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ひげまん

 年間第22主日の聖書はシラ3;17-18,20,28-29、ヘブライ12;18-19,22-24a、ルカ14;1,7-14だ。シラ書は謙遜について語り、ヘブライ書はキリスト者が招かれた集いがどんなものかを教える。そして、ルカによる福音書は、招待を受けたとき、謙遜な心で席を選ぶべきであり、逆に宴会などにはお返しのできない人たちを招くようにという、イエス様の教えを伝えている。シラ書のテーマはこの福音の前半に、ヘブライ書はどちらかと言えば福音の後半に関連していると言えよう。

 シラ書3;18にはこう書かれている。「偉くなればなるほど、自らへりくだれ。そうすれば、主は喜んで受け入れてくださる」と。日本の諺「実るほど頭の下がる稲穂かな」に相当する教えだ。少しばかり学問を修めたと思っている私などには、耳が痛い言葉だ。それはルカによる福音の婚宴の譬えとつながり、真の謙遜とは何か、現実にはいかに生きることが謙遜なのかを考えさせる。しかし、その前に私はシラ書に興味を感じてしまった。考察は他人のためではないし、横道にそれて道草を食うのは楽しいから、自分の興味を最優先させて、まずはこの書をちょっと見ておこうと思う。

 シラ書はあまり読まれない一巻だと思う。旧約聖書には律法の書、預言書、諸書があるが、諸書の中には歴史物語、詩、宗教文学、知恵文集などが含まれる。シラ書はこの知恵文集の一つで、イスラエル人の正統的信仰の生き方を説いた、いわば道徳的な色合いの強い一書だ。それが敬遠されがちな理由の一つかも知れない。しかし、読まれることが少ない一番の理由は、ユダヤ教では正典とされておらず、キリスト教会でも第二正典でしかないことにあるのではなかろうか。
 ユダヤ教のマソレット聖書では正典として認められていないから、収録されていない。その理由は単純ではないはずだが、一つはヘブライ語で書かれておらず、現存の原典がギリシャ語だからだろう。しかしギリシャ語の70人訳はシラ書を収録した。だから、カトリック教会は旧約聖書の第二正典として認めてきた。それには背景がある。初代教会は古代地中海世界に広まったが、そこはコイネというギリシャ語が普及していた世界で、キリスト信者はギリシャ語を話す人たちが大多数になっていった。ラテン語がローマカトリック教会の公用語になるのはもっとずっと後だ。従って、旧約聖書は70人訳を使った。大多数の信者には、ヘブライ語の聖書はもう読もうとしても読めない書物になっていた。そういうわけで、キリスト教ではギリシャ語が主流となり、シラ書は旧約聖書の第二正典として認められてきたのだ。
 序文を読むとなかなか面白い。これを書いた人は、この書の著者がベン・シラ・イエススで、自分はその孫だと言う。そして、自分は祖父が書いたものを苦辛してヘブライ語から訳したと述懐している。これを読むと、原典はもともとヘブライ語で書かれていたことがわかる。それは失われてしまったが、1806年にヘブライ語の写本の一部が発見され、その事実は証明された。書かれたのは西暦紀元前190年頃で、ユダヤがギリシャ化の危機にあった時代だ。それがわかると、シラ書がイスラエルの伝統を守ろうとして、ペンを持って戦った書であることもわかる。
 ベン・シラの孫はエジプトにいて、紀元前140年頃、祖父の書を訳した。エジプトは当時ギリシャ語圏で、70人訳もそこで成った。そこに居住していたユダヤ人たちがもうヘブライ語を読めなくなっていたからだ。だから彼も祖父の書をギリシャ語に訳したのだった。そしてそれは70人訳に収録された。そのために書名は「ベン・シラ・イエススの知恵」とか、短く「シラ書」と言われ、「集会の書」とも呼ばれる。51章に及ぶ大作だ。彼が苦労して訳した「この書物を、精読してほしい」という気持ちがわかる。
 彼は「懸命に努力したのであるが、上手に翻訳されていない語句もあると思われるので、そのような個所についてはどうかお許し願いたい。というのは、元来ヘブライ語で書かれているものを、他の言語に翻訳すると、それと同じ意味合いをもたなくなってしまうからである。…いったん翻訳されると、原著に表現されているものと少なからず相違してくるのである」(シラ1;18-26)と言っている。イタリア語ではTraductore traditore (翻訳者は裏切り者)と言うそうだが、翻訳の苦労や難問がこんな昔にもうあったのだと思うと、「神のみ言葉」というより「人の言葉」として親近感がわく。教会では今新しい聖書の訳を検討中と聞く。シラの書の序文は励ましのメッセージになる。

 さて、本題に戻ろう。ルカ14;1はこう伝える。
 「安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた」と。
 イエス様はある議員の家に入られた。主は招かれたから入られたのだろうし、議員の方は招いたのだから、主に好意的な人物だったと思われる。議員とはその地の有力者でもあった。だから、他の人々もかなり来ていたはずだ。しかし、その中にはイエス様に反感を持っているファリサイ人たちも混じっていたに違いない。「様子をうかがっていた」という表現は、友好的な人から敵意のある人まで、温度差がさまざまな人々の雰囲気を描写している。

 主はその食事の席で、客が上席を選ぶ様子に気付かれた。それで一つの譬えを話された。
 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかも知れない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ14;711)と。
 ここで主が教えようとなさったのは明らかに謙遜の心であって、恥をかかないための処世訓ではない。恥とか面目とかの受け止め方は当時のイスラエルでも、イエス様のこの譬えで日本のそれと似ていたことがわかるが、イエス様はそれを良いとか悪いとか評価なさったのではない。現にある常識やものの受け止め方を利用して、謙遜に考え、謙遜に行動すること、特に神様の前ではそうであるべきことをお教えになったのだ。
 そのように教えられたのだから、イエス様は上席にはお座りになっていなかったはずだ。そう言われる前に、主は安息日にもかかわらず水腫の人を治癒なさっていた。これはむしろ、イエス様の一挙手一投足、一言一句にも非難の口実を見つけようとうかがっていた人々への挑発に近かった。「自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」という問いに、彼らは答えられずにいた。だから、おそらく主も彼らもまだ立ったままだったのだろう。
 「まあまあ、席にお着きください」と招待主にとりなされて、ある者たちが席に着き始めたのだと思う。だが、みんなが上席を選ぼうとしていた。それで主はこの譬えをもって謙虚の徳を教えられたのだ。特にそれは神様の前に必要だった。ところが、ファリサイ人たちは自分たちは偉い、神様の前にも自慢できると思っていた。その好例が「ファリサイ人と徴税人の譬え」(ルカ18;9seq.)だ。徴税人は「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と胸を打って祈るが、ファリサイ人は自分の生き様、行いを誇り、この徴税人のような者ではないことを感謝しますと、神様に自分を誇ってみせる。まさに高慢だった。この譬えの後でもイエス様は「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と言われた。
 食事の席に招いたのがファリサイ派の議員だったから、招かれた人たちもきっと同派の人々が多かったのだろう。だからイエス様は彼らの高慢をたしなめ、そこにいた弟子たちや一般の人たちにはそれを真似るなと、この譬えで謙遜をお教えになったのだ。神様の前に謙遜であることの必要性は、ルカの福音書が強調する特徴の一つだ。聖母マリア様もマグニフィカットの中で、「思い上がる者を打ち散らし、…身分の低い者を高く上げ」と、神様のなさり方を喜び称えられた。

 しかし間違えてはいけないと思う。主が教えられたのは真の謙遜だ。がって、B神父様から「日本人はひげまんですね」と言われて、大学生だった私たちは「えっ?! ひげまんって何?」と、顔を見合わせて、目を白黒させたことがあった。何のことでそう言われたのかは忘れたが、要するに日本人は、「いいえ、私なんてとても…」と謙遜しながら、実際は「いや、あなたはすごい。ご立派ですよ」褒められることを期待しての偽謙遜なのだと、B神父は言いたかったのだった。
 後で辞書を調べたら、なるほど「卑下慢」という熟語があって、「卑下も自慢のうち」という慣用句があると書いてあった。「おい、卑下慢って日本語にあったんだよなぁ。知らなかった」と、皆で笑い、なぜB神父様がそれを知ったかを探索したところ、日本語のK先生の入れ知恵だとわかった。ことわざ辞典・成語林はそれを、「自慢したい気持ちを態度にあらわさず、表面はいかにも謙遜したふうによそおい、実は人をうらやましがらせることを意識しながら話すさま」と定義している。
 こんな卑下慢、つまり偽謙遜ならない方がいい。日本では今は結婚式の披露宴では席が決っていて、名前が書いてあるから、上席選びなどということは起こらない。しかし、教会では普通は席が決っていないから、前の方が上席だと思ってだろうが、そこを避けて数席以後に座りたがる。その結果、しばしば前の方の席ががら空きになることが起こる。でも、これは気が引けるからとか、謙遜ではないと思われたくないからとかの心理からで、真の謙遜でも何でもない。むしろ一つの卑下慢ではなかろうか。
 そんなことで文字通りイエス様の謙遜の勧めを実行したつもりになると、後半の席ばかりが詰まっていき、後から来た人は席がすぐ見つからなくて迷惑する。そんな表面的な謙遜の真似事はやめた方がいい。コンサートの自由席であえて条件の悪い席を選ぶ人がいるだろうか?もし選ぶ人がいたら謙遜とは見られず、その人はバカだと言われるだろう。コンサートは良い音楽を聞くのが目的だからだ。教会でも席は自由だから、ミサ等に自分が参加しやすい席が一番良い。前の方に座ることは謙遜に反することでも何でもなく、目的に適ったまともな行動だと考えるべきだろう。

 ルカの福音書はイエス様が、次のように話しを続けられたことを伝える。
 「昼食や夕食の会を催すときは、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸だ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
 これは譬えではない。具体的で実際上の勧めだ。そして、食事の席にいた皆にではなく、今度は招待してくれた主人に話されたことだ。前後の文脈からすると、食事の最中にお話になったようだ。しかし、招待してもらいながら、招いてくれた人にそんなことを言ったとは、失礼だったのではないだろうか?普通なら気分を害したはずだ。では、その主人はイエス様のお言葉にどんな反応を示したのだろうか?それにしても、なぜ主はあえてそんなことを言われたのだろうか?
 ルカはその疑問の答えになることを書いていないから、想像するしかないのだが、一つには、招かれた人たちはほとんどがその地域の金持ちとか名士などで、貧乏人や身分の卑しい人たちは外から羨ましそうに食事会を覗いていたのだろう。イエス様はそれをご覧になったからではないだろうか。もう一つの理由は、招待した人が主に好意的で、福音を受け入れる心ができていて、少し苦いことを言われても臍を曲げる人ではない、理解できる人だと見込んだからではなかろうか。だから、神の国に通じるもっとよい招待の秘訣をお教えになったのだと思う。
 もちろん、彼が主の見込んだほどの人物ではなく、せっかく招待してやったのに恥をかかされたと心中憤慨して、根に持った可能性はある。しかし、私は好意的に解釈して、彼が主のアドバイスを受け、あぁそうなのか、そういう発想はしたこともなかった。だが、言われて見ればもっともだ。これからはそう心がけようと、肯定的に理解したと思いたい。イエス様に反感を持つファリサイ人たちが多い中で、あえて主を食事に招待したほどの人だから、そう見てやってもおかしくはないと思う。

 しかし、もう一つ疑問が残る。「友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない」というのは、禁止だろうかそれとも、招待しない方がいいという勧告だろうか?という問題だ。私は再来週、発起人として親しい人たちと会食する予定がある。もしそういう会食はやめるべきだと禁止されたのなら、私たちがそれを行なうことは、主の教えに背くことになるだろう。しかし、勧告なら、そういう人たちとの会食もいいが、できるだけ貧しい人たち等も招きなさいという解釈になる。
 バルバロ訳も「招んではいけない」と禁止命令的に聞こえる。しかし、聖書協会訳は「呼ばぬがよい」だ。これだと推奨で、禁止ではない。英語は “Do not invite”(招くな)で、“Do not have to invite”(招いてはならない)ではなく、仏訳も “Ne convie pas”(招くな)で、“Il ne faut pas convier”(招いてはならない)ではない。原典のギリシャ語も “Meh phonei”(招くな)だ。これらから見ると、禁止ではあるが、強制的な禁止ではなく、勧告的な禁止だと言えよう。しかし「呼ばぬがよい」よりは強いと思う。
 イエス様は他のファリサイ人にも食事に招かれたことがあった。また、カナでは婚礼の席に招かれて奇跡もなさった。しかし、その時のホストに友人や親戚や有名人たちではなく、貧乏人や社会的弱者を招きなさい、と彼らの招待者人選に異を唱えられてはおられず、その招待を受けておられる。それから考えると、そういう招待はよくない、やめよと禁止なさったのだとは思えない。だから、常識的には「呼ばぬがよい」の訳が妥当だろう。
 主を招待したそのファリサイ派の議員に、そしてひいては私たちすべてに、主がわからせたかったことは、お返しできるような人たちを招く食事会などはよくないということではなく、お返しのできない人たちに目を向けなさい。自分達だけ楽しんでいてはいけない。彼らを心にかけるならば、天の父はそれをご覧になっておられる。そして、彼らに代わって復活の時に、お返しとして報いてくださる。だから、あなたがたは幸だと明かしてくださったのだ。
 食事に招くことが重要なのではない。それはたまたま食事の席だったから例に挙げられたに過ぎず、その心は「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」(マタイ25;35-36)と同じなのだ。だから、「わたしが見下されて誰からも招かれなかったときに招いてくれた」とも追加できよう。要は「お返しのできない人たち」と人並みにつきあい、彼らを大切にすることにある。そして、その手本はすでに神様がお示しになった。なぜなら、貧しい人、悲しむ人、迫害されている人は幸いだ。天の国はその人のものであると、そういう人たちを神の国に招いてくださるからだ。
 それにくらべ、その福音を伝えるべき教会はどうだろうか?貧者、病者、障害者、ホームレスなどの社会的弱者とかかわっている人もたくさんいる。が、その半面、今日の都会の教会は貧しい人や社会的身分の低い人が、いささかお呼びではない場所になっていないだろうか。片や私は、シエラレオネの子たちの給食援助をしている人たちをたくさん知っているが、これも主の勧めに従った一つの形だと思う。日本とシエラレオネは地球の裏表ほど離れているが、「お返しのできない人たち」を招けと言われた主のお勧めは、そこですでに27年間実践されてきた。ただし彼らは招き主ではなく、会食の下働きのようだ。黙々と支援を続けている彼らに、深い敬意を覚える。
 
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狭い戸口と閉まった戸

 年間第22主日の福音はルカ13;22-30だ。ここでルカは9章51で書いたイエス様のエルサレムに上る決意を思い出させ、「イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた」と、一行がなおもその途上にあることを確認する。しかし、それに続くイエス様の戸のたとえは、必ずしもその途上で話されたと受け止める必要はない。そこで話されたのかも知れないし、そうでなかったかも知れないからだ。繰り返すが、エルサレムへの道は、ルカにとっては主の教えを存分に語る場に他ならなかったのだ。
 だとすれば、ある人がイエス様にその途上で質問したかどうかもあまり重要ではないと言える。しかし、その人の質問内容は重要な事柄だった。その人は尋ねた。「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と。この人が救いというものをどう理解していたかはさておき、彼がそれをまじめに考えていたことは確かだった。しかし、その雰囲気は心配げで、「救われる者は少ないのでしょうか?」という言葉遣いは、ネガティブな印象を与える。
 イエス様は彼に、「そうだ、救われる者は少ない」とも、「いや、少なくはない」とも答えられず、むしろ一同に向かって戸の喩えをお話しになった。きっと、これはその人だけではなく、皆にも話しておいてよい問題だと思われたからに違いない。戸の喩えはつながってはいるが、それが誰に向けて語られたメッセージだったかを考えると、2つの喩えとして見る方がいいと思う。一つは短い「狭い戸口」の喩え、もう一つは「閉まった戸」の喩えだ。

 一つ目の喩えでは、「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」と言われた。主は一同の中にいた弟子たちを念頭に、これをお話になったのではなかろか。狭い戸口の先には神の国がある。そこが救われた者の居場所だが、「入れない人が多い」とは、救われる人は少ないということになる。少なくともここでは、すべてが救われるとは言われていないことは確かだ。でも、狭い戸口から入れば救われる。だから、そこから入るように努力しなさい、と主は励ましてくださったのだ。その視線の先には弟子たちがいた。そして今は私たちがいる。
 実はマタイ7;13-14にも、「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も狭いことか」という似た喩えがある。ルカでは「狭い戸口」だが、ここでは「狭い門」だ。少々違う。主は時には「門」、時には「戸口」という喩えを使ってお教えになったのだろう。そう考えれば、どちらが正しいのかなどという疑問は解消する。言葉は違っても言わんとすることは同じで、それは安易に救われると思ってはならないというメッセージだ。
 しかし、狭い戸口は「入ろうとしても入れない人が多いのだ」とある。これはどういう意味だろうか?「入ろうとすれば入れるのに、入らない人が多い」と言うのならわかる。それは自分から入らないのだから、入らないのはその人の自己責任だ。しかし、「入ろうとしても」とは、入りたい意志も願望もある証拠だ。それなのに入れないのは、なぜか?それは自分が入らないのではなく、入りたくても、何らかの理由で入れないことを意味する。戸口が狭いのに、入ろうとする人が多すぎて、はじき出されるからだろうか?それとも太り過ぎているからだろうか?その答えは次の「閉まった戸」の喩えにあると思う。

 イエス様は続けて話された。
 「家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『ご主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言い出すだろう。しかし、主人は『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする」と。
 ここでは狭い戸とは言われていないが、譬の前提は狭い戸と考えていいだろう。しかし、この二つ目の戸の譬ではその狭さ広さは問題ではなく、そこを通って入るタイミングが問題になっている。主人が戸を閉めてしまってからでは遅い。もう2度と開けてはもらえない。閉まってからでは、まさに文字通り「しまった!」になる。遅れた人は「ご主人様、開けてください」と言うのだから、入りたい意思と願望はある。この点では狭い戸口の場合と同じだ。
 しかし、主人は「お前たちがどこの者か知らない」とにべもない。そこで、入れてもらいたい者たちは「一緒に食べたり飲んだりし、広場で教えも聞きました」と、浅からぬご縁があったことを並べ立て、情に訴えて何とか開けてもらおうとする。だが、主人は拒絶する。「お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ」と。これはマタイ25;1-13の「十人のおとめのたとえ」とも共通点があり、譬を通して終末の裁きを語っているのだが、その「不義を行う者ども」という言葉に「狭い戸口」から入れない人たちへの答えがある。
 入ろうとしても狭い戸口から入れないのは、人が多くて混み合うからではない。それに比べ、スリムではないからという理由は当たっていると言ってよかろう。欲張って両手に物を持ち過ぎれば、狭い戸口は通れない。同様に、魂が貪欲や傲慢で肥満化していれば、救いへの狭い戸口はくぐれないからだ。主はそれを「不義を行う者ども」の一言で表現なさった。戸がまだ閉まっていなくても、「不義を行う者」であるならば、狭い戸口からは入ろうとしても入れないということだ。
 それは見えない神秘的な力に押し戻されて、ストップを食うようものだ。あるいはパスポート不所持者が入国拒否にあうのにも似ている。救いの「狭い戸口」から入れないのは、魂が神の国への入国条件を満たしていないからだ。ならば、それを満たした者にならないといけない。それが「狭い戸口から入るように努めなさい」というメッセージなのだと思う。そこではまだやり直しがきく。
 ところがそういう努力もしないまま、人生の終わりまたは世の終わりを迎えてしまえば、そういう人が直面するのは「狭い戸口」ではなく、「閉まった戸」の問題となるのだ。狭い戸口と違って、この場合はもはややり直しがきかない。時すでに遅く、まさに「外に投げ出され、泣きわめいて歯ぎしりする」ことになる。だから恵みの時を見誤るな。それが「閉まった戸」の喩えのメッセージだと思う。

 ところで、狭い戸口の譬を読むと、一つの疑問が湧かないだろうか。入ろうとしても入れない人が多いとは、救われない人がけっこういるということに他ならない。しかし、神様が御独り子を遣わされたのは、すべての人の救いを願われたからだったはずだ。それなのにこの譬では、主は救われない人が多いことを容認なさっておられるように思える。すべての人を救いたい神様の願いと、救われない人が多い事実との間にはギャップがある。主はすべての人の救いは無理だと諦めておられたのだろうか?
 この疑問には、聖母の騎士誌2010年9月号にあるペトロ・メネシェギ神父様の「神はどういうお方ですか」という記事がたいへん参考になる。同師によれば、聖書には永遠の命に入る人と滅びに入る人の二つの結末がしばしば出てくる。その場合、イエス様は救われるように努めなさいと人々を励まされる。他方、聖書の中には「パンタ」という言葉もたびたび出てくる。このギリシャ語は「すべてのもの」「すべての人」という意味だ。「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ12;32)というお言葉はその一例だ。
 このお言葉にはすべての人を救いたいという主のご意思と願いがある。それにもかかわらず、滅びる人が出てしまうのも事実で、狭い戸口の譬はまさにそのケースに他ならない。ではそれをどう考えたらいいかというと、メネシェギ師はこう言う。(すべての人の救いが神様のご意志であることは)「非常に明るい見通しなのです。すべての人間が確かに救われるということを、主張することはできませんが、それを、希望することは許されるでしょう」と。
 つまり、救われない人がいるという事実は否定できないが、それでも私たちは多くの人、いや、すべての人の救いを望んでいいと言うことなのだ。なぜか?なぜなら、救われない人がいるとしても、それが誰かを知るのは神様だけで、人間はそれを知るよしもなく、逆に私たちが知っているのは神様が慈しみ深い方で、人の滅びを望んではいないという真理だからだ。イエス様が「入れない人が多い」と言われたのは諦められたのではなく、そういう残念な事態を避けさせるためで、願いはあくまでも「すべての人を自分のもとへ引き寄せる」ことにあったのだ。

 閉まった戸の喩えでは次のような疑問が湧くかも知れない。イエス様はかつて「門を叩きなさい。そうすれば開かれる」(ルカ11;9)と教えてくださった。それなのにここでは、主人(神様)が戸を閉めてしまうと、遅れた人がどんなに「開けてください」と叩いても、もう開けられないと教えておられる。叩けば必ず開けてもらえると教えた主が、けっして開けられないと言われるのでは矛盾していないか、という疑問だ。
 答えは「矛盾はない」だと思う。なぜなら、叩けば開かれるとは生きている間の祈りの喩えで、それについてはすでに「ルカ版主の祈り考」で書いたが、信じて求めれば与えられる。叩けば確かに開かれる。つまり、神様は祈りに応えてくださる。しかし他方、閉まった戸の喩えは生きている間のことではなく、人生が終わった後または最後の審判の時の喩えで、やり直しは不可能だという意味だ。何事にも決着がある。人生も同じで、もうリセットの効かない「その時」は必ず来る。それが「閉まった戸」なのだ。

 「狭い戸口」も「閉まった戸」も全般的に厳しい印象を与えるが、前者は弟子たち向けだっただろうとすでに書いた。では、後者は誰に向かって話されたのだろうか?私にはこの喩えが弟子たちに対してよりは、「一同」の中に混じっていた、ファリサイ派の人たちを念頭に話されたように思えてならない。なかなか回心しない彼らに対してだったからこそ、主は「開けて下さい」と懇願する人々の狼狽ぶりを通して、恵みの時が終わってからでは遅く、神の国への戸が閉まるとはどんな事態かを、彼らに悟らせようとなさったのだと思う。
 彼らのある者はイエス様を食事に招いた。彼らは広場でよく教えも聞いた。もっとも教えを聞いたのは福音を実践するためというよりは、しばしば非難の口実を見つけるためだったが、聞くことは聞いた。だから喩えの主人が、「お前たちがどこの者か知らない」と突き放した後、「あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう」と言ったとき、彼らは思い当たるふしがあっただろう。
 ここにある「あなたがたは」という二人称複数は弟子たちを指しているとは思えない。彼らは「あなたがたの見ているものを見る目は幸だ」(ルカ10;23)とあるように、祝福された者たちだった。ところが、ここの「あなたがた」は神の国に入り損ない、「泣きわめいて歯ぎしりする」人たちだ。それはファリサイ人たちのような人々だったと見るのが妥当だろう。イエス様は、もしあなたがたが今のままならそうなりますよと、警告なさったのだ。
 「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出される」という一節もそれを裏付ける。これは異邦人や小さな人々には当てはまらない。ファリサイ人たちやイスラエルのエリートたちは、自分たちがアブラハムの立派な子孫であると自負し、律法を守っていさえすれば、神の救いは自分たちに自動的に与えられると思い込んでいた。
 だから、かつて洗礼者ヨハネは彼らに対して、「『我々の父はアブラハムだ』などという考えは起こすな」(ルカ3;8)と厳しく言った。そして、イエス様はある日の議論で、「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった」(ヨハネ8;39)と言われたのだった。
 主がアブラハム、イサク、ヤコブや預言者たちと「あなたがた」を対照的に話されたのは、まさにファリサイ人たちに対してだったからだ。アブラハムは義人だったが、あなたがたもそうか?むしろもし「不義を行う者」なら、あなたがたは神の国には入れない。アブラハムの子孫であるというだけでは何にもならないのだ。わたしと一緒に飲食し、わたしの教えを聞いても、それだけでは何にもならない。神の国には、福音を生きてこそ入れてもらえる。主は彼らにそう教えてわからせようとなさったのだと思う。

 しかし、これは旧約の神の民だけに言われたのではなく、新約の神の民にも当てはまると考えるべきだろう。「ご主人様、開けてください」と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』と」と言われ、そのとき、「あなたがたは『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言い出すだろう」というくだりは、「主よ、私は洗礼を受けたキリスト信者で、毎週ミサで説教を聞き、ご聖体も頂いていました」と言い換えることができる。信者であることがただの習慣に堕していたなら、私たちもファリサイ人と同じになる。自分もそういう慢心におちいっていないか、もって自戒しなければなるまい。

メボレケット アト バナシーム (あなたは女の中で祝福された方)

聖母マリアのエリサベト訪問
  「あなたは女の中で祝福された方!」

 またまた超多忙な一週間を過ごし、主日の前に聖書のブログを書くこともかなわなかった。従って、当日になってしまったが、何もしないよりはまし。少々書いてみる。
 教会は年間第21主日の代りに、今年は今日、聖母の被昇天を祝う。ちょっとした感想だが、聖母マリア様の大きな祝日は、不思議と日本の大きな国家的節目と重なっていると思う。一つは12月8日の無原罪の祝日。これは太平洋戦争が始まった日だ。そして、8月15日の被昇天の祝日。これは日本が負けた戦争終結記念日だ。この二つは私にとっても節目の日だった。12月8日は受洗して、新しい人に生まれ変わった日。8月15日の敗戦は日本社会を振り出しに戻させ、貧乏農家の3男にチャンスと希望をくれた日だったからだ。
 ところで、聖母被昇天の祝日はマリア様の人生最後を語る祝日だ。それなのに、この日の福音はルカ1;39-56で、むしろ聖母の福音書デビューと言っていいくだりだ。なぜだろうか?被昇天を伝えるのは聖伝で、聖書はそれを語ってはいないからだろう。
 ルカ福音書のこの個所は、聖母が従姉妹エリサベトをユダの山地の町、アインカリムに訪ねたことを伝える。天使のお告げで従姉妹の懐胎も知ったマリアは、彼女を手助けしてやりたいと思ったのだろう。とは言え、ナザレトからは直線距離でも100キロ以上はある。1日30キロ歩いたとしても4日はかかっただろう。当時は人家が少なく、食べ物、飲み物、寝る場所を見つけるのさえ至難だったと思う。乙女の一人旅ではどんなに大変だったことだろうか。エリサベトが感激したのも無理はない。しかし、その感激は聖母が遠いガリラヤから来てくれたからだけではなかった。彼女は聖霊に満たされて、「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださったとは!」と言った。それが彼女を最も感動させた理由だったのだ。

 マリア様の挨拶を聞くと、エリサベトの胎内で子がおどった。すると彼女は声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています」と。実にこれこそ無数の人が祈り、何人もの音楽家が曲をつけたかの「アヴェマリア」の祈り、天使祝詞の大事な一部分になった言葉だった。この祈りの冒頭は、大天使ガブリエルがマリア様に聖霊による懐胎を伝えた時、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(ルカ1;28)と言った挨拶だ。エリサベトの挨拶はその後に続く。
 アヴェマリアとは、“Ave, Maria, gratia plena, Dominus tecum.”というラテン語の一句の出だしであり、エリサベトの言葉は“Benedicta tu inter mulieres, et benedictus fructus ventris tui.”(ヴルガタ訳)となる。この訳は公式のアヴェマリアの祈りとは少し違うが、いずれにせよ、それはラテン語訳に過ぎない。天使の言葉はギリシャ語だと、ローマ字で書けば、 “Kaire, kekaritomeneh, ho kurios meta sou.”だが、原典のギリシャ語といえども、聖母やエリサベトの話した言語ではなかった。特にエリサベトはユダヤ人で祭司の妻だったから、おそらく生粋のヘブライ語を話していたことだろう。 
 では天使とエリサベトは、本当はどんな風に言ったのだろうか?それに興味を覚えたのでヘブライ語訳福音書を読んでみた。エリサベトは声高らかにこう叫んだのだった。ローマ字で書くと、“Meboreket at ba-nashim, u-meborak ha-peri asher bu-bitneck..”だ。 ちなみに、天使のお告げアヴェマリアは、“Shalom lack, meleat hen. Adoneinu itack.” だ。もちろん天使の本来の言語はヘブライ語でもなく、何語でもなく、天国語のはずだろうが、天使とマリア様、エリサベトと聖母の間では、実際は上記のような言葉が交わされたに違いない。

 かつて、アヴェマリアの日本語の祈り前半は、「めでたし、聖寵満ち満てるマリア、主おんみと共にまします。おんみは女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う」だった。それが文語だったため、第二バチカン公会議後の典礼刷新で現代語訳に変わり、「恵みあふれる聖マリア、主はあなたと共におられます。主はあなたを選び祝福し、あなたの子イエスも祝福されました」となった。残念ながら、この祈祷文にはエリサベトの言葉が十分に反映されていない。
 そういう不満があるからか、ある人がカトリック新聞に、ラテン語のアヴェマリアのままでもいいのではないか。もう皆が知っているのだから、という意味の投書をしていた。気持ちはわかるが、私は反対だ。ラテン語は天使やエリサベトが使った言葉ではないし、それに日本人のラテン語はAve をAbe、gratia plenaをgurachia purenaなどと発音したりして、聞くにたえないからだ。生半可な知識と発音でやるならやめた方がいい。一番望ましいのは福音書の言葉を最大限尊重した、美しい日本語の天使祝詞の祈りができることだ。

 さて、エリサベトの挨拶に答えて、聖母マリアの口からは、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます・・・」と、長い賛美の言葉がほとばしり出た。これはラテン語でマグニフィカット(Magnificat)の賛歌と言われる。新約聖書の中で最も格調高く、美しい個所だ。そこには聖母マリアがご自分をどんな者とみなし、自分に起こったことをどう受け止めていたかという自覚と認識が見事に示され、神が小さな者たちにしてくださることへの感謝、そして先祖以来待ち望んできた救いが実現し始めたことへの感動が満ち溢れている。
 この言葉を逐一解説するのは野暮だと思う。詩は解説するものではなく、味わうものだが、このマグニフィカットも詩的な感動の賛歌だからだ。意味は読んで味わえばよい。しかし、もし論理的な考察をここに持ち込むとしたら、私はマグニフィカットの意味の説明ではなく、むしろルカがこの聖母の言葉をどうして知ったのか、という疑問の解決に割きたい。そこで、それを試みるために問う。いったいルカはいつどこで、聖母のエリサベト訪問とその時の会話を知り得たのであろうか?と。
 資料の根拠があるわけではなく、推理に過ぎないが、それはエフェソではなかったかと思うのだ。当時の地中海世界で、エフェソはかなり繁栄した都市だった。そこの教会は聖パウロが創始者だが、彼の殉教後そこの責任者になったのは使徒聖ヨハネだったと言われる。ところで、イエス様は十字架上から聖母マリアに、ヨハネのことを「あなたの子です」と言い、ヨハネには聖母のことを「あなたの母です」と言われた。ヨハネに聖母を託されたのだ。だとすれば、使徒ヨハネはエフェソに赴任したとき、聖母も伴って行ったに違いない。
 だから、私はルカがそこで聖母と会えたのだと思うのだ。では、それはいつ頃だったのだろうか?使徒言行録20章によると、ルカはパウロのお供をして、ギリシャの宣教からの帰りにミレトスでエフェソの長老たちと会う(徒20;17-38)が、エフェソには立ち寄っていない。パウロはローマで無罪放免となった後、65年にエフェソに一度行った(一テモ1;3)かも知れない。そして、AD67年に殉教した。ルカは彼のローマ収監中はいっしょだったから、エフェソに行ったとすれば、65年以後ではなかろうか。しかし、ルカの福音書が書かれた70年前後以後ではなかった。
 彼は聖母から救い主聖誕の神秘を聞き書きしたに違いない。洗礼者ヨハネの出生と一連のイエス様の幼少年期について、独自の記事を書き残したのはルカだけだ。ところで、これらを教えることができたのはマリア様しかいない。だから、聖母に会って教えてもらわないかぎり、それを知ることは誰にもできなかったはずだ。事実を調べて、主の福音を正しく伝えようとしたルカは、おそらく聖パウロの殉教後、エフェソに聖母マリア様を訪ねて、話しを聞いたのではないか。私はそう推察する。

 では、彼が伝えた聖母マリアの賛歌「マグニフィカット」は、正確に聖母が語られたままを書いたのだろうか?これには若干疑問が残る。聖母がこれほど正確に、乙女だった時の言葉を覚えておられただろうかという疑問ではない。強烈な記憶は何十年経っても忘れるものではないからだ。例えば日本の戦後は65年目だが、私は今も玉音放送の一部を覚えている。だから、マリア様が六十数年たった後も大天使の言葉やエリサベトの挨拶、そしてご自分が言われたマグニフィカットの賛歌を、全部鮮明に覚えておられたとしてもおかしくはない。忘れようにも忘れることができない、余りにも特別な出来事だったからだ。
 しかし、私にはルカのものの見方、感じ方による多少のアレンジがあるようにも思えるのだ。1章47-50節は聖母のお言葉そのものと見てよいだろう。しかし、51節-53節はルカの思想が色濃く反映されているのではないか。つまり、傲慢な者、権力者、富める者を引き下げ、謙虚な者、力の弱い者、飢えた者を引き上げる神様のなさり方を強調する語り口だ。それらが聖母の言葉ではなかったとは言はないが、そこには多分にルカの思想が窺える。それに対し54節-55節は、神の救いを待ち望んでいた聖母のお言葉そのもののように見えるのだ。

 ところで、ルカがエリサベトの挨拶やマグニフィカットの賛歌を知ったのは、エフェソで聖母に会えたからだとすれば、この日の聖書と聖母の被昇天はここでつながる。なぜなら、使徒ヨハネがそこの司教になり、そこが聖母の終の地になったと思われるからだ。事実そこには今も聖母の終の棲家が残されている。聖母は原罪の汚れがなくお生まれになった。だから罪の罰である死に服さず、神様の特別な計らいによって、天に上げられたと伝えられてきた。それが被昇天の教義だ。そして、エフェソはそれが実現した場所だったと推定される。
 教皇ピオ12世によって、1950年の聖年に聖母被昇天の教義が宣布された時、私はそれを藤沢市のカトリック片瀬教会で知った。洗礼を受けてまだ3年目の私は、内心、余計な事をしてくれたものだと思ったものだ。これでプロテスタントとの教会一致の障碍がまた一つ増えてしまった。それに、宣教もやりにくくなる。聖母が亡くならずに天に上げられたとは、未信者に説明しにくい教義だからだなどと、福音宣教の熱意に満ちていた若き日の私は、そう不満に思ってしまったのだ。
 しかし、今はそういう考え方はしない。主イエス・キリスト様が天に昇られたのなら、聖母マリア様が同じように天に上げられても、何らおかしいことはない。むしろ論理的な帰結だと言えよう。人が天になど昇らせていただけるものだろうか?そういう疑問を持つ人もいるだろう。その答えはお告げの時に大天使が聖母に話した一言で足りる。彼はこう言った。「神にはできないことは何一つない」(ルカ1;27)と。もしそう信じるなら、聖母の被昇天をあり得ないなどとは言わないだろう。
 そして、この教義がプロテスタントとの教会一致の妨げになるのではとか、そのせいで宣教がやりにくくなるのではないかとか懸念した、若き日の私は愚かだったこともわかる。なぜなら、「神にはできないことは何一つない」ことを信じないようなキリスト者なら、教会一致を望むにふさわしい相手ではないし、全能の神様と救いの福音を信じる見込みのある未信者でもないだろうからだ。教会の一致も主の福音への入信も、正当な教義を守りながらでなければ、軟弱な妥協となる。

 そうは言っても、現代人は主の御昇天の時と同様、聖母の被昇天のことでも一つの難問にぶつからないわけにはいくまい。主のご昇天の時は、天に上げられたと言うが、では主が宇宙の果てまで行かれたのか、それとも宇宙のどこかで止まられたのかという問題だった。なぜなら、昔の人の宇宙観と違って、現代人にとって丸い地球に上下はなく、宇宙は無限に近いほど広く広がっているからだ。この疑問はどう解決したらいいのだろうか?
 それにはこの自問自学シリーズNo.32「主のご昇天と宇宙」で得た答えを繰り返したい。私はそこで、その問いそのものが間違いだと思うと書いた。それは次のような意味からだった。イエス様の御昇天の場合だが、現代の宇宙観でそれを考えるのは、復活の主を私たち人間の四次元世界に置いていることに他ならない。しかし、復活の主は私たち人間とは違う、復活体であることを示された。例えば、戸が閉まっていたのに部屋に入って来られたことは、それを証明する一つの出来事だった。
 だとすれば、主の御昇天も私たちと同じ次元で考えてはいけないのだ、という結論だった。つまり、それがどういう次元かはわからないが、主の御昇天は私たちが生きている宇宙とは違う次元で行なわれたに違いないということだった。聖母の被昇天もそれに準じて考えればよいと思う。ただ、主のご昇天の時はある高度までは人々に見える姿で昇天された。雲が出て主を隠すという実にいい幕の引き方だったが、聖母の場合はどのように天に上げられたのかはわからない。
 でもわかっていることがある。神様は聖母を死に服させず、私たちが存在する次元とは違う次元にお移しになった、ということだ。つまり聖母の魂とお体を、私たちがいる4次元から、それと等質な世界のどこかに移されたのではなく、主が復活体で存在する神的世界にお移しになったのだと解釈できる。それは実現した。なぜなら「神にはできないことは何一つない」からだ。ちなみにそこが神の国なのだと思う。これが自答だ。

人間の業と希望

 今日は長崎に原爆が落とされてから65回目の日。多くのことが思い出され、多くのことが語られ、多くの問題が浮き彫りにされる日、人間の業の深さと希望をも考えさせる日だ。原爆で思い出す一言がある。「アッシジの聖フランシスコに預けた原子爆弾は、強盗が手に持つナイフより危なくない」と言った故フルトン・シーン枢機卿の言葉だ。
 人類を何百回も破滅させうるほどの核兵器を貯め込んでしまった国々は、今いかにしてそれを廃絶しようか、少なくともいくらかなりとも減らせるだろうかと模索している。強盗よりも邪悪な人間たちがナイフどころか、その悪魔的な威力のある武器を手に入れたらどうなるかと、その恐ろしさがわかってきたからだろう。人間はそれを悪魔的に使う可能性がある。いや、すでに2度使ってしまった。広島と長崎で。
 それを命じた故トルーマン米大統領は、アッシジの聖フランシスコのように安心して原爆を託せる人ではなかった。だから投下を命じた。自分は自覚していなかっただろうし、多くの米国人も思っていないだろうが、私から見れば彼はヒトラーと同列の、人道に反する大罪を犯した人物だった。では、今核兵器を保持している核保有国の首脳たちは、アッシジの聖者のように安心して原爆を託せる人物たちであろうか?否だと思う。彼らもトルーマンと五十歩百歩の人たちばかりだろう。 
 お互いが信じ合えないそういう現状では、どの核保有国が最初にこの悪魔の武器を捨てられるだろうか?総すくみだ。ましてや、アルカイダのようなテロリストがそれを手に入れたら、核による破滅の恐怖は現実になる。仮に全ての保有国が核兵器を廃絶したとしても、テロリストが入手したら、それこそ彼らだけが核兵器を持つという、最悪の事態になりうる。そうなれば凶悪な者たちが優位に立ち、人類を牛耳りかねない。だから核保有国は核を捨てられない。ここに人類の業の深さを見る。
 では、希望はないのか?ある。人類が、少なくとも今核兵器を託されている人々が、アッシジの聖フランシスコの心を心とすれば、核兵器をなくせる希望はある。しかし、全人類がアッシジの聖者のようになることは無理だ。理想ではあっても、現実にはあり得ない。ならば、少なくとも彼と同じイエス様の福音を信じる者が、そうなろうと先頭に立たなければなるまい。「平和を実現する人は幸である」のお言葉を信じて、滅ぼされてもかまわないぐらいの気概をもつことだ。核兵器で滅ぼされても、復活の希望があるなら人は強くなれる。そうありたいと思う。

目覚めてあれの意味

 年間第19主日の聖書は、知恵の書18;6-9、ヘブライ11;1-2,8-19、ルカ12;32-48だ。だが、このうち続く暑さにもかかわらず、運動ニュースの編集、印刷、発送、それに手を貸す運動HPの更新と、まったく時間の余裕がないから、今回も福音書だけを取り上げる。
 この主日の典礼は、なぜルカのこの個所をまとめて読ませようとするのだろうか?まずそんな疑問がわくのは、12章32節、33-34節、そして35-48節は、文章としては続いていても、資料的には三つが別々なものだからだ。にもかかわらず、典礼がそれを一緒によませるのは、内容的には一つにまとまめ得るものだからかも知れない。それを仮説と見なして各箇所を見ることにする。

 まずルカとマタイの共通点と相違点だが、ルカ12;33-34と12;35-48はマタイ6;19-21とマタイ24;45-51とほぼ共通の内容だ。つまりそれは両福音書に書いてあるということだ。しかし、書かれている文脈はまったく違う。ルカではエルサレムへの途上の訓戒として書かれているが、マタイでは6;19-21が山上の説教の一部分として書かれ、24;45-51が世の終わりについての訓戒として語られている。ところが、ルカ12;32の「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」という一節はルカの福音書にしかない。この事実からすると、それはルカだけが伝え聞いた資料だったと言えるだろう。
 しかし、資料的には別であっても、ルカ12;32と12;33-34とは内容的にはよくつながっている。「小さな群れよ、…」の1節は、その前に言われた「神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」というお言葉を受けて言われた。それは、地上的な食べ物や着る物さえくださる天の父が、あなたがたに神の国をくださらないわけがあろうか。いや、喜んでくださる。それは一番与えたいと思っておられるものだからだ、という意味だった。従ってこの上ない励ましのお言葉だったのだ。
 イエス様はこのとき、「小さな群れよ」と言われたが、それは旧約にある「残りの者」という言葉を連想させる。旧約の神の民イエスラエルは何度も神様に背き、懲らしめられて大部分が滅びた。しかしそんな中で、少数の人々だけは神様を信じて残った。それが救われる「残りの者」(イザヤ10;21-22)たちだったのだ。イエス様が「小さな群れよ」と言われたとき、おそらく主の念頭にはこの「残りの者」のイメージがあったのではなかろうか。
 そのとき主に従っていた人たちはかなりの人数だったとは言え、イスラエル全体の中ではやはり極度の少数派で、まさに「小さな群れ」だった。そして、ご受難の時はあえなく散り散りになった。しかし2000年後の今日、それは十数億の教会という大群になった。それでも小さな群れと言えるのだろうか?ある日、貧しい一信者さんから、「創価学会の人が『カトリック教会は世界で一番金持ちなんだよ』って言っていました。本当でしょうか?」と尋ねられたが、その言葉を思い出す。創価学会信者の悪意ある誇張だとは言え、あながちまったくの嘘でもない。形の上から見た現代の教会は「小さな群れ」ではなく、強大で豊かな組織だからだ。
 しかし、やはり「小さな群れ」だとも言える。日本の教会はまさにそうだからだ。それに、新約の神の民である教会全体でも、旧約の「残りの者」と同じように、心底から主の福音を信じている者はそれほど多くはないと思われるからだ。現代ではもはや「キリスト教国」など存在しない。カトリック人口と真の信者数とはイコールではないのだ。「多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マタイ24 ;12)従って、真に信じる者だけが新約の「残りの者」だが、それは多くはない。だから真の教会は、現代でも「小さな群れ」なのだ。


 次の段落、ルカ12;33-34の「自分の持ち物を売り払って施しなさい。…」は、先週の「富の生かし方」で述べたから、重複点は省略する。ただ、この個所は12;32の単なる続きではないことは知っていてよいと思う。12;22-32までは「思い悩むな」のテーマで、そこでイエス様が話されたのは何を食べ、何を着ようかとか、何を願おうかと悩まず、神の国を求めなさいということであった。つまり、人間が何かを得ようとする面の話だった。
 ところが、ルカ12;33-34は得るのとは逆で、差し出す方の話だ。「持ち物を売って」とは売った金を手放すことで、犠牲を払う一例だ。他の人にとっては「給料を割いて」、「貯金をおろして」という場合もある。「施しなさい」は善行の一例で、人に食べさせたり、病人を助けたりする善行もある。そして、それはこの世では損をするように見えるが、本当は「盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない」天に富を積むことなのだという教えだ。
 主はここで真の収支について話してくださったのだ。人は多くの物を得ようと欲するが、何と間違えた求め方をしていることか。まず神の国を求めなさい。そうすれば他の物はついてくる。天の父は人に必要なものをご存知だからだ。そして、得ることだけを考えず、むしろ富を手放しなさい。それで善を行ないなさい。そうすれば天に富を積むことになり、それこそが真の得になると教えてくださったのだ。これがこの個所のメッセージだと思う。
 主は「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ」と言われたが、その通りだと思う。金庫に全財産をしまっている人は、その金庫が大丈夫かと、心がいつもそこにあるだろう。ある銀行に全財産を預けている人は、その銀行が好調で潰れないようにと関心は常にそこにあるだろう。しかし、天に富を預ける人の関心は天にある。そして、心を天に向ける人は富も天に蓄える。

 ルカ12:35-48の個所はそこまでとはまったく別のテーマで、共同訳が「目を覚ましている僕」と名付けているように、要点は「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸だ。…あなたがたも用意していなさい」というお言葉にある。そして、その理由は「人の子は思いがけない時に来るからである」という一句にある。これはマタイ24;36-51と平行していて、世の終わりに主が再来なさるとき、たるんでいないようにとの警告だった。
 ところが、ペトロの質問が面白い。彼は「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか、それとも、みんなのためですか」と尋ねた。おそらく彼らにとってはわかりにくかったのだろう。彼の言う「わたしたち」とは弟子たちを指し、「みんな」とは聴衆一般をさす。つまり、主人が帰って来るのを待つ僕たちとは、私たち弟子のことですか、それともすべての人々のことですか、という質問だった。
 そこで主は一人の賢い管理人の譬を話された。これは明らかにペトロの質問に答えた譬だった。主人が帰って来るのを待つ僕たちは複数だが、こちらは一人だけだ。そこに意味がある。主人の帰りを待つ複数の僕たちは全人類を指し、その譬は世の終わりに対する心構えの教えだった。それに対して賢い管理人の譬は教会を託される弟子たちを指し、その譬は「小さな群れ」をいかによく管理するか(奉仕するか)の心構えを説いた訓戒で、教会の役職にある者たちが学ぶべきことなのだ。
 もう一つ興味深いなと思ったのは、主人の帰りを待つ僕たちの譬で、「主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」とある一句だ。ルカ17;7-9の譬ではこれとまったく正反対で、主人は畑から帰って来た僕に「食事の席に着きなさい」とは言わず、むしろ「腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ」と言う。イエス様はここでは当時の常識を譬に使われた。それが普通だったのだ。
 ところが、12章の主人の帰りを待つ僕たちの譬では逆で、主人が帯を締めて僕の給仕をするのだから驚きだ。それに気付いた当時の聴衆たちも驚いたのではなかろうか。なぜこの譬の主人はそれほど僕を大切にする人として語られたのだろうか?一つは主人が婚宴から帰ったのだからだろう。婚宴では主人はご馳走を食べただろうが、僕たちは食べずに待っていたからだ。思いやり深くて上下を気にしない主人なら、それもあり得たとは思う。
 しかし、もっと深い理由は、譬の主人が世の終わりに来られる人の子、つまりイエス様御自身の比喩だったからではなかろうか。この主人の破格の思いやり深さは、主が世の終わりに忠実であった人たちをどう扱ってくださるかの示唆だったのだ。常識的には、世の一般的な主人はそんなことはしない。だが救い主はそのようにしてくださる主人なのだ。そう解釈してよいと思う。事実、主はそれについて次のように話し、それを実践された。
 「上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。」(ルカ22;26-27)
 「(イエスは)御自分が神のもとに帰ろうとしていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それからたらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」(ヨハネ13;3-5)

 では、目を覚ましていなさい。あなたがたも用意していなさいとは、実際にはどうすることなのだろうか?目を覚ましていなさいと言われても、人は眠らなくてはならないから、世の終わりまで起きていられるわけがない。従って、目を覚ましていなさいとは比喩で、精神的に覚醒していなさいという意味であることは明らかだ。用意していなさいも同義語だと言えよう。だとすると、目覚めている、用意しているとは、精神的に眠ったに等しい怠慢に陥るな、ということに他ならない。
 では、精神的に眠ったに等しい怠慢に陥るとは何かと言うと、そこにルカ12;32-34の教えがつながるのだと思う。つまり、何を食べ、何を着るか、地上で何を得ようかとあくせく悩むのではなく、むしろ父が喜んで神の国をくださることを信じて御国の到来を望み、善を行なって富を天に積む。これが目を覚まして主の帰りを待つこと、腰に帯を締めて用意していることなのだと思う。安閑と無為に主を待つことではないのだ
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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