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ザァカイの和解

桑葉いちじく
 エリコにある桑葉イチジクの大木

 年間第31主日の福音はルカ19;1-10だ。それはエルサレムに上るイエス様の一行がエリコの町に入ったとき、ザァカイという徴税人頭がイチジク桑の木に登って、イエス様を見ようとした出来事を伝えている。この話を読むときまって私が思い出すのは、日野市程久保にあるメルセス修道女会の裏山で、ボーイスカウトベンチャー隊(かつてのシニアスカウト隊)が、夜のキャンプファイアの時に演じた聖劇だ。
 裏山は広い山林で、その空き地に火を焚き、ミサの説教の代わりにこの場面を劇で演じたのだ。台本は私が書いた「イエスが行く」Ⅲの7章31番「ザァカイ、降りて来なさい」だった。劇が始まって登場したザァカイ役の少年は、とっさにファイアーを囲む皆の輪の外に出て、そこにあった手頃の木によじ登った。思ってもいなかったこのアドリブには皆がびっくりした。しかし、ファイアーに照らされたイエス様役と木の上のザァカイ役とのやり取りは、皆の頭上越しに飛び交い、立体的でとても印象的だった。川原神父様はこの場面がよほど気に入ったようで、その後もこの聖劇を何回もスカウトたちにやらせていた。

 そう、ザァカイという男はスカウトたちがしたように、とっさに近くにあった木に登ったのだった。もう有名になっていたイエス様が来ると聞いて、彼も見に行ったが、人が多くて見えなかった。福音書はその理由を彼は「背が低かったので」と書いている。場所は死海の北東に位置し、ヨルダン川から少し離れたところにあるオアシスの町エリコだ。もうエルサレムへは10キロほどしかない。
 新共同訳はその木を「いちじく桑」と訳している。聖書協会訳に影響されたのだろうか。しかし、これでは桑の一種と誤解されやすい訳だと思う。学名はficuus sycomorusで、まぎれもないイチジクの一種なのだ。だから、「桑葉イチジク」と訳したラゲ訳やバルバロ訳の方が正確だと思う。実は黒く、大木になる種類のイチジクで、中東からヨーロッパに多く分布していると聞く。
 私が訪れた時、エリコには名所旧跡よろしく、フェンスで囲まれた「ザァカイの桑葉イチジクの木」があった。鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏さえ1000年も経たずに倒れたのだから、同じイチジクの木が2000年も生き永らえているとは思えない。誰かが後で植えて、観光名所に仕立てたのだろうとは思うが、今日のエリコには大通りわきに、確かに桑葉イチジクの大木が一本ある。スライドからスキャンしたので不鮮明だが、写真の木がそれだ。ザァカイが登れたのだから、もっと細い木だったのではなかろうか。

 彼が木に登った理由は背が低かったからだけではなかっただろう。もしそうだったのなら、人込みをかき分けて、群衆の最前列に出ればよかったはずだ。でも、彼にはそうできない理由があったから、最前列にでなかったのだ。徴税人はイスラエル人たちから罪人同然に軽蔑されていたばかりか、嫌われ憎まれてもいた。どんな世でも徴税者は好かれないものだが、占領者ローマやヘロデ王のために働いていた当時の徴税人はなおさらだった。彼はその一人であったばかりか、彼らのボスだったのだ。人を押しのけて最前列にでも出ようものなら、袋叩きにされるかも知れないと恐れたのではあるまいか。だから、群衆が前方ばかりに注意して気付かない背後の木に登った。そういう理由もあったのだと思う。
 彼はイエス様一行の先回りをして登ったのだが、そんなにまでして主を見たかったのは、ただの野次馬的好奇心からだけではなかったのだろう。彼は自覚しなかっただろうが、神様が彼の心に恵みの時を与えようと働きかけておられたからだと思う。樹上からはイエス様がよく見えただろう。しかし、路上のイエス様からも樹上のザァカイがよく見えた。彼の姿形だけではなく、その心の中もよく見えたのだと思う。そこが大事なポイントだ。

 そこでイエス様は声をかけられた。「ザァカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と。群衆は驚いただろう。イエス様の言葉だけに驚いたのではない。自分たちは気付かないでいたが、主の視線の方に目を向けたら、何と自分たちの背後の木にあのザァカイが登っていたからだ。「えーっ、あいつ、あんなところで見物していたんだ!」と、その思いがけない光景にも驚かされたに違いない。
 しかし、彼らが一番驚いたのは主が言われたお言葉に対してだったと思う。皆が嫌う徴税人のボスに、「あなたの家で食事したい」と言うだけでも驚きなのに、「ぜひあなたの家に泊まりたい」とは何たることだ!それも「ぜひ」と言った。イエスと言う人は狂っているのではないか、と憤慨した人もいただろう。徴税人の家にメシアが泊まるなどということは、当時のイスラエル人にとってそれほど考えられないことだったのだ。
 人々も驚いただろうが、おそらく一番びっくりしたのはザァカイ当人だったと思う。誰も自分には気付いていないと思ったのに、イエス様はすぐ気付いた。目が合った。すると「ザァカイ、降りて来なさい」と声をかけられたのだ。今まで会ったこともなかったのに、私の名をご存じだった。どうしてだろう?でも、もっと驚いたのは、わが家に来て泊りたいと言われたことだ。食事に来てもらえるだけでも名誉なのに、泊まっていただけるとは!彼は有頂天だったに違いない。急いで木から降りると、イエス様一行を大喜びで家に迎えたのだった。

 群衆もついて行った。そして、イエス様が本当にザァカイの家に入るのを見届けると、不満を口にした。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」と。しかし、いつものことだと、イエス様はそんな反感は無視なさったようだ。ザァカイも人々が何と言おうと気にせず、主の一行に足を洗う水を出したり、オリーブの油を髪にぬったり、接吻のあいさつをしたりして歓待したことだろう。そして、突然のことだったからご馳走はなかっただろうが、精一杯の夕食を用意したことだろう。
 福音書には書かれてないが、そういうもてなしをしただろうということは容易に想像できる。そうしたことの後でザァカイは立ち上がり、感謝の心をこめて言ったのだった。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します」と。施しはユダヤ人の3大善行の一つだった。「彼は金持ちであった」とあるが、それにしても財産の半分を施すとは、実に思い切った決心だった。
 そして、「また、だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します」という言葉は、彼がそれまであまりあくどい所業はして来なかったことをうかがわせるが、それでも金持ちになっていたから、人の恨みを買い妬まれていることも知っていたように思われる。だから、それほどあこぎなまねをした覚えはないが、それでも今までに何かだまし取るようなこと、恨まれるようなことをしていのたら、4倍にして償います」という約束だった。
 これもすごい決意だった。出エジプト記21;37には、「人が牛あるいは羊を盗んで、これを屠るか、売るかしたならば、牛一頭の代償として牛五頭、羊一匹の代償として羊四匹で償わねばならない」という規定がある。これはモーセの十戒の一つ、「盗むな」の掟の具体的な一規定だった。ザァカイが4倍にして償うと言ったのは、この規定が念頭にあったからかも知れない。しかし、賠償を彼は牛や羊だけに限定せず、「何かだまし取っていたら」と、すべての損害に広げたのだ。
 それは神様に向かっては改心の表明だったが、人々に対しては謝罪と和解の申し出だった。もし今までひどいことをしていたとしたら、赦して下さい。これからはよい隣人になりますから、どうぞ仲良くしていただけませんかという意味だ。聖書には人に謝る時に日本人がよく使う「ごめんなさい。赦してください」という表現がとても少ない。しかし、罪を悔いるという表現は神様と人への謝罪であり、和解の意思表示なのだ。譬えの放蕩息子(ルカ15;11seq.)が「わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました」と言ったのはまさにそれだった。
 人々は徴税人への偏見から、ザァカイにずいぶんひどい仕打ちをして来たはずだ。彼がそれに遺恨を持っていたとしても不思議ではない。しかし、イエス様の来訪は赦されるだけでなく、人をも赦す恵みをも彼にもたらした。彼はその場にいた人々に、自分も悪いところがあった。だから、損害には4倍の償いをする。儲けにも多少汚いお金があるだろうから、財産の半分は貧者に施すと表明した。それは主の祈りにある、「私たちの罪をゆるしてください。私たちも人を赦します」の実践に他ならなかった。そして、赦し合った者は和解して共に生きるものなのだ。

 それをご覧になったからこそ、イエス様は高らかに宣言なさったのだ。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」と。これを聞いたザァカイは感極まって感涙を流したのではなかろうか。それまでは、金持ちではあっても軽蔑され、同胞から仲間外れにされていた。それがイエス様は「この人もアブラハムの子なのだ」と認めてくださった。こんなことは初めてだっただろうからだ。
 イエス様のお言葉には、主がこの世に来られた目的が端的に表現されている。そして、そこには主の大きな喜びも感じられる。失われていたものを見つけ出し、滅びそうだった一人の魂を生き返らせることができたからだ。そして、この一人の救いは多くの人々の救いに連鎖反応を起こしたと思う。なぜなら、現代の私たちもこれを読んで感動するが、その場にいた人々もザァカイとイエス様の会話を聞いて、自分を振り返らざるを得なかったと思われるからだ。
 偏見に凝り固まっていた人たちは、そういう場面に居合わせても改心しなかったかも知れない。しかし、何人かあるいはかなりの人は思ったのではあるまいか。「ザァカイは前非を悔いて、私たちも驚くほど思い切った施しや償いを約束した。虚心坦懐に考えるならば、立派ですごい。他方、私たちはどうだろうか?彼を冷たい目でしか見ず、仲間外れにし、隣人を愛せよという律法の掟を守って来なかったのではないか。私たちも反省する必要がある」と。そして、仲直りの握手をしたのではなかろうか。ここに現代の私たちに対するメッセージもある。
 これはルカの福音書にしかない記事だ。そこで最後に私は、彼がどうしてこの出来事を収録書できたのだろうかと自問する。答えはおそらくザァカイも後に初代教会の信者になって、自らの体験と主のお言葉を人々に証言したから、ということにあるのではなかろうか。ルカは取材収集の過程で、その証言をも聞く幸運に出会えたのだと想像する。たくさんは持ち合わせなくても、人は一つや二つなら自分だけが知るとっておきのいい話や体験を持っているものだ。ザァカイにもそれがあった。「ザァカイ、降りて来なさい」と言われた日のことがそれだった。
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神眼による評価

 ルカによる福音書18;9-14は「ファリサイ派の人と徴税人のたとえ」を伝える。年間第30主日の福音はそれだが、これはルカだけが収録したイエス様の教えだ。その前半はこうだ。
 〈自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』・・・」 

 この譬えの前後は弟子たち向けの教えになっている。従って、この譬えも真の目的は弟子たちにわからせるためだったのだと思うが、「対しても」とあるのを見ると、一義的には「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対して」だったことがわかる。その人々とは、群衆と共にその場にいたファリサイ派の人々のことだった。名指ししなくても、弟子たちはもちろん、当時の人々はそれが誰のことか、暗黙のうちによくわかっていたのだ。
 ファリサイ派の人々は自分たちこそ、モーセの律法を最も純粋かつ正しく守っている実践者だと自負していた。だから、それに大改変をもたらしたイエス様に反発し、頻繁に近づいては議論を吹っかけてきていた。イエス様は大胆にもそんな彼らを、この譬えの中では反面教師として登場させたのだった。しかし、ここまで聞いた段階では、彼らも譬えのファリサイ人が祈った言葉に異論はなく、むしろ同感だったのではないかと思われる。
 実際、人々は「わたしはほかの人たちのように」という言葉の「ほかのひとたち」を、徴税人などの罪人と理解しただろうし、ファリサイ人たちが一般的に「奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく」、律法をよく守っていることも知ってもいたからだ。それは何ら非難されることではなく、むしろ称賛に値することだった。「この徴税人のような者でもない」と人を見下したことはいただけないが、週に二度断食し、全収入の十分の一を献げているとは偉い、と人々は思ったに違いない。
 イスラエル人にとって、主な善行は3つあった。祈り、断食、施しだ。ところで、譬えのファリサイ人はそれを全部実践していた。従って、人の目には律法に従って生きる模範的なユダヤ人と映っただろう。神殿で祈ったのだから祈りは実践していた。断食も人以上にしていたし、施しには全収入の10%も割いていた。誰にも欠点があるのだから、多少のうぬぼれは大目に見てやれる。聞いていたファリサイ派の人たちも、この日は珍しくイエス様が褒めてくれたと思って、うん、うん、その通りその通りと、同感だっただろう。

 イエス様は話を話をさらに続けて、こう言われた。
 「ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪びとのわたしを憐れんでください。』 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」〉

 「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず」と聞いたとき、ファリサイ派の人たちはもちろん、他の人々もそれは当然だ。徴税人だから後ろめたくて、前の方には出られず、恥ずかしくて目を天に上げられないのだ、とうなずいたことだろう。そして、あんな連中は「神様、罪びとのわたしを憐れんでください」と言うしかない。王や占領者ローマの犬になって、同胞から税金を搾り取っているんだからなと、そこまでは納得し、今日のイエスは私たちに理解を示していると期待したのではなかろうか。
 イエス様はそこまで話すと、一呼吸置かれたと思う。ところが、続いて主の口から出た「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない」というお言葉が響くや否や、彼らの期待は粉微塵に打ち砕かれてしまったことだろう。それは彼らの自信を根本から覆す評価で、立派だと思えたファリサイ人の心の持ち方は、神様から見れば否定されるべきもの、皆からダメ人間と見られていた徴税人の心のあり方は、神様の前では嘉されるものとされたからだ。
 この結論を聞いたファリサイ派の人々には、おそらく強い衝撃が走ったに違いない。イエス様はそのようなショック療法的な譬えを通して、彼らに自分を省みさせ、改心を促されたのだった。しかし、その願いとは裏腹に、主に強い反感しか抱いていなかった彼らの一部は、きっとこの譬えを自分たちへの甚だしい侮辱、挑発だと受け取ったと思う。そして、それが主の殺害をたくらむエネルギーをさらに蓄積させて行ったのだと思われる。

 ところで、イエス様は「義とされて家に帰ったのは、この人」と言われたが、「義とされる」とは非常に聖書的な表現で、日本人にはなじみが薄いと思う。神学者たちはこれをよく「義認」などと言うが、私は刺身をケチャップにつけるようなそんな言い方にはなじめない。イエス様はイスラエル人だったからそう言われた。「義とされる」は聖書の重要なコンセプトだから避けては通れないが、もっと馴染める日本語があるはずだと思う。では、わかりやすく言ったら、「義」とはいったいどんな意味なのだろうか?
 イエス様は別の時に、「神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ6;33)と教えられたことがある。それを主の祈りの「御国が来ますように。御心が行われますように」(マタイ6;10)と対比させると、興味深いことがわかる。「神の義」と「御心が行われますように」とが対応しているのだ。してみると、神の義とは御心が行われることと同じで、義とは神の御心にかなうことに他ならないのだ。だからこそ、天からの声は最高の義人だったイエス様を、「わたしの心に適う者」(マタイ3;17、17;5)と言ったのだ。
 従って、「義認」などと小難しくいう必要はない。義とされた人とは神様の御心に適った人、神様から「良い」の〇印評価をもらった人、もっとわかりやすく言えば、神様から好かれた人のことだ。では、徴税人はなぜ〇印評価をいただけたのだろうか?自分の情けないありのままを素直に認め、その赦しと癒しを求めたからだ。高ぶる者を低くしへりくだる者は高めるのは、聖書を一貫して流れる思想だが、ルカの福音書は特にそれを強調している。聖母マリア様もそれをマグニフィカトで口になさった。
 では、ファリサイ人が義とされなかったのはなぜだろうか?彼の祈りは祈りの形をとってはいたが、実際は「私はこんなに立派です」と言わんばかりに、神様の前で自分を自慢したにすぎなかった。そして、徴税人や他の人々のようでないことを感謝したが、それは神様を彼らに対する侮蔑の賛同者にしようとすることに他ならなかった。それらはすべてマイナス評価要因だったが、それよりもっと重大な間違いがあった。自分で自分を正しい者と評価し、彼が神様の御心にではなく、自分の心に適う者であることで満足したことだ。だから自己満足で終わり、神様からは良しとされなかったのだ。

 かつて銀メダリストのある女子マラソンランナーが、「自分を褒めてやりたい」と言った言葉は有名になった。私が嫌悪する言葉だが、それはどこか譬えのファリサイ人の態度と似ている。彼は自分で自分を褒めていた。では、彼は本当に自分が罪人たちとは違って、律法を守る立派な人間、神様から褒められこそすれ、ダメ出しなどされるはずがない人間だと信じ切っていたのだろうか?もしそう思い込んでいたのなら、それこそ重症であって、重症の自分が見えていなかったと言うしかない。
 仏教では、目には肉眼、天眼、法眼、慧眼、仏眼の五眼があると教えているそうだ。そこまで細かくは分けないが、少なくとも人は肉眼だけではなく、心の目でも物を見るものだということを知っている。しかし、聖書は神様の見方も教えている。仏眼ならぬ神眼だ。「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サムエル上16;7)人間の目には非の打ちどころのない人間に見えても、神眼から見れば人間は汚点だらけ、傷だらけ、「罪が染みついている」(エレミヤ2;22)存在なのだ。
 ファリサイ人たちは聖書に精通していたのに、それを見落としていた。自分が罪の赦しを求める必要もない立派な人間だと思うこと自体、もううぬぼれの罪なのだ。では、彼らの何から何までが否定されたのかというと、それは違う。イエス様も彼らが「奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく」、「週に二度断食し、全収入の十分の一を献げて」いたことを批判なさったのではない。むしろそれはそれで、律法に従った当時の道徳的な生き方として、評価されることだったのだ。
 それなのに「義とされなかった」、つまり神様の御心に適わなかったのは、心の姿勢が「自分は正しい人間だとうぬぼれて」いたからだった。問われたのはその点だった。だからそれを改めれば、二重丸付きで「義とされる」可能性もあったのだ。逆に、イエス様は徴税が徴税であったがゆえに、神様から義とされたと言われたのではない。彼らが御心に適ったのは、自分の現実を認めて謙虚に祈ったからだ。罪がなければ、彼らももっと高い評価がいただけたはずだ。
 現代の私たちがそこから学べることは多いが、具体例を挙げるとすれば、カトリック教会とプロテスタント教会が互いに抱いていた評価もその一つだと思う。両教会は、譬えのファリサイ人が徴税人や他の罪人を見下したように、かつては相手の教会をそういう目で見ていた。カトリック教会はプロテスタント教会を、正統で母なる教会に反旗を翻した分裂の徒党として、罪人扱いしていた。
 プロテスタント教会も同じで、もう5百年も前のことなのに、カトリック教会は堕落してしまったからもうそこにキリストの教えはない。私たちは聖書を読み、清く正しくキリストの教えを守っているが、彼らはダメになってしまったと見ていた。忘れない思い出がある。高校の同級生にあるメソジスト教会牧師の息子がいた。私の洗礼を知った彼はある日私に言った。「カトリックは堕落して迷信だらけなんだろう?なぜそんな教会に入ったんだ」と。
 この一言で、私は彼らがカトリック教会をどう思っているかの本音をはっきり知った。お互いがどんなに誤解をして、互いに他のマイナスイメージばかりを見ているかをも… それは譬えのファリサイ人が徴税人や罪人を見ていた目線とそっくりだった。しかし、人のことを批判はできない。カトリック教会も五十歩百歩だったからだ。しかし、イエス様の福音を信じるなら、そんな見方はもう止めにしなければならないと思う。
 少なくともカトリック教会は第二バチカン公会議以後はそれを改めてきた。しかし、偏見のメンタリティはまだまだ残っている。手を貸す運動のおかげで、私は他教会へのそういう偏見からは免れさせてもらえたような気がする。この支援活動には貧しいアフリカの子たちを助ける目的で、宗教宗派の別なく多くの人が集まり、その活動を通してお互いが分かり合う機会に恵まれるからだ。愛があれば、人は他者のマイナス面よりむしろプラス面を見るものだ。プラス面を知れば、他者を良く評価できるようになる。そして、他者を見下さなくなる。


果たして待てるか

 年間第29主日の聖書は第一朗読が出エジプト記17;8-13、第二朗読が二テモテ3;14~4;2、福音がルカ18;1-8だ。一読しただけでは、福音の中心テーマは諦めずに祈ることにあるような印象を与える。もちろんそれも的外れではない。しかし、この日の福音が私たちに問いかけている最も重要な問いは、「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」という8節にあると思われる。福音書はそれを次のように伝える。

 イエス様は、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判してやろう。さもないと、ひっきりなしにやってきて、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

 まずこの譬えの背景を考察してみよう。イスラエルには昔から裁判者がいた。旧約聖書の「士師記」は、本来なら「裁判者たちの書」と訳すべきものだ。なぜ士師などと訳したのかは知らないが、原典のヘブライ語ではショフティーム(ショフェット=裁判官、審判者の複数形)だからだ。まだ王がいなかった頃、イスラエルでは部族のリーダー的な人物が、外敵に攻められれば先頭に立って戦い、内部でもめごとがあれば裁いて収めた。そして、何事もない時は普通人として暮らしていた。平等な神主主義社会だったのだ。
 それが王の時代になると、王が裁きをしたり、小さなもめごとは権限を与えられた家臣が裁いたりするようになった。有名なソロモン王の裁判(列王上3;16-28)はその一例だ。しかし、王国滅亡後のイスラエルでは、民の指導者だった長老や祭司たちが、いろいろなケースの裁判を司るようになった。そして、イエス様の時代には衆議所に裁判の権限があった。主が御受難のとき、ピラトの前に連行される前、最初に受けたのはまさにその裁判だった。しかし、地方での小さなもめごとなどは3人の長老が裁いた。
 しかし、イエス様の譬えに出てくる裁判官は、そのどれにも該当しないことがわかる。「人を人とも思わない」人物は、イスラエルにもいたに違いない。しかし、「神を畏れない」無神論者が、長老や祭司に選ばれることはなかったはずだ。それにこの裁判官は一人で裁判に当っていた。ピラトもそうだった。ところが、ユダヤの律法による裁判なら、3人以上の長老が裁判官になるはずだ。この点から見ても、譬えの裁判官はイスラエルの伝統的裁判官ではなかったと思われる。
 では、どういう権限の裁判官だったのだろうか?どうやら、ヘロデ王が任命していた行政上の裁判官か、占領者ローマの任命による裁判官のどちらかだったようだが、ここでは前者だった可能性が高いと思う。イエス様がそういう裁判官を譬えに登場させたのは、ユダヤの裁判制度を貶めたくなかったからかも知れない。譬えのひどい裁判官の人物描写は、彼がイスラエルの裁判官ではありませんよという暗黙のしるしだった。聞いた弟子たちも、それならそんな裁判官がいて当然と、むしろ内心溜飲を下げたのではなかろうか。
 他方、訴えに来たやもめは、土地や家を取り上げられるとか、立ち退きを迫られているとか、何かのっぴきならないもめごとに悩まされていたのだろう。争っていた相手は手ごわい有力者だったのかも知れない。聖書の中で、やもめは貧しく無力な者の代名詞の一つだ。裁判官にわいろを使って有利に裁いてもらおうにも、貧しくてそれはできない。一生懸命乞うしかなかった。だから、「相手を裁いて、わたしを守ってください」と願い倒すしか手立てがなかったのだ。
 当時の王任命による公設裁判官はわいろをとったり、不公正な裁きをしたりと、評判は芳しくなかったようだ。譬えの裁判官も職務怠慢だった。やもめの訴えをしばらくの間放置していた。しかし、あまりにもしつこく催促されるので、とうとう裁判をしてやろうと決心した。しかし、それは正義とか職務への忠実とかのためではなく、これ以上嘆願を繰り返されてはたまらない、その煩わしさから早く解放されたいというだけの、己的な動機からだった。実に皮肉の利いた譬えではある。

 譬えを終えると、イエス様はそこから学ぶべきことをこう教えられた。人間的にはこんなにひどい裁判官であっても、しつこくひたすら頼み続ければ、最後は願いを聞かないわけにはいかなくなる。ましてや神様は信じる人たちの祈りを聞こうと待っておられる方だ。それに応えてくださらないはずがないではないか、と。そこで最初の「「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちに話された」という一句が生きてくる。諦めずに祈りなさいと言う励ましだ。ここに最初のメッセージがある。
 もちろん、「昼も夜も叫び求めて」とか、「絶えず祈らなければならない」とかは言葉の綾だ。祈る人と言っても、日がな一日中、寝ているときも食べているときも祈るというわけではなく、諦めずに祈り続けると言う意味に他ならない。そして、何もかも祈ればいいと言うことでもない。安易に祈りすぎる人もいる。人が自分で容易にできること、スポーツの勝負などで、勝たせてくださいとまで祈ることなどは邪道だ。むしろ、それはしてはいけない祈りだ。それは神様を試みること、神様を自分の下僕にすることと同じだ。

 しかし、神様に祈らなければならないこと、祈るしかないこともある。今週、世界中の人の耳目をさらった出来事は、チリのサンホセ鉱山の落盤事故で、700メートルの地底に閉じ込められていた33人が救出されたニュースだった。それは奇跡的だと言われるが、救出活動が成功するまでの69日間、救出準備をしている以外の人たちは祈るしかなかった。だが、希望は捨てなかった。希望はスペイン語でエスペランサという。その時33人の一人に生まれた赤子も、エスペランサと名付けられた。
 この出来事は私たちに祈るとは何かを教えてくれた。それは人力の最善を尽くしてもまだ成功するかどうかわからない救出劇だった。そういうとき、人は祈るし、祈ってよい。祈らないというか、祈れない人は哀れな人種だ。誰に祈ったらいいかも、祈りの力も、祈ることそのものすらも知らないからだ。しかし、チリの人たちは祈った。神様を信じていたからだ。だから、諦めずに絶えず祈って、希望を失わなかった。
 希望とはどこか未来に根拠もなくあるものではない。人はなぜ希望を持つことができるのだろうか?希望を持つ者を見捨てない誰かがいるか、または何かが存在するからだ。見捨てない誰かの中で一番は神様だが、それが人である場合もある。見捨てない何かとは幸運な自然界の巡り合わせだろう。そういう存在があってこそ、人は希望を捨てないで祈れる。チリの鉱山の場合は、見捨てなかった政府や救出に努力した多くの人々がいた。
 では、イエス様が失望せずに絶えず祈れと言われるのは、誰に何を祈ることを言っておられるのだろうか?その中身は主の祈りの中にあると思う。「御国が来ますように。御心が天に行われるように、地でも行われますように」とは、祈るしかないことなのだ。人間にはどうすることもできない、神様にしかできないことだが、最も大切な事柄だからだ。そして、「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。…私たちを悪よりお救いください」の願いもまた祈るにふさわしいことだからだ。
 それを誰に祈るかというと、私たちは神様に向かって祈る。神様が祈る人を見捨てないことを信じているからだ。それは聖書を一貫する教えだ。だからこそ祈る人は希望を持つことができる。ところで、イエス様は「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる」と言われた。裁きという言葉を使っておられるから、それは終末のことであると言わざるを得まい。

 では、主の祈りに終末論は入っているのだろうか?然り。しかも濃厚に入っている。「御国が来ますように」とは、今の世界が去って、神的な光と平和が支配し、救われた人が永遠の生命を受ける、新たな世界の到来を願う祈りだからだ。単純だが、これほど色濃く終末論的な祈りがあるだろうか。答えは明らかだ。ところで、それは人が左右できることではない。人にできるのはその実現を祈り求めて、待ち望むことだけだ。イエス様が諦めずに祈りなさいと言われたのは、そのことだと思う。
 主は、神様が選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうかと問いかけられ、いや、ない。「神は速やかに裁いてくださる」と断言された。神様は果たして裁きを行ってくださるのだろうか、という疑問にきっぱりと答えてくださったのだ。それも「いつか」ではなく、「すみやかに」と言われている。でも、それからもう2千年もたったではないか。神様は沈黙して何もしないではないか。そもそも神様などいないからではないか、と言う人もいるだろう。
 そういう疑問はおそらく初代教会にもあったに違いない。だから、ルカはそれを意識してこの箇所を書いたのだと推察する。その疑問は今日ではもっと強くなっているように思える。いや、疑問を通り越して失望や不信に陥り、疑問すら持たなくなっている人が増えているのかも知れない。だから、「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」と言われた最後の一言が、最も重要な問いかけになるのだ。
 イエス様は「人の子は思いがけない時に来る」(マタイ24;44)と言われたが、まさに祈りはそのこととの関連で話されたのだった。実は、このやもめと裁判官の譬えの前に、主はファリサイ人の質問に答えて、神の国がいつ来るか、どういう風に来るかを教えておられた。そこでは人の子がどのように再臨するか、ユダヤの終末がどう訪れるかを語られた。だからこそ、譬えの後に神様が速やかな裁きをしてくださると言われたのだ。
 聖書学者によっては、「神は速やかに裁いてくださる」と言われた後に、「しかし、人の子が来るとき…」と、なぜ急に主語が神から人の子へお変わるのだろうか。これはもともと違う文脈にあったものを繋げたのではないかと疑う人もいるようだ。しかし、不自然なところは何もないと私は思う。裁きは神様が行うが、人の子、すなわちメシアこそは神の裁きを実行する方だからだ。主は「人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け」(ルカ17;25)と受難と復活を視野に置きながらも、ここでは世の終わりに裁き主として再臨する、はるか遠い未来を見据えて語られたのだ。
 しかし、そのとき地上に信仰がなかったら、裁きはどんな光景になることだろうか。ルカ17;20-37と並行するマタイの福音書には、「そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人々を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(マタイ24;10-12)という主の言葉がある。イエス様はそういう事態を予見なさって、警告なさったのだ。今は世の中だけでなく、教会の中にすらその危険が忍び寄っている気がする。
 「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」この問いは重い。実際、私自身も時々懐疑に陥ることがある。私が信じていることは本当に間違っていないのだろうか、と。しかし、そのたびに思い直す。いや、私は主の福音に賭けた。ここまで信じて生きて来たのだから、最後まで信じ通す、と。主が再びおいでになるとき、確かに地上には信仰のない人たちが増殖しているかも知れない。しかし、人は人、自分は自分だ。自分は果たして信じて待てるか。私は信じ続けたい。そのために堅忍の恵みを願おう。

恩を知る人、知らぬ人

 年間第28主日の福音はルカ17;11-19だ。ルカはそこで、イエス様の一行が相変わらずエルサレムへの途上にあることを読者に想起させる。そして、サマリアとガリラヤの間にあった村で、主が10人のらい病人を治癒された事跡を伝える。他方、第一朗読は列王記下5;14-17で、アラム(シリア)の司令官ナァマンが預言者エリシャによってらい病から癒され、感謝をしに戻った故事だ。これは福音書の記事と関連があるから読まれるのだろう。主はナザレト訪問(ルカ4;16-27)の際、彼に言及されている。
 ハンセン氏病は、今でこそ伝染力の弱い治癒可能な病気と認識されているが、かつては癩病と呼ばれ、恐れられ嫌われていた。ハワイのモロカイ島で、らい病人たちに尽くしたダミアン・ブーステル神父の場合もそうだった。病人たちは隔離され、一生島から出ることは出来なかった。彼自身も彼らと生きるうち罹患して、ついにそこで生涯を閉じた。日本でも1996年の「らい予防法廃止」(菅直人厚相時)まで、この皮膚病罹患者は社会から隔離され、断種・堕胎さえ強いられたのだった。
 ましてやイエス様の時代のハンセン氏病患者たちは、どれほど過酷で陰惨な運命を余儀なくされたことだろうか。映画ベンハーには主人公ベンハーの母と妹がらい病になって、他の罹患者たちと人里離れた洞窟に隠れ住む場面がある。この日の福音に出てくる10人も、おそらくそのような境遇に置かれていたのだろう。社会から見捨てられた同病者どうしが肩を寄せ合い、惨めな日々を何とか耐えぬいていたのではあるまいか。そんな状景を想像する。

 福音書は10人がイエス様を出迎え、「遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、『イエスさま、先生、どうかわたしたちを憐れんでください』と言った」と書いている。ここでおやっと思ったのは「イエスさま、先生」という呼び方だ。普通は「主よ」(Lord)という呼び方が圧倒的に多いのに珍しい、と思って調べたら、ペトロもルカ5;5では同じ呼称を使っていた。英語ではMaster, 仏語ではMaîtreで、ヘブライ語のラビと同じ意味だ。彼らは弟子ではなかったからそう呼んだのだろう。
 「遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて」とは、一般の人に近づくことを禁じられていたからだろう。遠ければ声を張り上げるしかない。だから皆で声を出した。それにしても彼らは、イエス様が村を通ることをどうして知ったのだろうか?推察だが、患者の家族の誰かが差し入れなどのついでに、「奇跡的治癒などで有名なイエスがこの村に来る」と、事前に知らせていたのではなかろうか。さもなければ、社会から隔絶されていた彼らが知ることはできなかったと思われるからだ。
 主を「出迎えた」とあるから、彼らは許された境界ぎりぎりで止まって待っていたのだろう。そして、遠くから「わたしたちを憐れんでください」と声を張り上げていたのだ。それなのにイエス様が声を張り上げずに言えたということは、普通なら誰も近づこうとしなかった彼らに、主の方から近づいて行かれたということを意味する。ここに「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。」(ルカ5;31)と言われた主の真骨頂がある。10人の病人たちは体だけでなく、心も病んでいたのだ。

 イエス様は彼らに言われた。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と。なぜすぐ治癒してあげずに、そんなことを言われたのだろうか?それは思いやりからだった。モーセの律法では、らい病が治った人は祭司に体を見せて治癒を認定してもらい、必要な手続きを経て(レビ記14;1-32)社会復帰ができたのだった。つまりらい病人には二つの回復が必要だったのだ。身体的な健康回復と社会的生命の回復だった。だから、主はそうお命じになったのだ。
 しかし、イエス様がそう言われたのは治癒の後ではなく、彼らがまだ病気のままの状態の時だった。だとすると、病人たちは、「まだ治ってもいないのに、このまま祭司のところへ見せに行っても無駄ではないだろうか?」という疑問を感じなかっただろうか?感じたかも知れない。しかし、藁にもすがりたい思いだったから、彼らは主のお言葉に賭けたのだろう。疑問よりもその思いが勝った。だから彼らは信じて歩き出した。そして、信じたからこそ全員が癒されたのだった。
 彼らがまだ癒されていないままの体で歩き出したのは、アブラハムが神様の声を聞いて、見知らぬ国、見知らぬ未来へと歩き出したのに似ていた。イエス様は彼らにアブラハムと同じ信仰があるかどうかをお試しになったのだ。だから、病身のまま行かせた。そして、その後のことになるが、癒されたことに気付いたサマリア人が、神を賛美してたった一人だけ戻ってくると、主は彼に「あなたの信仰があなたを救った」と言われたのだ。
 彼らは道半ばで治癒に気付いた。きっと誰かが驚きの叫びをあげ、「おい、見てくれ!手から病状が消えた。顔はどうだ?」と仲間に聞いたのだろう。そこで、それぞれが自分の体を見た。そして、互いの顔を確かめ合った。アラムの司令官ナァマンが癒されたとき、列王記下は「彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった」と記している。10人も自分の体がそのように清くなっているのを知ったとき、どんなに欣喜雀躍したことだろうか。

 ところが、そこからの対応は違った。ルカは書いている。「その中の一人は自分が癒されたのを知って、大声で神を賛美しながら戻ってきた。そして、イエスの足元にひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこでイエスは言われた。『清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻ってきた者はいないのか。』それから、イエスはその人に言われた。『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』」と。
 癒されたと知って、感謝をしにイエス様のもとへ戻ったのは一人だけだった。なぜサマリア人の彼だけが戻って来たのだろうか?私はそのわけを4年前のコラム「その後どうなったか?」では、「エルサレムの祭司たちのところへ行くことは彼には辛い試練だった。彼らはサマリア人の彼を相手にもしなかったはずだからだ」という点に依拠して解釈した。だがそれは間違いだった。彼はエルサレムではなく、自分たちの祭司がいるところへ向かったに違いないとここで訂正したい。
 そうだった。サマリア人たちはイスラエル人にとって犬猿の仲の隣接民族だったが、モーセ五書は奉じていた。しかし、エルサレムではなくシケムに近いガリジム山に彼らの神殿を持ち、そこに祭司たちもいたのだ。もちろん、イスラエル人たちはそれを認めず、彼らを軽蔑していた。ただ、らい病になって隔離された人々は、もうユダヤ人だのサマリア人だのといがみ合うことはなく、一緒に暮らしていたようだ。でも、体を見せに行く段になると、行く先は別々になったのだ。
 少なくとも出発時点では、同じ道を少し一緒に歩いたのだと思う。しかし、サマリア人たちの神殿があるガリジム山へ行くにはシケム(現在のナブルス)を通る山の道を行かなければならなかった。他方エルサレムへもその道が近かったが、サマリアを通ることになるので、9人のユダヤ人はそれを避け、ヨルダン川沿いの道をエルサレムへ行ったのだろう。どこで別れたのか、清くなったことに気付いたのはまだ一緒に歩いていた時か、それとも別れた後か、それはわからない。

 いずれにせよ、10人は清められた。しかし、一人はイエス様のところへ感謝を言いに戻ったが、他の9人は戻らなかった。治癒された感激は同じだったはずなのに、どうして対応がこうも違ったのだろうか?サマリア人は恩を知る人だったからだと言うしかない。「あ、これはあの先生のおかげだ!」と気付いたから、彼は神様を賛美し、感謝するために戻った。祭司たちに見せるのはその後でもできた。自分のことよりもまず神様への感謝だと、彼はなすべき優先順位を知っていた。
 ところが9人はそのままエルサレムへの道を続けた。なぜそうしたのだろうか?好意的に推察すれば、後でお礼を言おうと思っていたのかも知れない。あるいは、癒された嬉しさと早く祭司たちに見てもらいたい一心で先を急ぎ、癒し主への御恩がすっぽり念頭から抜け落ちていたのかも知れない。だが、誰か一人ぐらい「あの先生のおかげだ。戻ってお礼を言おう」と言う人がいなかったのだろうか。彼らは悪人ではなかったが、恩を知らない人たちの見本になってしまった。
 彼らの体から病気は消えた。主のお言葉に従ったからだ。やがて祭司たちに見てもらって清めの儀式も済ませ、社会復帰も果たせただろう。しかし、9人は魂の治癒まではしていただけなかった。それに比べ、かのサマリア人は「あなたの信仰があなたを救った」と言われた。恩を知る感謝に、イエス様は魂の救いでお答えになったのだ。皮膚病からの治癒や彼らの社会復帰も主のお望みではあったが、最も望んでおられたのは信仰による魂の治癒だったからだ。

 これは譬えではなく、ルカによってだけ書き残された実話の伝承だ。主はこのサマリア人に、「立ち上がって行きなさい」と言われたが、彼はその後どこへ行き、何をしただろうか?きっとまず自分たちの祭司たちのところへ行って完治を認定してもらい、その後は親兄弟のもとへと戻れたに違いない。でも私はその後の彼を想像する。主に身も心も癒していただけたことを、彼は生涯忘れることはなかっただろう。
 だから、以下は私の推察だが、やがてエルサレムにおける恩人イエス様の死と復活の噂を耳にすると、それに強い関心を持ったに違いない。そして聖霊降臨後、使徒フィリッポによってサマリアにも主の福音が伝えられた(使徒言行録8;4sq.)とき、彼はまっさきに信者になったのではなかろうか。そして、イエス様が10人になさった癒しと、彼に言われたお言葉を初代教会の人たちに語り伝えたのではなかろうか。そのおかげでこの出来事は伝承されたのだろうと私は推察するのだ。

 このエピソードは福音書の中だけの出来事だけではなかった。手を貸す運動の支援者にもハンセン氏病患者が一人いると知った時は、まさか私たちの関係者にそんな人がいるとは!と驚いたものだ。2008年に帰天なさったが、実名はやはり伏せて、T.Fさんとしておこう。彼は12歳の時に発病し、泣く泣く郷里の父母から引き離され、神山福生病院で八十余歳の生涯を終えられた。静岡県のある作曲コンクールで受賞した彼の詞・曲には、親が恋しかった少年時代の悲しみの深さがにじみ出ていて、私は胸が締め付けられる思いをしたことを覚えている。
 しかし、彼は青年時代にイエス・キリストの福音と出会い、生きる意味を見出した。打ちひしがれていた彼は、体は癒していただけなかったが、心は癒されてその後の年月を高邁に生きた。私が感心したのは、病身なのに毎年復活祭とクリスマスの頃には、シエラレオネの子たちへの援助を送ってよこし、私を励ますことも忘れなかった。この主日の福音を読むと、彼は自分と同病だったこの10人のエピソードを、どう受け止めていたのだろうかと思ってしまう。
 彼もあの10人と同じように、「主よ、どうかわたしを憐れんでください」と祈ったことだろう。だが、それは体を癒してもらいたいからではなく、魂を癒してもらうためだった。主はそれを聞き入れて、彼の人生を生きるに値する喜ばしいものに変えられた。それが最高の賜物だったのだ。だから、彼はあのサマリア人のように神様を賛美し、主が自分にしてくださったように、貧しい子たちに手を差し伸べた。死ねば病身も健康体も等しく土に還る。しかし、信仰に生きた魂は永遠に輝く。
 では、この話は私たちにどんなメッセージを伝えているのだろうか?洗礼を受けた者は罪から清められた。らい病からの癒しよりもずっと尊い恵みだ。しかし、その恩を忘れていないか。成人洗礼の人などはその時は感激して大いに喜ぶ。しかし、やがて9人のように自分の幸せを優先して、あのサマリア人のようには神様を賛美し、主に感謝することをえてして忘れる。それは福音書の中だけではなく、現代の私たち信者たちにも問われていることなのだ。

信仰とは

 年間第27主日は第一朗読がハバクク1;2-3、2;2-4、第二朗読がテモテ1;6-8、13-14、福音がルカ17;5-10だった。今週は超短く済まそうと思っていたが、やはりそうはいかなくなった。そのわけは、日曜ミサで若い司祭が福音を取り上げたが、せっかくテーマを信仰に絞っておきながら、隔靴掻痒の説教しかしなかったからだ。そこで自分で考え直してみないと気がすまなくなったのだ。

 ルカはその福音書17章の前半に、イエス様が弟子たちに話された3つの話を並べている。この主日に読まれたのはその2番目、3番目で、17;5-6は信仰の話、17;7-10は弟子が自覚すべき謙虚さについてだ。二つは続けて書かれてはいるが、まったく別の話で、つながりはない。17;5-6はすでに2007年10月7日のサンデー3分間「桑の木の代弁」でも述べたが、それはイエス様が「わたしたちの信仰を増してください」と願った使徒たちに、比喩を使ってお答えになった教えだ。
 主はこう言われた。「もし、あなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことをきくであろう」と。第一朗読の預言も第二朗読の手紙も信仰について語っているから、この主日の聖書が信仰を主題にしていたことは間違いない。その意味では司祭の説教は的を射ていた。だが「この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことをきくであろう」と言われた比喩については素通りした。
 ところが、その比喩は一見わかりやすいようで、少し考えると、解釈が一筋縄ではいかないことに気付く。そこを解明してほしかったのに、「信仰は大切だ」などというありきたりの説教だったから、期待外れだったのだ。では、この比喩の何がわかりにくいのかと言うと、まず、なぜ桑の木や海を比喩に使われたのか?次に、なぜ桑の木に「海に入れ」などという、益も意味もなさそうなことを例になさったのか?第三に、そういう命令は神を試みることにならないか?第四に、その比喩は弟子たちの願いとすれ違っていないか?などの疑問が生じるからだ。 

 これに自答してみる。まず、なぜ桑の木や海を比喩に使われたのだろうか?推察するに、主が弟子たちに話されたのはガリラヤ湖畔で、そばに桑の木があったからではなかろうか。ルカはこの話をエルサレムへの途上でのことにしているが、実際はガリラヤでのことだったと思う。さもないと突飛すぎる。しかし、眼前にガリラヤ湖を見ながら、そばの桑の木を指して話されたのなら、情景と話がぴったり合うから、弟子たちもその比喩に「うんうん、なるほど」と納得できたと思うのだ。
 使徒たちが自覚していたように、彼らの信仰はまだ浅かった。そればかりではなく、徴税人だったマタイなどを除けば、彼らのほとんどは学問のない漁師たちだった。そんな彼らに律法学者たち並みの理詰めで抽象的な話をしても、よく理解できるわけがなかった。それは聖パウロの手紙がすばらしいのにもかかわらず、あまり私たちの記憶に残らないのでもわかる。だから、イエス様は弟子たちや民衆には譬えや比喩を多用なさった。それが海や桑の木を比喩に使われた理由だ。
 この比喩では、材料は必ずしも桑の木や海である必要はなかった。似た比喩はマタイとマルコにもある。しかし、そこでは「この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』」(マルコ11;23)とあり、海は共通だが、そこに入るのは桑の木ではなく山だ。イエス様が別々の機会に、ある時は山を、ある時は桑の木を比喩に使って話されたのか、それとも同じ一つ話がどこかの時点で山と桑の木になったのか、それはわからない。しかし、発想はまったく同じで、初代教会では両方が口から口へ伝承されていたことは確かだ。ルカはマタイやマルコとは別の伝承を採用したのだと思う。

 ところでその伝承の事実こそは、なぜ桑の木に海に入れなどという、益も意味もないことを例になさったのかという疑問への答えだと思う。確かにそのような命令が実行されれば、無益で馬鹿げてさえいただろう。桑の木や山が海に入ったとて、よい効果も生まなければ人助けにもならず、無意味だからだ。しかし、人の意表を突く鮮烈な比喩で話されたことは大いに役立ち、意味があった。どんな意味があったかと言うと、強いインパクトをもって人々に脳裏に焼き付き、教えを長く記憶に留めることに成功したからだ。
 初代の信者たちがこの話を決して忘れずに、口から口へと伝承した事実がそれを証明している。イエス様がわからせたかったのは、少しでも本物の信仰があれば、人は不可能と思えることも実現できるということだった。それがこの比喩の意味だ。しかし、それをありきたりの言葉で教えていたら、人々はすぐ忘れてしまっただろう。平凡な言葉はすぐ記憶から消えるからだ。だから、主は強烈な印象を与えるために、実に大げさで、弟子たちをびっくりさせるような比喩を使われたのだと思う。

 そうだとしても、「この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことをきくであろう」と言うお言葉を真に受けて実行したら、神を試みることにならないか?それが第三の疑問だ。イエス様は悪魔によって神殿の屋根に立たされ、「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる』云々」(ルカ4;9-11)と誘惑されたとき、聖書には「あなたの神である主を試してはならない」(申命記6;16)と書いてあると誘いを拒否された。神を信じるという口実で、やたらに奇跡を求めるとか冒険的な行為をしてはならないという戒めだ。
 実際、主は多数の病人を言葉だけで癒したり、5つのパンを増やして5千人に食べさせたり、湖上で弟子たちを救うために嵐を鎮めたり、多くの奇跡をなさった。しかし、どれもが人々を助けるためとか、ご自分が父なる神から遣わされた救い主であることを証明するためとか、有益かつ意味のある場合に限られていた。そして、そういう場合でもどちらかと言えば抑制的で、奇跡的治癒などでは人に言うな(マルコ1;44)と口止めしたり、ご自分を明かさなかったり(ヨハネ5;13)だった。
 従って、やたらに奇跡的な行為を試みたり、人々の喝采を受けるような超人的パフォーマンスをしたりすることを、イエス様が好まれなかったことは確かだ。むしろそれを嘆いて(マルコ8;11-13)否定的でさえあった。使徒たちも同様だった。使徒聖ペトロは魔術師シモンが神の霊能力を自分にも授けてほしいと願ったとき、「お前は悪の縄目に縛られている」(使徒言行録8;23)と厳しく叱責した。受洗前、この男は魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、自分を偉大な人物だと自称していたのだった。
 これらことに照らせば、自分に本物の信仰があるかどうかを知るために、「抜け出して海に根を下ろせ」と桑の木に命じるとか、富士山に「駿河湾に入れ」とか、本気で命じるなら、それは神を試みる罪になると思う。その上、己の馬鹿さ加減を晒すことになる。イエス様は弟子たちがその比喩を実際に試みるとは想定なさっていなかったから、信仰の力をわからせるためにそう話された。あまりにも大げさで馬鹿げていれば、実際に試す人はいまい。だからそういう比喩が言えたのだ。それを文字通り真に受けるとすればまさに愚かで、主の言おうとなさったことが全然わかっていないことになる。私はそう解釈する。
 だからと言って、万事休すとか、神様の助けがどうしても必要なときに、この困難から救ってくださいと奇跡まで願うことは否定されるべきではない。しかし、自分は信じている。イエス様もからし種ほどの信仰があれば、桑の木に向かって海に入れと言えば入ると言われたではないか。だから、神様は私の願いを聞いてくれなければならないと言うなら、それは神様への脅迫だ。謙虚な願いでも祈りでもない。私の思いのままではなく、御心のままにと言うのがまともな信者だ。

 第四の疑問は、「その比喩は弟子たちの願いとすれ違っていないか?」ということにある。使徒たちは「わたしたちの信仰を増してください」と願った。ところが、イエス様は桑の木と海の比喩で信仰の力強さを教えられた。願ったのが信仰の増加なのに、その強さを言われても答えにはならない。解釈のし方によっては、からし種ほどの信仰があればそれで十分。増す必要はない、とも取れる。いったい主はなぜそういう答え方をなさったのだろうか?
 私は彼らの信仰理解を改めさせるねらいがあったからではないかと考える。「信仰を増してください」という言い方を見ると、彼らは信仰を量的に増減する物的な理解をしていたように思える。しかし、信仰とはそういう「物」だろうか?そこには信仰をどう理解するかの問題があったと言えよう。イエス様はそれをからし種に喩えた。からし種は小さいだけでなく、「命ある生き物」というもう一つの特性があり、そこに注目する必要がある。単なる「物」ではない。信仰も生きているものだと主は教えられたのだと思う。
 本物であるなら、それはからし種のように小さくても生きている。その力は桑の木に海に入れと言ったら入るくらい、途方もなく大きい。だから、ほんものの信仰があれば、増減を心配することはないと主は言われたのではなかろうか。だとすれば、主は使徒たちの物的な信仰観を直し、すでに彼らの願いに答えていたことになる。しかし、それだけではない。信仰がからし種のように生き物であるなら、人が福音に従って生きる限り、願わなくてもそれは神様の恵みでいつの間にか成長する。それも教えてくださっていたのだ。答えは一見すれ違っているようだったが、実はいそうではなかった。

 ところで、イエス様と使徒たちとの会話は、私たちにも信仰とは何を意味するかを考えさせる。使徒たちは信仰を増減する物のように受けとめていた。しかし、主はそれをからし種のように生きて育つものだとお教えになった。しかし、そのような信仰観は、現在のキリスト教信者が持つ教義的なものとはかなり違う。それは神様に対する全般的な信頼、福音に対する強い信念を意味し、知的な要素を否定はしないが、どちらかといえば情が大いに働く「信」だ。
 そもそも日本語の信仰には「仰」の一字があり、神様仏様などに限定されて使われる。しかし「信」は、新約聖書原典のギリシャ語ではピスティス、ヘブライ語ではエムナー、英語ではフェイス、仏語ではフォワで、「仰」という意味はない。この言葉は神様にも人間同士にも使われ、その意味は「信用、信頼、忠実、約束」などだ。相手を信じる、信頼できる、忠実と認める、約束に値すると思う時に使う。「仰」のつく日本語と違って、神様に対しても同じ考え方なのだ。
 では、「からし種ほどの信仰」とか「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(ルカ8;48)と言われたとき、イエス様はどのような意味で言われたのだろうか?それは親に対して幼子が持つような人間の単純な信頼を意味した。つまり、神様の救いの約束を信用し、主の福音を心から喜んで選び取ることだった。信仰とは教義の知的な受容であるよりも、むしろ愛と希望に溢れた「信頼の表明」に他ならなかったのだ。マタイ11;25-27はそれをよく示している。
 聖パウロにとっても同じだった。彼にとって信仰の核心は、神様が先祖への約束を守り、イエス・キリストの死と復活によって、人類の救いを成就してくれた愛と恵みを信じることにあった。彼はダマスコでの改心によって福音のはかりがたい富に開眼し、生涯をその伝播にささげた。ところが、ユダヤ教や異教の妨害に遭い、理論的に戦うことを余儀なくされた。そこで彼は博学を駆使して多くの手紙を書き福音と信者を守った。だが、皮肉にもそれが知的な教義構築のはしりともなったのだった。
 初代教会以後のキリスト教会はさらに多くの異端に悩まされた。そして、それとの戦いの中で、真正の福音を保つために何度も教義の明確化を迫られ、理論武装をせざるを得なかった。その結果、壮大な教義体系が確立していった。それは避けられない必要事ではあったが、副作用も生んでしまった。神学的な表現の信仰箇条を受け入れることが「信仰」だと思う、すり替え生んでしまったのだ。
 信仰箇条は大切だし、神学も無用だとは思わない。しかし、理詰めの教義体系を受容することが信仰だと思い違いすれば、信仰は劣化を起こす。喩えてみれば肉がそげ、骨皮に痩せ細って生気を失った、頭でっかちの人間のように貧相になる。そのような劣化した信仰観は、イエス様の言われた信仰からかけ離れていると言わざるを得ない。しかし、それを福音的信仰に立ち返らせたのは、いつの時代でも神学的学問ではなく、アッシジの聖者のような聖人たちの福音的な生き方だった。

 この主日の第一朗読ハバクク2;4にはそれとかかわる有名な言葉、「神に従う人は信仰によって生きる」という一句がある。なぜ有名になったかと言えば、聖パウロがローマの信徒への手紙1;17でそれを引用し、マルチン・ルターがそれを取り上げて、自分の神学的出発点としたと言われているからだ。「神に従う人」とは、原典のヘブライ語ではツァディク(義人)の一語だ。しかし、「信仰」と訳されていることばは、神様への信頼を意味し、神学的な教義とは無縁なのだ。
 宗教改革時代のカトリック教会が教義的に劣化し、生き方も堕落していたことは否めない。ルターや宗教改革者たちが福音的信仰に戻れと唱えたのは正しかった。しかし、その彼らもやはり教義的な信仰観に呪縛されていた。ルターの結論は“Sola fide, sola gratia”(信仰のみ恩恵のみ)と「聖書のみ」の思想だった。信仰、恩恵、聖書は最重要な基本だからもっともだ。しかし、「のみ」としたことに間違いがあったと思う。
 今日ではその間違いが証明されているが、当時はそれが激しい神学論争と民族的対立を惹起した。そして、「信仰」はまたもやどの宗派の神学体系を選ぶかに矮小化されたのだった。つまり真の福音復帰の実現ではなく、分裂と敵対と憎悪を生んだのだった。これほどイエス様の福音に反したことはなかった。カトリック教会は第二バチカン公会議以後そうした過去を反省して清算し、刷新の努力を重ねてきた。宗教改革者の系譜を自認する教会も、西欧的過ぎるキリスト教信仰観を見直す必要があるのではなかろうか。
 二ケア公会議以後の信仰観は教義に偏りすぎていた。信仰箇条は必要だが、それは信仰のエッセンスではない。私はかねてからそれを信仰インフラと呼んでいる。土台だからだ。確固たる土台の上にでなければ、堅固な家は建たない。しかし、家は土台より大事であり、住む人は最も大切だ。信仰箇条を信仰のエッセンスと見なすことは、土台を最重要と見なすに等しい。それが間違いだということに気付く必要がある。
 では、最も大切な信仰のエッセンスとは、いったい何であろうか?私は神の愛を信じることだと思う。ずっとそう書いてきたが、それは聖パウロのコリントの信徒への手紙13章にある通りだ。信仰とは信仰箇条を受容することでも表明することでもなく、神の愛を信じることにある。そして、それを信じるならば、主の教えに従って神と隣人への愛を実践する。それに尽きるのだ。神の愛を信じるとは小さい一語だが、からし種と同じで、信仰が大きく育つためのすべての力はその中にある。

 この主日の福音ルカ17;7-10は弟子が自覚すべき謙虚さについてで、信仰とはまったく別のことだ。今回は超短くしようと考えていたが、実はこのテーマについてだけ書くつもりだった。謙虚であるということが、今の自分にぴったりの戒めと思えたからだ。主はこう話された。
 「あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
 来週の10月16日(土)に私は手を貸す運動代表の任から退く。この援助活動は誰かから命じられたわけではなく、自分から始めたものだ。しかし、福音書にある主の声を心の中で聞いたから決心したことだった。そして、小さな団体ながら、それは30年間でそれなりの貢献を果たすことができた。協力し支えてくれた人々と、神様の恵みのおかげだった。そこ、この日の福音の言葉を「主よ、わたしは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」と少しだけ変え、辞任のあいさつにしようと思っている。

ある金持ちと貧しいラザロ

 年間第26主日の聖書はアモス6;1a,4-7、テモテ6;11-16、福音がルカ16;19-31「金持ちとラザロの譬え話」だ。先週の「不正な管理人の譬え」は人目を避けた部屋での密談だったが、それに比べると「金持ちとラザロの譬え」はスケールが大きい。イスラエル民族の始祖アブラハムと神の民の大指導者モーセが登場し、二人の男の過去今未来が救いの歴史のビジョンの中で語られるからだ。そこには複数のメッセージが含まれている。
 全体は3つの部分に分けられる。19-22節は生前の二人がどんなふうに生きて来たか、つまり二人の過去の紹介だ。次に23-26節は死後の二人がどんな状況に置かれているかを、金持ちとアブラハムの会話を通して明らかにする。つまりこの部分は二人の今を語る。最後の27-31節は二人と金持ちの兄弟5人の未来を語る。この兄弟5人は生きている人類すべてに代わって、話題にのぼっていると見ていいだろう。

 譬えの最初の部分はこう始まる。
 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがてこの貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。」

 これは譬えだから史実ではない。しかし、当時この金持ちのような人々は現実にもいた。だからイエス様は譬えに使われた。姿かたちは違うが、その同類は現代にも大勢いる。この譬えの少し前を読むと、「金に執着するファリサイ派の人々が、この(不正な管理人の譬えの)一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った」(ルカ16;14)という一節があるから、この譬えは直接的には彼らへの返答ではあった。しかしそれ以上に、旧約時代には答えが出なかったヨブの深刻な問いに対する答えでもあり、イエス様の復活を示唆する意味深い譬えでもあったのだ。
 譬えには二人の男が登場する。一方の貧しい男はラザロと呼ばれているのに、他方の男は金持ちとしか書かれていなくて、名無しだ。でも主役は金持ちの方なのだ。譬えの後半を読むと、彼はモーセの律法を奉じるイスラエル人で、兄弟が5人いたことがわかる。しかし、彼らはぜいたくのし放題で、毎日を飽食と遊興のうちに過ごしていた。紫の衣や麻布は裕福な階級の人々が着る贅沢な衣装だった。働く必要などまったくない一族だったのだ。
 それとは対照的に、貧しいラザロは金持ちの門前に横たわっていた。その皮膚には吹き出物があって、犬がやってきてうみをなめていたとある。なめられても犬を追い払えなかったほど衰弱していたということだ。彼は金持ちの食卓の残飯をもらいたいとを望んでいた。命をつなぎとめるにはそれしかなかったのだ。でも、家の中には入れないから、金持ち一族が出入りする度に、どうぞお恵みをと言葉に出す力もなく、目だけで哀願していたのだろう。でも、誰一人彼を見ようさえもしなかった。現代なら病気のホームレスだ。
 ちなみにこの譬えをヘブライ語訳で読んでみて、ラザロという名前がヘブライ語ではエレアザルであり、ラザロとはその短縮形でることを知った。福音書ではヨハネ11章にも出てくる名だ。エレアザルとは「神助け給う」の意味で、旧約聖書ではアーロンの息子の一人(出6;23)やサムエルの時代の勇者(一サム7;1)等がこの名を持っていた。旧約聖書ではギリシャ語訳でもエレアザルと表記されているが、福音書では2例ともラザロだ。新約時代には短縮名が普通になっていたのかも知れしれない。 

 さて、二人の登場人物の過去が紹介された後、譬えは核心に入る。まず二人に大きな転機が訪れ、まずラザロが死ぬ。「やがてこの貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるブラハムのすぐそばに連れて行かれた。」エレアザル(神助け給う)の名が示す通りで、死ぬと、彼は神様から遣わされた天使たちによって、イスラエル民族の始祖アブラハムの宴席に運ばれた。宴席とは祝福された者たちの場所、つまり義人国のことに他なるまい。
 他方、「金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。」彼が行かされた場所は陰府だったのだ。陰府とは原典ではハデスと言い、死後に悪人が行くと信じられていた懲罰の場所で、ヘブライ語ではゲイヒンノム(ゲヘンナ)と呼ばれた。彼はそこで苦悶していた。「目を上げると」とあるから、下方にいたわけだ。すると遠く高いところに、民族の父アブラハムと今は幸せそうなラザロが見えた。二人の立場は、生前とは大逆転していたのだ。
 そこで金持ちは大声で叫んだ。「父、アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます」と。ところがアブラハムは答えた。「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方へ越えて来ることもできない」と。
 金持ちは数滴の水でもいいから舌を冷やしにラザロをよこしてくださいと、アブラハムに哀願した。しかし、それは断られた。そして、アブラハムの口を通してここに二つの重大なメッセージが明かされる。一つは死後の二人の逆転した状態が生前の結果であり、それが二人の「今」なのであること、もう一つは両者がいる場所は断絶していて、アブラハムといえども往来できないこと、つまり行く先変更が不可能となったその「今」は、即ち永劫の「未来」でもあるというメッセージだ。

 まず、死後逆転した二人の状態だが、譬えはそのわけを、「お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ」とアブラハムに言わせている。うっかり素通りしてしまいそうだが、少し考えてみると、それはおかしくないか?生きている間に良いものを享受することは罰されるような悪なのか?逆に生前不幸だったと言うだけで、人は天国に行けるのか?という疑問が湧いて来ないだろうか。
 アブラハムの言葉通りだと、金持ちは生前いい思いをしたから、死後は罰の報いを受け、ラザロは逆だったから幸せの報いを受けたと言うことになる。しかし、もしそうなら、人はこの世で幸せになってはいけない。天国に行きたければ、この世では不幸であれ。富むことは悪で、貧困は善だと言うに等しい。それでは人間のまともな社会生活を否定することになり、健全で幸せな人生を祝福する福音の教えと合致しなくなってしまう。では、アブラハムの言葉はどう理解したらよいのであろうか?
 たしかにイエス様は「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである。」「しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている」(ルカ6;20、24)と言われた。しかし、ルカはもともと貧しい人たちに同情的で、富者に厳しい傾向があった。さらに、読む人に強いインパクトを与えようとして、「貧しい人々は幸い」というような端的な手法で書くことがあった。それを忘れてはいけないだろう。マタイが「心の貧しい人は幸い」と書いたのに比べるとかなり違う。
 ルカがアブラハムの口を通して言わせた言葉も、強烈な対比を印象付けるために単純化して書かれている。だから、本来なら書かれてしかるべきことが省かれていると見るべきだろう。つまり、金持ちは生前富んでいたから罰されたのではなく、本当は富んでいたのにそれで善を行わなかったから罰されたのであり、反対にラザロは生前不幸だったから祝福されたのではなく、不幸だったにもかかわらず神様をも人をも呪わず、神様の教えに従って生き通したから天の国に招かれた。言いたいのはそういうことで、そう解釈すべきなのだ。
 では、この金持ちは具体的にはどんな罪悪のせいで、死後に罰をうけたのだろうか?譬えを読む限りでは、彼は毎日をぜいたくに遊び暮らしていたとあるだけだ。裕福ならそれ相応に楽しんで暮らすことは何ら罪悪ではない。彼もその一族もラザロが門前にへたりこんでいることを気にせず、彼を罵ったり、唾を吐きかけたり、足蹴にしたり、追い払ったりというような行為はしなかったようだ。彼らは彼に何もしていない。では、何が悪かったのだろうか?その何もしなかったこと、それこそがまさに罪だったのだ。
 教会は、罪には思いによる罪、言葉で犯す罪、行動で犯す罪、そして怠りの罪があることを教える。前の三つは積極的に「何かをする罪」だ。しかし、最後の一つは消極的で「何もしない」罪なのだ。見て見ぬふり、聞いても聞こえぬふり、やればできるのに善いことを何もしない場合がそれに当たる。それは多くの人が日常的に陥りやすく、しかもそれが罪だとは自覚しにくい罪なのだ。譬えの金持ちはまさにそれに該当した。
 彼は残飯を召使に運ばせてラザロに恵むこともできた。できもので汚れた弊衣の代わりに、古着をあげることもできた。たとえ家に入れなくても、日差しを避けさせるため庭の木陰に招くこともできた。でもそうはしなかった。マタイ25章42-46節にある王の言葉がまさに当てはまる。彼らにとって貧しいラザロは眼中になく、存在しないに等しかった。だから何もしなかった。その無関心が最大の罪だったのだ。聖マザーテレサは、「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」と言ったが、金持ちの罪はそこにあった。

 ところで始めの方に、「旧約時代には答えが出なかった、ヨブの深刻な問いに対する答えでもあり」と書いたが、この譬えはヨブの不幸と友人たちに投げかけた疑問を連想させる。ヨブ記は旧約の宗教文学だが、義人で富者だったヨブは災禍で全財産を失い、貧窮に陥った。体はラザロのように腫物だらけになり、家族からも見放された。そして、慰めにやって来た3人の友人は、ヨブが人にはわからない何らかの罪を犯したから、神の罰を受けて不幸になったのだと言って、悔い改めを勧めた。
 旧約の人たちは神が正しい人を恵み、悪人を罰するという応報説を信じていた。従って、富と幸福は神に祝福されている証し、逆に貧困と不幸は罪の罰を受けている証拠と考えていた。友人たちはその思想に沿って話したのだった。しかし、ヨブはそれに激しく反論し、いやそれは違う。私は罪など犯していない。それなのに苦悩に襲われ、不幸になったのだ。なぜだ?それに世の中には、正しいのに不幸で苦しむ人は大勢いるし、悪人なのに罰されずに富んで権勢を振るっている者もいる。もし神様が善人を恵んで幸福にし、悪人を罰して不幸にするというのなら、現実と違うではないか。
 ヨブは必死にその矛盾を突き、冒涜すれすれの言葉で神様にも食ってかかった。しかし、悪人が幸せに生き、正しい人が不幸であるのはおかしい。なぜ神様はそんな不条理を許しておくのか、という彼の疑問は解けなかった。旧約の本流は死後の命を教えていなかったからだ。だからヨブ記は神様が試練に耐えたヨブを、再び富と幸福で恵むことで幕を閉じるしかなかった。しかし、金持ちの譬えはヨブの「なぜだ」と叫んだ疑問に、決定的な解決をもたらしてくれたのだ。なぜならイエス様がヨブにそっくりな譬えのラザロを通して、人の命は死で終わらず、死後に生前の判定があることをはっきり教えてくださったからだ。
 この世で善を行って幸せに生き、死後も神の国で永遠の幸せを味わう人もいるだろう。しかし、死後逆転することもありうる。その判定はこの世をいかに生きたかによる。地上での不幸や貧困は罪の罰ではない。むしろ不幸や貧困にもめげずに正しく生き抜いた人には、死後に豊かな恵みの報いがあるのだ。それとは反対に、地上での富や幸運は必ずしも神様の恵や祝福の証しではない。むしろ富や権力をいいことに善を行わずに生きるならば、死後には逆転の運命が待つ。この譬えとヨブの試練からは、そういうより重大なメッセージが読み取れるのだ。

 譬えの金持ちは、自分の現状が今も未来も永劫にもう変更不可能だと悟ると、今度は兄弟5人のために一つのお願いをした。その会話が面白い。彼はアブラハムに言った。「父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください」と。ところが、アブラハムは「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」と答えた。
 その通り、旧約時代には神様の意思はモーセと預言者によって示されていた。彼らの教えを実践していれば、ラザロが知らせに行かなくても、永劫の罰の場所に落とされることはなかった。では、モーセの教えとは何かといえば、それは律法の書にあった。イエス様もこれが一番重要な掟だと言われたように、まず心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神である主を愛すること(申6:4、マタイ22:37)、次は隣人を自分のようにあいすること(レビ19:18、マタイ22:39)。そこに律法の神髄はあった。
 これは旧約でも新約でも同じで、神様と隣人を愛しない者は、どんなに富んでいようと、どんなに学識があろうと、どんなに美しかろうと、神の国には行けない。逆に信仰は素朴でも、神様と隣人を愛する者は神の祝宴に招かれる。ところが、譬えの金持ちと兄弟たちはモーセの律法を知っていながら、その一番肝心な掟をどこかに置き去りにして、マンモンを神としていた。ここには、愛を実践するならば、誰もが神の国に行けるというメッセージがある。モーセや預言者に耳を傾けるなら、それがわかるわけだから、アブラハムは彼の願いに取り合わなかった。

 ところが金持ちはねばって言った。「いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう」と。だが、アブラハムはそんな理屈にはごまかされず、「もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」と彼は答えた。これは見事な回答だと思う。
 なぜなら、たとえラザロが死者の中から遣わされても、金持ちの兄弟たちはその伝言に耳を傾けはしなかったに違いないからだ。モーセや預言者の言うことさえ信じない者たちだった。生前は眼中にもなかった乞食が生き返って来て、死後のことを伝えたとしても、信じるわけがなかっただろう。何よりも、彼らはラザロが死者の中から来たということ自体を、「ありえない。嘘だ。こいつは狂っている」と、信じなかっただろう。死から戻ったこと自体を信じなければ、その人の言うことを信じるわけがない。
 ところで、アブラハムの答えは、理屈だけなら水掛け論になるかもしれないが、事実がそのくつがえし難い真実を証明している。実はここには、イエス様のご復活が暗示されている。「死んだ者の中からだれかが」とは、ラザロよりもイエス様のことと考えた方がいい。では、主が死から甦って来られたら、すべての人は主の証言を信じただろうか?いや、誰もが知っているように、信じなかった。むしろ反対に、多くの人はイエス様が父のもとで見たことを語り、永遠の命について話されても信じなかったのだ。それは主のご復活後のユダヤ人指導者をはじめ、今日の世界に至るまで変わらない。
 私はここにこの譬えの最も重要なメッセージがあると思う。モーセや預言者に耳を傾けないなら、その人は神の独り子が父のもとから来て、十字架の死から復活し、神の国のことを告げても信じないだろう。逆にモーセや預言者に学ぶものは、死から甦ったイエス様の教えをより確固と信じることができる。だから、イエス様はエマオへの道で二人の弟子たちに、「ああ、物わかりが悪く、心が鈍く、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち」(ルカ24;25)と嘆かれ、「モーセと預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」のだった。

 さて、先週から今週にかけて、パソコンが約一週間使えなくなり、使えるようになった途端、今度は優先順位の高い仕事が押し寄せてきた。その結果、このコラムはどんどん後回しになって、いつもと違い、とうとう一週間遅れになった。でも、とても重要な福音書の個所だったから、スキップしたくなかったので何とか書いた。おかげで疲れた。次週は超軽く行きたい。


プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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