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天使のお告げ

 待降節第4主日の福音はルカ1;26-38であった。天使ガブリエルによる聖マリアの受胎のお告げの箇所だ。思い出せば、洗礼に至る前、そんなことがあり得るものかと疑って、躓いていた教えの一つがこのお告げのことであった。しかし、聖母が「神にはできないことは何一つない」と言った天使の言葉によって、お告げの神秘の理解しがたさ乗り越えられたように、私もその同じ言葉でつまずきとなっていたすべての障害を乗り越えることができた。
 ところで、天使ガブリエルは聖マリアの前に現れた時、「おめでとう」と挨拶したとある。もちろん和訳だが、かつて文語ラゲ訳新約聖書は「慶たし(めでたし)」と訳していた。懐妊だから、おめでとうとかめでたいと訳したのは悪くない。しかし、その挨拶は本当はどう言われ、どういう意味だったのだろうか?
 私たちが慣れ親しんでいるのはラテン語訳「アヴェ・マリア」のアヴェだ。これはどういう意味かと言うと、元はラテン語の動詞Aveo(喜ぶ)で、その単数命令形なのだ。従って、「喜べ」ということだ。これは原典ギリシャ語に忠実な訳だと言える。なぜなら、ギリシャ語ではKhairo(喜ぶ)の命令形Khaireだからだ。なぜ「喜べ」と言ったのかというと、マリアは神の恵みを得て救い主の母となるからだったと読める。それに照らすと、フランス語のJe vous salue(あなたに挨拶します)は原典をそれほどよく反映している訳とは言えない。喜べと言う意味が薄いからだ。英語のHailも同じだと言えよう。それに比べ、日本語の方が原典に近いようだ。だが、天使はギリシャ語を話したわけではなく、聖マリアもギリシャ語が分かったわけではない。だから、原典がギリシャ語だからと言って、それを基準にあれこれ言っても、その訳が本当に妥当かどうかは評価できない。
 では、本当はどうだったのだろうか?聖マリアはその時ガリラヤのナザレト村に住んでおられた。ところで、当時そのあたりで使われていた言葉はアラマイ語だったと言われる。しかし、聖マリアはダビデの家計であり、本籍はユダヤにあった。親戚もそこに多く、従妹のエリザベトもその一人だった。イスラエルの3大祭にはエルサレムに巡礼で上ってもいた。従って、マリア様は日常ではアラマイ語を話しておられただろうが、ユダヤやガリラヤの公式言語であったヘブライ語はもちろん話せて、ユダヤに行ったときはヘブライ語を話しておいでだったはずだ。たとえば、従妹エリザベトとの会話はヘブライ語だっただろう。それに、ヘブライ語とアラマイ語は似ているから、両方話すのは苦もなくできたことだろうと思われる。そう考えると、天使ガブリエルも当然ヘブライ語を使ったのではなかろうか。それなら、聖マリアも天使から言われた言葉がよく理解できたはずだ。もし天使がギリシャ語で挨拶していたら何もわからなかっただろうが…
 では、「おめでとう」と訳された天使の挨拶はヘブライ語だったらどうだったのだろうか?そう思ってヘブライ語訳を読んでみたら、(面倒なのでローマ字表記するが)、それは"Shalom lak"と訳されている。まずLakだが、それは"to you"「あなたに」の意味の単数女性形だ。アラマイ語を見ると"Salam leki"と訳してある。アラマイ語を知らない私でも、ヘブライ語とよく似ているから対置すると意味はすぐわかる。次に“シャローム”だが、この一語は実に含蓄に富んでいて、「こんにちは」「さよなら」「お元気ですか」「ごきげんいかがですか」「ようこそ」「よろしく」などから、「平和を」「安息を」「ご健康を」などの意味に至るまで多くの内容を包含する。主イエス様が御復活なさった夜、弟子たちに現れてと言われたのもシャロームだ。「あなた方に平安」(シャローム・アレイヘム)と言われた。大天使ガブリエルも乙女マリアにシャロームと言った。シャローム・ラク(あなたにシャローム)と。これがおそらくもともとの挨拶だったのだ。
 では、天使はその時どんな意味をこめて「シャローム・ラク」と言ったのだろうか?単なる「こんにちは」だったのか、それとも深い意味をこめてそう言ったのだろうか?おそらくシャロームが含む「こんにちは」「ごきげんいかがですか」「ごあいさつします」「平安を」などの意味が全部含まれていたのだろうと推察できる。それに「ご心配は要りません。安心して」というニュアンスもあったのではなかろうか。この言葉には、聖マリアを安心させようとした天使の気遣いが感じられるからだ。しかし同時に、この一語にはそれを聞くだけでこれは良い知らせなんだと直感させる響きがあった。そして、事実その通りだったのだ。シャロームに続いて天使が告げたのは Meleat khen(あなたは恩寵に満たされています)という言葉だったからだ。ギリシャ語原典はそれをKekharitomeneと表現している。本来ならこちらが訳だったはずなのだが、いずれにせよ、それがギリシャ語やラテン語における「よろこべ」の理由になっている。ところが、ヘブライ語のシャロームはそういう理由を必要としておらず、どちらかというと、「ごあいさつします。良い知らせを持ってきました。驚かないで落ち着いて聞いてください」という感じだ。これが本来だったとすると、今度は一転、むしろフランス語のJe vous salue の方が実際に合致していると言えなくもない。
  Meleat khen(あなたは恩寵に満たされています)の後で言われたことはさらに驚天動地の告知であった。「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」と言ったのだ。一人のつつましい乙女にとって、それは驚愕を超えた知らせであったに違いない。それは理解不能な、恐ろしくもある事態だったはずだ。マリア様が「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と疑問を口にし、受け入れを否定しかかったのも無理からぬことであった。しかし、その後どうなったかは福音書の書き残した通りである。
 私たちが教会で使っているアヴェ・マリアの祈りは、ルカによる福音書が記述したままではない。それはこの福音書の伝えと教会の伝統的信仰とが作り上げた合作だと言ってよい。アヴェ・マリアの祈りは「おめでとう、マリア」で始まる。しかし、福音書にはそうは書かれておらず、「おめでとう、恩寵満ち満てる方」と書かれている。それなのに「おめでとう、マリア」と変えたのは、聖書自身によって、この「恵まれた方」は聖マリアのことであることが明瞭だったからだ。だからマリア様への崇敬をこめて、教会はこの祈りの冒頭に、「アヴェ・マリア」とマリアの名前を入れた。
 この祈りの「あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています」は、天使の言葉ではなく、従妹エリザベトがマリア様の訪問を受けた時に、神の御業を讃えて言ったことばだ。そして、この祈りの後半にあたる「神の母、聖マリア、私たち罪人のために、今も死を迎える時もお祈りください」は、聖母に絶大の信頼を置く2千年来の伝統的信仰が凝縮された、教会のことばである。この祈りがロザリオの祈りをはじめ、信者たちの大いなる拠り所となってきたことは説明の必要がない。この祈りはまさに聖母マリアと私たち信者をつなぐ魂の絆なのである。
 ただ、少し断念なことがある。現代日本の教会のこの祈りの出だしを「アヴェ・マリア、恵みに満ちた方」と改定した。数年前のことだ。その前の改定よりはましになっているが、それでもまだ違和感がある。かつてこの祈りは「めでたし、聖寵満ち満てるマリア」と祈った。しかし、それをやめた上に、「ご胎内の」の表現も捨てた。ひどい削除だと思ったが、再度の改定で「ご胎内の」は復活した。それはよかったが、「めでたし」は捨てたままで、その代わりに「アヴェ・マリア…」とラテン語の祈りの出だしを採用してしまった。なぜそう変えたのかというと、「めでたし」では通夜の時に変だとか、いろいろ反対があったからしい。
 しかし、いくら慣れ親しんでいるとはいえ、アヴェ・マリアとはラテン語だ。私はラテン語が自由に読めるし、この言語が嫌いではない。しかし、原典のギリシャ語でも、マリア様が実際に使った言葉でもないラテン語を、なぜ日本人が祈りで使わなければならないのかと、違和感を覚えずにはいられない。センスの問題もあるが、これではカトリック教会が欧米の輸入品であることを認めるようなものだ。アヴェ・マリアというくらいなら、むしろシャローム・マリア(ミリアム)と言った方がまだましではないだろうか。率直に言って、私は「めでたし」の方がよかったと思う。通夜の時でも「めでたし」で通せばいいではないか。信者の死なら、天の御国に行けるのだから、めでたいと言って何が悪い。信者でない人々に気兼ねして遠慮する必要があるだろうか。もし気兼ねせざるをえないというのなら、「めでたし」の祈りをしなければ済むことではないか。私はいつかアヴェ・マリアの祈りが元にもどることを期待する。
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あなたがたに平和

 イエス様は復活なさった日の夕方、弟子たちにお現れになった。彼らはユダヤ人たちを恐れて、家の戸に鍵をかけ、息を殺すように隠れていた。ところが、戸は閉まったままだったのに、彼らの真ん中に主が立たれた。彼らはどんなに驚いたことだろうか。主を亡霊だと思って「恐れおののいた」(ルカ24;37)ようだから、ほとんど恐怖で固まってしまっていたのだろう。聖霊降臨の祝日の福音ヨハネ20;19-23は主のご出現のそんな様子を伝える。
 もちろん典礼のねらいは、私たちに聖霊のことを新たに思い起こさせることにある。しかし、使徒言行録にある聖霊降臨の出来事はもう過去に何度も取り上げたので、今年は福音に目を向けたい。ヨハネの福音書20;19-23の主要なメッセージも21節以降の「聖霊を受けなさい」と言われたお言葉の前後にある。この主日は聖霊降臨の祝日だから当然だ。しかし、まず私の興味をそそったのは、主が弟子たちに言われた「あなたがたに平和があるように」という挨拶だった。 
 なぜ興味をひいたかと言うと、こんな短い叙述の中に2回も言われているからだ。重ねて言う理由があったからこそ、そう言われたのだとすれば、どんな理由があったのだろうか?それは弟子たちの心理状態を想像すれば察しがつく。ユダヤ人を恐れて家にいた彼らは不安でたまらなかった。その上、婦人たちが知らせて来た主の復活も、もしそれが本当なら、どんな顔をして主に会えるだろうかと、彼らをさらに不安にしただろう。主を見捨てた負い目と気まずさがあったからだ。
 だから、主は出現なさるや否や、まず彼らを安心させるために「あなたがたに平和があるように」と言われたのだと思う。平和は不安の反対で、不安を打ち消す。それは弟子たちの心の状態がわかっていた主の思いやりだった。そして、手とわき腹をお見せになったのは、亡霊だと思って恐怖に固まっていた彼らに、十字架に釘打たれ、槍で突かれたご自分に間違いないことを実感させる、言葉以上に雄弁なジェスチュアだった。これも彼らの不安を払しょくするためであった。
 ヨハネは「弟子たちは、主を見て喜んだ」と簡単にしか書かなかったが、ルカはもう少し詳しくこう伝えている。「彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは『ここに何か食べるものがあるか』と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた」(ルカ24;41-43)と。主は「亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」と言われた上に、魚を食べても見せたのだ。
 ヨハネはこのことを省いて書かなかった。しかし、主が亡霊ではなく、ちゃんと体があって、それを弟子たちが見て確かめられた点ではルカと完全に一致している。もちろん、それは普通の体とは違っていた。戸が閉まったまま入って来られたことでもそれがわかる。ヨハネではこの後どうなったかは書かれてないが、彼らが後で「わたしたちは主を見た」とトマスに言った口ぶりから推理すると、戸が閉まったまま、また姿を消されたように思われる。それが復活した主のお体だった。
 ところで、弟子たちが喜ぶと、主は再び「あなたがたに平和があるように」と繰り返し、今度はそれに加えて「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われた。この2回目の挨拶は彼らを安心させるためだけではなく、別の意味をも込めて言われたのだと思われる。「あなたがたに平和」は、ヘブライ語だと「シャローム・ラケム」だ。シャロームとは平和、平安、安息など、相手を気遣い、祝福の気持ちを伝える素晴らしい挨拶なのだ。
 では、主はどんな意味を込めてそう言われたのだろうか?私は、それには赦しの意味が込められていたのではないかと思う。なぜなら弟子たちは主を捨てて逃げ、裏切り、信じなかったので、心に負い目があったはずだからだ。亡霊だと思った怖れは消えても、気まずさは消えずに残っていたに違いない。だから、主はこの2度目の挨拶を、「裏切りなどは初めからわかっていた。だから気にするな。赦しているから安心しなさい」の意味を込めて言われた。私はそう推察する。
 そして、後半の「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われたお言葉によって、主は彼らの使徒職を再確認なさった。一般社会では裏切りや背信行為をしたら、組織はその人を任務から解任し、二度と使わないものだ。しかし、主は彼らを信任なさった。それは赦しと人を活かす秘訣のお手本だった。失敗しても赦され、信じてもらえれば、人は恩を感じ感激する。その記憶は彼らが全世界に福音を伝えに行くエネルギー源になったと思う。 

 彼らは主が本当に復活されたばかりか、彼らの不信仰を咎めても赦し、以前と同じ師弟関係でいてくださることを知って、どんなに喜んだことだろうか。すると主は、彼らに重要なことを聞けるゆとりができたと見て言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」と。この権限は初代教会の基本的な共通理解の一つだったのだろう。マタイ18;18のお言葉と一致する。
 ところで、この権限を与えられた「あなたがた」とは誰を指すのだろうか?その家には使徒だけでなく、少なくともエマオへの2弟子や、使徒たちに主の復活を知らせた女性たちが出入りしていた。もし、彼らがそこにいたとしたら、彼らもその「あなたがた」に入ったのだろうか?私の考えでは、使徒たち以外は入っていなかったと思う。上掲のマタイ18;18やご昇天前の派遣命令(マタイ28;16-20)等を見れば、それは使徒たちだけを指したと解釈するのが妥当だろう。
 では、その「あなたがた」はその場にいた10使徒たちだけを指していたのだろうか?こんな疑問が湧くのはトマスがその場に不在だったからだ。私はその権限がそこにいた10使徒個人にではなく、使徒団としての彼らに与えられたと解釈する。さもないと、トマスだけでなく、主のご昇天後イスカリオのユダに代わって選出されたマチアスも、その権限がなかったことになるからだ。実際それは使徒団への権限だったから、以後ずっと教会に受け継がれてきたのだと思う。
 次に、「聖霊を受けなさい」と言われたが、それは聖霊の派遣だったのだろうか?という疑問も湧く。使徒言行録2章の聖霊降臨は、主のご昇天および父と子による派遣を前提にしていた。それは主が最後の晩餐で、「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、…」(ヨハネ15;26)とか、「わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ない」(ヨハネ16;7)と言われたことからも明らかだ。
 だとすれば、ご復活直後のご出現で、息を吹きかけながら言われたのは、顕在的な聖霊降臨だったとは言えない。使徒たちは聖霊を受けたが、そのお働きがまだ潜在的だったことは、あまり変化が起きなかった彼らのその後の言動でわかる。主が最後の晩餐で、「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠のあなたがたといっしょにいるようにしてくださる」(ヨハネ14; 16)と言われた約束の十全な実現は、聖霊降臨の日を待たなければならなかったのだ。
 では、この時の「聖霊を受けなさい」とは何だったのだろうか?イエス様はご自分を一粒の麦に喩えられたが、聖霊にもそれは当てはまると思う。喩えて見れば、この時の聖霊は、使徒たちの中に蒔かれた命ある麦粒のようだった、と言ってもいいのではあるまいか。この時、種は隠れて見なかったが、ペンテコステの日に勢いよく芽を出した。聖霊のその顕在化こそが聖霊降臨だった。それが双葉の教会を育て、どんどん成長させ、やがて百倍の実を結ばせるに至る。 
 この約束の実現の仕方は、主がペトロに「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。…わたしはあなたに天国の鍵を授ける」と言われたのと似ている。主はカイザリア地方でそう言われたが、その実現はずっと後だった。その時はまだ教会の形すらなく、天国の鍵もまだペトロに渡されなかった。聖霊派遣の約束と実現もそれに似ていた。その約束はご受難の前だったが、その実質的授与はご復活の夜、そしてその公的な派遣は降臨の日だった。

 イエス様はこの夜のご出現でのことを、最後の晩餐の席ですでにこう予告しておられた。「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたがたに与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない」(ヨハネ14;26-27)と。主は弟子たちに約束したその平和を、このご出現で与えられた。その平和が世のものと違うのは、聖霊が共にいてくださるからだ。 
 思えばF教会にいた最後の数年間、私には心の平和があまりなかった。ミサでは「主の平和」とあいさつを交わしても、それは形式的で、信者間に本当の心の和み合いはなかった。皆で集った時、一度も真剣に「聖霊来てください。私たちの心を照らしてください」と祈らなかったからではなかろうか。そう祈ったことがあっただろうか?なかった。信徒総会代わりの年次報告会もそうだった。聖霊が共にいてくださらない空疎な平和しかなかったのは、そのせいだったと思う。

ご昇天は通過点

 どんな人の一生も誕生で始まり、死で終わる。しかし、イエス様は違った。人として生まれ、一度は死なれたが、復活され、天に昇られたからだ。では、ご昇天が主の御生涯の終点だったのかと言うと、それも違う。世の終わりに再臨されるからだ。神様の救いの計画を三段跳びに喩えてみえれば、旧約時代はホップ、新約時代はステップ、主の再臨以後はジャンプに相当するが、ご昇天はそのステップの通過点だと言えるだろう。その祝日の聖書はそのことを想起させる。
 ご昇天の出来事を最もはっきりと書いているのは使徒言行録1;6-11だ。しかし、それは昨年「主の御昇天と宇宙」で考察したから、今年は福音書に目を向けてみる。ただし、使徒言行録の「あなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」という一節だけは、福音書の後で取り上げてみたい。第二朗読エフェソの信徒への手紙で、聖パウロは「御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように」と祈っている。そうなるよう使徒の祈りにアーメンと答えて、考察を始めよう。

 マタイによる福音書28;16-20は、11使徒が復活された主とガリラヤのある山上で再会したことを伝える。主は最後の晩餐の時、彼らに「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤに行く」(マタイ26;32)と予告なさった。そして、復活の朝は彼らへの同じ内容の伝言を、墓に来た婦人たちに託された。これはその約束の再会だったのだ。ただ、他の3福音書はご復活後、主がエルサレムで弟子たちに現れたことを伝えているのに、なぜかマタイにだけはその記述がない。
 従って、マタイだけ読むと、主がご復活後初めてこの山上で彼らと会ったかのようにとれる。しかし、ルカは「四十日にわたって彼らに現れた」(徒1;3)と、ご復活後エルサレムで何度か出現されたことを伝え、ヨハネも「八日の後、弟子たちはまた家の中におり…戸には鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち」(ヨハネ20;26)と書いている。だから、この再会はご復活後一週間以上経ち、ガリラヤに帰った後のことで、実際は何回目かのご出現だったと見るべきだろう。
 また、「イエスが指示しておかれた山」とは、山上の説教があった山ではないかとか、ご変容のあった山ではないかと考える人がいるようだが、その手掛かりは福音書のどこにもないから、特定しようとしても無駄だ。それにこれは重要なことではない。ガリラヤには大小の山が多くある。そのどれか一つだったと思うだけで足りる。それよりも大事なのは、山の上で使徒たちに会われた事実だと思う。マタイの福音書ではしばしば、重要な啓示は山上で発信されているからだ。

 では、どんな重要な啓示がそこであったのかというと、それはイエス様のお言葉でわかる。主は使徒たちに、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」と言明された。これが第一に重要な事柄だと言えよう。第二朗読のエフェソ1;20には、「神は、…キリストを死者の中から復活させ、天においてご自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき代にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました」とあるが、まさにそのことだ。
 教会が典礼暦年の最終主日に「王であるキリスト」として祝うのは、この一切の権能を持った主イエス・キリスト様に他ならない。主はすでにガリラヤでの宣教中、「すべてのことは、父からわたしに任せられています」(マタイ11;27)と言われたが、誰がそれに気付いただろうか?主は十字架上では罪状札に「ユダヤ人の王」と書かれたが、実際は一切を無視され嘲笑された王だった。しかし、この山上では父から授かった天と地に対する一切の権能の発効を宣言されたのだ。
 次に重要な事柄は、使徒たちの派遣だった。それは父から権能を授かっているからこその命令で、その目的は人々に福音を伝えることだった。「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」とはそういう意味だ。この派遣はご受難の前に終末の予言をされたとき、すでに「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる」(マタイ24;14)と言及されていた。「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」とは、その福音宣教の具体的な実りと生き方について言われたのだ。
 弟子たちから主の福音を聞くと、人々はそれを受け入れるかどうか去就を決める。洗礼は受け入れて罪を洗い清められ、神の子となり、新約の神の民の一員となるしるしだ。「洗礼を授けなさい」とは、信じていない人々がそこに到達できるよう導きなさいという洗礼前の働きかけ、そして、「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」とは、洗礼を受けた人々が信者としてふさわしく歩み続けられるよう導く、洗礼後の働きかけだと解釈できるのではなかろうか。
 三つ目に重要な事柄は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と、主が使徒たちといつも共にいてくださる保証を約束してくださったことだ。これは主がいつまでも地上に留まると言う意味ではない。それとは逆だ。主は天に昇られるからだ。では、どのようにして彼らと共にいることができるのだろうか?第一に主は神のみ言葉だから、いつも共にいられる。第二に、聖霊を送って、聖霊と共に、教会の頭として世の終わりまで働き続けられるからだ。

 マタイはどうもパウロやヨハネのようには、復活後の主のご出現に力点を置かなかったようだ。復活当日のことは簡単にしか書いていないし、ご出現は婦人たちへの一度だけだ。だから、ガリラヤの山上でのご出現も、父から授かった一切の権能のこと、弟子たちの派遣、世の終わりまで彼らと共にいる保証という、重要な三つの事柄を発表するためだけに書いたという感じがする。何回目の出現か、どの山かがなどは彼にとってはどうでもよく、関心事ではなかったのだろう。 
 しかし、どうでもよいで済まされないことが二つある。その一つは「しかし、疑う者もいた」という短い一句だ。いったい何を疑ったのだろうか?そんなこと、どうでもいいではないかと言う人はいるだろが、私には気になる。彼らはそこにいた人がイエス様ではなく、別人ではないか、それとも幻ではないかと疑ったのか?あるいは、主が本当に復活されたかどうか、それともその人が主のように見えても、確かめるまでは主だと信じられないと疑ったのか?いろいろな疑問があり得た。
 しかし、主の復活の事実についての疑問は、エルサレムでのご出現ですでに解消していたはずだから消去していい。この問題を解くヒントは疑った人が複数いたことと、「イエスは近寄って来て」(18節)の一句にあると思う。近寄って来られたのならば、その前は遠くに見えたわけだ。ところで使徒たちは11人いた。従って、前方にいた者たちはイエス様だとわかるとひれ伏したが、後方の者たちにはまだそれとわからなくて、「ほんとに主なのか?」と疑ったケースが考えられる。
 ヨハネ福音書は使徒数人が漁に出た時のことを、「夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった」(ヨハネ21:4)と書いている。強風の日も、湖上を歩いて来られた主を彼らは幽霊と見間違えた。(マタイ14;24-27)距離があれば主かどうか見分けられないことはあり得たのだ。また、エマオへ行った弟子2人は、イエス様がいっしょに歩いていたのに、目が遮られていたために、パンを割くまで主とは気付けなかった。
 これらのことを参考にすると、山上で再会した時も、何人かの使徒が疑ったのだから、疑いも一様ではなかったことがまず考えられる。ある者は主との距離があったので、別人では?と疑ったが、ある者は湖上での時のように、幻では?と疑ったのかも知れない。仮にある使徒が近視だったら、声を聞くまでは主だと確信が持てずに疑ったということも想像できるし、ある者は何らかの理由で、エマオへの弟子たちのように、近づいた主が主とは見えなかったのかも知れない。
 疑ったわけはこの程度の解明でいいと思う。しかし、それだけでは単なる興味で終わってしまう。大事なのはなぜこの一句が重要な言明の前に書いてあるのかだ。マタイの意図が何であったかはわからないが、私にはこの一句が教会の歴史を暗示しているように思えてならない。主の復活をじかに体験した使徒たちですら、主に再会してもまだ疑念を抱いたのだ。ましてや、主をも使徒たちをも知らない世代になれば、疑問を持つ者が多く現れても何ら不思議ではない。
 事実、教会の歴史2000年は異端、謬説、背信が多く出て、それを証明するものになった。彼らは主から遠くに立っていたり、心の視力が弱かったり、この世の論理に負けたりしたから、主の福音がありのままに見えなかったのだと思う。だから、聖パウロはエフェソの信徒たちに、「御父が…心の目を開いてくださるように」と祈った。そう祈らないと人は疑いの道に迷い込みやすい。「疑う者もいた」と言う一句は私たちがそのことに気付くためで、そこに意味があるのだと思われる。

 どうでもよいで済まされないもう一つのことは、マタイ28;16-20が主のご昇天について何一つ明記していないのに、なぜその祝日に読まれるのかという疑問だ。実際、主と11使徒は山上で再会し、使徒たちがすべての民に派遣されたことを伝えるが、その後で昇天されたとことには何も触れていない。主の言葉で終わっている。では、この個所は主のご昇天を何ら伝えていないのだろうか?いや、そうではない。明記はしていないが、伝えているに等しいと言っていいと思う。 
 マタイとヨハネはその福音書の最終章に、主のご昇天のことを書かなかったが、それは福音書を書いた目的がルカとは違ったからだろう。しかし、マタイは最終章以前の章で、天に昇られなければできない約束、予言、譬えによって、含蓄的にご昇天を伝えている。その例を挙げよう。
 マタイ24;29-44は「地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」と述べ、「人の子は思いがけない時に来る」と伝えている。人の子とはもちろん主イエス・キリスト様を指す。ところで、あらかじめ天に昇っていなければ、どうして天の雲に乗って来ることができるだろうか?天からの再臨はすでに天におられるからこそできる。従って、主の再臨は昇天を前提にしているから、昇天を伝えているに等しいと言えるのだ。
 それに「忠実な僕と悪い僕」(マタイ24;45-51)、「十人のおとめ」、「タラントン」(同25;1-30)等の譬えは主を主人や花婿に喩えていて、戻って来る主と世の終わりの裁きを語っている。つまり、昇天した主の再臨を示唆している。特に、「すべての民族を裁く王の譬え」(同25;31-46)は一番明瞭だ。人の子の来臨は王の裁きにつながるが、その描写はダニエルの預言に酷似している。その裁きは、父の右の座におられた人の子が再臨したのでなければ考えられない譬えなのだ。
 これで、マタイの福音書は最終章では昇天を伝えないが、それ以前の諸章で語っていることがわかる。そして、それは主のご昇天が、神の救いのご計画における終点ではないことも示している。主は再び来られるのだから、ご昇天はまだその中間点なのだ。それはホップ、ステップ、ジャンプの中でステップに入るが、そのステップの初期段階の一出来事に他ならならないと言える。聖霊降臨や長い教会の旅路が続き、その後に再臨があって、ジャンプに移るからだ。

 そこで最後は、「あなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒言行録1;11)という、その再臨を告げる一節を考察してみよう。それは信仰宣言にも「生者と死者を裁くために、栄光の内に再び来られます」とある。私がここで問いたいのはその事実ではなく、どのように来られるかという「来られ方」だ。マタイ24;30にも「人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来る」とあるが、現代の宇宙観で考えると、それがどう実現されるのかに疑問が湧くからだ。
 「天への昇り方」につては昨年「主のご昇天と宇宙」で、とりあえず次のように解決した。即ち、主のご昇天は私たちの世界と同じ次元で考えない方がよい。ご昇天は神の国がこの宇宙のどこかにあって、主がそこまで飛んで行くことではなく、私たちがいる世界とは違う次元で行なわれたに違いないと考えるべきだ、と。ただ、主はこの世から去ることを弟子たちにわからせるため、ある高度までは人々に見える姿で昇られた。雲が出て主を隠したというのは、実にうまい幕の引き方だった。雲が隠した後はきっと神の次元の行動に移られたに違いない。つまり、もう宇宙空間を移動する必要はなかった。昨年の私はそう考えた。そして、今もそれでいいと思っている。
 主のご昇天は、それが超自然的な出来事だったと認めさえするならば、限られた人たちの前で、特定の場所から天に昇られたのだから、皆が天を仰いで見上げていたという叙述におかしいところはない。理解できるしイメージも湧く。ところが、主の再臨となるとそうはいかない。福音書や使徒の手紙に書いてある主の再臨のあり方は、そのままでは現代の宇宙観で考えると実現不可能に思えるからだ。まず福音書や使徒の手紙の描写を見てみると、次のように書いてある。
 「そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。人の子は大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」(マタイ24;30-31)
 「大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。するとキリストに結ばれて死んだ人たちが、…」(一テサ4;16)
 これを読むと、裁きの主は天から地球上のどこかに来られると言っている。しかし、現代人は地球が平らではなく、球であることを知っている。従って、仮に主がイスラエルの地に降りて来られるとしたら、オセアニア等地球の反対側にいる人々には見えないだろう。ラッパで合図をしても、そこまではとうてい聞こえないだろう。四方から人々を呼び集めると言っても、遠過ぎたり海があったりして、すべての民族は集まれないだろう。つまり、実現は無理だということになる。
 だとすれば、聖書の表現を現代の知識に合うよう解釈し直すか、そのような再臨が可能になるよう、地球側に何らかの大変化が起きるかしない限り、人の子が再臨してすべての民を集めて裁くということは、理解不可能な出来事以外の何ものでもなくなる。少なくとも私にはそういう状景はイメージできない。では、そのような聖書の解釈し直しは可能なのだろうか?そして、主の再臨に合うような地球環境側の大変更は可能なのだろうか?
 聖書は解釈し直せる。天地創造の解釈も科学の進歩に応じて変化してきた。かつては神が7日で天地を創造し、自然界は創造されたままだと信じ、人類の誕生も聖書の年代を逆算して、約7千年前だと考えられたりした。しかし、宇宙観は天動説から地動説に変り、生物観や人類史観は進化論や古生物学、先史学などの進歩によって一変した。今の日本で、天地が7日で創造され、万物が聖書に書かれた通りに現存するなどと主張したら、ほとんどの人に相手にされまい。
 今日の聖書学では、天地創造物語は2千数百年昔の人知に基づいて、イスラエル民族の信仰を確立する目的で書かれたのだから、7日の期間や細部の描写は科学的真理を述べているのではないと理解されている。ただ、神が宇宙万物を無から創造し、人も起源を神からいただいたというような根本的なメッセージだけが、創世記で保持すべき真理なのだとされている。では、主の再臨も、もしそれと同じような考え方で理解していいとすれば、どう解釈できるだろうか?
 昔の人々は大地が平らで、その上をドーム型の天が覆っていると考えていた。福音書や使徒たちの手紙は当時のそういう常識を前提にして書かれた。また、そうでなかったら当時の人々には理解してもらえなかっただろう。しかし、現代は違う。比喩的な描写等は人知の進歩に応じて解釈し直してよく、変えられない重要なメッセージは世の終わりに主が再び地上に来られ、死者が復活し、全人類が裁きを受けるという事実だけだ。主が雲に乗って再臨するというのは昇天の時の逆で、神の次元から現れるために雲を利用なさるのだ、と考えればよいのではなかろうか。
 従って、「そのとき、地上のすべての民族は…人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る」とある文章は、「見る」を「知る」ととれば解決すると思う。地球は丸いから、再臨の主を見ることができない人々は必ず出るが、東日本大震災の情報が瞬時に全世界へと伝わったように、今なら主の再臨も瞬く間にすべての民族に知れ渡るはずだからだ。ラッパの合図や天使の派遣は当時の周知方法だったが、比喩的で枝葉末節の表現だから文字通り受け止める必要はなく、現代的に解釈すればいい。インターネット会議ができる時代だからだ。
 他方、地球の変化を期待することは難しい。しかし、神に不可能はないはずだから、人の子の再臨のために超特大奇跡を空想することが許されるならば、こう考えることはできるだろう。すなわち、もしその超特大奇跡で、現6大陸と島々すべてがかつてのパンゲアのように唯一の大陸にまとまり、地球が煎餅型に平たくされるなら、時間差はあっても、全人類が世界の四方から集まり、主の再臨を見ることは不可能ではない。終末の時、「星は空から落ち、天体は揺り動かされる」(マルコ13;25)のなら、そのような超奇跡も天変地異の一つとしてあり得なくはなかろう、と。
 しかし、それはあくまでも、再臨がどう行われ得るかを何とかわかろうとする私の苦肉の解釈と空想に過ぎず、期待はできないし、根拠も弱い。救い主のご降誕も当時の人々の想定とはまったく違っていた。再臨でも、主は思わぬ時に来られるだけではなく、来られ方もまた私たちの想像とはまったく違う可能性が強い。そうだとすれば、最も大切で確かなことは、「あなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」ということを、わからなくても信じて待つことだけだと思う。

父と子と真理の霊と私たち 

 「もしも今、ヨブがここにいたら」の論考を書いて疲れが出た。だから復活節第6主日の聖書コラムは福音についてだけ簡潔に書こうと思った。そうは言っても手抜きはしたくないので、当日の聖書を全部読んでみた。そうしたら、第一朗読の使徒行録8;5-17に興味が湧いてしまい、素通りするのが惜しくなった。それでまず、少しだけそれに触れてみようと思う。 
 ステファノの殉教後、エルサレムの教会に対する迫害が始まった。そこで使徒たちはユダヤやサマリアなどに散って行った。エルサレムはユダヤの都だったが、同じユダヤでも地方にいれば、権力側ユダヤ人たちの追跡は及ばなかったからだ。これは初代教会が外へと広がり出す一つの転機だった。そういう動きの中で、12使徒の一人フィリポはサマリアに行って宣教したのだった。すると、多くの人々が福音を受け入れた。
 サマリアはユダヤ人にとって半ば異教の地だった。住民たちはモーセ五書は奉じていたが、それ以外の聖書とエルサレムでの礼拝は拒んでいたのだ。しかし、サマリアの女がヤコブの井戸のそばでイエス様と出会った(ヨハネ4章)のがきっかけで、そこの人たちは主の福音を信じた。サマリア人の譬え(ルカ10章)もそういう背景があったから彼らに好意的なトーンで語られたのかも知れない。とにかく、フィリッポが行ったとき、サマリアにはすでに福音を受け入れる素地があったのだと思われる。
 そのフィリッポは福音書でかなり名前が出てくる使徒の一人で、どうやら素直で人付き合いや面倒見のいい性格だったらしい。弟子になったら、すぐナタナエルをイエス様に引き合わせ(ヨハネ1;45)、ギリシャ人たちが主に会いたがった時はその仲介をした(同12;21)。サマリアの人たちが福音を受け入れたのも、彼のそういう性格がプラスしたのではなかろうか。これは現代の福音宣教にも参考になる。学者や智者であっても、好感を持てない司祭の所には人は来ないからだ。
 最後の晩餐の時は、皮肉っぽいトマスの発言と違って、フィリッポは「主よ、私たちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」(同14;8)と言った。何ともストレートで素直な願いだった。これにはイエス様も少し苦笑なさったのではなかろうか。「フィリッポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか」と答えられた。しかし、この単純直截な願いが「わたしを見た者は、父を見たのだ。…わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、私が言うことを信じなさい」という御言葉を引き出した。これは彼のお手柄だった。

 復活節第6主日の福音ヨハネ14;15-21は、実はその話を受けた個所なのだ。イエス様は彼の願いに答えて御父とご自分の深いつながりを弟子たちに明らかになさった。そして、その後すぐ聖霊のことをお話になったのだった。ちなみに、父と子と聖霊がそろって語られるのはここが初めてだ。だから非常に注目すべき貴重なくだりだ。聖書には三位一体と言う言葉はないが、その最も明確な根拠となっているのがここだからだ。 
 ところが読んでみると、そんな大事なことが語られているのに、語り口は何か平板で眠たくなるような印象を受けた。これは私だけなのだろうかと、感動どころかまず悩んでしまった。話された個々のことはわかるのだが、「空の鳥を見なさい」と話されたあの時のような、筋の通ったつながり方とインパクトが感じられない。全体の脈略がただつなぎ合わさっているだけのようで、イエス様が一番おっしゃりたいことがどれなのか、はっきりしなかったのだ。
 われながら素直じゃないなぁと思ったが、例を挙げると15節16節がそうだった。15節は「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」と、「あなたがた」が主語で、視線は弟子たちに向く。ところが、それはそれだけで終わり、急に「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と言う16節に移る。「わたしは」が主語だから、視線は急転、イエス様に注目することになる。
 話題間にも断絶がある。「わたしの掟を守る」と言われた後に、「わたしは父にお願いしよう」と言われたら、普通なら「あなたがたがその掟をよく守れるように」とか、「掟を守る人を父が祝福してくださるようにとか、そういう風につながることを予想する。ところが、「父は別の弁護者を遣わして…」と、掟の話とは違う話題に移ってしまう。「わたしの掟」と「弁護者たる霊」は、明瞭につながる脈略にはなりにくい。だから、読む人はあれっ?と肩透かしを食った感じを受ける。
 17節と18節もそうだった。17節では真理の霊のことを話され、それが「あなたがたの内にいる」と言われた。ところがそのすぐ後、唐突に「わたしは、あなたがたをみなしごにしてはおかない」と、主語も話題も急変する。この霊が弟子たちの内にいることと、主が弟子たちを孤児にしてはおかないこととは話が別だ。それぞれの話は理解できるのだが、二つの話は脈略が曖昧だと言うか、並行していて、つながっていないように思えた。私には全体がそんな感じに見えたのだ。
 そこで、それは福音史家ヨハネの書き方のせいかも知れないと思った。彼が伝えた最後の晩餐の話はとても長い。話されたそのままを70年も覚えていることはとうてい無理だっただろう。だから彼は必ずしも脈略にはこだわらず、思い出すことを書き並べただけではないかと私は考えてみた。それに、主の同じ言葉を伝えても、福音史家の教養や性格などによって書き方は違うから、この個所にもヨハネの特徴が出たとも考えられる。長くくどい書き方が彼の特徴の一つだからだ。

 しかし、私は考え直した。平板で眠たくなるような印象を受けるのは、福音史家の書き方のせいもあるだろうが、むしろ読む自分に問題があるのではないか、と。そう言えば、思い当たる理由があった。「空の鳥をみなさい」のような話は、身近で具体的な経験のある事柄だからピンとくる。だからよくわかる。わかるから感動する。ところが、天の父や真理の霊の話などはそういう類の話ではない。必ずしも抽象的ではないが、目には見えず、触れることも確かめることも難しい事柄だ。
 この個所はそういう話題が連続している。だから、そういう事柄に思考が慣れていない私たちは、つい注意が散漫になる。そこで、語り口が平板に見え、言葉に実感がついていけないから、眠たくなるような感じになるのではなかろうか。そう考える方がよいと思って、私は自分こう言い聞かせた。今更ヨハネに福音書を書き直してはもらえないから、直せる自分の方を何とかするしかない。そこで、「読書百遍義おのずからあらわる」ということを信じて、せめて10回ほど読んでみよう、と。
 読書10遍をしたら、その効果か、この個所の全体像がわかった気がする。ヨハネは最後の晩餐の時の話を、脈略なしに思い出すままにではなく、むしろちゃんと筋道立てて書いていたのだ。私はそこにリフレインが3回あるのを見つけた。15節、19節、21節の「あなたがた」つまり弟子たちがリフレインだ。イエス様は御父やご自分、聖霊のことをこんこんと話されたが、このリフレインが鍵だと知ると、すべては弟子たちを力づけ励まそうと、彼らのために語られたことがわかる。
 リフレインのある節を軸に話されたのだとわかると、この個所は次のように解釈できるだろう。
15節の「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」の主語は「あなたがた」弟子たちで、これが最初のリフレインだ。わたしの掟とは「あなた方に新しい掟を与える」(ヨハネ13;34)と言われた愛の掟で、それを守ることこそ主を愛し、主の愛にとどまる証しとなる。それを行うのは彼らだ。主はこのお言葉で、最も大切なことを彼らに確認なさったのだ。16‐17節はものすごく重大な内容だが、話の筋の中ではこの15節を軸に語られたのだと言える。 
 つまりこうだ。「掟を守りなさい」と言っても、弱い人間の弟子たちには自らの努力だけで守れるわけがない。だから、主は彼らが掟を守れるよう、「わたしは父にお願いしよう」と言われたのだ。どんなお願いかと言うと、彼らと一緒にいてくれる弁護者を遣わしてくださるようお願いしようと言われた。彼らが掟を守れるためだ。世はそれを受け入れないが、弟子たちはやがて受ける。弁護者は真理の霊で、御自分に代わって彼らと共にいてくださると、主はそう励まされたのだ。
 2回目のリフレインは19節の「あなたがたはわたしを見る。…あなたがたも生きることになる」の「あなががた」で、ここも弟子たちが軸だ。18節の「わたしは、あなたがたをみなしごにしておかない。あなたがたのところに戻ってくる。しばらくすると、世はわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る」というお言葉の視線の先にいるのは常に弟子たちだ。ここは聖霊ではなく、主と弟子たちの話で、主は死によるしばしの別れの後、復活して戻ることを予告し、彼らを励まされている。
 20節の「かの日には」とは、聖霊降臨の日ともとれるが、多くの聖書学者は復活の日と解釈している。復活なさった暁には、聖霊降臨までのしばらくの間、主は彼らと共におられる。そして、その間に彼らは御父が主と共におられ、主が御父の内にいることを悟れるだろうと言われたのだ。「主よ、御父を示してください」と言ったフィリッポの望みはその時かなえられよう。そればかりか、その時は「あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいる」とも主は言われた。
 これは驚くべき打ち明けだった。なぜなら、御父と主が聖霊を遣わすことは、父と子と聖霊が一緒だと言うことを意味するが、主が弟子たちの内におり、弟子たちも主の内にいるということは、父と子と聖霊の交わりに、彼らも加わることを意味したからだ。今の私たちで言えば、それは父と子と聖霊と私たちの交わりということになる。私はこのことに今まで気付かなかったが、ここに救いの御業の神秘があると感じる。そして、これを知ると次の21節が実によくわかる気がする。
 21節には「あなたがた」というリフレインが表向きは見えないが、実は隠されている。なぜなら、「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である」とは、「それはあなたがたのことだ」と言っているに等しいからだ。21節は、事実上15節の「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」と同じで、一節全部がまるまる15節のリフレインになっている感じだ。主は最初に確認なさった最も大切なことを、ここでもう一度念を押して言われたのだ。
 「わたしを愛する人は、わたしの父に愛され、わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現わす」というお言葉は、先週読んだ「行ってあなたがたのために場所を用意したなら、戻ってきて、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(ヨハネ14;3)という個所を想起させる。まさにこれこそ父と子と聖霊と私たちの交わりに他ならない。主は聖霊と復活と父の愛を明かし、弟子たちを力づけ、励まされた。それがこの個所だったのだ。
 総まとめをしてみると、最初のリフレインの所では、弟子たちと聖霊のことが語られ、2番目のリフレインのところでは、弟子たちと御子である主ご自身のことが語られ、最後のリフレインでは弟子たちと父のことが語られる。共通項は「あなたがた」弟子たちだが、それぞれのリフレインには父と子と聖霊が対応している。そして、そこには父と子と聖霊と私たちの交わりがある。そういう見方で読むと、ヨハネ14;15-21はよく理解できるのではなかろうか。

 短く書こうと思ったのに、やはりかなり長くなってしまった。そうとなった以上、ついでだから、第二朗読ペトロの手紙一3;15-18で、そうだなと感じた一句を一つ書き留めておこう。17節にこうかいてある。「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりよい」と。

 最後に一言おわび。コメントなどあるわけがないと思って、ずっとコメント欄をチェックしないでいたが、昨日ふとそこに目をやったら、放置したままのコメントがいくつかあるのに気付いた。返事もせず、たいへん失礼なことをしてしまった。ごめんなさい。今後はときどきチェックします。

もっと大きなわざ

 最後の晩餐が終わる前に、イエス様は「新しい掟」を弟子たちに与えられた。だが、命がけの忠誠を誓ったペトロには、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないというだろう」と、彼の離反を予告なさった。ヨハネ14;1-12の話が「心を騒がせるな」で始まるのは、すでにイスカリオテのユダのことで雰囲気が変になっていたところへ、ペトロの離反まで予告されて、弟子たちが大いに動揺したからではないだろうか。
 この個所は、説教を準備する神父さんたちにはありがたいだろうなと私は想像する。父の家にある住む場所、トマスの質問の面白い言い方、「わたしは道であり、真理であり、命である」という御言葉の一つ一つ、イエス様を通して父へという意味、フィリッポとの問答、主が父におり父が主におられるという神秘、せめて主の業を信じるということ等々、テーマにはこと欠かないからだ。逆にそれら全部をまともに取り上げたら、とんでもない分量になってしまうだろう。
 しかし、私は今なるべく短く書くことに努力中だから、今回は最後の12節だけを取り上げようと思う。「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである」と言われたお言葉だ。私は今までここを取り上げたことがなく、説教でも聞いたことがない。だが「はっきり言っておく」は何か大事なことを言明する時に使われた表現だから、ここも大事なことなのに案外見落とされているのかも知れない。

 では、なぜここが大事な事柄なのだろうか?それはご受難前の晩餐の席だったのに、「わたしが父のもとへ行くからである」と打ち明けて、もうご昇天のことに言及し、「わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる」と、聖霊降臨後のことも予言しておられたからだと思う。主はすべて見通しておられたのだ。典礼は2週間後に続けて祝う御昇天と聖霊降臨の祝日をふまえて、私たちにそのことを意識させようとしているのではないかと推察する。
 ご昇天の予告は説明なしでいいが、「わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる」という御言葉は考え巡らす必要があると思う。それは何を意味しているのだろうか?「わたしを信じる者」とは文字通り信者のことで、特に弟子たちを指す。それに問題はない。「わたしが行う業を行い」とは、イエス様が人々に福音を伝え、病人を癒し、奇跡を行い、苦難を受けられたことを、弟子たちも行うという意味だと解釈すれば、それで十分だろう。
 ところが「もっと大きな業を行うようになる」という一句は、あれこれ考えてからでないと、どのような意味かはっきりはとわからないと思う。なぜなら、主は同じ晩餐の席で、「僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない」(ヨハネ13;16、15;20)と2度も話された。このお言葉はマタイ福音書10;24とルカの福音書6;40も収録している。そこで、「弟子または僕が師または主人にまさらないのなら、どうして師または主人よりもっと大きな業が行えるのだろうか?」という疑問が起こらざるを得ないからだ。
 しかし、それは聖霊降臨後の弟子たちの働きのことなのだと気付けば、答えが出る。弟子たちの力だけでは、師より大きな業の実現などとうてい無理なことは明白だった。しかし、聖霊が共に働いてくだされば話は別で、弟子たちでも大いなる業ができる。イエス様はこのすぐ後で聖霊を送る約束をなさっている。おそらく弟子たちはまだよくのみ込めなかっただろうが、やがて聖霊を受ける時にそのこともわかるようにと、晩餐の時それを予告されたに違いない。私はそう理解する。

 では、果たして弟子(僕)たちは、実際に師(主人)よりも大きな業をしたのだろうか?ある意味で、然りと言っていいと思う。では、どのようにして師(主人)を上回ったのだろうか?まず福音宣教で上回った。イエス様はガリラヤやユダヤを中心に福音を伝えて回られただけだったが、弟子たちは全世界に宣教した。イエス様の宣教はたった3年だけだったが、弟子たちは2千年経ってもまだそれを続けている。質や伝え方では及ばなくても、広がりと時間的長さでは上回った。
 次に聖霊降臨後の使徒たちは多くの奇跡を行った。例えば、使徒ペトロは神殿の境内で、生まれながら足の不自由な男を、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と、右手を取って立ちあがらせた。すると、忽ち足は癒えたのだった。(徒3; 4-7)使徒言行録5;12には「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業が民衆の間で行われた」と書いてある。それは相当顕著だったことがわかる。
 使徒パウロは「わたしは使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、…実証しています」(二コリ12;12)と書いた通り、何度もそれらを行った。例えば、第一回宣教旅行の時、リストラの町で足の不自由な男を言葉だけで治した。人々は驚嘆して、「神々が人間の姿をとって、お降りになった」(徒14;11)と生贄まで捧げようとした。暴風で船が難破した時は、マルタ島で焚火にあたっていて蝮に噛まれた。人々はすぐ死ぬぞと見ていたが、使徒には何の害もなかった。そこで人々は一転、「この人は神様だ」(徒28;1-6)と崇めた。これらは読んでも面白い実話だ。
 しかし、使徒たち個人のそういう奇跡や不思議な業は、全部合わせても師イエス様を上回ったとは言えないだろう。では、何かもっと大きな奇跡や不思議を行えたのだろうか?そう、行えたのだ。では、それは何だったのかと言えば、まず思い浮かぶのは聖霊降臨の日の成果だろう。聖霊によって人間が一変したペトロは見事な説教をした。するとそれに感動し、その日だけで3000人が洗礼を受けた。こんな成果はイエス様が福音宣教をなさっていた間にはなかったことだった。
 その後、使徒たちは全世界に散って行き、主のなさった業を行った。その結果、主がペトロという岩の上に建てた教会は世界中に広がり、信じる者の数は増え続け、世界中には今1 0億人もいる。これは使徒たちとその後継者たち全員が、教会として成し遂げた「もっと大きな」業だと言えよう。長い歴史の間には、いろいろな意味で何回も危機があった。しかし、教会は崩壊しなかった。2千年も続いて成長し続けている共同体は稀有だ。これも驚くべき大きな業だと言えるだろう。
 
 そうは言っても、弟子たちが束になっても不可能な、イエス様にしかできなかった業がある。ご託身の御業、死と復活による救いの御業、人の魂の糧として聖体であること、父と共にする聖霊の派遣、世の終わりの再臨と裁きだ。それに、そもそも使徒たちが成し遂げ、その後継者たちが成し遂げつつある「もっと大きな業」も、聖霊の助けがあればこそできたし、できることだ。従って、主役はむしろ聖霊で、人はそのお働きに加わっているに過ぎないと言った方がいいかも知れない。
 そういうことどもを考えると、イエス様は何と見事な弟子教育をなさったことかと感嘆する。なぜなら、「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない」(マタイ10;24)と、彼らが高慢にならないよう抑えを与え、同時に「わたしを信じる者は、…もっと大きな業を行うようになる」と、弟子たちをおだてて励まされたからだ。本当は彼らが自力では何もできないことを、よ~くご存知だったのに…

 さて、復活節第5主日の第一、第二朗読箇所も読んでみた。すると使徒言行録6;1-7では、今まで見過ごしてきた2か所に目が留まった。一つは5節の「アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで」という記録、もう一つは7節の「弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」とある一節だ。
 ニコラオはギリシャ語系信者たちの奉仕に選出された7人の一人だったが、改宗者だからユダヤ教からの受洗者ではなかった。私が興味を持ったのは彼がアンティオキア出身だったことだ。なぜなら初代教会が小アジア、ギリシャ、ローマへと進出して行ったとき、その最初の一大拠点となったのがアンティオキアだったからだ。聖パウロの第一回、第三回宣教旅行もそこが出発点だった。この町が宣教の拠点となったのには、ニコラオなどの尽力があったからではなかろうか。
 7節に注目したのは、「祭司も大勢この信仰に入った」とあるからだ。イエス様殺害に主導的役割を果たしたのは、ファリサイ派よりもむしろ司祭階級のサドカイ派だった。彼らは聖霊降臨後もペトロとヨハネを二度も逮捕し、脅しや圧力で弟子たちの活動を止めようとした。しかし、時の経過と共に、司祭階級からも主の福音を信じる人たちが出始めていたのだ。おそらく下級司祭が多かったのだろうが、最強硬反対派にも主の福音は浸透し始めていた。それがこの記述でわかる。

 最後にペトロの第一の手紙2;4-9だが、その9節にはこう書いてある。「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から、驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」と。どんな文豪もこんな言葉は書けなかった。ガリラヤの無学な一漁師に過ぎなかったペトロが、身をもって体験した救いの神秘だからこそ、こんなに魂に響く言葉になったのだ。
 これは63年前にいただいた洗礼の記念カードに書いてあるから、私には忘れ得ない一節だが、そこに署名がある洗礼者の神父様はもう老齢でホスピスにおり、代父Hさんは連絡が絶えて久しい。そして、そこまで導いてくれた元シスター・Gさんは主のもとに行ってしまわれた。しかし、私は洗礼記念日の12月8日には毎年そのカードを出して、驚くべき光の中へ招かれたことを感謝し、信仰を更新する。この個所の解説は私には不要だ。感動が心にあるから、それだけでいい。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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