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従い方はいろいろある          

 2010年、年間第13主日のミサ第一朗読は列王記上19;16b-21、第二朗読はガラテヤ5;1,13-18、福音はルカ9;51-62だ。福音のこの個所は、前半の51-56節がサマリア人の村での出来事、後半の57-62節がイエス様への従い方を考えさせる3人の例について語る。ここは2007年にも、「サンデー3分間」で、「何ということを」という題名で取り上げた。しかし、その時は前半だけしか取り上げなかったので、今回は後半についても考察してみたい。

 まずこの記事の背景だが、ルカはそれをこう伝える。「イエスは天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。」イエス様一行はエルサレムに向かって歩き出していたのだ。これは注目していい変化だった。 
 それまではガリラヤ地方を回っておられた。回るとは同じ所を何度も通る円の動きで、その主目的は福音宣教だった。ところが、都エルサレムに向かった主目的は死と復活を遂げるためで、終点に向かう直線的な動きだった。ルカとは違い、ヨハネはイエス様がガリラヤとエルサレムを何往復かされたと書いているが、いずれにせよ最後のエルサレム行きがあったことは間違いない。そして、この日の福音が語るのはまさにそれについてなのだ。主は「決意を固められた」のだった。 
 当時、ガリラヤから出て都に向かうには3通りの道があった。ヨルダン川沿いの道、地中海沿いの道、サマリアの山地を通る道だ。この最後の道は一番近かった。だからイエス様一行は最初そこを通ろうとされたのだと思われる。しかし、それには問題があった。住民のサマリア人はユダヤ人たちと仲が悪かったからだ。イエス様たちはガリラヤ人だったが、サマリア人たちから見れば辺境のユダヤ人だった。そして、彼らはエルサレムに向かうユダヤ人に対して特に非友好的だったのだ。
 それは過去のいきさつがあったからだ。イスラエル民族はかつて南北の王国に分裂したが、当時の大国アッシリアは紀元前8世紀に北のイスラエル王国を滅ぼすと、イスラエル人の多くを他国に移し、そこに異民族を移住させた。サマリア人とは残ったイスラエル人とその移民との混血でできた子孫なのだ。他方、南のユダ王国も紀元前6世紀前半に滅びて、ユダヤ人たちはバビロニアに捕囚となった。しかし、50年後に帰国すると彼らは国を再建した。そこで、すでにモーセの律法を奉じていた隣国のサマリア人たちは、ユダヤ人たちと付き合おうとした。ところが、拒絶されたのだ。これが不仲の最初の原因だった。次は紀元前128年に、ハスモン王朝のヨハンナ・ヒルカヌスによるサマリアの聖地破壊があった。これが両民族の反目を決定的にした原因だった。

 案の定だった。ルカは村人の対応をこう書いている。「しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである」と。通行の妨害をしたのか、宿泊を断ったのか、何か他の嫌がらせをしたのかはわからないが、とにかく弟子たちにとっては相当不愉快なことがあったのだろう。短気で激しやすかったヤコブとヨハネ兄弟は腹に据えかねて、イエス様に言った。「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか?」と。
 二人は主の気持ちを忖度して言ったつもりだったのだろう。ところが、主は振り向くと彼らを叱責された。新共同訳は「戒められた」としているが、これでは弱いと思う。原典のEpetimesenは「厳しく叱った、怒鳴りつけた」の意味で、強く咎めたことを表している。多くの日本語訳も「お叱りになった」としている。ある訳本には、そこに「あなたたちは、自分がどんな精神にしたがっているのかを知らない。人の子は、魂を亡ぼすためではなく、救うために来たのだ」という1節を載せているものがある。例えば日本語訳では、バルバロ訳やラゲ訳はそうだ。
 これは現代聖書学では、おそらくマルキオン派異端が後に書き加えた挿入だろうと見られている。だから、新共同訳では削除されている。しかし、主がなぜ二人を厳しくお叱りになったのかを知る時の参考にはなると思う。なぜならその言葉通りで、主は人々を亡ぼすためにではなく、救うために来られ、この時はまさに受難と復活によってそれを実現するため、エルサレムに向かい始めておられたのだからだ。
 そういうわけで、実際は主が何と言って叱責されたのか、正真正銘の言葉は書き残されてはいない。しかし、主が二人を叱ったという事実は確かだ。それによって、「あなたがたは何ということを言うのだ!」という、憤りと嘆息混じりの主の声が行間から聞き取れるように感じる。その叱責には嘆息が混じっていただろうと思うわけは、最後の晩餐の時フィリッポに、「こんなに長い間いっしょにいるのに、わたしがわかっていないのか」(ヨハネ14;9)と言われたのと、似た思いだっただろうと推測するからだ。
 主が二人を叱責なさったのは、二人に寛容の心が欠如していたからだとする解釈がある。確かにそれも一つの理由だとは思う。弟のヨハネはこの出来事の少し前も、「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました」(ルカ9;49)と言って、主から「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである」と、狭量をたしなめられている。この兄弟には非寛容な欠点があった。
 しかしもっと重大な問題は、福音が何もわかっていないのではないかと疑われても仕方がない、二人の心の向きだった。いくらサマリア人に腹が立ったとは言え、天からの火で滅ぼすなどと口走ることは、敵を赦し、呪う者のために祈り、悪口を言うものを祝福しなさいという愛の教えとは絶対に相容れない。それを臆面もなく言って気付かないとは、何と情けないと主はお感じになったことだろう。それは何のためにエルサレムへ行くのかも理解できていなかった証拠で、不寛容などよりずっと深刻な根本問題だった。
 主の叱責には憤りも混じっていたと思うわけは、二人が、「主よ、お望みなら」と言ったからだ。これはサマリア人たちを意趣返しで殺す行為を、あたかも主が望むから行なうかのようにすることで、主を共犯者にしかねない発想だった。この点に触れた解説は読んだことがないが、これは見過ごせない悪だったと思う。ところが、私たちも知らず知らずのうちにそれをしがちなのだ。神様に人の不幸や罰を願い、悪い自分を守ってと祈る場合がそれだ。神様を悪に加担させようとするからだ。気をつけないといけない。

 ルカはこの出来事の結末を詳しく書かず、むしろ淡々と「イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った」とだけ伝えている。しかし、振り向いた主の眼差しを見ただけで、二人は自分たちが御心に適わないことを言ってしまったと、すぐ察知したことだろう。そして、その場にいた弟子たちも二人が叱られたのを見て、何をどう考え、何をしてはならないかを学び取ったに違いない。イエス様が弟子たちを直接叱責なさったのは、ペトロが口出しした時(マタイ16;23)とこの時の2回だけだ。叱ることも弟子教育の大事な手段の一つだったのだ。
 「一行は別の村に行った」とあるから、そのサマリア人の村は諦めたのだと推察できる。その村はおそらくサマリアを通る山地の道への入り口にあったのだと思う。しかし、その後一行がエリコを通って都に上ったところを見ると、山地の道はその出来事があったので断念し、ヨルダン川沿いの道を選んだのだと考えられる。だから、57節に「一行が道を進んでいくと」とあるのは、その道のことだ。少なくともルカはその道を、次の話題に上る3人の舞台に設定したのだ。 

 最初に現われた人は、イエス様に「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。ところが主は「殊勝な心意気だ。では、ついて来なさい」とは言わず、むしろそっけなく、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」とだけお答えになった。実際この時はサマリア人の村で断られ、荒れ野っぽいヨルダン川沿いを大勢で移動したのだから、おそらく野宿の連続だったと思われる。それでもついて来られるか?と問われたのだ。
 かっこいいことや勇ましいことを言う人は、えてしていざと言う時に態度を変えるものだ。主はそれを見抜いておられた。最後の晩餐の後、ペトロも「主よ、御一緒なら、牢に入って死んでもよいと覚悟しております」と、勇ましく断言した。だが、主は「あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」と、彼の裏切りを予言なさった。その人の場合はどう決断したかは書いてないのでわからないが、主の言葉に意気込みを砕かれて、多分去ったのではなかろうか。

 2番目の人にはイエス様の方から、「わたしに従いなさい」と言われた。使徒たちにかけたのと同じ言葉だった。見込みのある人だったのだろう。ところが、その人は「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と答えた。ていよく断ったのだ。父親が実際に死んで葬式前だったら、そんな場所に来ていたはずがないからだ。「父を葬る」とは、まだ死んではいないが、死ぬまでは世話をしなければならない。いつ死ぬかわからないが、それまでは従えないという、婉曲的な断りの表現だったのだ。
 すると主は言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」と。これはまじめで厳しい中にもユーモアがある返答だった。「死人をして死人を葬らしめよ」とは、常識では変な話だ。死人が死人を葬れるわけがないからだ。ところがイエス様もここで、死んでもいない父親を死んだとして従うことを断ったその人に対応するかのように、死んでもいない双方の人を死人に見立ててお答えになった。だからユーモラスなのだ。
 葬られる死人はもちろん死んでもいないのに死人にされた父親だが、葬る死人の方は生きていながら死んだも同然の人々のことだ。そこには身体的に生きることと、魂が生きることの二重の意味がある。死者の葬りは、生きていてもまだ魂の救いを得ていなくて、死んだも同然なそういう人々にさせなさい。あなたは彼らの魂の救いになる神の国のために働きなさい、と主は言われたのだ。さて、その人が「では、そうします」と言って、主に従ったかどうかはこれもわからない。たぶん、この人は従ったのではなかろうか。もしイエス様のお返事が理解できたならば、だが…

 三番目の人も主から声をかけられたのだろう。だが、彼は予防線を張るかのように、「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください」と答えた。すると主は「鋤に手をかけてから後を顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。今はトラクターで畑を鋤き起こすが、当時は鋤を牛に引かせて耕した。いずれにししても、前に進まなくては鋤き起こせない。それなのに鋤に手をかけてから後を振り返るとは、働こうか働くまいかとためらっている意味だ。
 この主日の第一朗読列王記上19;16b-21は、その関連があるから読まれるのだと思う。預言者エリヤが後継者エリシャを召し出す場面だが、その時エリシャは12くびきの牛を使って畑を耕していた。読むとなかなか面白い話だ。聖書の本筋とは離れるが、この叙述で紀元前9世紀中頃に、ユダヤではもう牛を使った農耕が行なわれていたことがわかる。すでに鉄器時代に入っており、文明的にも弥生時代の日本よりずっと進んでいたのだなと、私はかなりの驚きを覚えた。
 それはともかく、この三番目の人は主に従ったのだろうか?私の単なる直感だが、どうもこの人は悩みながら立ち去ったような気がする。金持ちの青年(マタイ19;16-22)のような雰囲気があるからだ。「家族にいとまごい」とは、死んでもいない父親の葬りとは違い、フィクションではなくリアルな話だ。どういう家族かはわからないが、情愛が深いゆえだろうから、会えば別れがたくもなり引き止められもするだろう。後顧の憂いや守るべき宝がある人は、結局ふん切りがつかない。だからたぶん従わなかったのではないかと推察するのだ。

 さて、この3人の例を私たちはどう理解したらいいのだろうか?これはイエス様の弟子になる覚悟を問う問題であることは明らかだ。しかし、いわゆる狭義の弟子になって従うことと、イエス様を信じて福音的に生きることとはイコールではない。それを確認しておく必要があると思う。福音を信じて生きる者も広い意味では主の弟子だ。しかし、その当時は福音を信じて生き始めても、エルサレムまでついて行けない人は大勢いた。それは今日でも同じで、全てが司祭や修道者のように主に従えるわけではない。
 イエス様ご自身も、悪霊から清められたゲラサの人がお供をしたいと願った時(ルカ8;38)、「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」と言われた。他の奇跡の後などでも、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われ、「わたしについて来なさい」とは言われなかった。だから、この3人の「従って行くか否か」の問題を、信者の生き方にそのままあてはめることは適当ではない。
 最も大切で普遍的なことは、主の福音を信じて生きるということだ。そしてそれ以上に、招かれていると感じた人が一切を捨てて主に従うなら、それはそれで素晴らしいことだ。しかし、そうできなくても落胆することはない。そういう人は大勢いる。家族を養わなければならない人、子どもを育てなければならない人、病人の世話をしなければならない人、自身が病気の人、社会で大事な責任を持っている人等々だ。一切を捨てて主に従うのでなければ、福音の理想に近づけないとするなら、そういう人たちは二流の信仰者にとどまるしかないということになってしまう。
 しかし、そうではない。事実は違うのだ。聖人伝を見れば、あらゆる立場の人たちが聖性に近づけたことがわかる。すべての人には神様が与えてくださるそれぞれ道があるからだ。それぞれの道を福音に従って歩むならば、それこそが主に従って行くことなのだ。聖職者生活や修道生活は価値あるものだが、それを模範みたいに称揚すると、霊性を間違える恐れがある。イミタチオ・クリスティなどを一般信者に学ばせるのはそれではないかと思う。

 先日、両親の写真を探していて、私はふと49年前のアルバムをめくり、カナダにいた当時の自分を再発見してしまった。日本の福音化を夢見ていた、純粋で、熱意に燃えていた若き日の自分がそこにいた。それを見たら、その後の自分の変転と紆余曲折が思い出されて、自問せざるを得なかった。私は鋤を手にして後を振り返った脱落者だったのだろうか?と。それに該当するように思えて、しばらくは心に重苦しい自責の念が霧のようにたちこめた。
 しかし、間もなくその霧は晴れた。主に従う道は一筋だけではなく、従い方はいろいろあると、この主日の福音で学べたからだ。過去はやり直せない。しかし、生き方はリセットできる。やり直しがきくところに福音の希望がある。主はそれを回心と呼び、それに招き、それを助け、それを祝福してくださるのだ。人がどう見ようと、私はかつてのままではだめになっていただろう。多くの人に迷惑をかけ、苦しみを与えたが、今このようにある自分でいいのだと思う。それは主の慈しみによる。それを信じれば落ち込むことなどないのだ。大切なことは狭い意味での主の弟子であることではない。福音を真摯に生き抜くことだ。そして、それなら誰にもできる。
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何を問われているか

 年間第12主日の聖書はゼカリヤ12;10-11、13;1、ガラテヤ3;26-29、ルカ9;18-24だった。手を貸す運動の運営委員会準備や他にもいろいろやることがあって、日曜日前に福音書についてだけ書こうとしたが、結局は果たせなかった。過ぎたことを取り上げても…とは思うが、毎週の修行のつもりで書いているから、書きかけたことを完結してみる。
 この主日の福音書は、イエス様がフィリッポのカイザリアからガリラヤに戻られた折、弟子たちに御自分のことをお尋ねになり、彼らがどんな覚悟で主に従わなければならないかを話された個所だ。そこを読んで、このことはいつかもう書いたことがあるなぁと思い出した。そこで調べてみたら、2008年8月27日の聖書反芻で扱っていた。ルカ9;18-24と並行するマタイ16;13-20についてだったが、題名は「口止めしたわけとQ&A」だった。
 それならばまた取り上げることもないかとは思ったが、その時は「主はなぜ口止めされたのだろうか?」という疑問が中心だった。だから、ここでは他の点に重点をおいて考察しようと思う。それにしても、いつかもう書いたことがあったなと思い出す前は、またもや2年前と同じ疑問が湧いていた。口止めの理由はもうその時にわかったから、今回はどうでもいいのだが、何と忘れっぽくなったことよ!といささか自分に呆れた。ボケてきたのかもという不安がよぎる。とにかく、再考もまたよきかな。考察を楽しもう。

 さてこの日の福音には、イエス様が出された3つの問いがあると思う。そして、それは私たちへの問いでもあると理解しなければなるまい。では、私たちは何を問われているのだろうか?その第一は、イエス様が弟子たちに、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた問いだ。弟子たちは「洗礼者ヨハネだ」とか「エリヤだ」とか、「昔の預言者が生き返ったのだ」とか言っていますと答えた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と聞かれると、ペトロはまるで弟子たちを代表するかのように、「あなたは神からのメシアです」と答えた。
 では、なぜイエス様は弟子たちに、世間の人たちが自分を誰だと言っているかと尋ねられたのだろうか?世間の評判を知りたかったからではない。むしろ、それがどれも当たっていないことをわからせるためだったと言えよう。洗礼者ヨハネの生き返りだとかエリヤだとかは、当時の世評だった。現代にも現代なりのイエス・キリスト様に対する世評がある。天才的だったが、ユダヤ教正統派から抹殺された悲劇の若い教師、自分を神の子だと信じた夢想的宗教家だった等々だ。
 しかし、それは世間の見方で、多少根拠のあるものもあれば、根拠のないものも、悪意あるものもある。ダビンチコードなどはその一例だろうが、そんな評価や見方はいつの世にもあった。これからも尽きないだろうが、大事なのはそんな世間の声ではない。「では、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」という主の問いに、自分がどう答えるか。それが一番大事で、私たちも問われている。ペトロは「あなたは神からのメシアです」と答えた。私たちも自分の意志と考えでそう答えるかどうか。これが第1の問いだ。

 イエス様はペトロの答えを聞くと、弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないようにと命じられた。ルカは主がペトロの答えを良しとされたどうかに触れないが、マタイは書き残している。主はペトロに、「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と称賛なさった。答えは正しかったのだ。では、それなのに、なぜ主はだれにも話すなと言われたのだろうか?これは2年前の要約とおさらいになるが、一言で言えばまだ話すべき時が来ていなかったからだ。言い広めればむしろ支障が出る恐れがあったのだ。
 最大の支障の一つに、弟子たち自身のメシア観があった。当時のユダヤ人たち同様、弟子たちも多かれ少なかれ、メシアが異邦人の勢力を追い出してイスラエルを解放し、かつてのような栄光の王国を再興してくれる王だと思い描いていた。だから、ペトロが言葉では「あなたは神からのキリストです」と信仰宣言しても、その中身はイエス様の考えておられたメシア観とは大いに違うものだったのだ。それは第二の問いを解くヒントになる。
 時はイエス様がガリラヤを去って、都に上る直前だった。そんな間違ったメシア観で熱狂した群衆が、イエス様のエルサレム行きをイスラエル解放の時だと誤解すれば、弟子たちもそれに巻き込まれ、イエス様が成し遂げようとなさっていた真の救いの業に妨げとなる。だから口止めされた。時が来れば、むしろ弟子たちが主をメシアだと公言しなければならないことを主はご存知だった。だから、口止めは一時的な禁止だった。時が来るまでに、彼らはもっと多くを学び、経験を積まなければならなかったのだ。

 イエス様はこの時、まず、ご自分が誰であるかを弟子たちにはっきり認識させようとなさった。そのために彼らに質問し、ご自分がメシアであることを明白にされた。では、なぜそうなさったかというと、次に、そのメシアがこれから何をしなければならないか、それに従いたい者はどういう覚悟でなければならないかを語るためだった。つまり、真のメシアはこういう者だ、とわからせるためだった。しかし、それはまさに弟子たちが思い描いていたメシアとは全く違う、衝撃的な予告だったのだ。
 今度は質問ではなく、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」という突然の断言だった。弟子たちはどれほど仰天したことだろうか。マタイではそれを聞いたペトロが、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」(マタイ16;22)と諌め、「サタンよ、引き下がれ」と、今度はこっぴどく叱られたことが書かれている。常識的に見れば、ペトロがそう諌めたのも無理はなかったが、それはまさに間違ったメシア観による口出しだったのだ。
 しかし、なぜユダヤの権威者たちに殺されなければならないのか。弟子たちにとって、それはイエス様が教えかつ行なって来たことを全てフイにすること、全否定に等しいと思えたに違いない。復活という言葉があっても、それはまだ彼らには理解不能だった。死は理解できたが、それはすべてが無に帰することを意味した。ところが、それこそ主が果たそうとしているメシアの使命だと言うのだ!彼らは理解できなかった。だが、主の心は決っていた。
 これは最初の死と復活についての予告だった。それがどんなことかはやがて全人類が知ることになる。史上最も過酷な死と、誰一人想像すらできなかった復活だった。ここでイエス様は、形の上では質問なさっていない。しかし、実際は「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活する。そういうメシアを受け入れるか?」と弟子たちに問いかけておられたのだ。これが第2の問いだ。そして、もちろん私たちへの問いでもある。

 よかれと思って諌めたペトロが厳しく叱責された後は、皆黙ってしまったことだろう。するとイエス様は続いて言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」と。形の上では、これは質問でも断言でもない。一方的な命令でもなく、選択を迫る命令だと言えよう。しかし、含蓄的には「あなたがたはそのようにして従って来ることができるか?」と問いかけておられたに等しい。だから、これが第3の問いだと言えよう。
 私たちもまたそれを問われているのだが、私たちにとってこれは第1第2の問いよりも答えるのが難しい。なぜなら、「わたしを何者だと言うのか?」、「長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活するというメシアを受け入れるか?」という問いはイエス様ご自身についてだったが、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従って来るか?」とは、弟子たち自身と私たちについての問いであり、理解だけではなく、実践を必要とする問いでもあるからだ。
 では実際に、弟子たちは従うことができたのだろうか?そして、私たちはできるのだろうか?それは自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って従うということがどういう意味かによって、ハイともイイエともいう答えになると思う。つまり、その意味をはっきりさせなければ答えられないということだ。なぜなら、そのお言葉は短すぎて、わかりそうでどこかわかりきれない所が残り、字義通り受け止めると誤解も起こりうると思われるからだ。
 ならばその意味を明らかにする必要がある。自分を捨てるとは自分を粗末にしたり命を無茶に投げ出したりすることではない。聖パウロはエフェソ4;22-24で古い人と新しい人について語った。「自分を捨てる」とは、古い人の殻に閉じこもり、その生き方に固執しようとする自分と決別し、福音的生き方の新しい人となることに他ならない。ガラテヤ3;27の「キリストを着ている」と言うのもその意味だ。成人洗礼を受ける者は、実は皆そういう「古い人からの決別」を決断する。だから、キリスト者にとっては特別なことではなく、受洗の時に行い、その後も実践していることだ。そして、それは人の能力や知恵などの長所を無にすることなく、むしろそれらを福音的に活かすのでもある。
 では次に、日々の十字架を背負って従うとはどういう意味だろうか?イエス様は他に類を見ない十字架を一度背負われた。私たちにはそんな十字架はないし、それを背負う力もない。しかし、それぞれの人生にはそれぞれに違う、大小の日々の小さな十字架が厭でもある。無数にある人もいるが、皆無の人はいないだろう。私たちが日々遭遇する悩み、苦しみ、痛み、辛さ、不運、困難などが私たちの十字架なのだ。
 主はそれを背負いなさいと言われた。それが主に従う者の証しとなるのだが、自分が背負うのだから、そこに容易にはハイと言えない難しさがある。順境にあるときは、言葉でだけなら十字架について語り、称賛することは難しくはない。だが、いざわが身のことになるとそうはいかない。私自身かつて重い十字架を担った時期があったからわかる。ヨブのように「神よ、なぜですか?」と呪いたくもなる。人は自分の十字架となると、呪って背負うか祈って背負うか、覚悟を迫られる。それを祈って背負い、わたしに従えるかというのが、主の第3問なのだ。
 ところで、福音書は他人の十字架には言及しないが、日々の十字架は自分のものを背負うだけでいいのだろうか?愛の掟を考えるなら、何もしなくていいとはどうしても思えない。互いに励まし合い軽くし合うべきではなかろうか。もちろん人には誰にも代ってもらえない十字架がある。知的障害者の親御さんたちを見ているとそう思う。そんな時は何ができるのだろうか?主の十字架の道行きの時、キレネのシモンはしばし主に代って十字架を背負った。それができない女たちは道端で泣いただけだった。彼らに倣って、共に背負える十字架ならそれを手伝い、何もできない時は、せめて共にいて苦しみ祈る。それだけでもいいのだと思う。

 最後に、「自分を捨て、日々十字架を背負う」ことがネガティブで損な行為ではなく、実はその逆であることを確かめておこう。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」というお言葉がそれを教えている。人はふつう命を何よりも大事にする。だから捨てるなど、とんでもない、失ってなるものかと必死に守る。それなのに、イエス様は命を救おうとする者はかえってそれを失い、命を失う者はそれを救うと言われた。いったいどういう意味なのだろうか?
 日本には「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺がある。しかし、イエス様が言われたのはそういう意味ではない。神の救いの逆説なのだ。それを理解する鍵は「わたしのために」と言われた一言にある。「わたしのため」とはイエス様の福音を信じて生きることであり、「命を救う、失う」というのは単なる身体的な命だけのことではないのだ。この世の命を救いたいと思う人は、それを失うまいと守るからそれを得るだろうが、その代わり永遠の命は得られない。つまり失う。逆に自分を捨て、主を信じて生きる者は、地上の命を失っても、永遠の生命を得るという意味なのだ。なぜなら、永遠の命をあたえるのは主だからだ。
 そして、その損得の端的な比較が、その後に続く25節の「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか」というお言葉だ。大金を手に入れても死んでしまったら何になるというのと同じ論理だが、スケールが違う。本当かどうか確かめてないが、聖フランシスコ・ザビエルがまだソルボンヌ大学の学生だった時、聖イグナチオ・デ・ロヨラは、彼に会う度にこの言葉を耳打ちしたとか。それが当世風に派手だったザビエル城主の息子フランシスコを考えさせ、やがて回心に導き、後に東洋の大使徒になるきっかけとなったと言われる。

 さて、ここまで書いてきて、何だか説教じみてしまったなぁと、いささか自分に嫌気がさす。それはこの主日の福音でイエス様から問われた3つの問い、つまり「わたしをメシアだと信じているか?」、「メシアは苦しみを受け、殺され、三日目に復活する方だとわかっているか?」、「自分を捨て、日々の十字架を背負って、わたしに従う覚悟があるか?」という3問のうち、第1、第2の問いにはハイと言えるが、第3の問いにはためらいながらにしか答えられていないのに、もっともらしく書いたからに違いない。これは終わりのない課題だと改めて思う。

自分が見えてない自分

シモンよ、言いたいことがある
「シモン、言いたいことがある。」

 年間第11主日は第一朗読がサムエル下12;7-10,13、第二朗読がガラテヤ2;16,19-12、福音はルカ7;36-8;3だ。典礼暦は通常のリズムに戻った。この主日は2月14日の年間第6主日の続きだ。年間第7-10主日は欠番に見えるが、実はちゃんと存在していて、主の昇天、聖霊降臨、三位一体、聖体と続いた4祝日の下に隠れている。待降節・降誕節と四旬節・復活節は典礼暦の一年にある二つの大きな山脈みたいなものだ。しかし、これからは年間主日が平原のように続く。それは教会の歩みの象徴のようでもある。
 ところで、まずこの主日の聖書の共通点は何であろうか?今年の私はそれを、「自分が見えてない自分に気付け」と言うメッセージだと受け止めた。もちろんそれが全てではなく、愛と赦しとか、罪をも赦すイエス様の権能とか、人を救う信仰とかのテーマがあることは明らかだ。しかし、この日の聖書3個所を読めば、上述のメッセージを伝える意図があることもまた確かだ。これからそれを証明してみようと思う。

 第一朗読サムエル下12;7-10,13では、キーワードそのものがそれをはっきり示している。話題はダビデ王の行為だった。ある時、聖王と言われた彼も自分を見失い、家来ウリヤの妻バトシェバを己がものにしたい一心で、わざとウリヤを戦いの矢面に送って死なせ、彼の妻を自分のものにした。そこで神は王に預言者ナタンを送った。預言者は次のような譬を語った。
 ある所に家畜をたくさん持っている金持ちがいたが、ある日客人が来た。彼は自分の家畜を屠るのを惜しみ、貧しい隣人がわが子のように可愛がっていた小羊を取り上げ、それで客をもてなした。話し終わると、預言者は尋ねた。王はこの金持ちをどう思うか、と。王は激怒して、そんな無慈悲な男は死罪だと断言した。すると、預言者は王を見すえて言った。「その男はあなただ!」と。
 「その男はあなただ。」ここにキーワードがある。預言者は神がいかばかりダビデ王を恵んで富ませたかを思い出させ、それなのにあなたは貧しい隣人の唯一の財産を取り上げた。神はこの不正を許さず、あなたを罰すると宣言したのだった。王は預言者に「その男はあなただ!」と言われて、初めてはっと、自分が見えていなかった自分に気付いたのだ。
 これは私たち一人ひとりにも当てはまるだろう。ダビデ王と同じことをしていながら、気付かないでいることがきっと多いに違いない。イエス様は「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気付かないのか」(マタイ7;3)と言われた。それは預言者ナタンの言葉と同じで、「自分が見えてない自分に気付け」と言うメッセージなのだ。

 聖パウロのガラテヤの信徒への手紙は、一見「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」という議論だけのように見える。しかし、なぜ彼がこの手紙を書いたのか、その動機を探れば、それがやはり自分が見えていない自分に気付けというメッセージでもあったことがわかる。彼は好き好んで律法か信仰かの問題を論じたのでなかった。挨拶のすぐ後、「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています」(ガラ1;6)とあるのを読めばわかるように、彼はガラテヤの信徒たちが自分を見失っていたからこそ、この手紙を書いたのだった。
 それはこの日の朗読の直後を読むともっとはっきりわかる。彼は書いた。「ああ、物分りの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。…あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法をおこなったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。あなたがたはそれほど物分りが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか」((ガラ3;1-3)と。こんな辛らつな言葉は滅多にない。「物分りの悪い」とは、イエス様もエマオへの二人(ルカ24;25)に使われた言葉だが、英語では“Oh, foolish”だ。端的に言うと「ああ、何たる馬鹿か」ということだが、聖パウロは馬鹿にしたのではない。愚かな自分たちを賢いと勘違いしていたガラテヤの信徒たちに、本当の自分たちが見えていないことに気付かせようと、口を酸っぱくして説得したのだ。
 
 ルカによる福音7; 36-8;3は、イエス様がシモンというファリサイ人の家で食事をした時の話だ。ある罪深い女が入ってきて、主の足もとに近寄り、足を涙で濡らし髪の毛でぬぐい、足に接吻して香油を塗った。するとシモンは心で思った。「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人かわかるはずだ。罪深い女なのに」と。ここでちょっと疑問を持つ人がいるかも知れない。もし主の足がテーブルの下にあったのなら、女が主の足にしたことは誰にも見えなかったのではないか?と。
 ルカはシモン一人だけが女のしたことを見たように書いている。シモンは主の隣にいたから見えたのかも知れない。でも、もし会食者たち多くに見えたのだとしたら、皆が食卓を囲んで安座していたことも考えられる。また、当時は椅子に座るのではなく、食卓の回りのクッションに寝そべって食べるローマ風がはやっていたそうだから、もしそうだったとしたら、私の絵のように多くの人に見えただろう。本当のところはわからないが、何人かは女のしたことを見た。それで十分だ。重要なのはその後のことだからだ。
 主は言われた。「シモン、あなたに言いたいことがある。ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」と。シモンは「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。すると主は「そのとおりだ」と言われ、女の方を振り向いて、彼にその話の意味を明かされた。
 「わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と。
 シモンはファリサイ人にしてはイエス様に好意的で、主を食事に招いた。そこまではよかったのだが、仲間のファリサイ人たちに気兼ねしたのか、主への接待を粗略にした。普通なら招待者の礼儀である足のすすぎ水、接吻の挨拶、塗油などを省いたのだ。主は何も言われなかったが、それに気づかれなかったわけではなかった。それに対して、その女性はだれも想像すらしていなかったことをした。その行動は会食者たちをどんなに驚かせたことだろうか。そして、現代の私たちを感動させる。
 イエス様はこの二人の行いの落差を、譬えで話した負債者の借金差と結びつけてシモンに話された。それはおもに彼のための話だったのだ。なぜなら彼女はもう罪を赦されていたから、あとはその名誉を守ってやることと、最後に「あなたの信仰があなたを救った」と言って、安心して帰すことしか残っていなかったからだ。しかし、ファリサイ人シモンにはわからせなければならないことがまだ全部残っていた。そして、その一つは「自分が見えていない自分」に気付かせることだったのだ。
 ある人は疑問を持つかもしれない。イエス様の譬えでは、負債者は多額の借金を帳消しにしてもらったから、多く愛したと言われている。ところが、女の方は多く愛したから多く赦されたとなっている。これでは理由と応答が逆ではないか?もしそうなら比較は説得力がない、と。そんな重箱の隅を楊枝でつつくような疑問で、大事なメッセージの本筋から逸れてはいけないので、その疑問は解消しておこう。 
 その女性は多く愛したから多く赦されたのではない。イエス様はそんなことは言われておらず、「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる」と言われたのだ。それはむしろ「多く愛したから多く赦された」の正反対で、彼女が先に多く赦されたからこそ、あのように多くの愛情を示したのだという意味だったのだ。彼女は心から罪を悔いた。だから赦された。
 では、いつ赦されたのだろうか?彼女はイエス様がシモンの家におられると知り、そこで悔いを表そうと行動を起こし、主の足もとにひざまずいた。彼女も主も無言だったし、神の業がいつ行なわれたかを誰一人知らなかったが、もうその時、主は赦しを与えられたのだと思う。彼女にも以心伝心でそれがわかった。だから感謝の余りあのようにした。その涙は悔いの涙というよりも感涙だったと思う。主が「あなたの罪は赦された」と言われたから、その時に赦されたのではない。そう言われたのは皆にわからせるためで、彼女には確認のためだった。
 ファリサイ人たちは自分たちが罪人ではなく、娼婦や収税人などとは違い、神様に赦しを乞うべき罪咎という負債が少ないことを誇りにしていた。ルカ18;10-12はそれを語る。しかし、それは逆で、大間違いだった。洗礼者ヨハネは「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」(ルカ3;7,8)と厳しく迫ったが、彼が抉り出したのは、「人間、この罪深きもの」だったのだ。必要なのは罪人でない誇りではなく、罪人であるという自覚だった。
 だが、ファリサイ人シモンはそれが全然わかっていなかった。その女がいかに罪深いかとか、イエス様がそれに気がつくかとか、そんなことばかりに目が行って、自分のことは念頭からすっぽり抜けていた。しかも自分は正しい人間だと、間違った誇りで自分に満足していた。だから、主は譬えを話し、女と彼のしたことを比べて、「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と言われたのだ。それは彼のことだった。
 赦されることが少ないとは罪が少ないことだから、本当にそうなら良いことだ。だが、実際には彼がそう思い込んでいるだけで、神様から見ればそうではないというのが真実だった。患者が自分の病気は軽いと思っても、医者の看立ては全く違って重症だというのに似ている。だから、赦されることが少ないとは必ずしも喜んでいていいことではなく、むしろ危ういということを意味した。神の憐れみに近づく恵みを見過ごしかねないからだ。イエス様は彼にそれをわからせようとなさった。つまり、そういう自分が見えてない自分に気付かせようとなさったのだ。
 さて、では私自身はどうだろうか?これは私たち一人ひとりに語られているメッセージでもある。

 最後にルカ8;1-3に触れておこう。「その後、イエスは神の国を宣べ伝え、…町や村を巡って旅を続けられた」とあるが、12使徒と共に、マグダラのマリア、クザの妻ヨハナ、スサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒だったと書いてある。私はそれに興味を覚えた。そのうちの二人の名は、主の復活の朝、墓に行った婦人たちの中にもあるからだ。想像だが、この日主の足を涙でぬぐい、足に接吻して香油をかけたのは、この8章の記述から推察すると、マグダラのマリアではなかったかと思う。彼女は十字架の下まで従った。多く赦されたから多く愛したのだ。

ゼフ・グフィ

 今年、キリストの聖体の祝日には創世記14;18-20、コリントの信徒への第一の手紙11;23-26、ルカによる福音書9;11b-17が読まれる。この中で直接に主のご聖体について述べているのは聖パウロの手紙だ。ルカの福音書はパンの奇跡の個所で、ご聖体がどんなものかを示唆している。そこで、今回は福音書と聖パウロの手紙から、興味のある点と気になる点だけを取り上げてみる。

 まず興味を覚えたのは、ルカ福音書22;19の記述とコリントの信徒への手紙11;23-24の表現が、実によく似ている点だ。最後の晩餐の時、イエス様は感謝をささげてパンを弟子たちに与え、「これはわたしの体である」と言われた。このことは共観3福音書のどれもが伝えている。ところで、その中でもイエス様のお言葉を一番詳しく書き残したのはルカ福音書なのだが、これを聖パウロの手紙の文面と比べるとそっくりなのだ。
 聖パウロは、「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました」と書いた。その「主イエスは…」以下は、ルカ福音書の文面とほとんど同文と言っていいほどだ。では、どうしてそんなに似ているのだろうか?
 その答えは聖ルカが、聖パウロの宣教旅行に同伴した弟子だったことにあると言えよう。聖ルカは聖パウロの強い影響を受けていた。もし誰かが聖パウロの手紙を「福音書の聖体制定を証言している」と思ったら、それは間違いだ。事実は逆で、聖体のことを最初に書いたのは聖パウロだったからだ。従って、むしろルカがそれを福音書に忠実に反映したというべきなのだ。それはコリントの信徒への第一の手紙が紀元57年に書かれ、ルカの福音書がその何年か後の紀元65年前後に書かれた事実を見れば明らかだ。そこに二つがそっくりなわけがある。
 聖パウロの手紙に続いて、共観3福音書のどれもが聖体の制定について語っているということは、それについての理解が初代教会ではもう完全に共有されていて、感謝の祭儀も十分定着していたことを示している。しかし、現代の教会で使われているミサの式文が基本にしているのは、この手紙とルカ福音書の文言だということも明らかだ。これも興味を惹く点だ。ミサの聖変化とその直前直後に、司祭はホスティアを取って次のように唱える。
 「主イエスは進んで受難に向かう前に、パンを取り、感謝をささげ、祝福し、割って弟子たちに与えて仰せになりました。『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される、わたしのからだ(である)。』食事の終わりに、同じようにさかずきを取り、感謝をささげ、弟子たちに与えて仰せになりました。『皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血のさかずき、あなたがたと多くの人のために流されて、罪の赦しとなる新しい永遠の契約の血(である)。これをわたしの記念として行いなさい。』信仰の神秘。」
 このことから私が学ぶのは、ミサの場でその言葉を耳にする者は、主がそう言われた最後の晩餐の場に遡っているのと同じなのだということだ。聖パウロが「あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」と、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりした者たちに警告したのは、その臨場感を忘れて、聖なる食卓を単なる人間的な行為に貶めかねなかったからだ。私たちも心しなければなるまい。

 ところで、聖パウロの手紙と福音書を読むと、気になる点がいくつかある。その一つは「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身主から受けたものです」というくだりだ。イエス様が地上におられた頃、彼はまだ主の弟子ではなかった。もしかしたら、ファリサイ派の一人としてどこかで主を見たり、話しを聞いたりしたことはあったかも知れない。しかし、最後の晩餐の時は確実にその場にはいなかった。では、その教えをいつどのように主から受けたのだろうか?
 その答えは使徒言行録9;19-30とガラテヤの信徒への手紙1;16-20にありそうだ。使徒言行録は、回心後ユダヤ人たちに命を狙われた彼がダマスコから逃れ、エルサレムに行ったことを伝えている。しかし、ガラテヤの信徒への手紙は、その後アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻り、その3年後に使徒聖ペトロとヤコボと知り合ったと書いている。鍵は回心後ダマスコを逃れる前の期間とアラビアでの修行期間にあると思う。
 使徒たちに会う前、彼が聖体について知っていなかったかというと、そうではないと思える。聖霊降臨後初代教会が生まれると、すぐ信者達は集まってパンを裂く(徒2;46)ことを始めていた。今で言う感謝の祭儀だ。回心後の彼もダマスコの共同体でそれに参加したに違いない。そして、それが「わたしの記念として行いなさい」と言われた主の遺言であることを知ったに違いない。これはまだ主の御昇天後間もない時期のことだった。これが「主から受けた」と言う言い方をした理由かも知れない。
 しかしそれだけでは、「わたし自身、主から受けた」と言うにはどうも根拠が弱い。それは何らかの意味で、主から直接受けたととれるからだ。もし彼がこの教えを主から直接受けたとすれば、考えられるのはアラビアに退いて黙想の機会を持った時期だ。ダマスコへの道で突如不思議な光に目が眩み、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」とイエス様の声を聞いたように、アラビアでも主から直接最後の晩餐の神秘について啓示を受けた可能性はある。そして、その後で使徒たちに会った時、それを確認したのではなかろうか。いずれにせよ、使徒たちは聖体の制定を口で語り伝えていただけだったが、たまたま警告する必要性が出たために、それを手紙に書き残した聖パウロの功績は大きい。

 次に気になるのはヨハネの福音書で、最後の夜ご聖体のことが何一つ語られていないことだ。聖パウロの手紙や他の福音書が伝えており、それも重要なことなのに、ヨハネはなぜそれを省いたのだろうか?ヨハネの福音書は他の福音書にすでに書かれていることはかなり抜かしている。この問題もその一つだったのだろうと思われる。ヨハネが福音書を書いた頃には、すでに多くの人が主の教えと行いについて書き、最後の晩餐に聖体の秘跡を定められたことについては、おそらく何の問題もなかったからではなかろうか。つまり、それについて書く必要がなかったのだと思う。
 その代わりと言おうか、ヨハネの福音書は他の福音書が書かなかったことを教えてくれた。その6章は、イエス様がご自分を天から降って来たパンであると話され、「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物」(ヨハネ6;55)と言われた長い議論を伝えている。主はそれを最後の晩餐で現実のものになさったわけだが、これはご聖体がどれほど価値のあるものかを打ち明けてくださった、実に貴重な話だ。他方、ルカの福音書にあるパンの奇跡の方は、ご聖体が分ければ分けるほど増えていき、いくら食べてもなくならない、世にも不思議な食べ物であることの予兆を示す出来事だったと言えよう。
 ところで、ここを読んでふと思った。人々がパンと魚を食べていたとき、イエス様ご自身も食べられたのだろうか?どうもそうではなかったように思われる。弟子と共に人々に食べさせるサービスで自分たちが食べる時間などはなかっただろう。「そして、残ったパン屑を集めると、十二籠もあった」(ルカ9;17)とある。残り物を食べられたのだと推察する。それは、人に仕えるとはこういうことなんだと学べる出来事でもあった。

 3番目に気になったのは、ご聖体の解釈だ。つまり、聖パウロの手紙はユーカリスティアのパンとブドウ酒を、キリストの体と血だと言うが、それをどう解釈したらいいかという問題だ。かつて、ご聖体は司祭が発する聖変化の言葉によって、パンとブドウ酒の形と色はそのままだが、その物質の本質が去り、イエス・キリスト様に変わる。だからTranssubstantio(本質の入れ変わり)と言われ、聖別されたパンとブドウ酒には、主が秘跡的に現存されると教えられてきた。では第二バチカン公会議後に、その教えには変化はなかったのだろうか?それが少し気になった。
 そこで、カナダ司教協議会が承認発行したCatéchisme de l’Eglise catholiqueを調べてみた。日本語版「カトリック教会の新しい教え」を持っていないからだが、カナダ版にはその問題は295-298頁にこう書いてあった。ただし、同書は「ユーカリスティアの秘跡」という言葉を使うが、日本ではまだ通用しないだろうから、とりあえずここでは従来のように「聖体の秘跡」という言葉を当てる。
 「死して復活し、神の右にいて、私たちのために仲介者となっておられるキリスト・イエスは、多様な方法で教会の中に現存なさっている。福音を通して、教会の祈り、貧しい人々、病人たち、囚人たち、諸秘跡、ミサなどを通してである。しかし、最高の方法で現存なさるのは聖体の秘跡においてである。
 聖体の形色のもとにおけるキリストの秘跡的な現存は、ユニークで他に類を見ない。それは他の秘跡の上に抜きん出ており、すべての秘跡が目ざす霊的生命の完成である。聖体の秘跡の内容は、真に、実体的に、そして本質的に、キリストの体と血である。それは人としての霊魂と神性を持った主イエス・キリストである。従って、キリストの全てである。…すなわち、神であり人であるキリストはそこに存在する。
 キリストがこの秘跡に実存されるのは、パンとブドウ酒がキリストの体と血に変化するからである。教父たちは、キリストの言葉と聖霊の行いが、この変化を生むために効力を持つという信仰を堅持した。だから、聖アンブロジウスは言った。『ささげた物をキリストの体と血に変えるのは人ではない。我らのために十字架につけられたキリストご自身だ。キリストの似姿である司祭はこれらの言葉を発する。しかし、その効力と恵みは神から来る。…』
 トレントの公会議はカトリックの信仰をこう宣言して要約する。『我らの贖罪主キリストは、彼がパンの形色のもと捧げたものは実際にその体であると言われた。教会は常にその確信をもっていたからこそ、聖なる公会議は次のように宣言する。パンとブドウ酒の聖別によって、パンの本質はキリストの体の本質になり、ブドウ酒の本質はキリストの血の本質になるという変化が起こる。この変化をカトリック教会はまさにそして的確にTranssubstantio(本質の入れ変わり)と呼んだ。聖体におけるキリストの秘跡的現存は、聖変化の瞬間に始まり、聖体の形色が残る限り存続する』と。」
 これを読むと、この点で教義の変更はなかったことが確認できる。しかし以前と違うのは、聖体を聖櫃の中に安置し、礼拝の対象とし、聖なる食物としてありがたくいただくだけという、物的に矮小化した受け止め方ではなく、最後の晩餐で言われたような状況で理解することを勧めている点だ。それを見落とすと、ご聖体をまた狭い信心の対象にしてしまい、福音理解の劣化に近いことを招いてしまう恐れがあると思う。

 最後は、気になったのではなく、興味のある点だが、それはイエス様が「これはわたしの体」と言われたお言葉だ。原典はギリシャ語だが、それは主にとって外国語だった。つまりギリシャ語は主が話されていた言葉ではなかった。では、最後の晩餐の時のお言葉は、本当はどういうものだったのだろうか?これが問いだ。原典がギリシャ語でも、その中にはイエス様が話されたままの言葉がいくつか伝えられている。例えば、「タリタ クム」(マルコ5;41)、「エリ、エリ、レマ サバクタニ」(マタイ27;46)などだ。
 では、「これはわたしの体である」と言われたお言葉も、本当に言われたままを知ることができるだろうか?100%まではできないが、ある程度はできる。アラマイ語-ヘブライ語対訳新約聖書を見ればわかるからだ。では、そこには何と書いてあるのだろうか?まず参考に日本語の訳を調べてみると、マタイ26;26とマルコ14;22は「これはわたしの体である」で同じだ。ルカ22;19では「これはあなたがたのために与えられるわたしの体である」、聖パウロの手紙では「これは、あなたがたのためのわたしの体である」とあり、前半に修飾句がついているが、後半の根幹はマタイ、マルコと同じだ。
 従って、ヘブライ語でもその根幹の文言を調べれば足りるわけだが、ではその共通文言「これはわたしの体である」という言葉は、ヘブライではどうかと言うと、ローマ字表記すれば、どれも“Zehu gufi”と書かれている。日本語訳をローマ字表記にすれば、“Korewa watashino karada (dearu).”と長い。それに比べ、ヘブライ語だと何と短いことかと驚くほどだ。アラマイ語だと “Hnahv pagri”らしいが、私には正確な読みも意味もわからない。しかし、ヘブライ語の方はわかる。“Zehu” は「これは、This is」に当たり、“guf”は「体、body」、“i”は 「私の、my」という意味だ。
 イエス様の時代、ガリラヤ人はアラマイ語っぽいヘブライ語を話していたと言われる。主が捕らえられた時、大祭司の庭に入り込んだペトロは、そこにいた人々から「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれがわかる」(マタイ26;73)と言われた。いわゆるヘブライ語のガリラヤ方言だったのだろう。ふだんは主もその方言で話されていたのかも知れない。しかし、標準ヘブライ語もちゃんと話せた。ファリサイ人や律法の学者たちと議論なさっていたことがそのいい証拠だ。従って、最後の晩餐の言葉は標準ヘブライ語で言われたのではなかろうか。なぜならそれは、イスラエル人にとって最も大切で正式な、過ぎ越祭の食事の間に言われた言葉だったからだ。
 「でも、そんなことを知ったところで何になろうか。『これはわたしの体』を、イエス様がゼフ・グフィと言われたと知っても、信仰が増すわけでも、隣人愛が行なえるわけでもない。何にも変わらないではないか」と言われるかも知れない。しかし、私にとっては違う。主が言われたそのままのお言葉を知っていれば、ミサの時、より実感をもって最後の晩餐を思い起こし、「主の死を思い、復活を讃えよう」と言えるからだ。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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