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パンの出どころ

 男だけでも5000人ほどいた人々に、イエス様がパンと魚を増やして食べさせた。女性や子どもも入れたらその倍はいたかも知れない。4福音書はこぞってこの有名なパンの奇跡を伝えているが、今年の年間第17主日では、ヨハネによる福音6;1-15が読まれる。その描写には生き生きした臨場感があり、他の福音書にはない記述もいくつかある。

 そのような記述を拾い出して見ると、まず過越祭が近づいていたという一句がある。これは2度目で、ヨハネでは過越し祭が3回記録されているが、実はそのおかげで私たちは、イエス様の公生活が約3年だったと知ることができるわけだ。従って、貴重な言及の一つだと言えよう。
 次にフィリッポとアンデレの登場がある。2人は同郷のベトサイダ出身だから、仲良しだったのではなかろうか。まず主がフィリッポに声をかけると、聞かれもしないのにアンデレが、パンを持った少年のことを言上している。2人がすぐそばにいた証拠だ。一粒の麦の(ヨハネ12;24)話をなさった時も、その直前にギリシャ人の面会を主に取り次いだのはこの2人だった。
 3番目はパンが大麦のパンだったと特定している点だ。これはとても興味深い。なぜなら、「その場にいた者でなければ知り得ない」事実の指摘は、ヨハネの証言の信憑性を高めるからだ。
 4番目は、そのパンが一人の少年のものだったことへの言及だ。他の福音書はパンの持ち主にはあまり関心がなかったようで、持っていたのが弟子たちだったのか他の誰かだったのかはっきりしない。しかし、ヨハネはアンデレの口を通して、パンが少年のものだったと明記した。そして、それは私たちの-少なくとも私の-想像を大いにふくらませてくれる。
 5番目は最終場面だ。他の福音書は残ったパンを籠に集めたところで終わるが、ヨハネでは人々の現世的な思惑とそれを察知なさった主の行動とが、ある緊迫感を残して終わる。そして、民衆と主のすれ違ったこの思いは、実は翌日起こる天から降ったパンの議論の伏線になっているのだ。そこにヨハネによるパンの奇跡が、単に民衆を満腹させただけの奇跡ではない奥深さがある。

 ところで、固定観念にとらわれずに読めば、この箇所でも人は多くの疑問にぶつかるはずだ。しかし、私のブログはまだまだ長すぎるようだから、できるだけ短縮するために、今回は問いたい点を一応列挙し、その後はその中から2問だけを選んで自答を試みたい。では、どんな疑問があるのだろうかと言うと、少なくとも次のようなものが挙げられるのではないかと思う。

① 主がフィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたのは、弟子たちが主に、「人々を解散させてください」(マルコ6;36)と言った会話と、どちらが先だったのだろうか?つまり、一連の会話はどういう順序で行われたのだろうか?
② 少年が持っていた大麦のパン5個と2匹の魚は、自分が食べるためだったのだろうか?
③ イエス様はそのパンと魚をただで出しなさいと取り上げたのだろうか、それとも弟子たちには200デナリの所持金はあったようだから、それ相応の値段で買い取らせたのだろうか?
④ 「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた」とあるが、群衆は50人ずつ座ったのだから、最低100組あった。従って、主が人々に直接与えたのではなく、弟子たちが配って回ったに違いない。では、パンは弟子たちに渡される前、その場で一度に人数分だけ増やされ、弟子たちがそこから運んで配ったのか、それとも弟子に渡された段階でまず一個が数個に増え、次に弟子たちが配っている間に、必用に応じてどんどん増えていったのだろうか?
⑤ 人々が満腹したとき、イエス様は無駄にならないよう残りのパンを集めさせられたとあるが、では、その残パンはその後どうなったのだろうか?
⑥ 少年には褒美として、残ったパンから5個以上を持たせて帰したのだろうか?
⑦ 残ったパンは12の籠にいっぱいだったとあるが、弟子たちはいつも籠を持ち歩いていたのだろうか、それともたまたま持っていた誰かが、とっさにどうぞと差し出してくれたのだろうか?
⑧ 残った魚は集めなかったのだろうか?
⑨ 男だけでも5000人の群衆が半日以上も話を聞き、夕方パンを満腹するまで食べたのなら、どうしても用足しは不可避だったはずだ。トイレはキャンプでも必要不可欠だが、そこは人家もない広い草地だった。大量の排泄物がどう処理されたのか、聖書学者たちは気にならないのだろうか?
⑩ 大麦のパン5つと魚2匹の出どころは一人の少年だったが、増えたパンと魚はどこから出たのか、そこにこの奇跡の意味が潜んでいそうだが、奇跡のパンの本当の出どころはどこだったのだろうか?
⑪ 群衆はいつもイエス様の後を追っていた。パンを増やせるのなら、いつもそうなさればよかったのに、なぜこの時だけ主はご自分から進んで、彼らに食べさせようとなさったのだろうか?
⑫ 人々が王に担ごうとしたので、イエス様はすっと身を隠された。なぜそうなさったのだろうか?

 残ったパンの籠数と同じく、問いも12問にした。多くは知的な興味を満たすたぐいの問いだが、それを馬鹿にしてはいけない。信仰、信仰と言っていると、知性が干からびて形式的になる。信仰も適度の知的刺激があってこそ深まるからだ。ということで、ここからは12問の中から②③を一つにして、ワンポイントに絞ってみる。残りの問題は、読者が自分なりの問いも加え、たとえ答えが見つからなくても、問うことに価値があるのだと思って、自分なりの答えをお探しなさるといい。

 さて、少年が持っていた大麦のパン5個と魚2匹は、自分が食べるためだったのだろうかという問いだが、私はそうではなかった、それらは売り物だったのではないかと推理する。その理由の一つは、自分が食べるお弁当だったとしたら、数が多すぎたからだ。パン1,2個と魚1匹ならそう思っていいが、子供がパン5個と魚2匹も食べるとは思えない。すでに夕方だった。少年が群衆に混じって昼頃からついて来ていたとしたら、もうほとんどが売れてしまった後で、アンドレが見つけたのは、売れ残りだったのではないだろうか?
 第二の理由は、今でもイスラエルや中東にはパン売りの少年たちがいるからだ。シエラレオネにもいる。トルコのイズミールでは古城の入り口で、2,3人の少年が頭にたくさんの円いパンを乗せて売り歩いているのを見た。エルサレムのダヴィドの町では、細長いパン数本を売る少年に会った。パンの奇跡の日の少年も、おそらく群衆がいるから売りに来ていたのだと思う。しかし、そのうちイエス様の話にひきつけられ、いつの間にか群衆の最前列に出てしまっていたのではなかろうか。だから使徒の目にとまった。そう考えると少年がそこにいたわけが納得できる。 
 そうだとすると、イエス様が少年にそのパンと魚をただでよこしなさい、と言われたとは考えにくい。母親が焼いて、息子に売りに行かせたパンだったとしたら、それは貧しい家族の生活の糧だった。それを取り上げるのは、憐れみどころか正義にも反する。人々を躓かせないため税金もちゃんと納められた(マタイ17;27)主が、そんなことをなさったはずがない。弟子たちの財布には200デナリほどあったのだから、代金はちゃんと払ってやりなさいと言われたのではないか。私はそう思うのだ。
 ところが、少年の反応は予想外だったのではないか。普通なら、取り上げそうな人には「いやだ!」と拒んだろうし、金を出して買う人にはもちろん売った。大切な売り物だったからだ。しかし、この時の少年はイエス様と弟子たちの会話を聞いて、なぜ自分のパンのことが話されているのか、わけがわかった。それに、病人の治癒をたくさん目撃したから、「すごい人だなぁ!」と感激し、主をヒーロー的に崇拝し始めていたことだろう。だから、自分の方から「先生、お金なんていいよ。使って!」と差し出したのではなかろうか。いや、多分そうだったと思う。だとすれば、残ったパンが集められたときは、主がアンドレアに、5個以上のパンを少年に持たせなさいと言われたかも知れない。そういうことも想像できる。

 そこで考えたい。もし、パンがなかったら、主はパンの奇跡をなさっただろうか?お望みなら、石をパンに変えて、人々に食べさせることはできたかも知れない。でも、そうはなさらなかった。主は既存のパンがあることを前提に奇跡をなさった。そして、それを少年が喜んで差し出したのだとすれば、「感謝の祈りを唱え」たとき、主のお心にはひとしおの喜びがあったに違いないと思う。童心、神に通ず。「受けるよりは与える方が幸いである」(徒20;35)の教えを、その少年が実践したからだ。
 そこにはパンの奇跡それ自体が伝える大きなメッセージの他に、もう一つの隠された小さなメッセージがある。大きなメッセージとは、パンの奇跡が群衆の体を養ったとすれば、信じる者の魂を養う御聖体はその奇跡が象徴する心のパンであり、群衆を満腹させたパンも心を満たすパンである御聖体も、その究極の出どころは全能なる神の愛だということにある。奇跡も愛からなされたのだ。
 では、小さな隠されたメッセージとは何かというと、あの少年のしたことは私たちにも当てはまるということだと思う。5つのパンと2匹の魚は、金持ちから見れば貧弱な売り物だったが、少年にとっては大切なお金に等しかった。それを差し出すことは、所持金全てを捧げた貧しい寡婦(マルコ12;44)の献金に通じたが、少年はそうした。このメッセージは、私たちにもそうできるかと問うものなのだ。
 私たちが貧しい人たちを助けるために出す献金や物資は、少年のパンと魚に等しい。ベトナム戦争の頃だった。難民の子がとぼとぼと歩いてきたのをテレビで見て、3歳の子が食べていた餅を「これ食べなよ」と差し出したと言う。祖父は孫のこの行動を見て大いに感動し、ポンと一千万円を日本赤十字社に寄付したという話がニュースになった。一個の餅が人の心を揺り動かし、多くの人に支援の気持ちを起こさせたのだった。
 私の身近ではシエラレオネの支援で、今もあの少年のしたことと同じことが続いている。子どもたちのお年玉献金や、年金から割く老人の献金は大金ではない。でも、それが集まって、ルンサの子供たち4千人を学校給食で食べさせている。それはパンの奇跡の人数に近いが、違いは一回限りではなく、毎週5日食べさせていることだ。それは奇跡によってではなく、愛によって続いているからできることなのだ。
 先ほど触れた大きなメッセージは、普通の信仰者には信じて感謝することしかできない。主がなさることで、司祭にしか委ねられていないからだ。しかし、小さい方のメッセージは、信じれば自分のできる範囲でできる。そして、それは人が本当に神様の愛を信じているかどうか、その試金石にもなるのだと思う。いくらいいことを話しても、行いが伴わないなら、私はその人の話は偽善とは言わないまでも、絵に描いた餅だと思う。あの3歳児の餅とは違う。
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ねぎらいと憐れみ

聖書温故知新 
 7月14日に梅雨が明けた。それに合わせたわけではないが、以前のコラムを聖書温故知新と改題した。温故知新とは、「子曰く。故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以って師と為(な)るべし」とある論語の言葉からできた熟語だ。昔のことを学びなおして今のことがわかれば、指導者になれるという意味だという。師云々はどうでもよいが、聖書ほど温故知新に価する書はないと思うので、私はそれを総括タイトルにいただき、主日の福音を中心にあれこれ考察していくことにした。

 さて、典礼年間第16主日B年の福音はマルコ6;30-34だ。短いので、全部書き写してみる。
「使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは『さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい』と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで、人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」
 一読した限りでは、「あ、そういうことがあったのか。ふむ、ふむ」と、話の筋がすんなりわかって、あまり問題はなさそうに思える。ところが、三回、四回じっくりと読み返すと、そうでもないことがわかってくる。つまり、やはり解明を要する点がいくつかあり、出来事の淡々たる叙述の中には貴重なメッセージがあるな、と気付くに至るのだ。そこで、それを順に取り上げてみる。

 まず、「使徒たちはイエスのところに集まって来て」とあるが、いったい彼らはどこから来て、どこに集まったのだろうか?「どこから?」という疑問は、前回の主日の福音を覚えていればすぐにわかる。12使徒たちは二人一組で、初めての福音宣教旅行に出ていた。それが終わったので、行った先々から打ち合わせてあった場所に帰ってきたのだ。それは宣教訓練の事後段階に当たった。
 だから、使徒たちはおこなった事と教えた事を、イエス様に逐一報告したのだ。その後で言われた主のお言葉を読むと、どうやら彼らの宣教実習は成功裏に終わったような印象を与える。「残らず報告した」という一句から、何か興奮気味にあれもこれもと競って主に報告する、彼らのやや誇らしげな様子を想像するのは私だけだろうか。
 では、彼らが集まった所はどこだったのだろうか?推定に過ぎないが、それはカファルナウムではなかったかと私は思う。その根拠は「イエスは…自分の町に帰って来られた」(マタイ9;1)という記述にある。そこはイエス様のガリラヤにおける宣教活動の拠点だったのだ。帰って来る弟子たちが落ち合うには、皆がよく知っている場所が一番いい。ところで、カファルナウムなら誰もがよく知っていたから、集合場所にはうってつけだったはずだ。おそらく主は先にそこに来ておられて、彼らを迎えたのだと思う。

 報告が終わると、主は彼らに、『さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい』と、ねぎらいの言葉をかけた。当たり前のようだが、私はそこにいたく心を打たれる。弟子たちだけで宣教に行かせることは、「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」(ルカ10;3)った。それが、苦労しても無事に帰った。主もきっとほっとなさったことだろう。マルコは主が彼らの報告を聞いて褒めたとは書いていない。しかし、それには「よくやった。さぞかし疲れたことだろう」という意味が言外にあった。そのねぎらいこそが褒めることをも兼ねていたのだ。
 そこには彼らに対する深い思いやりが感じ取れる。そのねぎらいの一言が、12使徒にはどんなに励みとなり、自信になったことだろうか!ここに見落としてはいけない一つのメッセージがある。特に信仰で人を導く立場の人々には見習ってほしいものだ。ねぎらう思いやりは信服を生む。逆にねぎらうことが少なく、萎縮させることが多い指導者には、人は面従腹背する。私も手を貸す運動などで、この点でのイミタチオ・クリスティを忘れないよう心したい。

 ところで、イエス様のそのお言葉にはややわかりづらい点がある。「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って」の「あなたがただけで」という意味についてだ。その少し後に、「一同は舟に乗って、自分たちだけで」とあるのを見ると、それはどうも12使徒たちだけで行くように勧めたととれる。つまり、イエス様抜きだということだ。ところが、そのもう少し後を読むと、「イエスは舟から上がり」とあるから、主も舟に乗って来られたことは確かなのだ。そうなると、いったい主は12使徒と同じ舟に乗られたのか、それとも後から別の舟で行かれたのか、という疑問が湧いてくる。
 文字通り読めば、12使徒だけが一艘の舟で出かけたように見える。日本語訳は間違ってはいない。しかし、それはマルコが、少し雑に書いたせいで生じた混乱ではないだろうか。だから、私は主が12使徒と一緒だったか、あるいはそうでなかったとしても、別の舟ですぐ後から出発されたのだろうと推理する。そうでないと、「ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた」というくだりの説明がつかないからだ。 
 つまり、12使徒だけが舟に乗って出かけたのなら、それを知っても、群衆が一斉に後を追うようなことはなかっただろうと言うことだ。イエスさまが去ってしまうのに気付いたからこそ、彼らは岸伝いに追いかけたのだ。彼らのお目当ては主で、12使徒ではなかった。そう考えて初めて群衆の行動はつじつまが合う。おそらく舟は陸地からよく見える湖上を進み、出発点からそれほど遠くない湖岸に着いたのだろう。だから、群衆は舟を見失わず、舟よりも先に到着できたのだ。

 少し前に戻るが、イエス様達はそこに行く前、「出入りする人が多くて、食事する暇もなかった。」おそらくどこかの家におられたのだと思われるが、主は使徒たちに、「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つまで、その家にとどまりなさい」と言われた原則を、ご自分も実践なさっていたことがわかる。たぶんカファルナウムには、主をいつも迎え入れる人がいたのだと思う。そして、そこはもう多くの人に知られていたから、人々が頻繁に出入りしていたのだと推察される。
 しかし、食事の暇もなかったほど忙しかったと知ると、主はそこで何をしておられたのだろうか?と知りたくなる。想像だが、きっといつものように病人や悪魔憑きたちを癒し、人々の悩みを聞き、神の国の福音を話されていたに違いない。そして弟子たちも手伝っていたのだと思う。引きも切らない人たちの出入り、様々な話し声や動きの人間くささ。そういう様子を想像すると、私は感動を覚える。
 では、そこから現代に目を転じてみるとどうだろうか。確かに活気に溢れる教会はある。シエラレオネではそうだった。しかし、ミサには習慣で来るが、それ以外の時、司祭が食事をする暇もないほど人が出入りする教会はどれほどあるだろうか?「静かな革命」(Revolution tranquille)以後のカナダでは、主日でさえ閑散としている教会が目についた。そういう教会が多くなったとすれば、なぜだろうかと考えなくてはなるまい。

 さて、「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」とある。厳密に言えば、群衆を見て憐れまれたのは舟から上がってすぐだっただろうが、「いろいろと教え始められた」のは人里離れた所に行ってからだったと思う。なぜなら、弟子たちはもうそこへ行っていたし、話しの後「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました」と彼らに言われて、結局それがパンの奇跡につながったからだ。
 では、「いろいろ教え始められた」のいろいろとは、どんな内容だったのだろうか?これについては想像するしかないが、私はマタイの5~7章にある山上の説教のような話とか、同13章にあるような譬えなどではなかったかと推察する。ちょっと横道にそれるが、福音の内容と関連するから、ここでその伝わり方に触れておきたい。マタイの山上の説教はルカ6章では平地の説教になっている。すると人はすぐどちらが正しいのかと問うだろうが、その問いは間違っている、というのが私の意見だ。なぜなら、主は山上でも平地でも同じ話をなさったはずだからだ。従って、人里離れたこの場所でも、山上や平地の時と同じ話をなさったのではないかと考える。
 そもそも現代人は、当時の人たちも私たちと同じように物事を知ったのだろうと思いやすい。しかし、それは大違いだ。現代では迅速で多様な情報伝達手段がある。夜、テレビで見たニュースを明朝、新聞で読めば、私はああ、もうこれは知っていると思うし、多くの人がその同じ情報を共有する。しかし、当時はインターネットもテレビも新聞も電話もなかった時代で、口伝えと噂が情報伝達の主役だった。だから、ある町で話した事柄は、すぐには他の町々村々に伝わらなかった。従って、イエス様は同じ話をあちこちで、何回も何回も繰り返さなければならなかったはずだ。そう考えると、「いろいろ教えた」とは、主が他の所で話されたような内容だったと考えていいのではないかと思う。 

 最後に取り上げたいのは、「イエスは群衆を見て…深く憐れみ」とあるくだりだ。教会はおそらく、イエス様が飼い主のいない羊のような群衆を深く憐れまれた所に注目させ、私達に主の慈愛を感じ取らせたいと願っているのだと思う。だから、第二朗読はエレミヤ23;1-6にしたのだろう。その預言で、神は「わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった」不忠実な牧者を罰し、まことの牧者を立てる。その時「群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と、約束なさった。主イエス様こそその約束の真の牧者だったのだ。
 ところで、「主のいない羊のような群衆を深く憐れまれた」のこの「憐れみ」は、原典ではエスプランクニステと表現されている。あの有名な譬えの中のサマリア人が、半死半生で倒れていた人を「憐れに思い」(ルカ10;33)とあるのと同じ用語だ。それはスプランクノン(内臓、はらわた)という言葉から作られた動詞で、現在形はスプランクニゾマイだが、腹の底から突き上がるような憐れみの情を意味すると言われる。
 日本語でも、非常に無念な時とか悔しい時などは、断腸の思いとか、はらわたが煮えくり返るなどと言う。同様に、スプランクニゾマイというギリシャ語で表す「憐れむ」は、腹の底から湧き起こり、人の全存在を揺するような憐れみを表すのだ。私はかつて佐久間彪神父様が、「日本語の憐れむは不十分だから、私はそれを『はらわたする』と訳している」と言ったのを思い出す。変な日本語だが、まさにそうでも訳さないと感じが出せないのだという説明には、妙に納得したものだった。
 主イエス様が大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れまれたのは、そういう憐れみだった。だからこそ、その後でパンの奇跡につながったのだ。真の憐れみは口先だけに終わらない。ましてや哀れな者に対する優越感の裏返しではない。主はそれを実証された。
 その日、主は12使徒を休ませたいと思って、人里離れた所に行かせたが、ご自分も出入りの多い家でずっと病人たちに応対したりして、非常にお疲れになっていたはずだ。しかし、そのお言葉を聞きたがって追ってきた群衆を見ると、主は話すことを厭わなかった。それも長時間だった。そして、続いたパンの奇跡。5000人が相手では、どんなにお疲れになったことか!でも、主はそれをなさった。その憐れみは、言葉と行いを伴う真の憐れみだったのだ。
 ひるがえって現代の教会を見るとどうだろうか。確かに、まことの憐れみを持った教導職、修道者、信者も少なくない。それは多くの人が認めるところで、私はそれを誇りに思う。しかし、逆の嘆かわしい場合もある。私はこの3年ほど教会にかなり失望させられてきたから、そのことがいつも心から消えない。そして、イエス様の時と今との落差にため息をつく。
 それにもかかわらず、「主イエス・キリスト様の憐れみに倣え」というのが、今日の福音の主たるメッセージであろう。とりわけそれは牧職にある者宛てだと言わざるを得ない。口では福音を教えても、行いで主に倣わない牧者は、エレミヤの預言にある神の詰問を聞き、自分がどれほど信者を散らし、追い払い、顧みないでいるかを、胸に手を当てて省みてほしいと思う。しかし、そう願う私たち信者も、兄弟の目にあるおが屑を見て、己が目の中の丸太に気付かない(マタイ7;3)ような愚に陥らないため、自分はどうか?と心しなければなるまい。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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