えよう。その拝金力学は神や宗教的な世界があることすら意識しない、世俗的・経済的なものの考え方、感じ方、人生哲学となって社会に浸透している。先進国の現代教会が停滞か衰退気味を強いられている一因は、そのような流れの社会にあるからだ。
 先進国ではキリスト教信者も比較的豊かだし、そういう冨の力が支配する社会に生きている。だから、心ならずもいつの間にかその影響を受ける。つまり神様ではなく、財力に信頼する感覚になりやすい。そうなると、教会には習慣的に行っていても、本気度は弱い。ましてやキリスト教徒の顔をしたマンモン教徒になれば、教会への愛着は冷め、いざとなれば本音が出て、たやすく教会を離れる。その結果、教会の空洞化が進み、信者が福音を聞いても真に受けないから、進行の形骸化が始まる。

 さて、短く終わるつもりだったのに、こんなに長くなってしまった。カナンの女の一生懸命さと先進国の信者の実情分析に深入りしてしまったからからだ。だから、結論は簡潔にしたい。
 教会の停滞や衰退という危機克服は最終的には神様のお力によるが、私たちにも出来ることがあるとすれば、カナンの女の本気さに倣うことだろう。それは熱烈な信仰を持てなどと心情的に煽ることではない。先進国の現代人はマンモン社会に生きざるを得ない。それが現実だ。だがそこに生きていても、マンモン教には染まらず、富があっても、本気で「心の貧しい人」で生き通す自覚を持つこと。そのめげない本気さこそが、カナンの女の話から学べる大事なメッセージなのだと思う。
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湖上の体験  見直しNo.8

 3週間前の年間第19主日の福音を覚えている信者がどれほどいるだろうか?それはマタイ14:22-33だった。パンの奇跡の後、弟子たち先に舟で出発した。湖は荒れていた。夜明け頃、イエス様は湖上を歩いて彼らに追いついたが、幽霊だと勘違いして彼らは怯えた。しかし、主が「わたしだ。恐れることはない」と言われと、ペトロは主のもとへ行く許しを得て水上を歩き出した。ところが大波が来ると恐れて沈みかけ、「主よ、助けて!」と叫んだ。助けられた彼は「信仰薄い者よ、なぜ疑ったのか?」と言われた。そして、主が舟に乗るや否や風は静まった。彼らは驚いて、「本当に、あなたは神の子です」と主を拝んだ。それは彼らにとってけっして忘れえない湖上の体験だったのだ。
 この個所について私が過去に書いたのは、「湖上のペトロ」(2007のサンデー3分間)、「沈みかかったわけ」(2008年の聖書反芻)、「教会消滅七度目の危機?」(2008年の思いつくまま気の向くまま)の3つしかなかった。玉川学園では生徒学生向きではないと考えたので一度も扱わず、こじか誌では休刊の夏休み中で触れる機会がなかったからだ。しかし今回は3週遅れの話題だから、この出来事で湧く疑問の一つと、ペトロが沈みかかった意味の2点だけを取り上げてみよう。

 まず、疑問の一つだだが、「この出来事は本当にあったのか?」というのがそれだ。それは裏返すと、「なぜルカはそれを書き残さなかったのか?」という疑問になる。その答えを見つけるため、4福音書にあるこの出来事の前後関係と特記事項を、次のような並列の一覧にしてみた。最も注目すべきはパンの奇跡と湖上の嵐の記述だ。一連の出来事は、時系列的には4福音書間で必ずしも一致しないが、それらを比較検討すれば、疑問解決に役立つ分析結果がいくつか期待できると思うからだ。

パンの奇跡前後比較一覧

 これらを見比べてみると、次のことがわかる。
① 5000人を養ったパンの奇跡は、4福音書がそろって書き残し、多くの点で一致している。しかし、それがあった場所は曖昧で一致していない。ルカの福音書だけはベトサイダと特定している。
② 弟子たちの舟が湖上で逆風に悩んだ体験はマタイ、マルコ、ヨハネの福音書が記述した。しかし、ルカの福音書にはない。この時イエス様は湖上を歩かれた。目的地はマタイでは「向こう岸」、マルコではベトサイダ、到着地はマタイとマルコ共にベトサイダ。ヨハネでは目的地も到着地もカファルナウム。
③ それ以前にも、弟子たちには湖上で突風に遭ったもう一つの恐怖体験があった。マタイ、マルコ、ルカはその記述で一致するが、ヨハネだけない。この時イエス様は舟の中で眠っておられた。
④ 2福音書にはもう一つのパンの奇跡の記述もある。しかし、ルカとヨハネの福音書にはない。
⑤ マタイとマルコの福音書の出来事はほぼ並行している。
⑥ マタイ、マルコ、ルカは湖上で嵐を鎮めた奇跡、ゲラサの悪魔つき治癒、5000人のパンの奇跡で一致する。
⑦ マタイ、マルコ、ヨハネは5000人のパンの奇跡とイエス様が湖上を歩行で舟に追いついた出来事では一致する。
⑧ ペトロが水上を歩き、溺れかけた出来事はマタイの福音書にしか記述がない。

 さて、これらの分析結果からは次の結論が引き出せると思う。すなわち、イエス様が湖上を歩いて逆風に悩む弟子たちの小舟に近づくと、彼らが幽霊だと恐れたこと、主が舟に乗るや否や、自然界に驚くべき変化があったので彼らが驚嘆したこと、これらは事実であったということだ。3福音書は揃ってそれをパンの奇跡とペアで伝え、描写でも合致している。それが事実だった証明だ。特にヨハネの記録は説得力がある。しばしば長々しい描写が特徴の福音書なのに、この出来事の叙述では簡潔そのものだからだ。
 では、なぜルカの福音書はこの出来事を記録しなかったのだろうか?その理由を私は2008年の「沈みかかったわけ」では、「それは弟子たちが『舟でどこを目指したていたのか?』と密接に絡んでくる。何故なら、ルカはパンの奇跡の場所をベトサイダだったとしている(ルカ9:10)のに、マルコはパンの奇跡の後で彼らを『ベトサイダへ先に行かせた』(マルコ6:45)と書いているからだ。もしマルコが伝えた通りなら、奇跡はベトサイダ以外で行われたわけで、この点でルカとマルコは相容れない」と書いた。
 逆に、もしもベトサイダでパンの奇跡があったのなら、弟子たちはもうそこにいたのだから、舟でそこへ行く必要などなかったわけだ。ところで、ルカはパンの奇跡があったのはベトサイダだと伝え聞いていた。「詳しく調べて」(ルカ1;3)福音書を書いたと自負していたルカにとって、弟子たちが舟でベトサイダへ向かったというマタイとマルコの記述は認めがたい。矛盾すると思えたのではなかろうか。だから、彼だけはそれを書かなかった。私は彼がその出来事を省いた理由をそう推察したが、今もそれは正しいと思っている。
 しかし、今回はもう一つの理由を加えたい。マタイとマルコでは、パンの奇跡も弟子たちが湖上の舟で恐れた場面も各々2回ある。ところが、ルカはその2回目を1回目の二番煎じか別バージョンと見なしたのではなかろうか?だから2回目のパンの奇跡は省いた。そして、湖上の出来事は嵐を鎮めた話だけを伝え、イエス様が湖上を歩いた話は省いた。しかし、その出来事は真実だったので、ヨハネはマタイとマルコの記述を証明するかのごとく、その体験を伝えた。パンの奇跡も湖上での奇跡的出来事も、実際は2回ずつあったのだと思う。私はそう推理する。
 他方、溺れかかったペトロが助けられた出来事はマタイしか伝えていない。従って、それは信じるに足りないのではないかという疑問が起こりうる。それには、信じるに足ると私は答える。なぜなら、もし1福音書にしかないからという理由でそれを疑うならば、論理の帰結として、聖母へのお告げやザーカイの話、ラザロの復活等、1つの福音書にしかない出来事や教えもすべて、同じように疑わざるを得なくなってしまうからだ。非信者ならいざ知らず、少なくとも信者にとっては、正典の福音書を信じている限りそれはあり得ないことだ。
 
 では、ペトロが溺れかかったところを助けられ、「信仰薄い者よ、なぜ疑ったのか?」と言われたことは、私たちにとってはどんな意味があるのだろうか?私は2008年の「沈みかかったわけ」ではこう書いた。
 「彼は舟から飛び降りた。すると湖上を歩けたのだった。でも水の上にいる意識はなかったのではないか。むしろ草地の上を急ぐようにイエス様だけを見て、夢中で歩いて行ったのだと思う。ところが強風で高波が立った。湖上のうねりが目に入ると、視線が主から離れた。途端に「あ、水の上にいる!」と気づいた。そして、そう思った瞬間、沈みかかった。そこで「助けて!」と叫んで、主に助けてもらったのだった。では、ペトロはなぜ沈みかかったのか?…それは師イエスを注視して歩き出したのに、高波が来たとき主から目を離したからだ。波のうねりに目をやった瞬間、イエス様の姿は視界から消えた。そして、自分が水の上にいることに気づくと、自力でたった一人波間を歩いているのだと錯覚した。だから恐怖で血が凍り、「沈む!」とパニックに陥ったのだった」と。
 現代の教会にもそういう恐怖はないかと言うと、私はあると思う。だから、2007年の「湖上のペトロ」ではそれをこう書いた。「私たちも現代の大きなうねりを見ると、果たして新教皇ベネディクト16世のもとで、それを乗り切れるだろうかと恐れを感じる。しかし、それはペトロと同じことをすることになる。『信仰薄い者よ、なぜ疑ったのか?』キリストに目をあげて、現代の荒波の上を歩み続けられることを信じること。この福音は私たちにそれを教える」と。

 私たちにそういう認識があるなら、ペトロのように主の助けを求めると同時に、なぜ沈みかかったかをも自覚しなければなるまい。そのことでは「教会消滅七度目の危機?」(2008年の思いつくまま気の向くまま)が役に立つと思う。そこでは、「チェスタトン氏はキリスト教会が今までの歴史の中で六回も消滅の危機にあったと言っています。それが奇跡的によみがえったのは、献身的な聖人たちが根本的な刷新を計ったからでした。教会は今、七度目の末期的症状を呈しています」(パウロ・グリーン神父著「癒された人々」p.310)という指摘を契機に、私は次のように書いた。
 「ふーん、そうなのか・・・では、その過去六回の消滅の危機とはいったいどのような危機だったのだろうか?と、まずそれが気になりました。そこで、チェスタトン氏が何を念頭にそう言ったかは知りませんが、私は自分なりに次の6つのケースがそうだったのではないかと選別してみました。
①最初の危機は恐らく初代教会にユダヤ主義が入り込み、福音を律法で歪曲しようとした時期。
②は多分2~5世紀にグノーシス思想に影響されて異端が続出した大異端時代。 
③は恐らくキリスト教がローマ帝国で公認されると同時に、世俗権力が教会を牛耳り始めた4世紀以後のセザロパピスム(教権的帝王統治)の危険が強かった期間。
④はその逆に教会高位聖職者が封建領主も兼ね、教会が腐敗・世俗化した王侯的教権の中世。
⑤はプロテスタントの宗教改革により教会が大分裂し、権威が失墜した近世初頭の危機。
⑥は18世紀以後に科学思想、啓蒙主義、反教会世俗権力、唯物論等の挑戦が熾烈を極めた近代主義の危機。
 以上は当たっているかも知れないし違うかも知れません。その当否はともかく、それらのどの時代も教会が消滅の危機にあったことは疑う余地がないと思います。
(中略)
 では、こういう症状を惹き起こしている根源は何かというと、マンモン(富)の力だと思われます。イエス様は『あなたたちは神とマンモン(富)とにともに仕えることはできない』と言われましたが、現代は神ではなく、まさにマンモン信仰に雪崩を打っている時代のようです。
 その力は神や宗教的な世界があることすら意識しない、世俗的・経済的な考え方、感じ方、人生哲学となって社会に浸透し、今日ではキリスト教国とされる欧米でも常識になりつつあります。それは教会に対する愛着の喪失や教会離れを促進し、その結果として教会を空洞化させ、福音を空文化させようとしているのだと見ることができます。断言はできませんが、これが七回目の消滅の危機という末期的症状の正体なのではないだろうかと、私は思うのです。」
 ペトロの恐怖と叫びは危機に直面した教会の象徴だった。現代の教会も例外ではない。次から次へと危機が訪れ、苦難や災厄の波が襲いかかる。私たち個人の生活でも現実社会の荒波が押し寄せ、信仰を動揺させることが少なくない。しかし、そういう時に主から心の目を離すなら、教会も信じる者の一人ひとりも溺れてしまいかねない。「信仰薄い者よ、なぜ疑ったのか?」と言われたお叱りは、そういく怖れや危機に直面したとき、私たちがどうしたらいいかを示唆している。
 錯覚してはならないことがある。今や教会は、12使徒たちの頃とは比較にならないほどスケールが大きくなり、信徒数も増している。しかし、決して沈まない大船になったのではないのだ。人の集まりである教会は、むしろ今もあの弟子たちの時と同じように小舟にいる。それでも恐れるなと言われるのは大船にいるからではなく、小舟にいても主が共にいてくださるからなのだ。主がいてくだされば舟が沈むことも溺れることもない。そう信じて疑うな。今日の福音で一番重要なメッセージはそこにある。

パンの奇跡の後  見直しNo.7

 年間第18主日(7月24日)の福音はマタイ14;13-21だった。イエス様が5000人以上の人々にパンと魚を満腹するまで食べさせられた奇跡の出来事だ。これについては何度話し、書き残してきたことか。少なくとも11回は書いた。
 すなわち、①「パンの奇跡の後」(イエスが行くⅡ巻1989年)、②「食べても食べても」(こじか誌1993年)、③「奇跡に代わるもの」(同1993年)、④「これ食べなよ」(同1994年)、⑤「籠十二杯のパン」(同1994年)、⑥「体と魂の不思議な食べ物」(同1995年)、⑦「大麦のパンを持っていた少年」(聖書ところどころ2006年)、⑧「パンの出どころ」(サンデー3分間2007年)、⑨「残ったパンを集めたわけ」(聖書反芻2008年)、⑩「パンの奇跡で思うこと」(同2008年)、⑪「パンの出どころ」(聖書温故知新2009年)だ。 
 従って、この出来事についてはほぼ書き尽くした気がする。見直さなくてはならないと思った点もない。ただ、まだ言及していない点があるとすれば、今のところは一つしか思い浮かばない。それは5000人以上いた大群衆のトイレの問題だ。トイレと言えば汚く感じないが、この時は人里離れた場所だったから、人々は群衆から少し離れた場所で、男たちはいわゆる野糞や立ち小便で済ませたのだろうが、女性たちはいったいどうしたのだろうか?この問題をすこし考えてみる。

 貧しいシエラレオネの人は食事が乏しいから大便も少ないと聞いた。でもやはり皆無ではないから、木柵で囲った粗末な便所で用を足す。では、当時のイスラエルではどうだったのだろうか?そんなこと、どうでもいいではないかと言われそうだが、人間にとって食は重要で、パンの奇跡はその一証左だ。だが食べれば必ず排泄もある。そこで取り上げるのだが、実はそれに触れた解説書に私はまだお目にかかっていない。しかし、それから目をそむけては、現実の人間を見ることにはならないと思うのだ。
 福音書には弟子たちがファリサイ派の人々から、食事前に手を洗わないことを咎められた際、イエス様が「口から入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚す」と教え、その意味を聞かれると、「すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることがわからないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、…盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである」(マタイ15;17-18)と答えられたくだりがある。
 新共同訳の「腹を通って外に出される」の一句は、バルバロ訳では「腹に入って、厠に落ちてしまう」と訳されている。仏訳La Bible de Jerusalemも“Ce qui pénètre dans la bouche passe dans le ventre, puis s’évacue aux lieux d’aisance.”としている。lieux d’aisanceとは便所のことだ。ギリシャ語原典を見ると、“カイ エイス アフェドローナ エクバレタイ”とある。アフェドローンは「便所」だから、やはり「厠に落ちて」の方が正確な訳だと言える。
 これを読むと、少なくとも三つのことが分かる。一つは、イエス様の時代にはもう便所があったことだ。イスラエル・トルコ旅行でローマ時代の厠を見たが、当時は個室ではなく、側溝沿いの長い台に腰かけて、何人もが並んで排便したらしい。当時の人たちはそういう姿を他人に見られることを、それほど恥ずかしいとは思っていなかったのだろう。大便が落ちた側溝からは古銭も見つかっている。用便の時、不用意にも誤って落としてしまったのだろう。様子が想像されて可笑しくなる。
 二つ目は当時の人々も排泄物はやはり汚いと思っていたことがわかる。「口から入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚す」と言われた主の言葉は、当時の人々が「「口から入って厠に落ちる物は人を汚す」という常識を持っていた証拠だ。だから、主はその常識を逆に取って、「洗わない手とか、食べて腹を通って出たものとか、そういう物体が真に人を汚すのではない。心から出る罪悪が汚すのだ」と人々の意表を突き、形式主義の偽善を喝破されたのだった。
 三つ目はイエス様が、「厠に落ちてしまう」と言う、ひんしゅくを買いそうな言葉を平気で使われたことだ。バルバロ訳も便所ではなく、少し品の良い厠という用語にした。もしある司祭が説教で、大便だのうんこだのという言葉を使ったら、きっとお上品な信者たちから、下品で聞くに堪えない、不謹慎だ、ミサの尊厳を汚すと非難されるに違いない。しかし、福音にあるイエス様の言葉はまさにそれに等しかった。ファリサイ派の人々も手を洗い、うわべを整えた「上流」の面々だったのだ。
 しかし、5000人以上がパンと魚で養われた奇跡の場所には、粗末な仮設トイレさえなかったはずだ。統制なく集まった大群衆だから、皆のためにトイレを作ろうなどという人が出たとは到底考えられない。皆一日中イエス様に従い、病気を治してもらったり話を聞いたりしていて、夕方になっていた。お腹も空いていたし、自分のことで精いっぱいだっただろう。しかし、バス旅行でもトイレ休憩があることでわかるように、トイレが必要な人は必ずいる。5000人余の人がいればなおさらだっただろう。
 彼らが用を足せる場所は原野しかなかったが、大群衆の中では無理だっただろう。だから、外れた場所の草むらや岩陰などで用を済ませたのだろう。でも、お尻は何で拭いたのだろうか?指で拭いて土や草でこすったのだろうか?子どもがいたことはわかっているが、女性もいたはずだ。少なくとも主に従っていた婦人たちがいた。トイレのない場所で、彼女たちはどうしたのだろうか?何人かでまとまって行って、交互に見張りを引き受け、岩陰などで用を済ませのではないかと私は想像する。
 パンの奇跡の後のことは、12の籠にパンの残りが集められた意味、その後であった天からのパンの議論など、いろいろ考察したが、大群衆が去った後の野原のことはまだ想像していなかった。思うにそこは土が踏み固められ、離れた草むらや岩陰には、「野の花を見なさい」と言われた赤い可憐なアネモネが、ここかしこと咲く傍に糞もあちこち残っていて、注意を怠ると踏んでしまいかねず、悪臭の中を蠅が飛び回っていたのではなかろうか。これもパンの奇跡の後の一現実だった。

 でも、こんな考察に何か意味があるのだろうか?聖書を単なるきれいごととして読んで終わらず、現実に即して客観的に考察する利益があると思う。聖書がもっとよくわかり、実感できる利点だ。逆にそういう興味を追ってばかりいる考察に過ぎないなら、聖書が伝えようとしている本来の大事なメッセージを見落とし、知的な満足だけに終わってしまう危険がある。そういう興味本位の聖書研究だけなら外道と言われても仕方あるまい。
 このパンの奇跡で福音書がわからせようとしている一番大事なことは、二つあると思う。すなわちイエス様の神的力と愛だ。それを「奇跡に代わるもの」(こじか誌1993年)ではこう書いた。
 「私たちはパンの奇跡に主の神的力の証しを見ます。しかし、そこに学べるのは愛だと思うのです。この時イエス様はついて来た群衆の疲れと空腹を察して、深い「憐れみ」を覚えられたのでした。この表現は原語だとサマリア人の譬えの「憐れに思い」と全く同じで、最も重要なキーワードです。私たちには奇跡はできませんが、主に奇跡を起こさせたその愛は見習えます。そして、今では愛が奇跡と同じことをなし遂げるのです。…奇跡は特殊ですが、愛は普遍的であり、奇跡は止みますが、愛は奇跡に代わるものとして、いつでもどこでも存続するからです」と。
 私のこの確信には今も変わりがない。パンの奇跡が私たち伝えている最も大事なことは、イエス様を通して示された神様の大いなる力と人々への深い愛だ。排便のことなどは枝葉末節に過ぎない。この高邁なメッセージがあるからこそ、汚臭の現実も気にならない。それが人間だと大らかに考察できる。奇跡のパンもパンであった。それも食べられた後は消化され、やがて一部は排泄されて終わったただろう。しかし、そのパンが証明した主の力と愛は、今も人の魂を養ってやまない。

天の国のたとえ  見直しNo.6

 年間第17主日(7月17日)の福音は天の国の譬えが三つ語られているマタイ13;44-50だった。しかし、4週間遅れなので、最初の譬えの「未来の逆限定」効果だけを取り上げてみたい。
 最初の譬えは、「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」というものだ。では、その「未来の逆限定」効果とはどういうものか?実はこの言葉は18年前こじか誌1517号に自分が書いた、マタイの福音書13;44-50の手引きを読んで思い出したものだ。だから、見直しと言うより再確認と言った方がよいかもしれないが、それは次のような意味を持っている用語だ。
 そもそも人は未来を考えて現在の生き方や行動を選ぶ。つまり来年とか四年後とか数十年後とか、時間的スパンには長短の差があっても、人は想定する自分の未来に無用だと思う生き方や行動は避け、未来につながる生き方や行動を選択するものだ。当然、その生き方や行動は限定される。ところで、未来を考えるのは現時点の自分だが、ひとたびその未来が思い描かれるや、今度はその未来が自分の現在の生き方や行動をそのように限定し、左右する。それが未来の逆限定だ。
 例えば、仮にある高校生が自分の未来を大学入学までしか見ていなかったら、現在の努力を大学受験に役立つことだけに限るだろう。もっといい例はなでしこジャパンだ。彼女たちはちょうどこの主日の7月17日に女子サッカーワールドカップで優勝そた。彼女たちはかつて未来の優勝を夢見ていた。だから、未来というその夢はそれまでの少ない観客、足りない収入、恵まれない練習環境等にも耐えて、励み続ける行動と生き方を選択させた。優勝という未来が逆に彼女たちの「現在」を左右し、限定して来たのだ。

 では、その「未来の逆限定」は畑に隠された宝の譬えとどうつながるのだろうか?それはこの譬えがどんな目的で話されたのかを考えればわかる。この譬えは天の国がどれほど価値があるかを語る。しかし、「そうか、天の国とはそんなに素晴らしいのか」と感心するだけでは意味がない。天の国を願い、それにふさわしい現在の生き方や行動を選択させることが必要だ。ところで、天の国という未来の望みが決まれば、その人にはその現在を左右する逆限定効果が働き出す。
 つまり、天の国の価値がわかった者は、畑に隠された宝を見つけた人が全財産を売り払ってその畑を買う行動に出たように、天の国を得ようと願う。その願望が生まれると、天の国と言う未来が逆にそれを願う人の現在を、罪悪から離れ、福音的なものに限定された生き方に変えていく。それこそ天の国という未来が人の中に引き起こす、まさに未来の逆限定効果に他ならない。この譬えは天の国の価値だけではなく、その未来が今の生き方を決めるこ変えていくことを目的として語られたのだ。
 この背景には、買った畑で宝を見つけた人の実例があったのかも知れない。聖地は遺跡の宝庫だからだ。人は誰もが多かれ少なかれ財宝や富への関心を持っている。宝くじなどを買うのも同じ関心からだ。人間通のイエス様はそれを利用してこの譬えを話されたが、それは富の賢い手に入れ方の秘伝を教えるためではない。「喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」ように、天の国という未来の宝を見つけた人が、現在をどう生き、どう行動したらいいかを告げる招きなのだ。
 主はこの譬えに託して、天の国がどんな代価を払ってもなお足りないほどの価値があると教えてくださった。だから、それを理解した使徒たちは福音に人生を賭け、殉教者たちは命を惜しまなかった。死ねば終わりと考える人には、天の国が未来にない。だから、生きている間はできる限り楽しもうとするだろうが、老いは人生の悲しい夕暮れと映るだろう。しかし、天の国を信じれば、人はそれにふさわしく現在を生き、希望を持って老いと向き合える。「永遠を計算に入れると、すべてが変ってくる」(C.ニューマン)のだ。

 しかし、この譬えがもし現実の話だったらどうだろうか?その畑から宝が出たと知ったら、売り主は「畑は売ったが宝を売った覚えはない。それは売る前から私の畑にあったのだから私のものだ。私によこせ」と要求してくる可能性がある。しかし買い主が、「いや私は宝のある畑を買ったのだ。宝は畑こみではないか。あなたその全部を私に売ったのだから、宝を要求する権利はない」と答えたとする。そうなると、いざこざは避けられないのではなかろうか?
 これは譬えの本筋からは全く外れた、いわば野次馬的と言おうか、興味本位の問題提起で、福音書解釈としては外道だろう。だが、そういう疑問を持つへそ曲がりの人もいないとは限らない。そう思い、2008年7月29日の「聖書反芻」ではそれを取り上げてみた。しかし、裁判にまでなった場合、それはどんな解決を見るのだろうか?宝の所有権ははたして畑の売り主と買い主のどちらに行くのか?その考察を中途半端にしていたので、ここで見直しておこうと思う。

 売り主は反論されても引き下がらず、「いや、もし宝があることを知っていたら、私は絶対に畑の値段だけで売ったりはしなかった。知らなかったからあんな安値で売ったのだ。逆に、あなたは買う前にそれを知っていたのか?もし宝があると知りながら、それを言わずに畑の値段だけで買ったのだったら、あなたは私を騙したことになる。もしそうなら、故意の情報隠しだ。当然、売買の条件に瑕疵があったことになる。そうなれば、この畑の取引は無効だから、私は売った金を返す。あなたは私に宝ごと畑を返せ。さもないと私は裁判を起こす」と息巻くかも知れない。
 裁判になっては困るから、何とか示談ですましたいと思う買い主は、落としどころを探ってこう考えるかも知れない。「私は『宝が隠されていたとは知らなかった。見つけたのは偶然なのだ』と言っても相手は納得してはくれそうもないな。嘘がばれれば裁判になった時は不利になる。そうかと言って、実は知っていたが言わなくて悪かったと言えば、自分が全面的に非を認めてしまうことになる。さて、どうしたものか?」と。そして、こう答えるのではなかろうか。 
 「私も言わなくて悪かったが、あなたもそれを全く知らずに売ったのだ。だから、私がその畑から利益を上げたと言って、後で取引を無効だと言うのは理屈が違うのではないか?これが宝だからあなたはそう言うが、もし私がこの畑からあなたの数倍もの収穫を上げたのだったらどうする? そういう収穫の利益にあなたは難癖をつけられるか?ところで、収穫の利益も隠された宝の利益も畑の潜在能力ではないか。あなたは後でそれを知って、羨ましがっているだけなのだ。 
 しかし、ごたごたは私の好むところではない。そこでどうだろう。私は宝の利益の三分の一をあなたに譲ろう。それで手を打とうではないか。それとも、どうしても裁判まですると言うのなら、私は受けて立つ。どちらが得かとっくり考えるといい。私は畑を正当に買ったのだし、宝も盗んだわけではない。やましい点は何一つないから、堂々と裁判で白黒をつけてもらっていいのだ。」そう答えるかも知れない。

 さて、そんな欲得づくの争いになった場合、畑に隠された宝の問題は法律的にはどういう決着を見るのだろうか?私は「聖書反芻」ではその正解を知らないと書いたが、もし売り主が当時の裁判に訴えていたら、私の考えでは敗訴していたのではなかろうかと思う。なぜなら、誰にも所属していない物品は、最初に発見した者の所有物となるのが法の原則だが、畑に隠されていた宝は見つかるまで誰にも所属せず、畑を買った人が最初の発見者になるからだ。
 畑の売主は宝の所有者ではなく、畑だけの所有者だった。買い主は宝を見つけた時、第一発見者としてすぐ自分の物にしてよかったが、他人の畑にあったため、後で問題になることを危惧し、隠されたままにしておいて畑を買った。彼はもともと第一発見者だったのだから所有権は得ていたが、念のために正当に畑を買って自分の物にしてから掘った。従って、裁判官は宝も彼の物であり、売り主の抗議には根拠がないという判決を出しただろう。今の私はそう思う。
 しかし、そういう大いに世俗的な疑問の起こる可能性があるにもかかわらず、この隠された宝の譬のメッセージの価値を知ると、そんな低次元の問題はどこかに吹っ飛んでしまう。「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」この単純な描写の中に、人を感動させる絶大な力が秘められているからだ。それは人の今を左右する素晴らしい未来を示す譬えなのだ。

毒麦のたとえ  見直しNo.5 

 8月12日に体調を崩して医者に診てもらったら、夏風邪と言うことだった。だがその後の猛暑で熱中症になり、食欲不振やら眩暈やらで、2週間は知的なことは何一つせずに過ごすはめになった。体調はその後持ち直したが、咳き込みが止まらない。一ヶ月のブランクとなった。そこで、4週間前にやりかけていた見直しをそのまま掲載することにする。こんな風に書き始めていた。
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 考えてみたら、この見直しの考察は私の知的身辺整理みたいなものだ。たぶんやり終えることはできないだろうが、行き掛かりで「ヨハネ伝ところどころ」から始めたから、それを続けて行こうと考えていた。しかし、それだと整合性に欠けることがわかった。だから、そのやり方はやめて、今後はやはり典礼暦年に対応することにした。それで行くと、今年の年間第16主日の福音はマタイ13;24-43になる。種蒔く人のたとえに続いて、毒麦のたとえを伝える個所だ。
 では、過去に私がここを扱った原稿はどのくらい残っているかと調べたところ、たった2つしか残ってなかった。玉川大学と中学部で一度も取り上げたことがなかったということは、おそらく当時はこの話題が、信者ではない学生や生徒たちには向いていないと思ったからだろう。しかし、今なら取り上げたと思う。なぜならこの譬えは元祖「待ちの教育」と言ってよく、「待ちの神様」である天父の深慮と慈愛を見事に描いているからだ。
 すでにある原稿は1993年7月18日こじか1516号の「「毒麦人間も善魔も」と、2009年7月20日の聖書反芻「麦と毒麦」だ。そこで、今回はそれらを見直した現時点の考察だけを掲載する。
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 その譬えはこう語られた。
 「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実って見ると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかも知れない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
 そして、他の譬えをも話された後で、毒麦の譬えの意味を弟子たちにこう説明された。
 「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

 イエス様は天の国を、またもや植物にたとえてお話しになった。しかし、種蒔く人の譬えとはかなり違う。その譬えで蒔かれた種は麦のようではあるが、麦だとはどこにも書かれていない。そして、せっかく蒔かれても実れなかった種があるにはあったが、その原因は土にあって、種そのものは神の言葉だからどれも良いものだった。ところがこの毒麦の譬えでは、最初に蒔かれた種は麦で、後から蒔かれた種は毒麦だったと明記されており、良い麦と悪い麦の対比で語られている。
 では、毒麦とはいったいどんな植物なのだろうか?ギリシャ語原典のZizaniaはZizanionの複数で、毒麦と訳されているが、実は麦の一種ではなく、Lolium temulentumというイネ科の雑草だ。ヨーロッパ原産だが、アジア、アフリカにも分布し、きっと当時のパレスチナにもはびこっていたのだろう。アラマイ語でもZizanehだ。私は実物を知らないが、生育時期が小麦と同じで、葉も似ているから、「実って見ると」とある通り、穂が出るまでは見分けにくいのだそうだ。
 毒麦といわれても、この草自体には毒性があるわけではない。それに付着する菌がテムリンという有毒アルカロイドを出すから、それを食べた家畜が中毒になったりする。そこから毒麦と言う名がついたようだ。写真で見る限り、穂が出れば小麦とはまったく違うから、私でも見分けられるだろうと思う。譬えの僕たちも穂を見て、「あ、毒麦が混じっている!」と気付いたのだった。だが、彼らには合点がいかなかった。そこで主人に質問した。

 「だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう」と。この譬えには三つの疑問と三つのメッセージがあるが、この質問が第一の問いだ。それは蒔いても生えなかった種蒔く人の譬えの種とは反対に、蒔かなかったのになぜ毒麦が生えたのか?という疑問だ。すると、主人は「敵の仕業」だと答えた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行ったからだ、と。
 大賀ハスは2千年以上経った種が芽吹いて人々を驚かせたが、毒麦の種子も地中に何年もしぶとく潜伏できる。蒔かなくても生えるのはそんな性質があるからだが、イエス様はそれを巧みに利用なさったのだ。では、敵とは誰かと言うと、主は後で弟子たちに、「毒麦を蒔いた敵は悪魔」だと明かされた。そして、「毒麦は悪い者の子らである」、「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たち」だと説明してくださった。これらを譬えに当てはめれば、その意味とメッセージがわかってくる。
 創世記1;31には「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」とある。では、すべてのものが良いものとして創造されたのに、なぜこの世に悪が現れたのだろうか?毒麦の譬えにあるこの第一の問は宗教の根本問題と言ってもいい。それに対して、主は悪魔のせいだと答えられた。そう聞くと、ではなぜ悪魔は存在し始めたのかと問いたくなるが、余りにも横道に逸れてしまわないよう、ここではその問題には立ち入らないことにしよう。
 ところで、「毒麦は悪い者の子らである」と言われたが、穂が出るまでは毒麦と小麦が似ていて区別しにくいように、「悪い者の子ら」と「御国の子ら」とは、一見しただけでは見分けがつきにくい。しかし、穂が出ればそれがわかる。イエス様はそれを他の所では、「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。・・・あなたがたはその実で彼らを見分ける」(マタイ7;18-19)と教えておられている。そのメッセージは毒麦にはなるな。警戒せよという戒めだと言えよう。

 二つ目の問いは、「では、行って抜き集めておてしまいましょうか?」と尋ねた僕たちのことばにある。すると、主人は僕たちに「いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかも知れない」と待ったをかけた。少年の時、私はそれに似た経験をした。稲の草取りで、稲の株間にある稗をむやみに引き抜くと、稲まで抜いてしまいかねない。だから、片手で稲の株を抑え、もう一方の手で稗を上にではなく、外側にゆっくり引っ張った。それが稲を抜かずに稗だけを引き抜くこつだった。稲は水田にあるから多少のダメージを受けてもすぐ回復できる。しかし、水気の少ない畑では、根を痛めたら麦のダメージは大きい。だから主人はそれを懸念したのだ。
 それを聞いた僕たちは、きっと「だから、麦を傷めないように、注意深く抜き取りなさいよ」と言われるだろうと思ったに違いない。ところが、主人は予想外の返事をした。「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」と。僕たちは一瞬唖然としたことだろう。しかし、すぐに続けて、「刈り入れの時、『まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい』と刈り取る者に言いつけよう」と聞いたとき、彼らはなるほどと納得したに違いない。
 これは毒麦にたとえられる「悪い者の子ら」をどう扱ったらいいかの問題に他ならない。正義を尊ぶ人はこの世から悪をなくしたいと願う。その願いは正しく、その努力は尊い。だが悪を根絶することは結局世の終わりまで不可能なことだ。歴史も現実もそれを示している。ある悪を絶とうとして性急に無理をすれば、かえってより大きな悪という副作用を招く。それでは「角を矯めて牛を殺す」に等しい。だから世の終わりまで待つ。それが神様の答えなのだ。
 ここに二つ目のメッセージがある。では、なぜ世の終わりまで待たれるのだろうか? それは神様が慈しみからだ。毒麦も育つままにさせておくのは、良い麦を引き抜いてしまわないためだけではない。その時が来るまでに、「悪い子ら」が「御国の子ら」に変われるチャンスを与えているのだと思う。毒麦は麦には変れないが、悪い子らは御国の子に変れる。この毒麦の譬えにある世の終わりまでの猶予は、改心を待つ「待ちの神様」の慈しみ深い恵みの時に他ならないと解釈できる。

 裁きの主は忍耐深い。だから、私たちもまた待つことを知らなければならない。しかし、聖書の神がいくら待ちの神様であっても、タイムリミットはある。それが世の終わりなのだ。「すべてに時がある」ことを知る神様は、適切無比にタイミングを計っておられる。では、その最終の時、神様は麦と毒麦をどうなさるのだろうか?ここに第三の問いとメッセージがある。主人は僕たちに「麦は倉に入れ、毒麦は焼かせる」と言った。
 麦も毒麦も今は育つままにし、収穫まで待つと言うことは、決して清濁併せ呑むということではないのだ。神様は毒麦に当たる人たちや集団をそのままにさせておいても、世の終わりには必ず裁くと言われているからだ。そのとき、裁き主はみ国の子らは神の国に入れ、悪を行う者は地獄の火に投げ込むと言われる。この答えが三つ目のメッセージで、それは悪を耐え忍ぶ光の子等には励まし、毒麦人間には警告と改心を促す招きだ。それにしても、「そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く」とは、何と響きのいい予告であろうか!
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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