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原型と原点

聖書反芻 

 「それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。」年間第15主日の福音マルコ6;7-13はこのように始まる。「遣わす」はギリシャ語でアポステッロと言い、これが「派遣された者」=使徒(apostolus, ap醇stre, apostle)の語源となった。12人はただの弟子ではなく、使徒となったのだった。
 イエス様は町々村々を巡り、その時まではご自分で人々に教えておられた。しかし、いよいよ弟子たちをご自分の代理として、世間に送り出されたのだ。将来のために、もう訓練に出す時が来たと判断されたからに違いない。彼らにはやがて自分たちだけで宣教しなければならない日が来る。この派遣はその実地訓練だった。
 マルコはそれを、準備、実行、事後の3段階に分けて書いている。しかし、一番念入りに記録したのは準備段階についてだった。それに比べ実行段階の記述は非常に短い。事後の段階は、間に洗礼者ヨハネ殺害記事が入るので気付かれにくいが、6章30-32節にある。ただしこれはこの主日の福音の範囲外なので、ここでは取り上げない。

 準備段階で、イエス様はまず使徒たちを二人一組にされた。なぜそうされたのだろうか?実はボーイスカウトも二人一組をバディと呼んで、これを実践している。それは?困った時に知恵を出し合って切り抜けられる、?一人が怪我病気などに見舞われても、もう一人が対応できる、等の利点があるからだ。弟子になってまだ日も浅く、福音についての知識も経験も未熟だった使徒たちにとって、それはボーイスカウトよりもっと多くの、次のようなメリットがあったからだと思う。
 ?未熟だったから、彼らは主の教えを間違って伝えるおそれがあった。しかし二人いれば、一人が間違ってももう一人が注意して学習し合い、間違いを好転させることができた。
 ?いろいろな誘惑などによる敵対勢力の切り崩しも、二人一緒ならそれが防げた。
 ?一人だと辛さや気分に負けて怠け、嘘の報告もしかねないが、二人ならそれが防げた。
 ?熱心に宣教しても成果が出なければ、人は失意落胆する。しかし、二人なら励まし合えた。
 おそらくこのような利点があったから、主は彼らを二人一組のシステムになさったのではなかろうか。
    
 では、その他にどんな準備があったかと言うと、一つは汚れた霊に対する権能の授与、次は旅に持っていく物、そして三つ目は行く先々での心得があった。この中で最も重要なのは悪霊に対する権能だったと言える。イエス様はこのとき、初めてそれを彼らにお授けになったのだった。旅の持ち物と心得は時代と場所で変わって行くが、悪霊に対する権能は使徒職そのものに直結し、現代にまで変わらずに受け継がれて来ている霊的な力であった。
 旅に持って行っていいと言われた物は杖一本だけ。持って行ってはいけない物はパン、袋、帯の中のお金。身につけるものは下着一枚と履物だけだった。当時としても驚くほど簡素な旅支度だ。私たちはハイキングやキャンプに行く時、実にいろいろな物を用意する。弁当、水筒、薬、着替え、懐中電灯、地図、筆記具、そしてきっと携帯も持っていく。帽子、ポシェット、サングラスも忘れないだろう。昔と今は違うから単純に比較しても意味はないが、お金もパンも持つなというのは驚きだ。それは絶対必要な物まで削ったということだから、常識的に見れば無謀に見える。
 だが裏返せば、それは人の善意と神様の摂理に絶対の信頼を置けということを意味した。「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。…あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ 6;31-33)主は弟子たちが宣教旅行の間に、こういう真理をも身をもって学べるよう、彼らに極限まで削ぎ落とした身支度をさせたのだと思う。後にアッシジの聖フランシスコは、この究極の清貧スタイルを、自分が創立した托鉢修道会の原型とし原点ともしたのだった。

 準備の三つ目は宣教に出た先々での心得だったが、主はこう指示なさった。「どこでもある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい」と。このガイドラインは、弟子たちの宣教がどんなものであったかを知る手がかりとなる。
 主は「どこでもある家に入ったら」と言われたが、入れてくれる家はあったのだろうか?ユダヤでは、教師であるラビが来たら迎え入れなくてはならなかったと言われる。しかし、誰もがそう好意的だったとは思えない。ましてや、弟子たちはラビではなかった。イエス様が一緒ならいざ知らず、彼らだけで行った場合、知らない土地の人たちが、そう簡単に信用して受け入れてくれただろうか。今の日本ではよく門などに「宗教、セールスお断り」の文言を見る。当時のユダヤでも、見知らぬ男二人ではうさんくさく見られ、拒絶されることが多かったに違いない。嘲笑もされただろう。そういう困難の予感は出発前の彼らを不安にさせたと思う。
 だから、イエス様は彼らを励まして、彼らを受け入れなかった所では、去り際に証しとして足の裏の埃を払い落とせと言われた。昔、ユダヤ人は異邦人の地から帰る時は身が汚れているから埃まで払ったという。最後の夜、イエス様はペトロに「既に体を洗ったものは、全身が清いのだから、足だけ洗えばよい」(ヨハネ13;10)と言われた。足の裏は体が接地している唯一の部分だ。その埃まで払うということは一切を返すという意思表示で、「我々は神からの福音を伝えた。それなのにあなたがたは拒否した。だから、責めは一切あなた方にある」という意味に他ならなかった。これはイエス様が彼らを勇気付け、失望落胆しないように打った布石だと思う。このガイドラインを読んだだけでも、この宣教実習旅行がたやすい使命ではなかったことがわかる。
 
 しかし、「12人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。」一つの村や町に6組で行ったのか、それとも1組ずつ行ったのかという疑問が湧くが、おそらくこれは後者だっただろう。では、行った地域はどこだったのだろうかというと、それはガリラヤ地域だけだったはずだ。この宣教活動は実習的でもあり短期的でもあったからだ。サマリアやフェニキアなどは近隣だが、主が彼らを異邦人の地域に行かせなかったことは、マタイ10;5の言及でわかる。
 ところで、弟子たちが出かけていた間、イエス様はどこで何をしておられたのだろうか?それについてはどの福音書にも書いてないが、12使徒以外にも弟子たちはいたし群衆もいたのだから、何もしないで12使徒の帰りを待っておられたはずはない。主ご自身もあちこちで福音を伝えておられたのだと思う。ただ、12使徒たちが宣教の旅の後、「イエスのところに集まって来て…」(マルコ6;30)とあるのを見ると、落ち合う場所はあらかじめ決めてあったということがわかる。

 さて、弟子たちは行く先々で宣教活動をし、悪霊の追放と病人の治癒を実行した。宣教は悔い改めさせることが目的だったが、では、彼らはどのような告げ方をしたのだろうか?彼らの宣教スタイルはイエス様が、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と呼びかけた初期宣教の延長線上にあったと考えられる。それは預言者的だった。預言者とは神からのご託宣を人々に告げる伝達者だったが、その伝達は王の使者が、広場で人民に公布宣言するようなスタイルだった。
 それと対照的なのが文献を考証して論理的に組み立てた、理屈っぽい学者的な説教だ。もちろんそれがだめだとは言わないが、12使徒の伝え方は違っていただろう。彼らは学者でも知者でもなかったからだ。第二朗読の預言者アモスが司祭でも、職業的預言者でもなく、羊飼いだったのに似て、彼らの多くは少し前まで漁師や収税人などだった。だから、彼らは学者的な論理で構築した説教ではなく、イエス様から教わったままを、単純素朴に伝えるスタイルで宣教したと思う。
 では、その宣教内容はどんなものだったのだろうか?悔い改めの勧告があったことは明らかだ。しかし、私はそれ以外のことも入っていたのではないかと思う。なぜなら、彼らはもう悔い改め以外の教えも聞いていたし、奇跡も目撃していたからだ。例えば、神の国のことや譬えなども、聞きかじりではあっても話しただろうし、いくつかの奇跡についても証言したのではないかと推察できる。 
 そうは言っても、彼らが宣教した内容はまだ初歩的で、未完結だったと言わざるを得なかった。なぜなら、福音の核心は救いの神秘にあるが、それに必須な御子による主の十字架の犠牲も復活も、聖体の秘跡の制定も聖霊の降臨も、 12人が宣教に出たその時点ではまだわかっておらず、ましてや実現はしていなかったからだ。その点では、聖霊降臨後の聖ペトロの説教や、伝道旅行に出た聖パウロたちの宣教内容とは大いに違っていた。この伝道旅行では、宣教内容もまだ予行演習レベルだったのだ。でも、その時はその時で、彼らは精いっぱい宣教したのだと想像する。
 
 事実、「そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」とある。悪霊の追放とは、罪の力から人の心身を解放し、恵と永遠の命溢れる神の国に、民を取り戻す戦いだった。洗礼の時、教会の「悪魔をすてますか?その業を捨てますか?」の問いに、私たちは「はい」と誓う。その最初の働きはこの時に始まったのだ。しかし、彼らが悪霊を追い出せたのは彼らの力量ではなく、主が与えた権能のおかげだった。だから、別の宣教旅行の後では、弟子たちが「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」と言ったとき、主は「むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10;20)とたしなめられたのだった。
 彼らは病人の治癒も行った。これも主からいただいた力のおかげだった。どんな病気を癒せたのかはわからないが、彼らは「油を塗って」癒したとある。しかし、私が知る限りでは、イエス様が油で病人を治癒なさったことは一度もない。してみると、これは主が弟子たちに教えた治癒方法なのかも知れないが、これに言及しているのがマルコだけだという事実からすると、すでに初代教会で行われていた病者の塗油の習慣を、彼がポロリとここに書いてしまった可能性もある。いずれにせよ、ここには病者の秘跡の原型と原点がある。

 さて最後に、なぜマルコが弟子たちの宣教記事の中で、出発前の準備や心得を入念に書き、実行段階は短く扱ったのか、という問いを取り上げてみる。もちろん、イエス様が弟子たちに心を配り、細かな指示までなさったという事実があったから、彼はそれをありのままに書いたのだろう。しかし、私はそれだけではなかったと見る。なぜなら、そういう事実があっても、マルコはそれを簡略に済ますこともできたし、逆に宣教の実行段階はもっと詳しく書くこともできただろうからだ。ところが、彼はそうはしなかった。なぜだったのだろうか? 
 まず、実行段階を短く扱ったわけだが、マルコの福音書が書かれた頃、福音の内容はもう12弟子の宣教実習の頃とは大きく変っていた。聖体の秘跡があり、主の死と復活は成就し、聖霊は降臨していた。要するに福音は完結していたのだ。そうなると、未完結だった宣教実習の頃の教えはもう更新され、過去のものになっていた。だから、それは詳しく書く意味がなかったのだと思う。
 ところが、宣教の準備段階はまだ十分意味があり、それについては詳しく書く必要があったのだ。なぜなら初代教会は、ちょうど12人が主なしで宣教に出たように、彼らも主なしで福音を宣教しなければならない状況にあったからだ。その状況はある意味で12弟子派遣のそれと重なっていた。しかし、違いもあった。主が去って40年近く、マルコの福音書ができた頃、キリスト教はもはや小さな弟子集団ではなく、近隣諸国にまで広まった一大共同体になっていたからだ。マルコはそこに、内向きの組織防衛志向、財力や世間に迎合する危険を見たのではなかろうか。
 だから彼は、12弟子の宣教旅行準備を念入りに伝えたのだ。それによって、懸念される危険を当時の教会の中で、暗に気付かせようとしたのだと思う。「初心を忘れるな。貧しくあれ。物や金に頼るな。神のお力にこそ信頼を置け。内に籠らず外に向いて、福音は単純明快に伝えよ。人々の拒否に驚くな。世間に迎合するな。12使徒たちのあの時のあり方こそ、福音宣教の原型であり、原点なのだ」と。

 誰と組んだかは知らないが、その宣教実習の時の一人だった聖ペトロは、後に「わたしには金や銀はないが、もっているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(徒3;6)と言って、足の不自由な男を治癒している。彼は実習時に学んだことを、その後もずっと忠実に実践していたのだ。
 時代が移れば物事も変わる。福音宣教においても然りだ。しかし、その原型と原点は初心の証しとして変わらずに残る。だから、それは現代にも通用する。もちろん、福音宣教は一義的には教会の使命だ。したがって、私には関係ないと言う信者もいるだろう。だが、福音は言葉によるだけではなく、生き方そのものによっても伝えられるものだ。私はそこに、私たちすべてへのメッセージがあると思っている。

 ところで振り返ると、聖書反芻を始めたのはちょうど一年前の7月19日だった。そこで、今回をもってこのシリーズを打ち切りとしたい。訪問してくださった皆さん、ありがとう。次からは聖書温故知新のシリーズとしたい。やはり主日の聖書が中心だが、書く日は気ままに選ぶつもりだ。お知らせまで。

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プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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