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オーハラ ¡Ojalá!

 いつであったか、カトリック新聞に来住英俊神父様が「説教の説教」という連載を書いていた。その5回目は「プロテスタントの説教」だった。私はそれをたいへん興味深く読んだ。かつて玉川大学で、毎週4回の礼拝を通して、おおぜいの学生たちに聖書の話しをしてきたからだ。
 同神父様はプロテスタントの説教を「実話のない」説教だとし、それでいて人を惹き付けると評価していた。そして、そのわけを原稿がよく練られ、推敲し尽くされているからだと見ていた。私もプロテスタント教会で何度も牧師さんの説教を聞いた経験があるから、その評価にはある程度同感だ。しかし、実話を使う牧師さんもいるし、人を引き付けない説教もある。一概には言えない。
 それに対し、カトリックの神父さんたちの説教がいつも実話で成り立っているかというと、そうとも言えない。理詰めでも、実にわかりやすくて見事な説教も聞いたことがある。話のプロなのだから、しっかり準備せよと言うことは当然だ。しかし、実話があるなしは説得力のある説教になるかどうかとは、あまり関係がないのではなかろうか。私の経験では、実話または例話は入れた方がよい。理論は覚えにくいが、具体例はストーリーで残るからだ。イエス様もよく譬えを話された。
 
 説教について、私がこうなればいいのにと思うことは、そういう技術的なことではない。イエス様を見習ったらどうなのだ、ということだ。そして、そうだといいのにと思う。この願望と要望が混ざったような、「そうだといいのに…」という思いはスペイン語ではオーハラ “¡Ojalá!”という。説教に対する私のオーハラは、牧師さんたちにも神父さんたちにも言えるのだが、「なぜ説教台から一方的に話すだけなのですか?なぜ聴衆からの質疑を受けないのですか?」という疑問からくる。
 そもそもイエス様ほど人をひき付け、心を揺り動かし、大きな成果を生むお話しをなさった人は稀だと思う。まさに説教者の最高のお手本、究極の理想ではなかろうか。では、そのイエス様はどのようになさったかというと、人々に向かって一方的には話されなかった。むしろいつも対話なさった。対話は話者と聴衆とのやりとりで成り立つ。イエス様はファリサイ派のエリートにも、庶民、老若男女、子どもも混じる群衆にも話し、質問があればお答えになった。

 ところが、教会の説教はどうだろうか?対話が全くない。制度的にも慣習的にも一方的な伝達の形式をとっている。それでも興味深く、ひきつける内容なら、聴衆は素直に敬意をもって聞く。しかし、つまらない場合でも聞いていなくてはならない。内容に不満だったり不愉快だったりしても、聴衆には発言が許されていない。異議などとんでもない。好意的な感想さえ言えないのだから…
 これでは批判されたり反論されたリする危険はなく、聞く人々は圧倒的な受身に置かれる。プロテスタントの教会の実情は知らないが、カトリック教会では面と向かって神父様に、「今日の説教はつまらなかった」とか、「実情も調べずに決め付けるのは間違っていませんか?」などと言う信者はまずいない。だから安易になり、問題のある内容であってもまかり通ってしまう。

 答えは明白だ。そんな状況をなくすことに尽きる。話術も、しっかりした準備も、聴衆の心理をつかむことも大切だろう。しかし、小手先の改善だけではなく、もっと根本的なことは、誠実な対話の姿勢をもつことではないかと思う。ミサや礼拝の後、勇気を出して、「何か質問はないですか?5分ぐらいなら、質問を受け付けますよ」というぐらいの説教者は出ないだろうか。私はそれがイエス様のなさった説教を見習う手始めだと思う。講演などだって、後で質疑に応じるではないか。
 しかし、説教者に対する私のもっと切なるオーハラは、主の福音がどんなにすばらしいかを情熱をもって信じ、日常生活でそれを実践してくれることだ。信者を等しく愛してもいない人が、いくら話術巧みに愛を説いても説得力はない。“Preacher, practice what you preach!” (説教者よ、汝の説くことを実践せよ)と言われてしまう。よい説教とは実り豊かな説教であり、実り豊かな説教とは、最終的には話す人の人間的すばらしさに裏づけられたものだ。イエス様の説教はまさにそれだった。
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どちらが大事か

 過去5回、主日のミサにはヨハネの福音書が読まれた。しかし、8月30日の年間第22主日からは、再びマルコの福音書に戻った。この日は7章1-23節が朗読された。それは ファリサイ派の人たちと数人の律法学者たちが、エルサレムからイエス様のところにやって来たことを伝える。彼らがすでに主を殺そうと相談し始めていた(マルコ3;6)ことを思い出せば、この日の来訪者が主を失脚させるための証拠集めに送りこまれた、ということは容易に察しがつく。
 案の定、彼らはイエス様の弟子たちが、手を洗わないで食事をする現場を目撃すると、すぐそれを攻撃材料に使った。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか?」と。イエス様はもちろん反論なさる。しかし、その反論を聞く前に確かめておきたいことがある。1)弟子たちはどこで食事をしていたのか?2)昔の人の言い伝えとは具体的にどんな内容だったのか?この2点だ。

 まず第一点目だが、17節には、「イエスは群衆と別れて、家に入られると…」とある。ということは、それまでは屋外におられたのだと推察される。ならば当然弟子たちも屋外にいて、そこで何かを食べたのではないかと思われる。さもないと、ファリサイ人たちが彼らの食事の様子を目撃することはなかったはずだからだ。おそらく病者貧者の出入りも多く、弟子たちは忙しい合間に簡単な食事をとったのではあるまいか。食事の時間もなかった例(マルコ6;31)は以前にもあった。
 ところでユダヤでは、屋内に手を洗うために備え付けられた水がめがあった。だが、屋外だとそれがない。だから、弟子たちは忙しさにかまけて、手を洗わずに食べたのではなかろうか。そもそも漁師出身者などが多かった彼らだ。普通なら手を洗うきまりも守っただろうが、仕事で超多忙の時などには手を洗う暇もないこともあっただろう。彼らはファリサイ人たちのように、何をおいてもそれを守るほど几帳面ではなかったと思う。だから省いた。そこを目撃されたのだった。

 もう一点は、食事前に手を洗うというきまりの具体的内容だ。マルコ7;3-4はその説明だが、当時のユダヤ人たちは食事前に手を洗う、市場から帰ったら身を清める、いろいろな器や道具を洗浄するなどのしきたりを守っていたのだ。この例示の中に、「昔の人の言い伝えを固く守って」と「念入りに手を洗って」という表現がある。それを見たとたん、私の中で好奇心が頭をもたげた。
 「念入りに」とはどの程度を言うのだろうか?と。そこで参考にと仏語訳を見たら、“Les juifs ne manngent pas sans s’être lavé les bras jusqu’au coude” (ユダヤ人たちは腕を肘まで洗わなければ食事しない)とあった。訳が全然違うではないか!そこで、いくつか他の訳も見たら、「念入りに洗う」派(新共同訳、日本聖書協会訳、ヘブライ語訳等)と、「肘まで洗う」派(ヴルガタ訳、仏訳、バルバロ訳等)に分かれていることがわかった。では、ギリシャ語原典はどうかと調べて見たら、「拳で手を洗わなければ食べない」だった。どちらかと言うと、「肘まで洗う」派の方に近い。 
 でも、拳で手を洗うとは、いったいどういう洗い方なのだろうか?目的は衛生観念からではなく、不浄を清めるための儀式だった。だから、まず指を水に浸すと手を立てて、水を指先から肘まで流した。その水は汚れを含んでいるから、肘から落としてしまわなければならなかった。次は逆に手を下げて、水を肘からかけ、指まで流して落とす。そして、最後は拳で片方の手をこすった。これで清めが済んだのだったそうだ。これを知ると、「腕を肘まで洗う」という仏訳は正確に思える。しかし、煩わしい形式的な洗い方を見ると、「念入りに洗って」という訳もある意味で納得できると思った。

 では、そういう浄不浄のきまりを書いた記録はあるのだろうか?ミシュナやタルムードという文献には書いてある。もっともタルムードはイエス様の時代にはまだ存在しなかったから証拠にはならないが、ミシュナは西暦紀元前からあったので参考になる。ところが、ミシュナとは何かというと、最初は書かれたものではなく、律法の専門家たちが述べた教えの言い伝えだった。つまり、イエス様の時代のユダヤでは、旧約聖書が「書かれた教え」なら、ミシュナはそれをコメントし、それと並存する「口伝の教え」だったのだ。
 ミシュナの関心は旧約聖書の戒律に集中している。紀元前2世紀頃から、律法の学者達はモーセの律法にある個々の問題の解決をしたり、敷延して説明したりすることに努力した。その結果、その知的蓄積は膨大な慣習法的なシステムとなり、律法学者やファリサイ人たちによって受け継がれて行った。マルコが「昔の人の言い伝えを固く守って」と書いたのは、まさにそのことだったのだと言えよう。 
 それは後にラビ・イエフダ・ハンナシ(AD 135-217)によって最終的な記録文書になった。全6編(セデール)で成り、63部、523章、4187項目にも及ぶものだそうだ。ところで、その第6編12部は「トハロート」と言い、浄不浄(pure or impure)はそこで扱われているそうだ。「そうだ」と伝聞で書くのは、残念ながら、私はミシュナ全集を持っていないからだ。だがそこを読めば、おそらくマルコ7;1-23の手の洗い方も見つかるのではないかと思う。今はそれを確かめられないが… 

 さて、イエス様は彼らの質問にはお答えにならず、まず預言者イザヤの言葉を引用して、彼らが口先で神を敬っても、心は遠く離れていると非難し、彼らが神の掟よりも、その解釈のために人間が後から加えたきまりを大事にしていると指弾された。つまり本末を転倒している。それなのにそれに気付かず、自分たちを正しいと思い込んでいる、と。
 その例として、イエス様はモーセの十戒にある人間の第一義務、「父と母を敬え」の掟を取り上げられた。彼らはコルバン、つまり神への捧げ物ですと言えば、父母には何もする義務がないとしていたからだ。口で神様に捧げますと言うだけで、実際は自分の物であることには何ら変わりがないのに、神様に捧げてしまったものだから、たとえ親が困窮していても、親に上げるわけにはいかないという屁理屈だ。イエス様は、あなた方は人間の伝えた解釈をよしとし、神の言葉を捨てていると非難なさったのだ。

 そして、その後で初めてファリサイ人たちの質問への答えを、群衆に向かって言われた。「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出てくるものが、人を汚すのである」と。現代人で潔癖な人は、「では、イエス様は食前に手を洗わなくて言いといっているの?教育的に悪くない?」などと誤解するかも知れない。しかし、そんなことを言われたのではない。手洗いは衛生面ではよいことだ。子ども達には奨励していい。とくに新型インフルエンザが流行しそうな現在は尚更だ。
 イエス様は手を洗うことが必要ないと言われたのではない。浄不浄についてのきまりは人間がつくったものだ。だから、是が非でも守らなければならない掟ではない。それよりもっと大事なのは神の掟だ。それこそ優先的に守るべき物なのだと言われたのだ。彼らがそういう清めのきまり等を、隣人愛やモーセの十戒と同等に見なしていたからだ。そこに彼らの間違いがあった
 ユダヤ人には飲食してはいけない物(血、鱗のない魚、甲殻類、虫、豚、兎、等々)、触れてはいけない物(人や動物の死体、生理中の女性、等々)などの禁止規定が沢山あった。今でもある。もしそれに違反したら、人は不浄になったとされた。不浄とは宗教的祭儀に出られない状態のことを意味した。だから清めが必要だった。その多くはレビ記などにある規定だが、律法学者やファリサイ人たちはそれを解釈して、もともと煩雑だった規定をさらに複雑にし、律法の精神とは逆のきまりまで加えるに至ってしまっていたのだった。

 ところが、彼らはこうしたきまりを忠実に守ることが神様の御心に適うことだと誤解していた。だからイエス様は、そうではない、もっと根幹的な神の掟がある。それを守ることの方が大事で、手の汚れなどは枝葉末節の問題だ。手を洗うのは悪いことではないが、洗っても洗わなくてもいいことなのだ。そんな人の定めた決まりを守っても、神がお喜びになるわけではない。たとえ洗わない手で物を食べても、人は汚れない。外から体に入る物が人を汚すのではなく、人の中から出るものこそ人を汚すと言明なさったのだ。
 現代人にとっても、ユダヤ人たちの呆れるほど煩瑣なしきたりは馬鹿げているが、主の説明は筋が通っていると思えるだろう。おそらく群衆も、聞いて「うんうん」とうなずいたのではあるまいか。しかしそれは、エルサレムから来たファリサイ人たちにとっては、測り知れない衝撃だったに違いない。なぜなら、彼らが何よりも大事だとして信奉してきた伝承を、何の意味もないと一蹴し、モーセによって与えられた律法の一部をも廃棄するという、唖然とさせられる言明だったからだ。
 イエス様は預言者イザヤの言葉を引用なさったとき、「あなたたちのような偽善者のことを見事に予言したものだ」と言われた。偽善者という言葉は、善人面をしている食わせ者を意味することが多い。この場合、「偽」は人の方にあり、善の方にはない。行う善は間違いなく善だが、行う人の魂胆に人を欺く嘘偽が潜んでいる、という意味で偽善者と言う。ところが、この日の福音で主が言われた偽善者は意味がやや違うようだ。「偽」は人の方によりも、むしろ善にあると思えるからだ。
 実際、ファリサイ人たちは祖先からの言い伝えの遵守が、神様の御心に適う正しい教えだとまじめに信じきっていた。そこに嘘偽りはなかったと思う。しかし、彼らが信じていた教えには「偽」があった。彼らは偽物の宗教を、真実で価値ある善だと信じこんでいたのだ。つまり、「偽の善を信じ込んでいた」という意味での偽善者だったのだ。そこに悲劇があった。だからイエス様はそれをはっきり指摘なさった。これも彼らに改心を促すためだった、と私は理解する。

 17節以降はイエス様が家に入ってからの話になっている。弟子たちは、外から入るものが人を汚すのではなく、中から出てくるものが汚すというお話の意味がよくわからなかったらしい。そこで主は説明なさった。「すべて人の体に入るものは、人を汚すことができないことがわからないのか。それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる」と。
 そして、続けて言われた。「人から出てくるものこそ、人を汚す。中から、つまり、人間の心から、悪い思いがでてくるからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの思いはみな中から出て、人を汚すのである」と。ただ、これをマタイの共通箇所と比べると、悪徳の例には違いがある。従って、これは全部が全部イエス様が言われたままのお言葉ではなく、福音記者マルコが初代教会の倫理観を、イエス様の口を通して付け加えたのかも知れない。 
 ここは弟子たちに話した内容だが、人々を家に入れなかったとは書いてないから、ファリサイ人たちも入ってそれを聞いたかも知れない。しかし、たとえ聞かなかったとしても、彼らにはもうイエス様の教説が自分たちの信奉する教えとは相容れないと、はっきりわかったに違いない。主の教えに心を打たれて、内心信服し始めたファリサイ人もいた可能性は否定できないが、おそらく大多数はエルサレムに戻って、主への反感と敵意を増幅させていったのではなかろうか。
 いずれにせよ、主が弟子たちに話された悪徳は、多くがモーセの十戒に反するものだ。キリスト教倫理は全聖書の教え、特にイエス様のお言葉に照らして、人の行為を「すべきこと」と「してはならないこと」に大別している。ここに出てくる12の悪徳は、「してはならないこと」の反福音的な罪悪リストだ。おそらくそれは初代教会が共有していた倫理観を反映しているのだと思う。それは聖パウロがローマの信徒への手紙で列挙した21の罪悪リスト(ロマ1;28-30)とも共通している。そして、それと対称的な善徳のリストが、一コリント12;31-13;13で「最高の道」と称される愛の諸行為なのだと思う。

 では、この箇所のメッセージは何であろうか?第一に、それは枝葉末節的なきまりと根幹的な掟ではどちらが大事か、それを見極めなさいということではないかと思う。木にとっては、枝葉末節ももちろん大切だ。それなしには勢いを失う。しかし、根幹は枝葉なしでもありうるが、根幹なしの枝葉はない。そして、枝葉というものは状況や必要に応じて変わるし、剪定もされるものなのだ。 
 イエス様が旧約時代だけに必要であり有効だった諸規則を改廃し、重要な神の掟をクローズアップなさったのはそれに当たった。レビ記などにある煩瑣な浄不浄、禁止食物、厳しすぎる刑罰等の規定は枝葉のようなものだった。ましてや、枝葉でもなく、それに寄生した宿木に過ぎないような「昔の人の言い伝え」などは尚更だった。手を洗うしきたりやコルバンはその例だったが、それらは「どちらが大事か」と問われる価値すらないものだった。大事なことは、守るべき掟の優先順位を悟ることにある。 
 次に、外面的な掟やきまりを形式的に守っているだけでは、神様の御心には適わないということに気付きなさい、というメッセージでもあると思う。日曜日には必ずミサに与り、教会維持費はちゃんと払い、聖書講座にも出席する人は立派ではある。でもそれだけでは、ファリサイ人たちとそんなに違わないのではなかろうか。人の目には良い信者に見えても、隣人を心にかけず、心中に悪徳を潜ませていたら、神様の前では違ってくる。神様の御前では、内面にあるものこそが問われるのだからだ。

原型と原点

聖書反芻 

 「それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。」年間第15主日の福音マルコ6;7-13はこのように始まる。「遣わす」はギリシャ語でアポステッロと言い、これが「派遣された者」=使徒(apostolus, ap醇stre, apostle)の語源となった。12人はただの弟子ではなく、使徒となったのだった。
 イエス様は町々村々を巡り、その時まではご自分で人々に教えておられた。しかし、いよいよ弟子たちをご自分の代理として、世間に送り出されたのだ。将来のために、もう訓練に出す時が来たと判断されたからに違いない。彼らにはやがて自分たちだけで宣教しなければならない日が来る。この派遣はその実地訓練だった。
 マルコはそれを、準備、実行、事後の3段階に分けて書いている。しかし、一番念入りに記録したのは準備段階についてだった。それに比べ実行段階の記述は非常に短い。事後の段階は、間に洗礼者ヨハネ殺害記事が入るので気付かれにくいが、6章30-32節にある。ただしこれはこの主日の福音の範囲外なので、ここでは取り上げない。

 準備段階で、イエス様はまず使徒たちを二人一組にされた。なぜそうされたのだろうか?実はボーイスカウトも二人一組をバディと呼んで、これを実践している。それは?困った時に知恵を出し合って切り抜けられる、?一人が怪我病気などに見舞われても、もう一人が対応できる、等の利点があるからだ。弟子になってまだ日も浅く、福音についての知識も経験も未熟だった使徒たちにとって、それはボーイスカウトよりもっと多くの、次のようなメリットがあったからだと思う。
 ?未熟だったから、彼らは主の教えを間違って伝えるおそれがあった。しかし二人いれば、一人が間違ってももう一人が注意して学習し合い、間違いを好転させることができた。
 ?いろいろな誘惑などによる敵対勢力の切り崩しも、二人一緒ならそれが防げた。
 ?一人だと辛さや気分に負けて怠け、嘘の報告もしかねないが、二人ならそれが防げた。
 ?熱心に宣教しても成果が出なければ、人は失意落胆する。しかし、二人なら励まし合えた。
 おそらくこのような利点があったから、主は彼らを二人一組のシステムになさったのではなかろうか。
    
 では、その他にどんな準備があったかと言うと、一つは汚れた霊に対する権能の授与、次は旅に持っていく物、そして三つ目は行く先々での心得があった。この中で最も重要なのは悪霊に対する権能だったと言える。イエス様はこのとき、初めてそれを彼らにお授けになったのだった。旅の持ち物と心得は時代と場所で変わって行くが、悪霊に対する権能は使徒職そのものに直結し、現代にまで変わらずに受け継がれて来ている霊的な力であった。
 旅に持って行っていいと言われた物は杖一本だけ。持って行ってはいけない物はパン、袋、帯の中のお金。身につけるものは下着一枚と履物だけだった。当時としても驚くほど簡素な旅支度だ。私たちはハイキングやキャンプに行く時、実にいろいろな物を用意する。弁当、水筒、薬、着替え、懐中電灯、地図、筆記具、そしてきっと携帯も持っていく。帽子、ポシェット、サングラスも忘れないだろう。昔と今は違うから単純に比較しても意味はないが、お金もパンも持つなというのは驚きだ。それは絶対必要な物まで削ったということだから、常識的に見れば無謀に見える。
 だが裏返せば、それは人の善意と神様の摂理に絶対の信頼を置けということを意味した。「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。…あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ 6;31-33)主は弟子たちが宣教旅行の間に、こういう真理をも身をもって学べるよう、彼らに極限まで削ぎ落とした身支度をさせたのだと思う。後にアッシジの聖フランシスコは、この究極の清貧スタイルを、自分が創立した托鉢修道会の原型とし原点ともしたのだった。

 準備の三つ目は宣教に出た先々での心得だったが、主はこう指示なさった。「どこでもある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい」と。このガイドラインは、弟子たちの宣教がどんなものであったかを知る手がかりとなる。
 主は「どこでもある家に入ったら」と言われたが、入れてくれる家はあったのだろうか?ユダヤでは、教師であるラビが来たら迎え入れなくてはならなかったと言われる。しかし、誰もがそう好意的だったとは思えない。ましてや、弟子たちはラビではなかった。イエス様が一緒ならいざ知らず、彼らだけで行った場合、知らない土地の人たちが、そう簡単に信用して受け入れてくれただろうか。今の日本ではよく門などに「宗教、セールスお断り」の文言を見る。当時のユダヤでも、見知らぬ男二人ではうさんくさく見られ、拒絶されることが多かったに違いない。嘲笑もされただろう。そういう困難の予感は出発前の彼らを不安にさせたと思う。
 だから、イエス様は彼らを励まして、彼らを受け入れなかった所では、去り際に証しとして足の裏の埃を払い落とせと言われた。昔、ユダヤ人は異邦人の地から帰る時は身が汚れているから埃まで払ったという。最後の夜、イエス様はペトロに「既に体を洗ったものは、全身が清いのだから、足だけ洗えばよい」(ヨハネ13;10)と言われた。足の裏は体が接地している唯一の部分だ。その埃まで払うということは一切を返すという意思表示で、「我々は神からの福音を伝えた。それなのにあなたがたは拒否した。だから、責めは一切あなた方にある」という意味に他ならなかった。これはイエス様が彼らを勇気付け、失望落胆しないように打った布石だと思う。このガイドラインを読んだだけでも、この宣教実習旅行がたやすい使命ではなかったことがわかる。
 
 しかし、「12人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。」一つの村や町に6組で行ったのか、それとも1組ずつ行ったのかという疑問が湧くが、おそらくこれは後者だっただろう。では、行った地域はどこだったのだろうかというと、それはガリラヤ地域だけだったはずだ。この宣教活動は実習的でもあり短期的でもあったからだ。サマリアやフェニキアなどは近隣だが、主が彼らを異邦人の地域に行かせなかったことは、マタイ10;5の言及でわかる。
 ところで、弟子たちが出かけていた間、イエス様はどこで何をしておられたのだろうか?それについてはどの福音書にも書いてないが、12使徒以外にも弟子たちはいたし群衆もいたのだから、何もしないで12使徒の帰りを待っておられたはずはない。主ご自身もあちこちで福音を伝えておられたのだと思う。ただ、12使徒たちが宣教の旅の後、「イエスのところに集まって来て…」(マルコ6;30)とあるのを見ると、落ち合う場所はあらかじめ決めてあったということがわかる。

 さて、弟子たちは行く先々で宣教活動をし、悪霊の追放と病人の治癒を実行した。宣教は悔い改めさせることが目的だったが、では、彼らはどのような告げ方をしたのだろうか?彼らの宣教スタイルはイエス様が、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と呼びかけた初期宣教の延長線上にあったと考えられる。それは預言者的だった。預言者とは神からのご託宣を人々に告げる伝達者だったが、その伝達は王の使者が、広場で人民に公布宣言するようなスタイルだった。
 それと対照的なのが文献を考証して論理的に組み立てた、理屈っぽい学者的な説教だ。もちろんそれがだめだとは言わないが、12使徒の伝え方は違っていただろう。彼らは学者でも知者でもなかったからだ。第二朗読の預言者アモスが司祭でも、職業的預言者でもなく、羊飼いだったのに似て、彼らの多くは少し前まで漁師や収税人などだった。だから、彼らは学者的な論理で構築した説教ではなく、イエス様から教わったままを、単純素朴に伝えるスタイルで宣教したと思う。
 では、その宣教内容はどんなものだったのだろうか?悔い改めの勧告があったことは明らかだ。しかし、私はそれ以外のことも入っていたのではないかと思う。なぜなら、彼らはもう悔い改め以外の教えも聞いていたし、奇跡も目撃していたからだ。例えば、神の国のことや譬えなども、聞きかじりではあっても話しただろうし、いくつかの奇跡についても証言したのではないかと推察できる。 
 そうは言っても、彼らが宣教した内容はまだ初歩的で、未完結だったと言わざるを得なかった。なぜなら、福音の核心は救いの神秘にあるが、それに必須な御子による主の十字架の犠牲も復活も、聖体の秘跡の制定も聖霊の降臨も、 12人が宣教に出たその時点ではまだわかっておらず、ましてや実現はしていなかったからだ。その点では、聖霊降臨後の聖ペトロの説教や、伝道旅行に出た聖パウロたちの宣教内容とは大いに違っていた。この伝道旅行では、宣教内容もまだ予行演習レベルだったのだ。でも、その時はその時で、彼らは精いっぱい宣教したのだと想像する。
 
 事実、「そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」とある。悪霊の追放とは、罪の力から人の心身を解放し、恵と永遠の命溢れる神の国に、民を取り戻す戦いだった。洗礼の時、教会の「悪魔をすてますか?その業を捨てますか?」の問いに、私たちは「はい」と誓う。その最初の働きはこの時に始まったのだ。しかし、彼らが悪霊を追い出せたのは彼らの力量ではなく、主が与えた権能のおかげだった。だから、別の宣教旅行の後では、弟子たちが「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」と言ったとき、主は「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10;20)とたしなめられたのだった。
 彼らは病人の治癒も行った。これも主からいただいた力のおかげだった。どんな病気を癒せたのかはわからないが、彼らは「油を塗って」癒したとある。しかし、私が知る限りでは、イエス様が油で病人を治癒なさったことは一度もない。してみると、これは主が弟子たちに教えた治癒方法なのかも知れないが、これに言及しているのがマルコだけだという事実からすると、すでに初代教会で行われていた病者の塗油の習慣を、彼がポロリとここに書いてしまった可能性もある。いずれにせよ、ここには病者の秘跡の原型と原点がある。

 さて最後に、なぜマルコが弟子たちの宣教記事の中で、出発前の準備や心得を入念に書き、実行段階は短く扱ったのか、という問いを取り上げてみる。もちろん、イエス様が弟子たちに心を配り、細かな指示までなさったという事実があったから、彼はそれをありのままに書いたのだろう。しかし、私はそれだけではなかったと見る。なぜなら、そういう事実があっても、マルコはそれを簡略に済ますこともできたし、逆に宣教の実行段階はもっと詳しく書くこともできただろうからだ。ところが、彼はそうはしなかった。なぜだったのだろうか? 
 まず、実行段階を短く扱ったわけだが、マルコの福音書が書かれた頃、福音の内容はもう12弟子の宣教実習の頃とは大きく変っていた。聖体の秘跡があり、主の死と復活は成就し、聖霊は降臨していた。要するに福音は完結していたのだ。そうなると、未完結だった宣教実習の頃の教えはもう更新され、過去のものになっていた。だから、それは詳しく書く意味がなかったのだと思う。
 ところが、宣教の準備段階はまだ十分意味があり、それについては詳しく書く必要があったのだ。なぜなら初代教会は、ちょうど12人が主なしで宣教に出たように、彼らも主なしで福音を宣教しなければならない状況にあったからだ。その状況はある意味で12弟子派遣のそれと重なっていた。しかし、違いもあった。主が去って40年近く、マルコの福音書ができた頃、キリスト教はもはや小さな弟子集団ではなく、近隣諸国にまで広まった一大共同体になっていたからだ。マルコはそこに、内向きの組織防衛志向、財力や世間に迎合する危険を見たのではなかろうか。
 だから彼は、12弟子の宣教旅行準備を念入りに伝えたのだ。それによって、懸念される危険を当時の教会の中で、暗に気付かせようとしたのだと思う。「初心を忘れるな。貧しくあれ。物や金に頼るな。神のお力にこそ信頼を置け。内に籠らず外に向いて、福音は単純明快に伝えよ。人々の拒否に驚くな。世間に迎合するな。12使徒たちのあの時のあり方こそ、福音宣教の原型であり、原点なのだ」と。

 誰と組んだかは知らないが、その宣教実習の時の一人だった聖ペトロは、後に「わたしには金や銀はないが、もっているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(徒3;6)と言って、足の不自由な男を治癒している。彼は実習時に学んだことを、その後もずっと忠実に実践していたのだ。
 時代が移れば物事も変わる。福音宣教においても然りだ。しかし、その原型と原点は初心の証しとして変わらずに残る。だから、それは現代にも通用する。もちろん、福音宣教は一義的には教会の使命だ。したがって、私には関係ないと言う信者もいるだろう。だが、福音は言葉によるだけではなく、生き方そのものによっても伝えられるものだ。私はそこに、私たちすべてへのメッセージがあると思っている。

 ところで振り返ると、聖書反芻を始めたのはちょうど一年前の7月19日だった。そこで、今回をもってこのシリーズを打ち切りとしたい。訪問してくださった皆さん、ありがとう。次からは聖書温故知新のシリーズとしたい。やはり主日の聖書が中心だが、書く日は気ままに選ぶつもりだ。お知らせまで。

去就を決める

 年間第20主日の聖書は、第一朗読がヨシュア記24;1-18b、第二朗読がエフェソ5;21-32、福音がヨハネ6;60-69だ。共通しているテーマは去就だと思う。
 ヨシュア記の舞台は紀元前1200年代だが、書かれたのは預言者エレミヤがいた紀元前600年代だ。出来事の約600年も後に、いったい誰がこんなに詳しい歴史を書いたのだろうか?伝承だけでなく、おそらく何らかの記録資料が残されていたのだろうが、士師記、サムエル記、列王記上などが同時期に書かれたことに私は驚く。日本がまだ弥生時代だった頃の記録だからだ。
 ヨシュア記のこの箇所は同書の最終章だが、その内容も驚きに価する。そこには信仰を各自の自由意志に任せる思想があるからだ。ヨシュアはモーセの後継者としてイスラエルの12族を率い、約束の地カナンの地を獲得して各部族に分配した。今日の箇所は彼が12部族の主だった者たちを集め、彼らに「主を畏れ、真心を込め真実をもって…主に仕えなさい」と勧告しつつも、どの神に従うかは、それぞれの意志で去就を決めなさいと、彼の遺言を語った場面だ。
 彼は言った。「もし、主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます」と。民は「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません」と答えた。でも、彼らはやがて主なる神を捨て、他の神々に走ってしまうのだが、こんな昔、どの神を信じるか自分で選びなさいと、信仰の自由が語られたことは、そのこと自体がとても新鮮に思える。
 聖パウロのエフェソの教会への手紙5;21-32も去就を語る。それは夫婦愛と相互の忠実さを説いている箇所だが、そこには、「人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人一体となる」(創世記2;24, マタイ19;5)という聖句が引用されている。父と母を離れ、一人の異性を選ぶということは、人にとってはまさに人生で最大級の去就の一つに違いない。ところで、夫と妻のその絆は、キリストに対する教会の愛と忠実に類比される。だからこそ、この主日に朗読されるのだと思う。

 福音のテーマは主イエス・キリスト様に対する弟子たちの去就だ。天からのパンの話が始まったとき、イエス様の周囲には大別して3種類の人がいたと言ってよかろう。第一は群衆の大部分に当たる、損得で来ていた人々。第二は12使徒などのように、イエス様に心服していて、よほどのことがない限り主を離れるつもりはなかった人々。そして第三は、そのどちらでもない、気持ちがどっちつかずの人々だった。多くの弟子はこの類の人々だったようだ。
 ヨハネ6;60-69の場面には、第一の部類に入る人々、つまり損得で主を追って来た群衆の姿はもうない。話が終わる前に、彼らはもう去就をきめ、立ち去り始めていた。しかし、その雰囲気は残されていた。弟子たちの多くが、「実にひどい話だ。だれがこんな話しを聞いていられようか」と、ひそひそ言い合ったのは、おそらく群衆が、「馬鹿馬鹿しい。聞いちゃいられない話だ。気分が悪くなる」などと、捨てぜりふを残した雰囲気の影響を受けたからだろう。「あいつらが言ったことはもっともだよな」と、群衆に同感してしまった呟きだったのだ。

 イエス様それに気付いて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……」と。ところが、この一節は仮定文としては完結していない。下半分がないのだ。写本の時に書き落としたのではないかと想像できるが、原典も、ヴルガタ訳、仏訳等もほとんどがそうだから、共同訳は忠実に訳したわけだ。
 でも、この「……」にあえて適切な後続文を入れて完結させるとしたら、どういう文言が妥当なのだろうか?それに興味を覚えて、手持ちの聖書で調べて見たら、英訳は ”Then what if…”、日本聖書教会訳は「上るのを見るならば、どうなるのか」、バルバロ訳は「昇るのを見たら〔なんというだろう〕」と補足していた。何となくわかる気もするが、これではやはり隔靴掻痒の感は残る。
 そこで私ならどう書くかを考えて見た。「人の子が…上るのを見る」の主語は「あなたがた」(弟子たち)だ。そして、「上るのを見る」は「天から降った」と対称的になっている。ところで、彼らが躓いたのは、主が天から降ったパンで、そのパンが主の肉であることを信じられないことにあった。だとすれば、このお言葉は、「あなたがたは、人の子が天から降った生けるパンであることを信じられないのか?それなら、ましてや人の子が天に上るのを見るならば、もっと信じられないだろう」という意味になるはずだ。だから、「人の子が…上るのを見るならば…」の後には、「あなたがたはどうしてそれを信じられるだろうか」という文を入れて補足するのが妥当だろう。私はそう思う。

 それに続く「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」というお言葉も、わかるようでわかりにくい一句かも知れない。しかし、次のように解釈するとすっきりわかると思う。これは人間の目線(肉)ではなく、神様の目線(霊)で見ることを学びなさい、と言っておられるのだと解釈するのだ。
 群衆がイエス様を追ってきた動機は、パンを腹いっぱい食べられる欲望にあった。まさに肉の行動だった。だから、浅はかな人間の知恵と経験で判断し、天からのパンのメッセージを信じなかった。それはもうブログの「さかしらな愚かさ、愚かしげな賢さ」に書いたが、肉なる人間の欲求と自然的な人知を基準にしていたら、神様の啓示はいつまでも理解できないし、信じられない。それが「肉は何の役にも立たない」の意味だ、と解釈するのだ。
 逆に「父が引き寄せて」(ヨハネ6;44)くださる者には、「聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ14;26) つまり、神様の目線で物事を見る知恵と判断力をくださる。だからだろうか、共同訳は「命を与えるのは“霊”である」と、霊を引用符で囲んで、その意味に含みをもたせ、聖霊を暗示しているように見える。いずれにせよ、イエス様が語られた命のパンの啓示も、神与の知恵と恵みによってこそ理解でき、信じられる。「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」とはそういう意味だと思う。

 ところが、弟子たちの多くも離れ去り、もははイエス様と共に歩かなくなった。ルカの福音書は70人の弟子が宣教に出た(ルカ10;1)と書いている。弟子たちとは12使徒以外のそういう人たちのことだったと思われる。彼らは3種類の人々の中でどっちつかずの人々だったのだろう。群衆はすでに去就を決していたが、この弟子たちも群衆に続いて去就をきめた。去る方を選んだのだ。そして、もうイエス様について行かなくなった。
 残ったのはわずかな人たちだった。そこで主は12使徒に言われた。「あなたがたも離れて行きたいか」と。ヨハネ伝で12人という言葉が出るくるのはここが初めてだ。それに注目すると、主の問いかけは、ヨシュアがイスラエルの12部族の主だった者たちを集めて、主なる神に従うか、他の神々を選ぶか、各々の意志で去就を決めなさいと言った故事を想起させ、それとオーバーラップしてくる。事実12使徒は、旧約の神の民12部族に対応する、新約の神の民の12代表なのだ。だから、主は彼らが主に従ってついてくるかどうか、その去就を問われたのだ。
 するとシモン・ペトロは答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と。彼は「わたしは」ではなく「わたしたちは」と言った。明らかに自分が12人の代表だと自覚し、主を信じ、主について行きます、と立派に去就を表明したつもりだった。

 この日の福音はここで終わる。ところが、次を読むと、なんと主はペトロの答えを無視なさったかのごとく、「あなたがた12人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ」と言われた。ペトロをまず褒めてから、そう言われたらよかったのに、なぜ?と、少し違和感を持つ人はいないだろうか。思うに、イエス様は暗に、「ペトロよ、あなたが『私たちは』と言ったのは間違いだ。現に、あなたがた12人は一枚岩ではなく、一人は悪魔ではないか。どうして『私たち』と言えるのか?去就は『私たち』ではなく、『私』一人でするものだ」と、諭されたのではなかろうか。
 フィリッポのカイザリア地方に行ったとき、イエス様はペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰表明した時、彼を「ヨナの子シモン、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(マタイ16;16-17)とお褒めになった。それはこの時、ペトロが「私たち」ではなく、「私」の考えで信仰を表明したからだと思う。
 ところが、パンの議論の後では褒められなかった。「私たち」では適切ではなかったからだろう。彼は12人の代表という責任感から、自由意志の決定は他人に代われないことに気付かず、やや勇み足的に「私たち」と言ってしまったのだと思う。この点だけは間違いだった。しかしそれを除けば、彼の言動は他の使徒の誰もまねができないほど、実に立派だった。12人の一人として自分自身の思いを言い表した限りでは、彼はきっぱりと主に従う去就を決めた。それは称賛に値し、後世の大いなる模範になった。

 だから教会では今、それを聖体拝領前の信仰表明の言葉としているのだ。「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠の命の糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう」と。第二バチカン公会議による典礼刷新の前、聖体拝領前の信仰表明はマタイ8;8にある百人隊長の言葉をやや修正したものだった。もちろん、聖体拝領には現在の言葉の方がずっとふさわしいことは間違いない。これはまさに刷新だった。
 ただし、その文言はペトロが言ったそのままではない。ペトロがその時に言った「あなたこそ神の聖者」という一言は、同じペトロがフィリッポのカイザリアで表明した、「あなたはメシア、生ける神の子です」に近い表現、「あなたは神の子キリスト」に差し替えられた。そして、「わたしたちはだれのところへ行きましょう」の語句は最後尾に置かれた。しかし、意味は何ら変わらない。
 私たちはここでまさに聖書の温故知新を体験する。まず旧約の昔、ヨシュアが12部族の主だった人たちに促した去就を学んだ。そして、福音では3種類の人の去就があった。パンの軌跡の後、損得で主を追って来た人々は、不満になるとぞろぞろ去って行った。次に多くの弟子たちを含む、どっちつかずの人々も主から離れた。しかし、12使徒は去らず、主に従うことを選んだ。イスカリオのユダもまだ最終的な去就は決めていなかった。その他にも、女性たちも含む人たちが、主を信じて去らずに残ったと思われる。では、現代に生きる私たちはどうするか?
 パンの奇跡の後にあったこの去就は、私たちにも聖体拝領の度ごとに、自分自身の去就を考えさせるものだ。聖体拝領前の信仰告白には、ペトロが言ったような「わたしたちは」という文言はない。それは「わたし」が自分の意思ですべきものだからだ。私たちが、「あなたをおいてだれのところに行きましょう」というとき、それは「私たち」ではなく、「私」の去就の瞬間なのだ。ところが、それをマンネリ化して唱え、漫然と御聖体いただいていないかどうか、ここは自省しなければならないと思う。

 人類の歴史を通して、神様に対してだけでなく、人間同士の間でも、去就はつねに繰り返されてきた。それは一人の人の人生においても同じだ。例えば、洗礼は主を信じるかどうかの大きな去就だ。しかし、洗礼を受けたからと言って、戦いがなくなるわけではない。信仰に生きるとはたえず去就を迫られ、それを決める人生を歩むことだ。
 ここで思い出すことがある。F教会の危機的実情を知ったとき、私は教会のある高位聖職者に、2006年12月1日付けの手紙で訴えた。その中に私は次のようなことを書いた。
  「○○様、それ以上に深刻なことは、私が信じてきた聖なる教会は建前で、実態は由らしむべし知らしむべからず式の、臭い物に蓋をする俗的な組織なのだろうか。もしもそうならば、そのような所に所属し続ける意味があるだろうか、という疑問です。それは今回の衝撃が私の心中に起こした誘惑の囁きです。私は他の信徒達も同じ誘惑を感じ、私と同様にそれと霊的な戦いをしながら、主のもとに留まろうと踏ん張っているのではないかと推察しています。
 もう少しで12月8日、無原罪の聖母の祝日が近づいています。58年前、私が19歳で洗礼を受けた記念日です。神の恩寵に満たされたその時の喜びを、私は忘れたことがありません。私は主イエス・キリストの福音と、母なる愛の教会こそ真実であると確信しています。それを信じて後悔したことは一度もなく、信望愛が私の人生でした。
 ですから、私は今そのことを思い出して霊的な原動力とし、今回の試練に耐えたいと思っています。そして、3つの『ない』の決心を助けてくださる恵みを祈っています。つまり、たとえどんな事態になろうとも、私は絶対に神様から離れない、教会から去らない、愛の福音を捨てないという決心です。たとえ人の目には耐えがたい試練をお与えになるにしても、神様が信じるものをお捨てになることはけっしてない、と信じているからです。」
 これは私にとって大きな去就の機会だった。「こんな教会でやっていけるかどうか」と。他の方々にとっても同じだったと推察する。このことでは、未だに神様は私たちを試練の中に置いておられる。しかし、試練よりも多くくださる恵のおかげで、私は今も「神様から離れない。教会から去らない。愛の福音を捨てない」の決心にふみ留まっていられる。感謝したい。ただし、決心とは絶えざる去就の結果に他ならないのだ。

へそ曲がり

 世にはへそ曲がりと言われる類の人がいる。私もその一人かも知れない。ジャマイカの短距離選手ボルトが、昨日100メートル走で9.58秒の世界新記録を出した。今朝、新聞朝刊のスポーツ欄がそれを前人未到の偉業だと絶賛しているのを見て、へそ曲がり気質が頭をもたげた。そして呟いた。確かにすごいが、でもそれがそんなにたいしたことか?どだい人間は100メートルを0.01秒で走れるわけなんかないのに、と。

 それで思い出した。カナダのGrand Séminaireで学んでいた1957年、旧ソ連が人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げた時だ。掲示板の新聞写真を見て、神学生たちが「すごい!信じられない!」と驚嘆の言葉を連発していた。確かにすごい。「でも、たかが小さな地球の表面をまわっているだけじゃないか。」そう呟いた私を、先輩の一人が聞き咎めて言った。「お前はたいしたことじゃないとでも言いたいのか?」と。私は答えた。「えー、そうですよ。宇宙は無限大。しょせん人はその果てにまでは絶対たどり着けませんからね。」
 
 それから数年後、茅ヶ崎のある修道院の応接間で、若いアメリカ人の一神父と偶然居合わせた。彼はソファーにふんぞり返ったまま挨拶した。それがまず私の癇に障った。世間話をしているうち、彼が自慢し出した。「米国人はもうすぐ月へ行く。そのうち米国は、月を人間が住める場所に変えられるかもよ」と。私のへそは真横まで曲がった。そこで言った。「そうですか。すごいですね。じゃ、早くそうなって、アメリカ人は全部月へ移住してくださいよ。そしたら、日本人は、がら空きになった米国をいただきます。」

 F教会の主任司祭は自分をいかにも物知りだと思っているらしい。だから説教は冗長になる。福音の解説ならそれだけにしておけばいいものを、その後きまって福音の主題とはつながらない、離婚とか病人の秘蹟とかについて話すからだ。「信者の心得」なるシリーズを、状況におかまいなく順番に付け加えて話すのだ。まるで信者を全く無知な者たちぞろいだと思い込み、キリスト教の基本から教え直してやらねばならぬと気負ってでもいるかのようだ。
 だから、主日の聖書についての説教はいいが、「信者の心得」の話になると、私の臍の向きは真っ直ぐでも、心はそっぽを向く。福音の話がかなり上出来でも、異質な話が追加されれば効果は相殺だ。損な話だ。喩えてみれば、それは寿司を出されて、おいしそうと思ったら、それにカレーをかけられるようなものだ。カレーそのものは良い食べ物だが、刺身や寿司には合わない。そのくらいの想像力は持ってもらわないと、聞かされる方はたまったものではない。

 今日は衆議院議員総選挙の公示日。各政党は総出で大忙しだ。私の投票先は決っている。TVの党首討論を聞いたら、麻生総理はライバル政党のマニフェストを、現実的でないとか理想に過ぎないとか、欠点ばかりあげつらっていた。スケールが矮小だ。むしろ、自分たちが何をしてきたか省みろと言いたい。私は思う。現実にとどまる限り進歩はない。進歩は常に理想のあるところから生まれた、と。理想を掲げる党を私は選ぶ。この点では、私は全然へそ曲がりではない。へそも真っ直ぐ、気持ちも真っ直ぐ、未来に向いている。永遠の神の国の未来まで。

さかしらな愚かさ、愚かしげな賢さ

 年間第20主日の聖書には賢さと愚かさのテーマがある。福音はヨハネ6;51-58で、天から降った生けるパンの話の続きだ。そこで一番大事なのは、そのパンが主のお体と血であるという教えにあることは間違いない。しかし、それについて議論したイエス様と群衆とのやりとりを読むと、人知でわからないことは信じない方が賢いのか、それとも人知には愚かに見えても、神の啓示ならば信じる方が賢いのかという問いがあることも確かだ。
 第一朗読の箴言9;1-6は、擬人化された「知恵」が浅はかな者に、知恵のパンを食べ、酒を飲んで、浅はかさを捨て、分別の道に進むようにと勧める。使徒聖パウロの第二朗読のエフェソの教会への手紙5;15-20は、「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい」と言う。どれにも愚かさと賢さのテーマがあると見ていい。そこで、今日は福音の続きを、このテーマの角度から考えてみようと思う。

 この日の福音は次のように始まる。〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた〕「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。そして、わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
 これは前週の福音の最後の一節でもあった。重複しているが、この一節がないと、「それで、ユダヤ人たちは、『どうしてこの人は自分の肉をわれわれに食べさせることができるのか』と、互いに激しく議論し始めた」とある次の一節が、何のことかわからなくなるから、そこを配慮して、あえて繰り返して読ませたのだろう。

 ところで、主が「わたしは、天から降って来た生きたパンである」と言われたところまでは、ユダヤ人たちにとってもまだ何とか理解できる範囲内だったと思う。シンボリックな意味での理解も可能だったからだ。しかし、「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」と言われると、彼らの我慢は限界に来た。そして、「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」と言われると、もういけなかった。彼らの嫌悪感と拒絶反応は頂点に達したのだ。
 彼らは「互いに激しく議論し始めた」とあるが、ではいったいどんな議論を、どう激しく交わしたのだろうか?その後を読むと、イエス様の言葉しかないので、議論の具体的な中身はわからない。そこで、それを推察するための参考として、20年前に書いた「イエスが行くⅡ」52-54頁を引用してみる。こういう引用はある意味では手抜きだが、自分が書いたものだし、夏バテ気味の今だから、知的労力の省エネも許してもらえると思う。
 ちなみに、「イエスが行く」全3巻は、ボーイスカウトの野外劇用に書いたシナリオ的イエス伝だ。引用はⅡ巻19章「パンの奇跡の後」からで、配役の「人1」、「人2」等はパンの奇跡の場所からイエス様を追いかけて来たユダヤ人たち、「男」とは彼らの話しを聞いてイエス様に興味を持ち、途中から群衆に加わった人のことだ。会話はイエス様が「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」と言われた後に続く。

人1:ああ、だからこの人にはついていけないんだ!せっかく良いことを言われるなと思うと、突然こんなふうにまったく受け付ようもない、わけのわからんことを言い出すんだから…
人2:自分がパンで、そのパンが自分の肉だなんて、正気のさたじゃない。
   (人々に軽蔑の色)
男 :まったくだ。自分の肉をどうしてわれわれに食べさせることなどできるだろうか!
イエス:あなたがたは互いに論じ合っているが、人の子の肉を食べずその血を飲まなければ、あなたがたのうちに命はない。私の肉を食べ私の血を飲む人には永遠の命があり、私はその人を終わりの日に甦らせる。私の肉はまことの食物、私の血はまことの飲み物。私の肉を食べ、私の血を飲む人は私におり、わたしもまたその人にいる。私を食べる人は私によって生きるだろう。
男 :ああ、これはひどい話だ!気違いざただよ。もう、とても聞いちゃいられないわ。来なけりゃよかったよ。やめた。私ぁもうかえる。
   (人々に唾棄したいという強い軽蔑感)
人3:私もだ。失望したよ。人の肉とか血なんかじゃ、まっぴらごめんだ。みんな帰ろうぜ。
人4:行こう。この人に期待をかけたのがそもそも間違いだったんだ。
   (人々みな立ち去る)
イスカリオテのユダ:(小声で)あんなひどい話しをするなんて……われわれだって愛想が尽きるよ。
ゼロテのシモン:私もこりゃだめだと思ったな。あの調子じゃ、祖国の復興なんて望み薄だ。

 「人の子の肉を食べ」と言っただけでも、人々の拒絶反応はもう極限に達していたが、「その血を飲まなければ」という言葉を聞いたときは、耳を塞いだことだろう。なぜなら、彼らにとって、血を飲むことは律法で禁じられていたからだ。レビ記17;10-14には、「イスラエルの人々に言う。あなたたちも、あなたたちのもとに寄留する者も、だれも血を食べてはならない」とある。「生き物の命は血の中にある」と考えられていたのだ。したがって、人であるイエス様の肉を食べ、その血を飲むとは、常識では考えることもできない狂気の行為であり、そればかりか、律法を破る罪悪でもあると思えたのだろう。
 ローマ帝国初期や日本の戦国時代に、異教世界に広がり出したばかりのキリスト教が、人肉を食い、人の血を吸う宗教だと誤解されたのもこの教えからだった。その肉と血とはパンとぶどう酒の形色のもとに聖変化した主の御聖体なのに、それを知らなかったことから生じた誤解だ。だから、そういう形の主の肉と血のことをまだ知らなかったユダヤ人達が、とても聞いてはいられない話だと呆れて顔をしかめたのも、あながち理解できないことではない。
 しかし、イエス様はそのお話を撤回はなさらなかった。まだ、最後の晩餐も、十字架の死と復活の時も来ていなかったから、それはまだ話すことはできなかった。しかし、命のパンは腹を満たすパンより無限に大切なものだ。その命のパンについて話す以上、それがご自分の体であると言わないわけにはいかなかったのだ。まだ全容が明らかになる時は来ていなかったが、それは人知を超える神の知恵が明かした救いの神秘の一端だったのだ。
 したがって、その場にいた人々に理解されず、いかに彼らから拒絶反応を受けようとも、イエス様は賢しらな人知に迎合なさるわけにはいかなかった。だから重ねて言われたのだ。「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる」と。
 
 この最後のダメ押しを聞いて、人々は立ち去った。弟子たちさえも多くが師を見限った。なぜだったのだろうか?人知でわからないことは信じない方が賢い。腹の足しにならないことはしない方が利口だ。そう判断したからだろう。言い換えれば、賢しらな人知の結論を神知よりも確かだとしたからだ。しかし、主のもとに残った者もいた。そして、主の教えを信じる現代の人々は、その残った人たちの系譜につながる者たちなのだ。
 では、この人たちはなぜ人知よりも、それを超える神の知恵の方を確かだとしたのだろうか?人知は浅く限りあるものだと言うことを自覚し、「神にできないことは何一つない。」(ルカ1;37)「それは人間にできることではないが、神は何でもできる。」(マタイ19;26)ということを信じるからだと思う。だから、たとえ人には愚かなこと、理屈に合わないことのように見えても、神様が明かしてくださった真理だから、それを信じる方が賢く、それが真の賢さだと考える。主のお体と血もそのように理解して受け入れたのだと思う。

 それにしても、第一朗読では思わず「ふふふ」と含み笑いをしてしまった。箴言の「浅はかなる者はだれでも立ち寄るがよい」という呼びかけに答えた人を想像したからだ。「(知恵が)獣を屠り、酒を調合し、食卓を整え、はしためを町の高い所に遣わして、呼びかけさせた」とあったが、果たして「自分は浅はかだな。じゃ、立ち寄ろうか」と思った人がいたかどうか。
 なぜ可笑しかったかと言うと、浅はかな人はたいてい自分を浅はかだとは思わないだろうから、立ち寄らないだろうし、逆に、自分を浅はかだと思って立ち寄る人は、「無知の知」を教えたソクラテスのように、本当はむしろ賢い人ではないかと思われたからだ。実際は浅はかな自分を素直に認めて立ち寄る、真っ正直な人もいるだろうが、とにかくそこには、自分を賢いと思うさかしらな愚かさと、一見馬鹿に思えても本当は賢い、愚かしげな賢さの逆説がある。
 このように人知の限界を自覚し、神にはできないことは何一つないことを認めるなら、人はイエス様のお体が生きる命のパン、その血が飲み物であることを信じることができよう。その人は賢しらな人知には愚かに思えるが、本当は神によって賢い。しかし、そう信じることができるのも、これまた神の恩恵による。
 思い出した。劇の会話の中で、「これはひどい話だ!気違いざただよ。もう、とても聞いちゃいられないわ」というせりふがあった。馬鹿馬鹿しくて、聞いちゃいられないということだが、私が尊敬した教育者小原國芳先生は、「馬鹿になれ、馬鹿になれ、大馬鹿になれ」と教えた。小馬鹿ではない。愚かしげに見える賢さとは、大馬鹿になりきれることなのだ。神様の教えも小利口では信じられない。大馬鹿になってこそふんぎりがついて、信じられる。

もしもその場にいたら

 年間第19主日の福音ヨハネ6;41-51は前週の続きだが、群衆の態度はここからみるみる変わっていく。彼らはイエス様のパンの奇跡に魅せられてカファルナウムまで追って来た。しかし、主と問答を重ねているうちに、好感度は次第に下降し、反感度が上昇して行ったのだ。ところが、その変化に対応するかのように、驚くべき命のパンの神秘も主の口からより具体的に明かされて行った。ヨハネによる福音6;41-51はその叙述なのだ。
 第一朗読は列王記上19;4-8、第二朗読はエフェソ4;30-5;2だったが、福音を含めて、年間第19主日の聖書は旅路のストーリーに当てはめるとわかりやすいと思った。列王記上19章の預言者エリヤについては、すでに「行く道は遠い」で考察したが、それは旅路には食物と水が欠かせないことを教えていた。では、その旅路をどういう心がけで歩むか?それを語るのがエフェソ4;30-5;2だ。そして福音は、永遠の命への旅路で真に人を生かすパンと飲み物が、何であるかを啓示したのだ。

 ここではそのパンについて語る福音だけをとりあげる。群集の態度は途中から変わって行った。「ユダヤ人たちは、イエスが『わたしは天から降って来たパンである』と言われたので、イエスのことでつぶやき始めた」とある。不協和音の始まりだった。そこまでのイエス様は、実際は群衆が言ったままの言葉では話しておられない。「神のパンは天から降って来て、世に命を与えるものである」、「わたしが命のパンである」、「わたしが天から降って来たのは、・・・わたしをお遣わしになった方の御心を行うことである」と、別々に言われていた。
 しかし、彼らは主が「わたしは天から降って来たパンである」と言ったと理解した。その三段論法的なまとめ方は正しかったし、実際イエス様もその意味で言っておられた。しかし、だからこそ彼らは納得できないとつぶやいたのだ。その根拠は彼らがイエス様の親子関係と出自を知っていたからだ。つまり、心の中だけでなく、ぶつぶつと口に出して、「何で今『わたしは天から降って来た』などと言うのか」と、拒絶反応を示したのだ。彼らもナザレトの人々(ルカ4;22seq.)と同じく躓いた。

 イエス様はそれに対して、「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。…父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている」と言われた。
 私は初めこの返答はユダヤ人たちの疑問に答えていない、すれ違っているのではないかと感じた。ヨハネ1;18の言葉との類似性などから、これはイエス様ご自身の言葉というより、ヨハネの解説ではないかとさえ疑っても見た。しかし、よく読んでみたら、それはユダヤ人たちの疑問に完璧に応じる返答だったことに気付いた。ただ、あまりにも神秘が深すぎて、私たちにとってもだが、当時のユダヤ人たちにはとうてい理解できない啓示だった。だから、わからなかったのだ。
 では、どう疑問に答えておられたのかというと、ユダヤ人たちが「ヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている」とつぶやき合った地上的出自に対して、イエス様は彼らの知る由もない天上的出自を啓示し、自分はヨセフとマリアの子でもあるが、それよりも根源的に神が父であると断言されたのだ。「父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見た。」つまり、主は「それがわたしだ。あなた方は見たこともなく見ることもできないが、神がわたしの父なのだ。だから、父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。来ないも者は、神なる父から学んでいないからだ」と言われたのだ。

 その問題が済むと、主は天から降ったパンについて、核心に迫る神秘を明らかになさっていく。「わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」と。
 ここにはまず、ここまで言われたことの再確認と、人々が「わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました」と誇らしげに言った事跡への、さらに踏み込んだ答えがある。マンナを食べた先祖は死んだが、このパンを食べる者は死なないという比較は強烈で、このパンの無限の優位を断言するものだった。でも彼らの気持ちはもう、「そんなパンなどあるわけがない」と否定する方に傾いていたと思われる。次に、「このパンを食べる者は死なない」から、「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」への進展がある。
 しかしここまでは、たとえ納得できなかったとしても、ユダヤ人たちにとっては何とか許容できる範囲の議論だっただろうと思う。ところが、「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉である」と主が言葉を続けられたとき、彼らの態度には激変が起こり、その場は騒然とした雰囲気になった。不満は飽和状態を超えたのだった。今日の福音はその直前で終わっているが、人々は天から降った生けるパンの啓示を決定的に拒絶するに至った。もうとてもついて行けない、と。

 さて、私の今日の自問自答は、命のパンを信じられるかどうかでも、イエス様が父から遣わされた御子であることを信じるかどうかでもない。それらは何回も教えられ、私たちにはわかっているし、もう信じていることだからだ。私が今日問いたいのは、もし私たちがその場にいたらどうしただろうか、ということにある。
 ユダヤ人の群衆は奇跡のパンに惹かれてイエス様を追って来たが、主が一番わからせたかった肝心の命のパンは理解しようとせず、むしろ拒絶してしまった。それを読むと、つい私たちは彼らを何と物分りの悪い、頑迷な人たちだったのだろうと思ってしまいがちではなかろうか?少なくとも私はそうだった。もし自分があの場にいたら・・・と自問するまでは、彼らをどうしようもない人たちだと決め付けていた。私たちが彼らをそう見てしまいやすいのも、それなりの理由はある。彼らはパンの奇跡を見た上に、そのパンを食べ、命のパンの素晴らしさを、主ご自身から噛んで含めるように説明してもらった。それでもまだ信じなかったからだ。
 しかし、もし自分が彼らの間にいて、彼らと共に主の話しを聞いていたら、私は彼らと違って、主のお言葉を信じることができただろうか?そう自問すると、私はおそらくシモン・ペトロのようには信仰告白できなかったように思う、と答えざるを得ない。否定しないまでも、主のお話しを信じるかどうかはペンディングにしたまま、主から離れ去って行った人々のうちの一人になったのではないか。そんな気がするのだ。

 当時のユダヤ人たちはモーセの律法を信じ、神に従うことを当然と思い、先祖が荒れ野でマンナを食べたことも誇りにしていた。だから、先祖たちがモーセに率いられてエジプトを出た後、なぜあんなに神に背き、モーセを困らせるような言動を繰り返したのだろうかと、先祖の不従順と頑固さには批判的だったことだろう。しかし、そう言えたのは、後世の彼らがその後に起こった歴史と神のなさった偉大な業を知っていたからだ。もし彼らがそういうことが実現する前の、荒野にいた先祖と同じ立場にいたら、彼らもまたモーセに不満を言い、神に逆らっていたに違いないのだ。
 それは私たちにも類比して言えると思う。今の私たちは天から降った生けるパンを信じる。それが今は御聖体であることも信じている。でも、そう信じることができているのは、主イエス・キリスト様が最後の晩餐の時、パンとぶどう酒で御聖体を制定して、天から降った生けるパンの教えを裏付けてくださり、それを死と復活によって実現してくださったからだ。もし、後で実現したこれらの御業を知る前に、「わたしは天から降って来たパンである」という教えを聞いていたとしたら、きっと私もユダヤ人たちと同じく、そんなことがありうるだろうかと疑い、結局は信じられなかったのではないかと思う。
 だから、彼らを不信仰だったと裁いてはなるまい。むしろ、もしもその場にいたら、自分も彼らと変わらなかっただろうと推察して、信じさせていただけたことを謙虚に感謝しなければならないのだと思う。私たちはたまたま後から生まれおかげで、ユダヤ人たちには未知だった最後の晩餐や主の死と復活、聖霊の降臨を知ることができた。そのおかげで天から降った命のパンも理解できたのだ。そして、何よりも「父が引き寄せて」くださったおかげで、信じることができたのだからだ。当時のユダヤ人たちはある意味で気の毒だった。

 このことは私に、まだ実現していない「体の復活」等についても考えさせる。命のパンは実現したが、ユダヤ人たちがその話しを聞いた時はまだ実現していなかった。だから、彼らには信じ難かった。同じように、「体の復活」や「終わりなき命」はまだ実現していない。だから、今の私たちにとっては信じるのに努力が要る。疑いも湧きやすい。しかし、疑問があるから信じないと言えば、私たちも命のパンを受け入れようとしなかったユダヤ人たちと同じになる。
 もしそうなら、世の終わりに体の復活等が実現するとき、救われた人たちは、今の私たちが当時のユダヤ人たちにいささか同情するように、「過去となった今」の人たちにいささかの理解を示して、こう言ってくれるかも知れない。「皆さんが信じられなかったのもわからないではない。もしも皆さんの時代にいたら、私たちも同じだったかも・・・」と。
 しかし、永遠の命に入れないとしら、そんな同情をしてもらったとて、何の役に立つだろうか。大切なことは命のパンの議論から学ぶこと、つまり、今はまだ実現していない約束も、主が約束なさったのだからという根拠で信じることだ。それはあの時のユダヤ人たちとは逆の決断になるが、それには主の保証がある。「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている」というお言葉だ。

行く道は遠い

 「その日、王妃イゼベルが自分を殺そうとしていることを知ったエリヤは、荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。」 これは年間第19主日に当たる8月9日のミサ、第一朗読の列王記上19;4-8冒頭の言葉だった。続いて、預言者エリヤがホレブ山へと逃げる途中の話が語られた。ここは旧約聖書の中でもかなり印象に残る場面の一つだが、読み返してみて、まさに温故知新にあてはまる箇所だなと感じた。そこで、今週はまずこれを取り上げてみる気になった。

 エリヤがなぜ荒れ野を歩き続けていたかと言えば、それには近過去の歴史的背景と直前の事件があったからだった。イスラエル12部族はソロモン王の時代は統一王国を形作っていたが、王が死ぬと北のイエスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。そして、共に神に背く悪の道を歩み始めたが、特にイスラエル王国はひどく、サマリアのべテルを中心に偶像神バアルへの信仰が蔓延していた。これが近過去の歴史的背景だった。その王国にはもはや神の祝福はなかったのだ。
 預言者エリヤは神の命を受けて、王アハブのところへ行った。改心させるためだった。アハブはイスラエル王国7代目の王で、「彼以前の誰よりも主の目に悪とされることを行った」(列王上16;30)人物だが、イゼベルはその王妃だったのだ。彼女は娘アタリアと共に旧約の二大悪女と言われた女で、熱心なバアル信者だった。エリヤは王の背信を非難し、主なる神と偶像神バアルのどちらが真の神かをはっきりさせるため、カルメル山にバアルの預言者450人を集めさせた。そして、たった一人の対決を挑んだのだった。

 それは次のように行われた。二頭の雄牛を屠り、彼らに一頭を与えて薪の上に載せさせた。エリヤも同様にした。そして、薪に火をつけず、それぞれの神に祈ることだけで火をつける。点火できた方こそ真の神である証しだとする勝負だった。エリヤは民衆に言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアが神であるなら、バアに従え」(列王上18;21)と。「民はひと言も答えなかった」とある。1人対450人では勝負は決っていると思ったのだろう。
 バアルの預言者450人は人数が多かったので先に始めた。彼らは朝から眞昼まで「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。エリヤは嘲って、「大声で呼ぶがよい。バアルは神なのだから。神は不満なのか、それとも人目を避けているのか、旅にでも出ているのか。恐らく眠っていて、起こしてもらわなければならないのだろう」と言った。しかし、どんなに彼らが祈っても答はなく、火はつかなかった。
 そこでエリヤは民衆を近くに呼び、祭壇を作って薪の上にもう一頭の雄牛を載せ、三度水をかけさせると祈って言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう」と。
 すると、主の火が降って、薪をも牛をも燃やし尽くした。これを見た民はひれ伏し、「これこそ神です。主こそ神です」と言った。するとエリヤは民衆に「バアルの預言者どもを捕らえよ」と命じた。そして、彼らをキション川に連行すると、皆殺しにしたのだった。ある意味でそれは虐殺だった。そこは大昔のこと、預言者エリヤも荒っぽい処断をしたものだと思うし、それを容認した旧約聖書も今とはメンタリティが違った。しかし、預言者エリヤがたった一人で450人と戦って勝った事実は残る。この出来事は興味深いので、ついつい私は詳述してしまったが、この結末が王妃イゼベルを激怒させ、エリヤを絶対に殺すと誓わせた直前の事件だったのだ。

 エリヤはイゼベルの復讐を恐れて逃げ、ベール・シェバまで来たのだった。エニシダの木陰にへたって座ると、預言者は神に向かい、「もう死なせてください」と願った。何で自分はこんな苦難に遭わなければならないのかと思ったからだろうか。しかし、そのまま眠ってしまった。そこへ主の御使いが来て、彼に触れた。目覚めると、御使いが置いたパン菓子と水があったので、彼はそれを飲食し、また眠った。すると、御使いが戻って来て言った。「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と。エリヤは起きて食べかつ飲んだ。そして、元気を取り戻すと、四十日四十夜歩いてホレブ山に着いたのだった。

 さて、では年間第19主日の典礼に、なぜこの第一朗読が読まれたのだろうか?その理由は第一に福音が命のパンの話だからだ。それは間違いない。預言者エリヤは落ち込んでいたとき、御使いが運んでくれたパン菓子と水をいただいて心身の気力を回復した。そのことは新約の民が、天からのパンである主の体と血をいただくことによって、魂の力を回復することと重なる。エリヤの事跡の朗読は、その福音のメッセージをよりよく理解するためだと思う。
 しかし、この列王記上19章の記事をこの主日に持って来たのは、もう一つの意図があるからだと私は思う。どんな意図かと言うと、それは御使いがエリヤに言った「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」という言葉でわかる。典礼の一年は新約の神の民である教会が、世の終わりまで歩む長い旅路の縮図に他ならない。ところで、年間主日は第33回まであるから、年間第19主日はその中ほどに当たる。喩えてみれば、それは広く単調な平原のまっただ中を進むようなものだ。
 そんな状況では、エリヤがカルメル山とホレブ山の中間にあるベール・シェバで落ち込んで眠ったように、私たちも信仰生活でマンネリ化し、魂は眠ってしまいやすい。だから、教会は私たちに、「主のパンがあるから食べなさい。道はまだ長いが元気を出せ」、と典礼で励ましている。私はそう忖度するのだ。
 では、エリヤを目覚めさせたのは御使いだったが、わたし達を目覚めさせるは誰か?教会がそれだと私は解釈する。F教会での経験から思うと、教会はどうしようもなくも見える。だが、それでもやはり新約では、教会が主の御使いなのだ。私たちに天のパンと飲み物を与えられるのは、聖、公、唯一、使徒伝承の教会以外にはない。ここにもう一つのメッセージがあると私は理解した。

 ところで、思うのだ。預言者エリヤが450人の偶像信仰の預言者と対決したとき、ユダヤにもイスラエルにも彼に味方する預言者や信者はいなかったのだろうか?と。なぜ彼はたった一人で戦わなければならなかったのだろうか?答えはおそらく、神がギデオンの戦いの時(士師記7;2)に示された理由と同じだったのだろう。つまり、人は神様のために戦うとき、人数や人間の知恵に頼っては立たないということだ。神の力によって勝つには一人で十分だからだ。実際エリヤはたった一人で、圧倒的多数の偽預言者たちに立ち向かって勝った。このことは正しいことのために戦うとき、人はたった一人でも立ち向かう覚悟でなくてはいけないということを悟らせてくれる。「皆」は当てにならないし、当てにしてもいけないのだ。
 だが、たった一人の勝利の代償は大きかった。王妃の憎しみを招き、命の危険にさらされたからだ。このことは神様に従えば必ず良い報い(人間的に見てだが…)があるとは限らない。むしろ過酷な結果すら覚悟しなければならないことがある、ということをも教えてくれる。F教会での苦い出来事から、私たちはこれをも体験した。福音に照らして行動した者たちが、あたかも悪を行ったかのように見なされたからだ。遠い旧約の世界では、エリヤがそういう目に遭ったが、それはわが身辺でも起こったのだ。だが、主は知っておられる。すべては裁きの日まで持ち越しなのだ。
 エリヤはわからないところが多い預言者だが、主の御使いの予告どおり、長く耐え難い旅をしたことは確かだ。徒歩でネゲブの砂漠をよぎり、ホレブ山(シナイ山)まで行くだけでも大旅行だったのに、驚くべきはそこに着くとすぐもと来た道を引き返し、今度はダマスコまで行ったことだ。そして、そこでアラムのハザエルに油を注いで王にしている。ここに私が見習いたい最後の点がある。それは何かと言うと、言うべきことを言い、やるべきことをやった後は、いつまでもイスラエルにこだわらず、王妃イゼベルを恨まず、過去から脱出して未来へと進んで行った姿だ。彼は後を神様に任せることを知る人だった。

もどかしい思い

 群衆はイエス様を追いかけて、パンの奇跡のあった場所からカファルナウムまで来て言った。「ラビ、いつここにおいでになったのですか?」と。そこから命のパンの話が始まる。年間第18主日の福音はその前半に当たるヨハネ6;24-35だ。第一朗読は出エジプト記16;2-15で、それは40年間荒野を放浪したイスラエルの民が、マンナで養われた故事を語っている。その故事が命のパンの議論に出てくるから朗読されるのだと思う。

 「ラビ、いつここにおいでになったのですか?」とは、話すきっかけを作るためだけの意味のない質問だった。だからイエス様はそれには答えず、彼らの魂胆を見抜いてずばりと言われた。「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と。
 その前日、主は群衆を牧者のない羊の群れのようだと憐れまれた。それなのに、この日はなぜこんなににべもない対応をされたのだろうか?それにはわけがあった。パンの奇跡の後、多くの人々は「パンを増やせるのなら、この人はなぜ今まで我々を奇跡で食べさせてくれなかったのだろうか?今後はまた食べさせてくれるのではないか」と思ったに違いない。私たちも、「奇跡でパンを増やせたのなら、貧しい人々をそれで養ってやったらよかったのに・・・」と、ついそう思ってしまいがちだ。ところが、実はこのにべもない主の対応にこそ、その答えがあったのだ。
 その答えとはこういうことだ。その前日は夕暮れの人里離れた場所で、大群衆が食べ物もない状況にあった。だから、主はそれを見て不憫に思い、パンの奇跡で彼らを養われたのだった。しかし、パンとは人が自ら働いて得るものであり、それができない人には他の人が分けてあげる。奇跡によるのではなく、自力と隣人愛によって得るのが本来なのだ。たとえ貧しい人々が大勢いても、イエス様が原則としてパンの奇跡をなさらなかったのはそのためだった。
 それなのに、パンの奇跡で満腹した人々は、多くがまたもパンの奇跡にありつけるかと、横着な魂胆で追いかけてきた。だから、主は「あなたがたが私を捜しているのは・・・パンを食べて満腹したからだ」と、やや皮肉ともとれる言葉で図星をお突きになったのだ。議論の後半で激しく噴出する彼らの反発は、おそらくこの一言で、もうこのとき彼らの心底で蠢き出していたのではなかろうか。

 しかし、主がパンの奇跡を安易になさらなかった理由はもう一つあったと思う。それは真に食べさせたかったのが肉体を養うパンではなく、魂を養うパンだったことだ。主はパンが体に必要なことは重々ご存知だった。だから、パンの奇跡をなさった。だが主の本来のご使命はそこにはなく、人々を命のパンで養い、永遠に生きさせることにあった。
 聖書を通観すると、神の言葉は3つのステップを経て、魂を養うパンとなっていることがわかる。まず第1ステップだが、律法や預言者を通して語られた神の言葉は、神の民を生かす心の糧であった。預言者アモスはその意味で、「見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。私は大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」(アモス8;11)と言ったのだった。 
 第2のステップは人となった神のみ言葉そのものだ。「言は肉となってわたしたちの間に宿られた。」(ヨハネ1;14)それは神の言が人となって世に来られたということ自体が、人類に命を与える心の糧となったことを意味している。だから、イエス様は「わたしが命のパンである」と言われたのだ。これはこの日の福音にある大切な言葉の一つだ。
 第3のステップは、神の言が人となったばかりでなく、聖体の秘跡というパンになられたことだ。主はそれを最後の晩餐のときに実現され、教会によって世の終わりまでその在り方を続けられる。主はその意味で、「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである」と言われた。主が真にお与えになりたかったのは、この3つのステップそれぞれにおける魂の糧であった。
 だから、例外としてパンの奇跡はなさったが、それは憐れみによってであり、同時にそのパンが魂を養う天からのパンの象徴にもなるからに他ならなかったのだ。そして、パンの奇跡の後で人々が主を王にしようとしたとき、すっと身を隠してしまわれたのも同じ理由からだった。群衆の期待は腹を満たすパンを与えてくれる地上の王にあった。しかし、主の願いは魂のパンで生きる人々の王国、神の国の実現にあった。思いは全くすれ違っていた。だから主は身を隠された。それは彼らの思惑を断固斥ける意思表示だったのだ。

 それなのに、彼らはしつこく追って来て、主を見つけた。その時の彼らはもう不憫な群衆ではなく、世の欲望に駆られた人々だった。主は、せっかく奇跡のパンを食べさせたのに、何と情けないと思われたことであろう。そこで、続けて言われた。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である」と。ここにイエス様の本心がある。与えたかったのはまさにこの食物であった。
 ところが、人々はそれがどんな食物なのかについて質問しなかった。この後に続く議論を見れば、おそらく彼らには、「いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物」とは何のことか、イメージも湧かず理解もできなかったのだろう。そこで、それを問うのは避け、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と、その食物を得るために働く方法へと話を逸らしたのだ。
 しかし、それはそれでよい質問だったから、主は答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」と。ところが、彼らは前日にパンの奇跡を見たばかりだったのに、臆面もなく言った。「あなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか」と。そして、モーセが彼らの先祖たちに、荒れ野でマンナを食べさせた事跡を引き合いに出したのだ。それは一種の狡猾な挑発だった。おそらく、イエス様が「それではあなた方が信じられるように、もう一度マンナ以上のパンの奇跡をして見せよう」とでも言って、乗って来るかと、誘いをかけたのだ。
 だが、主はその手には乗らなかった。むしろ、マンナを与えたのはモーセではなく、わたしの父である神だと、彼らの思い違いをぴしゃりと指摘し、天からのパンこそが世に命を与えるのだ、と断言された。すると、反論できなくなった彼らは、一転して素直気に言った。「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と。しかし言葉は同じパンでも、彼らの念頭にあったのはやはり腹を満たすパンだった。意味は通じなかったのだ。それがわかると、もどかしかっただろうなぁという主の思いが伝わってくる。
 彼らのこの言い方は、サマリアの女の言葉と並べると興味深い。主が「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない」(ヨハネ4;14-15)と言われたとき、彼女も「主よ、渇くことがないように…、その水をください」と言った。よく似ている。彼女の考えていた水も、体の渇きを癒すだけの水だった。そのパンをいつもください、と言った群集のパン理解も同様だった。ただ、サマリアの女は命の水の理解に至ったが、この群衆はどうだったのだろうか?
 主は彼らの理解の間違いを正して、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ6;35)と言われた。この日の福音の締めの言葉だ。これによって、「いつまでもなくならない、永遠の命に至る食べ物」とは何かが明らかになった。つまり、「わたしが命のパンである」と言われたのだから、主ご自身が永遠の命に至る食べ物に他ならないということだ。しかし残念ながら、彼らはその理解には至らなかった。むしろ、この後で「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」と言われると、彼らは「どうしてこの人は自分の肉を我々にたべさせることができるのか」と、激しく議論し、立ち去って行く。

 この箇所を読み返すと、群衆のパンに対する執念が強く印象に残る。人は生きるために食べる。それに執念を燃やすことは、ある意味でとても健全なことだ。7月27日、朝日新聞の天声人語に、「日本学校保健会が調べると、今よりやせたいと思う女子高生は9割近くにのぼっていた。思いが高じたあげく摂食障害に悩む人もいる」とあった。夏ばての食欲減退ぐらいならいいが、慢性的な食欲不振とか拒食症では、人は健全に生きては行けない。
 しかし、体を養う食物への執念だけが強くて、魂の糧への食欲がさっぱりでは、人はただの動物にとどまる。主の後を追いかけたユダヤ人達はそういう印象を与える。荒野で悪魔に試されたとき、「イエスはお答えになった。『人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」(マタイ4;4)と。人には体のためのパンとともに、心のためのパンも欠かせない。だが、その食欲が減退したり拒食症だったりでは、どうして健全な魂でいられようか。
 もしもユダヤ人たちに、彼らが見せた腹を満たすパンへの執念が、「いつまでもなくならない、永遠の命に至る食べ物」にもあったなら、主はきっともどかしい思いをしないですんだだろうにと思う。しかし、私たちは安易に彼らを裁けるだろうか。現代の私たちも彼らと五十歩百歩ではないのか、と自問する必要があろうかと思う。「永遠の命に至る食べ物」への食欲がなければ、そのために働こうという意欲も湧かないのは当然だ。私も主にもどかしい思いをさせているのかも知れない。

 さて、今日は聖アルフォンソ・デ・リゴリオの祝日だ。博学で偉大だっただけでなく、私が非常にお世話になった聖人だ。今は心で祝い、祈るだけだが、彼が弟子たちに与えた至上命令 “Evangelizare pauperibus” (貧しい人々に福音を伝えよ)を、私は今も忘れてはいない。でも、ごめんなさい、といつもわびる。失望させているからだ。今週は、手を貸す運動ニュース82号の編集中で、このブログもその合間を見つけて書いた。せめて、この運動が貧しい人々への福音伝達と、「永遠の命に至る食べ物」を得る働きの、ほんの一端にでもなってくれればとひそかに願う。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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