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希望はあるか

 最近は聖書のことばかり書いているから、今日は少し社会に目を向けてみる。先月米寿になったが、長く生きて来たなと振り返る私は今、世界と日本が激動しているのを見ている。思えば貧しくてもゆったりと情報が少なかった昔の方がよかった。発達して社会が刻々変わり、核兵器の脅威を実感する現代には落ち着きや安らぎの良さがない。米国では品位のない大統領が喚き散らし、北朝鮮では愚かな若デブがミサイルの火遊びをしている。実に嫌な時代になった。
 日本では人心を操ろうとする危巧言令色の総理が権力の座に居座り、妖婦的な政治家が希望の党なるものを立ち上げた。だが、そこに希望はあるか?キエルケゴールは「絶望には可能性のない絶望と、可能性でしかない絶望がある」と言ったが、希望の党はその後者ではなかろうか。しかし、立憲民主党も生まれた。政治的には私はこの党には希望が持てる。戦後の日本が獲得した平和と国民主権と個人の尊厳を尊重しているからだ。
 それにしても世界はこれからどうなっていくのかと思うと暗澹たる気分になる。北朝鮮は軍部が牛耳った戦前の日本に似ているところが多い。もし経済的圧力に耐えかねて真珠湾攻撃みたいなことをすれば、それは破滅を招く。今は昔の比ではなく、北朝鮮が水爆を敵視国に落とせば、数百万が死ぬかも知れない。しかし、それは米国には北朝鮮の百倍の原爆があるから必ず反撃を受け、同等の犠牲では済まず、北朝鮮は壊滅するだろう。そんな悪夢は見たくないものだ。原爆で威嚇し合うほどの愚行はない。
 こんな時代だからこそICANはノーベル平和賞を受けたのだろうが、これは喜ばしいことだった。人類は一度知ってしまった核兵器の知識をもう消去できないが、毒ガスを禁止したように、せめて全世界に核兵器を禁止させなければだめだ。しかし、日本現政府はその禁止条約に賛成していない。私は安倍が言うのを聞いた。「核兵器保有国が禁止に反対しているのに、禁止条約を認めても意味がない」と。核兵器保有国が認めなのなら、認めさせるよう努力するのが被爆国の義務ではないか。彼の論理は逆だ。
 核は兵器だけでなく、原発も全廃すべきだと私は思う。原子力は人間が制御しきれない物質だ。事故が起きたら途轍もない損失を招くことは東日本大震災で証明された。そして、原発がなくても生活が可能なことも震災後に証明された。目先の利益のために超危険な物を存続させるべきではない。たとえ原爆が落ちなくても、原子力発電所がミサイルで攻撃されたり、テロリストの手にわたったりしたら、原爆に等しい恐怖の事態が起きかねない。政治家はこういう安全保障をこそ考えるべきではなかろうか。
 私たち一般庶民は世界のパワーバランスとか暗い趨勢とかがわかっても、孫子のために心配して、祈りながらそれを見守るしかない。しかし、日本のことなら何らかのことはできる。今、衆議院選挙が始まろうとしているが、それもできることの一つだ。暴挙の解散だったが、これを選択のやり直しができるチャンスだと考えれば、それを活かせる。理想の候補者がいない?ならば次善を選べばよい。少なくとも私は安倍をやめさせたい。顔も見たくない。私が評価する戦後の時代を否定する彼とは相容れないからだ。もし私が立候補するとすれば、平和憲法堅持、原発廃止、財政再建、そのための法人税と消費税値上げ、税金によるで均一年金の支給を基本政策にする。しかし、立候補はしないから、そのいくつかを満たす人を選びたいと思う。
 希望の党には希望はもてないが、私には次元の違う私なりの希望がある。「最後に残るのは信仰と希望と愛である」と言われたその希望、「神に希望を置く者は幸い」と言われるその希望だ。「見捨てない誰かがいてくれるとき、そこに希望がある」ということを、私は貧しい海外の子たちの支援活動を通して学んだ。日本にも世界にも、普通に生きる人々を裏切らず、見捨てない指導者はいると思う。だから希望はある。しかし何よりも、時代がどんなに嘆かわしくなり、どんな事が起ころうとも、私たちを決して見捨てない神がおられる。だから私には異次元の希望がある。
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イエス様は本当にそう言われたのか?

 去る9月3日、年間第22主日A年の福音はマタイ16.21-27であった。イエス様の受難と復活の最初の告知がある箇所だ。それを聞いた使徒ペトロは、「とんでもない、そんなことはあってはなりません」とイエス様をたしなめたが、逆に「サタン、引き下がれ!」と、こっぴどく叱られたのだった。そしてその後、主は弟子たちにこう言われたとある。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」と。
 そのお言葉はほぼその通りだったと信じるし、私はその心構えの大事さを肝に銘じている。だが、「自分の十字架を負って」という一句がこの時言われたということにだけは疑念が湧いた。主は本当にそう言われたのだろうか?と。なぜなら、受難告知のお言葉にはご自分の十字架上の死には言及がないからだ。つまり、唐突に弟子たちの十字架が出て来るからだ。しかし、これは福音書の信ぴょう性にも触れるような恐れ多い疑問だ。そこで、すでに1週間以上経ってしまったが、その疑問をクリアできるよう一考してみた。

 私は「自分の十字架」という部分だけは、イエス様が本当にこの文脈の中でそう言われたのだろうか?という疑問を拭えなかった。そこで次のような仮説を3つ立てててみた。
 一つは、何のことかわからないことを主が弟子たちに要求したとは思えないから、この場では言われたお言葉は違うものだったのではないかという仮説だ。
 二つめは、苦難の象徴としての十字架という言葉は、主の初代教会の弟子たちの間で使われ出しているから、福音史家がそれをここで使ったのではないかという仮説だ。
 三つめは、3回にわたる福音書の受難告知に出て来る「十字架」という言葉を考証すれば、元々はこのマタイ16.24の箇所で言われたのではないという結論に至るが、それがイエス・キリスト様の真正の言葉であることは間違いないという仮説だ。

 仮説一を考証してみる。主イエス様はマタイ16章で弟子たちに主に従う者の覚悟を求められた。しかし、その時主はまだ十字架につけられてはいなかった。そして、最も注目すべきは、この時の受難告知では、ご自分が十字架上で死ぬことが告げられていないことだ。他方、弟子たちは当時のイスラエル人一般と同様、十字架というものは罪人の処刑台だと認識していたから、十字架など主イエス様にも自分たちにも無関係だと思い込んでいたはずだ。従って、その時点での彼らには主の十字架も「自分の十字架」も想像することすら不可能な全く無縁の物であったと言わざるを得ない。
 だとしたら、そんな彼らに事前の説明も知識も与えず、いきなり「自分の十字架を負って、従いなさい」と言っても、彼らにその意味がわかっただろうか?いや、何のことやらさっぱり理解できなかったに違いない。ところで、弟子が全く理解できないことを、はたして主は要求しただろうか?これは神秘の啓示ではなく、その場で選択を求めた弟子としての覚悟だった。わからなければ選択のしようがない。なのに主が彼らに選択を迫ったとはとうてい思えない。
 だから、主が本当にこの箇所で弟子の覚悟を話されたのだったら、「自分の十字架を背負って」という言い方はなさらなかったのではないか。例えば、「自分の十字架を負って」の代わりに、「自分の重荷を負って」とか、「自分の苦難に耐えて」とかの言葉を使われたのではないか。しかし、やはりそうではなく、イエス様はやはり確かに「自分の十字架を負って」と言われたのだとするならば、その場合は二つの可能性を考えないと説明がつかない。
 二つの可能性の一つは、主がそう言われたのは元々この箇所ではなくて、主ご自身が十字架上の死を知らせた他の箇所だったのだが、それを福音史家マタイがこの箇所に持ってきて使った可能性だ。それなら主の十字架への言及がないのに、弟子の十字架が語られることの説明はつく。もう一つの可能性は、実際は主の十字架上への言及はあったが、福音史家がそれを書き洩らしたと言うものだ。
 他の箇所で書かれた「自分の十字架を負って」という表現が、この箇所に持って来られたという仮説は説得力があるので、仮説3で取り上げる。しかし、福音史家の書き漏らしは単なる推察で証明しようがない。従って、支持する価値はないと言わざるを得ない。他方、「自分の十字架を負って」の代わりに、本当は「自分の苦難(重荷)を負って」と言われたのではないかという仮説は示唆には富むが、見過ごせない弱点がある。
 「十字架を負って」をそう言い換えると、迫力も意味の豊かさも大きく減退してしまう。弟子たちの覚悟は単に苦難に耐える精神的な強さではなく、主に倣った「十字架を負って」であってこそそれたりうるからだ。やはりここは「自分の十字架を負って」という表現でなければ意味の命が失われる。それにこの仮説ではマタイ10.38にもあるほぼ同じ文言の存在の説明がつかないのだ。従って、この仮説は疑問のクリアに不十分であることがわかった。

 二つ目の仮説は、使徒言行録以後の記述に、弟子たちが十字架を苦難の象徴として使っている事実から出発する推理だ。特に使徒パウロの手紙には、ロマ6.6、ガラテヤ2.20、3.1、5.24)、フィリピ2.8等、「キリスト共に十字架につけられ」などの表現が顕著だ。「主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、…わたしは世に対してはりつけにされているのです」(ガラテヤ6.14)は典型だ。
 これらの箇所には「自分の十字架」という表現は多くはないが、そのお手本である主の十字架を力強く表明している。お手本が明示されれば、呼応して「自分の十字架を負う」という考えと表現が生まれることは想像に難くない。そして、実際そうだったと推察できる。弟子たちは「主が十字架上で苦しみを受け、人類の救いのために自己を捧げられたように、私たちもそれに倣って自分を捨て、自分の苦難や重荷を背負って、主に従わなければならない」と、弟子としての心構えを堅持したことであろう。
 この場合、「主の十字架」は単に苦難を耐え忍ぶことの代名詞ではなかったのだ。それは迫害、心身の苦痛、難儀、無理解、、侮辱、不当な扱いなど、主が受けた全ての苦と悪を表現するだけでなく、深い愛と赦しと贖罪、そして、神の救いの全貌をもわからせる比類ない象徴なのだ。それを理解したからこそ、初代の信者たちは「主の十字架」を深く尊崇し、自分たちもそれが内包する意味にできる限り与るため、「自分の十字架を負う」実践をした。
 だから、主イエス様が負われた十字架に倣って「自分の十字架を負う」という言い方は、使徒たちや弟子たち、初代教会の信者たちの間で瞬く間に広まり、定着したのだろう。そして、ある福音史家がそれをイエス様のお言葉として福音書に入れた。そこで他の共観福音史家もそれに追随した。こうして、その表現は慣れ親しまれ、だれも疑問を持たれないほど当たり前になったのではないか。これがこの仮説の論理だ。
 しかし、それだと「自分の十字架を負って」という言葉がイエス様まで遡らず、実際は弟子たちの時代に形成されたことになるが、そこには致命的な弱点がある。なぜなら、もしそれが元々イエス様のお言葉ではなく、福音史家があたかもイエス様が言われたかのようにそれを書いたのなら、甚だしい虚偽と不敬の罪を犯したことになり、福音書の信ぴょう性を著しく貶めるからだ。従って、この仮説も是認の価値はないと言わざるを得ないだろう。

 三番目の仮説は、福音書の受難告知に出て来る「十字架」という言葉の考証が根拠だ。共観福音書には主イエス様が受難を予告した箇所が3回あるとされている。1回目はマタイ16.21-28(=マルコ8.31-38、ルカ9.22-27)、2回目はマタイ18.22-23(=マルコ8.31-38、ルカ9.43-45)、3回目はマタイ20.17-19(=マルコ10.32-34、ルカ18.31-34)だ。しかし、マタイ17.9(マルコ9.9、ルカ9.31)、同26.2も受難告知と見ていいだろう。ちなみに、ヨハネの福音書では受難の「時」は散見するが、「十字架にかかる」とか「自分の十字架」とかいう表現は出てこない。
 まず注目に値する事実は、使徒ペトロが叱られた後の第1回受難告知(マタイ16.21-28)には十字架という言葉がないことだ。そこは「エルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活する」と書かれ、十字架の文字はない。2回目の予告でもそうだ。次に注目に値する事実は、主がご自分の十字架上の死に言及されているのは、3度目の予告(マタイ20.19)と過越し祭前のマタイ26.2においてだけだということだ。そして、驚くべきことにマルコとルカでは「十字架」への言及が皆無なのだ。
 ところで、受難告知1回目(マタイ16.21-28)にも2回目(マタイ18.22-23)にも主ご自身の十字架への言及がないということは、弟子たちが「自分の十字架を負って」と言われた時、主の受難は知らされても、十字架につけられて死ぬことはまだ知らされていなかったことを意味する。つまり、「自分の十字架」のモデルになる「主の十字架」がまだわかっていなかったわけだ。それなのに、突然「自分の十字架を負って」と言うだろうか?たとえ言われても、弟子たちにその意味がわかりえただろうか。全然理解できなかっただろう。

 マタイ10章38節を読むと、その疑問はさらに強まる。なぜなら、その箇所はまだ福音宣教の初期だったから、もちろん受難の予告はないし、ましてや主の十字架上の死への言及などはない。従って、弟子たちはまだ十字架のことなど露知らず、想像すらしていなかったはずだ。ところが、主は弟子たる者の覚悟として、「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と言われた、と書かれている。
 これは考えてみるとおかしいことがわかる。この箇所での言葉はマタイ16章とほぼ同じだが、それは聞き手が話された言葉を当然理解できることを前提にしなければ成り立たない一節だ。それなのに、それまで全く聞かされてもおらず話題にもなっていない十字架という言葉がここで突然初めて現れているからだ。ご自分の十字架に言及がある3回目の予告以後なら納得できる。しかし、それ以前の場合は唐突としか言いようがない。マタイ10.38の場合は特にそうで、全く筋が通らないのだ。
 従って、この2箇所に出てくる「自分の十字架を負って」という言葉は、実際はイエス様が言われたものではなかったか、あるいは、本当にイエス様のお言葉だとすれば、この箇所で語られたのではなかったということになる。真実はそのどちらかだが、前者は弱点ゆえに不十分な仮説としてすでに除外した。従って検証に値するのは後者だ。つまり、このお言葉は真に主のものだが、実際に言われたのはここではなく、他の時と場だったということだ。
 それなのに、ここに書かれていることが至極当然のようにその通りと受け止められ、疑問も持たれないのは、イエス様が十字架を負われたことをその後の誰もが知っているからに他なるまい。しかし、実際はペトロが叱られたマタイ16章の時点においてさえ、まだ誰も主の受難が十字架で完結するとは知らされていなかった。ならば、弟子たちも「自分の十字架」とは何かをわかっていなかったはずだ。従って、その表現は確かにマタイ16章にあるが、主がその表現を使われたのがまさにその時点だったとは考えにくい、と言うことになる。
 それに対し、「自分の十字架を負って」という表現は、ご自分が十字架で死ぬと言われたマタイ20.19の3回目の受難告知以後であれば筋が通るし、納得できる。ところが、そこでは逆に弟子の覚悟を求めたお言葉は書かれていないのだ。それには「しかし、そのお言葉はそこで言われたのかも知れない」という反論があるかもしれないが、それは推論でしかない。他方、弟子たちの時代にできた言い方だという仮説はもう除外済みだ。

 そこで、私はこう考えた。この「自分の十字架を負って」という表現は、やはりイエス様のお言葉に違いない。しかし、言われたのはマタイ10章や16章の時点ではなく、ご受難間近かご復活後の40日間ではなかっただろうか。それがいつどこで言われたかは特定できないが、おそらくその期間のしかるべき機会に言われたのだと推測する。そして、弟子たちは主が地上を去った後それを思い出し、弟子たる者の覚悟とした。そして、それは信者の間に広まって定型となるほど人口に膾炙して行った。
 だから、マタイ福音史家は使徒ペトロが叱られた後に、イエス様が弟子たる者の覚悟を求められた場面を書いたとき、本当はもっと後でできたその表現を、あまり気にもせず前倒しで使ったように思われる。マタイによる福音書を少しでも学んだ人なら、彼が正確な時と場所にはこだわらず、種々の教えを山上の垂訓に集めたり、譬えや奇跡をまとめて書いたりしたことを知っている。だからルカはそれらをばらして正確な場所に描き直したのだった。
 それに対し、ある人はこう言うかもしれない。マタイ16章でその言葉を言われた時、イエス様は実際には受難の告知の中で十字架上の死も告げておられた。しかし、福音史家がそれを書き漏らしたのだ、と。つまり、ご自分の十字架への言及がないのに、弟子たちに「自分の十字架を負って」と言うのは筋が通らないというが、福音史家の書き漏らしを認めれば、筋は通るという仮説だ。しかし、それは受難告知などない時期のマタイ10. 38に、もう「自分の十字架を負って」記述があるのを見れば、説得力がないことがわかるだろう。

 ここまで考証した結果、納得できる最終的結論はこうなると思う。
 まず消去すべき節を消去することから始めると、「自分の十字架を負って」という表現は弟子たちの時代には広まり、定型化するほど浸透したが、弟子たちの時代に言われ始めたのではないと言える。また、元々はマタイ10.38や16.24で言われたのでもないことが確認できる。
 そして、考証の結果はその表現がやはり元々は主イエス様ご自身が言われたのだということにたどりつく。しかしながら、それが元々いつどこで言われたかは特定できない。とは言え、それはご受難直前のマタ20.19以後か、ご復活後の40日間だったのではないかという推測はできる。
 マタイ20.19と同26.2では弟子の覚悟は書かれていない。しかし、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」という言葉はそこで言われてもおかしくなかった。ご受難直前であり、ご受難が十字架上の死であることを明かされているからだ。
 ご復活後の40日間も十分考えられる。弟子たちは主が十字架でどのような最後を遂げられたかを目撃し、驚くべき主の復活も体験した。この期間は彼らが「自分の十字架を負って」の意味を非常によく理解できたので、弟子の覚悟を語るには最適の機会だったともいえる。ヨハネ21.15-19で主が使徒ペトロに3度わたしの羊を牧しなさいと言われたことと合わせ考えると、使徒一同に「自分の十字架を負う」ことを話されたことは大いにあり得た。
 残念ながらそういう記録は福音書にも使徒言行録にも使徒たち手紙にもない。だから、推測の域を出ないが、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と言う言葉は、主イエス様が言われたのだと確信してよい。ただ、元々それは他の時と場所で言われた可能性が濃く、マタイ福音史家はそれを使徒ペトロへの叱責の後にも利用したのだろうと推察できる。
 私の疑問は、果たして主がマタイ16章の時点で本当にそう言われたのかどうかにあったが、今は何とか納得のいく自答は得られたと思っている。そして、考察は楽しかった。これが私の日常である。

岩と教会

 8月27日、今年の年間第21主日の福音はマタイ16.13-20だった。使徒シモン・ペトロがイエス様に「あなたはメシア、生ける神の子です」と宣言し、主から褒められて「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われた箇所だ。岩と教会がこの箇所のキーワードである。司祭はミサの説教を岩にしぼってこう話した。
 「使徒ペトロの本名はシモンで、ペトロとはイエス様が付けたあだ名です。岩はギリシャ語でペトラと言いますが、ペトロはその男性形で、イエス様はその岩の上に教会を建てると言われました。しかし、使徒ペトロは私たち同様弱さを持っていた人で、失敗もしました。ですから強固な岩盤と言うより、礫が集まってできた「さざれ石」のような岩だったと思います」と。
 これは初めて聞いた比喩だが、その着眼点には感服した。使徒ペトロとその後継者である教皇様たち、それに導かれる全教会が実際はどんなものかを私たちに考えさせるからだ。でも、その比喩にはやはり疑問が湧かないわけではない。なぜならイエス様が、はたしてそんな岩を念頭にあのお言葉を言われたのだろうかと問えば、そうとは思えないからだ。そこで今日は、マタイ16.13-20に出てくる「岩と教会」に焦点を当てて一考しようと思う。

 説教で話されたさざれ石は細石などと書かれ、学問的には「石灰質角礫岩」と呼ばれるそうだ。岩になる初期は礫だから、まだ岩ではない。ところで、イエス様が使徒シモン・ペトロに「あなたはペトロ(岩)だ」と言われた時、彼は個人だった。石が寄り集まった礫岩にはなっていなかった。なのに、はたしてイエス様はそんな石灰質の角礫岩をイメージして、彼に「あなたは岩だ」と言われただろうか?私が思うに、答えはノーではなかろうか。
 教会の土台にする以上、イエス様は当時の通念で「あなたは岩だ」と言われたのだと見る方が妥当で自然だと思われる。つまり硬質の岩を念頭にそう言われた。私がそう推測する理由は二つある。一つはペトロ(岩)という言葉を考察し、もう一つはイエス様が彼にそういうあだ名をつけられた時のことを推察すると、そういう結論に辿り着くからだ。まずペトロ(岩)という名前自体を考察してみよう。

 イエス様はギリシャ語ではなく、アラマイ語かヘブライ語を使っておられた。ならば、「岩」もそれで検証しなければなるまい。では、ヘブライ語では「岩」を何と言うかと言うと、(白文で書くが、)כף ,אבן ,סלע ,צור の4語がある。その中でも旧約聖書によく出てくるのはצורとסלעだ。例えば前者は出エジプト記33.21、後者は列王記上19.11に出てくる。他方אבןは「岩」と言うより「石」だ。エルサレムの城壁の石は大石だった。教会の礎石とするなら、それと同じだから、אבןをペトロに当てはめても悪くはなかった。実際、仏語のPierreは石であって、岩(roche, rocher)ではない。
 だが、イエス様はאבן(石)をシモンのあだ名には使われなかった。それは柱の下の単なる礎石ではなく、地盤そのものが岩盤のような大岩を思い描いておられたからではなかろうか。実際、主は「岩の上に自分の家を建てた賢い人」(マタイ7.24)のたとえを話されている。では、詩編などにもよく出てきて、最も普通に「岩」を表すצורとסלעの2語のどちらかを使われたかというと、イエス様はこの2語もシモンのあだ名には用いられなかった。
 では、どの言葉を選択されたかと言うと、כיפה(ケィファ)とכף(ケフ)だった。それに対応するギリシャ語が原典にあるΠετρος (Petros: Peter)とπετρα(petra: rock)なのである。では、כף(ケフ)にはどんな意味があるかというと、「窪んだ岩」(hollow rock, cave)や「岬」(cape)の意味がある。כיפה(ケィファ)の方は少し事情があるからこの後で扱うが、כףとכיפהは語根が共通なので、とりあえずはpetraとPetrosに対応しているとしておこう。そこで、イエス様が言われた邦訳のお言葉に、ヘブライ語のその2語をそのまま代入してみるとこうなる。「わたしも言っておく。あなたはכיפה(ケィファ)。わたしはこのכף(ケフ:岩)の上にわたしの教会を建てる。」
 ところで、כף(ケフ)はヘブライ語の辞書にあるが、כיפה(ケィファ)の方はないのだ。この2語は語根が共通だから、深い関係にあることがわかる。ではなぜכיפה(ケィファ)は辞書に載っていないのか?アラマイ語だからである。ヘブライ語にはアバとかイマとか、アラマイ語から入って普通に使われるようになった言葉がいくつもある。しかし、כיפה(ケィファ)はアラマイ語のכאפה(ケファ)をヘブライ語読みしただけのもので、ヘブライ語としては使われていない。だから辞書には載っていないのだ。
 アラマイ語のכאפה(ケファ)とヘブライ語読みのכיפה(ケィファ)は非常によく似ている。ただし一字違う。だから私はそれをケファとケィファの違いで書いている。では、アラマイ語のכאפה(ケファ)の意味は何かというと、何とずばり「岩」なのだ!そして、邦訳したイエス様のお言葉にアラマイ語の2語を先ほどと同じく代入してみると、驚くべきことがわかる。「わたしも言っておく。あなたはכאפה(ケファ)。わたしはこのכאפה(ケファ)の上にわたしの教会を建てる」となるからだ。まさに目から鱗。כיפהとכף、Petrosとpetraという違う言葉はもう必要がない。まったく同じ言葉が2回使われているからだ。つまり、日本語で言えば、「あなたは岩。わたしはこの岩の上に教会を建てる」と言われたのだ。
 これを知ると、イエス様がシモンにそのあだ名をつけられた意味がはっきりわかる。アラマイ語のכאפה(ケファ)はヘブライ語のכף(ケフ)やギリシャ語のπετρα(petra: rock)と同じ意味だ。イエス様がこの言葉を使徒シモン・ペトロのあだ名に選ばれたのには理由があった。主は彼がその言葉が表すような、地震にも洪水にも動じない岩、細石ではなく、教会をまるまる乗せても大丈夫な堅固な岩を思い描いて、その名をつけられたのではなかろうか。
 しかし、その呼称には変遷があった。イエス様やガリラヤ出身の弟子たちは普段アラマイ語で話していたようだから、彼をケファと呼んでいたに違いない。使徒パウロは彼をペトロと呼ぶことはあったが、ケファと呼ぶことの方が多かったようだ。ガラテア2.7-14等をよむとそれがわかる。しかし、呼称は次第にペトロに変わって行った。それはギリシャ語の福音書が現れ、キリスト教がパレスチナからギリシャ・ローマ世界に拡散して行った結果だ。

 さて、イエス様が漁師シモンにケファとあだ名をつけた二つ目の理由だが、それは最初に出会った時の印象にもあるのではないか、と私は思うのだ。主が「あなたはペトロ」と言われたのは、マタイ16章が最初ではない。ヨハネ1.40-42によれば、主がヨルダン川で洗礼者ヨハネの洗礼を受けた後、シモンの兄弟アンデレは他の一人と主を訪ね、翌日「わたしはメシアに会った」と言って、兄弟シモンをイエス様のところへ連れて行った。
 ヨハネ福音書はその時のことを、「イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ ― 「岩」という意味 ― と呼ぶことにする』と言われた」と書いている。まだ12使徒の弟子団が形成されてもいなかった時に、漁師シモンはすでにイエス様と出会って、ケファ(ペトロ)というあだ名をもらっていたのだ。では、なぜイエス様は初対面の彼にそんなあだ名をつけられたのだろうか? 推察に過ぎないが、私はこう思うのだ。
 イエス様は使徒ヤコブとヨハネ兄弟には「雷の子」というあだ名をつけておられた。怒りっぽかったからのようだと知ると、フフフと笑える。だとすれば、シモンに「岩」というあだ名をつけられたのも、彼に岩を連想させる何かがあったからではあるまいか?思うに、彼は漁師だったから逞しく、ご受難の際は剣で捕吏一人の耳を切り落としたほどの男だ。「イエスは彼を見つめて」とあるが、初めて会ったとき、ひょっとして主は頑強な彼を見て、「岩」を連想なさったのではあるまいか。それはあり得なかったことではない。
 そこで、イエス様はその第一印象から、ケファ(岩)とあだ名をつけたのではないかと私は想像するのだ。ただこの時はそれだけだった。しかし、フィリポのカイザリア地方では、「あなたはメシア、生ける神の子です」と宣言した彼を称賛し、「あなたはペトロ」と再確認されただけではなく、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と、驚くべきご計画まで披露なさったのだった。もちろん出会った最初から、もうその将来計画は見越しておられたのだろうが、最初の時そのあだ名をつけられたのは体格の印象と無縁だったとは思えない。
 だとすれば、使徒ペトロを「さざれ石」のような礫岩に喩えることは、彼が人間的には弱点も欠点もあったという事実を考えさせる意味では優れた着眼だが、ケファ(岩)という言葉を考察した結果からすると、そういう見方だけでいいかという疑問は残る。特に教会の土台となる岩であれば、その上に建つ教会の重み、人の世の地震や洪水にも耐え得る岩でなくてはならない。礫岩にはその強度があるのだろうか?

 二つ目のキーワードは「教会」だが、イエス様はまさに使徒ペトロという岩の上に「わたしの教会を建てる」と言われた。教会は新約聖書原典のギリシャ語では εκκλησια(エクレシア)と言う。この呼称は使徒言行録、使徒たちの手紙、ヨハネの黙示録ではかなり頻繁に出てくる。しかし、福音書では2箇所にしか出てこない。一箇所は今日の福音マタイ16.18、もう一箇所はマタイ18.17で、ここでは2回使われている。
 私はもともとこの2か所に疑問を持っていた。イエス様が弟子たちに話されたことになっているが、イエス様が福音の宣教行脚をしていた頃は、弟子の一団と同行衆と群集はいたものの、「教会」という組織はまだ存在していなかった。だからこそ、教会と言う用語がたったの2箇所しかないのだと思うが、そんな頃に、「その上にわたしの教会を建てる」と言われても、弟子たちに教会のイメージは湧いたのだろうか?「教会って何?」「主は何のことを言っておられるんだろう?」と、理解できなかったのではなかろうか?そういう疑問である。
 しかし、この問題もギリシャ語原典のεκκλησια(=Ecclesia, Eglise, Church)がヘブライ語訳とアラマイ語訳ではどう訳されているかを調べたら、解決の道筋が見えた。マタイ16.18で言われている「教会」は、ヘブライ語でもアラマイ語でもעדה(エダー)だ。そこで、ピンと来たのは旧約聖書の中でイスラエルの「会衆」とか「共同体」とかを表す言葉だ。それが本格的に形成されたのは出エジプト以後だったから、モーセ五書を調べてみた。
 イスラエルの共同体とは12の構成部族を超えて、全員が一つの意思決定や意思表示をする集団の集まりを指す。それは、例えば出エジプト記12.19; 16.1; 34.31; 35.1、民数記16.16, 21、ヨシュア22.16、士師記20.1等で、 עדה(エダー)と呼ばれていることが確認できる。ところが、それは何とマタイ16.18にある「教会」とまったく同じ用語なのだ。そこで、私の疑問は解け、私はイエス様が言おうとなさった意味もわかった気がする。
 イエス様が「この岩の上にわたしの教会を建てる」と言われた教会とは、使徒たちに理解できないどころか、よく理解できたに違いなかった。彼らイスラエル人が慣れ親しんできた「共同体」を意味する言葉だったからだ。しかし「わたしの教会」の「わたしの」が意味するところはどうだろうか。そこが最も重要な点の一つだったが、その時点の彼らに理解できたかどうか。
 イエス様が建てようとされていた教会とは、用語は旧約のそれと同じでも中身が違う、新約の信仰共同体だったのだ。旧約の神の民の共同体は出エジプトの過越しにより、奴隷状態からの解放で形成されたが、新約の神の民の共同体はイエス・キリスト様の受難と復活という新約の過越しにより、罪の奴隷状態からの解放で形成される。この新約の神の民の共同体(エダー、エクレシア)こそが「この岩の上に建てる」と言われた「わたしの教会」なのだ。

 では、マタイ18.17の「教会」(エクレシア)もヘブライ語訳ではエダーと訳されているかと言うと、そうではないことに少々驚かされる。そこでは、教会はקהלה(クヒラー)と訳されている。しかし、実は驚くには当たらない。使徒言行録、使徒たちの手紙、ヨハネの黙示録などには「教会」という用語がかなり頻繁に出てくるが、それらは皆このクヒラーが使われているからだ。むしろこの方が普通なので、本来それは共同体を意味する。その用例は、徒11.22; 1テサ1,1; Ⅱテサ1.1; 黙2.1,8,12; 3.1 等で確認できる。
 フランス語では教会をEgliseと頭文字を大文字で書く時と、égliseと小文字で書く時がある。頭文字が大文字のEgliseは本質的・総体的な教会を意味し、小文字のégliseはしばしばles églisesと書くように、個々の具体的教会を意味するのが普通だ。根拠はないが、どうもマタイ16.18の教会は頭文字が大文字の教会を意味し、マタイ18.17の教会は小文字の教会に当たるように思われる。もしそれで正しければ、マタイ18.17の疑問も解ける。
 その箇所は、兄弟が罪を犯したらまず二人だけで忠告せよ。聞かなかったら2,3人の証人を入れて忠告せよ。それでもだめなら教会に申し出よ。教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なせと、イエス様が教えたことになっている箇所だ。しかし、私には疑問があった。徴税人たちや娼婦たちの方がむしろ先に神の国に入るとまで言って、彼らを弁護し、偏見なく彼らと食事もされたイエス様なのに、それと矛盾するような、排除と蔑視が感じられるそんな教えを言っただろうか? 初代教会がイエス様の名を使って伝えた教えに他ならないのではなかろうか、とずっと疑問だったのだ。
 しかし、ここでいう教会が小文字の教会、すなわち個々の具体的な教会のことだとすれば納得がいく。もしそうなら、そういう教会は聖霊降臨後次第にできて行ったので、イエス様が福音宣教しておられた年代のことではないことがわかるからだ。初代教会ではいろいろな問題が起こった。信徒個人や個々の教会はそれにどう対応していいか随分悩んだだろう。この忠告はその一処置方法で、イエス様の名を借りていわゆる破門に言及したわけだ。
 では、そういう教会を意味するקהלה(クヒラー)はどこから作られたことばなのだろうか。旧約聖書では士師記あたりまでは共同体を表す用語はすעדה(エダー)が目立つ。しかし、なぜか(王制の出現と関係がありそうだが…)列王記以後はקהל(カハル)という用語が目に付く。列王記上8.2; ネヘミヤ記7.66; 8.2等はその例だ。カハルは動詞なら「集まる」、名詞なら「会衆、共同体」などを意味するが、教会を表すקהלה(クヒラー)はそれと似ているから、それから派生した兄弟語であろうと思われる。
 教会を意味するヘブライ語は他にכנסיה(クネシア)もある。英語のassembly やchurchに当たる。しかし、新約聖書ヘブライ語訳では、マタイ16.18以外はほぼהלקה(クヒラー)と訳されている。つまり、一般的なのだ。ということは、マタイ16.18の「この岩の上にわたしの教会(エダー、エクレシア)を建てる」と言われた時の教会がむしろ特別であることがわかる。
 ではどのように特別かというと、いわゆる普通の教会とは違い、それが本質的で超越的な新約の共同体、聖霊降臨の日に実現した信仰者の共同体、キリストの神秘体を体現する教会であることにある。イエス様が「わたしの教会」と言われたのはそういう新約の共同体のことだったのだ。そして、使徒ペトロはその土台となる岩だと言われた。シモン・バルヨナは人間的には弱かったとしても、聖霊が比類なく堅固にした岩である。私はそう理解したい。

砂粒ほどの問題だけど   

 今日、8月26日の第1朗読聖書はルツ2.1-3, 8-11;4.13-17だったが、原典を読んでいて、4.14の“גאל”という言葉で立ち止まった。その意味を知らなかったからだ。ラルースの仏-ヘブ辞典で調べたら、“souilleure, profanation”(汚れ、涜聖)とあった。しかし、それは変だ。そんな意味では、ルツが一子を生んだことを女たちが「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく○○を今日お与えくださいました」と讃えた祝詞の○○には絶対に当てはまらない、と思えた。
 そこでLa Bible de Jerusalemの訳を見てみた。すると“le proche parent”(近縁者)と訳されていた。それなら納得できる。しかし、では辞書はなぜ全く違う意味を載せているのだろうか?と疑問が湧いた。それを解く鍵はヘブライ語のニクダ(発音記号)だった。
 発音記号のない通常のヘブライ語は白文と言う。荷物のタグに空港ではTOKYOをTKYと印刷するが、それと同じで母音が省略されている。慣れていないと正しく読むことは難しい。だからか、聖書のヘブライ語等には発音記号がついている。実は問題の“גאל”にも聖書と辞書ではニクダが付いていた。ג の左上に“オ”の母音を示すホラム・ハセルというニクダがあり、אの下には“エ”の母音を示すツェーレ・ハセルというニクダがあった。従って、“גאל”は“ゴーエル”と発音する。それは“גואל”と同じだ。
 そこで、“גואל”を辞書で見たら、一義的な意味は“liberateur, sauveur”だが、二義的な意味として“parent”が載っていた。だから、フランス語訳聖書は“le proche parent” (近縁者)と訳したのだとわかった。しかし、同時に新共同訳がなぜその○○を、「家を絶やさぬ責任のある人」などと言う、ややこしい表現で訳したかも推察で来た。“גואל”というヘブライ語には「解放者、救出者」即ち「贖い戻す」と言う意味もあるからだろう。 

 では、他の訳はどうなっているのだろうかと、興味を覚えて調べてみた。
英訳は“next of kin” (最も近い親族)
スペイン語訳は“uno que te rescate”(あなたを贖う一人)
ブルガタ訳は“qui redimit familiam tuam”(あなたの家族を贖い戻す者)
七十人訳は“αγχιστεα”(最も近い親族) 
フランシスコ会訳は“あなたを救う者”
バルバロ訳は“故人に近い身内”
聖書協会訳は“ひとりの近親”

 これらを見ると、翻訳は原典の“גואל”という一語にある二つの意味、すなわち①解放者、救出者、贖う者、②親族、身内のどちらかに重心を置いた訳し方をしていることがわかる。
 ラテン語のブルガタ訳は①の方であり、ギリシャ語の七十人訳は②の方だと言ってよかろう。そして、ブルガタ訳に倣い、①の系統に属するのはスペイン語訳、新共同訳、フランシスコ会訳等であり、七十人訳に倣って②の系統に属するのが英訳、仏訳、バルバロ訳、聖書協会訳等であることがわかる。しかし、ヘブライ語原典の一語はその両方の意味を含んでいるのだ。

 そんな分類をして何になるという意見もあろう。その懐疑に答えよう。それはルツ記を真に理解するのに役立つのだ。女たちがルツの出産を祝ったのはルツ本人に対してではなく、姑のナオミにであった。これは奇妙ではなかろうか。子を産んだのはルツだったからだ。しかし、ここに女たちが「あなたを救う者」とか「あなたを贖い戻す者」とか言った意味がある。
 ナオミは夫にも二人の息子にも子を残さず先に死なれてしまった。嫁のルツはユダヤ人ではない。モアブ人だった。だから、そのままでは家系は断絶するしかなかった。ところが、夫の血縁であるボアズが死んだ息子の嫁ルツと結婚して子を産んだのだ。それはナオミにとって夫の家系が復活し、継続することを意味した。だから女たちはナオミを祝福したのだった。
 日本でも昔は家系を絶やさぬことは最重要事だった。聖書のイスラエル人たちにとってもそれは同じであった。だからモーセの律法は例えば子なしで死んだ兄がいたら、残った弟がその妻を娶って、兄のために跡継ぎを作らなければならない(申命記25.5)と規定した。家系の継続はそれほど重要だったのだ。だから、ルトに子が生まれた時、女たちはむしろ姑のナオミに「よかったね。跡継ぎが生まれたから、これで家系が絶えないで済む。主はこの子によってあなたを救った。家系を贖い戻してくれた」という意味で主を賛美したのだ。
 従って、その赤子は単なる跡継ぎの身内ではなかった。ルツ記がその子をナオミの「孫」(נכד)とか、ルツの「子」(בן)という語を使わず、わざわざ「身内」(גואל)という語を使ったわけはそこにあったと思う。そして、その赤子はやがてダビデ王の祖父になり、その家系から救い主イエス様が生まれる。①の系統の訳者は“גואל”の一語を訳したとき、それが旧約の「一家系を救った者」の話にとどまらず、やがて現れる人類を贖う者を示唆してもいるとも感じたから、そう訳したのではあるまいか。
 これは砂粒ほどの微小な問題ではあったが、救いの歴史が染み込んだ砂粒でもあった。しばし立ち止まって調べかつ考察してよかったと思う。

再び想起力テスト 

 年間第20主日の福音はマタイによる福音15.21-28で、おおよそ次のような話だ。
 イエス様がティルスとシドン地方に行かれた時、あるカナン人の女は悪霊に憑かれた娘を癒してくださいと頼んだ。しかし、イエス様は無視なさった。ところが、女がいつまでもしつこくついて来るので、弟子たちは追い払ってくださいと頼んだ。すると、イエス様は「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と、にべもなく答えられた。
 それでも女が助けてくださいと願うと、イエス様は拒絶して言われた。「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない。」すると女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」イエス様はこの返答に感心して言われた。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」と。その時、娘の病気は癒された。
 さて、今回もこの話についての私の考察ではなく、私の記憶力と想起力を試してみるために、司祭の説教を再現してみようと思う。今回は1日たったが、さてメモなしで聞いた話を米寿直前の私はどのくらい覚えていられたのだろうか。それをまず書いて見る。そして、その後に気付いたこと等の感想を若干加えてみる。その説教は次のようだったと思う。

 <皆さん、私たちはクリスチャンですが、どのようにしてそうなったかはそれぞれで、同じではありませんね。ある人は赤ちゃんの時に洗礼を受けてクリスチャンになります。親がそうだからです。ある人は成人してから、友達に誘われて教会に行くとか、偶然に何かの機会に教会に入って、やがて洗礼を受けてクリスチャンになるとか、いろいろです。しかし、共通しているのはイエス様から教えられるということです。イエス様は先生で私たちは弟子。教えるのはイエス様で、教えられるのは私たちです。
 ところが、今日の福音はイエス様が教えられたという話です。皆さんは、今日の福音を聞いてどう思いましたか?イエス様は冷たい、と思いませんでしたか?ガリラヤではあんなに病人をたくさん直してあげたのに、カナンの女の願いには耳も貸さず、すたすた歩いておられたようです。女はしつこく願い続けていました。だからたまりかねてか、弟子たちはイエス様に近寄って頼みました。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので」と。
 弟子たちの言い方を読むと、必ずしも邪険に女を追い払いたかったわけではなさそうです。追い払いたければ自分たちでもできたはずだからです。イエス様にそれとなく願いを聞いてやったらどうなんでしょうと口添えしたようにもとれます。ところがイエス様は、「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と、にべもなく答えられたのです。つまり、イスラエル人以外の人の願いはだめですと。なぜでしょうか?
 それにはわけがありました。神様は人間を救うためにイスラエル民族を選ばれました。なぜだと思いますか?ちっぽけな民族だったからです。神に頼らなければ生き残れない小民族なら、自分の力で何かを成し遂げたと威張らないはずだ、と思われたからでした。その民族から救い主を出現させ、まず救いの御業を成し遂げて、次に救いを全世界に及ぼすのが神様のご計画でした。だから、まず救いはイスラエル民族の中で達成されなければなりません。だから、イエス様は「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言われたのです。イエス様は天の父のご計画に従っておられたのです。
 しかし、カナンの女はあきらめるどころか、イエス様の前にひれ伏して、どうかお助けくださいと願い続けたのでした。そこでとうとうイエス様は女に「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言われました。子供のパンは犬にはやれないとは、差別的な言い方だったといえなくもありません。なぜなら、犬は古代中東世界では汚らわしい動物の一つだったからです。何もそんな言い方をしなくてもと思えますが、これも彼女を憤慨させ、願うのを諦めさせるためだったのでしょう。
 ところが彼女は「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と答えたのです。イエス様は感動しました。女は子供のパンを犬にやってはいけないことは認めました。つまり、神の恵みはイスラエル人がいただくもので、それはその通りでございますと言ったのです。でも、子供はパンを食べるとき、パン屑を落とすではありませんか。食卓の下にいた小犬がそれを食べても叱ったりする主人はいません。パン屑のような恵みでもいいですからそれに与らせてください、と答えたわけです。
 イエス様は女の答えに教えられたのでした。いたく感服し、心を動かされました。だから言われたのです。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」と。つまりイエス様は女の信仰を褒めて、願いに応じられたのでした。娘は癒されたのです。イエス様はあるとき弟子たちに言われました。「もしあなた方に強い信仰があれるなら、あの山に向かって海には入れと言えば山は海に入る」と。
 今日の福音の話は小さな出来事です。しかし、私たちに信仰の力を教えてくれます。信仰は神様を動かすのです。私たちもカナンの女に学んで、強い信仰を持って生きましょう。>

 やはり十全には想起できなかった。もっと多く話されたはずだ。しかし、いずれにせよ、教えられるところの多い説教だった。だが、ちょっと気になった言葉の使い方があって。二三回イスラエル人とユダヤ人を並べたり、同一視したりするような言い方をしたことだ。両者を並べるのは誤解を招くし、両者を同一視するのは間違いだからだ。
 イスラエル民族は12部族からなっており、ユダヤ人は12部族の一つであるユダ族の人たちだ。ソロモン王の息子の代にイスラエル民族はイスラエル王国とユダ王国の2国に分裂した。北部のイスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされ、事実上消滅した。南部のユダ王国もバビロニアに滅ぼされたが、バビロン虜囚後再興した。従って、以後のイスラエル人はユダ族とレビ族が圧倒的に多いが、イスラエル人イコールユダヤ人ではない。

 小犬が一匹なのか二匹以上だったのかも私にはきになった。新共同訳は、「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と訳している。しかし、原典も欧米語諸訳も「小犬たち」、「主人たち」(kunaria、dogs, petits chiens etc.)と複数だからだ。「子どもたち」と複数に訳したのなら、なぜ小犬も主人も原典に忠実に複数としなかったのだろうか。整合性に欠ける。聖書協会訳、フランシスコ会訳も同様だ。
 バルバロ訳とラゲ訳は「子ども」も単数に訳している。原典は全部複数で書いてあるが、複数にすると日本語では煩わしくなるので、単数にしたのであれば、全部を単数にする方が整合性の点ではましだと思う。私なら子ども達、小犬たち、主人たちと、全部を複数に訳す。その方が原点に忠実だし、そうしたら都合が悪くなる理由もないと思うからだ。

 司祭は「イエス様は教えられた」と言った。私はそういう切り口で考えたことがなかったので、その着眼点には感服した。だが、イエス様は果たして教えられたと言っていいかどうか、そこには疑問がある。その表現は適切だったかという疑問だ。イエス様は女を諦めさせるため、思い付きで「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言われたのではなく、実は女の信仰を試すために、そう言われたのではあるまいか?私はそう思うのだ。
 福音書はイエス様が予知能力のある方だったことをいくつか証言している。だとすれば、カナンの女の言葉をまったく想定もしていなかったと考えるのは、福音書の記述の否定になる。口では「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と言われたが、それは建前で、心の中ではその女の願いを聞いてやるつもりでおられた。ただし、それは彼女がどれほどの信仰を持っているかにかかっていた。主はそれを試された。
 そして、彼女は感服して余りあるほど当意即妙の譬えで返答した。見事な切り返しだったが、謙虚でもあり信仰に溢れていた。イエス様にとって、それは考えたこともない予想外の返事だったのではなく、実はは待っていた返答だったのだ。それを知っていなかったからではない。彼女が表明したのは、イスラエルの失われた羊にこそ持ってほしい信仰だった。だから、あたかも異邦人の女に「教えられた」かのように感嘆なさった。イスラエルの人々もクリスチャンも教えられるように。その意味では「教えられ方」のお手本を示されたのだ。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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