聖パウロの証言

 今日、年間第5主日の第二朗読には、コリントの信徒への第一の手紙15;1-11が読まれた。この個所はキリスト教信仰の根幹について語っている。それは当時のコリントの信者たちにとって、どうしても欠かせない励ましであり証言でもあったのだろう。それを読むと、彼ら以上にそれを必要とする現代の私たちは、信じた福音が間違いないものだとの確信を新たにし、感銘を受ける。

 聖パウロは書いた。「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」と。彼がコリントに初めて主イエス・キリスト様の福音をもたらし、そこに信仰の共同体をつくったのは西暦50-52年頃だった。そして、この手紙を書いたのは西暦57年頃だと言われる。そうだとすれば、彼が去ってから5年ほどしか経っていなかったことになる。それなのに、「もう一度知らせます」と、わざわざ書かなければならなかったということは、信徒たちの間にもう信仰のぐらつきが起こっていたからだった。
 そんなにも早くそうなったことに、私はいささかの驚きを覚える。しかし、同時に人とはそんなものだとも思う。弱いからだ。ましてや私たちはそれから2000年も経った21世紀に、キリスト教発祥の地からはるかに離れた、文化も歴史もまるで異質な日本に生きている。それを思えば、私たちに福音に対する疑問が起きたり、信仰がぐらついたりしても、それほど驚くには当たらない。むしろ当然だ。しかし、だからこそ、聖パウロが断言してくれる証言は心強いのだ。それは私たちの疑念を晴らし、ぐらつきかかる信仰を持ち直させてくれるからだ。 

 では、聖パウロは何を証言しているのかと言うと、彼はこう書いている。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、・・・キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと」だと。これが彼の証言の要点だ。そして、それはまさに私たちが主日ごとに唱える信仰宣言の根幹的部分と重なる。言い換えれば、それは信仰宣言が初代教会における信仰と変っていない、ということを意味する。これはすごいことだ。
 信仰宣言には、「わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。…主は、わたしたち人類のためわたしたちの救いのために天からくだり、聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、…」とある。そして、その後に主の再臨、聖霊、教会、体の復活、永遠の生命などの信仰箇条が続く。
 その各部分を見ると、「唯一の神、天と地、見えるもの、見えないものの造り主」を信じる部分は、キリスト教独自の信仰ではなく、ユダヤ教やイスラム教徒と変わらない。しかし、全能の父、唯一の主イエス・キリストを信じるのはキリスト教だけの信仰となる。そして、「主は、…わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活した」ことを信じるのは、まさに信仰箇条の根幹だ。この部分がなければキリスト教ではなく、それを前提としなければ、主の再臨、聖霊、教会、永遠の生命などのことは皆、意味を失う。聖パウロがコリントの信者たちに語り、念を押したのは、それが信仰の根幹だったからなのだ。だから、彼は断言した。「あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」(一コリ15;2)と。

 彼が特に重視したのはイエス様の復活だった。だから、手紙の15;12ではこう書いて叱責した。「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたのある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか」と。そう言いふらす信者がいたからだ。そして、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。…キリストが復活しなかったのなら、…わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」とも書いたのだ。
 彼は主の復活が真実だったことを確信させるため、復活の主に出会った証人を数多く列挙している。まずケファと呼ばれた使徒の頭ペトロだが、それはルカの福音書24;34に該当する事実だと思われる。他の10使徒への出現は全福音書が伝えている。500人以上の兄弟に同時に現れたというのは、福音書にも使徒言行録にも言及はないが、考えられるのはご昇天(徒1;6-11)の時だろう。「次いでヤコブに現れ」という記述も福音書や使徒言行録には該当記録がない。しかし、その出現はあったのかも知れない。その半面、聖パウロはマグダラのマリアや他の婦人たち、そしてエマオへの弟子たちへの出現には触れていない。 
 興味深いのは500人以上の兄弟たちに現れたことで、「そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています」と書いている点だ。彼がこの手紙を書いた時は、主がご昇天されてからすでに約25年が経っていた。従って、その時20歳前後だった者は45歳前後になっていただろう。でも、確かにまだ大勢が存命中だったことは容易に推察できる。大勢の目撃証人が存命中なら、作り事や嘘はまかり通らない。それは証言の信憑性を裏付ける一根拠になる。要するに、重要なことは多くの証人がいるということだった。

 でも、一つの疑問が湧く。聖パウロは、「あなたがたはこの福音によって救われます」と言ったが、では、それを信じたら、それだけで人は救われるのだろうか?私の自答は、その通り、確かにこの福音を信じなければ救われない。しかし、それを信じただけでは救われない、ということだ。根拠は、聖パウロ自身が「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ無に等しい」(一コリ13;2)と教えてくれたことにある。人は信仰がなければ救われないが、信仰だけでも救われない。愛がなければならないのだ。ちなみに、信じるだけで救われると主張したルターの致命的誤りはそこにあった。
 私は福音における信仰の真髄は教義にはなく、「愛を信じ、愛を行なうこと」にあると確信している。信じることの究極は愛を信じることであり、愛を生きることが福音の真髄なのだ、と。この確信は、イエス様自らが最も重要なことは神様と隣人への愛だ(マルコ12;28-34、マタイ22;34-40、ルカ10;25-28と教えてくださり、人が裁きの時に問われるのは愛だ(マタイ25;31-46)と明かしてくださったからだ。信仰があるだけではだめだということは忘れてはならないと思う。

 では、信仰は救いのためにどんな役割を果たすのだろうか?ここは理屈で説明するよりも喩えで言うと、信仰と愛を人体に喩えるならば、愛は心に当たり、信仰は体に相当すると言えのではなかろうか。そして、信仰箇条とは体の主要部分に当たると思う。心がなく、体だけなら人とは言えないが、心だけあって、体がない人間もありえない。身体がなければ、心は存在する場所がないからだ。両方があってこそ人は人でありうる。愛と信仰の関係もそれに似ている。愛は信仰を生かし、信仰は愛に居場所を与え、それを支える。
 身体の中にはいろいろな部分がある。爪や毛髪のように切って捨てていい物もあれば、頭、胴体、目口耳鼻、手足、血管など、必要不可欠な部分もある。信仰宣言の内容は信仰箇条と言われ、身体で言えばさしずめその必要不可欠な部分に当たる。聖パウロが言った「キリストがわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと」は、まさにその必要不可欠な信仰箇条のエッセンスなのだ。
 何よりも大切なのは神と隣人への愛で、それがない信仰は無に等しい。これは確かだ。しかし、信仰がないと神と隣人への愛を学べない。それは、信じない神をどうして愛せるだろうかと問えば、誰にもわかることだ。神と人を真に愛するには福音的信仰が不可欠なのだ。その愛は福音を受け入れた信仰の中で育つ。その信仰は愛を支え育み、逆に愛は信仰を生かす。だから、聖パウロはコリントの信徒たちに、そのことをこんこんと教えたのだ。そのおかげで、現代に生きる私たちはその恩恵にあずかることができる。彼の手紙は理屈っぽいからさほど感動的とは言えないが、私たちにまちがいなく強固な確信を与えてくれる。実にありがたい。彼に感謝しよう。
 ただ、残念なことが一つある。彼は「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です」と言いながら、「わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました」と書いた。こんな誇り方をするパウロは好きではない。この後半は書かない方がよかった。使徒も人間だった。不完全なところがあったのだなと思う。
 

聖なるものへの感性

 
人間をとる漁師
人間をとる漁師 

 「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せてきた。イエスは二そうの舟が岸にあるのをご覧になった。漁師たちは舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。」 

 これは年間第5主日の福音、ルカ5;1-12の前半だ。今回は小さなものも含め、湧いてくる自問にできるだけ逐一自答していくやり方で、この個所を理解してみようと思う。
 まず、この出来事はいつどこであったことなのだろうか?何月何日かはわからないが、まだガリラヤでの福音宣教の初期だったことは確かだ。時間は網を洗っていたシモンが「夜通し苦労した」と言っているところを見ると、どうやら早朝だったようだ。
 他方、場所がゲネサレト湖畔だったことはわかっている。だが、それはどこの湖畔だったのだろうか?ゲネサレト湖とはガリラヤ湖の別名で、現地ではギノサル湖と発音されている。かつて、その名のついたキブツ・ギノサルの水泳場で泳いだことがあるが、そこは浜辺と言った方がいい水辺で、岩場ではない。泳げる範囲内はそんなに深くはなかった。ところで、シモンとはペトロのことだが、彼はベトサイダの人だ。だから、イエス様がおられた場所はおそらく湖の北西部にあるベトサイダだったと思う。そこの湖畔もギノサルと同じように小石混じりの砂浜だ。

 群衆はそこにイエス様がおられることを知り、神の言葉を聞こうと押しかけてきた。でも、どうしてそんな早朝に、主がそこにおられることを知ることができたのだろうか?その答えは「群衆はイエスを捜し回って…」(ルカ4;42)という一句にあると思う。これはこの湖畔に来る前の叙述だが、どこでも同じような現象が起こっていた。群衆はイエス様から離れまいとし、見失えば捜し回り、見つければついて回っていたのだ。従って、たとえどんな早朝でも主の動静を見過ごすことはなく、誰かが気付いて後を追えば、皆もすぐ続いた。だから、そこに押しかけることができたのだ。
 それにしても、群衆がそんなに朝早くからイエス様の言葉を聞こうとして出て来たとは、たとえ病気の治癒やこの世的なご利益目当ての動機があったとしても、やはり感心させられることだ。彼らの多くはきっと神の言葉にそれほど飢えていたのだろう。それを思うと、私たちはどうだろうかと反省しなければならないような気がする。教会に行く信者たちは彼らほど神の言葉に飢えているだろうか?豊になり過ぎて、神様や福音などなくても生きられると、無意識に思っていないだろうか?

 舟は二そうあった。一そうはペトロの持ち舟だったが、もう一そうは誰の舟だったのだろうか?もっと後の9節を読むと、それはヤコブとヨハネ兄弟のものだったことがわかる。この2人も漁師で、マルコ1;16-20とマタイ4;18-22によれば、シモン・ペトロとほぼ同じ場所でイエス様に「ついて来なさい」と呼ばれたのだった。ただ、ルカは舟から上がって網を洗っていたと書いているが、マタイとマルコは彼らが漁の最中だっとしている。どうでもいいことだが、わずかに時間のずれがある。
 では、なぜイエス様はシモンに、舟を湖上に出すようお頼みになったのだろうか?仏語訳は“Or, un jour que, pressé par la foule qui écoutait la parole de Dieu, il se tenait sur les bords du lac de Gennésareth.”(さて、ある日、神の言葉を聞いていた群衆に押し迫られて、彼(イエス)はゲネサレト湖の水際に立っていた)としている。この訳だと、なるほど、群衆がそんな身近まで押し寄せていたのか。背後は水際でもうそれ以上下がれなかったのだなと、イエス様の立ち位置がよく想像できる。そして、だから舟に乗り、少し岸から離すようにと頼まれたんだと納得できる。
 ちょっと気になる点があった。新共同訳では湖畔に群衆が押し寄せてきたから、イエス様は舟に乗り、そこから「教え始められた」と訳されているが、仏語訳では群衆は浜辺ですでに神の言葉を聞いていたことになっている。だから、主は舟に乗って教え始められたのではなく、教え続けられたと訳されている。どちらが正しい訳なのか?調べたところ、ギリシャ語原典はじめ他のほとんどの訳も「教えられた」と書いてあるだけだ。「教え始められた」とは書いてない。それらから判断すると、これは新共同訳の勇み足的な誤訳のように思われる。
 もうひとつ。新共同訳のこの箇所には、「漁師を弟子にする」というコメントがある。これを読む人は、主とペトロがこの時初めて出会ったのだと受け取るかも知れない。事実、カトリック新聞の日曜説教「キリストの光り、光りのキリスト」の担当神父様もそのような解釈をされている。しかし、揚げ足をとるようで気が引けるが、実際はそうではなかった。2人はもう以前に出会っていたのだ。これも些細なことだが、勘違いしてはいけないから証明しよう。
 ヨハネの福音書を信じれば、最初の出会いは主がヨルダン川で洗礼を受けられた直後だった。その時は弟のアンデレがシモンを主の所に連れて行き、主から「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ−『岩』という意味−と呼ぶことにする」(ヨハネ1;42)と言われている。次は主がガリラヤに帰られた後シモンの家を訪れ、しゅうとめの病を治された時(ルカ4;38)だ。少なくとももう2回以上は会っていた。このように、すでに知り合った間柄だったからこそ、主はシモン・ペトロの舟に乗り込み、湖上に出してくれと頼めたのだ。

 さて、舟が湖上に出ると、イエス様は腰を下ろして舟から群衆に教え続けられた。それができたということは、この朝のゲネサレト湖は凪だったと推察できる。そんな浜辺の澄んだ空気の中に、きっと主の声は凛と響き渡ったことであろう。福音書の中で、湖上からの説教はここしかない。ではこの時、主はいったいどんな話しをなさったのだろうか?残念ながらそれはわからない。しかし、想像をたくましくして推察するならば、「平地での説教」(ルカ6;20-49)のような内容や天国のたとえ(マタイ13;44-50)のような話ではなかっただろうか。特にこの後者には、網と湖、良い魚と悪い魚のたとえがあるからだ。
 話し終わると、主はシモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。この言葉にシモンは「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。これは「先生、お言葉ですが、私たちはプロの漁師です。いつどこの穴場にどう網を降ろしたら魚が獲れるかぐらい知り尽くしています。そんな私たちが夜通し苦労しても何一つ獲れなかったんですよ。そこへいくと、先生は素人じゃありませんか。でも、いいです。せっかく先生がおっしゃるのですから、網を降ろしてみましょう」という意味合いだった。
 ところで、好奇心からの自問だが、ペトロたちはどんな網を使っていたのだろうか?定置網、底引き網、まき網、地引網、刺網、投網、すくい網? この時代の舟がたった一そうで、湖のあまり深くない場所で試みた漁だったことを考えると、消去法で割り出せるのは刺網の一種か投網しかないと思うのだが、どうだろうか。いずれにせよ、ペトロがほとんど期待しないまま降ろした網に、何と予想もしなかったことが起こっていたのだった。福音書はそれをこう続ける。

 「そして、漁師たちがその通りにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。」

 「漁師たちが」とあるから、舟にはイエス様とペトロ以外にもう1人以上の漁師がいたことがわかる。ここまでも、ペトロは「わたしたちは、夜通し苦労し」などと、一人称複数で話している。漁師は舟の上に複数いたのだ。では、それは誰だったのだろうか?間違いなく弟のアンドレだっただろう。ところで、彼はここでどうでもよい存在だったのではない。なぜなら、舟が少し沖に出れば、もう声は群衆には届かないのに、もし舟にいたのがイエス様とシモンだけだったならば、舟の上であった主とペトロの会話を証言できた第三者が誰もいなかったことになるからだ。しかしアンドレがいた。そのおかげで、他の弟子たちはペトロの証言も信用できたのだと思う。
 舟では驚くべきことが起こった。網にはペトロも仰天するほどの魚がかかっていたのだ。そこで、もう一そうの舟の仲間に手助けを求めた。二そうの舟は魚がいっぱい過ぎて、沈みそうになったとある。この描写は実にリアルだ。でも、どうしてそれほどたくさんの魚が捕れたのだろうか?それは主が奇跡を行なわれたからじゃないか、と言われればそれまでだが、どのようにしてその奇跡がなされたのだろうか、と興味を持つことは許されるだろう。
 イエス様には魚群の居場所がわかったからだろうか?「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われたから、そうだったのかも知れない。しかし、私が以前子どもたちのためにした説明も面白いのではないかなと思う。それは魚たちの立場から感じ取ったこの奇跡の理解だ。私はガリラヤ湖の魚たちにこんなふうに語らせてみた。
 「あの日、先祖たちは不思議な力でそこにたくさん集められたんだ。『かわいそう』なんて言わないでくれよな。主も救いのために亡くなられた。僕らだって鳥に食われたり病気で死んだりするより、主のお役に立って死ぬ方がずっと幸せなんだ。この大漁のおかげでペトロは人間をとる漁師になったし、網の中の仲間たちは神の国に入る人々のシンボルになれた。これはぼくら魚の誇りさ!魚冥利に尽きるよ。」と。つまり魚たちが自分たちの方から、ペトロの舟にどんどん集まって来たという見方だ。
 ガリラヤ湖近辺のレストランに行くと、この奇跡に由来する「ペトロの魚」の料理がある。ティラピア(カワスズメ科)の一種だと言われるが、食べるとおいしい。それはタプハの教会ではパンと魚のモザイクで描かれ、シェンキィエヴィッチの小説「クオバディス」では、ローマ時代の迫害下で、キリスト教徒がお互い同志を確かめ合う暗号に使われている。魚はギリシャ語でΙΧΘΥΣ(イクトゥス)だが、それはIesous CHristos THeou Uios Soter (イエス・キリストは神の子、救い主)の頭文字が魚という字になるからだった。大漁の奇跡には、魚が福音と結びつく豊かな象徴的要素がある。

 福音書は続いて伝える。「これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深いものなのです』と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。』そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」

 ここで非常に興味深いのはシモンの言動だ。想像するに、信じがたい大漁を見た瞬間、彼の全身を電撃のような何かが走り、「この方はやはりただ者ではない!」と彼は直感したに違いない。それなのに、それまで平気で主の側にいた自分に気づいた時、彼は驚愕と畏怖に身震いしたのだと思う。そして、とっさに平伏して口走った。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深いものなのです」と。私はここに、彼の聖なるものに対するずば抜けた感性があると見る。そして、それこそがこの個所で最も学ぶに価する事柄だと思う。
 聖書の神は「聖なる(カドーシュ)」方と言われ、信仰の優れた先人たちはそれへの鋭敏な感性で共通していた。モーセもそうだった。彼はホレブの山麓で燃えつきない柴を見た時、「履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だからだ」(出3;5)と言う声を聞いて、地面にひれ伏し顔を覆った。この主日の第一朗読イザヤ6;1-8もそうだ。イザヤは天使たちが「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」と歌うのを聞いて、「災いだ。…わたしは汚れた唇の者」とおののいた。
 神の無限の聖性と自分の罪深さを鋭く感知するセンスは、宗教的に優れた人の特徴だが、ペトロもそれを持っていた一人だった。仲間がまだ大漁の魚に気を取られていた時、彼はいち早くイエス様に目を転じた。それは彼が聖に対する感度のいいアンテナを持っていた証拠だ。彼はイスラエル民族の宗教的伝統から、最も良質な部分を受け継いでいたのだ。それを知ると、イエス様がなぜ彼を見込んで使徒の頭になさったかがわかる。それは私たちにも言える。聖なるものへの感性が鈍ければ、神の招きがあっても、それを受信することは難しい。

 ここでまた疑問が湧く。「シモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった」とあるが、「同様だった」とは、彼らもひれ伏してペトロと同じことを言ったのだろうか?という疑問だ。私にはどうもそうは思えない。大漁には驚嘆したが、彼らはペトロと同じような言動はしなかったと私は解釈する。その証拠はその後に言われたイエス様のお言葉だ。もし他の3人もペトロのようにひれ伏して言っていたのなら、主は4人に「恐れることはない」と言われたはずだ。しかし、原典ではMeh fobou(恐れるな)と2人称単数命令形で書かれている。つまり、シモンに対してだけ言われたことが明らかだからだ。
 イエス様の「恐れることはない」というお言葉は、マリア様もお告げの時、天使から言われた言葉だ。それは聖なるものを畏れることは正しい心がけだが、尻込みするのではなく、聖なるものにはむしろ近づき、自分の使命を果たそうと思いなさい。それこそが真に主を畏れることなのだと暗に教えて心を安堵させ、これから言われる言葉を前向きに受け止めさせるためだったのだ。

 だから、その後で主は言われた。「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と。それはペトロの人生を変えただけでなく、その後の世界史にも大きく影響した、最短だが最重要な言葉だった。では、それを聞いたとき、ペトロはすぐその意味がわかったのだろうか?ある程度漠然とはわかっただろう。なぜなら、イエス様は漁師にピンと来る比喩的言葉で、「人間をとる漁師」と言われたからだ。しかし、言われた瞬間はよくはわからなかったし、実感は皆無だっただろうと想像する。
 だが、主と行動を共にするうちに、理解はだんだん進んで行ったに違いない。そして、ガリラヤでの福音宣教の中盤に、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイ16;18)と言われた後は、さらに意識するようになったのではなかろうか。最後の晩餐の時は、主から「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを助けてやりなさい」(ルカ22;32)と言われた。その時はむきになって忠誠を誓い、空回りしていたはいたものの、彼の自覚は更に強まっていたと思う。
 しかし、「あなたは人間をとる漁師になる」と言われた主の予言を、彼がこれ以上ないほど劇的に実感したのは、おそらく聖霊降臨の日ではなかっただろうか。その日、激しい風のような音が聞こえ、使徒たちの上に聖霊が降った。ペトロはその音に驚いて集まった群衆に向かって立ち上がり、霊と力に満ち満ちた説教をした。心を打たれた人々は「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねた。
 すると彼は「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい」と勧めた。その言葉を受け入れた人々は、その日三千人もが洗礼を受けた。魚たちが不思議な力でペトロの舟に集まってきたように、人々は聖霊の不思議な力で、発足初日の教会に集まってきたのだった。これは彼が「人間をとる漁師」になって体験した、最初の大漁だった。おそらくその日、彼は主が言われたお言葉を初めて十二分にわかったに違いない。あの大漁の魚はやがて世界中に増えていく信者たちの、そして網は教会の象徴であったことを。

エレミヤ書の錯綜チェック

 もう過ぎたことだが、年間第4主日の第一朗読はエレミヤの預言1;4-5,17-19だった。それが読まれたのは、エレミヤの出生について、「母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」と語る主なる神の言葉が、ナザレトの会堂で宣言されたイエス・キリスト様ご自身の使命と重なっているからに違いない。しかし、その他の点にはそれほど関心がなかったので、ミサ中の朗読では漠然と聞いていた。
 だが後になって、ふと、そうだ、エレミヤ書はヘブライ語原典とギリシャ語70人訳との間に編集上の大きな違いがあったな、と思い出した。そして、それに興味を覚えた。それというのも、まともな聖書学者ならだれでも知っていることなのに、私は怠けて、この問題はアバウトな知識のままにほったらかしにしていたからだ。そこで帰宅後、原典と70人訳間の錯綜している章節について、この際しっかりチェックし直して、確かな知識を持っておこうと思い立ち、調べてみた。

 この問題は章節の順序が不一致だということにある。以前、そのことをうっかり忘れて、エレミヤの言葉の引用をギリシャ語で確かめようとしたら、該当するはずの章節に全然違うことが書いてあって、あれっ、どうしてだ?と面食らったことがある。あ、そうか、問題のエレミヤ書だったんだ、と思い出したから、確かめるべき個所は見つけることができたものの、もしそれを知っていなかったら、見つけられなかっただろう。喩えてみればそれは、いるはずだと思ってある人を尋ねたら、その家にいたのは別人だったみたいな話しに似ている。
 だから、見直しは無駄ではないと考えて、確かめてみたのだが、まず手元にある70人訳以外の各国語訳(ラテン語、日本語、仏語、英語、スペイン語、独語)を比較してみた。その結果、すべてがヘブライ語を基準にしていることが再確認できた。ということは、章節の不一致はヘブライ語原典とギリシャ語70人訳の間だけの問題であることがはっきりした。最重要な訳の一つ、ラテン語ブルガタ訳も基本的にはヘブライ語原典を基準にしている。
 ラテン語訳の偉業を成し遂げた聖ヒエロニムスは、この問題できっと悩んだのではなかろうか。なぜなら、70人訳はギリシャ語訳だと言っても、初代キリスト教会にとってはヘブライ語原典以上に愛用され、権威ある聖書と見なされていたからだ。現代語訳とは重みが全然違う。しかし、彼はこの問題に関しては70人訳ではなく、ヘブライ語原典を基準にすることを選択したのだった。それは彼に原典尊重の信念と深い見識があったからだろう。

 そういうわけで、章節の順不同が問題になるのは、ヘブライ語原典と70人訳の間だけだ。しかし、1章から25章13aまでは合致していて特段の問題はない。エレミヤ書全体が52章で終わることにも相違はない。問題の不一致が現れるのは25章13節b以降なのだ。では、それらの章節ではどこがどう合致しないのだろうか?それがここでの問題だ。
 そこで、それを一目でわかるように、ヘブライ語原典とギリシャ語70人訳の章節を並べて、比較照合してみる。後でも言及するが、実はヘブライ語原典の順序がすべて正しいかと言うと、必ずしもそうとは言えないのだ。しかし、ほとんどの訳が原典の順序を尊重している事実を重く見て、比較の基準はヘブライ語原典に置いた。その上で、それに対して70人訳の章節がどう対応しているかを照合してみると、次のようになる。

ヘブライ語原典  ギリシャ語70人訳
章:節       章:節         題材
1−25:13a    1:1−25:13a
25:13b−38   32:13b−18    杯の幻
26         33           エレミヤの説教
27         34           くびきの預言
28         35           預言者ハナンヤとの対決
29         36           琉謫者への手紙その他のテーマ
30:1−31:22 37:1−38:22   北イスラエルの回復の約束     
31:23−40   38:23−40     ユダの回復の約束その他のテーマ          
32         39           土地の購入はユダの未来の担保   
33         40           もう一つの復興の約束          
34         41           セデキヤの末路              
35         42           レカビット族の例
36         43           預言の巻物
37         44           エレミヤの逮捕その他のテーマ
38         45:1−28      水溜の中のエレミヤ
39         45:28−46:18  エルサレムの陥落
40:1−6     47:1−6       エレミヤの運命
40:7−41:18  47:7−48:18   総督ゴドリアスの暗殺
42:1−22    49:1−22      エジプトへの逃避
43:1−7     50:1−7       続き
43:8−13    50:8−14      ナブコドノソルのエジプト侵攻予言
44         51:1−30      エレミヤの最後の仕事
45         51:31−35     バルクへの慰めの言葉
46         26           エジプトに対する託宣
47         29:1−7       フィリスチンに対する託宣
48         31           モアブに対する託宣
49:1−6     30:17−21     アンモンに対する託宣
49:7−22    30:1−16      エドムに対する託宣
49:23−27   30:29−33     シリアの町々に対する託宣
49:28−33   30:23−28     アラブの部族に対する託宣
49:34−39   25:14−20     エラムに対する託宣
50         27           バビロンに対する託宣その他
51         28           バビロンに対する神の怒り
52         52           エルサレムの崩壊

 この対比を見ると、その錯綜の甚だしさに今更ながら驚かされる。それが特に顕著なのは40−43章と49章だ。42,43章は個所が前後し、乱雑を極めきわめている。全体的には、ヘブライ語原典を基準にしたからギリシャ語訳の方が前後に乱れている感じを与えるが、実際はそうではない。ギリシャ語訳を基準に照合すれば、その章節のオーダーはすっきりと整うから、乱れはむしろヘブライ語原典のせいだと言えなくもない。
 その好例が42章と43章にある。ここにはヘブライ語原典と70人訳間の章節の相違だけではなく、原典の章節順序に従う諸翻訳聖書間に42章と43章の文脈についての見解の相違もあるからだ。ヘブライ語原典の42:1−22、43:1−7は70人訳の49:1−22、50:1−7に相当する。ところが、それとは別な問題として、いくつかの現代言語訳(仏語、独語、バルバロ訳等)は順序を42:1−18、43:1−3、42:19−22、43:1−7に直している。つまり、42章の間に43章の一部が入り込んだ順序になっている問題があるのだ。
 なぜこんな順序にしたかと推察するに、そうする方がより説得力のある文脈になるからだと思われる。つまり、それは原典が何らかの原因(例えば、羊皮紙の資料が前後に入れ替わったとか)で、間違って編纂され、そのままになってしまった。そのためにやや意味が通りにくくなっていたと想定しての修正だ。つまり、文脈を元々あったと思われるものに復元した。その結果、42:1−18、43:1−3、42:19−22、43:1−7という順序にしたのだ。日本語では新共同訳が原典の順序のままだから、バルバロ訳と比べると、その相違がはっきりとわかる。

 前3世紀にアレキサンドリアにいたユダヤ人達は、もうほとんどがヘブライを話せなくなっていた。そこで、彼らの共同体は聖書のギリシャ語翻訳を思い立った。しかしその時、エレミヤ書原典の内容が錯綜していることに気付いた。彼らはそれをどうしようかと考えた末、おそらくこの方が本当は正しいのではないかと思われた順序に、章節を並べ直したのだと推察される。ざっと言えば、彼らは原典46−51章にある諸民族に対する託宣を25章13節の後にそっくり移動させた。それは大胆な入れ替えだったが、彼らなりの試みだった。時間的推移やいくつかの観点から見れば、あるいはこの方が妥当なのかも知れない。 
 他方、聖ヒエロニムスはヘブライ語を基準にラテン語訳を試みた。旧約聖書全体を考える時、やはり原典こそ尊重されなければならないからだが、原典を基準にする以上、エレミヤ書だけをギリシャ語訳に沿って訳すわけにはいかなかったから、これもヘブライ語原典の章節を基準にすることにしたのだろうと推察する。そして、おそらくその影響で、それ以後の諸国語への翻訳も原典を基準にしたのだろう。その結果、エレミヤ書における章節の大きな不一致はギリシャ語70人訳だけにとどまったのではないかと思われる。
 いずれにせよ、このような比較照合がたったの2日ぐらいでできるわけがない。それを成し遂げるには、長い時間と忍耐強い探究が要求されるからだ。エレミヤ書は52章もあるが、少なくともそれをヘブライ語とギリシャ語で2回以上は読まないと、どこに何が書いてあるかさえわからないだろう。私にはそんなことをする能力も時間もないからとても無理だった。だからLa Bible de Jerusalemにあった研究成果をぱくらせてもらった。つまり、楽をして、いいとこ取りをさせてもらったわけだ。それにしても、誰がこんな成果を出してくれたのかは知らないが、こうした学問の先人には大いに感謝!
 さて、こんな考察はウエッブログにはなじまないかも知れないが、これもまたわが日々のしるし、主日の聖書を学んだ証しだから掲載しておくことにする。またまた楽しい自学だった。

そのとき何を話されたか

 年間第4主日の福音ルカ4;22-30は、イエス様がナザレトの会堂でイザヤの書61章1-2節を読み終え、「この聖書の言葉は、今日あなたたちが耳にしたとき、実現した」(ルカ4;21)と話された後、何が起こったかを伝えている。
 まず聴衆の反応だが、「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて、『この人はヨセフの子ではないか』と言った」のだった。この「驚いて」という反応は、話の内容があまりにも素晴らしかったから、最初は感動の混じった「驚嘆」だったと思う。しかしそれはすぐ、たかが大工ヨセフの子なのに、どうしてあんなことが話せるのかという、侮蔑的偏見の混じった「疑念の驚き」に変質したように見える。
 ところが、ここでひとつの疑問が湧く。イエス様が「この聖書の言葉は、今日あなたたちが耳にしたとき、実現した」と宣言されただけで、聴衆が皆イエス様をほめ、その言葉に驚いただろうかという疑問だ。答えはノーだと思う。なぜなら、その宣言の意味がよくわからなければ、ほめることも驚くこともなかったはずだが、その宣言だけではとうてい意味がよくわかったとは考えられないからだ。それなのに、もしそれだけで褒めたり驚いたりしたとすれば、反応はあまりにも唐突で筋が通らない。
 では、どうして聴衆は褒めかつ驚いたのだろうか?その答えはルカ4;21の最後に、「…と話し始められた」と書いてある一語にあると思う。「話し始められた」のなら、その続きがあったはずだ、と気付くことが鍵だ。つまり、イエス様はイザヤの預言が、この日どう実現したのかについてコメントをなさった。それもかなり長い解説だった可能性がある。そう仮定すると、聴衆がなぜイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いたか、はじめて納得がいく。その十分な解説を聞いたからこそ、彼らは褒めかつ驚いたのだ。そして、「この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」(マタイ13;56)と言い合った理由もそれでわかる。

 聴衆の反応から推察すると、そのコメントは、皆が称賛し驚いたというのだから、きっと聞く者の心を高揚させ、神をたたえずにはいられなくなるようなすばらしい話、まさに恵み深い言葉だったに違いない。しかしながら、残念なことにルカはその内容を伝えてはくれなかった。そこで、次の疑問が湧く。では、聴衆の間にそんな反応を呼び起こした解説とは、いったいどんな内容だったのだろうか?という疑問だ。これは興味をそそる。
 とは言え、その問いに対する答えは直接には書き残されていないから、聖書の中を探して、こんな解説ではなかったのだろうかなぁと想像するしかない。私はかつて、ボーイスカウトのスタンツ(野外劇)ために書いた本「イエスが行く」1巻で、それを試みたことがある。今読み返してみても、この時に書いた以上の答えは今のところ見つけられそうにないので、今日はそれをここに繰り返すことでよしとしようと思う。スタンツ用だから解説的ではなく、シナリオ形式だ。

会堂司 では、みなの衆、お座りください。今日はここで、預言者イザヤの巻物を朗読していただきます。
人1   今日は誰が読むのかな?
人2   さあ、誰かな?
会堂司 今日はこの村から出て、お戻りになったヨセフの子イエスさんにお願いしましょう。
      (イエスが前に出て行く。すると人々はざわつく)
人3   おい、イエスだってよ!
人4   あのイエスが来ていたのか?
人3   そうだ。あんたも知っていたのか?
人4   もちろんさ!今、たいそうな評判なんだぜ。知らないわけがないだろう?荒れ野で修行を積み、神の力を身につけて帰ってきたそうだぜ。
人2   身につけて来ただけじゃない。もう、カファルナウムや湖のあちこちの町で教えを広め、病人を治したり、たくさんの奇跡をしたりしているっていう噂だ。
人1  しっ!読み始めるぞ! 
      (イエス、会堂司から巻物を受け取ると開く)
イエス 「主の霊は私に宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、私を聖別してくださったからである。主はわたしを遣わして、囚われ人が解放され、目の見えない人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、主の恵みの年を告げ知らせるのである」
      (イエスはここまで読むと静かに巻物を巻いて会堂司に返し、コメントの席に着く。一同はイエスにじっと注目する)
人4   なかなか話し出さないねぇ。
人3   うん。どんなことを言うんだろうな?
人1   しっ!静かに。
イエス みなさん、この聖書の言葉はみなさんが耳にした今日この日に実現しました。(沈黙)

会堂司 (小声で) もう少し説明してください。
イエス  イザヤは「慰めよ、ねんごろにわが民を慰めよ」と語り、来るべき良きおとずれの日を告げ知らせました。それは神の支持するしもべによって到来する時代のことでした。そのしもべについて聖書は言う。
 「わたしの支持するしもべ、わたしの心を喜ばせる選ばれた者、わたしは彼の上にわたしの霊を置き、異国に公正を宣言させる。彼は叫ばず、声を立てず、広場で声を聞かせない。彼は折れかけた葦を折らず、弱い炎の灯心を消さず、忠実に公正を告げ知らせる。主なる神はこう言われる。主であるわたしは正義のうちにあなたを呼び、あなたの手を取ってあなたを形造り、民の契約と定め、異国の光りとした。
 あなたは見えない人の目を開き、囚人を牢から出し、闇に住む者を囚われの家から出す。わたしは主である。それがわたしの名である。わたしはわたしの光栄を他の者に譲らず、わたしの名誉を偶像に与えない。昔の出来事はすでに実現した。未来のことも実現するであろう。わたしはそれが現れる前に、あらかじめそれをあなた方に告げ知らせる」(イザヤ40;1〜42;9)と。
 そこでよくお聞きなさい。ここに預言されたことは今実現されている。目の見えない人は見え、耳の聞こえない人は聞こえ、死人は甦り、貧しい人々は福音を聞かされる(マタイ11;5)。人は罪から解放されて自由となり、暗闇に座っていた者は立ち上がり、まことの光りに照らされ始めている。もしそうなら、これは主の恵みの元年、神の大赦の時が到来したしるしなのです。誰であれ、わたしについてつまずかない人は幸いです。

人1  驚いたなぁ、おい。たしかにあれが大工ヨセフの子なのか?
人2  確かだ。でも、いったいどこであんなことを学んで来たんだろう?
人3  でも、あれは大それたことを言ってるんだぜ。あんたら、わかったのか?
人4  わかったとも。でも、もしもあのイエスが約束のキリストなら、この故郷でも奇跡をしてくれなくちゃ。でなけりゃ、どうしてそんなことが信じられるかね? (ガヤガヤ騒ぐ)

 イエス様はおそらくこのような内容の話をなさったのではあるまいか。これがわかれば、今日の問題はほとんど解決したも同然だが、私はその前半をイザヤの預言書から推察した。預言なら神の言葉だから、勝手に私が想像した言葉とはならないと考えたのだ。特にイザヤ42;9の言葉には注目すべきだと思った。新共同訳とは少し違うが、要するに「かつて予言されたことは成就した。だから、これから成就する新しいことを、それが起こる前に告げる」という予告だ。ところで、イエス様の福音宣教と共にそれは実現され始めていた。
 その証明となる「目の見えない人は見え…」というくだりは、マタイ11;5にあるイエス様ご自身の言葉だ。これは洗礼者ヨハネが牢獄から、「来るべき方はあなたでしょうか」と尋ねさせるために、弟子たちを遣わした時に言われたお返事だ。もっとも、それはルカではナザレト訪問後の7章で言われたことになっているが、マタイの順序に従えば筋は通る。なぜならマタイでは、イエス様がその言葉を洗礼者ヨハネの弟子たちに言われたのは11章で、ナザレトへ行かれたのはその後の13章になっているからだ。ナザレト訪問が少なくとも2回あって、会堂で聖書を朗読された訪問が2回目だったとしたら、このことに関する限り、私はマタイの順序の方が正確ではないかと思っている。いずれにせよ、もしそういう解説を聞いたのだとしたら、聴衆は聞き終わった直後きっと感動していたに違いない。

 ところが、ナザレトの会堂にいた聴衆の純粋な感嘆の気持ちは、またたく間に変質してしまったようだ。ルカはその変質の証拠を、「この人はヨセフの子ではないか」としか書かなかったが、マタイとマルコはもう少し詳しく、「このような知恵と奇跡を行なう力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちはみな、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう」と言い合ったと書いている。
 ナザレトの人たちは幼少からのイエス様を知っていた。その家族もみんな知っていた。その当時、ファリサイ派にはシェンマイ派とヒレル派があったが、イエスがそんな学派に入って学んだとは聞いていない。つい先頃まで我々の中で働いていたではないか。それがいつどこで、短期間にこんな大変身を遂げたのだ?人々の驚きは無学だったはずなのに、信じられないような聖書の知識と奇跡も行う力を、どこでどう得たのかというその驚きに変質してしまったのだ。
 むしろそれまであまりにも身近だったから、イエス様が油を注がれた者メシアだとはとても信じられず、つまずいたのだった。ひょっとしたら、シナリオの人4のように誰かが、「もしもあんたが約束のメシアなら、この故郷でも奇跡をしてほしい。でないと、信じられません」と叫んだかも知れない。だから、イエス様は「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』というに違いない」と言われたのではなかろうか。
 そして言われた。「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」と。これは4福音書がすべて記録を残している。マルコの福音書の内容はマタイの2回目訪問とほとんど同じだ。ただ、マルコも1回のナザレト訪問しか伝えないが、その代わり興味深い言及をしている。「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いて癒されただけで、そのほかは何も奇跡をおこなうことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた」(マルコ6;5-6)という一節だ。驚いたのは聴衆だけではなく、イエス様も驚かれたのだ。ただし、不信仰に驚かれたのだった。

 ルカではその後、イエス様がサレプタの女の話(列王記上17章)とシリアの将軍ナアマンの話(列王記下5章)をなさったことになっている。それは「あなたたちの信仰は、預言者エリアを信じたあの貧しい寡婦や、皮膚病患者だった異邦人の将軍に比べても劣る」という意味だったから、会堂内の人たちは侮辱されたと思って騒然と総立ちになり、激高して大それたことを仕出かそうとした。イエス様を町の端にある崖から突き落とそうとしたのだ。
 しかし、マタイもマルコもその事件のことには触れていない。これをどう解釈したらいいのだろうか?3福音書が同じ訪問のことを書いているのは確かだし、ルカが実際にはなかったことを書いたとも思えないから、解答の一つはマタイとマルコがその事件を知らなかったので書かなかったか、あるいは知っていても省いたという仮説だ。しかし、この訪問そのものを知っていたなら、その事件もいっしょに語らなかったということは考えにくい。片や、知っていたなら、省かなかっただろう。「人々の不信仰に驚かれた」と書いたくらいだから、知っていたらその事件も書いたに違いない。
 そこでもう1つの仮説が浮上する。実はナザレト訪問は3回あって、これはその時のことをルカが1つの訪問にまとめてしまったからではないかという仮説だ。もし3回目のことだったとすれば、それはヨハネ4;43-45のことではないかと私は推理するのだ。そこには主の一行がサマリアを通ってガリラヤに行かれたことが書いてあるが、なぜかそこに「イエスは自ら、『預言者は自分の故郷では敬われないものだ』とはっきり言われたことがある」と書いてある。ルカの言葉と同じだが、過去形で記憶されているところが違う。しかし、それが他の福音書にあるナザレト訪問を指していることは確かだ。
 ヨハネは彼らがナザレトに行ったとは書いてないが、43節に「ガリラヤに行かれた」と書いたばかりなのに、46節では「イエスは再びガリラヤに行かれた」と書いている。そして、この時はぶどう酒の奇跡のことを想起しながら、カナの町とカファルナウムに行ったと言及している。だとすると、地名はあげなかったが、43節の「ガリラヤに行かれた」はナザレトだった可能性がある。
 「預言者は自分の故郷では敬われない」という言葉があること自体、訪問があった形跡を示唆する。なぜなら、もし関係もないのにこの言葉をここにポンと入れたのなら、なぜそうしたのかその理由がないからだ。ただ、この時は彼らも祭に行って、イエス様がエルサレムでなさったことを目撃した後だったので、主を歓迎したと書いてある。しかし、歓迎しても厳しいことを言われて激高し、とんでもないことを仕出かしたことはあり得る。ただこの仮説の難点は、もしそんなことがあったのなら、パンの奇跡の後同様、ヨハネは書いただろうに、実際は町名も事件も書かれていないことだ。
 いずれにせよ、ルカだけが「これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた」と書き残した。人々のこの豹変は、「ホサナ、ホサナ」と迎えたのに間もなく「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫んだ民衆の豹変を連想させる。また、崖から突き落とそうとした殺意は、主が神殿で「アブラハムが生まれる前からわたしはある」(ヨハネ8;58)と言われた時に、ユダヤ人たちが石打ちにしようとした殺意と重なる。そして、イエス様が人々の間をすり抜けて立ち去られた様子は、ユダヤ人が石を投げたとき、「イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた」(ヨハネ8;59)という後姿を思わせる。 
 それらの時、イエス様は憤激する人々の間をすり抜けて去られた。「まだ時が来ていなかった」(ルカ2;4)からだ。しかしゲッセマネの園で、祭司長の兵士たちがユダに案内されて捕縛に来たときは、彼らの手からすり抜けて立ち去られることはなかった。「時が来た」(マルコ14;41)からであった。ナザレトの会堂での話の後にルカが書き残した、この神の子殺しの試みは実現しなかった。しかし、それはすでに受難の時を予感させるものだ。ナザレトの訪問は神の恵みの素晴らしい公表だったと同時に、人々の罪深さが顕在化した機会でもあった。「しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ち溢れました。」(ロマ5;20)それを誰よりもよくご存知だったのは、他ならぬ主イエス様だった。

すべてにおいて愛

 聖パウロのコリントの信徒への手紙12;4-27については、先週、とげ抜きの体験から始めて、キリストの神秘体のことを書いたが、年間第4主日の第2朗読はその続きの12章31節-13章13節だ。異邦人の使徒はそこで、「わたしはあなたがたに最高の道を教えます」と前置きしている。これがキーワードだ。そして最後に、有名な「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」という愛の頌栄を書いた。

 しかし、それはその前に語られた事柄を踏まえて論じられるからこそ、鮮明にわかるのだ。では、その前に何が語られたかと言うと、要約すれば、教会はイエス・キリスト様を頭とする神秘体で、信じる者たち一人ひとりはそれを形づくる部分である。部分である信者はそれぞれの働きによって神秘体全体のために尽くし、全体は小さな弱い信者をも自らのかけがえのない部分として大事にし、心にかけなければならないということだった。
 聖パウロは「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(一コリ12;26)と言って、働きや能力などで信者の上下優劣を論じてはいけないと戒めた。「神は教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気を癒す賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。」(同12;28-31)いや、皆が使徒になったら教会は成り立たない。それぞれはみな素晴らしい賜物なのだ。それで優劣を言い合ったり分裂したりするのは愚かだ。だから、それぞれ頂いた賜物を生かして働きなさいと書いた。
 しかし、と彼は続ける。「あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう、熱心に努めなさい」と。そこで最初にあげた、「わたしはあなたがたに最高の道を教えます」という言葉が出てくる。そう、ここまでに話した使徒職も預言、教育、奉仕、管理等々の使命はすべて素晴らしいが、それらすべてに優って、しかも万人が共通にいただける最高の賜物がある。それが愛なのだ、と。
 そこで前に語られた事柄が引き合いに出されて愛が語られる。天使の異言を語り、預言ができ、霊によってあらゆる知恵に通じ、山を動かすほどの信仰があっても、愛がなければ無と同然だ。全財産を貧者に施して善行をしても、殉教をしても、愛がなければ無益だ、と。それは善行とか殉教とかも、それ自体が愛なのではない、愛のない慈善も愛のない殉教もあり得るということを意味する。聖パウロはいろいろな良い活動、優れた能力、意味のある仕事等はすばらしいが、愛がなかったら空しいと喝破したのだ。これは活動や業績や能力を優先させ過ぎる現代の傾向を反省させる。

 このことは「では、愛とは何なのか?」という問いを呼び覚ます。よくギリシャ語では愛はエロス(情的な愛)、フィリア(情的でないが求める愛)、アガペ(慈しみの愛)の三つがあると、その区別から説き起こす人々がいる。フィリアはフィロソフィー(哲学)やフィラデルフィアと同語源だ。哲学とは「知恵を求める愛」という意味で、フィラデルフィアとは「兄弟を愛する町」の意味だ。しかし、彼らはキリスト教が説く愛はアガペだと言う。その説明は有益だ。確かに聖書の教える愛はアガペという愛だからだ。しかし、それを概念から定義するのは不毛だと思う。実際は逆で、これこれの行為や思いや事柄があるが、それらを一つに括ったものを愛という概念で表現したのだからだ。
 聖パウロが「愛は忍耐強い。愛は情け深い。…」(一コリ13;4)と列挙している例はまさにそれだと言えよう。ねたまない。自慢しない。高ぶらない。非礼をしない。自分の利益を求めない。恨みを抱かない。不義を喜ばない。真実を喜ぶ。忍ぶべきことはすべてを忍ぶ。信ずべきことはすべて信じる。望むべきことはすべて望む。耐えるべき事はすべて耐える。そういうすべてのものを含む心のあり方を、人はアガペの意味の愛と呼ぶのだ。
 でも、聖パウロの列挙ではすべてが言い尽くされたわけではない。むしろそれはまだマージナルな属性だと言ってもいい。もう少しその愛の核心に近いものに、例えば「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3;16)、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(同15;13)などがある、最も大切なものを、誰かのために喜んで与えることはその愛に当たる。そこから私たちは愛とはどんなものかを感得できるのだ。

 聖パウロは愛の属性を例示した後で、「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」と、今度はその優越性を述べている。預言も能力も知識も職務も福音宣教すらもいつか要らなくなる時が来る。しかし、愛が要らなくなることはない。だから、彼は最後のまとめで、「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」と断言したのだ。
 その通り、信仰も希望も、信じたこと希望したことが実現すれば要らなくなる。当然の成り行きだ。しかし、愛が要らなくなることはない。むしろ、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものが過ぎ去ったからである」(黙示録21;4)という時が実現し、「神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」(同21;3)時になったら、神の国において、愛は単に残るだけではなく、絶対になくてはならないものなのだ。

 ところで、キリスト教の説く愛はアガペの意味の愛だと言われるが、では聖パウロもコリントの信徒への手紙のこの個所で、その言葉を使っているのだろうか?そういう疑問が湧いたので、調べてみた。その結果、この個所には愛という語彙が合計9回出て来るが、すべてアガペで表現されていることが確認できた。では、聖書の他の個所ではどうだろうか?そういう疑問も湧いたので興味を覚え、思い当たる主だった個所を調べてみた。旧約聖書の場合はもちろんヘブライ語だ。
 ヨハネ3;16「神は、その独り子を…ほどに、世を愛された。」ここでは確かにアガペが使われている。
 同13;1「弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」 2語ともアガペで書かれている。
 同13;34「あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ここもアガペが使われている。もちろん動詞でだが…
 同15;13「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」アガペで表現されている。
 マルコ12;30(=マタイ22;37-39、ルカ10;27)「イエスはお答えになった。『第一の掟はこれである。心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟はこれである。『隣人を自分のように愛しなさい。』」これは旧約からの引用だが、2語ともアガペの動詞命令形になっている。
では引用先の70人訳ギリシャ語旧約聖書はどうか?申命記とレビ記に分かれるが:
 申命記6;4「あなたの神である主を愛しなさい。」 間違いなく、アガペで表現されている。
 レビ記19;18「隣人を自分のように愛しなさい。」 これも間違いなく、アガペが使われている。
 では、70人訳の原典ヘブライ語ではどうか?アガペに相当するヘブライ語はアハバ(愛)、アハブ(愛する)だが、上記の申命記6;42でもレビ記19;18でも、アハブタ(アハブの男性単数命令形:愛せよ)で表現されている。ちなみに、アガペはラテン語ではcaritas、仏語ではcharitéだ。
 ホセア14;5「わたしは背く彼らを癒し、喜んで彼らを愛する。」ここでもアハブが使われている。
 しかし、アガペではなく、それに近い語彙が使われることもある。例えばホセアの預言2;21、12;7などでは、「慈しみ憐れむ」、「愛と正義」など、ヘセド(慈しみ)やラハミーム(憐れみ)がよく出てくる。ヘセドは、実際は好意と憐れみを一緒にしたような愛で、善きサマリア人が抱いた気持ちに近い。他方、ラハミームはリヘム(憐れむ)というヘブライ語から出た名詞で、ラテン語のmisericordia, 仏語のmiséricordeに当たるが、ギリシャ語ならエレオン(憐れみ)だ。カトリック信者ならよく知っているミサのキリエ・エレイソン(主よ、憐れみたまえ)のエレイソンと同根で、エレーオ(憐れむ)からの言葉だ。有名な聖句には出エジプト記33;19「わたしは…憐れもうとする者を憐れむ」がある。そこでもこの言葉が使われているが、これらはしばしばアガペと同義語かそれに近いことが多い。

 さて、聖パウロはいつまでも残り、最も大いなるものは愛だと教えてくれたが、ではその他のものは価値が低いと軽視してもいいのだろうか?いや、そんなことはない。ましてや、今の世はまだ過ぎ去っていないのだから、愛だけでは済まない。預言も、福音宣教も、労働も、病気を癒すことも、奉仕も、隣人への援助もみな必要なのだ。だから、それらの真価を知るには、聖パウロの言葉を逆にして、「もし愛があれば…」と言い直して見ればいい。そうすると、すべての意味が生き返り、価値が輝きを放ち、それらが神秘体と各人にとってとれほど益になるかがむしろよくわかる。
 もし愛があれば、天使たちの異言を語れることは天上の楽の音に等しい。預言の賜物、あらゆる神秘と物事に通じた知識、山を動かすほどの信仰は、もし愛があれば大いなる宝になる。もし愛があれば、全財産を貧しい人のために使い尽くす人や殉教する人は、神の国に迎え入れていただける。「わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受けなさい」なぜなら、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」(マタイ2534-40)だからだ、と。神様の前で問われるのは愛なのだ。

 愛がなければ、神様の前ではすべては価値が色あせる。しかし、愛があれば、すべては生きる。聖パウロのメッセージは、愛によって生きることこそ最高の道だと悟らせることにあった。かつて虹を架けるコミュニティというホームページを立ち上げた時、私は標語として「必要なことでは一致、疑義のあることでは自由。だが、すべてにおいて愛」(In necessariis unitas, in dubiis libertas, sed in omnibus caritas.)という短文を掲げた。聖アウグスチヌスの名言だが、一致するにせよ、議論するにせよ、何事においても必要なのは愛だという意味で、それは聖パウロの教えの系譜に属している。
 もう一つ付け加える。一昨年出版した本「あの笑顔が甦った」のエピローグに、私は聖ヴィアンネの次の言葉を引用した。“S’il n’y a rien après la mort, je serai bien attrapé. Mais je ne regretterai pas d’avoir cru à l’amour. ” (死後何もないとしたら、私はまったくいっぱい喰わされたことになろう。でも、私は愛を信じたことを後悔はしないだろうね。) しかし、これはマルク・オレゾンの本 “Apprenti Sorcier”p.147からの借用だったので、本当に聖ヴィアンネがそう言ったかどうか気になっていた。
 ところが3年ほど前、たまたま同聖人の生地に近いグルノーブルの知人から、Bernard Nodet編Le Curé d’Ars(アルスの主任司祭)という本をもらった。聖人と同時代の人43人の証言集だ。それを読んでいたら、非常に似た個所を188頁に見つけた。アルスの教会に通った常連オリオルと言う人の証言だが、皆が聖ヴィアンネの働き過ぎを心配して、数日休みをとってくださいと勧めた時、彼は聖人が次のように言うのを聞いたと言う。
 “Je me reposerai au paradis. Je connais quelqu’un qui serait bien attrapé s’il n’y avait point de paradis.” (私は天国で休みますよ。もし天国がないとしたら、まったく1杯喰わされることになる誰かさんのことは知っていますけどね。) この証言には、「愛を信じたことを後悔はしないだろう」と言う一句はないが、おそらく証言にはバリエーションがあるからだろうと思う。いずれにせよ、私はそれを読んで、マルク・オレゾンの本にある言葉は正真正銘のものだと確信した。フランス人でイエズス会神父でもある人が聖人の言葉を間違えて引用をするはずはないし、2書の表現が実に酷似しているからだ。ここにも聖パウロが教えた「最高の道」のエコーがある。
プロフィール

余生風

Author:余生風
「聖書温故知新」
「思いつくまま、気の向くまま」
折にふれ「水彩画」も紹介してまいります。

「手を貸す運動」全国代表
社会福祉法人「地の星」理事
元玉川大学教授

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「絵画と心」

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