春らんまん前

 早春のベソラーを掲載してからもう1ヵ月半以上たった。フィリピン訪問旅行や手を貸す運動Ⅱニュースレターの日本語版、英語版の発行、サーボラン会の開催など、あれこれ休むことなく動き回っていたら、その間に春はわが家の庭でもずいぶん進んでいた。
 早春に早々と咲き出した福寿草はもう葉だけになり、梅、沈丁花、ヒマラヤ雪ノ下などはもう終わりに近い。代わって新しい花たちが続々と咲き出している。今は春らんまん前。おそらく一年で一番いい時期かも知れない。少なくとも私が一番好きな季節ではある。ゴールデンクロッカス、ムスカリ、芝桜、スズラン水仙、ハナニラ、紫花名、サンシュユ、ボケ、モクレン、こぶしなどが早春の花と交代している。そして、間もなく桜が咲けば、春はまさに爛漫となる。
 しかし、花々がどんどん咲き出すと、雑草もぐんぐん伸びる。年を取るとその除草が一苦労だ。ただし、雑草もよく見ると可憐なのがある。ベロニカにはもう触れたが、今を盛りと伸びているハコベやキュウリ草がそうだ。ハコベの花は小さいのにしっかりした10弁で、白く愛らしい。キュウリ草の花は空色の忘れな草そっくりだが、大きさは4分の1ぐらいの超ミニだ。そこでつい同情し、雑草をそのまま生かしておくと後で大変な目に遭わされる。だから心を鬼にして引き抜くしかないのだ。
 花では今年は2月ごろある異変に驚かされたことがあった。窓際のプランターに植えたパンジーの花が小鳥にほとんど食べられてしまったのだ。それもまず黄色が狙われ、次が青、赤が一番後という順序だった。どうやらヒヨドリの仕業だったようだ。この小鳥が椿やボケの花を食べに来るのは知っていたが、まさかパンジーの花まで食べるとは!と驚かされたのだ。今年は食べ物が不足していたのかも知れない。プランターに蒔いた正月菜も古代豆も小鳥の食害に遭ったからだ。ただ、ルッコラは食べられなかった。たぶん独特の少し辛みと苦みがある味を嫌ったのだろう。しかし、春らしくなった今は食べ物が豊富になったせいか、パンジーの花はもう食べられなくなった。おかげで花は持ち直して見事に咲いている。
 園芸ではもう一つ今まで経験しなかったハプニングがあった。昨年は咲き終わったシクラメンを夏の間木陰に置いた。そしたら何と花芽をいっぱい出したのだ。そして、それは3月が終ろうとする今もまだ見事に咲き続けている。以前は春に咲き終わったシクラメンを軒下などに置いたが、たいていは球根がからからになってだめになったり、葉が2,3枚出ただけで終わったりしていた。ところが、昨年は初めて元気に夏を過ごさせ、秋に咲かせることに成功したのだ。その上、その一株からは種子も落ちていて、小さな子株がいっぱい生えていた。だからそれらを鉢に一本ずつ植えた。今年はそれを育てるのも楽しみもある。もっともこれは晩秋の花だが・・・
 さて、長々と書くつもりはない。これは春らんまん前の喜びを共有するためだけの単なるごあいさつ。この後に新しく咲き出した花のいくつかを掲載するので、どうぞお楽しみあれ。

花 サンシュユ
サンシュユの花。実も紅葉も赤い。宮崎民謡「庭のサンシュユに鳴る鈴掛けてよ」と歌われる稗搗歌のサンシュユ。
花 ゴールデンクロッカス
ゴールデンクロッカス。春を告げる天使のような花だ。青、白、紫色もあるが、それらは少し遅れて咲く。
花 ハナニラ
ハナニラ。“ベトレヘムの星”とも言われる。6弁がダビデの星(イスラエル国旗)のように見えるからだ。
花 ボケ
ボケ。灌木では春に一番早く咲く花の一つだ。直径5センチぐらいになる実は酸っぱく渋い。
花 芝桜
芝桜。白、赤、ピンク、紫、混色もある。広い土地にく咲くと絨毯のように見えるが、わが家のはちょびちょびと貧弱。
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ルソン島縦走記

 6日前フィリピンの学校給食視察旅行から帰国した。強い光と暑さで目をやられてしまったが、よくなったのでとりあえず走り書きの略報を届ける。
 行く前は、やれ置き引きが多い、強盗、殺人もあるぞ!などと脅かされて若干緊張していたが、案ずるよりは易しで無事に戻れた。むしろ心配だったのは、マニラ~カンドン間だけでも車で9時間かかる走行に、この老体が耐えられるだろうかという点だった。でも、それもクリアでき、充実した視察ミッションを果たせたので、思い切って行ってよかったと満足している。
 
 私達一行は3人だった。旅程は5泊6日で、2月14日に成田からマニラに飛び、その日はマニラのホテルに一泊しただけだった。フィリピンのタクシーはぼったくりが多く要注意だと聞いていたが、幸い知り合いのフィリピン人が迎えに来てくれていたので安全なタクシーを選べた。
 翌日からの4日間はルソン島をほぼ縦走する旅だった。私達は地図上に矢印で示した通りの行程を、現地人運転手付きのレンタカー・トヨタハイエースGRで動いた。それが一番安全だし、第一私達は現地の地理に不慣れだったからだ。行程は成田→マニラ→カブヤオ→マニラ→バギオ→カンドン→ヴィガン→カンドン→マニラ→成田の順であった。

フィリピン旅程地図 

 2月15日(水)午前中は、マニラから南へ車で約1時間のラグナ州カブヤオ市に行き、私たちの資金援助先の一つであるサウスビル1小学校の給食現場を訪問した。100名の児童達は2交代で皆嬉しそうに給食をいただいていた。私たちのメインの目的はルソン島南部の同校と北部カンドン市にあるもう一校の学校給食を視察することにあった。しかし、それについては後日あらためて書くつもりだから詳述を省き、むしろここでは旅の副次目的だったバギオ市とマニラのバクララン教会でのことに焦点を当てようと思う。
 サウスビル1小学校の学校給食の視察後、私たちは午後すぐバギオ市へ向かった。マニラとバギオとカンドンを結ぶと細長い三角形になり、カンドンへ行くにはバギオ回りは遠回りだった。それなのになぜそこへ寄ったかというと、太平洋戦争中の1945年に、私の長兄が軍属としてそこで戦病死したからだ。私の家族でこの地を訪れた者は一人もいない。そして私ももう一度来られるとは思えなかった。だから今回の旅行を利用して、ぜひそこに立ち寄り、兄の慰霊をしてやりたいと願ったのだ。
 ところが、行ってみると机上の時間算定がいかに甘かったかを思い知らされた。カブヤオ市からバギオに行くには、マニラをもう一度通過してルソン島を北上することになるのだが、マニラの渋滞はまさに想像を絶するものだった。それがまず誤算だった。マニラ通過だけで1時間も費やしてしまったからだ。そんなわけで、マニラからバギオまでは5時間ほどと聞いていたが、平野を過ぎてから山地に入ると延々と九十九折りの道が続き、やっとバギオ市の夜景が眼下に見えた時は何ともう夜9時過ぎだった。その日は同市のホテルに泊ったが、強行軍の一日に疲れ果てた。結局カブヤオ市から約8時間も車で走ったのだった。

 翌2月16日(木)は、早朝のバギオ大聖堂前で長兄と何万もの日本人戦没者を想って慰霊した。どんな祈りをしようかと思って行ったが、兄はキリスト者ではなかったものの、主の祈りに勝るものはないと思い、それを祈ろうと心に決めていた。するとその時、大聖堂から祈りの声が聞こえた。そこで急いで入ってみたらミサの最中で、何と主の祈りが始まる直前だったのだ。これは不思議なタイミングの一致だと思って、会衆といっしょに祈った。ただし私は日本語でだったが・・・

DSCF4234.jpg バギオ大聖堂の前で
DSCF4232.jpg 碑の上に日本の水を撒く
DSCF4242.jpg バギオ市はこんな山地にある。

 生き残った戦友は兄を大木の下に埋めたと姉に言ったそうだ。しかし、行って見るとバギオ市は大きく、大木はあちこちにたくさんあった。それに72年前の大木だ。もう伐採されてしまってないかも知れない。だから、そんな不確かな目印を探しても仕方がないと思って、教会の花壇わきにあった碑に日本から持って行ったボトルの水をかけた。「兄貴、これでいいよな」と心中で言いながら…その碑には"For God and For Mankind"と刻まれていた。
 長兄は死んだ時26歳だったそうだ。おそらく数え年のことだろう。いずれにせよ、ふと思った。今その時のままの兄が出てきたらどうだろうか、と。26歳と言えば、私から見れば孫のような年代だ。それが兄で弟が87歳の老人では、実に奇妙な出会いになるだろうな。どんな会話をしたらいいか、こちらも困るだろうが兄はもっと戸惑うだろうななどと、想像してみた。そして、遺骨代わりにそこの石を3個拾って来た。

 その後はカンドンサウスセントラル小学校の給食に間に合うよう、午前11時頃にはカンドン市に着く予定で先を急いだ。ところが、運も悪かった。バギオ市は山の中腹にある町で、道路はバズル状に複雑だった。日本軍が米軍に追われてそこに逃げたのもうなずけた。戦車や軍用車両が入りにくいので迎え撃つのに好適だったからだろう。しかし、食料補給が難しい弱点もあっただろう。日本軍は飢えと病気でほぼ全滅したようだ。
 その上、今は車の渋滞がひどい。フィリピンの都市はどこも日本では考えられないほど渋滞が慢性的だが、バギオはその最たる一つに思えた。この2つの理由で、カンドンに向かう道がなかなか見つからず、フィリピン人なのに運転手は30分も堂々巡りをして時間を無駄にした。それに道程も予想より長かった。だから、3時間の見込みがここでも5時間以上かかってしまい、学校に到着したのは何と午後1時過ぎだった。
 いくらなんでももう給食は終わってしまっただろうなと落胆しながら、カンドンサウスセントラル小学校に着いた。すると、何とシーランド神父様がまず出迎えてくれた。それは予想していなかった。そして、その後ろに子供たちや先生たちが揃って出迎えてくれていた。その上、私たちに見てもらおうと、子供たちは給食を食べずに何と1時間以上も待っていたのだった!それを知ったとき私は非常に感動した。
 お腹がすいていたのだろう、児童たちはすぐ給食をいただき始めた。メニューは米飯、鶏肉、スープ、リンゴだった。サウスビル1小学校より少し見劣りしたが、彼らは夢中で食べていた。戦中戦後の飢えの時代を知る私には、その子たちの気持ちが推測できた。受給人数は30名に限定されているが、どの子も痩せ気味で、日本の子たちより発育が遅れているように見えた。給食が必要だと言う神父様の言葉は納得できた。
 食事後、子供たちはそれぞれが手書きで作った絵カードを私に進呈してくれた。私達も彼らにと持ってきたお土産のボールペンとマーカーを一人ひとりに配った。その他にもいろいろあったが、それらは他の機会に詳述するつもりだから、ここでは割愛する。
 その日の午後はフリーだったので、カンドンから車で1時間ほど北にあるヴィガン市を訪問した。今度の訪問旅行でいろいろ事前準備をし、旅行中は添乗員代わりを引き受けてくれた陶芸家のTさんに報いるためだった。なぜなら、そこは陶芸でも知られた町だからだ。私はそこで初めて巨大な蛇竈を見た。また歴史遺産も見学できた。惜しかったのは、そこの人たちが私達見せたがった海のサンセットを見損なったことだ。

 2月17日(金)はカンドンからマニラまで帰るだけの1日だった。シーランド神父様もいっしょに乗った車は一路南下した。途中3回ほど休憩停車したが、約9時間の走行は87歳の私には少々こたえた。

 2月18日(土)は学校が休みなので、旅の副次目的だったマニラ市バクララン教会と福者高山右近の足跡を訪ねた。バクララン教会を訪ねたのは大学時代の友人で、故人となった西本至神父がそこの墓地に葬られていると聞いたので、墓参したかったからだ。
 教会へ行ったら、白いスータン姿の白人老神父がちょうど庭を横切るところだった。そこで、「西本神父様をご存知ですか?」と聞いたら、何と長い間一緒に働いていたから良く知っていると言われた。これは幸いだと思い、「私は彼の友人で、墓参をしたいのだが、墓を教えていただけますか?」とお願いした。すると、「私は今ミサをたてるところだから、他の司祭に頼んであげましょう」と、もう一人の神父様を紹介してくれて、その方が私たちを墓地に案内してくれた。
 墓地は教会事務所棟の後ろにあった。広くはなく、髭面の西本神父の顔を刻んだ墓碑はすぐに見つかった。彼は私より4歳年下だったが、大学では共に学び、初台教会の小神学校では4年間寝食を共にした。よく衝突した相手だったことを思い出す。校長のB神父は私達二人のことを「あなたたちは雄鶏のようです」と言った。でも似た者同士の「仲良くケンカしな」的ケンカだったのだ。司祭になった彼は後にフィリッピンに渡り、そこで困難に遭う日本人たちのために働き、多くの業績を残しながらそこで生涯を終えた。
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 彼が「夜の神父」という本を出版した時、フィリピンから一時帰国したので、昔の仲間がわが家に集まったことがあった。その賑やかな集いの終わりに、誰かが小神学校時代の就寝前に毎日歌ったあのラテン語の歌を歌おうじゃないかと言った。そこで、皆で懐かしく歌ったが、彼と会ったのはその時が最後だった。それを思い出して、今回は一人だけだったが、バクララン教会の彼の墓石の前で、私はその同じ歌を歌った。声量も艶もなくなり、情けない声になり果ててはいたが、歌詞は忘れていなかった。こうだ。

"In manus tuas, Domine, commendo spiritum meum. Redemisti nos, Domine, Deus veritatis.  Commendo spiritum meum. Gloria Patri et Filio et Spiritui Sancto. In manus tuas, Domine, commendo spiritum meum."
(訳:「主よ、わが魂をあなたの御手に委ねます。あなたは私たちを贖ってくださった真理の神です。私の魂を委ねます。栄光は父と子と聖霊に。始めのように、今も、いつも世々に至るまで。主よ、わが魂をあなたの御手に委ねます。」)

DSCF4255.jpg 野点をするTさん

 その墓地の開けた場所には野外ミサ用らしい石造の祭壇があり、同じく石造のベンチが3脚ほどあった。陶芸家で茶道家の同行者Tさんはそこで野点ができると思うと、ポータブルの茶道具をそこに広げて、私たちをお点前に招いてくれた。偶然そこにはアンケートの質問に来たフィリピン人女子高校生が4人いて、私たち日本人3人、そしてミサから戻って来た85歳のロン・マレー老神父(オーストラリア人)も茶席に連なったのだった。西本神父の眠る墓地で彼と共に働いた老神父様と共に野点に与れたのはいい思い出になった。
 私たちは福者高山右近の足跡も訪ねた。彼がマニラに上陸した地点と言われるサンチャゴ要塞近辺を訪ね、マニラ大聖堂では折よく開かれていた高山右近展等も見ることができた。しかし、これは他の人が書くだろうから、私はこれだけにとどめる。
 私たちはたったの4日間だが、ルソン島の中心部を南北に縦走した。だが、このブログでは主目的とは関係がないことばかりを書いた。考えてみると、それは死んだ人たちのことがほとんどだった。戦争中に戦病死した長兄、フィリピンに骨を埋めた西本神父、そして約400年前、信仰を守って地位も富も捨ててマニラに来た福者高山右近。本当は彼らの人生の旅路こそが語るに相応しい、より価値のある縦走なのだと思う。
 いずれにせよ、私たちは2月19日、無事日本に戻って来られた。私達自身の人生の縦走を続けるために。

早春のベソラー                

 今日は立春。まだ寒さは残るが、陽ざしはもう早春だ。人間世界はトランプ米大統領のツイッターやら中国の海洋進出やらテロやらと騒がしいが、自然は何と泰然としていることか。悠久の宇宙はゆったり動き、大地はその営みを黙々と続けている。紺碧の青空の下、目を庭の一隅に落とせば、今年も早やそこには早春のベソラーがある。ベソラーとはヘブライ語で“知らせ”とか“音信”の意味で、福音はベソラット・カドシャ「聖なる音信」だが、早春のベソラーとは春先にいち早く咲く草花たちのことだ。その穏やかな音信を聞き取るため、いくつかの花に目と耳を近づけてみよう。

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 早咲きの水仙はもう1月から咲いている。今はもう満開だ。

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 ヒマラヤユキノシタは葉の付け根に花が咲く。そこは防寒用の嚢のようにふくらんでいて、寒い間はそこに蕾が包まれている。だが、春の気配を察知して嚢が開くと、花たちは用心深そうにまとまって顔を出すのだ。

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 草地でよく見かけるベロニカ、和名オオイヌノフグリは実に愛らしい空色の小さな花。大地のつぶらな瞳に見える。

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露地の福寿草は枯れ葉の下から三輪目も顔を出した。花は陽ざしの集光パラボラアンテナのように光色。陽ざしのある間だけ開く。

 小さな花たちのささやきが聞こえましたか?
 悠久の宇宙の動きが感じ取れましたか?

“エ プルーリブス ウヌム”

 かつて米国を旅行したとき、同国の硬貨には"E PLURIBUS UNUM"の印刻があるのに気づいた。“エ プルーリブス ウヌム”と発音する。ラテン語だから意味はすぐわかった。なるほど「多数から一つに」か。原住民や多くの移民で成り立っているからこそアメリカ合衆国なのだ、という国の成り立ちを端的に表し、国璽の文言でもある。だが、トランプという大統領の出現で、そのUNUM(一つに)が今二つに分裂しかかっている。 
 現在の米国は奴隷制廃止か存続かで世論が真っ二つに割れた南北戦争前みたいだ。しかし、あの時とは違って今の分裂は米国内だけでなく、世界中に波及している。あの時の大統領リンカーンは奴隷解放の側に立ち、他者排斥とは逆だったが、現大統領は白人と自分の利益本位の利己主義に立ち、排除の論理で動いている。かつての分裂は南北間だったから南北戦争と言われたが、もし今の分裂が戦争にまで行くとしたら何戦争と呼ばれるだろうか? 
 自分たちのことしか考えないから、利己主義戦争とでも呼ばれるのだろうか?それとも、自分たちの利益、安全、繁栄を脅かす他者は全部排除するから排他戦争?あるいは、移民が来なければ安全で失業がなくなると妄想するから妄想戦争とか、嘘ももう一つの事実だと強弁するから、独りよがり戦争とか呼ばれるかも。アメリカ第一主義なら、当然他の皆は損を蒙る。そうなれば皆がアメリカを憎み、嫌い、そっぽを向き、その損はやがてアメリカにはね返るだろうに、それを賢いと思って他者と交渉を強行するなら、それこそ愚行だ。
 彼には高邁な理想がない。役立つか無駄か、得か損か、好きか嫌いかぐらいの単純な基準ですべてを判断し、得になるなら嘘も平気、人を傷づけても意に介さない。利害が相反し、意見が衝突し、信念が違う無数の人々を一つにまとめ、和ませ、分かち合わせてこそトップなのに、むしろ逆を行なっている。その支持者が国民の半数だというのも情けない。彼らに言いたい。硬貨にある"E PLURIBUS UNUM"をもう一度よーく見つめてみたらどうか。

電子頭脳とラウダウト・シ            

 最近よくニュースに出てくるものにAIがある。Artificial Intelligence(人工頭脳)の略語だが、昨今碁や将棋の名人を打ち破ったりして、その目覚ましい進歩が注目されている。またIoTという語もしばしば聞くが、それはInternet of Things(物のインターネット)の略語で、様々な物体をインターネットでつなぐことにより相互通信機能を持たせ、自動認識、自動制御、遠隔操作等を可能にすることらしい。門外漢の私の知識は聞きかじりだが、それらがすべて電子頭脳(Electronic computer)によって実現していることぐらいはわかる。
 
 今年1月16日の朝日新聞朝刊には「AIは味方ですか?」という記事があって、二人の論者が意見を述べていた。AIがもっと進歩すれば、人間は大いにそれを利用して助かる。だから人類の味方だ。味方派がそう言うと、懐疑派は、いや、そうだろうか、良い面もあるが、デメリットもある。例えば、人工頭脳に取って代わられれば、多くの人は職を失いかねない。だから、必ずしも味方とは言い切れないと反論し、評価は分かれていた。
 いったいなぜ私たちはAIに関心を持つのだろうか?思うにそれは、人工頭脳が知的存在である私たち人間のあなどれないライバルとして出現したからではなかろうか。それは人知の究極的成果であるが、同時に一抹の怖れや不安を抱かせる存在でもある。だから、私たちは今その出現を自分たちに対してどう位置付け、今後それとどう付き合えばいいかを探っているのだと思う。
 では、なぜ怖れや不安を感じるのだろうか?人工頭脳は人間が自分のために作った物だから、あくまでも人間に従属するはずだが、いつまでも人間の僕でいるだろうか?現在のAIがすでに一流棋士を超えたように、いつか他の分野でも人間を凌駕し、人間の意図から離れて動くようになることはないのだろうか。専門家は何を戯言をと嗤うかも知れないが、要するに人間は優位を保てるのだろうか?と、そんな危惧を覚えるからではなかろうか。私もそのことに関心があるから、今日はそれを考察してみようと思う。 
 
 人間にはラテン語でHomo sapiens (知恵のある存在)、Homo ludens (遊ぶ存在)、Homo faber (作る存在)などと言う定義がある。人類の歴史を振り返ってみると、人間は肉体的には決して強くはなかったが、多くの危険に囲まれながらも生き延びて来た。それができたのは最大の長所である頭脳を使い、手で道具を作って肉体の非力を補うことができたからに他なるまい。まさに人間はHomo sapiensであり、Homo faberなのだ。
 人間が最初に作り出した道具はごく単純だったはずだ。しかし、それは次第に進歩・多様化し、複雑化して行った。そして、やがて多くが機械に変わった。では、道具や機械とは何かというと、私は人間が自分の手足指目耳など、体のどこかの部位の補足や拡張として考え、作り出したものだと定義したい。例えば、土は手ではよく掘れないが、スコップを使えば効率的に掘れる。杭はこぶしではよく打ち込めないが、槌を使えば容易だ。この場合、スコップは手と指の代り、槌はこぶし代わり、あるいはその拡張であると言えよう。
 道具と機械の一番の違いは動力にあると思う。道具にはそれ自体で動く力はない。例えば、スコップで掘り、槌で杭を打つ時、動力は人力だ。鍋、茶碗、ブラシ、鋸、刀等はみな道具だが、どれも他から力が与えられない限り動かない。静止したままだ。ところが機械は違う。それは多種類の部品から成り、それ自身の動力で動く総合的な道具だ。だから、例えば箒は道具だが、掃除機は機械であり、スケートボードは道具だが、自動車は機械だ。しかし、それらすべてを考え出したのは人間の頭脳であり、作りだしたのは手であった。

 考察をしばし楽しむために、それらの具体例をもう少し個別に見てみようと思う。例えば、手は体で最も使われる部分の一つだ。取る、食べる、掘る、耕す、運ぶ、掻く、さする、抱く、切る、射る、殺す等、非常に多種多様な行動は手で行う。痒い所を掻くには孫の手ぐらいの道具があれば足り、機械はいらない。食べるのには箸やフォーク、皿等の道具を使うが、やはり機械は要らない。しかし、土を掘ったり耕したりするには手に代わる鍬やスコップ等の道具を考え出したが、広大な土地には人力と道具では無理だったから、必要に駆られて耕運機やパワーシャベルなどを発明し、大規模の作業を能率的にできるよう対応した。
 赤子を抱き、病人をさするには道具は要らない。手だけで十分だ。しかし、肉を切るには刃物が要る。初めは石を使ったのだろうが、やがて人は金属製の刃物という道具を作るのに成功した。それはとても優れものだったから、人は大喜びしただろう。しかし、狩りや料理に役立つ刃物は、同時に人間同士が殺し合う武器という道具にもなった。そして、争いが部族間から国家間の戦争へと変わっていく過程で、武器も道具から機械に変わって行った。
 弓矢を考え出したとき、人は危険な獲物に接近しなくても仕留められる素晴らしい道具を手にした。だが、戦いでは矢は手裏剣よりも威力があり、弓はそれを飛ばす道具となった。初めてその新型兵器の攻撃を受けた敵はどれほど驚愕したことだろうか。やがて弓矢は銃に代わり、後に大砲に進化し、今は大陸弾道弾ミサイルで他大陸の敵国まで攻撃できるまで発達した。しかし、これは嘆かわしくも恐るべき進歩だった。

 人体は足もよく使う。長い間、人間は他の動物と同じように、足で移動していた。しかし、人はやがて道具や機械を使って足の能力を大いに拡張した。飛脚よりもっと早く移動するため馬を使い出し、氷の上はスケート、雪の上はスキーという道具を使い、やがて自転車も考え出し、ついにオートバイ、自動車、汽車、電車、飛行機、宇宙船と言う機械を発明し、原初の人が想像もし得なかった遠方まで迅速に行ける、驚異的な移動手段を獲得した。
 手と足を使って運ぶという複合的な働きを補足・拡張する道具も実現した。手では多くを持ち運べないから、人は袋、籠、箱、壺、荷車、舟などの道具を作り出し、運搬の問題を解決した。しかし、人力と道具ではとうてい無理な大量の運搬を迅速に輸送できるよう、やがて機械を発明した。それがすでに言及した自動車、電車、飛行機を含む、貨物船、客船、タンカーなどの大型船、ヘリコプターなど多種多様な輸送手段だ。

 目と耳と口の道具や機械もまた目覚ましい。人は視力を補正するために眼鏡という道具を考え出したが、遠い物体や微細な物体を見るためには望遠鏡や顕微鏡を発明し、暗闇でも見える暗視カメラ、人や事物を保存して時間差で見られるカメラやビデオも考え出し、異なる場所にいる人や事物を見ることができるテレビジョンまで作りだした。スマホやパソコンは更に進んで、海外にいる人と画面で会見することまで可能にした。他方、GPSを使ったコンピューター画面操作で、米軍は米国にいながら中東の敵をピンポイントで攻撃もできる。それは人間が元々の肉眼ではできない能力を驚異的に補足・拡張した恐ろしい例だ。
 耳と口は複合的に働くが、面白いのは口が「入りの時」、つまり食べる時は動物と同じで道具をあまり必要としないのに、「出の時」、つまり話すという発信の時は大いに道具や機械を使うことだ。そこに人間の独特さが見える。逆に耳は「入りの時」、即ち聞く時は大いに機器を使うが、「出の時」、即ち発信の時は働きがゼロだから機器も皆無だ。
 口から出す声の場合は、自然のままだと遠くまでは届かない。だから、人は声をもっと遠くまで届かせるための道具と機械を沢山考え出した。それは遠くて聞こえない声をも聞ける耳の道具や機械と表裏一体だ。生の声を拡大するにはスピーカーやマイクがあり、声の届かない遠方へ情報を伝えるには、かつては太鼓や法螺貝やトランペットなど音を出す道具を使い、目で見る狼煙や手旗と併用した。しかし、やがて声を文字に視覚化させた手紙を使い、モールス信号も考案、ついに電気と電波による電話交信、ラジオ、テレビでの通信、スマホやパソコンなどインターネットを使って交信するまでに至った。驚異的な進歩だ。 

 ところで、考えるのが面白いままに道具と機械の今昔について縷々書いたが、この考察を始めた目的はそこにはない。人工頭脳についてだ。ここまで述べた道具や機械は、すべて人間の手足や耳目等の補足・拡張だったが、それらは人間の五体、五感のほとんどで達成できた。しかし、脳だけはまだだった。ところが20世紀後半になって、初めて脳の代わりをするコンピューターが出現した。電子頭脳である。そして、脳の補足・拡張が始まったのだ。
 それは次第に多様な機器やシステムにコンピューター制御システムとして使われ出した。それはロボットに搭載されれば、工場では人間に代わって人間よりも正確かつ比較できないほど能率的に働くようになり、交通、通信、輸送、武器等にも組み込まれて行った。そして、ついに頭脳のそのものの働きをも持たされ始めた。その一例がアルファ碁の人工知能AIで、それは生身の人間頭脳の最高位にある名人たちをも凌ぐほど進歩していたのだ。 
 振り返ってみると、人類が道具を作り出した歴史は単純から多種多様へと変化し、豊富化へと進歩して行ったが、それは非常に緩い上昇カーブで長い時間をかけていた。ところが、蒸気、化石燃料、電気という動力を使った機械が出現すると、近代文明は過去200年ほどの間に急変した。そして、20世紀後半には電子頭脳が出現すると、産業、生活、運輸、情報、通信、文化、学問、軍事等、人間存在の全般に亘ってだけでなく、自然界に対しても以前とは異次元と言えるほどの驚異的な大変化をもたらした。
 人工頭脳の進歩はディープラーニングによって可能になっているそうだが、おそらくそれは今後も向上するだろう。また、車の自動運転や介護ロボット等ももう夢ではなくなっている。このように進歩が続けば、やがて電車も飛行機も自動運転化し、身近には事務員も受付嬢も販売員もみな電子頭脳ロボットが代行して、人の働く出番がなくなる事態が起こるかも知れない。そうなれば人は大いに楽ができると期待するだろうが、失業問題も起こる。

 さて、ここからは空想だが、では、もしいつか何でも自分でできる人型電子頭脳ロボットが完成したらどうだろうか?それは人間の究極作品と言えるだろう。だが、いかに進歩したとしても、それに電源を入れるのは人間だから、少なくても始動だけは人間に依存している。エネルギーの電力があり、その電源を入れるスタートボタンを押してもらわない限り、電子頭脳ロボットは動き出せない。従って、人間に従属している、と人は思いたいだろう。
 しかし、何でも自分ですることができるということは、もう作り主の人間のお世話には一切ならないという意味だから、始動も自分でできるということだろう。では、そんなことは可能だろうか?これは門外漢の単なる空想だが、電気がないと動かないという問題は、人が発電のノウハウをプログラミングしてやれば、電子頭脳が自分で発電装置を作り、自分で充電するようになって解決するかも知れない。始動させることだけは人間だと言うが、電子頭脳が自分で始動するようプログラミングしてやれば、自分で始動できるかも知れない。
 もしそういうことが可能になったら、どうだろうか?思うに、私たちはそんな人工的存在物の実現を“素晴らしい!”とばかりは言っていられなくなるだろう。むしろ怖さを感じないではいられなくなるのではなかろうか。なぜなら、そうなれば、その電子頭脳存在物はもはや人間を必要とせず、人間から完全に独立して人間と対等になり、独自の思考、選択、行動を開始し、ひょっとすると人間に敵対し始めるかも知れないからだ。
 電子工学の専門家たちがこの考察を聞いたら、何とまあ荒唐無稽なSF的空想をしていることよ、と嗤うだろう。しかし、電子科学に無知な私でも、あらゆる分野のコンピューターシステム化が今や人類に産業革命以来の大激変を起こしていることや、このコンピューター革命が人知の素晴らしい到達点であって、その成果が人類の生活、産業、文化にいかばかり役立っているかは十分認識し、同時にそこにある危険もわかっている。

 その驚異的な成果は私が縷々述べるまでもないから、ここからはデメリットだけに焦点を当てよう。そして、上述のSFまがいの空想は横に置こう。デメリットは、人間のコントロール下にある現状ですでに現れているからだ。電子頭脳が産業を飛躍的に増大化させた結果、現代の人類は自然からの収奪を加速させ、自然を破壊・疲弊させ、地球の温暖化を招き、それに伴って生物の減少や絶滅をも顕著にした。それは人が単純な道具で生きていた時代にはあり得なかった事態で、文明の機械化と電子頭脳化が原因となっている。
 人間社会では電子頭脳のお陰で、多国籍企業が国家を超越した経済的・社会的影響力を波及させるグローバル化が起こった。そして、それは貧富の差を拡大した。なぜなら今日の世界では、富や権力は電子頭脳を活用した情報、通信、生産ができる少数者に集約され、大衆は彼らに使われるだけの立場に置かれ、不平等、貧困、失業等を強いられるに至るからだ。そして、そこに不満や憎悪が生まれ、分断や対立やテロも起こる。
 例えば、この数か月間に一つの由々しいデメリットが顕在化した。トランプ米大統領のツイッターや側近が発信する多数の情報が真偽混交のまま、途方もない範囲に拡散されてきたからだ。昔はどんな情報も限られた範囲にとどまった。だが今は電子情報網で、瞬時に全世界の無数の人々に伝わり得る。では、その最大の悪は何かというと、その発信の安易さ、伝播の迅速さ、数量の膨大さゆえに、むしろある情報が真実かどうか確認し難くし、真実と虚偽をわからなくしていることにある。つまり、多く知っても、全部嘘かも知れないのだ。 
 しかし、最も恐ろしいのは人間の傲りかも知れない。人間は電子頭脳を組み込んだ機器や武器や宇宙衛星の成功によって、自分たち人間を超卓越した存在だと思い込みがちだ。そして、「神は人間を万物の霊長として創造し、地上の動物も植物もすべて治めよと言って人間に与えた。だからそれらはすべて人間のためにある」という創造説話の間違った理解がその傲りに輪をかけている。その結果、人は地球の自然と生き物に対して暴君的に振る舞ってきたが、そんな考えを続ければ、やがてそれは人間自身の滅亡を招きかねないからだ。

 では、それにはどんな答えがあるのだろうか?私はフランシスコ教皇が一昨年出した回勅「ラウダウト・シ」を挙げる。それは上記の問題を概観し、人類は今それをどう理解し、何をなすべきかを提案しているからだ。このタイトルはイタリア語で、“ラウダウト・シ、ミ・シニョーレ”(わたしの主よ、あなたは称えられますように)と歌ったアシジの聖フランシスコの讃歌から取られた。カトリック中央協議会版訳本にはあまり一般化されていないパラダイムという用語が頻繁に出てやや違和感があるが、内容そのものは画期的だ。
 かつて私はカナダの大神学校で、卒論にSalut Cosmique (宇宙的救い)というテーマを選ぼうとしたことがあった。当時の欧米キリスト教社会では、救いは人類だけのものであり、他の宇宙万物は人間のために創られたものだが、救いには関係がない。神は人間に空の鳥、海の魚、地上の動物を支配せよと言われたのだから、それらは人間に役立つために存在し、永遠の命に招かれてはおらず、救いからは除外されている、という思想が支配的だった。
 私はそれに反発を覚え、いや、聖パウロはローマの教会への手紙8.19-21で「被造物は、神の子たちの現れるのを切に望んでいます。…被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、私たちは知っています」と書いているではないかと、当時一般的だった思想に異を唱え、この箇所を根拠に論文を書こうとした。
 しかし結局、ウルス・フォン・バルタザルの著書以外に目ぼしい文献がなかったため、断念せざるを得なかった思い出がある。だから、回勅ラウダウト・シが出た時、これこそ待っていた教えの明快化だと喜んだ。なぜなら、それは地球が上げている叫びに耳を傾け、人類共通の住み家である地球を保全し、文明が持続可能でインテグラルな発展ができるよう、「環境的回心」を呼びかけている回勅だからだ。74-75頁にはこう書いてある。
 「人間以外の生き物たちを、人間の恣意的な支配に服する単なる客体とみなすのもまた間違いです。自然を利潤や収益を生む元金としかみなさないなら、それは社会にゆゆしき結果をもたらします。『力は正義也』というものの見方が、途方もない不平等や不正義、そして人類の大多数に対する暴力を生みます。資源は一番乗りした者や権力者に握られることになるからです。つまり、勝者がすべてを取るのです。イエスによって提示された調和、正義、友愛、平和といった理想は、こうしたモデルとまったく相容れません。」

 この回勅は、まず今起こっている地球規模の汚染、廃棄物、気候変動等による環境の悪化を的確に分析した後、生物多様性の喪失、社会の崩壊、地球規模の不平等、人々の反応の鈍さ等を指摘し、「教会は何よりも自己破壊から人類を守らねばなりません」(p.73)という責任感から、問題の解決を提案している。つまり、使い捨て文化という消費主義からの脱却、個人主義の克服、限りなき進歩という思想の訂正、規制のない市場主義や利益追求の競争主義からの決別、環境教育等のメッセージだ。 
 ところで、この回勅は文明の進歩をこう評価している。電子頭脳の問題と関わる箇所だ。
 「人類は、技術躍進が重大な決断を迫る岐路に立たされる新時代に入りました。わたしたちは、この二世紀の間、蒸気機関、鉄道、電信、電気、自動車、航空機、化学工業、近代医学、インフォメーション・テクノロジー、ここ最近では、デジタル革命、ロボット工学、バイオテクノロジー、そしてナノテクノロジーといった、大変革の波から恩恵を受けてきました。『テクノロジーは、わたしたちにすばらしい可能性を与える、神が授けたもうた人類の創造性の驚異の産物』ですから、こうした進歩を喜び、わたしたちの前に広がる無限の可能性に興奮するのは正当なことです。有用な目的のための自然改変は、人類家族をその原初から特徴づけるものでした。…テクノロジーは、人間を傷つけたり制限したりするのが常であった、数え切れない害悪を取り除いてくれました。」(93-96頁)
 「しかしまた、核エネルギー、バイオテクノロジー、I.T.、人間のDNAに関する知識、また、獲得してきた多くの能力によって、わたしたちは絶大な権力を手にしてきたということもわきまえておかなければなりません。より正確に言うと、これらが、知識を持った人々、なかでもそれらを利用する経済力のある人々に、人類全体と全世界に及ぶ強大な支配権を与えて来たのです。…少数の人々がそうした権力を握ることになれば、きわめて危険です。権力を狂った方向に用いる可能性が、不断に増大しているのです。」
これらの評価と懸念は私が考察したことと重なる。だから私はこの回勅のメッセージに答えを見るのだ。

 さて、私はこの考察を聖書の天地創造説話との関わりで終わろうと思う。創世記は第1章で、「神はご自分に似せて人間を創造された」と記しているが、人間もまた自分に似せて電子頭脳を作り出したのだ。それは神の人間創造と類似している。神が人の創造主なら、人は電子頭脳の作り主に他ならない。
 ところで、神は人に「園にある木の実はどれを食べてもいいが、園の中央にある木の実だけは食べても、触れてもいけない」と、一つだけ禁止を設けた。では、人間も人工頭脳にこれだけはしてはならないという禁止を設けるべきであろうか?私はそれを否定しない。しかし、禁止は電子頭脳にではなく、むしろ人間にすべきだと考える。人類への危害とか、人間への不服従とかを電子頭脳にプログラミングすることの禁止だ。なぜなら、真に恐るべきは電子頭脳ではなく、それに悪をすることをプログラミングする人間の方だからだ。
 ラウダート・シは人類を破滅から守ろうと勇気ある声を上げた。それは私の願いでもある。しかし、人間には必ず非倫理的な者がいる。時には悪魔的だ。彼らは倫理規範的な禁止をしても無視するに違いない。従って、そのような禁止をしても実効性はないかも知れない。核爆弾が一度できてしまったら、放棄が不可能になったように、一度できてしまったら、電子頭脳による害悪も除去がほぼ不可能になると危惧する。それでもしてはならないことの禁止はあるべきだろう。

 神の人間創造と人の電子頭脳創作の間には類似性があると指摘したが、そこには逆に絶対的な違いもある。最後はそれに注目しよう。その違いとは、神の創造は絶対無からの創造だったが、人の創作は無からではなく、有からであることだ。人は神が創造してくれた既存物を加工するに過ぎない。厳密にいえば、人はもう天地創造の当初から存在していた法則や物体を発見し、法則に則って物体に手を加え、新しい存在を出現させる。それが発明なのだ。 
 ボーイスカウトでは宝探しというゲームをする。宝物はリーダーが前もってあちこちに置いて置く。すると、子供たちはそれを探して見つける。しかし、宝物は子供たちが見つけた瞬間に存在したのではない。大人が置いた瞬間から存在している。発見や発明もそれに似ていて、神が天地創造の原初に既に隠して置いてくれた法則や仕組みを見つけ出すことに他ならないのだ。人間にとっては発見だが、神の前には法則も電子頭脳やDNAのような物も、人間が出現する遥か前の天地創造の最初からもう潜在的に存在していたのであって、人間は今頃それを発見し、それを使って何かを作り出すに過ぎない。それに気付くと、人はもう少し謙虚になれるのではなかろうか。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」創始者
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

佐藤正明(余生風)ホームページ
「絵画と心」

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