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無くした銀貨のたとえ

 年間第24主日の福音ルカ15;8-10は「無くした銀貨のたとえ」だ。こう書いてある。
 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」

 「たとえ」とはヘブライ語でメシャリームと言われる。当時のラビたちもよく使っていた説話の一形式だ。旧約聖書ですぐ脳裏に浮かぶのは、預言者ナータンがダビド王の前で語った、「ある富者と貧しい男とその子羊の譬え」(サムエル下12;1-4)だ。王の罪過を告発するためだった。福音書はイエス様が話されたとされる譬え話を数多く伝えている。長いのもあればごく短いのもあるが、どれも心に響くメッセージを秘め、記憶に残る不思議な力を持つ。
 とりわけルカの福音書には素晴らしい譬え話が多い。「無くした銀貨のたとえ」もその一つだ。これはルカだけにある譬え話で、短いが実によく書けている。「あるいは」という書き出しでわかるように、この譬えのメッセージはその前の「見失った羊のたとえ」と同じだ。「あるいは」とは、「別な譬えで言えば」という意味に他ならない。従って、内容の方はがらりと変わる。「見失った羊のたとえ」と違い、主人公は女で、場面は荒野ではなく家の中、失われたのは羊ではなく、銀貨一枚だ。

 ドラクメ銀貨とはギリシャ貨幣で、1ドラクメはローマ貨幣の1デナリオンとだいたい同額だった。1デナリオンとは労働者の日給相当の額だったから、今の日本で言えば1万円ぐらいだろうか。その女はドラクメ銀貨を10枚持っていた。夫がいたにせよ独り者だったにせよ、10万円ほど持っていたのだから、彼女は小金持ちだった。ところが、その一枚が無くなっていることに気付いた。「あっ、ない!」と、彼女は小さなパニックに陥ったに違いない。そこで家中を捜し始めた。
 これは譬えに過ぎない。だが、それをあたかも実際あったかのように見なして想像してみると、好奇心がくすぐられる。「ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか」と書いてあるからだ。まずその描写で、ともし火をつけたのだから、彼女は夕方か夜になって、銀貨一枚がないことに気付いたんだなということがわかる。そして、捜す場所を家の中にしぼったのは、銀貨を家から持ち出した記憶がなかったからだろう。家の中のどこかにあるはずだと、その点は確信をもって捜し始めたのだろうということもわかる。
 やはり女性だ。彼女は家を箒で掃き、念入りに部屋を捜しまわった。では、その甲斐あって銀貨はすぐ見つかったのだろうか?どんなふうに見つかったのだろうか?それにしてもなぜ一枚だけ無くなったのだろうか?こんな疑問を持つと、想像はふくらむ。私はかつてボーイスカウトの野外聖劇用に「イエスが行く」という3巻を書いた。この譬えはそれには収録しなかったが、元となった台本には2章に、「見つかったドラクマ銀貨」という一幕があった。

 それはこんな構想で書いたものだった。ある夕方、聖母マリア様が幼いイエス様を連れて、寡婦のヨハンナに食べ物を持っていった。ところが、彼女と息子は何か忙しそうだった。わけを聞くと、銀貨が一枚なくなったので、捜しているのだと言う答えだった。そこでマリア様もイエス様も手伝い出した。日が暮れると明かりを灯した。ということは、すぐには見つからなかったということだ。息子はもう一度床の上を見てみると言って、ともし火を下におろした。だがその時、テーブルにドンとぶつかった。
 するとヨハンナが叫んだ。「あった!」と。皆が「どこ、どこ?」と見ると、何と一本のテーブルの足の下から、銀貨が半分見えていた。息子が偶然ぶつかったので、テーブルが動いたおかげだった。銀貨は何かの弾みで落ちたのだが、土間だったから音がせず、気付かれなかった。そして、テーブルの足の下の凹みに転がり込んでしまっていたのだ。これはすべて私が劇用に考えたフィクションだが、銀貨がどのようになくなり、どのように見つかったか、その一つの答えを出したものだ。もちろんその後は大いに喜び合って、女友達や近所の女達を呼んだお祝いになる。
 これは譬えで、大事なのはメッセージだ。そんな細かいことを想像して何になるという人もいるだろう。しかし想像力を働かせることは、当時の状況の中で語られた譬えを理解するのに大いに役立つ。そればかりか、こういう譬えはイエス様ご自身が実際に体験し、見聞なさったからこそ話せたのだろうから、逆にそれを通してイエス様の幼少年期がどんなものだったかを窺い知る手がかりになる。それは実に貴重だ。だから、私はこの譬えの聖劇に聖母と幼いイエス様をも登場人物に加えたのだった。

 ところで、この譬えを読むと、ある人は北条時頼に仕えた鎌倉武士、青砥藤綱のエピソードを連想するかも知れない。彼は滑川に10文銭を落とした。そこで天下のお金を無駄にしてはならないと、50文の松明を買って捜し出した。人が40文の損ではないかと馬鹿にしたら、いや、松明を買った50文は世の中にあり、自分は10文を得たのだから、損になっていないと答えたとか。かつて私は鎌倉にいたとき、その川の橋をよく渡ったから、その現場も知っている。それは無くしたお金を見つけて喜んだ点と散財した点で、「無くした銀貨のたとえ」とやや似ている。
 しかし、この二つはメッセージがまったく違うのだ。青砥藤綱の逸話は経済的なレベルの話題で、天下の財貨をより広い視野で見る発想の勧めだ。しかし、「無くした銀貨のたとえ」は人間の救いが話題だ。女が無くした一枚の銀貨でさえ、見つかればそれほどの喜びだったのなら、ましてや一人の罪人が回心によって救われるならば、神の国ではどれほど大きな喜びがあることだろうか。だから、あなたがたも罪人の救いを願いなさい、というメッセージだからだ。
 主はこの譬えの心を、「このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」と言われた。罪人とは現代的な意味の犯罪人のことではなく、やむを得ず娼婦や徴税人になった人たち、貧しくて税が払えない底辺の人たち等のことだった。今日のキリスト教信者は、私を含めてだが、口では貧困者たちに同情し、罪人の回心を祈ると言うが、実際生活ではダメ人間や汚い人々にはあまり近づきたがらない。私たちはこの譬えで本気度を問われている。
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見失った羊のたとえ

 年間第24主日の福音はルカ15;1-32だ。そこには3つの失ったものの譬えが書かれている。一つは見失った羊、二つ目は失った銀貨、三つ目は失った息子、いわゆる放蕩息子の譬えだ。どれも興味深いテーマだが、全部一緒では長すぎるから、とりあえず見失った羊の譬えを取り上げてみる。もし時間があって、意欲も残っていたら、他の譬えも見てみることにしよう。

 さて、ルカ15;1-7の「見失った羊の譬え」は有名だから、ほとんどの信者は知っているだろう。そのメッセージも明白だ。7節でイエス様がその譬えの心を明かしてくださっているからだ。しかし、教会ではこの譬えが良い牧者の観点から話されることが多いので、ここでは他の角度からも見てみようと思う。例えば、羊の立場からすれば、「なぜボク(羊)が群れからいなくなったのか、そのわけを知っていますか?」という問いもありうる。そういう考察もしてみるということだ。
 この譬えはマタイ18;12-14でも伝えられている。もっともルカでは飼い主にも責任がありそうな「見失った羊」だが、マタイではで「迷い出た羊」で、羊のせいになっている。また、イエス様が話した相手も違っている。マタイでは弟子たちに「小さい者を軽んじないよう」戒めて話されたとされているが、ルカではファリサイ派の人々や律法学者たちが対象だった。はたしてどちらに話されたのだろうか?これはファリサイ派の人々の不平が聞こえたので、彼らにも聞こえるよう、弟子たちに話されたのだと解釈すればよいだろう。
 ルカによれば、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、次のように不平を言い出した。「この人は罪人たちを迎えて、食事までいっしょにしている」と。食事を共にするとは会食者たちを対等と見なすだけでなく、親しい間柄でもあることをも意味する。ところが、ファリサイ派の人々や律法学者にとって、徴税人や罪人は律法を守らない人間の屑だった。それを人並みに扱うなどとんでもない。律法軽視だと思えた。だから不満を口にしたのだ。そこでイエス様は一つの譬えをお話になった。 

 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして、みつけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」と。

 先祖が遊牧民族だったイスラエル人たちは、どれほど親近感や実感をもってこの譬えを聞いたことだろうか。羊とはあまり縁のない日本人でもこの話はわかる。初めてここを読んだ時、私は特に、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言う発想に感動したことを思い出す。しかし、現実的にこの譬えを考察して見ると、重箱の隅をつつくようなことかも知れないが、いくつかの疑問も出て来てしまうのだ。
 その羊飼いは、たった1人で100匹の羊を率いていたのだろうか?と言う疑問もその一つだ。もし一人だけだったとしたら、たったの1匹を見つけるために、99匹もの羊を残して行ったことは、大多数を危険にさらしてしまったことになる。それは賢明だっただろうかという次の疑問を誘発する。旧約聖書を読むと、昔はイスラエルにもまだライオンや狼がいたことがわかる。豹なら今も生息している。だからこそ羊飼いは見張りを怠らなかったのだ。
 そればかりではない。譬えでは「九十九匹を野原に残して」とあるから、その場所は番人がいなくても比較的安全な囲いの中ではなかったことがわかる。ヨハネ10;1-18にある良い羊飼いの場合は、出入りの門がある囲いの中にいる羊だ。しかし、野原とは原典のギリシャ語で「エレモス」と言い、荒野の意味だ。そこには柵もなければ遮蔽物もない。羊飼いが不在だったら、肉食獣に襲われる危険ばかりか、またまた羊が迷い出るリスクがあった。それも一匹では済まず、数匹になるかも知れなかった。
 私は以前、99匹の残った羊は良い羊で、おとなしくちゃんと待っていてくれると信じられたからこそ、羊飼いは見失った一匹を捜しに出て行けたのだと理解していた。しかし、考えてみるとそれはやはりおかしいと気付いた。いくら従順であっても、羊たちは賢く強い動物ではない。それなのに99匹を番人も付けず、羊たちだけを残して出かけたとすれば、その牧者の判断と行動は賢明ではなく、むしろ軽率のそしりを免れないものだと言わざるを得ない。
 ところが、イエス様の譬えでは、その飼い主は強い決意と深い愛情をもった牧者として描かれている。だとすれば軽率だったはずがなく、むしろ思慮した上での行動だったと考えざるを得ない。ではその根拠は?譬えだから単純化して語られたが、実は羊飼いは一人ではなかったのだ。羊が100匹もいたのだから、雇い人も一人や二人はいて当然だ。きっと彼らに99匹の番をさせ、自分は見失った羊を探しに出かけたのだ。今の私はそう思う。そう推測すれば、この羊飼いがしたことは、うんうん、なるほどと納得できる。

 でも、その羊はなぜ群れからいなくなったのだろうか?何かわけがあったに違いない。「見失った羊の譬え」というと、羊飼いにも少し責任のありそうなニュアンスだが、失跡にはその羊自身や他の羊たちにも原因があったのかも知れない。その羊自身に起因するケースを考えると、①体力が弱くて群について行けずに脱落した。②愚かにも一匹だけ道草を食べ続けていて置き去りになった。③強情でわがままな問題児の羊だったから、自分から群れを出て迷子になった等が考えられる。
 仲間内のいじめやトラブルがもとで、居辛くなって出て行くこともあり得よう。群れる動物では時々そういうことが起こる。リカオンや狼の群れでの実例はテレビで見たことがある。子供の頃、イジメや争いの実際を一番よく目撃したのは鶏だった。雄鶏も雌鶏も強い者勝ちで、強者は弱者をつついて追い払い、欲しい物を独占する。しかし、弱者にも順位があり、自分よりも弱い鶏が来るといじめる側に回る。羊の群れにもそういうことがあるかどうかは知らないが、人間界には確かにある。譬えの羊を人に置きかえるとき、この事実は覚えておく方がいい。
 飼い主のせいで羊がいなくなることもありえないことではない。遅れている虚弱な羊や草を食べ続けていた羊がいたのに気付かず、結果的に置き去りにしてしまうような場合があったら、それは羊飼いの落ち度だ。しかし、強情で性格が悪いトラブルメーカーだからとか、わがままで可愛げがないからとかの理由で、「お前なんか要らない」と羊を追い出したり見捨てたりする羊飼いはいない。どの羊をも大事にし、いなくなれば探しに出る。それが本物の良い羊飼いなのだ。

 この譬えには疑問点もあったが、感動的な点もいくつかある。まず感心するのは羊飼いが、いなくなった1匹に気付いたことだ。動く100匹の羊を数えることは容易ではない。それなのに、その異変に気付くとはさすがだ。おそらく一匹一匹を数えたのではなく、それぞれの羊を知り尽くしていたから、「おや、あの羊はどこにいる?」と、気にかかる個体の不在にすぐ気付けたのだと思う。そこに、絶えず羊たちのことに心を配る真剣さと、羊への愛情がうかがえる。
 そして、「見つけたら、喜んでその羊を担いで」というくだりも実に感動的だ。普通なら綱をつけるなどして引っ張って帰るだろう。ところが、その羊飼いは担いだとある。まるで迷子のわが子を見つけたように、担ぎ上げたのだ。担いだのだから、イエス様は小さな羊のイメージで話されたのかも知れないが、それを肩に乗せて戻る様子は目に浮かぶようで、羊飼いの喜びようが如実に伝わってくる。
 そして、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言う」くだりも感動的だ。私たちの社会では、失った物が見つかったら、損をしなくてよかったと喜んでも、皆に喜びを共有してくださいとはほとんど言わない。しかし、イスラエルではそういうことがよくあったのかも知れない。だから、イエス様はそれを当然のことのように話されたのだろう。いずれにせよ、かつてそういう発想も習慣もなかった私には、初めてここを読んだ時すごく新鮮に思えた。

 聞いていたファリサイ派の人々や律法学者たち、そして、弟子たちや群衆もこの譬えの意味はよくわかったに違いない。この譬えに登場するのは、羊の飼い主、100匹の羊、その中からいなくなった一匹の羊、友達や近所の人たちだ。「見失った羊」とは、罪人とか徴税人とか、当時の社会で冷たく扱われ、疎外されていた人たちのことに他ならなかった。しかし、神様の慈しみにとっては、彼らこそ見つけ出さなければならない見失った羊、救われるべき人たちだったのだ。
 いなくなったその羊を捜しに出た羊飼いとは、天父から遣わされた救い主、イエス様ご自身のことだった。主はすでに言われていた。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ5;31-32)と。この譬えは主がどんな心意気でその使命を果たそうとしておられたか、罪人が悔い改めれば天においては喜びがどんなに大きいか、それを具体的に表現し再確認したものだった。
 100匹の羊とは、人間社会全体を意味し、残った99匹とは医者の要らない健康な人々、神様の特別な癒しや励ましがなくても何とか生きられる、正しい人々を指すと解釈できる。そして、「一緒に喜んでください」と言われた友達や近所の人たちとは、もちろん残った99匹の中にも入るが、とりわけその時イエス様の話しを聞いていた人々、つまりファリサイ派の人々や律法学者たち、そして弟子たちや群集のことだった。
 「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」というお言葉は、正しい人がいることを天の父がそれほど嬉しいとは思っていないと言う意味ではない。正しい人たちに価値があることはもちろんだ。だが、見失った羊が見つかった時と同じように、一人の罪人の回心は失われた魂が見つかったことで、それがどんなに大きな喜びであるかを言い表そうとしたことに他ならない。
 イエス様が「大きな喜びが天にある」と言われたのは、暗にこう問いかけられていたことなのだ。「天に大きな喜びがあるなら、あなた方も一緒に喜んでしかるべきではないか。あなたがたは神様を信じる「神の民」だと自認しているからだ。それなのに、わたしが罪人や徴税人たちを分け隔てなく受け入れているのを、『何であんな連中を好意的に迎え入れるのだろう』と批判し、不満に思うのは間違っている。逆だ。むしろ喜んで、わたしと共に彼らと付き合うのが筋ではないか」と。

 ところで、現代社会でも100匹の羊は人間社会のことだが、その中の「友達や近所の人たち」は、教会の信仰共同体に当たるだろう。この譬えを理解している教会の多くは、見失った羊のような人が見つかって戻って来ると、天において喜びがあるように、よかったよかったと大いに喜ぶ。ところが、すべての教会がそうかというと、そうでもない現実があることもまた否定できない。それを知ると心が曇る。
 確かに強情でわがままな羊が自分から群れを出るように、共同体を嫌って離れる信者もいる。しかし、情けないことだが、教会の歴史にはいつの時代にも、どこかに、ファリサイ派の人々や律法学者がした仕打ちと同じことをした人々もいた。そんなことは例外的であってほしいが、もしもある教会でかなりの信者が去ったり、来なくなったりしている現象が、共同体の中のある人たちによる嫌がらせやいじめによるとしたら、その原因になっている人たちは、罪人や徴税人を蔑視したり遠ざけたりした、あのファリサイ派の人々や律法学者たちと同じことをしていることになる。
 また、もしも、「私のやり方が嫌なら、この教会から出て行っていい」などと言う司祭がいたら、それは見失った羊を捜しに行くどころか、追い出すに等しい。従う信者ならいいが、ダメ信者や逆らう人はいなくなってもいいというのは、薄情で無責任な牧者だ。それにもかかわらず、もし良い羊飼いの説教をするなら、それは言行不一致の偽善だろう。真の良い牧者は今いる羊を平等に心にかけ、見失った羊を本気で捜す。そこに真贋を見分ける秘訣がある。イエス様は真の牧者だった。それに倣う弟子を待ち望む。

厳し過ぎないか?

 年間第23主日の福音はルカ14;25-33だ。それは「大勢の群衆が一緒についてきたが、イエスは振り向いて言われた」という描写で始まる。
 ルカによれば、イエス様の一行は相変わらずエルサレムに向かっていた。行く手にはご受難が待っていた。しかし、群衆はそんなことは知らなかったし、弟子たちもまだそれがよくわかってはいなかった。だから、メシアである主がイスラエルを解放してくれれば、待ち望んだ幸福な世になると、浮いた考えでついて来ていたのだろう。そこで主は振り向いて言われたのだ。それは屈託なげな彼らの雰囲気を、突如凝固させてしまうような衝撃的な言葉だった。こう言われたからだ。
 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」と。
 群衆はどんなに驚愕したことだろうか。弟子なら自分の十字架を負うことや命も惜しまない覚悟は理解できただろう。だが、なぜ父母兄弟姉妹配偶者子供、つまり家族全てまでも憎まなければならないのか?あまりにも厳し過ぎて、常軌を逸してはいないか。おそらく彼らはそう思っただろう。ここを読むと、私たちもそう感じてたじろぐ。自分の十字架と命がけの奉仕については、すでにこのブログNo.37で取り上げたから、ここではなぜ家族まで憎まなければならないのか、その真意と「憎む」とはどういう意味かを探ってみる。

 まず、イエス様はそのような厳しい条件を誰に要求なさったのだろうかと言う問いだが、それは群衆全体にではなく、直接的にはもう弟子となっていた人たちに対してだった。ここはしっかり抑えておく方がいいと思う。主は弟子たちに初めてご自分の死と復活を予告されたとき、すでに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。…わたしのために命を失う者は、それを救うのである」(ルカ9;21-24)と言われている。だから、このことは初めての言及ではなく、その時に言明されたことの再確認でもあったわけだ。
 しかし、その時は明らかに弟子たちだけに言われたのだったが、この時は群衆全体に言われた。そして、家族への愛着を断つという新条件を加えられたが、逆にエルサレムでの死と復活には触れられなかった。その3つの点で違った。このとき主が弟子たちに対してだけではなく、群衆に語られたのは、弟子たちが群衆と一緒だったからだけではなく、群衆の中に、これから弟子になるかも知れない者たちがいたからではあるまいか。他方、ご受難と復活に言及なさらなかったのは、12使徒たちにも口止めなさっていた事柄だったからだろう。

 主が突然振り向いて話されたのは、おそらく後を歩いていた群衆と弟子たちの会話が耳に入ったからではなかろうか。そういうことは以前にもあった。「一行はカファルナウムに来た。家についてから、イエスは弟子たちに、『途中で何を議論していたのか』とお尋ねになった」(マルコ9;33)とある記述はその一例だ。その時、彼らは途中で誰が一番偉いかと議論し合っていたのだが、主はちゃんと聞いておられたのだ。エルサレムへの途上でもおそらくそうだったのだと思う。
 では、どんな会話が聞こえたのだろうか?時期的にはもう少し後になるが、使徒ヤコブとヨハネ兄弟はイエス様に「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」(マルコ10;37)と願って(マタイでは母親が願ったことになっているが)、主に野心をたしなめられたことがある。二人はメシアを地上的な王と理解し、王座に着かれたら私たち兄弟を大臣にしてくださいと、今で言えば猟官運動をしたわけだ。
 聖霊降臨前の弟子たちがその程度だったことを示す言辞はまだある。もう御昇天の直前だったというのに、弟子たちは尋ねたのだ。「主よ、イエスラエルのために国を立て直してくださるのは、この時ですか?」(徒1;6)と。神の国は、イスラエル王国再建ではないことがまだわかっていなかったのだ。ましてやエルサレムへの途上の時点だったら、新しい王国でどういう地位につけるかとか、暮らしがどうなるかとかの会話で盛り上がっていたとしても不思議ではない。
 だからイエス様はショック効果をねらって、むしろ厳しすぎるほどのことを言われたのだと思う。弟子の将来はそんな生易しいものとはまったく違う、と釘を刺されたのだ。彼らにはすでに、日々自分の十字架を負うよう求めておられたが、この日は、「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」と、弟子になる覚悟に新しい条件を加えられた。しかし、それは人間的に見て、厳し過ぎるハードルなのではあるまいか?

 ここで2つの問題が出てくる。一つは、家族を「憎まなければ」という条件は、「あなたの父母を敬え」(出20;12)というモーセの律法に反しないか?イエス様は人間に最も自然な家族愛を否定されたのだろうかという疑問だ。二つ目は、家族を去るとか愛着を断つとかなら容認できるとしても、なぜ憎まなければならないのかという疑問だ。家族の絆が希薄になっている現代の日本でも、家族愛はまだ社会の大切な基盤だ。その否定は非人間的、不道徳のそしりを免れないのではないだろうか。
 二つ目の疑問から解決してみる。これは言葉の意味の問題なのだ。聖書の「憎む」という表現は、実は日本語や現代欧米語とは必ずしも意味が同じではない。従って、今自分たちが使っているままの意味で解釈すると誤解が生じる。原典のギリシャ語で「憎ム」は「ミセオ」だ。だから「憎まないなら」は原典に忠実な訳だ。しかし、聖書の「ミセオ」には独特な意味があって、普通は「憎む」でいいが、旧約聖書的用法だと、「あるものを他のものより愛さない、より少なく愛する、より少なく好む」の意味になる。つまり「愛する」の正反対の「憎む」ではなく、「より少なく愛する」ことなのだ。
 マタイ10;37にあるイエス様のお言葉は、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」と書かれている。これは比較で、ルカの伝える「憎まないなら」よりもわかりやすい。イエス様の教えに賛成するかどうかは別として、意味はすんなりと理解できると思う。実は「憎まないなら」というのは、その意味なのだ。つまり、「家族愛に変わりはなくても、それへの愛着を断つ」と言う意味だ。それが真意なのだ。
 ちなみに、聖書独特の用法のせいで誤解されるリスクが大きいにもかかわらず、ルカの福音書の翻訳聖書は例外なくこの箇所を、「憎まないなら」の訳で通している。それは原典への敬意からで、生半可な意訳は聖書の味わいと香りを損なうからだと思う。語句が誤解されるリスクは学べば解決できる。それより原典を損なわない方が大事だ。
 では、「父母を敬え」の掟に反しないかという一つ目の疑問はどうかというと、私は反しないと答えていいと思う。イエス様は、ある時は父母への孝愛を空文でごまかすファリサイ派の人々を非難し(マルコ7;813)、ある金持ちが永遠の命を得るにはどうしたらいいかと質問した時は、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬えという掟をあなたは知っているはずだ」(マルコ10;19)と答えられた。主が家族愛を大切になさっておられたことは疑問の余地がない。
 では、それなのに、この時はなぜそんな厳しい、まかり間違えば誤解を招く言葉を口になされたのだろうか?それは弟子になりたい者たちに対してだったからだ。浮かれた考えでは弟子にはなれない。彼らを待つのは世間的な地位やバラ色の生活とは無縁の、命の危険と苦難の十字架に満ちた過酷な使命だった。それを予見されていたからこそ、主は最愛の人たちへの愛着さえも断たなければならないと、あえて厳し過ぎるほどの要求を言われたのだ。そして、ルカはそれを「憎む」という副作用の強い表現で伝えたのだった。

 実は、今日の個所をよく読むと、家族への愛着を断つことは、弟子となる具体的な条件の一つであって、その後に続く2つの譬えももう一つの具体的条件なのだということがわかる。前者は人間のうち最も大事な自分自身の命と家族への愛着を断つこと、後者は所有物への執着を断つことだ。それは「同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人として、わたしの弟子ではありえない」という結論のお言葉で明らかだ。
 そこで、ついでに譬えについて触れておこう。「同じように」とは2つの譬えの主人公と同じようにという意味だ。この言葉の前にある2つの譬えで、共通している点は計算だ。一つは塔を建てようとする場合、費用が足りるかどうかを計算しないで建て始める人の愚かさ、もう一つは戦いの場合、賢い王なら勝ち目がないと悟ったら和平を求めるのに、勝算を無視して、自軍の2倍もある敵軍に戦いを挑む王の愚かさが語られる。
 では、イエス様はこの譬えで何を言おうとなさったのだろうか?岩下壮一師の本の中だったかどうか記憶はさだかではないが、「永遠の命を計算に入れると、すべてが違ってくる」と言ったという、ニューマン枢機卿の言葉を読んだことがある。私はこの言葉を梃子にして考えると、2つの譬えの意味がわかりやすく解けるのではないかと思う。
 十分な資金もなしに塔を建設しようとする者とは、永遠の命を計算に入れないで、人生を設計する者のことだと言えよう。一見、地上では成功したように見えても、神の国に富を積んでいなければ、永遠の生命は得られない。人生設計という塔の建設に永遠を計算に入れないと、続かずに失敗する。それは愚かだ。ではどうしたら塔を完成させられるか?この譬えにはその問いがある。
 他方、不十分な兵力で強力な敵に挑む王とは、永遠の生命を計算に入れないで、王の王であるメシアに敵対する者のことだ。どんなに頑張っても結局は永遠の命は得られずに負ける。それに対して、和睦を求める賢い王とはメシアに従う者のことだ。そこに2つの譬えの答えがある。主の側について、弟子となることだ。弟子は家族、己が命、持ち物も犠牲にし、人間的には損に見える。だが、永遠の命を計算に入れれば損ではなく、むしろ神の国で得をするのだ。これは主が弟子たちを励ましたのだとも受け取れる。

 さて、家族愛を断つというテーマに戻って、残る疑問を取り上げよう。一つは、主の弟子になることが素晴らしいとしても、そんな厳しい条件では、いったい誰が弟子になれる、またはなろうとするだろうか?という疑問だ。その答えは、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しいという喩えに、弟子たちが「それでは、だれが救われるのだろうか」と驚いたとき、主が「人間にできることではないが、神にはできる」(マルコ10;25-27)と言われたお言葉にある。聖霊の助けがあれば、どんなに条件が厳しくても、弟子になれないことはないのだ。
 では次の疑問、主の福音を信じる人は、すべて弟子にならなければならないのだろうか?つまり、信じる者(信者)になるとは弟子になることと同義語なのだろうかという疑問だ。答えはそうではないとも、そうだとも言えるだろう。弟子には狭義と広義の意味があるからだ。狭い意味での弟子とは福音や使徒言行録に出てくる12使徒や70人弟子、今日の教会なら教皇、司教、司祭、助祭、修道者などがそれに当たる。彼らは家族を愛してはいても、それを去り、神様と福音のため自分の生涯を捧げて生きる道を選んだ。一般信者はこの意味の弟子ではない。
 ゼベダイの息子ヤコブとヨハネはイエス様に呼ばれると、「すぐに、舟と父親を残して」(マタイ4;22)従った。ペトロはらくだが針の穴を通る喩えの後、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言った。すると主は「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける」(ルカ18;28-30)と言われた。彼らはそういう弟子たちの典型的な例だ。
 新約聖書のギリシャ語原典では、弟子はマテーテスと言われる。ところが、信者はピステウオンだ。前者は英、仏語ではdisciple、後者は英語ではbeliever、仏語ではcroyantに当たる。すべての弟子は信者だが、すべての信者は狭義の弟子ではない。信者のうちの選ばれた者、または志した者がそういう弟子になる。ところで、イエス様が家族愛を断ち、命懸けで従う覚悟をお求めになったのは、いわゆる普通の信者にではなく、そういう狭義の弟子たちに対してだった。

 しかし、主の福音を信じて洗礼を受けた人は、広い意味ではやはり主の弟子でもある。主が使徒たちに、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28;19)とお命じになったのは、その意味で言われたのだった。従って、信者は皆その意味では主の弟子ではある。だが、彼らは狭義の弟子ではないから、主がいわゆる弟子たちに求めた厳しい条件は求められてはいない。家族とは幸せに暮らしていいし、命がけの福音宣教を命じられることもない。
 では、一般信者には弟子になる条件は無関係なのだろうか?いや、そうだとは言い切れない。少なくとも経済的困難、病気、孤独、不運など、背負うべき十字架は誰にも与えられるからだ。それらを呪って耐えるか祈って背負うかは、信仰のあるかないかの試金石になろう。そして、時には家族か信仰か、命か信仰かの厳しい選択を迫られる時がある。かつて踏絵に直面したキリシタンたちはそうだった。彼らは命を捨てるか信仰を捨てるかの重大な決断を迫られたのだった。
 平和で、信仰の自由が認められている今の日本では、一般信者がそんな緊張や危機的状況に置かれることは少ない。もっとも因習の強い田舎とか、理解のない職場などがないわけではない。家族が非キリスト教的な環境では、今でも信者になるには親兄弟姉妹配偶者子供との軋轢や、誤解を覚悟しなければならない場合があって、相当な勇気が要る。私も19歳で洗礼を受けた時、日蓮宗の家族の総反対に遭った。しかし、今の日本では、ほとんどの一般信者は平穏な生活を享受している。いわゆる弟子にならなくても、それもまた福音的で祝福された生き方なのだ。

 こんな考察をしている時、ある聖女のことが私の念頭をよぎった。一般的な信者からあえて主の弟子になった聖ジャンヌ・フランソワーズ・ド・シャンタルだ。彼女は1572年、フランスのディジョンで貴族の家に生まれた。年頃になってシャンタル男爵と結婚すると、ブーブル城に住み、妻として母として立派に勤めを果たし、キリスト者としては貧者や病人への援助を惜しまなかった。ここまでは、彼女は一般信者として生き、広い意味でのキリストの弟子であった。
 しかし、聖フランシスコ・サレジオに出会った後はその指導を受け、もっとイエス・キリストに仕えたいと思った。つまり狭義の弟子となることを望んだのだ。夫が世を去り、子供たちが成人すると、彼女はその希望を実現させるために修道生活を志した。ところが、親族は皆反対し、子供たちは戸口に横たわって彼女の出発を止めようとした。しかし、彼女はその上をまたいで家を出たと言われる。家族を愛していたが、神に従うために家族を乗り越えたのだった。そして、やがて聖母訪問会の創始者となった。祝日は12月12日だが、彼女は主のお言葉の実践者だった。
 それは感嘆に値する。だが、私はそういう見事な生き方を称え過ぎないようにしたいと思う。そうしたくてもできない、体も心も弱い人がいる。親の介護をしなければならない人、家族を養う責任のある人、わけあって修道生活から世俗に戻った人、それこそさまざまな人がいる。私はむしろそういう普通の人々の心情を慮りたい。教会はえてして聖人や立派な人たちばかりを評価し称賛しがちだが、そしてそれは良いことではあるが、それは時としてそうでない人たちをうつむかせる。
 イエス様は弟子になりたい人たちに語りかけられた。それは弟子になれない人たちを自分はだめだと自信喪失させるためではなく、弟子になりたい人たちを真剣に考えさせるためだった。だから、主に招かれていると感じて、弟子になりたいと思う人は、主が示された弟子になるハードルに挑めばよい。そして、弟子となって福音に奉仕するなら、それは実に素晴らしい。しかし、いわゆる弟子ではないが、主を信じる者として福音的に生きるなら、それもまた評価に値するのだ。
 主は振り返って話されたとき、「家族を憎まないなら」、「ついて来る者でなければ」と、「~なら~れば」の条件法で言われた。それは選択の自由が与えられていることを意味する。強制はなかった。福音を信じて選ぶなら、弟子になる道を選ぼうとも、そうではない生き方を選ぼうとも、主はどちらをも祝福してくださるはずだ。神の国には、神の民の奉仕者となる弟子たちは欠かせないが、神の民そのものもいなくてはならないからだ。

ひげまん

 年間第22主日の聖書はシラ3;17-18,20,28-29、ヘブライ12;18-19,22-24a、ルカ14;1,7-14だ。シラ書は謙遜について語り、ヘブライ書はキリスト者が招かれた集いがどんなものかを教える。そして、ルカによる福音書は、招待を受けたとき、謙遜な心で席を選ぶべきであり、逆に宴会などにはお返しのできない人たちを招くようにという、イエス様の教えを伝えている。シラ書のテーマはこの福音の前半に、ヘブライ書はどちらかと言えば福音の後半に関連していると言えよう。

 シラ書3;18にはこう書かれている。「偉くなればなるほど、自らへりくだれ。そうすれば、主は喜んで受け入れてくださる」と。日本の諺「実るほど頭の下がる稲穂かな」に相当する教えだ。少しばかり学問を修めたと思っている私などには、耳が痛い言葉だ。それはルカによる福音の婚宴の譬えとつながり、真の謙遜とは何か、現実にはいかに生きることが謙遜なのかを考えさせる。しかし、その前に私はシラ書に興味を感じてしまった。考察は他人のためではないし、横道にそれて道草を食うのは楽しいから、自分の興味を最優先させて、まずはこの書をちょっと見ておこうと思う。

 シラ書はあまり読まれない一巻だと思う。旧約聖書には律法の書、預言書、諸書があるが、諸書の中には歴史物語、詩、宗教文学、知恵文集などが含まれる。シラ書はこの知恵文集の一つで、イスラエル人の正統的信仰の生き方を説いた、いわば道徳的な色合いの強い一書だ。それが敬遠されがちな理由の一つかも知れない。しかし、読まれることが少ない一番の理由は、ユダヤ教では正典とされておらず、キリスト教会でも第二正典でしかないことにあるのではなかろうか。
 ユダヤ教のマソレット聖書では正典として認められていないから、収録されていない。その理由は単純ではないはずだが、一つはヘブライ語で書かれておらず、現存の原典がギリシャ語だからだろう。しかしギリシャ語の70人訳はシラ書を収録した。だから、カトリック教会は旧約聖書の第二正典として認めてきた。それには背景がある。初代教会は古代地中海世界に広まったが、そこはコイネというギリシャ語が普及していた世界で、キリスト信者はギリシャ語を話す人たちが大多数になっていった。ラテン語がローマカトリック教会の公用語になるのはもっとずっと後だ。従って、旧約聖書は70人訳を使った。大多数の信者には、ヘブライ語の聖書はもう読もうとしても読めない書物になっていた。そういうわけで、キリスト教ではギリシャ語が主流となり、シラ書は旧約聖書の第二正典として認められてきたのだ。
 序文を読むとなかなか面白い。これを書いた人は、この書の著者がベン・シラ・イエススで、自分はその孫だと言う。そして、自分は祖父が書いたものを苦辛してヘブライ語から訳したと述懐している。これを読むと、原典はもともとヘブライ語で書かれていたことがわかる。それは失われてしまったが、1806年にヘブライ語の写本の一部が発見され、その事実は証明された。書かれたのは西暦紀元前190年頃で、ユダヤがギリシャ化の危機にあった時代だ。それがわかると、シラ書がイスラエルの伝統を守ろうとして、ペンを持って戦った書であることもわかる。
 ベン・シラの孫はエジプトにいて、紀元前140年頃、祖父の書を訳した。エジプトは当時ギリシャ語圏で、70人訳もそこで成った。そこに居住していたユダヤ人たちがもうヘブライ語を読めなくなっていたからだ。だから彼も祖父の書をギリシャ語に訳したのだった。そしてそれは70人訳に収録された。そのために書名は「ベン・シラ・イエススの知恵」とか、短く「シラ書」と言われ、「集会の書」とも呼ばれる。51章に及ぶ大作だ。彼が苦労して訳した「この書物を、精読してほしい」という気持ちがわかる。
 彼は「懸命に努力したのであるが、上手に翻訳されていない語句もあると思われるので、そのような個所についてはどうかお許し願いたい。というのは、元来ヘブライ語で書かれているものを、他の言語に翻訳すると、それと同じ意味合いをもたなくなってしまうからである。…いったん翻訳されると、原著に表現されているものと少なからず相違してくるのである」(シラ1;18-26)と言っている。イタリア語ではTraductore traditore (翻訳者は裏切り者)と言うそうだが、翻訳の苦労や難問がこんな昔にもうあったのだと思うと、「神のみ言葉」というより「人の言葉」として親近感がわく。教会では今新しい聖書の訳を検討中と聞く。シラの書の序文は励ましのメッセージになる。

 さて、本題に戻ろう。ルカ14;1はこう伝える。
 「安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた」と。
 イエス様はある議員の家に入られた。主は招かれたから入られたのだろうし、議員の方は招いたのだから、主に好意的な人物だったと思われる。議員とはその地の有力者でもあった。だから、他の人々もかなり来ていたはずだ。しかし、その中にはイエス様に反感を持っているファリサイ人たちも混じっていたに違いない。「様子をうかがっていた」という表現は、友好的な人から敵意のある人まで、温度差がさまざまな人々の雰囲気を描写している。

 主はその食事の席で、客が上席を選ぶ様子に気付かれた。それで一つの譬えを話された。
 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかも知れない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ14;711)と。
 ここで主が教えようとなさったのは明らかに謙遜の心であって、恥をかかないための処世訓ではない。恥とか面目とかの受け止め方は当時のイスラエルでも、イエス様のこの譬えで日本のそれと似ていたことがわかるが、イエス様はそれを良いとか悪いとか評価なさったのではない。現にある常識やものの受け止め方を利用して、謙遜に考え、謙遜に行動すること、特に神様の前ではそうであるべきことをお教えになったのだ。
 そのように教えられたのだから、イエス様は上席にはお座りになっていなかったはずだ。そう言われる前に、主は安息日にもかかわらず水腫の人を治癒なさっていた。これはむしろ、イエス様の一挙手一投足、一言一句にも非難の口実を見つけようとうかがっていた人々への挑発に近かった。「自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」という問いに、彼らは答えられずにいた。だから、おそらく主も彼らもまだ立ったままだったのだろう。
 「まあまあ、席にお着きください」と招待主にとりなされて、ある者たちが席に着き始めたのだと思う。だが、みんなが上席を選ぼうとしていた。それで主はこの譬えをもって謙虚の徳を教えられたのだ。特にそれは神様の前に必要だった。ところが、ファリサイ人たちは自分たちは偉い、神様の前にも自慢できると思っていた。その好例が「ファリサイ人と徴税人の譬え」(ルカ18;9seq.)だ。徴税人は「神様、罪人のわたしを憐れんでください」と胸を打って祈るが、ファリサイ人は自分の生き様、行いを誇り、この徴税人のような者ではないことを感謝しますと、神様に自分を誇ってみせる。まさに高慢だった。この譬えの後でもイエス様は「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と言われた。
 食事の席に招いたのがファリサイ派の議員だったから、招かれた人たちもきっと同派の人々が多かったのだろう。だからイエス様は彼らの高慢をたしなめ、そこにいた弟子たちや一般の人たちにはそれを真似るなと、この譬えで謙遜をお教えになったのだ。神様の前に謙遜であることの必要性は、ルカの福音書が強調する特徴の一つだ。聖母マリア様もマグニフィカットの中で、「思い上がる者を打ち散らし、…身分の低い者を高く上げ」と、神様のなさり方を喜び称えられた。

 しかし間違えてはいけないと思う。主が教えられたのは真の謙遜だ。がって、B神父様から「日本人はひげまんですね」と言われて、大学生だった私たちは「えっ?! ひげまんって何?」と、顔を見合わせて、目を白黒させたことがあった。何のことでそう言われたのかは忘れたが、要するに日本人は、「いいえ、私なんてとても…」と謙遜しながら、実際は「いや、あなたはすごい。ご立派ですよ」褒められることを期待しての偽謙遜なのだと、B神父は言いたかったのだった。
 後で辞書を調べたら、なるほど「卑下慢」という熟語があって、「卑下も自慢のうち」という慣用句があると書いてあった。「おい、卑下慢って日本語にあったんだよなぁ。知らなかった」と、皆で笑い、なぜB神父様がそれを知ったかを探索したところ、日本語のK先生の入れ知恵だとわかった。ことわざ辞典・成語林はそれを、「自慢したい気持ちを態度にあらわさず、表面はいかにも謙遜したふうによそおい、実は人をうらやましがらせることを意識しながら話すさま」と定義している。
 こんな卑下慢、つまり偽謙遜ならない方がいい。日本では今は結婚式の披露宴では席が決っていて、名前が書いてあるから、上席選びなどということは起こらない。しかし、教会では普通は席が決っていないから、前の方が上席だと思ってだろうが、そこを避けて数席以後に座りたがる。その結果、しばしば前の方の席ががら空きになることが起こる。でも、これは気が引けるからとか、謙遜ではないと思われたくないからとかの心理からで、真の謙遜でも何でもない。むしろ一つの卑下慢ではなかろうか。
 そんなことで文字通りイエス様の謙遜の勧めを実行したつもりになると、後半の席ばかりが詰まっていき、後から来た人は席がすぐ見つからなくて迷惑する。そんな表面的な謙遜の真似事はやめた方がいい。コンサートの自由席であえて条件の悪い席を選ぶ人がいるだろうか?もし選ぶ人がいたら謙遜とは見られず、その人はバカだと言われるだろう。コンサートは良い音楽を聞くのが目的だからだ。教会でも席は自由だから、ミサ等に自分が参加しやすい席が一番良い。前の方に座ることは謙遜に反することでも何でもなく、目的に適ったまともな行動だと考えるべきだろう。

 ルカの福音書はイエス様が、次のように話しを続けられたことを伝える。
 「昼食や夕食の会を催すときは、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸だ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
 これは譬えではない。具体的で実際上の勧めだ。そして、食事の席にいた皆にではなく、今度は招待してくれた主人に話されたことだ。前後の文脈からすると、食事の最中にお話になったようだ。しかし、招待してもらいながら、招いてくれた人にそんなことを言ったとは、失礼だったのではないだろうか?普通なら気分を害したはずだ。では、その主人はイエス様のお言葉にどんな反応を示したのだろうか?それにしても、なぜ主はあえてそんなことを言われたのだろうか?
 ルカはその疑問の答えになることを書いていないから、想像するしかないのだが、一つには、招かれた人たちはほとんどがその地域の金持ちとか名士などで、貧乏人や身分の卑しい人たちは外から羨ましそうに食事会を覗いていたのだろう。イエス様はそれをご覧になったからではないだろうか。もう一つの理由は、招待した人が主に好意的で、福音を受け入れる心ができていて、少し苦いことを言われても臍を曲げる人ではない、理解できる人だと見込んだからではなかろうか。だから、神の国に通じるもっとよい招待の秘訣をお教えになったのだと思う。
 もちろん、彼が主の見込んだほどの人物ではなく、せっかく招待してやったのに恥をかかされたと心中憤慨して、根に持った可能性はある。しかし、私は好意的に解釈して、彼が主のアドバイスを受け、あぁそうなのか、そういう発想はしたこともなかった。だが、言われて見ればもっともだ。これからはそう心がけようと、肯定的に理解したと思いたい。イエス様に反感を持つファリサイ人たちが多い中で、あえて主を食事に招待したほどの人だから、そう見てやってもおかしくはないと思う。

 しかし、もう一つ疑問が残る。「友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない」というのは、禁止だろうかそれとも、招待しない方がいいという勧告だろうか?という問題だ。私は再来週、発起人として親しい人たちと会食する予定がある。もしそういう会食はやめるべきだと禁止されたのなら、私たちがそれを行なうことは、主の教えに背くことになるだろう。しかし、勧告なら、そういう人たちとの会食もいいが、できるだけ貧しい人たち等も招きなさいという解釈になる。
 バルバロ訳も「招んではいけない」と禁止命令的に聞こえる。しかし、聖書協会訳は「呼ばぬがよい」だ。これだと推奨で、禁止ではない。英語は “Do not invite”(招くな)で、“Do not have to invite”(招いてはならない)ではなく、仏訳も “Ne convie pas”(招くな)で、“Il ne faut pas convier”(招いてはならない)ではない。原典のギリシャ語も “Meh phonei”(招くな)だ。これらから見ると、禁止ではあるが、強制的な禁止ではなく、勧告的な禁止だと言えよう。しかし「呼ばぬがよい」よりは強いと思う。
 イエス様は他のファリサイ人にも食事に招かれたことがあった。また、カナでは婚礼の席に招かれて奇跡もなさった。しかし、その時のホストに友人や親戚や有名人たちではなく、貧乏人や社会的弱者を招きなさい、と彼らの招待者人選に異を唱えられてはおられず、その招待を受けておられる。それから考えると、そういう招待はよくない、やめよと禁止なさったのだとは思えない。だから、常識的には「呼ばぬがよい」の訳が妥当だろう。
 主を招待したそのファリサイ派の議員に、そしてひいては私たちすべてに、主がわからせたかったことは、お返しできるような人たちを招く食事会などはよくないということではなく、お返しのできない人たちに目を向けなさい。自分達だけ楽しんでいてはいけない。彼らを心にかけるならば、天の父はそれをご覧になっておられる。そして、彼らに代わって復活の時に、お返しとして報いてくださる。だから、あなたがたは幸だと明かしてくださったのだ。
 食事に招くことが重要なのではない。それはたまたま食事の席だったから例に挙げられたに過ぎず、その心は「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」(マタイ25;35-36)と同じなのだ。だから、「わたしが見下されて誰からも招かれなかったときに招いてくれた」とも追加できよう。要は「お返しのできない人たち」と人並みにつきあい、彼らを大切にすることにある。そして、その手本はすでに神様がお示しになった。なぜなら、貧しい人、悲しむ人、迫害されている人は幸いだ。天の国はその人のものであると、そういう人たちを神の国に招いてくださるからだ。
 それにくらべ、その福音を伝えるべき教会はどうだろうか?貧者、病者、障害者、ホームレスなどの社会的弱者とかかわっている人もたくさんいる。が、その半面、今日の都会の教会は貧しい人や社会的身分の低い人が、いささかお呼びではない場所になっていないだろうか。片や私は、シエラレオネの子たちの給食援助をしている人たちをたくさん知っているが、これも主の勧めに従った一つの形だと思う。日本とシエラレオネは地球の裏表ほど離れているが、「お返しのできない人たち」を招けと言われた主のお勧めは、そこですでに27年間実践されてきた。ただし彼らは招き主ではなく、会食の下働きのようだ。黙々と支援を続けている彼らに、深い敬意を覚える。
 

狭い戸口と閉まった戸

 年間第22主日の福音はルカ13;22-30だ。ここでルカは9章51で書いたイエス様のエルサレムに上る決意を思い出させ、「イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた」と、一行がなおもその途上にあることを確認する。しかし、それに続くイエス様の戸のたとえは、必ずしもその途上で話されたと受け止める必要はない。そこで話されたのかも知れないし、そうでなかったかも知れないからだ。繰り返すが、エルサレムへの道は、ルカにとっては主の教えを存分に語る場に他ならなかったのだ。
 だとすれば、ある人がイエス様にその途上で質問したかどうかもあまり重要ではないと言える。しかし、その人の質問内容は重要な事柄だった。その人は尋ねた。「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と。この人が救いというものをどう理解していたかはさておき、彼がそれをまじめに考えていたことは確かだった。しかし、その雰囲気は心配げで、「救われる者は少ないのでしょうか?」という言葉遣いは、ネガティブな印象を与える。
 イエス様は彼に、「そうだ、救われる者は少ない」とも、「いや、少なくはない」とも答えられず、むしろ一同に向かって戸の喩えをお話しになった。きっと、これはその人だけではなく、皆にも話しておいてよい問題だと思われたからに違いない。戸の喩えはつながってはいるが、それが誰に向けて語られたメッセージだったかを考えると、2つの喩えとして見る方がいいと思う。一つは短い「狭い戸口」の喩え、もう一つは「閉まった戸」の喩えだ。

 一つ目の喩えでは、「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」と言われた。主は一同の中にいた弟子たちを念頭に、これをお話になったのではなかろか。狭い戸口の先には神の国がある。そこが救われた者の居場所だが、「入れない人が多い」とは、救われる人は少ないということになる。少なくともここでは、すべてが救われるとは言われていないことは確かだ。でも、狭い戸口から入れば救われる。だから、そこから入るように努力しなさい、と主は励ましてくださったのだ。その視線の先には弟子たちがいた。そして今は私たちがいる。
 実はマタイ7;13-14にも、「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も狭いことか」という似た喩えがある。ルカでは「狭い戸口」だが、ここでは「狭い門」だ。少々違う。主は時には「門」、時には「戸口」という喩えを使ってお教えになったのだろう。そう考えれば、どちらが正しいのかなどという疑問は解消する。言葉は違っても言わんとすることは同じで、それは安易に救われると思ってはならないというメッセージだ。
 しかし、狭い戸口は「入ろうとしても入れない人が多いのだ」とある。これはどういう意味だろうか?「入ろうとすれば入れるのに、入らない人が多い」と言うのならわかる。それは自分から入らないのだから、入らないのはその人の自己責任だ。しかし、「入ろうとしても」とは、入りたい意志も願望もある証拠だ。それなのに入れないのは、なぜか?それは自分が入らないのではなく、入りたくても、何らかの理由で入れないことを意味する。戸口が狭いのに、入ろうとする人が多すぎて、はじき出されるからだろうか?それとも太り過ぎているからだろうか?その答えは次の「閉まった戸」の喩えにあると思う。

 イエス様は続けて話された。
 「家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『ご主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言い出すだろう。しかし、主人は『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする」と。
 ここでは狭い戸とは言われていないが、譬の前提は狭い戸と考えていいだろう。しかし、この二つ目の戸の譬ではその狭さ広さは問題ではなく、そこを通って入るタイミングが問題になっている。主人が戸を閉めてしまってからでは遅い。もう2度と開けてはもらえない。閉まってからでは、まさに文字通り「しまった!」になる。遅れた人は「ご主人様、開けてください」と言うのだから、入りたい意思と願望はある。この点では狭い戸口の場合と同じだ。
 しかし、主人は「お前たちがどこの者か知らない」とにべもない。そこで、入れてもらいたい者たちは「一緒に食べたり飲んだりし、広場で教えも聞きました」と、浅からぬご縁があったことを並べ立て、情に訴えて何とか開けてもらおうとする。だが、主人は拒絶する。「お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ」と。これはマタイ25;1-13の「十人のおとめのたとえ」とも共通点があり、譬を通して終末の裁きを語っているのだが、その「不義を行う者ども」という言葉に「狭い戸口」から入れない人たちへの答えがある。
 入ろうとしても狭い戸口から入れないのは、人が多くて混み合うからではない。それに比べ、スリムではないからという理由は当たっていると言ってよかろう。欲張って両手に物を持ち過ぎれば、狭い戸口は通れない。同様に、魂が貪欲や傲慢で肥満化していれば、救いへの狭い戸口はくぐれないからだ。主はそれを「不義を行う者ども」の一言で表現なさった。戸がまだ閉まっていなくても、「不義を行う者」であるならば、狭い戸口からは入ろうとしても入れないということだ。
 それは見えない神秘的な力に押し戻されて、ストップを食うようものだ。あるいはパスポート不所持者が入国拒否にあうのにも似ている。救いの「狭い戸口」から入れないのは、魂が神の国への入国条件を満たしていないからだ。ならば、それを満たした者にならないといけない。それが「狭い戸口から入るように努めなさい」というメッセージなのだと思う。そこではまだやり直しがきく。
 ところがそういう努力もしないまま、人生の終わりまたは世の終わりを迎えてしまえば、そういう人が直面するのは「狭い戸口」ではなく、「閉まった戸」の問題となるのだ。狭い戸口と違って、この場合はもはややり直しがきかない。時すでに遅く、まさに「外に投げ出され、泣きわめいて歯ぎしりする」ことになる。だから恵みの時を見誤るな。それが「閉まった戸」の喩えのメッセージだと思う。

 ところで、狭い戸口の譬を読むと、一つの疑問が湧かないだろうか。入ろうとしても入れない人が多いとは、救われない人がけっこういるということに他ならない。しかし、神様が御独り子を遣わされたのは、すべての人の救いを願われたからだったはずだ。それなのにこの譬では、主は救われない人が多いことを容認なさっておられるように思える。すべての人を救いたい神様の願いと、救われない人が多い事実との間にはギャップがある。主はすべての人の救いは無理だと諦めておられたのだろうか?
 この疑問には、聖母の騎士誌2010年9月号にあるペトロ・メネシェギ神父様の「神はどういうお方ですか」という記事がたいへん参考になる。同師によれば、聖書には永遠の命に入る人と滅びに入る人の二つの結末がしばしば出てくる。その場合、イエス様は救われるように努めなさいと人々を励まされる。他方、聖書の中には「パンタ」という言葉もたびたび出てくる。このギリシャ語は「すべてのもの」「すべての人」という意味だ。「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ12;32)というお言葉はその一例だ。
 このお言葉にはすべての人を救いたいという主のご意思と願いがある。それにもかかわらず、滅びる人が出てしまうのも事実で、狭い戸口の譬はまさにそのケースに他ならない。ではそれをどう考えたらいいかというと、メネシェギ師はこう言う。(すべての人の救いが神様のご意志であることは)「非常に明るい見通しなのです。すべての人間が確かに救われるということを、主張することはできませんが、それを、希望することは許されるでしょう」と。
 つまり、救われない人がいるという事実は否定できないが、それでも私たちは多くの人、いや、すべての人の救いを望んでいいと言うことなのだ。なぜか?なぜなら、救われない人がいるとしても、それが誰かを知るのは神様だけで、人間はそれを知るよしもなく、逆に私たちが知っているのは神様が慈しみ深い方で、人の滅びを望んではいないという真理だからだ。イエス様が「入れない人が多い」と言われたのは諦められたのではなく、そういう残念な事態を避けさせるためで、願いはあくまでも「すべての人を自分のもとへ引き寄せる」ことにあったのだ。

 閉まった戸の喩えでは次のような疑問が湧くかも知れない。イエス様はかつて「門を叩きなさい。そうすれば開かれる」(ルカ11;9)と教えてくださった。それなのにここでは、主人(神様)が戸を閉めてしまうと、遅れた人がどんなに「開けてください」と叩いても、もう開けられないと教えておられる。叩けば必ず開けてもらえると教えた主が、けっして開けられないと言われるのでは矛盾していないか、という疑問だ。
 答えは「矛盾はない」だと思う。なぜなら、叩けば開かれるとは生きている間の祈りの喩えで、それについてはすでに「ルカ版主の祈り考」で書いたが、信じて求めれば与えられる。叩けば確かに開かれる。つまり、神様は祈りに応えてくださる。しかし他方、閉まった戸の喩えは生きている間のことではなく、人生が終わった後または最後の審判の時の喩えで、やり直しは不可能だという意味だ。何事にも決着がある。人生も同じで、もうリセットの効かない「その時」は必ず来る。それが「閉まった戸」なのだ。

 「狭い戸口」も「閉まった戸」も全般的に厳しい印象を与えるが、前者は弟子たち向けだっただろうとすでに書いた。では、後者は誰に向かって話されたのだろうか?私にはこの喩えが弟子たちに対してよりは、「一同」の中に混じっていた、ファリサイ派の人たちを念頭に話されたように思えてならない。なかなか回心しない彼らに対してだったからこそ、主は「開けて下さい」と懇願する人々の狼狽ぶりを通して、恵みの時が終わってからでは遅く、神の国への戸が閉まるとはどんな事態かを、彼らに悟らせようとなさったのだと思う。
 彼らのある者はイエス様を食事に招いた。彼らは広場でよく教えも聞いた。もっとも教えを聞いたのは福音を実践するためというよりは、しばしば非難の口実を見つけるためだったが、聞くことは聞いた。だから喩えの主人が、「お前たちがどこの者か知らない」と突き放した後、「あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう」と言ったとき、彼らは思い当たるふしがあっただろう。
 ここにある「あなたがたは」という二人称複数は弟子たちを指しているとは思えない。彼らは「あなたがたの見ているものを見る目は幸だ」(ルカ10;23)とあるように、祝福された者たちだった。ところが、ここの「あなたがた」は神の国に入り損ない、「泣きわめいて歯ぎしりする」人たちだ。それはファリサイ人たちのような人々だったと見るのが妥当だろう。イエス様は、もしあなたがたが今のままならそうなりますよと、警告なさったのだ。
 「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出される」という一節もそれを裏付ける。これは異邦人や小さな人々には当てはまらない。ファリサイ人たちやイスラエルのエリートたちは、自分たちがアブラハムの立派な子孫であると自負し、律法を守っていさえすれば、神の救いは自分たちに自動的に与えられると思い込んでいた。
 だから、かつて洗礼者ヨハネは彼らに対して、「『我々の父はアブラハムだ』などという考えは起こすな」(ルカ3;8)と厳しく言った。そして、イエス様はある日の議論で、「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった」(ヨハネ8;39)と言われたのだった。
 主がアブラハム、イサク、ヤコブや預言者たちと「あなたがた」を対照的に話されたのは、まさにファリサイ人たちに対してだったからだ。アブラハムは義人だったが、あなたがたもそうか?むしろもし「不義を行う者」なら、あなたがたは神の国には入れない。アブラハムの子孫であるというだけでは何にもならないのだ。わたしと一緒に飲食し、わたしの教えを聞いても、それだけでは何にもならない。神の国には、福音を生きてこそ入れてもらえる。主は彼らにそう教えてわからせようとなさったのだと思う。

 しかし、これは旧約の神の民だけに言われたのではなく、新約の神の民にも当てはまると考えるべきだろう。「ご主人様、開けてください」と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』と」と言われ、そのとき、「あなたがたは『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言い出すだろう」というくだりは、「主よ、私は洗礼を受けたキリスト信者で、毎週ミサで説教を聞き、ご聖体も頂いていました」と言い換えることができる。信者であることがただの習慣に堕していたなら、私たちもファリサイ人と同じになる。自分もそういう慢心におちいっていないか、もって自戒しなければなるまい。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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