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王たちの支配者

 典礼暦年の最後の主日は、毎年王であるキリストの祝日になる。しかし、福音は毎年同じではなく、今年B年はヨハネ18;33b-37だ。それはローマ総督ピラトがイエス様にユダヤ人の王かどうかと尋問する場面だ。だから、この祝日に読まれるわけだが、ヨハネはそのくだりをこう伝えている。
 「ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、『お前はユダヤ人の王なのか』と言った。イエスはお答えになった。『あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。』ピラトは言い返した。『わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。』イエスはお答えになった。『わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世に属していない。』そこでピラトが、『それでは、やはり王なのか』と言うと、イエスはお答えになった。『わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。』ピラトは言った。『真理とは何か。』」

 このやり取りを読むと、ピラトは本当にイエス様がユダヤ人の王なのかどうかを確かめようとしていた。他方、イエス様は王であることを否定はしないが、かといって明確に肯定するのでもなく、ピラトに誤った判断をさせないよう、慎重に答えておられたことがわかる。しかし、新共同訳の「わたしが王だとは、あなたが言っていることです」という訳は、「わたしが王だと言っているのはあなたで、わたしがそう言っているわけではない」と、イエス様が答えをはぐらかしているようでもあり、王であることに否定的なニュアンスさえ感じとれなくもない。そうなると、この訳でいいのかという疑問が湧く。そこで本当はどうなんだろうと思い、原典といくつかの訳を調べてみた。
 原典のギリシャ語はカタカナ発音にして書くと、“シュ レゲイス ホティ バシレウス エイミ.”だ。直訳すれば、「あなたは私が王だと言っている」となる。でも、これではピラトへの答えになっていないし、日本語としても少し変だ。では、各国語の訳はどうなっているのだろうか?
 聖書翻訳の長女ともいうべきラテン語では、 “Tu dicis quia rex sum.”だ。これはニュアンスが微妙で、訳が難しい。これは「あなたは私が王だと知っていて、言っている」とも取れるし、「あなたの言うとおりだ。なぜなら私は王だからだ」とも解釈できる。どうもこれが他の近代語訳に影響を与えたのではないかと思われる。なぜなら、それらをいくつか見て見ると、次のようになるからだ。
フランス語訳:“Tu le dis! je suis roi.” 「あなたの言うとおり!私は王である。」
英語訳:“You say that I am a king.” 「あなたは私が王だと言っている。」
ドイツ語訳:“Ja, ich bin ein Koenig.” 「そのとおり。私は王である。」
スペイン語訳:“Si, como dices, soy Rey.” 「そう、あなたの言うとおり。私は王である。」
日本聖書協会訳:「あなたの言うとおり、わたしは王である。」
バルバロ訳:「あなたの言うとおり、私は王である。」
ラゲ訳:「汝の云えるが如し、我は王なり。」

 これらを見ると、ほとんどの訳はイエス様が「あなたの言うとおり、わたしは王である」と答えたと解釈している。そして、ピラトもそう受け止めたようだ。それなのに彼は民衆に「わたしはこの男に何の罪も見出せない」と言った。そのわけは、イエス様が「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」と話されたのを聞いて、おそらく「この男は自分を王だと思っているが、その王国は架空のもので、皇帝の権威には何の害もない」と判断したからだろうと思う。しかし、それは主が王だということを彼が理解しての上の判断だったのだ。
 してみると、新共同訳と英訳だけが多数派と違う。新共同訳の訳し方は曖昧で、原典に忠実であろうとした苦心は認められるが、あまり適切ではなないように思える。イエス様がピラトに、自分からは王だと答えようとしなかったようで、誤解を招きかねないからだ。私はイエス様の意図はそうではなかったと思う。「あなたは言っている」というワンクッション置く言葉はあるが、むしろ「私は王だ」と答えられたのだと理解すべきだと思うのだ。つまり、多数派の訳の方が適切だと思われるということだ。
 その根拠は、ピラトにそう答える直前に、主が「わたしの国はこの世に属していない」と言っておられることにある。わたしの国と言う以上は、そこに支配者がいるはずだ。それは当時の常識からすれば国王を意味した。だとすれば、イエス様が「わたしの国」の王であることは論理の帰結するところだ。それなのに、いつも率直な主がそう明言したすぐ後、王であることをはぐらかして答えたとは思えないからだ。

 共観福音書にはイエス様がご自分を王だと言われた箇所は非常に少ししかない。主は先生とか主とか呼ばれることは受け入れても、王とは呼ばれようとはなさらなかった。メシア(正確にはマーシアーハ)とは聖油を注がれた王のことだから、メシアとして来られた主はもともと王なのだが、ヘロデ王が勘違いしたように地上の王と誤解される恐れがあった。だから、イエス様は福音宣教中はそれを口になさらず、民衆が主を王にかつぎ上げようとした時は、彼らからすり抜けて身を隠されさえした(ヨハネ615)のだった。
 しかし、ではご自分から王であるとは全く言われなかったかというとそれは違う。主は世の終末の預言をなさったとき、「人の子」が栄光のうちに再臨すると語られた。それはダニエル7;13-14にある預言で、そこには人の子のような者が「権威、威光、王権を受けた」とある。つまり、「人の子」とは王なのだ。ユダヤ人にはそれがよくわかっていた。だから、イエス様がご自分をわざわざ王だと言われなくても、「人の子」だと言われるだけで彼らには十分だったのだ。
 ただ、そうした中でマタイ25章にある民族の裁きの譬えは特記に価する。ここでも人の子は、栄光に輝いて来るとき、栄光の座に着く。そこで「王は右側にいる人たちに言う」と続き、人の子と王が同一人であることが鮮明になるからだ。そして、そこでは天地創造の時から用意されている国のことが語られる。こうなると、この国はもう並みの国ではないことが明白であり、その王も普通の王とはまったく違うことがわかる。主はそういう王なのだ。
 そしてエルサレム入城の時は、イエス様は人々が「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天に平和、いと高きところには栄光」(ルカ19;37)と歓呼するままになさった。その時、ファリサイ派の人々がそう叫ぶ人々を叱ってくださいと抗議したが、むしろ主は「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す」とお答えになった。それは主がご自分を王であると自認なさっておられた証拠だ。

 王であるイエス・キリストの称号は、聖霊降臨直後の聖ペトロの説教にももう含蓄的に現れている。彼はその堂々たる説教をこう締めくくった。「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」と。「人々はこれを聞いて大いに打たれ」、この日三千人もの人が洗礼を受けたのだった。メシアとは聖油を塗られた王に他ならなかったからだ。
 しかし、イエス・キリストが王であるという信仰は、初代教会でさらに明確化して行ったようだ。それは第二朗読で読まれるヨハネの黙示録1;5に見られる。「死者の中から復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたに」とあるが、主は「地上の王たちの支配者」と理解されている。黙示録17;14はもっとはっきりと、「小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ」と言う。「地上の王たちの支配者」とは、単に王であるだけではなく、王の王、ヘンデルのメッサイヤで歌われるKing of kings, Lord of Lordsなのだ。

 ところで、旧約聖書の士師記にはリフレインのような興味深い表現がある。「そのころ、イスラエルには王がいなかった」という一句だ。例えば、18章1節、19章1節、21章25節などだ。ところが、そのころ近隣の国々にはみな王がいた。イスラエルにだけ王がいなかったのだ。なぜだろうか?その疑問への答えはサムエル記上8章にある。
 預言者サムエルの息子たちは不肖の子だったので、長老達は全員が集まり、彼に「ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行なう王をたててください」(サム上8;5)と申し入れた。この要望は彼に不快感を与えた。そこで彼は主なる神に祈って御心を尋ねた。主は答えて言われた。「彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ」と。ここに答えがある。王制は御心にかなった統治制度ではなかったのだ。王は神のみ、人は皆平等。王である神に仕える役職の指導者はいても、イスラエルには王は要らない。それがイスラエルの民の理想の姿だったのだ。
 主のアドバイスに従って預言者サムエルは初代の王を選び出した。それがサウル王だった。しかし、それは喜んで定めたのではなく、神と預言者が民の要求に譲歩したことに他ならなかった。だから、預言者はそのとき民衆に、自分たちが要求した王からこき使われ、戦いにかり出され、税金を搾り取られ、財産を削られ、王のせいでいかに泣かなければならないかという、神からの託宣を伝えた。そして、事実王たちはその通りのことをした。ダビデ王やアーサ王などのごく僅かな例外はあったが、ほとんどが「主の前に悪を働いた」と断罪されたダメ支配者だったのだ。そして、王制の歴史はイスラエル以外でも似たりよったりだった。つまり、人々を幸せにはしなかった。

 そして、イエス様の時代から2千年、今地上には王国というものはほとんど残っていない。王の名を持つ元首は少しはいるが、もはや実権はなく支配者でもない。ただ、王の王、天地の支配者である主イエス・キリスト様だけが違う。今やただ一人実権をもって統治する王であり、その王国は実現しつつある神の国だからだ。それは「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方」であり、「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。私はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者、初めであり、終わりである」と言う王なのだ。
 私たちはここで復活祭の大ローソクを思い出すといいのではなかろか。それに刻まれた十字架、その年の年数とΑとΩは、現代にそのメッセージを再現しているシンボルに他ならないからだ。王であるイエス・キリスト様の祝日はすべての王国が消滅した後、「王は神のみ、人はすべて平等」という理想を回復する象徴的な設定だ。しかし、それは単なる回復ではなく、救いの御業が成就した神の国における壮大な理想の実現なのだ。かつて「イスラエルには王がいなかった」時代はその試しの期間だったと見ていいのではなかろうか。ここに聖書の温故知新がある。

 王がいったい現代の私たちと何の関わりがあるのか?関係ない。そう思う人がいるに違いない。地上の王についてなら、私もそう思う。王はもう私たちには馴染みが薄く、いてもいなくてもいい存在だ。いや、それどころか、私などはいなくなってせいせいしたと、嬉しいくらいだ。何にもせずに、民に税金を収めさせ、不労所得で贅沢に暮らす王など要らない。
 だが、王の王は違って、私たちに深い関わりがある。なぜなら、「わたしはすぐに来る」という王は、地上の王たちや権力者たちとは違い、私たちの罪に汚れた足を洗い、落ち込んだ心を癒し、目の涙をことごとく拭い取ってくださる王だからだ。その国が来れば、「もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(黙21;4)時代が実現する。だから、私たちは日々主の祈りで、「御国が来ますように」と祈るのだ。新約聖書最終ページの「アーメン、主イエスよ、来てください」という切実な声は、典礼暦年最終主日の祈りでもなければなるまい。

 さて、思うところがあって、聖書温故知新はここで閉じる。わずかなアクセスしかないことは知っていたが、一人でも二人でも読んでくれる人がいたからこそ書けた。読んでくださった方々に感謝。

 
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苦難の後の歓喜の日

 年間第33主日の福音はマルコ13;24-32だ。世の終わりに起こる天変地異と主の再臨が伝えられている。第一朗読はダニエル12;1-3で、これは福音の24-25節にある「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」とある予言と呼応し、「その時まで、苦難が続く、国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう、お前の民、あの書に記された人々は」と、未曾有の苦難と神を信じる民の救いを予告していて興味深い。
 しかし今週、私にはそれについて書く十分な時間がない。手を貸す運動ニュース83号の発行が11月22日なので、今はその編集中、来週はその印刷にとりかかり、パソコンがそのために使われっぱなしになるからだ。この仕事の方が優先的なので、聖書について書く時間は削らざるを得ない。とは言え、ずっと欠かさず書いてきたので、ほんのちょっとだけ触れておきたい。

 まず、この主日の福音についてよいコメントを読みたければ、カトリック新聞2009年11月15日の、「キリストの光、光のキリスト」欄にある晴佐久昌英神父様のコラム説教、「着いたも同然」を読むようお勧めする。その着眼点と考え方が私たちに、苦難の後の歓喜の日を予感させてくれるからだ。信じる者の心を鼓舞し、魂を希望でいっぱいにしてくれる説教はそれほどない。しかし、このコラムはそういう一つだと思う。こんないい話しを書いてくださった同神父様には感謝したい。

 ただ、それは信じる人たちを導く責任のある立場からの言葉ではある。当然、疑いを誘発したり、信仰ではなく学問的興味に逸れさせたりするおつもりはないはずだ。それに対し、私はそういう責任のある立場ではないから、疑問があれば疑問だ、納得できなければ納得できないと言える。そこで、この日の福音にある疑問点を一つだけあげて、私なりに考えて見たい。信仰を深める役には立たないが、信仰インフラを固める役には立つかも知れないと思うからだ。
 それは福音書の「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」という箇所だ。人の子が雲に乗って来るのを人々は見るとあるが、地球は丸い。仮に人の子の出現が聖地だったとしたら、地球の反対側にあるハワイの人々も見ることができるのか?という疑問だ。科学的思考回路の現代人なら、そう考えても当然だと思う。「人が雲に乗れるのか?」という疑問は揚げ足取り的だとは思うが・・・

 それらについて、私はこう考える。まず、予言というものは、実現してみないと本当は何だったのかわからないものだ、という点を抑えておく必要がある。救い主イエス・キリストの誕生についてもそうだった。待望自体は正しかったが、予言の細部は多々間違って理解されていた。それがはっきりわかったのは、主のご受難とご復活の後だった。そのように、予言というものがわかるようでわからないのは、肝心なメッセージをその時代の世界観や常識を前提にして伝えられるからなのだ。
 この日の福音にある天変地異と主の再臨の予言もそうだ。予言解釈の原則を考慮して理解しないと、地球の反対側の人々は主が再臨なさっても見ることはできないだろう、というような考えになってしまう。では、マルコ13;3-37でイエス様が語られたユダヤの滅亡、天変地異と世の終わり、主の再臨の予言はどのような世界観や常識を前提にして語られたのだろうか?それは2000年前の古代中東文化圏で常識だった世界観と旧約聖書の預言だった。
 当時、世界は天と地で成り立ち、太陽、月、星は天空にあって、地は地の果てまで平に広がっていると考えられていた。それはコペルニクスが地動説を唱えるまで、誰もが信じていた宇宙の姿だった。大地は球体の地球で太陽の回りを回り、太陽は銀河の一恒星で、宇宙にはまだ多くの銀河があるなどとは考えてみることもできなかった時代だった。
 そんな時代に現代の常識で物を言い出したら、気違いだと相手にされず、伝えたい肝心なメッセージは聞いてさえもらえなかっただろう。それでは目的が達成できない。だから、預言者たち同様、イエス様もあの時代の世界観や常識を利用して、伝えるべきメッセージを伝えたのだった。「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」とは、そういう古代中東の宇宙観を前提に語られた。そういう描写は時代の宇宙観を反映しているが、それを通して主が人々に伝えたかったことは、苦難の後にまず天変地異が起こる。人類は前代未聞の超異常な事態に直面するという予告だった。
 だから取捨する必要がある。大事なのは肝心のメッセージで、これが取っておくべきことだ。それに対し、その時代の世界観や常識については、主はそれを教えられたのではなく、利用なさっただけだ。だからそれらは捨て去ってよい。それにしても、地球温暖化による異変が起こっている今日、たとえ信仰がなくても、今の人たちはこの出来事を19世紀の人たちよりは、多少現実味のある事として感じとることができるのではないか。そんな気がする。

 「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」という予言は、ダニエルの預言7;13-14にある「見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り」とある表現に呼応して語られたものだ。雲が乗り物でないことは今なら誰も知っている。しかし、ここで肝心なのは「人の子」、つまり復活して「父の右に座し給う」主が再び来られる。それは馬屋の中に生まれた救い主とは全く違い、栄光の王として来られるというメッセージだ。雲は単なるあの時代のシナリオ的表現に過ぎないと見て良い。
 「地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」という言葉も同様で、どのような集め方かはわからないが、全人類の誰もが栄光のうちに来られる主にまみえるということが肝心なメッセージだ。そして、これは私たちが主日のミサの度に、 “主は生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません”と表明する信仰宣言の一節に他ならない。

 マルコの福音書が書かれた当時の初代教会には、主の再臨がすぐだと信じる人たちがいた。その中には主は未だなのかと待ちきれない者たち、それを煽る者たち、そして主がすぐ来られるなら働いても仕方ないと怠ける者たちがいた。だから、聖パウロは「盗人が夜にやってくるように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が『無事だ。安全だ』と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです」(一テサ5;2,3)と語ったが、同時に浮き足立ったりせず、主の日はいつなのかわからないのだから、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」((一テサ4;11)とも勧告したのだった。
 マルコの福音書もその対応では聖パウロと一致している。世の終わりと主の来臨を告げるが、同時に落ち着いた信仰を持ってその日を待つよう勧めているからだ。主はこの予言の前に「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば選ばれた人たちを惑わそうとするからである。だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく」と言われている。それは慌てず信じて待ちなさいという生き方の指針だった。

 現代はその逆かも知れない。地球温暖化による人類破滅はあるかも知れないが、福音書のいうような天変地異や主の来臨などはないだろう。たわけた信仰だと考える人が多いのではなかろうか。信仰を持っていない人ならそう考えても仕方がないが、口では信仰宣言を唱えていながら、実際は世の終わりも主の来臨も本気にはせず、もし本当だとしても、今までそうだったように、それはまだずっと先のことだろうと思い込んでいるなら、その人は真に信じている者かどうか疑わしい。
 また、主の再臨を信じても、それを恐れ、それで不安になる人も、これまたイエス様を真に信じている者とは言い難いだろう。なぜなら、主のメッセージを真に信じているなら、その人は世の終わりがいつになるかわからなくても疑わず、1時間後に来るとわかっても、今していることを落ち着いて続け、主が来られる日を歓喜して迎えられる人であるはずだからだ。主の日は恐れの日ではなく、救いが完結する大いなる喜びの日なのだ。

心を見ておられる

エルサレム神殿境内図
 11月8日、年間第32主日の福音はマルコ12;38-44 だ。そこにはイエス様がなさった2つの話が書いてある。一つは律法学者に対する批判、もう一つは貧しい寡婦がした献金の話だ。私には後者の方が興味深いので、今回はそれに絞って考えて見る。
 イエス様はエルサレムに都入りなさり、もうすでに神殿で人々に教えたり、ファリサイ派の中核だった律法学者たちだけでなく、ヘロデ党やサドカイ派の人々とも議論を交わされたりしておられた。主はこの日も神殿に来ておられた。しかし、この時はしばし疲れを休めるかのように、むしろ神殿の庭で人々を観察しておられたようだ。マルコはその時のことを次のように描写して伝える。

 「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。『はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物のすべて、生活費の全部をいれたからである。』」

 そこで私が最初に興味を覚えたのは、イエス様が神殿のどの辺におられたのかと言う点だ。マルコは「イエスは賽銭箱の向かいに座って」と書いているが、そもそも賽銭箱はどこにあったのだろうか?調べた限りでははっきりわからなかった。しかし、推定はできる。なぜなら、イエス様が入ることができた神殿の庭は限られていたし、位置は女性たちの献金が見える所でなければならなかったからだ。
 The Archeology of the New Testament(by Jack Fingan, 1969)の.117-121頁によれば、ヘロデ大王が再建した神殿の境内には合計4つの庭があった。まず日の字を横に倒した形でくっついた庭は、小さい方の半分がイスラエルの「女達の庭」、大きい方の半分が「男達の庭」になっており、男達の庭の中には一回り小さい「司祭の庭」が含まれていた。そして、それら3つの庭すべてを取り巻いていたのが「異邦人の庭」だった。異邦人はそこにしか入れなかったが、イスラエル人なら男性も女性も異邦人の庭を通って、それぞれ男たちの庭と女たちの庭に入れた。しかし、祭司の庭には祭司以外誰も入れなかった。
 このように男女の庭は別々だったのだから、男女が並んで献金することはあり得なかった。従って、献金箱は男達の庭からも女達の庭からも近づける場所になければならなかったことになる。では、そういう場所があったかというと、あった。それは男たちの庭と女たちの庭をつなぐ門だ。ニカノルの門と呼ばれていたが、献金箱がそこに置いてあったとすれば、男は男たちの庭側から、女は女たちの庭側から、むしろ対面する形で賽銭を入れることができたはずだ。もしそうだったとすれば、イエス様がおられたのは男の庭の方だったはずだから、主は男の庭側にある門に近い所で、「賽銭箱の向かいに座って」献金者たちを観察なさっておられたのだと推測できる。
 ところで、ガゾフィラニオンと呼ばれた献金箱は、全部で13箱あったと言われる。それがまとめておいてあったのか、それとも別々においてあったのかは文献にないのでわからない。だが、門は全部で10箇所にあったから、仮に男たちの庭と女達の庭をつなぐニカノルの門に4個、脇の門に1箱ずつ置いてあったとすれば数は合致する。献金箱は上部が小さく底辺が広い円錐形だったから、通称「ラッパ」と呼ばれていたと言う。それは犠牲を焼く薪用、神殿の器の維持費用、祭式の香料用などと、使途別になっていたそうだ。

 では人々はどのように献金していたのだろうか?マルコは「群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた」と書いているが、おそらく金持ちたちはこれ見よがしに入れていたのではなかろうか。彼らは「自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない」(マタイ6;2)と言われた主の戒めとは反対に、人に褒められようとして献金していた。現代でも時々そういう人たちを見かける。
 ところが女達の庭の方から献金箱に近づいた寡婦は、人目を憚るかのようにレプトン銅貨2枚をそっと入れた。マルコはそれを1クァドランス(コドラン)だったとしている。それは現在の日本円にしたらいくらぐらいに相当するのだろうか?1レプトンは1デナリオンの約125分の1だった。ところで、1デナリオンは当時1日の日当額相当(マタイ20;2)だったそうだから、今の日本ならさしずめ日当1万円ぐらいだろうか。仮にそうだとすると、1レプトンは約80円相当だ。やもめの献金は2レプタだったから約160円だったことになる。それが彼女の全財産だったのだ。いかに困窮していたかがわかる。 
 ところで、どうしてイエス様は彼女がやもめで、「乏しい中から自分の持っている物のすべて、生活費の全部を入れた」とわかったのだろうか?もちろん、主は全知の神の御子だ。だからご存知だったとは言えよう。でもそう言ってしまえばそれまでだから、もう少し人間的に考えると、2つの仮説が考えられる。一つは、献金前すでにこの寡婦とお会いになっていたからという仮説、もう一つは献金後に会われたからという仮説だ。
 献金前に会われて、身の上をご存知だったら、「この貧しいやもめは」と言われても不思議はない。しかし、献金の後にお会いになった場合は少し違う。彼女が貧しいことはその様子と賽銭そのものでわかっただろうが、寡婦であることはこの時に聞いてわかったことになる。もしそうなら、献金箱のところで弟子たちに言われた主の言葉は、実際は「この貧しい女は・・・」だったかも知れない。しかし、弟子たちは後で彼女が寡婦だと知ったから、このエピソードを「貧しい寡婦の献金」として、初代教会に語り伝えた。当然、福音書記者も何の疑問も持たず「この貧しいやもめは・・・」と書いたのではなかろうか。
 ちなみにイエス様が献金後その寡婦が庭から出たところで会い、励ましの言葉をかけ、何らかの恵みをお与えになられたことは考えられないことではない。例えば、ベトサダの池で治された病人(ヨハネ5;14)や生まれつきの盲目から治され人(ヨハネ9;35)など場合に見られた、イエス様のアフターケアーのし方を考えると、それは大いにあり得たことだ。だが、これについてはこの後の考察に回そう。

 いずれにせよ、イエス様は弟子たちを呼び寄せ、この機会を捉えて、人をどう見たらよいか、物事をどう評価したらよかを教えられたのだった。おそらく彼らも一般の人々と同様、多額の献金には感心し、それをする者たちには敬意を抱いたことだろう。逆に、はした金しか入れない献金は軽蔑し、それっぽちしかできない寡婦のような貧者を軽視しがちだっただろう。
 だが主はその見方を根底から覆された。「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物のすべて、生活費の全部を入れたからだ」と。弟子たちはきっとハッとして、いかに自分たちが世間の価値観で考えていたかに気付かされたことだろう。私たちもそうではないかと省みなければなるまい。
 律法学者たちは人目につくように振る舞ったり祈ったりした。金持ちもこれ見よがしに献金した。どちらも人の目を基準にした評価を求めていた。その上、律法学者は寡婦を食い物にしていて、偽善的でもあった。それに対し、彼女は違った。威張る権威も自慢する財産も無い。ただ謙虚に、心からの献金と祈りを神に捧げるしかなかった。人目ではなく、神様に見てもらっていたのだ。しかし、彼女のささげ物は神様の前にはどれよりも純粋で、何よりも凄い覚悟を伴っていた。
 イエス様はそれをちゃんと見ておられたのだ。そして弟子たちが考えてもいなかった見方を教えられた。それは神様の見方で、教育などで言う絶対評価だった。相対評価とはある人を他の人たちと比べて、例えば献金ならAさんは1万円だが、Bさんは100万円だから、Bさんはすごい!というような評価を言う。それに対し、絶対評価とはその人自身に基準を置く評価で、例えばある算数の苦手な子が努力して、昨年よりずっと良い成績をとったら、たとえクラスの中ではまだビリでも、よくやっと褒めるような評価だ。
 1億円を持っている人が100万円寄付しても、それは財産の100分の1に過ぎない。有り余っている中からの寄付だ。それに対し、10万円しかもっていない人が1万円出す寄付は、全財産の10分の1になる。金銭的にだけ見ても犠牲は10倍大きい。実際、私はシエラレオネの子達のため月12万円の年金から毎月5千円を献金して来た方を知っている。偉いな、でも大丈夫かと心配したものだ。まさに乏しい中からの犠牲だった。しかし、神殿の寡婦はそれどころか、全財産をささげてしまった。だからこそ、入れたのはわずか2レプタだったが、「だれよりもたくさん入れた」と主は言われたのだ。億万長者の巨額献金より多かったと。
 ここに現代の私たちも学ぶべき献金の心がある。金額の多寡はどうでもよいということではない。いただく立場に立てば巨額の方がありがたいにきまっている。しかし、やはり額は二の次。大切なのはよい目的のために、心から捧げられ、痛みを伴うことなのだ。お財布の中の小銭掃除のような献金なら、しても痛くも痒くもないし、強いられて嫌々する寄付なら心からではない。そして、褒められたり見返りを期待する下心があるなら、目的が不純だ。そういう献金は神様の御心に適うものとは言い難い。たとえ小額でも、純粋で痛みも伴い、心からする献金が尊いのだ。

 もう一つ私が興味を持つのは、その寡婦がなぜ全財産を献金したのか?という点だ。福音書はそれについては何も書いていない。それを取上げた本にも出会ったことはない。しかし、寡婦が意味もなく献金したわけはないと思うから、私は想像してみる。単なる想像に過ぎないが・・・
 第一朗読の列王記上17;10-16で、サレプタの女は預言者エリヤに、最後の一握りの小麦粉とわずかな油を食べたら、あとは死ぬのを待つばかりですと言った。しかし、神様は預言者の祈りに答えて、粉と油が使っても使ってもなくならないようにし、女の死んだ息子を生き返らせたのだった。神殿の寡婦が持っていた僅かな2レプタも最後のお金だった。それを献金してしまえば、あとは死ぬしかなかったはずだ。なのに、なぜ彼女はその全てを捧げたのだろうか?
 彼女は万策尽きていた。死を待つしかないまでの極限の生活苦に追い詰められていた。助けてくれる人ももういなかったのだろう。残っていたのは絶望か希望かの選択だけだった。彼女は絶望を退け、希望を選んだ。希望はたった一つあったと思う。それは全てを神様に委ねること。では何を委ねたのだろうか?命を委ねたのだと思う。彼女は神様に賭けたのだ。だから私はそこにもの凄い覚悟を感じとったのだ。 
 ところで、イエス様は彼女の献金を褒められた。では、ただ褒められただけで、それ以外は何もなさらなかったのだろうか?とてもそうは思えない。預言者エリヤさえサレプタの女を飢饉から救い、願われなかったのに息子を生き返らせた。ましてや「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのもの」、「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」と言われたイエス様だ。そんな救い主が、心の中に深い悲しみを持ち、全財産を捧げて、神様に命を委ねた寡婦を見殺しになさっただろうか。そんなことをなさるはずはなかったと思う。
 イエス様は見ておられた。目に見える動作や、小額でも誰よりも多かった献金の価値だけではなく、彼女の心の悲苦を見通しておられた。それは神様が心をちゃんと見ておられるということだ。主が彼女を褒められたということは、そのささげ物が御心にかなったことを意味する。その献金には彼女の生活の痛みも心の痛みもこめられていた。そんな人を主が見てみぬ振りをなさるはずがない。だから私は、主が彼女の痛みを癒されたに違いないと想像するのだ。
 主はもう何回も、「あなたの信仰があなたを救った。」「女よ、あなたの信仰は立派だ」と言われ、御心にかなう信仰を持っていた人々に応えておいでだ。それならば、この寡婦にもそうなさらなかったはずはない。ただし、彼女は黙って献金したので、主も黙って応じられたのだと思う。だから、主が彼女の心になさった解決の恵みが何だったかは誰にもわからない。ただ弟子たちには、神様の見方と彼女の献金のすばらしさはわからせておこうと、主は福音書が語るように話されたのだと思う。しかし、それだけ学んで、主がこの寡婦になさっただろうと思われる慈しみの業まで考えないならば、その福音理解は半分だけだと思う。
 現代でもこの寡婦と同じように、明日以降がどうなるかわからない人たちは少なくないはずだ。私の近くにも思い当たる人たちがいる。その悲苦は、私もかつて明日が見えない生活をしたことがあるからわかる。でも悲しいことに、現代の人たちは多くが、神様にむかって「生きさせてください」とは願わない。命を神様に委ねない。例えば自死のように、自分で始末をつけようとする。だから、あぁ、寡婦のようにすべてを神様に委ねることができるといいのに…と思うのだ。彼女は信じて疑わなかった。
 「主は御目を注がれる。主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
彼らの魂を死から救い、飢えから救い、命を得させてくださる」(詩編33;18-19)ということを。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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